第20回天草国際トライアスロン記念大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
台風が接近している中、無事開催されるか心配しましたが、台風のスピードが思っていたよりも遅く何事もなく開催されました。しかしフェーン現象か、当日は蒸し暑くみな苦しんでいたようです。
しかしながら、何とか自分の小遣いの中でやりくりしようと思っていても連戦では、肉体よりも財布の方がきつい。ということで、今回はやむなく夜行バスで行くことにした。熊本まで往復で2万700円はメチャ安い。片道わずか1万円。新幹線で名古屋から東京へ行くのとほぼ同じである。 その夜行バス。金曜日の夜ということもあってか満席。 自転車を積むときに、トランクルームがほぼいっぱいになってしまい九州産交バスの運転手さん、少々困った顔(帰りの名古屋観光日急のバスの運転手には「自転車は積めないんだよ。今度から送って」といわれた)。 自転車は何とか積めたが、自分のウェットスーツやヘルメットなどの入った大荷物が積めない。 運転手さんの指示によって、その荷物は車内に持ち込むことにした。満席だったのであるが、出発時刻までに1名こなかったので、1名分欠員になった。そしてその空いた席に荷物を置かせてもらった。よーし、出発進行!
今回は、ここからレンタカーを借りて本渡市内まで移動である。交通センターからレンタカーの営業所までは、徒歩移動なのでなるべく近い方がいい。 事前にインターネットで探した中で、この熊本交通センターから一番近いレンタカーが「マツダレンタカー辛島店」だった。8時30分の営業開始で時間があるので、しばらく交通センターで時間をつぶすことにする。 すると、こちらに話しかけてくる人がいる。タクシーの運転手さんだ。ちょうどバスを降車したすぐ向かいにタクシーが並んでいる。土曜日の早朝からなかなかタクシーに乗る客はいなくて暇なようである。 「いまからどこに行くとばい?」 「本渡市です。」 「天草国際トライアスロンかば?おれも昔出ちょっただよ」 と、運転手さんの自慢話。 あのころは、違う仕事をしていて一生懸命練習しておもしろかっただの、長嶋茂雄が何回もきて盛り上がっただの、今の本渡市長はだめだけど前の市長はトライアスロンには理解があったの、日本で最初にトライアスロンを始めたのは熊本の人間(永谷誠一さんのこと)だとか、今は競技指向になり過ぎで面白くないだの、延々と演説を聴かせていただくことになりました。おかげで、レンタカーの営業所がオープンするまでの約1時間30分は暇をもてあますこともなく済みました。
4年前の3回目は、「名古屋→福岡」は飛行機。「福岡空港→熊本交通センター」、「熊本交通センター→熊本港」は路線バス。「熊本港→本渡港」は高速船で来たため、熊本市から本渡市までの距離がよくわからなかった。 今回初めて、自分で熊本市から自ら運転してわかったのであるが、熊本〜本渡は約90kmあるのである。名古屋からなら浜名湖くらいまでは来るような距離である。高速道路があるならいざ知らず、一般道をひたすら走ってくると結構眠くなってきてしまった。確かに、風光明媚なところであるが、熊本市からは遠いなぁー!(写真は、天草五橋のうちの第1橋をバックに)
ランスタートは、本渡海水浴場(写真左)から本渡市陸上競技場に変わっている。途中に長嶋茂雄球場があるが、この球場のある広瀬公園内はアップダウンの厳しいところである。 写真右は「51.5kmトライアスロン発祥の地」の記念碑です。本渡海水浴場の片隅にあります。 日本初のトライアスロンは、鳥取県米子市の「皆生トライアスロン」です。こちらは、1981年8月20日に第1回大会が開催され、来月で第24回大会の正真正銘の日本最古のトライアスロンです。 それに対して、天草は2000年のシドニーオリンピックから正式種目となった51.5kmという距離の日本で最古の大会であるという位置づけです。私は、どちらの大会も出場したことがありますが、どちらも歴史を作ってきた大会であることは間違いありません。 さて、バイクコースですが大半は海岸線を走ります。往路は、有明海(?)を右手に眺め、復路はその反対で海を左手に眺めることになります。 コースはほぼ直線的に走るので、テクニカルな部分はほとんどありません。適度にアップダウンがありますが、最大の起伏は、本渡海水浴場から出てすぐに険しい坂を上るところでしょう。復路は、ゴール手前にこの坂が待ち受けていることになります。(写真左は往路の10kmあたり) ちょうどバイクの折り返し(20km)地点に、こちらの地方のラーメンのチェーン店「味千ラーメン」の苓北店がありました。ちょうど昼過ぎだったので食事にしました。みそラーメンセット(900円)(写真下。餃子は先に1個食べてしまいました)を頼みましたが、5分ほどで出てきました。ラーメンに海藻が入っている珍しいラーメンで気に入ってしまったので、夕方も本渡市内でまた「味千ラーメン」の別の店屋で食べてしまいました。 最後にランコースの下見をしました。本渡海水浴場を出てから、長嶋茂雄球場に向かうところは同じです。長嶋茂雄球場のある広瀬公園のアップダウン(写真右)を終えると、ほぼ平坦なコースになります。 途中で国道と2カ所ほど交差するところがありますが、ともに信号に従うというローカルルールが適用されます。 そして、ゴールはかつてのゴールであった本渡市陸上競技場が今回復活です(写真左)。自分が最初に出場した頃はここがゴールだったのでとても懐かしい気がしました。 やはりランコースは、本渡市内を縦横無尽に走って市民の応援を受ける今回のようなスタイルが好ましいと感じました。
受付で、ヘルメット&車検があるので市民センターの駐車場で自転車を組み立てました(写真左。黄色の車はレンタカーのマツダ、デミオ)。 夕方5時からは開会式です。今年は、20回記念ということもあり本渡市の姉妹都市、アメリカのエンシニタス市から市長以下選手団がやってきました。驚くなかれ、この人口6万人のエンシニタス市の市長は女性です。(おばちゃんといった感じではあったが) エンシニタス市長と本渡市長の入ったリレーチームも結成され、間寛平 率いる吉本興業チームだけには負けん!と本渡市長さんは張り切っていました。 (↑ 6月20日・日曜日の熊本日々新聞(朝刊)です。)
夜中、一時的ではあるが風がビュービュー吹いていた。 午前6時10分起床。台風の影響でデュアスロンになるのかな?と思いきや起きてみるととてもいい天気だった。風もなくいいコンディション。ただし、朝から30度に近いような気温だ。 朝食は、下の食堂でとる。同席の人と天候の話をする。まあ、みんな条件一緒ですからね。がんばりましょうとお互いに励まし合う。 7時少し前に、宿屋の浜屋旅館を出る。車で本渡市民センターの駐車場に向かう。早朝のせいか、まだ駐車場は空いていた。好きなところを陣取る。武道場に、ゴール後の荷物を預け、自転車でスタート会場の本渡海水浴場へ向かう。4回目の天草のスタートがいよいよ近づく・・・。この後、いろいろと波乱が起きるとは・・・。
また水温は25度で一番快適に泳げる水温である。 バイクをセットして、荷物のセッティングをしても8時前であった。木陰で体力の消耗を抑えるために休憩する。暑いときは、無理に動かない方がいい。 また今日は、暑いので特に水分補給には気をつけなければならない。バイクでは、10分おきに一口。ランでは、エイドごとに給水を飲み、また、頭、背中、足(大腿部)などを冷やしてやることが特に大切である。場合によっては、立ち止まってこの作業をしなければならないかもしれない。 スタート30分前になったので、バイクにかけてあるウェットスーツを取りに行く。すると、「かとーさーん!」と声が・・・。誰かと思いきや脇本さん(デンソー)だった。名簿では名前は拝見したのであったが、昨日の開会式では会わなかったので今回は欠場?と思いきや、彼にとってここ天草地方は出身地。そうそう簡単には欠場しまい。先週の蒲郡に続き2週連続の出場だ。まだ、先週の疲れが残っているとか・・・。 こちらは今シーズン初トラ。とにかくガンバロー!とエールを交換する。 9時からウェーブスタート。女子とエイジの年齢の高い組からスタートする。自分は第3ウェーブで9時6分のスタートだ(脇本さんと同じ)。スタート位置は、コースの一番外側にとる。バトルに巻き込まれないようにするためである。第1ウェーブが本渡市長、第2ウェーブがエンシニタス市長、第3ウェーブがJTUの荒井理事長の合図でスタート(フォ〜ン!) 4年ぶりの天草の海。透明度は、沖縄の海に比べれば落ちるがそれでも比較的きれいで、潮の香りの中で泳ぐのはやはりトライアスロンならではである。 今大会は20回目、自分のトライアスロンの大会参加もこれで16年目に突入。今年も無事に競技ができればいいなぁーと、どういう訳かそういうことを思いながら泳いでいた。 スイムは、片道370m。左に直角に折れ、10m進んでさらに左に直角に折れ、370m泳ぐコースを2周する。1周目から2周目にかけて一旦ビーチにあがらなければならない。 1周目は、まだ良かったのであるが2周目になるとプールで練習していない成果が現れ、徐々にペースが落ちてきている。最後の方では、ほとんど誰も抜けなくなっていた。ビーチにあがると27分をすでに超えている。 城本さんのところで、ウェットスーツを昨年新調。そして4月にフロントファスナータイプに改造した成果が全く出なかった。城本さんすみません・・・。
素早くトランジットをすませ、バイクコースへ出る。いきなり急坂である。バイクシューズも完全に履けていない状態でありながらも、シッティングで上っていく。登り切れば下り。一気にスピードは50km以上となる。どうも往路は追い風のようである。足が軽いのでバンバン回す。とにかく前にいる選手を一人ずつパスしていく。 ところが5kmほど行ったところであろうか、後ろから10人くらいの集団に飲み込まれてしまった。ドラフティング集団である。数人、特にリレー部門で参加しているバイクだけの選手は当たり前のようにドラフティングしている。 エイジグループは、ドラフティングが認められていない。ドラフティングは、前者の自転車の最後部から5m以内はドラフティングゾーンと呼ばれ、追い越し以外には入ってはいけないところである。確かに、前者の1m程度後ろにつけばドラフティング効果は絶大でとってもラクチンである。 しかしながら、ルール上は5m以内が制限されるので、6〜7m離れたところならばOKである。5mの長さがわからないかもしれないが、道路の中央線が白いペイントで、鎖線で引いてあれば、あの1本の長さが5mである。あれを目安にして走ればよい。6m程度でもドラフティング効果は多少出る。ルール上OKなのでそれだけはいつも前者と離して乗ることにしている。 往路は、まだ追い風だったのでドラフティングについてはさほど問題にならなかったのであろうが、復路になると向かい風で、だれも前に出ようとはしなくなった。 ドラフティングでなくとも集団走行は精神的に楽なので、ペースが落ちるたびに前に出て先頭を引いて走っていた。 ところが30km位のところで、マーシャルがしびれを切らしたのか、この集団全員にストップアンドゴーをかけたのである。このとき、自分は最後尾でそれもその前の選手から10mほど離れていたにもかかわらずである。あれは、マーシャルの指示が悪い。ドラフティングをした選手を個別に番号で呼んで止めるべきである。自分のほかにもドラフティングをしてない選手がいたが、みんなとりあえず渋々と止まった。 こうなればここからが本番である。もう完全に集団走行のメリットがなくなったので、単独走行でバンバン走ることにした。しばらくすると先ほど「ストップアンドゴー」をとられた選手が2人ほどやってきた。3人でどんどん走っていく。ますます焦る。30秒くらいはタイムロスしたであろうか・・・。
しばらく畑の中の道を走った後、広瀬公園の裏側から長嶋茂雄球場の横に向かう。ここが一番起伏のあるところだ。しばらく、背の大きな選手と併走する。400番台なので30代前半の選手(総合4位の三木さん)だ。 坂の下りでは、彼の大きなストライドに負けてどんどんおいていかれる。 3kmあたりからコースは川沿いになるが、ここで自分と同じくらいの選手が前にいるのを見つける。福岡の岩本さんだ。昨日この大会の20回連続表彰を受けた2選手のうちの一人である。トライアスロンを20年やっているというのもすごいが、それも惰性でなく、自分と同じようにエイジでトップクラスを継続しているからすごい。今日は、40代で3位までに入れるかどうかは、この岩本さんを抜けるかどうかにかかっていると読んでいたが、予想通りの展開となった。きっと、田中さん(三重県)と岡崎さん(鳥取県)はもっと前にいるに違いない。 5km過ぎに国道に出る。なんと国道を横断するコースで信号待ちで止められてしまった。先ほど併走していた三木さんもここで止められているが、その横に何と脇本さんもいた。ここで脇本さんに追いつくとは少し意外だった。後ろからは、先ほど抜いた岩本さんがとことこやってきた。 1分ほど止められただろうか。なんとなく無駄な時間だなぁーというだらけたムードになってしまった。脇本さんは戦意喪失みたいである。こちらは、どこにいるかわからない田中さんや岡崎さんを追いかけねばならないし、岩本さんを完全に振り切らなければならない。 再び三木さんに声をかけて一緒に行こうと誘ったが、1km程度併走するとこちらの足が動かなくなってきてしまい、再びおいていかれた。ここからは、ほとんどまた単独走行である。 しんどくなってきたところで、本渡市の一番にぎやかなところを走ることになる。応援の声に反比例して、足の動きが悪くなる。暑いせいよりも練習の疲労か練習不足の影響かやや判断つきかねる感じの感覚だった。 本渡市民センター近くにかかる橋を越えるとあと1km。競技場もすぐそこである。今回は街の中でゴールだ。たくさんの人がいる。競技場を1周半。最後はゆっくりゴールした。たぶんエイジ別では3位だろうなー!
表彰式とパーティーは、本渡市民センターの体育館で行われた。昔のカーボパーティの面影はない。しかしながら、パーティーそのものを無くしている大会が多い中、継続している大会は珍しい。 今回は、脇本さん(写真左)共々不本意な形で終わってしまったが、脇本さんは、35〜39歳のエイジで2位、自分は今回は脇本さんより早く帰ってきたにもかかわらず、40〜44歳のエイジで3位であった。たまにはこういうこともある。 パーティでは、天草地方の名物のタコも食べさせてもらった。小降りであったが、丸ごと1匹は歯ごたえがあってとてもおいしかった。 パーティでのビールも久しぶりで、1時間で二人で3本(4本だったっけ?)ほど瓶ビールを飲んでしまった。 レース後のビールは、やはり格別。脇本さん、次回の長良川ではきっちり勝負しましょう! |