第60回福岡国際マラソン選手権大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年もメインレースに位置づけしていましたが、昨年ほど準備が整わない状況で福岡を迎えてしまいました。結果からすれば、「あの程度の準備でこれだけの結果」というのがホンネです。 福岡はの街は、昨年と同様、相変わらずの歓迎&賑わいでした。男子選手としては最高峰のマラソン大会ですので、出場資格があるうちは毎年出場したい大会ですね。 昨年に引き続き「練習日誌」を公開しています。今年の練習日誌は練習量も少なく、また、ポイント練習が消化できなかったこともあり、あまり参考にはなりませんが、よければ一度覗いてください。
十分練習出来ぬまま福岡へ 昨年はBグループとはいえ福岡国際マラソンの出場資格が取れて、「いざ福岡へ」という意気込みで練習してきた。今回は、2回目であり、更に福岡国際マラソンの一週間後に名岐駅伝の予選会”名岐駅伝カーニバル”も控えていることもあり、マラソン向けのトレーニングに専念できぬまま福岡入りしてしまった。(昨年に比べ公私に忙しくなってしまったこともある。)こういう場合、往々にして良い結果が出ないものである(当たり前!)。 しかしながら選手として峠を越えたとはいえ、いっしょに練習している名古屋市役所走友会やコーチしている女性の手前、無様な記録だけは残せない(撃沈覚悟で走る場合は、先に宣言します!)という責務はあった。練習が十分に出来て福岡入りしたわけではないが、今回完走できたのも、そういうプレッシャーを背負っていたせいかもしれない。いろんな人から出発前に「頑張ってください!」と応援メッセージを頂いたが、プレッシャーの方が大きかったように思う。 今回も新幹線で博多入り
大会前日 福岡へは今年も土曜日出発だ。験(ゲン)を担ぐつもりはないが、昨年と同様、早朝、自宅周辺をジョギングしてからの出発だ。昨年、出場して少しばかり勝手がわかったので今年は少しゆっくり出発する。 福岡入りしてからは博多駅で昼食、その後博多東急インでチェック・イン。昨年と同じ行動パターンだ。 テンションを高めるために、平和台陸上競技場へ向かう。 平和台陸上競技場には、昨年と同様、Bグループの選手向けに控室としてプレハブ小屋が3棟造られていた。ただし、昨年と違うのは今大会が60回記念大会ということで、サブ・イベントとして42.195kmウォークが開催されていたことだ。朝7時にスタートとか・・・。どおりで平和台付近をテクテク歩いている人が多いわけである。 私もフラフラしてサブ・イベント用のゲートをくぐったら係の人たちから「お疲れ様でした」と声をかけられ、何かのシールを渡されそうになる。「いやいや私は違います」とお断りする。明日出場する選手に見えなかった? 大濠公園にも立ち寄るが、こちらも昨年と同じように準備がすんでいた。
今年も昨年と同じ場所での受付だ。ただし、昨年より会場には人が多い。参加者が昨年比で約+100人というせいだろう。 17時30分頃、大形さん(名古屋市消防局)が現れ声をかけられる。今回は、受験される子どもさんのために午前中、合格祈願に太宰府天満宮へ出かけられたそうだ。当初、私と同じパック・ツアーで来る予定であったらしいが、満員のため断念。往復とも夜行バス(名古屋-福岡)とか。46歳ながら鉄人だ。
昨年は、フライングして始まっていたおかげで、私が行った頃にはほとんど食べ物がなくなっていたのですぐに引き返したのであるが、大形さん情報で「早く行けば大丈夫ですよ」という言葉を信じて今年は受付をしたまま会場の外で始まるのを待った。 「選手・コーチ以外は入場できません」といいながらも、どう見ても家族にしか見えない小さな子どもたちもいる。昨年はわんさかいたが、今年はアナウンスのせいか、そういう人たちは少数である。 選手が部屋にほぼはいると、パーティは始まる。 河野洋平(衆議院議長、日本陸上連盟会長)、秋山耿太郎(朝日新聞社社長)、麻生渡(福岡県知事)、福岡市副市長と挨拶が続く。いずれも大物ばかりだ。これらの主催者等の挨拶が終わるまで、乾杯はお預けだ。ちょっとウズウズする。 「歓迎の夕べ」といってもトライアスロンではお馴染みのカーボパーティと同じである。西鉄グランドホテルという福岡では一流ホテルで開催されるので料理の内容は素晴らしい。このパーティの飲食代だけで、3,000円の参加費で元が取れるほどだ。 トライアスリートもマラソン・ランナーも大食漢が多い。食べ物は肉類を除いてあっという間になくなる。ところが、昨年の反省を生かしてか、しばらくして第2弾、第3弾が出てくる。おかげで今年は夕食代わりに十分に腹を満たすことが出来た。 パーティが始まって30分ほどするとビデオの上映が始まった。今年は大会が始まって60回目の記念大会。過去のこの大会でフィルムが現存するものを集めてダイジェストにしたものである。時間にして15分。フランクショーターの4連覇、学生時代(早稲田大学)の瀬古利彦の優勝、雨の中の中山の激走など過去を振り返ってみると、最近のレースよりも印象的なレースが多い。過去のこの大会にはスーパースターがたくさんいた。平和台陸上競技場のスタンドも人・人・人の鈴なりだ。過去を振り返ってみると最近は、福岡のステータスが無くなってきているような気がする。賞金レースに地位を奪われ、「世界の福岡」が地盤沈下していることは否めないが、今回数々の世界記録を21回も塗り替えてきた「皇帝・ゲブレシラシエ」の参戦でその地位を復権して欲しいと願うばかりだった。
当日(〜スタート) 大形さんから「9時半頃ならプレハブは空いていますよ」と情報をもらったので、今年は早めにホテルをチェック・アウトする。 9時40分頃、選手控室であるプレハブ小屋に到着。なるほど、大形さんのいうとおりガラガラだ。スタート時間が12時10分なので、あまり早々に来ても仕方がないいうこともあるのであるが、かといって遅くに来て座るところもないのでは困る。結論としては、大形さん情報の9時半頃に来るのが良さそうだ。 今年は昨年に比べプレハブ小屋到着が早かったので、プレハブ小屋に着いてからもコンビニで購入したおにぎりを2個ほど食べる。もちろんホテルで朝食バイキングに1,000円も払って食べてきたのであるが、何といってもマラソンにおいては朝食のタイミングがレースを左右する。食事を多めにしても、あまり早く食べるとレース終盤ガス欠になる恐れがある。 私の経験上であるが、マラソンの場合、スタートの2時間前までくらいでも走っていてあまり支障がないので結構遅くまで何かを食べている。ちなみに今回は、スタート約1時間前に最後の仕上げとしてウィダー・イン・ゼリーを飲んでいる。 11時頃から大濠公園にウォーミングアップに出かける。 今年は昨年に比べて練習量が少ない(もともと多い方ではないが・・・)ので、レースとしては自重気味に走らなければならない。アップしていても体の動きはあまり良くない。どういうレース展開にしていくか・・・。アップしながら考えたが妙案は浮かばない。19分/5km程度で刻んで行く予定ではあるが、心拍数を監視しながらコントロールしていかなければならない。 11時50分頃スタート場所へ向かう。 Bグループのコールは、ユニフォームを着たまま所定の場所を通過するだけである。こうするとナンバーカード(ゼッケンのこと)に装着されたタグをセンサーが感知して選手の情報を読み取るというものである。非常に簡単なものである。 スタート時間が近づく。ウィンド・ブレーカなど着ていた服を主催者の用意したビニール袋に入れて、トラックの荷台の番号ごとに並んだ箱に預ける。もうすぐスタートだが、寒い!ランシャツ、ランパン+手袋+アームウォーマーの出で立ちでは今日は寒い!今からでもすぐにスタートをして欲しいくらいだ。 12時過ぎにBグループが整列されられる。係員による点呼も始まった。昨年は、ハーフマラソンの標準記録突破で出場したので、並びは最後尾であったが、今年は(フル)マラソンの標準記録突破での出場なので並んだ位置は全体の真ん中あたりだ。こうして並んで待っているとようやくスタートが近づいたんだなという実感が湧いてくる。 前半 12時10分。大濠公園にピストル音が鳴り響く。同時刻に平和台陸上競技場では、あの”瀬古利彦”さんがスターターとしてピストルを鳴らしているはずだ。 大濠公園からはBグループと呼ばれる約400人の選手がスタートした。大濠公園を1周(約2km)と約400mを走り、公道に出たところでAグループと合流し、その後はゴールまで全く同じコースを走り抜ける。 大濠公園には応援の人影はほとんどいない。しかしながらBグループとはいえ、1km4分を切る速さで400人の集団が走るというのはなかなか凄まじい。公園内では、静寂の中を選手の靴音だけが響き淡々トレースが進む。気温が低く、ちょっとエンジンがかかるには時間がかかりそうであるが、風は思ったほど吹いていない。 大濠公園を出て、Aグループと合流する公道に出るとそこには、福岡140万市民の割れんばかりの声援が待ちかまえていた。先月の大相撲九州場所、昨日はJ1アビスパ福岡の降格措置試合、、そして今日の福岡国際マラソンと福岡ではビッグイベントが目白押し。なかでも市民ランナーの雄であるBグループにも大きな声援をいただけると思うとすごいエネルギーになる。特にこの合流地点から、5km地点の西新あたりまでは一番賑やかだ。 5km−18分47秒。昨年とほぼ同タイムだ。 それにしても今にも泣き出しそうな天気。昨年のように雨が降ってこないことを祈るばかりだ。 5km〜10kmも18分50秒といい感じだ。 ただし昨年の心拍数が165〜169で推移していたが、今年は170を超えることが多い。十分練習が出来ない状態で福岡入りしてしまったため同じようなタイムでも心拍数が高くなっているようだ。簡単にいえば体にあまり余裕がない状態で走っているということだ。 しかし今日は、あわよくば2時間40分切りという目標がある。わざわざ福岡まできて走るのである。多少無理をしても走る価値はある。平成12年2月の別府大分毎日マラソンで2時間30分46秒を記録してから2時間35分どころか2時間40分を一度も切っていない。年齢的に厳しくはなっているが、2時間40分を切るという可能性は「0」ではない。 10kmを過ぎてから集団のペースが落ちだしたので単独で走ることが増えてしまった。マラソンでは、単独で走ることはなるべく避ける方がよいのであるが、コースの性格上10km〜30kmまでは概ね追い風となる。遅い集団と一緒に走ってペースを下げる必要もないので、今回は単独で走る覚悟もする。 結果的にこの判断はよかった。25kmまでは18分台できちんとタイムを刻んでいけたからだ。 後半 福岡のもうひとつのコースの特徴に折り返しが32km付近にあるということがある。 気分的な問題かもしれないが、折り返し地点でどうしても緊張が緩む。そういう意味ではなるべく遅くにある方がいい。 25〜30kmでは集団で走っているグループに後方から徐々に追いついた。追いついたといっても、このグループも既に分裂しかかっているので、しばらく走っているとどれが本体なのかわからなくなってきた。 30kmの通過が1時間52分59秒。25km〜30kmの5kmが19分03秒と今日初めて19分台に落ち込む。ここまでは予定通り。なんとか残りの12kmも5km−19分台でキープしたいところだ。 このあと、ゲブレシラシエを含む3人の外国人先頭グループとすれ違う。日本人はいない。さすがにモノがちがう。今回、この”皇帝・ゲブレシラシエ”と同じレースに参加出来たことは本当に誇れること。今日のレースが自分の走歴の記念すべき1ページになることは間違いない。一瞬の遭遇であった。
ここまで直進か、90度に曲がるだけの繰り返しできたため、折り返しの180度のUターンはぎこちない。走るリズムを崩しやすい箇所だ。 折り返してみたが、思っていたほど向かい風は厳しくない。気温は低いが、こと風に関しては昨年に比べれば条件はよい。 しばらく走ると大形さん(名古屋市消防局)とすれ違う。ちょっと苦しそうな感じで走っている。お互いに手を挙げて健闘を祈る。 35kmは2時間12分05秒。この5kmも19分06秒と何とか持ちこたえた。マラソンの神髄はここからだ。ここからが本当の勝負になってくる。 しかしながらその思いむなしく、徐々に脚が棒のようになっていく感じが強くなってきた。ここまできたらあとたったの7km。27分55秒でクリアすれば何とか2時間40分は切れるのに、脚は急にずしりと重くなってきた。最後の7kmは練習の量や質によってタイムは大きく変わる。35kmまで同じように走ってきても残りの7kmで1分、2分タイムが変わることなど何ら珍しくもない。今回も不安を抱えながら、そういう現実に直面してしまった。 38kmの千鳥橋あたりから急激にスピードが落ちてきた。他人のことを偉そうにいう立場ではないが、自分と同じようにヨタヨタとしているランナーがこのあたりに来ると目立つ。そんな無様な姿で走りながらも、相変わらず140万福岡市民の声援は大きい。ここまで来れば、彼らの応援をエネルギーに変えて頑張るしかない。 40km−2時間32分28秒。35〜40kmは20分23秒。ついに20分台に突入してしまった。2時間40分切りは絶望的!しかしここまで来たら、次の目標は昨年より1秒でも早くゴールすることだ。
大手門交差点を坂を100mほど登ればそこは平和台陸上競技場だ。今年も不安と戦いながらも何とか帰ってこられた。競技場に入ってあと残り500m。電光掲示板の表示は2時間39分30秒を少し超えている。「残り100mなら・・・」。しかし現実はあと500m。脚が本当に棒のようになっているのでトコトコとしか進まない。 ゴールまであと150mほどで前を走るランナーが突然倒れる!競技場の観衆から一瞬どよめきが走る。彼はすぐさま立ち上がって再び走りだす。相当疲労困憊ということだろう。マラソンという競技の凄まじさを物語っているといっていい。 そしてスタートから2時間41分47秒。6年ぶりの2時間40分切りは今回も不発に終わった。 若い頃に比べて記録(タイム)に対する執着が薄れているのが自分でもわかる。昨年に比べれば気象条件に恵まれた(特に風)にもかかわらず、今回はタイムを10秒縮めるのが精一杯だった。いや10秒でも縮まっただけマシかもしれない。 マラソンともなると先が長く、なかなかチャレンジングな展開に持ち込むのが難しいという部分もあるが、それは練習で解決していくしかない。来年こそは・・・。
アフターレース 前日打ち合わせをしておいたように、大会終了後は大形さん(名古屋市消防局)と博多駅から徒歩5分ほどのところにある天然温泉「八百治博多ホテル」で入浴する。湯が塩辛く天然温泉らしさがでている。昨年は大会後に多くのランナーを見かけたが、今年はほとんど見かけず風呂も空いていた。大形さんも気持ちよさそうに入っていました。
名古屋には名古屋グランパスエイトがあるように、福岡にはアビスパ福岡というJリーグのチームがある。アビスパは今季16位と低迷、昨日のVS甲府戦に負けるとJ2へ降格になるという。田村さんは昨日、けなげにもこのアビスパの応援に出かけていたらしい。彼の応援の甲斐あってアビスパは何とか引き分け、自動降格は免れた。しかし油断はできない。まだ入れ替え戦が残っている(このあと神戸と戦い残念ながらJ2に降格してしまいました。) 田村さんとは高圧ガス関係の会議でよくお会いする。9月の茨城県で開催されたある会議の帰りのバスの車中で、今回の福岡入りを告白した。日頃都道府県の担当者間では趣味の話しはしないので、彼も少し驚いた様子だった。 高圧ガスの担当者は年配の方が多い。そういう中、比較的年齢が近い彼とは、何となく親近感がある。年齢は偶然にも今回同席された大形さんと同じで、私よりも2つ上であった。 約2ヶ月ぶりの再会であったが、おおらかで懐の深そうな彼は健在だった。これからもよろしくお付き合い下さい。今回は、いろいろとありがとうございました。 |