第25回犬山国際友好シティマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
別大マラソンの一週間後ですが、今年はアメリカ・デービス市派遣狙いということで強行に出場しました。狙い通り部門別では優勝したものの抽選会では外れ。名古屋市役所走友会のKさん(彼は何年か前に当選して派遣されている)のいうとおり「当たれ当たれと思っていると当たらない」という結果でした。来年も狙いますよ〜!
8回参加で2回の出場? この大会に参加するようになったのは平成9年2月の第15回大会が最初。以降、平成10年、11年、15年〜18年と過去7回参加。今回が8回目の参加となる。 しかしながら、過去に競技として走ったのは平成10年2月の第16回大会の5kmのみ。他は、子どもたちのジョギングのお付き合いだけだ。 これだけ会場に足を運んだにもかかわらず、競技種目の5kmや10kmに出場しなかった理由として次の2つのことがあった。
ところが最近は別大マラソンも、以前のように足がバンバンに張るほど速く走ることもなくなってきたためか、マラソン後の回復は比較的早い(若返った?)。また、この大会は各部門の優勝者からアメリカ・デービス市へ派遣してくれるという特典がある。優勝すれば、比較的高確率でチャンスは巡ってくる。二人の子どもも小学生。もうそろそろ親が走っている間も待つことが出来る年頃だ。今回は、優勝して権利を確保するために出かけていったのだった。 犬山シティマラソンはいつも賑やか いろんな大会に足を運ぶのが好きであるが、犬山シティマラソンはその中でもとても賑やかな大会の最右翼に位置づけされると思う。 犬山市の人口は約74,747人(平成18年4月1日現在)。今大会のエントリーが5,493人だからエントリー率(勝手に命名)は7.35%。名古屋市の人口が2,265,054人(平成19年1月31日現在)だから同エントリー率で考えれば、名古屋シティマラソンには166,454人の参加が見込まれることになる(実際には15,000人程度)。街の規模から見れば、犬山シティマラソンはとても賑やかな大会であると言っても過言ではない。 実際にその賑やかさを演出しているのは、参加者だけではない。犬山市体育館前に並んだ屋台の数々。これがお祭りの雰囲気を醸し出していてとてもいい(こどもたちも帰りにポテトを買っていった)。また、ランナー向けにショップも3軒(京都キャロット、ロムコーポレーション、タグチスポーツ)ブースを出している。今回、私もグランドコートとソックス4足を購入しました。 そのほか大塚製薬のドリンクコーナー、シキシマパン(犬山にパン工場があります)のパンの販売、そして無料のお汁粉サービス。国宝犬山城の真ん前がゴールというロケーションもいい。犬山を楽しく走るということはランナーが一番よく知っているかもしれない。
こどもたちは1kmなんかへーちゃら! あちこちのマラソン大会に子どもたちを連れて行くようになり、最近は長男・かずたかは「1km位ならたいしたことない」というようになりました(巨体を揺らして走る様はかっこうよくないですが・・・)。短距離走が得意の長女・ゆかこは「ゆっくり走る」です。どちらにせよ、子どもたちにとっては1kmくらいならへーちゃらになってきました。いい傾向です!
レース 今日の目的は一つ。年代別で優勝し、米国デービス市への派遣の抽選権を獲得することだ。男子は5km、10km併せて13部門(女子は11部門)。優勝から1名が抽選で派遣されるのだから確率は非常に高い。 さて、先週の別府大分毎日マラソンからわずか一週間。いくら32kmまでしか走ってはいないとはいえフルマラソンの後遺症はある。昨日、らくだ治療院へ行ってマッサージを受けたおかげで体のこわばりは取れている。 この大会での5km部門は、全種目の中でも一番スタート時間が遅い(10時40分)。スタート場所が10km部門と同じため10km部門の後方で待機となる。スタート場所のライン大橋付近は日陰で寒い。先週の別府大分毎日マラソンは暖かかったので、アームウォーマーと手袋は装着しなかったが、今日は再び必需品となる。 10時40分の少し前からカウントダウンが始まる。カウントダウンはフライングするヤツらがいるのでこの長距離種目では止めて欲しいものだ。 案の定、1秒弱ではあるがフライングしたヤツが数人いて一歩出遅れる。高校生は出足が速い。木曽川を右手に見ながら約900m先の四日市交差点へ向かう。自分の前には10人以上の固まりがあるが、とてつもなく速いという感じではない。走りだしてから感じたのであるが、昨日のマッサージの効果がはっきり現れて体が軽い。どこまでこの状態が続くかは懐疑的であるが、前半はスムースに走れることは間違いなさそうだ。 四日市の交差点を右折して木曽川の堤防道路に出る。今日は風が強い。ここらあたりから力のない選手はどんどん後退を始める。前には5分前にスタートした10km部門の選手の後尾がいるので抜いて走るのも一苦労だ。選手の間を抜いたり、右側の路肩を走ったり完全に蛇行状態。 四日市交差点から約660mで10kmの折り返しがあるので、10km部門の白ナンバーカードの選手はここでUターンする。5kmは更に約700mほど走って折り返すことになる。ここで初めて5kmだけの選手になるので自分の位置がはっきりする。目視で確認すると自分の前には4人の選手が見えるのでちょうど5番目を走っていることになる。それにしても今日は風が強い。風除けのない状態で走るのは辛い。 スタートしてから約2.2kmで折り返す。折り返して1人抜く。それにしても向かい風が強く、既に3kmくらい走ったような感じだ。すれ違いざまに後方を確認する。40歳代でいやだなと思った元トヨタ自動車・陸上競技部の夏目さんは出場していないようだ。40歳代の2位以下の選手とは10秒以上間隔があいている。何とか今日はいけそうな感じだ。 折り返して抜いたはずの選手(中学生?)がしばらくたつとついてくる。ちょうどペースメイクするのにいいので一緒に走る。先ほどの向かい風が追い風になったので走りは少し楽になる。併走しながら最後のポイント犬山高校前の坂をどのように登っていくか考えていた。この坂の途中に残り1km地点がある。 四日市交差点を過ぎ、そのポイントにかかると先ほどまで喘いでいた併走していた選手が息を吹き返してグングン登り出す。オジサン選手(私のこと)は徐々に離されていくではないか。 本町交差点を左折して古い町並みの中を抜けてゴールの犬山城前に出る。このあたりでは10km部門の選手とごちゃごちゃになって走りにくかったが全体で5番目、40歳代では目標通りトップでゴールした。(妻・ゆきこは同じく部門別2位。部門別優勝の選手とは1分30秒以上の差。狙っていたわけじゃないけど残念でした) アメリカ・デービス市派遣の抽選会
小牧シティマラソンは入賞者全員の中からホノルルマラソン招待という制度があり、みんなが固唾をのみながらその瞬間を待っていたが、この大会の抽選方法はそんな感じではなかった。 記録証を抽選箱に入れること入れたが、「行きたくない人は入れなくともよい」とか言っている。まあ、確率は高くなるのでありがたいことではあるが、何となくゴソゴソやっている感は否めなかった。 また、犬山市民から派遣する側の抽選箱に誤って、市外から参加の部門優勝者が記入用紙に名前を書いて投じるなど抽選会の運営方法にも疑問があった。最終的には男子3名、女子3名をリストアップし上から順に選手の意向を聞いて派遣招待するようである。残念ながらこの3名にも抽選で入ることが出来ずに落選!来年リターンマッチで犬山を走らなければならない。残念! アフターレース 1kmを完走した子どもたちにもご褒美を。犬山といえば子どもたちにとっては、やはり「日本モンキーパーク」。小さい頃から何度も来ている遊園地。冬のこの時期、遊園地は閑散期・・・のはずが意外にも人がまずまずいましたね。午後から入場したので16時30分の閉園まで思う存分遊んだようです。 そして夕食は「王将!」と長女・ゆかこが言っていたのですが(チャーハン大好き)、ブロンコビリーの前を通ると急に気が変わり「ブロンコ!」と・・・。結局わが家は、この一番下のチビの言葉に左右されてブロンコビリーの夕食になりました。ゲフッ!
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