埼玉県

令和4年11月27日 小江戸川越ハーフマラソン大会の帰りに、川越市の蔵造りの街並みを訪れてみました。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したものだそうです。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 この「蔵造りの町並み」は、平成11年12月には国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、平成19年1月には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されているそうです。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 岡山県倉敷市、福島県喜多方市と共に「日本三大蔵の街」に選ばれている川越市。1893年の大火の際に蔵造りの大沢家住宅が焼けずに残ったことから、次々と蔵が建てられるようになったそうです。その街並みは埼玉県で唯一、国の重要伝統的建築物群保存地区に選ばれています。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 さすがに年間700万人以上の人が訪れてくるというだけあって、この日も人、人、人でした。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 川越のシンボル「時の鐘」。3層構造の塔で、高さは16メートル。古くは鐘撞きが決まった時間に時を知らせていたが、現在では機械式で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせているそうです。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 どこも人、人、人です。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 電線を地中化していることもあって、通りがすっきりしていますし、空が非常に広く感じることが出来ます。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 道路は通行制限がかかっていないので、普通に自動車が通ります。歩行者天国にしてもいいような気もします。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 埼玉県内に49店舗、東京都内に35店舗、神奈川県内に1店舗、群馬県内に5店舗、大阪府内に9店舗、兵庫県内に2店舗の合計101店舗を展開する外食チェーン店。本社は現在、埼玉県川越市にありますが、元々は所沢市に本社がありました。埼玉県民のソウルフードのようです。(埼玉県川越市)

令和4年11月27日 餃子がウリのお店です。6個入りのものが280円(税込)なので、価格もなかなかリーズナブルです。味もチェーン店の割には美味しいと思います。(埼玉県川越市)

令和6年3月16日 熊谷市は埼玉県北部に位置する人口約19万人の都市です。夏の暑さでは有名ですね。熊谷の玄関はやはりJR熊谷駅でしょう。JR高崎線のほか、上越新幹線、秩父鉄道線などもここで乗り換えとなります。(埼玉県熊谷市)

令和6年3月16日 JR熊谷駅前には、源平合戦で活躍した武将「熊谷直実」の騎馬像があります。一ノ谷合戦の時、海上の船を目指す平敦盛に「敵に背を向けるのか。戻れ!戻れ!!」と叫んでいる、平家物語に描かれている一場面をこの像にしたものだそうです。源頼朝からも「日ノ本一の剛の者」と讃えられたそうですから、相当強かったのでしょう。(埼玉県熊谷市)

令和6年3月16日 熊谷市のウリの一つが「ラグビータウン」です。「ラグビータウン熊谷」の歩みは、1967年(昭和42年)の埼玉国体でラグビー会場となったことが始まりのようです。当時の国体は「教員の部」があり、埼玉県は強化のため大学ラグビー経験者を教員に採用しています。高校の体育の授業でラグビーが取り入れられるようになり、ラグビーは熊谷に根付いったようです。(埼玉県熊谷市)

令和6年3月16日 「ラグビータウン熊谷」を象徴するモニュメント「ラグビーボールと少年」があります。大きなラグビーボールに乗った少年が天を仰ぎ、背番号「9」を付けている。「ラグビー小僧」の愛称で親しまれている少年像は「『マサミ君』とも呼ばれている。「マサミ君」とは、埼玉県ラグビー協会が熊谷市にモニュメントを寄贈した1996年(平成8年)当時、現役のスクラムハーフとして活躍していた堀越正己さんのことのようです。堀越さんは、熊谷工高から早大、神戸製鋼に進み、ラグビーW杯にも出場した地元の選手だそうです。(埼玉県熊谷市)

令和6年3月10日 初めて草加市にやってきました。人口約25万人の草加市の玄関は東武鉄道の草加駅です。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加駅前のロータリーには、大きな岩があります。これは高さ4.8m、縦19m、横7.5mの大理石のモニュメントで「草加岩清水」というそうです。この「草加岩清水」について、草加市の議会答弁で草加市は次のように説明しています。「この岩山に水を流し、白濁させたり、あるいは水雲を発生させたり、水の流れる時間を交互にするなどして、様々な表情をつくり、これを見る人にさわやかさ、ユーモア等を感じていただこうとするもの。広場のシンボルであり、広場のどこからでも眺められる、どこから見ても楽しめる、草加市にしかないもの、草加市の景観形成の目標となるシンボルとするよう心掛けた。草加市には山がなく、源流がない。ここを草加市のまちづくりの源流、始まりとしてシンボル化したもの」。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加駅前には「おせんさん」の像があります。草加せんべいのルーツには諸説あるそうですが、代表的なものが次のものだそうです。「日光街道・草加松原に旅人相手の茶屋があり、おせんさんの作る団子が評判だった。その団子が売れ残ると、おせんさんは川に団子を捨てていたそうですが、ある日それを見た武者修行の侍が、『団子を捨てるのはもったいない。その団子をつぶして天日で乾かして焼き餅として売っては?』と助言したとか。さっそく、おせんさんが売り出したところ大評判になり、日光街道の名物になったと言われているそうです。」(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 「草加せんべい発祥の地」の碑は、おせん公園の中にあります。伝統と職人の技によって伝えられた本場の草加せんべい発祥の地の名を後世に残すため、平成4年に建立したものだそうです。せんべいに見立てた自然石の地碑の隣には、せんべいを焼く際に使用する火鉢をデザインした地石が建てられています。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加市内には、草加せんべいを販売する店舗が「41」もあるそうです。どおりで草加松原太鼓橋ロードレース大会のコース脇だけでも、あちこちで見かけるわけですね。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 札場河岸公園には、松尾芭蕉の像があります。奥の細道旅立ち300年を記念して制作されたものだそうです。右手に杖を持ち、笠をかけ、友人らとの別れを惜しむように千住方面を振り返る見返りの像ということのようです。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 こちらは「望楼」。石垣の上に立つ木造の五角形の建物。埼玉県産のスギ、ヒノキを使用しているとのこと。上に登ると草加松原を見渡すことができます。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 こちらは「札場河岸(ふだばかし)」。綾瀬川を利用した舟運に使われていた私河岸。所有していた家が高札の立った場所にあり、屋号が「札場」であったことから「札場河岸」と呼ばれています。綾瀬川の護岸工事で取り除かれた船着き場の石段を復元して、当時の雰囲気を出しています。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 札場河岸公園の近くには「おせん公園」がありますが、ここに河合曽良の像があります。河合曽良は松尾芭蕉の門弟で、奥の細道の随行者です。平成20年(2008年)に市制50周年を記念して建てられました。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 こちらは「日本の道百選」の碑です。全国で104件、埼玉県では「草加松原」と「秩父往還道」の2件しかないそうです。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加松原にある2つの太鼓橋のうちの一つ「矢立橋」。平成6年(1994年)に建設されました。『おくのほそ道』の「行く春や鳥啼き魚の目は涙、これを矢立の初めとして・・・」にちなんで名付けられたとのことです。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加松原にある2つの太鼓橋のうちの一つ「百代橋」。昭和61年(1986年)に建設されました。『おくのほそ道』の冒頭の「月日は百代の過客にして・・・」にちなんで名付けられたとのことです。(埼玉県草加市)

令和6年3月9日 草加松原。日本の道百選に選ばれるだけあって、素晴らしい松並木です。いつまでも残してほしいですね。(埼玉県草加市)

令和5年12月17日 西武秩父駅。この駅名標を見ると、関東圏内でありながら遠くにやってきた感じがします。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 1番線は特急専用ホーム。それ以外はこの2番線、3番線から出発します。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 跨線橋内の飾り付けも、西武秩父駅の独特なものです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 平成12年(2000年)には、関東の駅百選にも選ばれています。クラシックな感じで、落ち着きを感じさせます。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 西武秩父駅の開業は、昭和44年(1969年)10月と比較的新しいです。また、現在の駅舎は平成29年(2017年)にリニューアルしたものです。休日になると多くの人が、ここを起点に登山に向かいます。(埼玉県秩父市)

平成20年6月8日 こちらはリニューアル前の西武秩父駅です。この時、初めて秩父地方を訪れました。埼玉県でもここまで来ると都会感がなく、私にとっては馴染みやすいところと感じました。以降、埼玉県でも秩父方面に行くのは好きになりました。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 西武秩父駅前には、一本の大木があります。この木の名称はラクウショウ(落羽松)と言い、スギ科の木なのだそうです。西武秩父駅の開業前に、この地にあった秩父農工高等学校がこの地に開校した1900年に、この木は植えられたもので、100年以上の巨木です。この品種でこれだけ巨木でいるのは珍しいようです。いつも西武秩父駅で私たちを見守ってくれている感じですね。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 三峯神社の遥拝殿から秩父市街地の方を眺めました。空気も澄んでいい景色です。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは三峯神社の「随神門」。表参道からここを通るのが古来の正参道とか。江戸中期の神仏習合の時代に、「仁王門」として建立されたが、明治の神仏分離により仁王像を撤去し随身門になったそうです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 「随神門」から正参道を進むと、この鳥居越しに拝殿が見えてきます。この鳥居は「青銅鳥居」といって、弘化2年(1,845年)の建立で、江戸深川の竪川講中から奉納されたもので、荒川を筏で引いてきたものだそうです。荒川も下流から上流で流れが逆で大変だったと思いますが、標高1,102mのこの地に持ってくるのは、もっと大変だったと思います。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは手水舎(ちょうずしゃ)。嘉永6年(1,853年)の建立。精巧な龍の彫刻が素晴らしいですね。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは三峯神社の拝殿。寛政12年(1,800年)に再建されたもの。拝殿の前には2本の樹齢800年にもなる杉が2本あります。三峯神社最大のパワースポットがこの2本の杉の木のようです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 この2本の杉を横から見たところ。案内には「神木」と書かれ「神木より発する『氣』は、活力そのものです。神前にお参りの後、神木に向かい三度呼吸をし手を合わせて祈ってください。静かに神木から『氣』をいただきそれぞれのお守りを常に身に付けお元気な日々をお過ごし下さい。 尚、お守りは授与所でお受けください」とあります。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 秩父鉄道の終着駅の「三峰口」。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 開業は昭和5年(1,930年)と西武秩父駅よりもずっと古いです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 秩父鉄道の駅構内は、広いところが多いです。理由はよくわからですが・・・。三峰口駅は、その最たるもので、私がイメージしていたぽつんと折り返し運転だけをする終着駅のイメージとはかけ離れていました。秩父鉄道の車両の整備工場は、広瀬川原にあるようなので、そういう役割ではないようです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 三峰口の1番線ホーム。レトロな感じがいいですね。三峰口も平成11年(1999年)に関東の駅百選に選ばれています。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 秩父鉄道の7000系電車。平成21年(2009年)に東急電鉄から譲受したものだそうです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 大正3年(1914年)に開業しています。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 地下から地上への階段には、装飾が施されています。今ひとつわかりにくいのが残念。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 現在の駅舎は昭和60年(1985年)から供用が始まったものとか。メインは地場産業センターのようです。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは秩父駅から徒歩数分のところにある「ほっとすぽっと秩父館」。明治時代初期に建築された商人宿「秩父館」をみやのかわ商店街振興組合が借り受けて、なるべく昔の姿を残すよう改装後、地域の交流・観光拠点として活用することを目的として開設されたものとか。1階は大きないろりがある無料休憩所になっています。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 この劇場は、秩父が織物の町として隆盛を極めていた明治時代に建てられた芝居小屋を起源とする映画館です。昭和25(1950)年に当時芝居小屋として使われていた劇場を映画館に改装する際、既存の芝居小屋だった建物の正面に、モダンなデザインのファザードを増築したそうです。なお昭和50年代に映画館が閉鎖した後は、この隣に建つ上石商店の倉庫として使われていたが、平成24年(2012年)から約1年の歳月をかけ、大規模改修工事を実施。翌平成25年(2013年)にはイタリアンレストラン〔トラゲット〕がオープンしました。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらがその「上石商店」。こちらもレトロな建物として残っています。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは秩父神社の拝殿。秩父神社は、三峯神社、宝登山神社とともに秩父三社の一社。秩父神社のご創建は、第十代崇神天皇の御代に知知夫国の初代国造に任命された八意思兼命の十世の子孫である知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。現存するご社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されています。(埼玉県秩父市)

令和5年12月17日 こちらは「秩父みそポテト」。埼玉B級グルメ王優勝とか。甘味噌でおいしかったです。(秩父駅じばさん商店にて)(埼玉県秩父市)

令和3年6月13日 交流戦(西武vs中日)がメットライフドームで開催されるので西武球場前駅で下車。(埼玉県所沢市)
 
令和3年6月13日 終着駅の西武球場前ですが、櫛形のホームがたくさんあります。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 平成9年1月の通商産業省の研修で東京都東村山市に一週間ほど滞在していた際、早朝のランニングの練習でたまたま多摩湖の方に来ていたときに、偶然出くわしたのが西武球場前駅でした。24年ぶりに来たことになります。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 ネーミングライツで「メットライフドーム」となっていますが、かつては「西武球場」と言ってました。屋外球場でしたが、現在はドーム化しています。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 埼玉西武ライオンズのグッズを売っている「Lチームストアフラッグ」。外観がお洒落な感じです。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 さすがに鉄道会社がスポンサーだけありますね。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 反対側からみたところ。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 座席の配置など、丘陵地を掘って造っただけのことがあってちょっと変わった作りです。場合によっては屋外ホームランが出るというのもこの球場だけですね。(埼玉県所沢市)

令和3年6月13日 メットライフドームの特殊な造りが面白いですね。(埼玉県所沢市)

令和5年10月1日 東北自動車道(上り線)羽生PA。東北自動車道は、江戸時代の日光街道〜奥州街道の現代版に当たります。羽生PAのそばにある栗橋には、江戸時代、栗橋関所があり、江戸の入り口として、「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まっていました。そこで、羽生PA(上り線)を東京すなわち江戸への入口と見立て、古き良き時代の江戸へタイムトリップさせようと考えたものだそうです。(埼玉県羽生市)

令和5年10月1日 車を降りると、まるで江戸びとが暮らしているかのような江戸の町並みが現れます。鬼平江戸処の正面には、「鬼平犯科帳」作中で、盗賊に押し入られた日本橋の大店が並んでいます。「近江屋」は、第一巻「本所・桜屋敷」に登場する日本橋・本町の呉服問屋。(埼玉県羽生市)

令和5年10月1日 こちらは「醤油酢問屋」と書かれています。第二十三巻「炎の色(おまさとお園)」に登場する日本橋・箱崎二丁目の醤油酢問屋「野田屋」です。(埼玉県羽生市)

令和5年12月17日 秩父鉄道の長瀞駅。明治44年(1911年)に開業していますから、歴史のある駅です。開業当時は「宝登山」という駅名でしたが、大正12年(1923年)に長瀞駅に改名。長瀞観光の拠点駅になっています。(埼玉県秩父郡長瀞町)

令和5年12月17日 長瀞駅も平成9年(1997年)に関東の駅百選に選ばれています。(埼玉県秩父郡長瀞町)

令和5年12月17日 こちらは「おっ切りこみうどん」。埼玉県北部や群馬県の郷土料理だそうです。「おっきりこみ」とは、こねた生地をへらの上から直接鍋の中へと「切り込む」調理法に由来しているそうです。「お切り込み」、「煮ぼうとう」とも言われます。生麺のままゆでるため、汁の中には、麺を伸ばしたり切ったりするときに打ち粉として使った小麦粉がかなり入ります。そのため、汁が濁ってしまいますが、その分とろみがつきます。これを食べると体が温まるので、おっきりこみは主に寒い季節の食事として作られています。麺はほうとうと少しにた感じですね。(長瀞駅前の長瀞屋にて)(埼玉県秩父郡長瀞町)

令和5年12月17日 こちらも秩父名物の「豚みそ丼」。豚みそ漬けは、秩父では、古くから言い伝えられた保存手法の一つです。昔、猟で捕られた“いのしし”を保存する為に味噌漬けにされたと言われています。“いのしし”から“ぶた”になり、秩父名物として味噌漬けが作られています。(長瀞駅前の有隣にて)(埼玉県秩父郡長瀞町)

令和5年12月17日 こちらは宝登山(ほどさん)神社。三峯神社、秩父神社と並ぶ秩父三社のうちの一社。社伝によりますと、景行天皇41年(111年)、天皇の従兄・日本武尊による東征の際、尊が遥拝しようと山頂に向っていると巨犬が出てきて道案内をします。その途中、東北方より猛火の燃えて来るのに遭い、尊の進むことも退くこともできない状態になってしまいました。すると巨犬が猛然と火中に跳入り火を消し止め、尊は無事頂上へ登り遥拝することができました。尊は巨犬に大いに感謝したところ、忽然と姿を消した。このことから「火止山」の名が起き、のちに「寳登山」となったという。また巨犬は大山祇神の神犬であった事を知り、防火守護のため火産霊神を拝し、その後山麓に社殿を建て三神を鎮祭しています。これが宝登山神社の起源であるとされています。(埼玉県秩父郡長瀞町)

平成28年8月7日 マラソン大会のコースの下見に小鹿野町を訪れましたが町並みにぴったりの建物を見つけました。この建物は、「小鹿野町観光交流館」といいます。小鹿野町観光交流館は旧本陣寿旅館を改修した施設で、絹生産や商業の町として栄え蔵づくりの商店や建物が当時の面影を今も残す小鹿野町の中心市街地にあります。宮沢賢治も宿泊をしているそうです。(埼玉県秩父郡小鹿野町)

平成28年8月7日 こちらは「わらじカツ丼」で秩父地方の名物です。 卵でとじていない、いわゆるソースカツ丼ですが、大きなカツが2枚、どーんと丼の上に乗っています。 2枚だから「わらじ」ということのようです。この小鹿野町で大正5年(1916年)に創業した「安田屋」さんが「わらじカツ」の発祥のお店だそうです。この日いただいたのは、小鹿野町観光交流館内にある「ゑびすや」さん。どーんと大きなカツが2枚という点では同じで、なかなか食べ甲斐があります。(埼玉県秩父郡小鹿野町)