山形県
 

令和4年9月22日 JR山形駅。人口約104万人の山形県の、人口約24万人の山形市の玄関。山形新幹線が走るほか、奥羽本線、仙山線、左沢線の列車も乗り入れる。1992年(平成4年)の山形新幹線の開業に合わせて橋上駅の供用が始まり、その後は1993年(平成5年に)に駅ビルが完成。2002年(平成14年)には東口のペデストリアンデッキも完成。県庁所在地に相応しい装いとなっています。(山形県山形市)

令和4年9月22日 山形駅東口から東方向を見たところ。駅前のメインストリートのようです。(山形県山形市)

令和4年9月23日 JR山形駅の東西自由通路。人通りが多いですね。(山形県山形市)

令和5年10月1日 山形駅西口にそびえ立つ霞城セントラル(高さ114.65m)。官民複合型のビルで平成13年(2001年)にオープン。山形市内では最も高い建築物。(山形県山形市)

令和4年9月23日 旧山形県庁舎の文翔館。1911年(明治44年)の山形大火で、それまでの山形県庁舎、県会議事堂が焼失。1913年(大正2年)に建設に着手し、1916年(大正5年)に完成したのがこの庁舎。1975年(昭和50年)まで使用されていた。山形市民のシンボルだそうです。無料で中を見学することが出来ます。なお、中央の時計塔は、現在可動しているものでは、札幌時計台に次いで古いものだそうです。(山形県山形市)

令和4年9月23日 中に入ってみるといきなり重厚な扉が・・・。こちらは正面玄関。(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは中央階段。いきなり大理石の柱ですね。大正時代初期の洋風建築の特徴のようです。建設費も相当かけたことがうかがえます。(山形県山形市)

令和4年9月23日 独特の造りですね。(山形県山形市)

令和4年9月23日 中庭。石畳にレンガ造りの外壁です。ヨーロッパのような雰囲気ですね。コンサートも行われることがあるそうです。また、以前、この場所で映画のロケもされたそうです。(山形県山形市)

令和4年9月23日 旧県会議事堂前から見た旧庁舎(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは「山形まるごと館 紅の蔵」。かつて紅花商人だった長谷川家の蔵屋敷です。(山形県山形市)

令和5年9月30日 安政5年に、砂糖・綿糸布・ローソク・繊維の問屋として山形市十日町に創業した「丸太中村近江屋」さん。現在の建物は、明治27年(1894年)5月26日に発生した山形市南大火直後に建てられたものだそうです。右側の門の内側は個人宅になっているようです。(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは吉池小児科・皮膚科医院。1912年(大正元年)竣工のものだそうです。現在も医院として使われているそうです。100年以上も使われているということですね。町並みにぴったりの施設だと思います。(山形県山形市)

令和4年9月23日 水の町屋七日町御殿堰。中心街を網の目のように流れている農業用堰のこと。1624年(寛永元年)当時の山形城主の鳥居忠政が城壕への水の供給と生活用水・農業用水の確保のため築造。山形城の城壕に流入することから「御殿堰」と名付けられたそうです。(山形県山形市)

令和4年9月23日 山形美術館。造りがいかにも美術館という感じですね。(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは山形城の二の丸東大手門。(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは歴代の山形城主の一人であった「最上義光」の像です。(山形県山形市)

令和4年9月23日 こちらは山形城の本丸一文字門。この先に山形城の天守があったそうですが、現在は何も残っていません。(山形県山形市)

令和5年9月30日 山形市の銅町と泉町をつなぐ千歳橋(275m)はJR奥羽本線羽前千歳駅近くにある。幅16mのコンクリート橋で、平成4年(1992年)に開催された「べにばな国体」の前年に、競技会場となった山形市総合スポーツセンターへのアクセス道の一つとして架けられたもの出そうです。(山形県山形市)

令和5年9月30日 この大きな鉄瓶のオブジェは「山形鋳物発祥の地」の鋳物のオブジェ。およそ900年前平安時代の康平年間に、乱平定のため源頼義が山形地方を転戦し、その時従軍した鋳物師が山形市内を流れる川の砂と付近の土質が鋳物に最適であることを発見、何人かが留まり、これが山形鋳物の始まりと言われています。(山形県山形市)

令和5年10月1日 山形市が総事業費約171億円を投じ、第一、第二体育館・武道場・合宿所、付属施設等からなる総合スポーツセンターを市北部に整備。平成元年(1989年)に開館した。写真は第一体育館。山形の伝統文化を継承し、蔵風のデザインにしたようです。(山形県山形市)

令和5年10月1日 山形まるごとマラソンの当日、来場した選手向けに花笠踊りが披露された。(山形県山形市)

令和4年9月24日 こちらは山形新幹線E3系2000番台。1992年7月に福島・山形間が開業。その後、1999年12月に山形・新庄間が開業し現在に至っています。在来線の線路幅を変えて運行するいわゆるミニ新幹線ですが、東京まで乗換なししで行くことが出来るようになり利便性が向上しました。(山形県新庄市)

令和4年9月24日 新庄は山形新幹線の終着駅。線路幅も1,435mmの標準軌のため、これ以上先には進めません。(山形県新庄市)

令和4年9月24日 新庄から横手方面の奥羽本線は、3番線または4番線から発車。こちらは線路幅が1,067mmの狭軌のため、1番線・2番線と分かれています。(山形県新庄市)

令和4年9月24日  藩政時代の宝暦6年(1756)、時の藩主戸澤正ェが、前年の大凶作で打ちひしがれている領民に活気と希望を持たせ、豊作を祈願するために、戸澤氏の氏神である城内天満宮の「新祭」を領内あげて行つたのが「新庄まつり」の起源とされています。宵まつり・本まつりに絢爛豪華を競う日本一の山車パレードの山車が新庄駅に再現されています。。(山形県新庄市)

令和4年10月16日 山形県では3番目に人口の多い酒田市。その玄関はやはりJR酒田駅でしょうか。14年ぶりに訪れたところ、駅舎がすっかりきれいになっていました。(山形県酒田市)

平成20年7月27日 リニューアル前のJR酒田駅。私のイメージの中ではこちらでしたが・・・。(山形県酒田市)

令和4年10月16日 駅前もすっかりきれいに整備されていました。「光の湊」として公共施設の他、複合施設としてホテルなども入居しています。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 本間美術館内にある「清遠閣」。藩主酒井侯が領内巡視をする際の休憩所としてつくられ、大正十四年には東宮殿下(昭和天皇)がご宿泊されるなど、酒田の迎賓館としても使用されてきた。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 大正ロマンを感じさせるシャンデリアが素晴らしいですね。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 こちらは本間家旧本邸。本間家第三代光丘が1768年(明和5年)に庄内藩主酒井家のために幕府の巡見使宿舎として建造し、献上した建物であるが、その後拝領。本邸として使用されていた。戦後は公民館としても利用されていた。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 酒田のシンボルといえば山居倉庫でしょうね。1893年(明治26年)に建てられた米の保管倉庫です。夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用した先人の知恵が生かされた低温倉庫として、現役の農業倉庫でしたが、2022年(令和4)年9月に129年の米倉庫としての役割を終えています。ちょうど私が訪れた前の月のことでした。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 山居倉庫と山居橋。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 1976年(昭和51年)10月29日、酒田市内で大火災が発生。中心部の商店街22.5haを焼失。1979年(昭和54年)の酒田大火復興記念の年に、防災と繁栄の願いを込めて4体の獅子を製作している。このうちの2体は酒田市役所にある。(山形県酒田市)

令和4年10月15日 これは、夫婦獅子の子どもとして産まれたもの。両親は「山王」と「日和」。1998年(平成10年)に生まれている。酒田市一番町7の大通り公園にいます。(山形県酒田市)

令和4年10月16日 酒田を一言で表すとこういう感じでしょうか。北前船の街の表現をはじめとして、非常によく出来ていると思います。JR酒田駅にて(山形県酒田市)

令和5年9月22日 赤湯温泉の玄関となっている「赤湯駅」。山形新幹線の停車駅にもなっている。平成5年(1993年)に現在の駅舎が竣工。山形新幹線開業に合わせて建設された駅舎は、鈴木エドワードによる設計で、パラグライダーを模した意匠となっている。鉄骨平屋建てで建物外の柱でアーチ形状の屋根を支えており、建物内部には柱が全く無い構造となっている。なかなかユニークな駅舎だ。(山形県南陽市)

令和5年9月22日 令和4年(2022年)6月に、花見橋そばに花見橋ポケットパークが整備されました。赤湯温泉の「歓迎塔」も整備され、温泉にやってきたというた雰囲気を味わえますね。(山形県南陽市)

令和5年9月22日 赤湯温泉には「赤湯温泉観光センター・ゆーなびからころ館」があり、平成20年(2008年)10月にオープンしています。このからころ館の建物は、江戸時代後半の文政7年(1824年)創建の庄屋屋敷を市内吉野地区から移築したものです。からころ館の脇には足湯があり、24時間利用することが出来ます。(山形県南陽市)

令和5年9月22日 赤湯〜荒砥(30.5km)を走る山形鉄道フラワー長井線。元々は大正2年(1913年)に開業した長井軽便線。昭和63年にJR東日本から移管され、第3セクターの山形鉄道が運行している。(山形県南陽市)

令和5年9月22日 こちらは旧西置賜郡役所。1878年11月に初代山形県令三島通庸の命により建てられている。現存する郡役所としては山形県で1番、全国で2番目に古いもの。1996年3月に長井市指定有形文化財の指定されている。2004年5月に小桜館としてリニューアルオープン。地域住民の文化活動の場として利用されている。(山形県長井市)

令和5年9月22日 こちらは旧丸大扇屋。丸大扇屋は、1640年頃に初代長沼忠兵衛が椿(現飯豊町)より長井の宮・十日町へ移住し店を構えたことに始まる商家。最上川舟運とともに呉服商として隆盛し、1970年頃までおよそ330年に渡り営業を続けていた。最終的に財産を引き継いだ十代目の三男・長沼孝三が、1988年にその一切を長井市に寄贈し、改修工事を経た1995年に一般公開、2003年には県指定文化財となっている。(山形県長井市)
 
令和5年9月22日 こちらは鍋屋本店。十日町の街道に面する、創業が江戸後期(1800)頃の鍋屋本店は、明治30年代に建て替えられた店構えを変えることなく今日まで金物屋を営んでいる。店は茅葺、つし造り(二階部分が低い作り)で東が切妻屋根、西が寄棟となっている。(山形県長井市)
 
令和5年9月22日 丸大扇屋の道路の向かいにある風間書店。木造建築ではなさそうであるが、これはこれでなかなか年期の入った建物。「現役?」と思って中を覗くと人影がありました。調べましたが、建築年代は不明ですが、結構気になる存在でした。(山形県長井市)

令和5年9月23日 標高626mのところにある峠駅は、奥羽本線では最も高いところにある駅。(山形県米沢市)

令和5年9月23日 「峠の力餅」は古くから峠駅の名物となっており、昼間の普通列車が停車する度に駅売りの声が響きます。この日も下車した方が買っていました。駅前の「峠の茶屋 力餅」が製造しているそうです。(山形県米沢市)

令和5年9月23日 JR奥羽本線の米沢〜福島には4つのスイッチバック駅が連続する珍しい区間でした。大沢〜峠〜板谷〜赤岩(赤岩は現在廃止)と続いていましたが、山形新幹線を開業を機に廃止。現在は遺構が残るのみとなりました。(山形県米沢市)

令和5年9月23日 こちらは板谷駅を出発して福島方面に向かって左手に見えるスイッチバック時代の遺構。かつてはこのスノーシェルターのずっと奥の方にホームがあり、乗客の乗降をしていたそうです。スノーシェルターは、ポイントを雪から守るためのもので、乗降客の雪よけのためではありません。(山形県米沢市)

令和4年10月16日 JR余目駅前にある「余目ホテル」。大正3年(1914年)創業ですので100年以上の歴史があります。ホテルと銘打っていますが、見た感じは旅館です。しかしながら佇まいはきれいですので、一度泊まってみたい欲求に駆られます。(山形県東田川郡庄内町)

令和4年9月22日 山形といえば「芋煮」が郷土料理ですね。山形駅の「べにばな亭」さんで、いただいた「芋煮膳(税込1,500円)」。奥の鍋が芋煮ですが、里芋、白こんにゃく、シメジ、ネギ、牛肉が入ってとても美味しかったです。(山形県山形市)

令和5年10月1日 この日は山形牛上カルビ定食(税込み1,760円))をいただきました。山形牛は、山形県内で肥育・育成された黒毛和牛。肉質の等級が高いですね。山形駅の「焼肉冷麺さくら」さんでいただきました。(山形県山形市)

令和4年9月23日 山形はラーメンの消費量が日本一だそうです。ラーメン渓流の本店は宮城県柴田郡川崎町にあり、山形県が地元のお店ではありませんが、そのラーメン渓流の支店が山形駅前にあります。このお店の定番の味噌ラーメンですが、レンゲに辛味噌が乗ってくるのが特徴です。(山形県山形市)

令和4年10月15日 「さかた海鮮市場」の「海鮮どんや とびしま」さんでいただいた「The☆刺身定食(税込1,628円)」。狙いは限定メニューでしたが、残念ながら全て売り切れ。お店の人にこちらを紹介してもらいましたが、刺身の品数も豊富で思いのほか満足感が高かったです。(山形県酒田市)

令和5年9月22日 こちらは「紅天むぎきり」。むぎきり(麦切り)とは、山形の庄内地方で昔から食べられている、小麦粉を塩水で捏ねて細く切った麺類です。食感としてはのどごしがいい感じですね。長井市は庄内地方ではありませんが、珍しいのでいただくことにしました。写真は「池田屋本店」さんのもので、紅天が華やかですね。TVでも紹介されたそうです。(山形県長井市)