第24回日本大正村クロスカントリー 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明智中学校駐車場は8時10分で満車
開催地は恵那市であるが、平成16年(2004年)10月に旧恵那市と恵那郡南部の山岡町・明智町・岩村町・串原村・上矢作町の1市4町1村が合併し現在の恵那市になっているので、4年前の第20回大会までの開催地は現在と同じ場所でも恵那郡明智町であった。 もともとこの明智という町は、鎌倉時代に遠山氏が明知城を築城、代々城主を勤めた。 遠山氏は本拠の岩村城、明知城などを中心に現在の恵那市・中津川市にかけての地域を治めていた。 戦国時代には織田氏と武田氏の抗争の舞台となった町であったが、 江戸時代に明知城は廃城となり、中馬街道脇道の宿場町として発展している。 明治・大正期は養蚕・製糸産業で栄えた。 市街地には西洋文化の影響を受けた当時の建造物が残っており、それらを生かして昭和59年に日本大正村が開村したという経緯がある。 私も、夏場になるとこの中馬街道をトライアスロンの自転車の練習コースに愛用して明智の町まで出かけているが、普段は人気も少なく静かな落ち着いた感じの町である。 ところが、年に一度のこの大会の時は状況が一転する。 朝から多くの自動車が、北から南から西からと、この明智の町に集まってくる。大会会場の明智小学校を目指して選手らが大量にやってくる。ところが、メイン会場の南側の明智中学校のグランドは意外と狭くこの自動車を裁ききれない。 したがって、明智中学校のグランドには入れなかった自動車は、会場から遙か離れた千畳敷公園の駐車場に誘導されるが、これがまた面倒くさい。千畳敷公園に停めるとシャトルバスを待たなければならない。この時間が非常に長い。 一昨年は、自宅を出発するのが少し遅れたために、明智中学校の駐車場はアウト。 「今年は早く出発しよう」と心がけ、自宅を出発したのは一昨年より40分も早くであった。おかげで明智中学校に到着したのは午前8時03分。それでも中学校の駐車場は3分の2ほどはすでに埋まっている状態。私が到着して7分後に、明智中学校の駐車場は満車!かろうじて今年は滑り込みセーフ・・・。朝からこんなところで競走がはじまるとは・・・。 犬山ハーフマラソン同様同窓会? 駐車場から受付に向かう途中で最初にあったのは、昔マッサージをいつも頼んでいたK先生。ご主人がランニングにはまっていつもお付き合い。
同い年で館倶楽部のライバルKさん。
うちの母ちゃんの昔のトライアスロン仲間のTさんやNさん。
他にもいろんな方に会場でお会いしました。みなさんお元気そうでしたね! 大正娘と勅使河原さん 明智町のウリは何といっても「大正時代」。明治と昭和に挟まれたわずか15年という短い期間。自分にとっても明治と大正の大きな違いはいまひとつわからない。が、主催者としては何とか「大正カラー」を出そうという努力をしていることは認めましょう。 開会式が始まると、「大正娘」と称して、地元の女性と思われる女の子達が、当時(?)の服装で現れる。ノスタルジックな感じであるが、参加者には大正生まれの人っているかな?
愛知女子高→中京大出身。中学生で全日本ショートトラック選手権で総合優勝をしたほか、高校1年生から5連覇を達成している。また、冬季オリンピックは長野、ソルトレーク、トリノの三大会に出場し、長野では500m6位、1000m5位、3000mリレー4位、ソルトレークでは1000m17位、3000mリレー4位、トリノでは1500m17位とメダルには残念ながら届いていないが、3大会連続の出場は偉業といえる。 現在はスポーツキャスターとして活躍しているそうですが、残念ながらテレビで拝見していません(ごめんなさい)。まあ、かわいい顔をしているのでウケは良さそうですね。本人のブログ「あたしがてっしーです。」もあるそうですよ。印象としては「ちっちゃいなあ〜」という感じでした。 先週に引き続き風邪で体調最悪 さて、あまり気が進まないがレースの話に移る。 3月はじめからひいている風邪が治らないまま会場にやってきた。風邪のひきはじめならともかく、これだけ長引くと練習自体が十分に出来ないのでパフォーマンスがどんどん下がってしまう。 体調不良なので欠場してもよかったのであるが、1月からすでに2大会を欠場。今大会も参加料が3000円と、あまりにもお金を捨てすぎることになるので、今回はやむなく出場することにしました。 10時30分に10マイル(約16km)がスタート。後からスタートする6マイルや2マイルの選手たちに見送られる。
明智光秀の供養塔のある龍護寺を過ぎ、下り坂を右折して最初の難関の上り坂に向かう。平坦なときはよかったのだが、上り坂になると練習不足が覿面に現れる。 ここまでは、だいたい前から10番目くらいであったのであるが、後ろから次々と抜かれる始末。もちろんこの中には同年代の選手もいる。 下りに入り、気を取り直すが前との差はなかなか縮まらない。 そうこうするうちに再び上り坂。林の中に入っていくがここでまた抜かれる。前から落ちてくる選手は全然いない。ゴールするまで何人抜かれることやら・・・。 10マイルコース最大の難所のつづら折りに出る。 ここで調子がよければ、前を走る選手をどんどん追いかけられるのであるが、調子が悪ければ後ろの選手の目標となり餌食となる。今日は間違いなく後者だ。ここでもまた2人ほど抜かれるが、この峠の頂上がこのコースの最高地点。これ以降は一部を除き、概ね下りに入る。 後半に入りようやく脚も地面になじんできたので前を走る選手を追う。それにしても今日は気温が高く暖かい日であるが、空気が乾燥しているのでやたらと唇が乾く。給水箇所が4カ所ほどあるので非常に助かる。 ところが下りに入っても上りで離されただけなかなか追いつくことが出来ない。最後の2kmほどで前半抜かされた選手を2名ほど抜き返しゴール。練習不足もあって、一昨年に比べ2分30秒以上も悪いタイムでした。残念!
名古屋市役所走友会、5部門で入賞 今回は、名古屋市役所走友会からも多くの選手がエントリーしました。今回は、何と5部門で入所者を輩出!一大勢力というところまではいきませんが、まずまず名前は売ったような感じでした。みなさんおめでとう!(わたしもかろうじて、10マイル40歳代で6位入賞でした・・・)
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