第4回会津美里ふれあい健康マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2年間の限定ETC土日割引を今回も最大限利用 今年3月末から2年間限定で始まったETCの土日割引制度。首都圏、関西圏などを通過することなく走れば、1回あたりの高速料金が最大1,000円となる制度だ。 この制度が始まってから、私の国盗りのため地方に出かける選択肢に「自動車」が組み込まれるようになった。
今回の福島県への遠征は、片道500kmを超える大移動!往復の運転は確かに疲れたものの、今回支払った高速料金はわずか2,450円。通常ならば、24,000円もかかるので概ね10分の1の出費だ。これならば利用しない手はない。 ほかにも、燃料を節約するために走行中は燃費の表示を気にしながらの走行。ステップワゴンのパネルの「ECO」ランプが表示するように、アクセルは最小限の踏み込み。また、下りの勾配が急なところでは、ニュートラルで惰性走行に徹し、何と、今回往復で15.5km/リットルの高燃費を実現した。福島県を往復しての高速代+燃料代は、わずか12,000円程度となった。 初の本格車中泊 「車で行くなら」と次に考えたのが車中泊。 ステップワゴンというワンボックスワゴンであれば十分に車中泊もできる。初の試みであったが、実際には夜行バス以上に快適であった。 今回出発前に家から敷き布団と掛け毛布を持参。車の最後部座席に置いておいた。寝る際に、一旦シートをすべて倒してフルフラット状にしたものの、やはり段差がある寝心地は悪く、今度はシートをすべて畳んで、床面に蒲団を敷いてみた。この方法の方がはるかによかった。ホテルなどに比べれば、寝心地は決して良くはないが、如何せん無料の宿泊。贅沢は言えない。 夜半にステップワゴンの屋根に響くにわか雨の雨音で、一旦目が覚めるものの、夜明けまで比較的睡眠が確保できた。 防犯上の不安はあるものの、南東北地方の夜は、暑くもなく寒くもなく快適な温度であった。 会津美里町とは 今回訪れた会津美里町であるが会津盆地の南西部を占める人口が24,000人ほどの小さな町だ。 ただし、平成17年10月に福島県大沼郡の会津高田町、会津本郷町、新鶴村の3町村が合併して発足したばかりで、町としての歴史はまだ新しい。 大会のコースから見る景色がそのまま町の様子を現しているように、この町の基幹産業は稲作のようだ。あちこちに水田が見られる(というよりも水田以外にはほとんど何もないような感じであるが・・・) 前身は新鶴温泉健康マラソン 今大会は今年で第4回大会。歴史が新しいと思いきや、いろいろと調べてみると、かつて合併前の3町村ではそれぞれマラソン大会が開催されていたようだ。 旧・会津高田町は「会津高田あやめ健康マラソン(平成16年6月まで22回)」、旧・会津本郷町は「白鳳スカイマラソン(平成16年6月まで20回)」、旧新鶴村は「平成7年度からは「新鶴温泉健康マラソン大会(平成16年10月まで10回?)」をそれぞれ開催していたようである。 このうち、400mの陸上競技場(アンツーカー)がある旧・新鶴村の「新鶴温泉健康マラソン」がベースになって、平成17年から3町村合併に伴い、名前を変えて今大会が始まったようだ。通りで回数が少ない割に、運営もそれなりにしっかりしているはずである。 しかしながら、過去の参加者のブログなどを読むと、一番地域色が少ないのが旧「新鶴温泉健康マラソン大会」。陸上競技場があること、交通規制がしやすいこと等から、この大会が存続大会になったようだ。ただし、平坦が少なく、田んぼの中ばかり走っているような感じがしましたね。 RSタグ登場! 受付を終えて一旦車に戻り、配布物の中身を確認する。 プログラムの他にナンバーカードが一枚。そして見慣れないものが入っている。説明書を読んでみると新種のタイム自動計測用のタグのようだ。 ランナーのタイムを計測する手法として古くからあるのが、ストップウォッチでタイムを計る手法。ナンバーカード(ゼッケン)ごとに順位をも記述しなければならず、一度に多くのランナーが入ってくると順位の記述が間に合わなくなり、計測ミスなどが発生する。 この問題を解決したのがランナーズチャンピオンチップ(RCチップ)。出た当初は画期的なものだった。しかしながら靴紐を解いて装着する必要がある。 また、寒い日や雨が降って手がかじかんだ日などは、ゴール後にこのRCチップを外すのが非常に面倒になる。 この問題を解決したのが「トルソータグ」。 「トルソー」とは「胴体」のことらしい。ナンバーカードの裏にテープで固定されている。走り終えたら、ゴール地点で係員がナンバーカードの裏のテープをビリッと破りこのタグを回収する。 トルソータグの優れているのは、ランナーの手間を掛けないことにあるほか、陸上競技のタイム計測のルール「ゴール地点において胴体の一部が通過したとき」にもマッチしているので、最近ではこのトルソータグの採用が増えてきている。 にもかかわらず今回登場したのが「RSタグ」。 装着方法は、この橙色のプレート(RSタグ)を同封されている2本のビニタイ(針金バンド)でシューズに固定するだけだが、相変わらずシューズに装着するので、陸連、陸協の主催する公認大会では採用されることはないだろう。 脱着の手間については、RCチップに比べれば減ったものの、見た感じとしては「ちょっと大きいかな?」という感じでした。重さは特に感じなかったですけどね。この先流行するのでしょうか?
コース紹介 前日は遅くなったので、自動車でコースの下見をしましたが、当日、朝起きてから再度自分の足でコースの下見をしてきました。平坦そうで意外と平坦なところが無く、タイムが出にくいコースでした。特に後半はゴールの手前の一部を除けば、ほぼダラダラの上り坂です。 5kmコースは民家も少なく、応援をする人はあまり見かけなかったですね。以下5kmコースの紹介をします。
涼しかったのだけど・・・。 夜中に雨は降ったものの、朝、車内で目が覚めて外を見ると雨は上がっていた。おまけに舗装もほとんど乾いている。「ラッキー!雨は上がったぞ」と。 こうして降りそうで降らないまま、スタート時間が近づく。 ところが10kmのスタートの10時を10分ほど過ぎると、先程まで我慢していた曇り空が一転し泣き顔となって大きな雨粒が襲ってきた。傘が無くては、ずぶ濡れになるほどの勢いだ。先程まで、芝生の上でのんびりしていた人たちも一斉に雨宿りだ。
私の出場する5kmの部は、10時42分。ちょっと止みそうな気配はない。グランドの隅の器具庫で着替え、スタート直前にスタートラインへ行く。小雨にはなったが、今日は雨と戦わなくてはいけないようだ。
陸上競技場を約4分の1周して競技場の外へ出て行く。私を含め先頭のグループは6〜7人ほどか。そのうち2人ほどはややペースが速いものの、3人目からは私とあまりペースが変わらない。ざっと見た感じ40歳以上のランナーはいなさそうだ。 昨日、本日とコースを下見・試走したが、前半が下り、後半が上りのコースなので前半はやや自重気味に後半にペースアップしていった方が良さそうなコースだ。 1kmも走るか走らないうちに、2分前にスタートしていった同じ5kmの一般女子、中学男子、70歳以上のランナーたちの後尾に追いつく。こうなると、追い抜くのも大変であるが、自分の順位も確認しづらくなる。田んぼの中の道を右へ左へ曲がりながら、徐々にコースを下っていく。ちょっとオーバーペース気味であるが、レースの流れであるのでやむを得ない。現在は3位グループを走っている。
終盤に逆転負け
天候であるが、5kmのスタート時に小降りだった雨も、ここまでくる間に止んでしまい、おまけに急激に天候が回復してきた。路面が急に乾きだし、水蒸気が”もわっ”とし出す。何とわずか10分もたたないうちに大きくコンディションが変わりだしている。この”もわっ”とした感じは、誰もがそうかもしれないが、自分の中でも一番苦手なコンディションだ。いやはやまいった・・・。 さて、話を戻そう。 上り坂と、”もわっ”としたコンディション。まいったことに天候までが敵になってきた。 勝負は後半戦に入り、目の前には2分前にスタートしたランナーたちが多く走っている。一人ずつ抜かしていくのを目標にし走ることにする。。残りは2kmほど。今日は我慢のレースのようになりそうだ。何とかこのまま粘っていきたいところだ。 と思った瞬間、後ろから一人のランナーに抜かれる。 この大会もナンバーカードの支給が一枚。それも体のの前面に付けなければならないが、抜かれた瞬間に番号をみると、何と私と同じ40歳以上男子の5200番台のナンバーカードを付けている。ここは、何が何でも付いていかねばならない。福島県に再再度、リターンマッチに来なければならない。 前半のハイペースというよりも、ここ最近の練習不足の影響がじわりじわりと効いてくる。500〜600mほど付いていくものの、集落が現れるあたりからジワジワはなされ出す。 「付いていかねば・・・」と思っていても、体が反応しない。 集落を過ぎて左折をすると最後の登りに入るが、彼はさらにペースアップする。こちらは余力無し・・・。 こうして残り1kmあたりから自力の差というのか、練習量の差を(たぶん)見せつけられて振り切られた。あとはそのまま消沈しながらゴール・・・。同時スタートした5kmのグループの中では、総合5位にもかかわらず40歳以上の年代ではまたもや第2位・・・。福島県は、私の前にそびえ立ったまま超えられなかった。 みそ汁の正体 先ほどの写真中に出てきた「みそ汁ブース」。11時から配布していたが、もらってみると私好みのナメコ汁でした。これまたちょっと珍しいですね。美味しくいただきました。
町内に3温泉 この大会の参加賞のひとつに、町内の温泉の無料入浴券が付いている。ところが会津美里町内には、温泉が3箇所ある。 先ほども述べたように、会津美里町は、平成17年10月に福島県大沼郡の会津高田町、会津本郷町、新鶴村の3町村が合併して発足した町。 町内にある温泉は、高田温泉「あやめの湯」(旧会津高田町)、湯陶里(旧会津本郷町)、新鶴温泉健康センター(旧新鶴村)と旧町村の区域にひとつずつある。いずれも現在は、会津美里町の渇津美里振興公社というところが運営しているが、この会社の代表者は会津美里町長。出資者をみると会津美里町だけではない。どうも第3セクターのようだ。
調べてみたところ、「湯陶里」のオープンが平成7年(これはふるさと創生事業であることがわかった)、「新鶴温泉健康センター」のオープンが平成2年、高田温泉「あやめの湯」についてはオープンした時期が分からなかったが、いずれもふるさと創生事業の一億円を元手に天然温泉を掘り当てて造られた施設のような気がする。 前置きが長くなったが、一番手頃なのが会場のすぐ隣にある「新鶴温泉センター」。ただし、ここは当然この大会のランナーでごった返すことが予想されるので、他の2温泉のいずれかに行ってみることにした。 カーナビで調べてみると、湯陶里は、ここから15kmほど離れたところで、帰り道とは全く反対の方向。 もう一つの高田温泉「あやめの湯」も、ここから7〜8km離れているが、開会式の時に町長があいさつの中で話をしていた「帰りに町内の施設で伊佐須美神社・あやめ苑では、あすから”あやめ祭り”が始まります。是非ともご鑑賞下さい」という、そのあやめ苑も高田温泉の近くにあるようなので、ここに行くことにした。 施設は比較的最近リニューアルした感じで、きれいであった。 無料で入らせてもらったので贅沢は言えないのであるが、泉質としては申し訳ないですが、「これだ!」という感じではなかったですね。ランナーはほとんどみられませんでした。地元の方と思われる方が、ごくごく空いていることもなく混んでいることもない程度の人数で入浴されていました。 あやめ祭と野口英世記念館 明日の月曜日は出張もあり出勤。今日はこれから自宅まで帰らなければならない。あまりゆっくりしているわけにもいかないが、かといって何も観光もせずに帰るのも・・・ということで、前出の「あやめ苑」に行ってみる。 「あやめ苑」の看板は、高田温泉にやってくる途中に大きく出ていたので場所はすぐ分かる。観光バスも立ち寄るのか、駐車場もかなり用意されている。 私は、川沿いの伊佐須美神社の裏に車を停めて、あやめ苑に行くことにした。 あやめ苑もなかなかよかったのであるが、この伊佐須美神社も歴史と風格があって素晴らしかった。 調べてみたところこの伊佐須美神社は、社伝では、「紀元前88年(崇神天皇10年)、四道将軍大毘古命と建沼河別命の親子が蝦夷を平定するため北陸道と東海道に派遣された折、出会った土地を「会津」と名付け、天津嶽(御神楽岳)山頂に国土開拓の祖神として諾冉二神を祀ったのが起源という。その後、博士山、明神ヶ岳と移転を繰り返し、552年(欽明天皇13年)に現在地に遷座し、大毘古命、建沼河別命を合祀したとされている。以後、奥州二宮、名神大社として、また会津総鎮守として中世、近世を通じ領主、住民の崇敬を受け、現在に至っている。」という。 予想通り、この地に遷座してからでも1500年近い歴史のある神社であり、「会津」の語源を生んだところでもあるわけでもある。
今日のもう一つの観光施設「野口英世記念館」へ行くためだ。会津と野口英世とは、白虎隊と並ぶ会津の切っても切れない代名詞でもある。 会津若松からさらに東へ、猪苗代磐梯高原ICという長い名前のICで下車する。新鶴スマートICから30km弱の距離である。 ICを降りて南下すると猪苗代湖が目の前に広がってくる、背後には磐梯山(標高1819m)がそびえ立つ。景色からしても、この辺りは観光地としての要素が十分あることが分かる。
野口英世についてはあらためて説明するまでもないが、私を含め子どもたちがその伝記を必ず一度は読んだことがあるという歴史上の大人物だ。私が小学校の比較的低学年で読んだ伝記は、ナイチンゲールとこの野口英世。(よくよく考えてみると二人とも医療界の人間。医者を目指さなかったのは影響を受けなかったのか?) 子どもの頃は、野口英世の偉業についてはあまり理解できなかったが、当時の医学レベルからすれば非常に貢献したことが分かるし、野口英世のすごさは、幼少の時の不遇から左手が治り医学の道を目指し努力を惜しまなかったという素晴らしさの方が子ども心には印象に残っている。 野口英世記念館には、野口英世の生家がそのまま残されている。だからどうだというものではないが、私は、野口英世の生家とここで放送している当時の様子を想像したビデオを見て、子どもの子に読んだ伝記の内容を思い出しました。やはり感慨深いものはありましたね。
そのほか、記念館内部には子ども向けに野口英世の動く人形もあり、野口英世の活躍をわかりやすく説明しています。 しかしながら野口英世記念館をみると、例えば以前訪れた松井秀喜ベースボールミュージアム(石川県)などは、非常にスケールが小さく見えてしまいますね。もちろん松井秀喜そのものを否定するわけではありませんが、そのくらいやはり野口英世は今みてもスケールの大きな人物だったということです。 本日の戦利品
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