駅伝カーニバル 兼 2007年名岐駅伝競走大会予選会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年、大砲として名古屋市役所走友会に入ってくれたエース田中君を故障で欠きながらもそれぞれのメンバーは大健闘。来年への確かな手応えを感じた駅伝でした。来年こそは、加藤を16年ぶりに名岐駅伝(本選)に連れて行ってくれ!
名古屋市走友会 名古屋市役所走友会は非常にユニークなチームだ。何がユニークかといえば、個性が非常に強いところにある。 公務員といえば固いイメージがある。これは世間が勝手に思っているだけで、人間としてはもちろんカチコチの人間もいれば、非常に懐が深くユニークな人間もいるのが事実だ。名古屋市走友会の走力のことはとりあえずおいておいて、個人個人のキャラクターとしては面白い。よせ鍋に入っている具のような感じといっていいだろう。個性は強いが、全体としてはほんわかした感じだ。若手が比較的多く、活気があることもいい。競技を目的にするのであるならば、エネルギーであるこの「活気」というのが非常に大事である。 しかしながら、当然のことながら欠点もある。 鍋の具よろしく、キャラクターが強い分、今ひとつまとまりに欠ける部分がある。走友会の親玉・木崎さんとは15年来の付き合いがあるが、走友会そのものの雰囲気は昔からあまり変わっていないような気がする。これは、仕事の性格上のことに起因しているかもしれない。 私はいまも県庁の職員であるが、県庁の仕事はトップダウン方式。上からあれこれ指示が飛んでくることが多い。下から意見を出しても通りにくいもどかしさがある(最近はちょっと嫌気がさしている)。 そして名古屋市役所。こちらはボトムアップ方式(だと思う)。下からの意見、=現場の意見から政策を決めていくというスタイルがある。隣同士にあっても、仕事のスタイルは180°違っていると言ってもいい。直接現場を抱えているところならではだ。 いつの頃か忘れたが、その旧知の木崎さんから「練習のやり方を教えてやってくれ」と頼まれた。正確なことは忘れたが1年半ほど前だろうか。 名古屋市走友会の練習会は週に1回、水曜日に名城公園で実施される(現在は土曜日も開催するようになったが・・・)。その頃から、私も市役所の練習会に一緒に参加するようになったが、彼らは練習メニューをがむしゃらにこなしているような感じだった。 確かにメニューを消化するのは大切であるが、「どういう大会」に向けて、「どういう練習」をすると、「どういう効果」があるかということを逆算して練習をしているようには思えなかった。練習が形骸化していると言っていいかもしれない。当時は、そういう感じだった。練習で満足してしまって、結果につながらない、お祭りやさん的なチームだったと思う。
名岐駅伝といえば、ローカル駅伝と揶揄する人もいるが、この地方としては最高レベルの駅伝であることは間違いない。これは過去から現在まで変わらない。テレビの生中継がないので、そのステータスがわかりにくいが、沿道の応援をみればそのステータスは一目瞭然だ。 彼が、選手として注目を浴びてきたことをチームの後輩に託して味わって欲しいのである。 しかしながら、「親の気持ち子知らず」である。 名古屋市役所も県庁も、平成4年2月の本選の出場を最後に名岐駅伝から遠ざかっている。何を言っても、若手には昔話にしか聞こえないかもしれない。私にとっては、昨日のことのように思っているが・・・。 名古屋市役所としては、本年盛り上がっていたのが「富士登山駅伝」だ。これは、ダイジェストであるがその日のうちにテレビで放送している。大砂走りでの中継地点での転倒シーンで有名な大会だ。私も今年、乞われて参加してみたが「特殊駅伝」という位置づけでは面白かったと思う。ただし、富士登山駅伝は、あくまでも「特殊駅伝」であって、スピードを競う「正統派」の駅伝ではない。 ただし富士登山駅伝が「特殊駅伝」とはいえ、上位は一生懸命になってやっている。その壁を崩していくのは並み大抵ではない。だからといって正統派の駅伝を敬遠する理由もない。時間は短かったが、富士登山駅伝終了後、名岐駅伝への取り組みが始まることとなる。 どう転んでも無理
名古屋市役所は、走力でいえば凡チームだ。急成長している水谷くんもいるが、戦力になる部員が掃いて余るほどいるわけではなく、戦力になる人間を、いくつも掛け持ちしないと成立しないクラブだ。 名岐駅伝の本選出場のハードルは非常に高い。 平成4年2月の本選までは、愛知県内のチームに「30」の出場枠があったが、交通事情悪化の名の下に、シード「15」チーム、予選会からの出場枠「6」チームに減らされてしまった。事実上、従来の2/3のチームしか出場枠がない。それまでは、多少頑張れば本選に出場できたのであるが、2/3の枠に減らされたせいで出場するための壁がとてつもなく厚くなってしまった。 本気で出場する気があれば、練習をしっかりやらねばならないし、十分に時間をかけて準備もしなければならない。凡チームである名古屋市役所が「本当に出る気あるの?」という状態が9月上旬だった。富士登山駅伝が終わって、一息ついてばかりいる。こんな状態ではとてもじゃないが、メンバーの実力から見ても完全にアウトだった。 出場宣言!
走友会の運営を徐々に後輩に託している手前、以前に比べればいろんなことを後輩らに任せている。それだけに、今年、名岐駅伝(予選会)に出る意思表示がなかなか出てこないので彼は非常に苛立っていた。当然だろう。 そして9月のある日、練習会後の飲み会で彼は後輩らにその意思表示を訪ねた。 大半の部員は最初からあきらめ顔だ。わたしも思った。最初から戦意喪失では練習などやっても仕方がない。こういう状態であれば、駅伝をするよりもマラソンなどの個人レースに特化していく方が面白い。しかしそれだけではチームとして、クラブとして存在している価値は少ない。ただの飲み会チームならば、わたしはおさらばさせてもらう。 ところがその中でもひとりだけ気を吐いているやつがいた。金井塚だ。 走りとしては、まだ荒削りなところがあるが、名古屋市役所走友会の中では非常に前向きな性格だ。彼が、出ると宣言したのだ!ただし、出るといってもダラダラ走るだけ、とりあえず出ましたというのであれば出ない方がマシだ。クラブとして士気が下がるだけだ。正直、この時点では私は彼の意志がどのくらいあったのか掴みきれなかった。もちろん、出るとはいっても駅伝だから少なくとも6人はまともに戦えるメンバーが揃わなくてはならない。 この時点の私の読みは、ズバリ「6人の5000m平均が16分00秒であれば、予選を通過するかもしれない」である。あくまでもこのレベルでも「かもしれない」である。一番遅い奴で16分30秒くらいまでにとどめておかなければならない。この時点で少なくとも16分30秒を切っている人間は2人しかいなかった。 出場宣言はしたものの、予選会を通過する目処は極めてゼロに近かった。 布石作り 今年は正直いって、予選会突破は無理だと思った。 9月からわずか3ヶ月で「6人の5000m平均が16分00秒」にすることは不可能だ。それ以前に練習会に、強化すべき選手が6人だけでも揃わない。今年は、来年ための布石が作れればいいと思っていた。 ただし布石を作るといっても、その方法が大切だ。
こうして、9月より10月、10月より11月と気候的に走りやすくなってきたこともあるが、徐々にスピードが出るようになってきた。11月8日(水)のTTでは、5人までが16分台で走れるようになっていた。これは予想外だった。5000mの平均タイムでいえば、予選通過のボーダーラインまでの私の見込みよりもまだ30秒ほどは足らないが、何とか形だけは出来てきた。 そして、メンバー選考の最終TTが、11月15日(水)に行われた。17分前後の人間はレギュラー取りに必死になっていた。そしてとうとうこの日、金井塚が16分台をたたき出し、6人が16分台で整った。奇跡だ。予選突破には、まだ力不足ではあるが、よくぞこの短期間で16分台で6人が揃ったものだと感心した。このときばかりは、若いエネルギーには勢いがあると感じたのであった。 そして出るからにはやはり勝負だ。どこまで他のチームに食らいついていけるか。それを試すにも前半から勝負していくオーダーで予選会に臨むことを決めたのだった。 1区水谷の快走で流れが出来る! そして大会当日を迎えた。 私はといえば、一週間前に福岡国際マラソンを走っている。タイム的には満足できるものではないが、それなりのタイムで完走しているので体にはダメージが残っている。今週一週間は、ほぼそのダメージ回復に費やしたといってもいい。福岡の翌日の月曜日、そして大会前日の土曜日と、困ったときの「らくだ治療院・大曽根」である。完全に修復したとは言い切らないが、何とか間に合わせたという体調だった。 今日のオーダーは、1区から順に水谷-後藤-加藤-大宮-内藤-金井塚のオーダーだ。 名岐駅伝カーニバルは、駅伝といいながらも庄内緑地公園のサイクリングロードを周回する。コースも平坦であるので区間ごとの違いといえば周回数だけだ。オーダーを決めるのにはあまり悩む必要のないコースである。距離も40km程度と短いので、前半から流れに乗って勝負に行く作戦だ。来年を見据えてのオーダーなので、今年はどこまで対抗できるかという意味で、現時点の早い順に選手を並べた。
もうすぐ正午。先月19日の中山道東濃駅伝で1区を経験した水谷が今日も1区だ。 1年と少し前に、走友会に入ってきたが、あれよあれよという間に素質を開花させている。10年にひとりの逸材といってもいい。日頃口数は少ないが、物怖じしない性格と、飲み込みの速さには脱帽する。彼に1年ほどエース教育をしてきたが、彼に対してはほとんど教えることが無くなってきた。今日最後まで波に乗っていけるかどうかは、彼が左右するといってもいい。そういう意味では、走力・性格とも1区に向いている。 正午、一般男子・17チームが一斉にスタートする。 1区は、どのチームもほぼエース級を投入してくる。駅伝の流れを作りたいからだ。それだけに出遅れは許されない。私が彼に指示したのは、次の2点だ。
水谷級の力であれば、無難に2周は消化できることは見えている。問題は3周目だ。 庄内緑地公園陸上競技場のホームストレートのすぐ裏手に防風林のように松林がある。この松林の中をサイクリングロードが通る。つまり駅伝カーニバルのコースの一部だ。競技場の中の中継点からもよく見える。2周目の松林では先頭は6人ほどの集団になっていた。もちろん水谷は残っている。こんなところで離れては困る。ラスト1周が勝負だ。祈るようにして3周目を待つ。 3周目の松林に水谷が現れた、先頭はこの1周で3人に絞られた。水谷はしぶとく残っていた。「ヨシ!いけるぞ!」競技場には、先頭からはやや離されたが3番目で水谷が戻ってくる。とはいえ2位で走っている名古屋市消防局の稲吉のすぐ後方につけている。 残り200mほどで水谷がラストスパートをし、名古屋市消防局・稲吉を抜いて2位に浮上した。中継点では、2位で後藤にタスキが繋がれた。24分19秒!最高の出来だ! 彼に対しての私が予測したのは24分44秒。ただし、彼の勢いからすれば24分30秒くらいまでで繋いでくれればという期待があったが期待以上の走りを彼は実現したのであった。 2区以降は繋ぎ役に徹する
ブレーキは、体調不良(例えば風邪、故障)などで力を出せないケースと、オーバーペースにより自滅するケースだ。どちらも避けたいものだ。大会前は管理面のことなので、ケアすることを指示する。スタートしてしまえば、心理的に焦りを取り除くことが大切になる。 駅伝は、水谷のようにこちらの予想以上に快走することは稀である。普段どおりの力が発揮できれば100点満点だ。しかしながら意外にこれが難しい。なぜなら相手があるからだ。競り合うとどうしても付いていくということが起きる。力の範囲内であれば問題ないのであるが、往々にしてオーバーペースとなって自滅することが多い。簡単に言えば自分を見失ってしまうということだ。2区以降はどうなったか・・・。
しかしながら、ここ一番で力を出せずに能力を余している感がある。今後、飛躍するのも本人次第。素質十分なのだから、何が足らないかは本人が探していくしかない。 今回は、彼が気分的にリラックスできる2区に配置した。 が、水谷が予想以上の位置できたせいか、やや入りが早かったような気がする。本人は押さえていたかもしれないが、気分が高まっているとこの「速い」という感覚が失われてしまう。 庄内緑地のサイクリングコースを3周して競技場に戻ってくると、別人のようにフラフラになっていた。しかしながら、駅伝という重責で歯を食いしばって戻ってくる。順位は2つ落としたが4位で中継する。お疲れ様!
フルマラソンからわずか一週間での駅伝。肉体的には、かなり辛いものがある。 中継地点での3位のトヨタ田原RCとは3秒差。ここは離れずについていきたいところだ。すぐ後ろには愛知学院大学が迫っている。ダンゴといっていい。 タスキを受け取って、きれいになおしながら周回コースへ出る。ここは、前との間隔を保ちながらペースを見ていく。今日の体調の善し悪しは、この状態なのでわからない。心拍計(ハートレートモニター)を見ながらオーバーペースにならないように気をつける。 1周目はまずまずだった。「フルマラソン一週間後でも、5km程度なら何とか乗り切れるかな?」と思った頃から、体の動きが止まった。つまり2周目だ。前を走るトヨタ田原RCとの差がジワリジワリと広がりだした。心拍数は181〜182を指している。オーバーペースではないが、体調面からしたらややオーバーペースだったかもしれない。2周目は非常に辛い1周となった。競技場の裏の松林で庄内RT・田中くんが「後ろからくっついているぞ〜!」と教えてくれる。が、こちらとしては全く余裕がない。テニスコートそばで愛知学院のランナーに抜かれる。5位後退だ。 競技場に戻ってくると他チームを含め応援が賑やかだった。 しかしながら、2区の後藤くんよろしくこちらもフラフラ。あと50mほどで愛知大のランナー(3区・区間賞)にも抜かれる。中継地点では6位に後退した。予選通過まで崖っぷちとなってしまった。ただし区間記録は16分56秒。5000m換算としては16分42〜43秒。とりあえず責任は果たしたか?
大宮は、先週の市町村対抗駅伝では岩倉市の代表だ。今日は加藤より体調がいいはずなので、いい記録を期待したい。彼も5〜10kmはスピードを出し切れるランナーだ。今日は4区であったが、加藤の体調がこういう状態なので3区の起用でも良かったかもしれない。 16分52秒。40代ながら区間6位、通過順位も6位で繋ぐ。 4区(大宮)→5区(内藤)で一気に若返る。 愛工大名電出身の長身のスピードランナーだ。5000m15分台の記録をもっているが、まだそこまで復帰していない。彼には今回、気分的に楽な5区に配置をした。 2区の後藤同様、スピードが彼の武器だ。反面、速度超過を起こすともろさが露呈する。これも経験。ここまでほぼ予想どおりギリギリの順位で戦っている。まだ、6区・アンカー区間が残っているのでリラックスして走って貰えばいい。2周を終えて競技場に戻ってきたときはフラフラだった。順位は7位。ある程度展開は読んでいたが、6位圏内から外れるとちょっと寂しい。もちろん彼には責任がない。これが今のチーム力ということだ。 そして最後のタスキリレーとなる。5区(内藤)→6区(金井塚)だ。 10月に目の手術をして、完全に出遅れた感があった金井塚であったが、駅伝カーニバル当日までに良く戻してきたと思う。本来ならば、アンカー区間には水谷、若しくは故障中の田中を起用すべきであるのであるが、チーム事情で彼にアンカー区間を走って貰うことになった。どのチームもエース級若しくは準エース級を投入するこの区間で無難に走ってくれた。 12月とはいえ気温も高かったこの日、給水もなくサイクリングコースを4周し競技場に戻ってきた。2時間13分08秒。総合8位でのゴールだった。
2時間13分08秒をどうとらえるか ゴールタイムは2時間13分08秒。私が、戦前に予想したのが2時間13分21秒なので、13秒ほど予想より速くゴールした。ほぼ予想どおりといっていい。甘い予想でも辛い予想でも希望的な予想でもなく、単に現時点での実力値からはじき出したタイムである。もちろん今回の駅伝は、採点すれば100点といっていい。上出来である。タイム設定をしてそのタイムとほぼ同等に走れば、駅伝としては100点といっていい。予選会を通過するも何も、まずは、自分たちが十分力を出し切ることが第一だ。それだけに現時点の力は出し切ったといっていい。ご苦労様でした。応援に駆けつけてくれた、みなさんありがとうございました。 ただし予想と違っていたのは、他チームの状況。 過去3年の6位チームのタイムが2時間09分〜2時間10分台なのが、今年は2時間12分07秒と例年より2〜3分遅い。これは気象条件の問題ではなくてチーム力が今年は例年よりたまたま低かっただけのことだと思う。来年以降もこのレベルになるかはわからない。 結果だけ見れば6位チームと2時間以上走ってタイム差はわずか1分1秒。6区・アンカーの金井塚が競技場に入った頃、6位の名城ARCがゴールしているわけであり、彼の目からも見える範囲でのゴールである。タイム的に近いといえば近いのであるが、かといってその距離は400m近くある。 6位との差「1分1秒」。この時間がわずかなのか、大きな差なのか。いずれにせよ1年かけて詰めて追い越さねばならない。いや、むしろもっと先の2時間09分台までチーム力を上げる努力をしなければならない。 そのためにはこれから1年間、チームとしての明確な目標、取り組み方を決めた上で練習をしていかなければならない。まだやれることは山ほどある。みんなまだ速くなれる要素はたくさんある。現有メンバーでも努力次第で来年は予選通過も全く夢じゃない。 鉄は熱いうちに打てという。今の名古屋市走友会は熱くなっている。オレもやれることはやる。みんなもやれる限りのことはやって欲しい。この熱気をさまさぬように、来年まで頑張ろうじゃないか。来年こそは16年ぶりにオレを名岐駅伝に連れて行ってくれ!そしてランナーとしてさらなる飛躍をして欲しい! |