第3回ひわさうみがめトライアスロン 参戦記
その1
 7月20日(祝・海の日)〜21日(日)の2日間にて、徳島県で開催された「ひわさうみがめトライアスロン」に参加してきましたのでレポートいたします。

 平成元年からトライアスロンの試合に出場するようになって、昨年でその数も68を数えるようになった。
 この中には、練習会に極めて近いものもあれば、世界のトライアスロンの頂点である「ハワイアイアンマン」もある。
 しかし、平成6年にその「ハワイ」に出場してから,トライアスロンをハイレベルで続けていくモチベーションが無くなっていた。
 数年間は、まだ出場したことのない大会を中心に参加していた。皆生、村上、日本海おしん、びわこミニ等。かといってこういう大会ばかりに出場していると、旅費がかさむ。結局ここ数年は近場で済ましていることが多くなっていた。

 4月頃、20年来の友人である「S」から電話がかかってきた。
 彼も参加大会は少ないが自分と同じ頃からずーっと継続して練習をしているトライアスリートだ。デイブ・スコットを師と仰ぐところは共通している。

 近況を語り合う中で今年の参加大会の話となった。4月頃は、引越前で家が完成に近づいている頃でどたばたしていて、今年の出場大会は全く白紙の頃だった。

 そこに「S」が
S:「ここ2年続けて徳島のひわさうみがめトライアスロンに出ているんだ。ロケーションもいいし、地元の人もいいし、大会の雰囲気がいいよ」と。
加藤:「それなら一度行ってみようかな」
ということで、今シーズンの第1レースがこの会話から生まれた。4月22日には、申し込みと参加料の振り込みを早々と済ませた。どうも先着順らしい。

 ランは通年で練習しているものの、水泳は5月の中旬頃から、バイクは6月に入ってから本格的に練習を開始した。遅い!
 6月の下旬からはバイクの遠乗りも開始した。体が全然動かない7月に間に合うのだろうか・・・。
その2
7月20日(土)

 大会前日。朝6時30分頃、車で出発した。

 Sくん(今日からは親しみを込めて「くん」付けで呼ぶことにする)は、一週間前、バイクの練習中に落車。右手小指骨折。右肘、右膝に深い擦り傷。左手の中指も腫れている。肋骨もまだ痛いといっている。電話で聞いていた以上に結構ひどい怪我だ。

 彼が、「ひわさ」の話を切りだして、宿の手配やフェリーの手配までしてくれたのに大会に参加できないと思うととても気の毒だ。日常生活にも少し支障があるようだ。一年に1回しか出ないと決めている大会がこんな結末では寂しい。
 それに引き替え、自分は明日の初戦を含め今シーズンは6大会にエントリーしてある。病気と怪我は是非避けたいと気を引き締める。

 ということで、車の運転は加藤が全部することになった。このような状態なら当然のことながら安全だ。

 出発して10分で、5月に開通した名古屋高速の四谷ICに着く。ここから阪和道・和歌山ICを出るまで信号はない。
 東名阪の御在所SAで朝食を摂る。800円のバイキングだが、手が不自由なSくんには辛そうだった。加藤がトレーを持ったり運んでやったりした。

 こうやって彼と2人で出かけるのは独身時代以来だ。
 いろいろ話をしてもなかなか話題がつきなかった。いろんなことを話し合える友人がいるのはいいなとあらためて感じた。

 和歌山ICには、10時40分頃到着した。しかし料金所の手前から渋滞が始まった。
 最初は、船の出発(11時25分)までまだ時間があるとタカをくくっていたが、車がほとんど進まないなると不安になる。

 ICから8kmの道のりがとても長く感じた。
 フェリー会社のチラシには、「30分前までに乗船手続きをしてください」とある。とても無理。携帯で聞いてみたところ、車の積み込みは15分前からだそうだ。だんだんあきらめモードになってきた。ギリギリ乗れないなら「かたく」あとの便の席を確保する作戦に変更することにした。
 もう和歌山のフェリー乗り場に電話して、11時の便をキャンセル。2時間あとの13時の便に変更の予約をした。

 ところがである。和歌山県庁の前を過ぎた頃から道路が空きだした。時間は11時12分。「あと2kmくらいだからまにあうかも?」いそげー!!!!

 フェリー乗り場には11時16分に到着。
 すぐに切符売り場に向かう。空きを確認するとまだいけるとのこと。13時便をキャンセルして再々度、11時便にしてもらう。車を積み込むと、ほどなくフェリーは岸壁を離れた。

 「今日はツイテいる!」
 練習が十分こなせていないにも関わらず明日は何とかいけそうな気がした。

 約2時間で徳島に到着した。二人ともここのところ睡眠不足だったので、1時間は船上で睡眠をとった。

 小松島のラーメン屋で遅い昼食をとる。
 その後国道55号線を南下。小松島を過ぎてからは、めっきり信号が無くなった。

 15時30分。日和佐町に到着した。
 徳島県に来るのは、高校の修学旅行以来で日和佐町はもちろん初めてだった。

 日和佐町は、アカウミガメの産卵場所で有名なので、長い砂浜があるのかと思いきや
海岸線はリアス式海岸であることに驚いた。砂浜はわずかで、その砂浜の一番西がスイムスタート&ゴールになっている。

 受付と車検を済ませる。会場にショップが出ていたので、腰につけるゼッケンベルトを購入した。店員のお姉さんは、ショートカットでとても感じのいい人だった。もう少し買ってあげたいが気もするが、他に買いたい商品は見あたらない。

 開会式まで少し時間があったので、宿屋に行く。
 「観音寺」というところだ。お寺の裏に長屋を造ったような作りで8畳程度の部屋が6つくらいある。民宿というようなものではないが、まあ、快適に寝ることが出来て、食事が出来ればOK。
 一泊2食で6500円くらいだから、お金のかかる今シーズンは嬉しい。
 宿屋の若主人は、商売気がないせいかあまり愛想が良くない。「田舎の人」=「愛想がいい」という先入観が自分にあったので、少しがっかりした。

 宿屋から2分くらいのところが開会式の会場。
 競技説明会の受付をしたあと忘れ物をしたので車に行こうとしたところ「うみがめパレード」が始まった。今日は町の一年にいくつかあるイベントのうちのひとつ、「うみがめのまつり」なのだ。17時30分からは、明日のスイムスタートの地点の大浜海岸で子亀の放流がある。競技説明会は、パレードと子亀の放流の間に挟まれる時間帯に行われることとなっているのだ。

 競技説明会の前に愛知県協会の水畑さんに会った。
 彼はレースディレクターとして、全国を行脚している。この仕事で飯を食っていると聞いたことがあるが確かにJTUの大会ではよく見る。過去に天草でも村上でも長良川でも会っている。

 「8番を確保しておきましたよ」と水畑さんにプレッシャーをかけられた。

 今回のナンバーカード(ゼッケン)は8番だ。
 4ウェーブの第1ウェーブで更に1〜10まではシードされていることが一目瞭然だった。10番まではそうそうたるメンバーであった。
 昨年優勝の二川さん(コースのことを考えると結構いいタイム)。実業団の「日本食研」から「仁井晶一」と若手の「児玉誠司」。岡山の高橋泰夫さんは、数年前の地元「児島ファッションタウントライアスロン」で優勝。井原信介さんは、昨年今年と蒲郡オレンジで優勝している。山本信吾さんも愛知県の強豪。蒲郡オレンジでもかつて優勝している。三重の河崎さんは、6年前の三重サンベルトでかろうじてかわした相手。シード選手のうちよく知らない人は2人だけだった。
 明日の目標はナンバーカードの8番。あわよくば総合の6位と思った。

 開会式後コースの下見に出かけ、7時過ぎに夕食を摂った。睡眠不足は辛いので9時に寝ることにした。電気を消す。
 するとドーン、ドーン!祭りのフィナーレの花火だった。睡魔には勝てずすぐに寝付く。
その3
7月21日(日)

 午前5時36分起床。
 宿屋の人には、5時半に食事と言っておいたので寝坊である。Sくんも起きる。ふたりともこのところ睡眠不足だったので、お互いに「よく寝たなぁ」と言い合った。

 食堂へ行くが、ほとんどの人が食事を終えている。
 スタートが8時だから、トライアスリートの一般常識としての食事を摂る時間としては遅い。
 しかし、自分の過去の経験からスタートの3時間前は早すぎ、途中で腹が減るので、自分としては2時間くらい前にしている。ただし消化のいいものを摂るようにしている。

 7時過ぎに宿屋を出発。受付は7時半までだ。
 会場について、バイクラックにバイクをセッティングし受付に行く。隣の「NO.7」の山本(信吾)さんがまだ来ていない。受付で「NO.8加藤です。」と申告する。すると山本さんの名前の横にカタカナで「キケン」と書いてあるのを発見。
 過去数回、大会で彼と何度か戦うが勝ったことがない。Sくんに「山本さんが棄権だから順位が一つ上がった」と心境を吐露する。

 7時40分にスイムスタートに地点に行く。海は比較的凪だ。水もきれいだ。
 10年前に行った宮古島は国内で最もきれいだと思うが、この日和佐の海も透明度は結構いい。ウェットを着るために海に入る。水が冷たい。しかし、泳いでいるときっとちょうどいいくらいの水温になるだろうと思った。

 スタートは4ウェーブで、緑のキャップの第1ウェーブは8時ちょうどにスタートだ。加藤は一番外側に陣取る。スタートの前の静けさがある。

 数人フライングをしていたが、その直後に「プォ〜ン」という笛の音。スタートダッシュをする。バトルもなくスタートは上々だった。海の水が塩辛く感じる。

 いつものことだがスイムでは、先頭を泳げないので自分がどこにいるかさっぱりわからない。きっと蛇行しているのでタイムをロスしているのだろう。まあしかし、自分は早いんだという気で自信を持って泳ぐ。
百数十メートルおきにある四角錐のブイを目指して泳ぐ。

 全体の4分3くらい泳いだ頃だろう。2分後にスタートした第2ウェーブ(ピンクキャップ)の先頭に抜かれる。最後の方は、とにかくついていった。が、スイムゴールの時計は既に27分を越えている。「ああ。遅いなぁ」浜からはダッシュ。バイクエリアまでが長い。トランジットでも数人を抜いていく。

 バイクスタートではスタートから30分を越えていた。
 ここからが自分の持ち味と気を取り直す。応援の多い日和佐の市街地を通り抜け、サンラインへ向かう。サンラインは、日和佐から西へ国道55号線から分かれ、リアス式海岸の海岸線に沿って走る県道の名称だ。アップダウンが激しく、最大で10%勾配のところもある。標高は最大で海抜150mまで登る。登っては降り、降りては登るという、この大会の鍵を握るところだ。

 バイクスタートから3キロで、サンラインの入口にさしかかる。
 スイムフィニッシュからとばしまくっていたので急激な登りがこたえる。数人が坂でもがいていたが、順に追い抜いていく。いったい今何番目くらいなのだろうか。水泳が遅いのでさっぱりわからない。

 サンラインで一番標高の高いところに出る。
 太平洋の美しい景色も目に飛び込んでくる。が、先を急ぐ。下りだしてからは、先ほどまでの苦しさが消えリズム感が出てきた。こういう起伏の多いところは、下りを利用して上り坂の半分は勢いで登ると楽である。場合によっては、その勢いで坂の頂上まで行けることもある。

 リズムがよくなってきて一人ずつパスをする。
 18キロを過ぎた頃だろうか、NO.2,NO.3のバイクとすれ違う。日本食研の二人だ。その後ポツリポツリとすれ違う。「5,6,7・・・」数える。

 坂を下りきる手前で折り返しの赤いコーンが見えてきた。
 20人とすれ違った。ということは21番目。目標の8番にはほど遠い。折り返してからは、ほとんど追い越せない。当然だ。ここから前にいる人たちは手強い。簡単に抜かせてくれない。

 先ほど来た道を再度リズミカルに走る。15kmを過ぎると下る一方となる。40kmとはいえコースがコースなので下りで多少足を休める。

 が、日和佐の市街地に戻ると沿道の声援が激しかった。ついつい頑張ってしまう。橋を越え右折するともうすぐバイクゴール。シューズから足を出し、シューズを上から踏むようにしてトランジットに備える。

 復路では3人ほど向いて18番目でランスタート。ほどなく前に3人ほど姿が見えた。ヨタヨタしている(ように見えた。失礼!)。市街地を抜けて川の手前で右折するがそこまでに2人抜く。

 今日はとにかく暑い。昨日がちょうど梅雨明けだったようである。
 きっと33℃以上はあるに違いない。バイクでは、いつもは10分おきに給水するのを、今日は5分程度にしてこまめに給水した。ランコースには日陰がないのでとてもこたえる。でも条件はみな一緒だ。

 自分も走り出してすぐに足が重いのに気がついた。
 バイクは、リズミカルに走って気持ちよかったのだがやはり足には少しきている。自分がこうなのだから、他の選手はもっと辛いに違いないと思いながら走る。

 ランコースのエイドはありがたかった。
 大会によっては2km〜2.5kmごとにあるのだが、ここは約1,2kmごとで今日のような日には本当にありがたい。

 各エイドで紙コップを2つないし3つずつもらう。1つは飲み、残りは頭からかけたり足にかける。

 高校生の応援も熱狂的だ。学校の行事にしているのか、赤いジャージをはいている。水をかけてくれと合図するが、勘違いされ、ハイタッチをする。まさにヒーローだ。気分はいい。

 ランの4km手前で先頭とすれ違う。日本食研の仁井さんだ。自分が本命と見ていた男。でもすぐ後ろに同僚の児玉選手がいる。

 同じように「3,4,5・・・」と数える。折り返しまでに数えたのが12人。13番目か。今日は一桁順位はちょっと難しいかなと思った頃に「1」が見えてきた。昨年優勝した二川さんだ。足を屈伸したりしている。痙攣でもしたのかな?そんなことはどうでもいい。とにかく急ぐ。

 8km地点でまた先ほどの高校生たちがいる。にぎやかだ。まだ往路の選手もいるので、高校生が前に出てくると危ない。思わず接触しそうになる。遠くの方で先生が怒鳴っているのが聞こえる。

 9kmを過ぎる頃に「9」が見えてきた。三重の河崎さんだ。彼はランが(自分より)弱いはず。
追いついたときは必ず逆転しているので抜ける自信がもてた。その先の選手は全く見えない。

 再び市街地に入ってきた。左折をすると大浜海岸への直線道路。
 あと500mだ。Sくんも見える。写真を撮ってくれるようだ。ピースをする。加速をする。場内放送が聞こえてくる。
 「愛知県からやってきた加藤サン。・・・・・・・・(よく聞こえない)・・・・。9位でゴール!」あれれ、自分では11番くらいかなと思っていたのだけれどまあいいや。

 ゴールでは、ボランティアの女の子がタオルを持ってきてくれた。
女の子:「お疲れさまでした」
加藤:(いいえ、いいえ、あなたこそ350人もの連中に一人ずつタオルをかけてやって
    ごくろうさまですね。)
と思っていたが、とりあえず
加藤:「ありがとう」
と返事をしておいた。

 すぐ横で、森永製菓の「水」と「ウィダーインゼリー」をお兄さんからもらう。水がうまい。ウィダーインゼリーもついでにのんだ。水をそのあと4本くらい立て続けに飲んだ。本当に暑かった。

 Sくんに会う。一生懸命応援をしてくれたSくん。試合の展開を彼に報告する。今日の暑さではこのタイムはしょうがないという。
 昨年は9月開催で比較的涼しかったようなので、それと比べると今日はみんな数分は遅いようである。
フィニッシャータオルのことを気にかけていたので、彼にプレゼントする。彼も本当に出たかったのにという顔をしているのが伺えた。

 閉会式は12時30分を過ぎて始まった。神社の境内で閉会式が行われるのは珍しい。

 記録の速報が張り出されていた。
 やはり放送で言っていたように総合で9位、年代別(40〜44歳)は1位だった。とりあえず当初の目的がほぼ達成できてほっとした。

 JTUニュース及びJTUのホームページに書いてあるが、今年からエイジ別ランキング制度が始まるとのこと。所定の大会のうち3大会以上参加したに資格が出来上位選手を表彰、世界選手権のエイジ別にも派遣することも検討とある。
 年齢をいつの時点の年齢とするのかなど不明なことはあるが、40歳になった今、いい機会だと思ってチャレンジしようと思う。
 8月4日 長良川(岐阜)、9月29日 村上(新潟)、10月6日 幕張(千葉)と指定の大会があと3つあります。
 今年はこのエイジで日本チャンピオンを狙いますので応援よろしくお願いいたします。