NO.21のひとりごとへ |
平成17年3月12日(土) 〜 NO.20 人事異動(内示:05年版) 〜 |
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一昨日、人事異動の内示がありました。昨年の人事異動の所感については、このひとりごと「NO.2 人事異動(内示:04年版)」で述べているので、今回は今年の人事異動の内示についての所感です。 毎年のことでしょうが、人事異動(内示)の結果をみて感じたのは (1)くらい顔(イヤな顔)をして仕事をしている人は、いい印象をもらっていない。 (2)自分の好き嫌いにかかわらず、与えられた仕事を上手にこなすと心証がよくなる(評価が高くなる)。 (3)自分の異動に具体的な希望がある方が、かえてもらいやすい。 (4)チームワークで仕事をしようという取り組みをしている方のが心証(評価)がよい。 です。 いずれも、そんなこと当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、いざ、自分の希望していない分野の仕事に廻された時にそれができるかどうかです。 わが役所の場合、将来の管理者の選抜などの篩い(ふるい)を設けていないので、マネイジメント能力については日々の仕事の態度が大きく加味されているような感じです。特に年齢が高くなると、否が応でもマネイジメント能力がないと生きていけないので、技術吏員といえどもその辺のところを強化していかなければならないと感じました。 ちなみに、私は来年度も同じ担当でおります。関係者の方々、来年度もよろしくお願い致します。 |
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平成17年1月15日(土) 〜 NO.19 トライアスロンを通じて見てみた蒲郡市の問題点 〜 |
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正月に引き続き蒲郡へ出かけました。 今回蒲郡へ出かけたのは、トライアスロンに限らず今後、蒲郡を拠点とするスポーツ同好者らを集めていかにクラブを運営していくかということの議論です。 蒲郡市とは・・・ 蒲郡市は、愛知県でも東三河地方にある、人口83,407人(外国人1,602人を含む。)です。(場所は、ここをクリック)私が小学校、中学校の頃は86,000人程度いたので当時と比べれば人口は減っています。山間部の過疎地に比べれば減り方は少ないものの人口が下がるということは町の活性化が失われていくことに直結します。 市制は昭和29年4月1日で、昨年の4月でちょうど市制施行50周年でした。 蒲郡オレンジトライアスロンの始まり さて、トライアスロンの話です。 蒲郡市で蒲郡オレンジトライアスロンが最初に開催されたのが平成元年です。今年が平成17年ですので、今年開催されれば17回目の開催になることになります。回数を数えるのはたいへんラクです。 当時のトライアスロン界はまだ黎明期であり大会数が少なく、参加するにも競争率が高く初心者がなかなかデビューにこぎ着けられない時代でした。 トライアスロンが過酷な競技とはやされていたため、安全を考慮する大会事務局は事故が起きないように経験者を優遇していたからです。 愛知県は全国的にもトライアスロン人口が多く、この問題に目をつけた愛知県トライアスロン協会が「愛知県トライアスロン協会の会員なら抽選漏れなく100%参加することができる」という主旨で始めたのが蒲郡オレンジトライアスロンです。第1回、第2回大会は蒲郡港を使ってスイムをしていましたが、第3回大会から現在の蒲郡競艇場にメイン会場を移し実施されています。 ニデックの協賛 ニデックは蒲郡では珍しい眼鏡機器のトップメーカーです。 社長の小澤秀雄さんは、自分の小学校、中学校の同級生の父親です。社長もスポーツが好きなようで、ニデックの野球部やバスケットボール部はそこそこ強いです。 蒲郡オレンジトライアスロンも私の記憶では第1回から協賛(スポンサー)しており、蒲郡のトライアスロンに多大な援助を行っていることには間違いはありません。 また、昨年9月をもって閉鎖してしまいましたが、ニデックのトライアスロン部は、細谷はるなさんをシドニーオリンピックに送り込むなど蒲郡でのトライアスロンのリーダーとして頑張ってきたと言っていいでしょう。 さて市民は・・・。 蒲郡でこれまで16回のオレンジトライアスロン、ワールドカップ(WC)が9回開催されてきました。これだけの回数が行われていれば、、宮古島のと同じように、「蒲郡=トライアスロンの街」というような方程式が成り立つような気がしますが、実際にはそうでもないようです。 今年は3月25日に愛知万博が開催されるので、それに伴い従来のWC蒲郡大会も、今年はトライアスロン世界選手権蒲郡大会として開催されます。誘致にご尽力頂いた方には敬意を表しますが、表向き以上に裏方さんらはたいへんなようです。 その問題の一番は、大会開催時のボランティアの確保です。 昨年9月のプレ大会でもボランティアの確保にかなり東奔西走していたようで、本当に直前までいたるところで声がかかっていたようです。 「トライアスリートがボランティアをやればいいじゃん!」という意見もあります。確かにそれも正解かもしれませんがそれでは、何のために蒲郡で開催しているのか。それでは蒲郡で開催しているという意味がありません。 「すべての市民が」とはいいませんが、開催をしている市(市民)が、わざわざ蒲郡に足を運んでくれる人たちをお迎えしお手伝いを積極的にしなければいけません。私には、蒲郡市(蒲郡市民)にはこの空気が一番足りないと思っています。 蒲郡オレンジトライアスロン、三河湾健康マラソンのツケ 蒲郡オレンジトライアスロン、WC蒲郡大会がそれぞれ16回、9回と開催されてきました。 しかしながら、開催場所は、蒲郡競艇場と蒲郡市浜町(はまちょう)という埋立地で、工場などが並んでいるところです。もちろんここに住宅を建てて住んでいる人はいません。つまり人目に触れて開催していないということです。 これは、毎年2月に開催している三河湾健康マラソンも同じです。 蒲郡市民会館から竹島橋の往復は、人通りのまあまあ多いところですが、市民会館前を通り過ぎて浜町へ行くとあとはオレンジトライアスロンと同じく人の住んでいないところを走ります。 人目に触れないところで大会を開催しているというのは、道路などの交通規制がしやすい反面、市民自体が開催していることを知らないということです。 確かに交通規制をすれば迷惑がかかります。ガソリンスタンドには、車が入れないので商売あがったりです。スーパーも同じです。 しかしながら、毎日大会を開催しているわけではありません。 多くの人目に触れるところをコースにすることにより、市民とトライアスリートやランナーが触れあい、再び蒲郡にやってくることにより蒲郡にお金が落ちるようになっていきます。応援の多いところで走る方のが競技をする側も楽しいです。そうでなければ名古屋シティーマラソンがあんな交通量の多いところを閉鎖して開催できるわけがありません。 まあ、あまり目先のことにとらわれずに長い目で物事を考えなければいけないということです。 バイパスの開通をきっかけにコースの変更を ただ、行政側も警察側も生活道路を閉鎖して大会を開催するのは消極的です。 蒲郡市は地形的に海と山に挟まれたところでその間を国道23号線が通っています。この道路を封鎖するのが非常にネックとなっています。おそらくこの理由で「浜町でやったら」ということになっていると思われます。 しかしながら、今日のミーティングで聞いた情報ではもうすぐこの国道23号線のバイパスが完成するとか。そうすれば、いままで一番厄介だった迂回路の問題が解決されます。そうすれば、蒲郡市の街の真ん中を走れるわけです。 さらに現在進行中の鉄道高架事業が終了すれば、蒲郡市を南北に走るコースも可能となってきます。 これらの交通事情が変わった際には、市民の目の前でトライアスロンやマラソンを開催することにより理解を得るような作業を行政として行っていかなければいけません。 市はボランティアとよく話し合え! どこのトライアスロンの大会でもそうですが、回数を重ねるとボランティアの集まりが悪くなってきます。 第1回大会は、興味本位でボランティアに参加する人も3回、4回と回数を重ねてくると「また次も頼むね!」と義務化になってきます。これでは本当のボランティアではありません。おまけに、仕事を持っている人に頼むのですから、たまの休日くらい家でのんびりしたいというのもホンネでしょう。 ”アストロマン”といえば佐渡のトライアスロンです。 佐渡は、人気のある大会ですがボランティアの確保や交通規制の話では、地元とかなり密の話し合いをしています。 佐渡の大会は9月上旬に開催されます。この季節は、例年ですと台風が上陸する季節です。過去にも上陸後で波が高く、水泳が中止になったり、大会前日の島へ渡るフェリーが欠航して選手が島に入れずに参加者から苦情があったとか、話題には事欠かない大会です。 この大会のボランティアも農家の方に多く頼んでいるようです。しかしながら、台風がやってくる前後は自分の田畑を守らなければならないので、たとえ台風が去ってピーカンになったとしても自分の田畑が荒れていたらそちらの復旧を優先しなければいけません。そういう場合には、ボランティアを断ってもいいことになっているそうです。もちろんボランティアがいなければ大会が開催できないわけで、行政側とボランティアをする側との間ではそのようなことも話し合われているのです。 それから、交通規制です。 これも島中を使ってトライアスロンをするので大がかりな交通規制が必要です。しかしながら道路の大半は海岸線を走っているので迂回路はほとんどありません。よって完全な交通規制は出来ません。お年寄りの足であるバスなどは、大会中も走っています。このことは、行政・警察と主催者、主催者と選手の約束事になっています。 このようにしてやれることはやる。出来ないことも頭をひねる。お互いに接点を見いだす。こういう工夫が蒲郡市には足らないような気がします。 ボランティアは高校生を使え! 県内では蒲郡のほか南知多町と渥美町(もうすぐ田原市に合併される)でトライアスロンが開催されています。 このうち、渥美町が主催しているトライアスロン伊良湖大会は風光明媚で遠くからもリピーターの多い大会です。バイクコースの畑の中の周回コースだけは、お世辞にもいいコースとは言えませんが、ランコースは起伏あり、太平洋を横目に走る素晴らしいコースです。 この大会のボランティアの多くは福江高校の生徒です。地元の高校生です。 私がここ数年出ている徳島県の”ひわさうみがめトライアスロン”のボランティアも高校生が多いです。共通するのは、街の行事を盛り上げようという雰囲気です。日和佐町などは、小さな街ですがバンバンに市街地をコースにしています。こういう人の目の触れるところでやっているせいで、沿道のお年寄りからは声援が多く、遠くまできて良かったなぁーという気分にさせてくれます。 ボランティアの話ですが、高校生なら毎年生徒が進級します。入れ替わりがあります。1回だけなら、ある学年の行事として組み入れれば毎年ボランティアが確実に入れ替わります。見ていても、結構楽しそうにやっています。ハイタッチしたり、水をバケツごとかけてくれたりキャッキャッいいながらやっています。まあ、1回ポッキリだったらということが大きいと思います。 街の活性化、街の行事に参加しているという意識を小さい頃から持ってもらうという意味では高校生のボランティアは絶対オススメです。ボランティアの確保も出来一石二鳥です。 蒲郡市の将来 今の段階では、蒲郡でトライアスロンを継続してやってきている割には市民に溶け込んでいるとは言えないようです。蒲郡市としてもなぜ蒲郡でトライアスロンをやらなければいけないのか。トライアスロンをすることにより市(市民)にとってどういうメリットがあるのかということを真剣に考えなければいけません。 蒲郡市の一番大きな問題はやはり人口減です。蒲郡市の人口が減っている原因は、蒲郡で仕事をするところがないということです。田原市(旧 田原町)にトヨタ自動車・田原工場がやってくるまでの田原町は、”渡辺崋山の町”がウリでした。もちろん今では田原といえば、間違いなく最初に出てくる言葉はトヨタ自動車・田原工場のある街です。 さて、蒲郡はどうでしょうか。蒲郡の産業といえば、みかん、竹島、繊維(ロープ)・・・。そんなところです。自分が小さいときと何ら変わっていません。いかに市側が、積極的に仕事をする場所を確保してこなかったかということがわかります。通勤に毎日往復で2時間もかけて名古屋に通ったりして、寝るだけの街では何のために住んでいるのかわかりません。 とにかく、仕事をする場所を提供し、蒲郡市に外から働きに来る人を増やす。そして定住させる。このような施策を早急に行わない限り人口の減少に歯止めがかかりません。 また、財政的にもかなり厳しい状態です。この辺についても、広報での説明がへたくそです。数字が大きすぎて一般市民には理解できていません。もっと家庭レベルの数字に例えて説明すべきです。 例えば、予算(3000億円)=家庭の収入(30万円)とすれば、
これがフツー家では、当然節約するわけで、「どこを切りつめようか」ということになるわけです。 ところが、市の制作などに関心がないとどこでどうお金が使われているのかわかりません。それどころが、「街路樹の葉っぱが落ちているから早く市が清掃してくれ」ということになってくるわけです。 ここでもう一度、こでまで市が実施してきた事業でも、やはり市がすること、市と市民が協力して行うこと、市民がすべきことに再度見直しをして、市の負担を減らしていかなければいけません。 例えば、病院の経営は本当に市がすべきことか?競艇の事業も今後市が継続して実施すべきなのか?ラグーナの活用の仕方はどうするのか?こういうことをもっと上手に市民から吸い上げなくてはいけません。もう親方日の丸の時代は終焉に近づいています。 地方分権が進んで行く中で、市政の舵取りの上手なところと下手なところの差がだんだん開いて二極化していきます。蒲郡市も蒲郡市として生き残っていくのであるならば、早急にいろいろな施策を講じなければいけません。効果が出てくるまでに数年はかかります。 私が長年住んできた蒲郡市がこのまま衰退していくのは忍びないです。温暖で風光明媚で街の中で十分に活動が出来る街に生まれ変わることを祈っております。 |
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蒲郡を離れて名古屋で暮らすようになってもうすぐ12年になります。 蒲郡には、渡り鳥のホシハジロ(ガンカモ科)の飛来で有名な池がありました。 ホシハジロとは、夏はシベリア、冬は日本や東南アジアに飛来して過ごす渡り鳥のことです。エサは、主に水草で夜行性のようで、昼はじっとしているようです。 蒲郡に集中的に飛来してきた場所は、形原町と鹿島町の境あたりにあった養魚場あとの池です。鹿島大橋(赤い橋)のそばで、ハーバーサイドゴルフ場の横です。 残念ながらこの池は埋め立てられてしまい現在はありません。埋めた理由は、私が蒲郡市民でなくなってしまってからのことですから存じません。 しかしながら、この池があった頃は、蒲郡市は日本全国の中でナンバーワンのホシハジロの飛来地でした。 蒲郡市在住の冬、練習で家から西浦方面に日の出の頃に鹿島大橋付近を走っていると、晴れているにもかかわらず雨が降ってきます。「おかしいな?」と思うと、その理由はホシハジロにありました。 夜行性のホシハジロが海から戻ってきて、旧養魚場の池に戻ってくるときにおそらく身体についた海水が空から降ってくるのでしょう。道路もホシハジロが通るところだけ濡れているのです。 この池を覆い尽くすほどのホシハジロの飛来は、中日新聞でもよく取り上げられていました。 下の写真は実家のそばの海です。旧養魚場に比べれば飛来したホシハジロの数もずっと少ないですが、今年もわざわざ蒲郡を選んで来てくれたホシハジロたちがいたと思い写真を撮りました。 旧養魚場はなくなってしまったけれど、いつでもおいでよホシハジロくんたち!
私の住んでいる名古屋市内ではめっきり見かけなくなった「ふるーい」ポストです。どうもネットでいろいろ調べたところ、通称「丸ポスト」。正式には「郵便差出箱1号(丸型)」というそうで、たいそう立派な名前が付いております。 1949年の初登場で、高さ約135cm、直径約40cm。どうも鋳物で作られているようです。 写真のこの丸ポスト。これは私の実家のそば蒲郡市栄町・町内(厚生館病院前のT字の交差点の北西にあります)に現存する丸ポストです。私が蒲郡市三谷町から蒲郡市栄町に引っ越してきた昭和42年頃からずーっとあります。懸賞の応募をしたり、年賀状の投函をしたり、ずーっとお世話になったものです。 今日は実家に行ったついでに写真を撮ってきました。昔の記憶と比べるとかなりくたびれている感じはありますが、その存在感は相変わらずで、遠くから見てもすぐに「ポストだー!」とわかります。 いつも口を開けっ放しで、ゴミを入れられたりされないか不安なポストですが、いつまでも現役で頑張って欲しいと思います。
今回の飲み会、料理がおいしく、飲み放題の場所を幹事さんがホネを折って探してくれたのでしょう。カフェレストラン2時間の飲み放題つきのディナービュッフェで大人4,500円コースです。食事の方といえば、カニ、ステーキなどバイキングはおいしいものが多く合格点。さすがホテル料理だけあっておいしかったです。 ところが2時間の飲み放題。こちらがうーん、許せませんね。 というのも、4,500円のうち料理の占める料金がが3,000円。2時間のフリードリンクが1,500円です。自分としては寝起きさわやかなビール党だけあって、このフリードリンクの「ビール」が楽しみでした。 聞いてくださいそのビールの銘柄。な、な、なんと「マグナムドライ」ですよ。ビールはたったこの1種類。思わずフリードリンクのメニューを何度も見直してしまいました。 家の近所の酒屋で、昨日500mlのマグナムドライを買って飲みましたよ。1本206円で・・・。 いくら場所がホテルでサービス料があるとはいえ、飲み放題でマグナムドライだけとは、ちと寂しいじゃありませんか。
ビールだけは、ちょっとがっかりの某ホテルのフリードリンクでした。
製造保安責任者試験の受験区分のグレードは、甲種、乙種、丙種の3種類ですが、甲種・乙種はさらに機械と化学に、丙種は液石(「液化石油ガス」のこと)と特別に分かれています。またこれに、冷凍に関しては第1種〜第3種冷凍機械まであるので、製造保安責任者だけで9種類(甲種機械、甲種化学、乙種機械、乙種化学、丙種化学(液石)、丙種化学(特別)、第1種冷凍機械、第2種冷凍機械、第3種冷凍機械)の受験区分があります。 難易度は当然のことながら甲種>乙種>丙種(冷凍は第1種>第2種>第3種)で、「機械」と「化学」の違いは、受験者の好みで選択ができるというところにあります。高圧ガス製造保安責任者免状の交付については、受験地の都道府県知事が交付することになっていますが、最上位のグレードの「甲種機械」、「甲種化学」、「第1種冷凍機械」の3区分については、敬意を表するという意味なのかどうか知りませんが経済産業大臣(旧 通商産業大臣)が交付することになっています。 また、試験科目は、第3種冷凍機械以外のどのグレードも「法令」「保安管理技術」「学識」の3科目です。 今年の製造保安責任者試験の大きな変更点は、この最上位グレードの「甲種機械」、「甲種化学」、「第1種冷凍機械」の3区分のうち、甲種化学と第1種冷凍機械の2区分の試験科目の「保安管理技術」が、記述式から択一式に変更になったことです。 「甲種機械」は、従来から「法令」「保安管理技術」は択一式、「学識」のみ記述式でしたが、「甲種化学」「第1種冷凍機械」もこれにあわせるような形になってしまいました。 自分自身、数年がかりでこの3区分のすべてを取得してきたので、取得までのホネの折れ方はよくわかります。自分自身は、甲種化学>第1種冷凍機械>甲種機械というホネの折れ方でした。やはり、試験科目3科目のうち2科目が記述式の試験はホネが折れます。 しかしながら、ホネが折れる反面、頭の中に記憶として残るのはやはり記述式です。 いろんなところに保安検査に出かけていって、検査先の保安係員(有資格者)の人と話をしていても「この人ホントに大丈夫?その話、試験によく出てることでしょ?」と首をかしげたくなる人もいます。さすがに甲種クラスの人でこういう人はほとんどいません。 今回のように出題方式が一部の科目で「記述式」→「択一式」に変更になったということは、本当にその人が理解しているかどうかの確認にならないということです。 経済産業大臣名で交付される3グレードのうち「甲種化学」と「第1種冷凍機械」は、
試験が安易になると、それだけに従来では絶対合格しないような人が運良く合格するようになり、相対的にレベルが下がっていくことが危惧されます。それだけに、その影響で高圧ガスの事故が増えないかと心配しています。
名古屋市役所・西庁舎の植え込みを見事に利用しています。誰が考えたのでしょうか? 以前からこのコーナーで紹介しようと思っていましたが、知人がメールで写真を送ってきましたので、ちょっと拝借させて頂きました。 愛・地球博まであと140日足らずです。
先月、キャッシュカードを紛失したお話をしましたが、今日は関数電卓です。 今日は午後から豊橋市内(愛知県)のある企業に保安検査に出かけました。 金山から豊橋まで名鉄電車で約50分です。豊橋の出張は、金山乗り換えの1回だけで電車に乗っている時間が長いので、車内でかなりのことができます。今日は、ただいま連載中の「単位のウンチク」の原稿を書いていました。あれこれ考えながら紙に計算式や結果を書いていると約50分はあっという間に過ぎてしまいました。 駅構内で昼食をすませて、企業へ向かいました。相手方の社内で書類の審査をしているときに鞄から電卓を出そうとすると電卓がありません。書類が多かったので、、電車の座席に置いたまま忘れたのでしょう。 帰りに念のため豊橋駅で聞いてみましたが、今日のところはまだ届いていないとのこと。モノが小さいし、使い道があるモノなのでキャッシュカードのようには出てこないでしょう。学生時代から20年以上使っていた電卓です。トホホ・・・。 昔は忘れ物が少なかったにもかかわらず、最近は自分でも忘れ物が多くなったなあと感じています。そこで、忘れ物防止のために「忘れ物をなぜするか?」。自分なりに考えてみました。
皆さん方も注意してください。
私といえば、楽しんでいたわけでありませんが、今回の地震、どんな風にゆれるのか、じっと座ってその様子を体感しました。たてゆれの方が大きかったような気がします。新聞によれば、地震の震源地・ゆれ方から、今懸念されている東南海地震ではないとされています。 また、今年は台風が多いですよね。明日、台風18号九州上陸。そして日本を北東に縦断していくので、日本中油断ができませんね。先日の台風16号と同じようなパターンで、前回よりも中心気圧が低いのでより警戒が必要です。台風19号もすでにあるようです。 まあ、防災に携わっている者ですので、皆様方には注意喚起をさせていただきたいと思います。 さて、今日の本題です。今日は終日東京へ出張してきました。 4月から東京への出張は今回で8回目です。1ヶ月に1回より多いペースで少々グロッキーです。出張先はほとんどが高圧ガス保安協会です。高圧ガス保安協会は地下鉄日比谷線・神谷町駅のそば、テレビ東京も一緒に入っている住友虎ノ門ビルという建物の中にあります。とれもきれいなビルで我が社の職場環境とえらい違いです。うらやましい限りです。 その8回の出張いずれもが、県の旅費でなく相手方からの支払いの旅費です。つまり、相手方から「来てください。旅費はこちらから払いますので」という出張です。まあ、乞われていくので悪い気はしませんが、これ以外にも日常的に出張などがもともと多いので、最近は会議が終わると真っ直ぐ新幹線で自宅へ戻ってきます。 一昔前は、出張が終わると、東京のスポーツショップなどを廻っていろいろグッズを買いあさっていましたが、最近は余裕がないですね。今日はまだ良かったのですが、朝10時から夕方6時半まで会議をしているときなど、結構クタクタになるんです。 とはいえ、家では「とーちゃんトーキョー行くの?おみやげ買ってきてね」と必ず注文が入ります。保育園児だった頃の息子は、新幹線グッズなど買ってくると喜んでいたのですが、最近は、大きくなったせいかあまり興味がなくなったようです。 何度も東京に行っていると、おみやげの選択も面倒です。最近は売店でテキトーに選んで買ってきます。もっぱら食べ物です。今日は「東京バナナ」というお菓子でこれは8個で1,000円もする高いお菓子です。 しかしながら、子どもたちには評判がいいです。日頃、家族サービスをさぼっているのでこういうところで点数を稼いでいます。他にも駅弁など買うので、東京に行くと必ず赤字で帰ってきます。
もちろん、高圧ガスの中には、液化石油ガス(LPガス)のような可燃性、塩素のような毒性の強いモノもあれば、液化窒素や液化酸素など毒性がないものもあります。液化窒素や液化酸素は、その温度がマイナス150℃を下回るような超低温のものもあり、漏洩した場合の対処時に凍傷に注意しないといけません。 いくつかあるうちの訓練の一つに、液化酸素の性質を知ろうという内容の訓練もあります。これは訓練というよりむしろ実験で、「@わら束に火を付けた場合」、「Aわら束に灯油をかけたものに火を付けた場合」、「Bわら束に液化酸素を浸したものに火を付けた場合」の3パターンでその燃焼の具合の違いを見て、酸素が支燃性ガスであるということを確認しようというものです。 しかしその実験に、実は待ったがかかりました。 というのは、それはわら束に液化酸素を浸したものが、「液酸爆薬」になる可能性があるというからです(火薬の担当者による)。 まあ、液酸爆薬といっても、私も火薬の知識がないのでとりあえずいろんなHPで調べてみました。すると、あるHPに「液酸爆薬」の簡単な製造方法が掲載されていました。それは次の通りです(閉鎖したHPからの引用です)。 ●液酸爆薬 結論からいえば、「わら束に液化酸素を浸して着火しても爆発は絶対しません。」 その理由を今から説明します。 @まずはLPガスで燃焼の説明 例えば、プロパンガスという都市ではあまり使われていない(私の実家のある蒲郡市では一般的に使われている)家庭用燃料は、空気中に体積比で2.1〜9.5%(101kPa、20℃において)である時に燃焼または爆発をします。 燃焼と爆発(ついでに「爆ごう」も)の違いは、
プロパンの燃焼範囲2.1〜9.5%のうちそれぞれ下限界、上限界付近では燃焼しか起こりません。爆ごう範囲はもっと狭くて2.6〜7.4%です。で、この爆ごうですが、この範囲内であれば必ず爆ごうを起こすというかといえばそうなるとはいえません。家庭で、プロパンを5%で使っても爆ごうは起きません。ただの燃焼です。それはなぜでしょう。 爆ごうは、最初からなるものではなく、発展してなるものであるからです。つまり、点火源があって、燃焼または爆発が伝搬して衝撃波になってどんどん進んで行くことが条件です。 コンロからLPガスが出て着火してもそれだけです。出てきた分だけが燃焼するだけです。しかしながら、部屋にLPガスが充満しているときに何らかの着火源があるとどうなるでしょう。次々と連鎖的に燃焼が進みます。これが爆発です。更に細い配管中でこれが起きれば、爆ごうになっていきます。 A次にガソリンで説明します。 ガソリンは、沸点40℃〜220℃(成分により異なる)のため、日常生活では液体です。従って高圧ガスではありません。危険物の第4類第1石油類に分類されています。しかしながら、大気中にそのガソリンが気化して1.4〜7.6%存在するときに、燃焼(爆発)します。これは、液体のガソリンが燃焼しているのではなく気化したものが燃焼しているのです。 ガソリンには引火点が存在します。引火点とは、「その液体が空気中で点火したときに燃え出すのに十分な濃度の上記を液面上に発生する最低の温度」と定義されています。ガソリンの引火点は−40℃ですので、ー45℃ではガソリンは気化して蒸気を発生しないので液面に火を近づけても火はつきません。灯油にいたっては引火点が40℃ですから昔のストーブでは冬の寒い日にはなかなか火がつきません。最近のファンヒーターはわざわざ加熱させて火がつきやすいようにさせています。 ここで説明したのは、ガソリンも灯油も液体が燃えるのではなくて、気化したものが空気と適当な割合になったときにガスと同じような状態になって燃えるということです。 B固定の燃焼 固体の燃焼は一般に3つの燃焼形態があります。
C粉じん爆発について ココまでの中で、もうそろそろおわかりですよね。最後に、粉じん爆発を説明します。(NPKのHPからの引用です) 「粉じん爆発とは粉じんの燃焼に起因する爆発現象である。粉じん爆発の発生条件は以下の三つである。
また爆発特性としては、
まあ、粉じん爆発も考え方はガスの燃焼と同じで、粒子を小さくしてやってガス化しているのと同じような雰囲気にしてやること、濃度的にも薄すぎても濃すぎてもだめですよということです。 わらで粉じん爆発が起きるかどうかわかりませんが、仮に起こそうとすればわらを粉々にしてやって粉じんを作ってやらなければいけません。 液酸爆薬は、その説明にも書いてあるとおり、炭素などを「木炭粉末・スス」などの粉体に溶け込ませてあるために、液体酸素が気化すれば非常に危険な状態になるでしょう。 ここまでの整理として、LPガスにせよ、ガソリンにせよ、粉じんにせよ、いずれの場合にも空気中に「大量に」あらかじめ適当な混合割合にしておいて着火源等がある場合に限って爆発します。したがって、わら束(固体)はこの粉じんになっていないの粉じん爆発は起こりえないのです。分解燃焼を起こすだけで、わら束に液化酸素を浸しただけでは、爆発など起こりえないのです。酸素の供給量が多くなるので激しく燃焼する程度です。 しかしながら今回予定している実験では、燃焼するにしても、液体酸素をわら束にかけると温度がかなり下がるのでわら束にはなかなか火がつきません。 来月の「高圧ガス移動防災訓練」で液化酸素をわらに浸した燃焼実験を見られるときに、こういうくだらないことを議論していたのだと思ってください。いや議論していません。だれも明確に説明していませんのであえて、本日説明しました。 (注 この訓練は、結果的に中止することになってしまいました。来年以降は是非やりたいですね)
カード番号は、消してありますが、「0011」はUFJ銀行に合併する前の東海銀行の「銀行番号」、「465」は店番で「蒲郡支店」、「1」は「普通預金」を現しています。 おそらく、昭和61年頃、大学生活(広島)を終えて戻ってきた頃に、通帳と一緒に作った物です。 実は、先週の8月4日(水)にこのカードを紛失してしまいました。 翌日からキャンプなので、多少お金をおろしていこうと考え、地下鉄自由ヶ丘駅上・自由ヶ丘プラザ内のUFJ銀行のATM(正式には「覚王山支店千種台出張所」というらしい。無人店舗)で現金をおろしました。 夕方、酒屋にビールを買いに行ったところ、財布の中にこのカードが見あたりません。もう真っ青です。 家で、毎日持ち歩く鞄を再度点検。クリーニング屋さんにも電話で「カッターシャツのポケットにない?」と確認したりしましたがありません。心当たりは、あのATMだけです。再度、そのATMに行ってATMのあたりを探したり、ゴミ箱の中を探したりしましたが見つかりませんでした。 木・金・土とキャンプで慌ただしかったので、UFJ銀行に連絡してカード機能の停止をお願いしたのが今週の月曜日・8月9日でした。ところが、何とすでにカードは拾得されているというではないですか。 通帳の住所が蒲郡の昔の住所で変更していなかったので、現在住んでいるところに送付できないとかで、昨日、たまたま仕事で蒲郡に行く用事があったので、UFJ銀行・蒲郡支店まで足を延ばしました。 ちょうど昼休みの時間帯でしたが、支店長代理の服部さんという方に応対して頂きました。住所変更の届出、拾得物の受領の届け出を書いて約一週間ぶりにカードが手元に返ってきました。 諸手続を終えて服部さんに K : 「(お礼をしたいのだが)どなたに拾って頂いたのでしょうか?」 と尋ねると、パソコンで画面を見て H : 「拾われた方はわかりません。ATMの”お気づき箱”に投函されていました」 という意外な返事でした。 先日の福井豪雨で2億円の当たりくじを匿名で寄付された方と同様に、私の落としたカードを、そっと”お気づき箱”に投函してくれた人もいるんだなと思うと「じーん」ときました(金額はすごい差ですが・・・)。 世の中、まだまだ捨てた物じゃありません! せっかくお礼をしようと思ったのですが、直接お会いしてお礼ができなくなったのでこのHPを借りてお礼申し上げます。
総論賛成、各論反対ということでたぶんもめていくことでしょうが、民間企業の多くが既に制度として先取りしている今、「やっと今頃」といった感が否めません。 先日、自分の上司と次のような会話をしていました。 「酸素の性質を話をする場合、液体酸素は気体になったときに体積は何倍になるの?500倍くらい?」 「そんなこと計算すりゃいいじゃん」 「計算の仕方がわからん」 この会話でどちらが私で、どちらが上司かはご想像に任せます。ちなみに、私もこの上司も県職員には技術系で採用されています。能力主義になれば、こういう会話をする人(上司?部下?)は淘汰されていきますね。 そこで問題です。 液体酸素の液比重1.14(−183℃)、酸素の分子量は32とする。−183℃の液体酸素から0℃の気体の酸素になったときに体積は、おおよそ何倍になるのでしょうか? 高校2年生ならできる問題です。次の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)から考えてみましょう。正解はこのコラムのどこかに赤字でかかれています。 (イ)500倍 (ロ)600倍 (ハ)700倍 (二)800倍 (ホ)900倍
知人たちでパソコンに関して詳しい人たちにいろいろ尋ねて、復旧の方法を模索していました。 細かい話は省略しますが、そのパソコンはソフト以前にもハードも一部壊れていて、ほとんどそれが命取りで復旧はできないと判断しました(いろいろと手を尽くしましたが・・・)。 で、やむなくまたパソコンを一台購入しました。当然WindowsXP搭載です。確かに新しくて気持ちがいいのですが、前に使っていたソフトをインストールしなおすやら、ネットやメールの設定をしなおすやら慣れない作業で結構ストレスが溜まりました。 メモリが256MBと小さいので、前のパソコンのメモリをついでに増設しようとしたら規格があわずアウト! 前のスカジーボードも使おうとしたら、フロッピーディスクドライブが標準装着でないと使えないとか・・・。イライラ・・・!!! メールを開通したら、大量のメールが押し寄せて(主に学童関係)!ウォー! 仕事も机の上に溜まったまま・・・。助けてー! 6月20日は天草へ・・・。あー練習してないなぁ〜。 月末はボーナスだけど、ローンの返済もあるし・・・。 とまあ、ほかにもここには書けないようなものもありますが、とにかく、うーんストレス溜まってます。 高圧ガスの過去問回答サンプルも止まったままだしね・・・。いろいろと欲張りすぎなのでしょうか? 少しずつ片付けてなるべく早く正常に戻していきたいと思います。あーすっきりした。(少しだけ・・・)
「行政品質」確保に安城市が認証取得 ISO9000 自治体では県内初 ISOもそうですね、10年ほど前ぐらいからでしょうか、取得する企業さんが増えてきました。それまでは、品質管理といえば「デミング賞」です。どこの製造業の会社でも品質管理の元祖「デミング博士」の像が会社の玄関に飾ってありました(今はいったい、どこにかたづけられてしまったのでしょうか)。 その後、製造業では海外進出などに伴い、国際標準である品質管理のISO9000シリーズを取得する会社が増えてきました。海外に行ってみたところ『JIS(日本工業規格)の認証工場とか、デミング賞○○年に受賞』とかいう国内ブランドが全然役に立たなかったということですね。「まあ、これからの国際化社会にはISOだ!」という時代になり、さらにその後、環境問題に伴い環境ISOである14000シリーズを取得する企業が増えてきました。 簡単に言えば、「うちの会社はISO9000に基づいて製品の品質管理をしているから大丈夫ですよ!うちの会社は、環境問題にも取り組んでいるからISO14000シリーズを取得してますよ!」とまあ、いまでは海外に進出していない企業でも、最近では「ISO取得」は企業イメージアップに用いられる戦略のひとつとなっています。 ISO9000シリーズ取得の「品質管理」ですが、製造業の製品の品質とはなんぞや?と考えると割とわかりやすいですね。ところが、「品質管理」は製造業だけではありません。クリーニング屋さんでもうどん屋さんでも宅配業者でもコンビニでもあります。 クリーニング屋さんの品質管理となれば、お客さんから預かった服などをきっちりときれいにして渡すことです。預かった服を焦がしたり、ボタンが取れてしまったり何ていうのは論外ですが、預かってYシャツ一枚のクリーニングに3日間もかかるなんていうのは納期管理が出来ていません。 宅配業者でも同じです。お客さんから預かったものを速く、壊さず正確に引き渡すのが商売です。もらった商品の箱の一部が壊れ商品が外へ出てしまっただとか、保冷しなければいけない商品がうまく保冷されずに腐ってしまったとか、ゴルフバッグを預けたのにゴルフ場に届けるのに3日もかかって、クラブが届かずプレーが出来なかった。お客様から預かった商品が違う人のところに配達されてしまった、なんてことがあれば問題ですよね。 お客さんからお金をいただいて商売をしていくところには必ず「品質管理」というものは存在すると思うのです。 当然、行政機関であっても同じです。特にお金をいただいて窓口業務を行っているところでは、「品質管理」必ず求められるのではないでしょうか。 翻って自分のやっている仕事でも、窓口応対、電話応対、許認可審査、検査事務などの「品質」が今後問われていくと思います。行政といってもいつまでもずさんなことをやっていてはいけません。 常々、行政でもISO9000シリーズを取得すべきであると思っていましたが、今回の新聞記事を見て、「安城市に先を越されてしまった!」と思いました。○○県も早くISO9000シリーズを取得(ISO14000シリーズは取得済み)し、県民からの苦情をゼロに信頼される行政機関になるべきであると思います。 ところで○○県ってどこでしょうかね?
西尾といえば人口10万人の都市ですが、まだ至る所でそののどかさを残している街です。 西尾の中に名鉄・米津という駅があり、帰りに電車が来るまでに少し時間がありました。米津の駅前には開いているのか閉まっているのかわからないような雑貨屋があります。 その雑貨屋の前には子供たちの大好きな”ガチャポン”(写真)がありました。 子供たちは小学校の3年〜4年生くらいでしょう。いま流行のタモリが司会をしている”トリビアの泉”で出てくる「へぇー」ボタンを欲しがっているようです。 この雑貨屋の前に来て、彼らのなけなしの小遣いをはたいてこの「へぇー」ボタンをゲットしようとしていました。 残念ながら数百円を投資したにもかかわらず「へぇー」ボタンはひとつも出てきませんでしたが、自転車に乗って学校から帰ったあと友達同士で遊びに出かける姿を見て、西尾の子供たちは自分が子供の頃と同じようなことをしているんだなぁと妙に安心してしまいました。 田舎(西尾のみなさんゴメンなさい)の子供たちって素朴でいいですよね。オジサンはこういう子供たち大好きです!
今回は、ぐっとローカルな話題です。 わが家から子供の通っている保育園へ行く途中に今時珍しい商店街があります。正確に言うと「ありました」。 その商店街が「希望ヶ丘センター(写真上)」です。 昭和30年代の前半名古屋市が、当時(おそらく)山林だった千種台(愛知県がんセンター付近の総称)の開発を行い、市営住宅を建てたり、土地を一区画50坪程度に割って住宅を分譲販売していたようです。 道路はまた未舗装で、車はみな砂埃をあげて走っていたそうです。 で、人が生活するには近所に買い物くらいするところが無くては誰も来ないだろうということで出来たのがこの「希望ヶ丘センター」だそうです。昭和32年10月にオープンしたこの商店街も3月末で閉店。50年近い歴史に幕を閉じることになりました。 今では、このあたりで買い物をするといえば、「富士見台フランテ」「アオキスーパー千代が丘店」「ヤマナカ・アスティ」さらに2月16日に地下鉄自由ヶ丘駅上にできた「マックスバリュー」を中心とする「自由ヶ丘プラザ(商店街:写真下)」などです。もうちょっと足を伸ばせば「松坂屋ストア(姫が池)」。今年の秋(?)には、閉店したユニー千代田橋店の跡地に建設中の「アピタ・千代田橋店?」が出来、スーパーが乱立状態です。 「希望ヶ丘センター」の店主の方々も高齢化しており、一部の方は名古屋市から店舗の移転を勧められて「自由ヶ丘プラザ」へ移られたようですが、大半の方は支度金の高さなどを理由に3月末で廃業されました。 わが家も、希望ヶ丘センターは約11年間利用させていただきました。子供が通った駄菓子屋「ももや」さん、ランドセルを購入した「ホンダ」さん、絵本をよく買った「ブックランドオオシマ」の他、特にうどん屋さん「松屋」(写真上の一番右端の店)はよく利用させてもらいました。 気さくな大将のいる店屋で、家から歩いて行ける範囲にうまいうどん屋さんが無くなってしまうのはとても残念です(「松屋さん」は、光が丘で継続営業されますが・・・)。 「希望ヶ丘センター」の各店主のみなさん長い間お疲れ様でした。お世話になりました。
年度が替わると、新しくスタートするものがある反面、無くなっていくもの(廃止になるもの)もあります。まあ、消費税の外税方式が廃止になったのもその一つでしょうが、この「ひとりごと」のコーナーでは三月末で無くなってしまった”有形”のものを紹介します。 既に、数年前から廃止するといわれていた名鉄・三河線の「猿投−西中金」と「碧南−吉良吉田」も、昨日を持って廃止になりました。 昔から電車に乗ることが割と好きで、「無くなる!」といわれると、つい人情というのか乗ってみたくなります。ただし、廃止直前はわんさか人がやって来て騒然としているので好きではありません。普段の「あの」閑散とした雰囲気を味わうために、昨年10月の「とある日」、長男かずたかの小学校の授業参観後に乗ってきました。 最初に乗ったのは、「猿投−西中金」でした。 30歳まで暮らした蒲郡にも名鉄は通っています。小学生の頃、蒲郡駅の名鉄・運賃表をみて「西中金」って何て読むのだろう?「セイチューキン???」と思っていたのがこの駅です。 正解は「にしなかがね」でこのあたりは、「中金」という地区でその西にあるので「西中金」というようです。もう少し足助寄りに車でいくと「東中金」という地名もあります。 写真上は、西中金に停車中のものです。で廃止するというからにはどのくらい閑散としていたかというと、写真右のとおりガラガラです。時間帯も確か午後1時30分頃です。一番閑散としている時間帯で条件的には不利でしょうが、たった1両編成でこのくらいですから廃止やむなしかなという気はしました。 車両は比較的新しく、この後どうするのでしょうか? そのあと乗ったのが、「碧南−吉良吉田」です。「知立−碧南」は1時間あたり4本列車があり、出張で碧南まで行く際にはよく使います。昼中でもまあまあの乗車率です。高校があるせいかもしれません。 それに対して、10月のその「とある日」の午後3時過ぎの「碧南−吉良吉田」は、写真左下のようにやはりガランガランでした。どういうわけか2両編成で、後ろの車両はオバちゃんが2人が身を寄せ合ってずーっと会話を楽しんでいたようです。 こちらの方は、車内の座席もかなりくたびれた感じでした。お金を稼がないから、車両も更新しないという雰囲気がしっかり出ていました。「猿投−西中金」よりも哀愁はしっかり出ていました。 どちらも沿線住民の足となっていた時代が終わったという印象でした。長い間ご苦労様でした。
写真左は、「かずたか」が描いたものです。 といっても今から約4年前、3歳10ヶ月の頃(保育園のもも組時代)のものです。 父ちゃんはマントを着て、遠くをみているヒーローなのでしょうか(はたまた、頭はハゲあがって額にシミが出来ているオヤジでしょうか)。この絵をみたときは思わず「ジーン」ときてしまいましたね。 お父さんはこういう絵を描くかずたかも好きですが、こういう絵を描かせる環境を作った杉本ちえ先生も大好きです(ホワーンと暖かい感じのとってもいい先生です)。 写真右は、「ゆかこ」が、昨年、通っている「公文」で文の練習で書いたものです(5歳6ヶ月頃)。 きっと「おとうさん」というテーマが与えられたものでしょう。これを見て「うーん、きっといいお父さんなんだなぁ、この子のは・・・。オレのこと?」とついニンマリしてしまいました。そうです。かーちゃんは、運転がへたっピです。車の運転に関しては、とーちゃんのポイントが高いことを如実に表しています。 どちらも、このパソコンのおいてある部屋に額入りで飾ってあります。 2人とも成人したときに「おまえたちは小さいから、父ちゃんのことが好きだったんだぞー!」と言える証拠品として保存しておこうと思います。
というのも平成8年から現在の高圧ガスの担当になっているので、基本的に自分は固定軸です。向こう一年間、どういうメンバーでどういうように仕事をしていくのかいうことが、この日にほぼ決まってしまいます(出入りの業者さんたちも同じでしょうが・・・)。 具体的な異動の話は置いておきます。 ちなみにわたしは残留です。平成16年度もよろしくお願いいたします。 そもそも人事異動とは何のためにするのでしょうか。 いろいろな考えがあるのでしょうが、人事異動というのは、本来、人員を適材適所に配置し、会社でいえば「最高の利益を上げ」て、「発展させていく」ための配置換えであると思います。 翻って、行政でいえばどうでしょうか。 「発展・・・」は基本的に同じでありましょうが、「最高の利益を上げ」は「県民にとって税金の払いがいのある効果的な行政を推進するため」と置き換えることができるのではないのでしょうか。 本県では、「ジョブ・ローテーション」といって若年層では、一定期間ごとに職場の異動を行う制度ができてしまいました。いろんな仕事を覚えて、広い視野から行政を勉強しようという主旨のようです。「なるほど!」・・・? この「ジョブ・ローテーション」、もう少しわかりやすくいえば、昨日まで「うどん屋」さんだった人が今日から「大工さん」を始めるようなモノです。そして3年後には、今度は「弁護士」を始め、そのあと3年後は「医者」をと・・・。まあ、こんなようなモノです。 世の中がこれだけ高度化し、それぞれの分野で専門化している時代に、本県ではこういう手法で人事を行っています。(わたしが考えたわけではありません。念のため。) 特に自分の担当している「高圧ガス保安法」関係は、建築基準法と並び複雑怪奇で専門的な技術立法といわれています。こういう職場にジョブ・ローテーションというだけで人をはめるとどうなるのでしょうか。 神奈川県、千葉県、山口県などでは高圧ガスの担当者の大半は技術系職員で毎年、いろいろ細かな指針の制定や改訂作業を行って行政指導を行っているようです。会議で会ってもなかなかしっかりした担当者が多いのが特徴です。 高圧ガスの分野は、なかなか難しくて技術的に確立してない部分もかなり多く残っています。 行政の許認可の担当者は、法律上何ら資格もなく業務ができます(わたしはありますよぉー!)。検査もできます。しかし、許可する・検査するというのはそれなりに、相対する人たちよりも同等以上の能力がないと根本的にできないものです。それが4月1日からいきなり許可事務、検査事務です・・・。 行政は組織が大きいから教育もちゃんとしているだろうと思われるかもしれませんが、こと高圧ガスに関する携わる人員は本庁組織では10人強です。零細企業と同じです。10人程度の会社で毎年3〜4人ずつ退職者を出して、替わりに新規に3〜4人を採用していても経営が成り立つのでしょうか。 本県の非の打ち所のない人事制度。まさか苦情はないとは思いますが、万が一苦情がある場合は、上司または人事関係のセクションへお願いいたします。 ちなみに今回の内示で、あるグループの残留組の数人がブルーになっていましたが・・・。
実はこの豊橋西武には、管理人(いちろう)の少年時代の思い出がいっぱいつまっている。 非常にローカルな話で恐縮であるが、ここで少し豊橋西武の説明をしよう。 豊橋西武の前身は1950年(昭和25年)7月に開店した「豊橋丸物(まるぶつ)」である。その後、1982年(昭和57年)に西武グループに合併(買収?)されて、西武百貨店豊橋店となった(らしい)。 プロフィールを見ていただければわかるが、管理人は愛知県蒲郡市の出身。大学生になるまで、ずーっと蒲郡で育っている。 幼少の頃のいちろう少年の住んでいた蒲郡から見ると、豊橋は大都会だった。就学前のいちろう少年の楽しみといえば、数ヶ月に一回、母親に豊橋の丸物に連れて行ってもらうことであった。 「おかあさん。でんしゃにのるまえに、ビスコかってよー!」と、蒲郡駅の上りホーム(写真2枚目)で母親にお菓子をねだっていた記憶がある。ちょうど自販機の並んでいるところあたりに、当時は有人のキオスク売店があった。 で、ガタコーン、ガタコーンととっても気持ちよく電車に揺られ「大都会」豊橋に出かけていったのである。つまり、いちろう少年の脳裏には、「デパート=豊橋丸物」の公式ができあがっていたのである。 その豊橋丸物が西武百貨店豊橋店(のちに豊橋西武へ)になった時は、少し残念であったが、建物は昔の丸物のままであった。 そして時は流れ30歳になった時、結婚式場探しにやってきたのもこの豊橋西武である。「コンパル」という結婚式場の斡旋する店が各地のこういうデパートに入っていて、当時、この豊橋西武の中のコンパルで 「蒲郡で結婚式をするなら蒲郡プリンスホテルがいい」 とゆきこの意見を採り入れて式場を決めたのも”この豊橋西武”であった。いちろう少年(いまはオッサンであるが)の心の中には、さらに「豊橋丸物=豊橋の顔」という公式が刻み込まれている。それだけに、サーラコーポレーションに買われて、この度解体されることになったのはとても残念である。 古いものが新しいものに替わっていくのは時代の流れであるかもしれないが、少年時代の思い出はいつまでも形になって残っていて欲しいと思うのは自分だけであろうか。 ここで、とっておきの情報である。知る人ぞ知る「豊橋丸物」の看板が実はまだ現存する。場所は、JR飯田線・船町駅から豊橋駅に向かって約200mほど行ったところの線路脇の電柱になぜかこの看板(写真3枚目)が残っている。 丸物が西武へ。その西武が無くなっても、この看板だけは残っているのである。「なんでも鑑定団」に出せば、いくらの値段がつくのであろうか?頑張れ看板!(写真4枚目は解体中の豊橋西武) |