第4回 湯ノ岱温泉マラソン大会 参戦記
 久しぶりに北海道にやってきました。
 とはいえ、陸路を延々とバスに乗っての北海道入り。6月の秋田遠征と同様、日本を縦断することとなり景色の移り変わりも楽しんできました。

 さて、今回の遠征は北海道でも「道南」といわれるところにある檜山郡上ノ国町。
 その上ノ国町の中心街ではなく、湯ノ岱温泉がある保養センターが会場です。函館から江差線の「湯ノ岱」駅に行く列車は一日わずかに6本。非常に辺鄙なところですが、北海道にはこのようなところは多いですね。また、名古屋に比べれば、気温も10度くらい違ったでしょうか。非常に涼しく感じました。


 この大会は、湯ノ岱温泉まつりの一環で行われていますが、非常にアットホームで楽しい大会でした。温泉もすぐ隣にあるので汗を流すのには最適ですね。

 国盗りの方ですが、5月に三戸桜マラソンで知り合いになった国盗り仲間の原田さん(埼玉県)と5kmで激突!その結果は?

 
 
●大会名 第4回 湯ノ岱温泉マラソン大会
●開催日 平成21年7月12日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
上ノ国町国民温泉保養センター発着(北海道檜山郡上ノ国町) →詳細地図

コースマップ(2km〜5km)

コースマップ(10km)

大会要項

プログラム
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 くもり、23℃くらい
●参加賞 フルーツポーク(冷凍)、ポカリスエット(缶)、豚汁、おにぎり2個、漬け物、湯ノ岱温泉入浴券
●結 果 17分41秒(5km) (一般男子〜49歳・第2位、総合第2位)
●表 彰 賞状、メダル、ホッケ(冷凍×2匹)
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【7月10日(金)/1日目】
徒歩 自宅 23:05 自由ヶ丘駅 23:15
地下鉄 自由ヶ丘 23:18 本山 23:20 (名城線)
高速バス(夜行) 本山 23:38 東京駅日本橋口 5:40 (実際には5:55到着)
【7月11日(土)/2日目】
地下鉄 東京 6:09 大手町 6:10 (丸ノ内線)
大手町 6:15 半蔵門 6:21 (半蔵門線)
(朝食、皇居周辺JOG/ランステ・麹町店で更衣)
地下鉄 麹町 9:06 有楽町 9:12 (有楽町線)
徒歩 有楽町 9:12 日比谷 9:17
地下鉄 日比谷 9:21 上野 9:39 (日比谷線)
昼行バス 上野駅前 10:00 青森駅前 20:50 (実際には20:08到着)
(青森駅前で夕食)
徒歩 青森駅前 20:57 青森港 22:20
【7月12日(日)/3日目】
青函フェリー 青森港 2:00 函館港 5:50
徒歩 函館港 6:08 五稜郭駅 6:45
JR 五稜郭 7:14 湯ノ岱 8:46 (函館本線、江差線)
徒歩 湯ノ岱駅 8:46 会場 9:00
【11時16分スタート 第4回 湯ノ岱温泉マラソン大会 5kmの部】
(昼食、入浴)
徒歩 会場 13:14 湯ノ岱駅 13:24
JR 湯ノ岱 13:44 木古内 14:19 (江差線)
木古内 14:31 青森 15:41 (函館本線、津軽海峡線)
(アスパム観光、夕食)
夜行バス 青森駅前 20:00 上野駅前 6:20 (実際には5:54)
【7月13日(月)/4日目】
JR 上野 6:11 東京 6:18 (京浜東北線)
昼行バス 東京八重洲口 8:00 本山 13:15
地下鉄 本山 13:18 自由ヶ丘 13:20 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 13:20 自宅 13:31
●費用
参加料 2,000円  
地下鉄 400円  (自由ヶ丘〜本山/往復)
160円  (東京〜半蔵門)
190円  (麹町〜上野)
高速バス 5,660円  (本山〜東京駅日本橋口)
10,000円  (上野駅前〜青森駅前/往復)
3,880円  (東京駅八重洲口〜本山)
青函フェリー 1,440円  (青森港〜函館港/クーポン使用で10%割引)
JR 3,150円  (五稜郭〜青森)
880円  (木古内〜湯ノ岱/往復)
1,300円  (スーパー白鳥/自由席特急券)
150円  (上野〜東京)
アスパム 500円  (パノラマ映画、展望ラウンジ鑑賞券/割引券で50%引き)
入浴 0円  (湯ノ岱温泉/参加賞)
夕食(2回) 2,500円  (貝焼みそ定食、ウニほたて定食)
合 計 32,210円  
●種目及び参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)
距離   区 分 参加者 スタート時間
10km   高校生以上一般男子 49歳以下 69名 10時00分
一般男子 50歳以上 56名
高校生以上一般女子 49歳以下 23名
一般女子 50歳以上 11名
5km   中学生男子 5人 11時10分
高校生以上一般男子 49歳以下 14人
  一般男子 50〜59歳 11人
一般男子 60〜69歳 10人
一般男子 70歳以上 6人
高校生以上一般女子 49歳以下 8人
一般女子 50〜59歳 5人
一般女子 60〜69歳 5人
一般女子 70歳以上 2人
3km   中学生女子 4名 10時00分
小学生男子(5・6年) 16名
小学生女子(5・6年) 16名
2km   小学生男子(1・2年) 7名 11時10分
小学生男子(3・4年) 18名
小学生女子(1・2年) 6名
小学生女子(3・4年) 10名
  合  計 302名  
●上位成績(10kmの部及び5km一般男子49歳以下は3位までの入賞者、それ以外の5kmの部は優勝者のみ)
【10km】
高校生以上一般男子 49歳以下
笠谷隼人 滝沢小・中OB 36’35”
長谷川夏樹 北海道新聞 36’39”
岸田慶彦   36’44”
一般男子 50歳以上
山下 豊 函館市役所 37’47”
竹内良彦   38’13”
中沢明則   40’03”
高校生以上一般女子 49歳以下
宮崎聖子 函館グランド走友会 44’21”
永井みどり 熊石あわびーず 44’42”
加藤弘子 函館トライアスロンクラブ 44’54”
一般女子 50歳以上
葛西朱美 函館走ろう会 43’44”
西谷知勢子   46’01”
小泉留里子 NTT函館 48’23”
【5km】
中学生男子
滝澤心平   22’46”
高校生以上一般男子 49歳以下
原田慎也 special 17’02”
加藤一郎 名古屋市役所走友会 17’41”
長谷部 毅 函館市 18’33”
一般男子 50〜59歳
鈴木隆幸   18’18”
一般男子 60〜69歳
原田正行 函館走ろう会 20’12”
一般男子 70歳以上
高谷敬三 函館トライアスロンクラブ 22’13”
高校生以上一般女子 49歳以下
吉田絵理 Teamぽんこつ 25’34”
一般女子 50〜59歳
槇本美恵子 函館トライアスロンクラブ 22’17”
一般女子 60〜69歳
斉藤厚子 NTT函館 23’52”
一般女子 70歳以上
鈴木郁子 函館走ろう会 25’49”

得意の夜行バスに加えて昼行バスも利用
 名古屋から北海道へ行くとしたら、現在、一般的には飛行機です。
 しかし今から40年ほど前、まだ飛行機がそれほど一般化していない時代は、北海道へ行くとしたら青森までは国鉄(JR)、そこからは青函連絡船で函館へ渡る方法でした。

 ところが現在は、飛行機が大衆化したため鉄道に乗って北海道へ渡る人は激減しました。青函連絡船が廃止になった理由に、青函トンネルができたこともありますが、飛行機に客を奪われたということにあります。

 もう一つ、当時と状況が変わったのは高速道路の発達です。
 高速道路が発達することにより、自動車での高速移動が可能になったほか、高速道路を利用する都市間を結ぶ高速バスも非常に増えました。高速バスは、目的地までほぼ一直線に移動することが多く、乗換がないのがいいですね。また、料金もJRの普通運賃とあまり変わらないくらいですので、お値打ちであることは間違いありません。

本山(名古屋)→東京駅日本橋口を走る東名の夜行バスドリーム号(東京駅日本橋口にて)

上野駅前→青森駅前を走る弘南バスの「青森上野号」。終点の青森駅前まで10時間以上かけて走ります。このバスは車内にトイレはあります。(上野駅前にて)

途中休憩の紫波SA(岩手県)にて。3週間前は、ここでマイカーからこのバスを眺めていましたが、今回は乗客として利用。

終点の青森駅前にはごご8時過ぎに到着。上野駅前を午前10時に出発したので、10時間以上の長旅でした。

 今回の北海道への移動方法についてはいろいろと検討しましたが、時間をかけても旅費をいかに節約するかという観点から、バスを乗り継いで北海道まで行く計画をたててみました。宿泊費を節約するために、2泊分は夜行バスです。
 このうち帰りに利用した青森駅前→上野駅前を走る弘南バスの夜行便「パンダ号」は、通路を挟んで両側が2列ずつの4列シート。夜行バスには必ずあるはずのトイレも車内にはありません。にもかかわらず満員。それどころか上野行きは2台で運行です。
 青森駅前→東京駅を走るJRバス関東と弘南バスの共同運行の夜行バス「ラ・フォーレ号」が片道10,000円ですが、パンダ号は8,000円。2割安い料金がウケているのですね。

青森駅前→上野駅前を走る夜行バス「パンダ号」。4列シートで窮屈でしたが、東京・青森が往復で10,000円ですので少々我慢!(上野駅前にて)

こちらは東京駅から本山まで乗車した「超特急・東名ライナー」。ネットの事前予約で東京〜本山(名古屋)がわずか3,880円(本山にて)

東京ではランステ(ランニングステーション)利用で皇居JOG

ランナーズステーション・麹町店。土曜日は午前8時のオープンです。
 本山(名古屋)からの夜行バスの東京駅到着は午前6時前。また、上野駅前から青森駅前行きのバスの出発が午前10時。この間の4時間を有効利用するために、皇居廻りをJOGすることにしました。
 とはいえ、遠征のための荷物も相当あります。

 ここはランナーズステーションに荷物を預けてJOGをすることにしました。
 ただし平日は午前7時のオープンですが、土曜日は午前8時のオープンです。

 慌ただしく着替え約50分ほど皇居廻りで軽く汗を流しました。

 名古屋にもこういう施設があるといいですね。さすが大都会東京ですね。

「津軽海峡冬景色〜♪」
 さて、夕食を青森市内ですませ青森港へ移動する。
 青森駅から青森港へは、一日に数本バスが運行されているが、この日の運航は全て終了している。移動手段はもちろん徒歩である。これはあらかじめ予定していたとおり。ただし、天候だけが心配だったが、晴れのため徒歩でも問題はない。気温も暑くもなく寒くもなくといったところだ。ただし、暗闇をテクテクと青森港に歩いていく人はいない。女性は物騒だから止めた方がいいかもしれない。
 かつての青函連絡船は、青森駅と直結していたものの、現在、青森から函館へ向かうフェリーはJR青森駅から西へ約3kmほど離れたところの青森港から出港する。私のように旅客のみの者にとっては、青森駅から3kmも離れていると不便きわまりない。

 この青森港から函館港へ向かうフェリーは、「青函フェリー」と「津軽海峡フェリー」の2つがあるが、料金には大きな違いがある。
 調べたところ、青函フェリーはもともと貨物フェリーで運航していたが、平成12年10月の海上運送法の改正によって一般旅客定期航路も許可を得て開始している。旅客はあくまでも「貨物のおまけ」いうような位置づけである。

 これに対する津軽海峡フェリーは、もともと東日本フェリーがこの区間を運行していたものを、現在は道南フェリーが運航を引き継いでいるもので津軽海峡フェリーは会社名ではない。
 もともと東日本フェリーが旅客を中心として運航していた会社なので旅客サービスは良いようであるが、青函フェリーに比べると運賃に大きな差ができてしまった。

 津軽海峡フェリーが大人(2等)で青森−函館が2,700円に対し、青函フェリーは1,500円(燃油サーチャージ分を除く)。同じ区間を走るにしては値段が違いすぎる。おまけに、青函フェリーは、同社のサイトの割引クーポンを印刷していけば、運賃が10%安くなるサービスもある。もう決定!安さにはかなわない・・・。ちなみに青函フェリーは特等とか1等とかのグレードの区分は無い。

 今回はその安い方の青函フェリーに乗ってみたが、客室はグレードとすれば2等クラス。毛布も置いていない。もっと汚い部屋を想像していたのであるが、こちらの方は乗船した船が就航してからわずか3ヶ月と新しかったせいか、とても船内はきれいだった。

これが青森港フェリーターミナル

青函フェリーの乗船券はここで購入。電話で以前予約しておきました。

午前2時出港の「あさかぜ21」。今年の4月に就航したばかり。総トン数が2,048トン、旅客定員は198人だ。

乗船を待つ車列。乗用車よりも貨物を積んだ長距離トラックが多く、フェリーはもはや旅客の移動手段ではなく、物流の移動手段であることがわかる。

函館から青森に到着したフェリーから次々にトラックが出てきます。

これが「あさかぜ21」の車両甲板。トラックをいったい何台運べるのでしょうか?

これが「あさかぜ21」の船内。客室は3箇所に分散してあります。就航してからわずか3ヶ月のため非常にきれいでしたが、毛布もなく少々寒かったです。

函館港に到着した「あさかぜ21」。天候は霧。夏の穏やかな日だったので、津軽海峡も穏やかでした。

 実際に乗ってみて、1,500円の運賃は非常に安いと感じた。
 ただし、船内には毛布もなく、もちろん枕もなく、あらかじめそれなりの準備はしていく必要はありますね。

 4時間弱の船旅ですが、船室が少々寒かったことを除けば、津軽海峡を航行中は揺れることもなくまずまず快適でしたね。

思い出の函館

JR五稜郭駅
 午前2時に青森港を出港した青函フェリーは、ほぼ定刻通り函館港に入港した。乗船時間が4時間弱と短く、仮眠程度の睡眠しかできなかった。

 函館の天気は霧。暫くすれば晴れてくるのであろう。
 さてこれから上ノ国町へ行くのであるが、ここからの移動はJRとなる。函館港の最寄り駅はJR五稜郭駅。函館の次の駅になる。青函フェリーの到着した岸壁から五稜郭までは徒歩で移動だ。
 さすがに北海道までやってくると名古屋と違い、朝もかなり涼しく感じる。霧は出ているものの空気が「サラッ」とした感じがする。

 函館にやってくるのは昭和59年9月に、大学の乗船実習でやってきて以来、何と25年ぶりになる。
 函館にはちょっと、いや、かなり良い思い出があるので少し紹介したい。もちろん25年前のことだ。

 乗船実習で、函館港に入港したその日は特にイベントもなく、午後から函館への上陸許可が出たため、同期の人間3人ほどで、ガイドブックに掲載されていた函館市内の「カレーの小いけ」を目指し、町をブラブラしていた。
 すると、親戚の車に同乗した同期生M本が偶然通りがかり、その親戚の家に一緒に行こうと誘われる。

 記憶としてはちょっと怪しいが、確かそのM本の親戚(叔父さん?)は、函館で海産物の問屋を経営しているらしく、ちょっとした金持ちであった。玄関にはゴルフバッグが無造作に置いてあったことを未だに覚えている。

 彼の叔父の家に行くと、待ちかねていたようにその家族が現れる。
おばさん 「Yゆき君(M本の名前)とお友達のみなさんいらっしゃーい」
われわれ 「こんにちは。おじゃまします」
おじさん 「ようこそみなさん北海道へ。北海道へ来たら美味しいものをたくさん食べていってください。さて、北海道といえば、ジャガイモですよ。おーい、持ってきてくれ」
 そのオジさんの奥さんだろう。奥の方からほぼ間髪入れずに、まだ湯気が出ているふかしたてのジャガイモを運んできた。いきなりふかしたてのジャガイモが目の前に山積み・・・。
おじさん 「おい、ジャガイモ食べるにはバターがいるだろう。バターも持ってきてくれ」
 もちろんそのバターも雪印のパッケージの「北海道バター」。
われわれ 「う〜ん、これは・・・(モグモグ)、う・・・(モグモグ)・・・うまい!」
おじさん 「そうですか、おいしいですか。それはよかった。北海道といえば、やはり魚貝類ですよ。おい、あれ持ってきてくれ」
おばさん 「はーい」
 なんと、次に出てきたのは大きな桶に入った寿司!。もちろんその寿司の中には玉子とか、カッパ巻きとか子どもが好きそうなちんけなものは全然入っていなく、私の大好きなウニやいくらがたくさん入っているではないか!
われわれ 「おー、すげー!めちゃくちゃご馳走じゃんか!」
 当時、21〜22歳のわれわれの胃袋はとどまるところを知らない。
われわれ 「船の飯がまずいから、めちゃくちゃ・・・(モグモグ)・・・う、う、うまい!」
おじさん 「美味しいですか。それはよかった」
われわれ 「いや〜、このイクラなんて最高ですね。さすが北海道ですね」
 別に持ち上げるつもりで言ったのではなかったのだが、自然と発した言葉にM本の叔父さんはなんと
おじさん 「おい、イクラ。もっと持ってきてくれ」
おばさん 「はーい」
 何と出てきたのは、どんぶりにイクラだけが入ったもの。次から次へと、料理が出てくるのでまるで竜宮城に行ったような感じだ。もちろん、アルコールもたっぷり。ビールもワインも、確かその家の今にあった高価な酒も飲ませてもらったような記憶がある。
 カラオケセットもあり、そこの家でカラオケも歌った。

 夕方になるとM本のいとこという「いずみ」ちゃんという可愛い女の子が帰ってきて一緒に飲んだり歌ったりした。いずみちゃんは、M本と同じ年という。
われわれ 「おー、M本。不細工なお前にこんなに可愛いいとこがいるのかよー!」
と、みんなお気に入り。
 さて、これだけでも十分竜宮城状態にもかかわらず、まだ続きがある。
おじさん 「そろそろ暗くなったので夜景を見に行きましょう。函館の夜景は美しいですよ」
 函館の夜景といえば、函館山から見る夜景は「100万ドルの夜景」といわれる素晴らしいものだ。われわれのような観光客であれば、函館山へロープウェイで登っていくのであるが、確かその日は車2台に分乗して一気に函館山へ登っていったと記憶している。

 函館山の山頂の駐車場に車を停め展望台へ行くと、テレビや写真で見る夜景がまさに眼前に広がっている。絶景だった。細長く続く半島の先端に、標高334mでそびえ立つのが函館山。そこから北東方向に見えるのが函館の街で、半島の細いところでは1km程しか横幅がないところに街が密集している。
おじさん 「左側の海は函館湾、右側が太平洋です。いかがですか。」
われわれ 「いやー、本当に素晴らしいです。」
 夕方から飲めや歌えやの状態でただでさえ満喫したのに、この夜景を見てとうてい文句など言えるものではない。本当に竜宮城だった。いや、まだ続きがある。
おじさん 「北海道にきたらラーメンを食べていってください」
 函館山からの帰り道、おじさんが言う。十分ここまでもサプライズだったが、この人はとことんわれわれにご馳走してくれる。
 おじさんの家で十分、胃袋が満たされているところにラーメンを押し込む作業は大変だった。ただし、そのおじさんの家に行った連中は、私を含め大食漢ばかりで、もちろんラーメンなど残すはずはなかった。
 ところが・・・、
おじさん 「どうでしたか、函館のラーメンは。」
われわれ 「いやー美味しかったです。本当にごちそうさまです。もうお腹いっぱいです。」
おじさん 「そうですか。それはよかった。そうそう、北海道まで来ていただいたんですから、ソフトクリームも食べましょう。美味しいんですよ」
 とことん、このおじさんは凄い!ここまで来ると快楽の域に達している。女性の口説きも上手かもしれない。われわれは、この一言でメロメロになってしまった。とどめの一発を刺されたような感じだった。
 正直に言うとラーメンもソフトクリームも胃袋にはおさまったのであるが、ほとんど流し込みの作業のような感じで、堪能して食べられなかったのが残念であった。

 午後10時前、函館港に停泊している練習船「こじま」の前まで送っていただき、ようやく夢の時間が終了した。
 船に戻り、われわれ3人はこの話を自慢げに同期のみんなにした。まあ、とりたてて自分の実力で何かをしたわけではないが・・・。
 にもかかわらず、一緒に行ったM末さん(留年して一緒になった同期生)はいう。
M末 「おれが、カレーの小いけに行こうと言ったから、この夢物語が始まったんだ!」
 確かにそうかもしれないが、それとてM末さんの実力では無いかと思うが・・・。

江差線
 五稜郭から湯ノ岱に向かう江差線の列車の乗客はまばらだった。
 江差線のうち五稜郭から木古内までは、左手に津軽海峡をみながら1両編成の列車は走るが、木古内から江差方面は原始林のような山の中に入っていく。江差線の性格が大きく変わる分岐点がこの木古内のようだ。
 青函トンネルができるまでの江差線は、非電化のローカル線であったが、青函トンネル開通後は北海道を青森を結ぶ津軽海峡線の延長路線として活躍している。ただし、それは五稜郭−木古内のことで、木古内から先は、以前のままの雰囲気を醸し出している。

左手は江差線に平行して走る国道228号線。その向こうは津軽海峡。

五稜郭から湯ノ岱まで乗った列車は、みたとおり閑散としていた。

木古内から湯ノ岱までは山の中。牧場らしきところもありました。

湯ノ岱駅に到着。右半分は乗ってきた列車
 乗客の大半も木古内で下車してしまった。
 江差方面に向かう乗客は、私を含めて5人ほど。そのうち年配でそれらしき恰好をした人の2人ほどが、大会に参加するような感じだ。木古内から先の人口密度の低さを現す指標に列車本数と駅間距離がある。
 まず、木古内−江差を走る列車本数。上り下りとも一日6本だ。今回、この湯ノ岱までのアクセスに一番苦労したのがここである。
 朝、五稜郭を7時14分に出発して湯ノ岱に到着したのが8時46分(この後、反対側来る列車と列車交換のために2分停車して出発する)。

 木古内から方面から湯ノ岱に到着する下り列車の湯ノ岱発が、朝から順に7:18,8:48、12:03、15:37、18:11、21:23なので、今回乗った列車は木古内から江差に向かう2番列車となる。

 同様に帰りの列車も6本。
 湯ノ岱から木古内方面に向かう列車が、朝から順に7:19,8:47,10:39,13:44,16:47,19:31のみである。大会のスタート時間、イベントの開催時間、温泉の入浴時間などを考慮してもやはり13:44に乗らないとあとあとが苦しい。

 さて、話を戻すがこの上下で6往復しかない列車からも人口密度の低さを想像できるが、さらに凄まじいのは吉堀−神明の駅間距離の長さである。

 木古内から湯ノ岱まで間に駅が3つあるが、4〜5分ほど走ると停車する繰り返しであるが、吉堀−神明はなんと22分間停まらなく列車は走り続ける。これは、駅を通過しているのではなく、駅がないため走り続けているのである。距離にして何と13.2km!

 その間、外の景色を見ていたが家など全く見あたらない。クマザサの生い茂る中を列車が右へ左へくねりながら走り続ける。この区間は、ちょうど峠を越える区間になるので、前半は概ね上り、後半は下り基調になる。ところどころでトンネルを通り抜けるが、よくぞこんなところに鉄道を引いたものだと感心させられてしまうようなところだ。クマがいつ現れてもおかしくないようなところだった。
 列車は、線路の路盤もあまり整備されていないせいか非常にゆっくり走る。ちょっとスピードを上げると揺れが大きくなる。津軽海峡線に接続し特急列車も走る五稜郭−木古内と違い、木古内−江差が本来の江差線の姿であろう。

湯ノ岱駅。JRから業務委託を受けているような駅員が一人いたがヒマそうにしていた。
駅名 駅間距離
(km)
所要時間
(分)
木古内−渡島鶴岡 2.3
渡島鶴岡−吉堀 3.1
吉堀−神明 13.2 22
神明−湯ノ岱 2.8

踏切からみた湯ノ岱駅

会場の湯ノ岱温泉へ向かうランナーの車。ほとんどの選手は車で会場にやってくる

上ノ国町とは
 五稜郭から乗った列車は、定刻の8時46分に湯ノ岱駅に到着した。
 五稜郭から1時間30分ほど時間はかかったものの、乗り換えはなく、コンビニで購入したおにぎりを頬張る時間も十分あった。

 今回訪れた「上ノ国町」。北海道では函館市の北西に位置する人口6,000人ほどの小さな町である。
 主要産業は農業と漁業。
 農業は野菜、稲作、養豚の生産額が大きく、また漁業は近海でスケトウダラ、ホッケ、スルメイカを獲るが、零細漁業者も多いようだ。
 なるほど、今回の参加賞が「フルーツポーク」というのは、地元で生産した豚肉のことであったのか。ただし、スーパーで売っているようなパック詰めのものが冷凍されて配布されていたので、私のような遠くからきているものは持ち帰ることが出来ない。
 また、各部の優勝者には米5kgが副賞として贈られていたが、これも地元産のようだ。

 ここ上ノ国は北海道で最も早い時期に和人が定住した地であるとされる。1189年、源頼朝が奥州の藤原氏を攻めた際に、糠部や津軽の人々が上ノ国付近まで逃れたという。
 鎌倉時代以降、蝦夷地は安東氏の管轄とされたが、本格的に蝦夷地の支配に乗り出したのは15世紀初頭、渡島半島各地に砦を築いて以降のことである。
 この砦は「館」(たて)と呼ばれ、この時期築かれた12余りの館は「十二館」と総称されている。このとき函館の周辺は「下之国」、上ノ国や江差の周辺は「上之国」と称された。これが町名の由来である。
 このころの上ノ国は松前や箱館とともに蝦夷地を代表する港であり、十二館の一つとして作られた花沢館は「上之国」地域の中心拠点として機能したという重要な歴史がある。
 しかしながら江戸時代に入った1678年、江差に檜山番所が作られると拠点機能も江差へと移り、上ノ国の役割は次第に小さくなり衰退していったようだ。

 上ノ国町の中心は、JR江差線の「上ノ国」付近。
 私が今回訪れた上ノ国町の「湯ノ岱」は、上ノ国町の中心ではないところであるが、温泉があるというのは私にとってはとても魅力がある。いったいどんなところだろうか・・・。

「湯ノ岱温泉マラソン」ではなく「湯ノ岱温泉まつり
 会場には、湯ノ岱駅から徒歩で10分ほどで到着した。
 今回は”第4回大会”というので歴史は浅い。行ってみてわかったのであるが、この大会は、純粋なマラソン大会ではなく、毎年7月の第2日曜日に開催される「湯ノ岱温泉まつり」の行事の一環のようだ。
 なるほど、現地に行ってみてわかったのであるが、町としては今回のマラソン大会と町内の人たちを対象としたカラオケ大会の力の入れ方としては五分五分のようだ。マラソン大会の会場に、カラオケのステージを見たのは初めてである。
 いずれにせよ、私としては走る機会を与えてもらったというのは嬉しいことだ。
 マラソンを走った人もカラオケを歌った人も、最後は「そのまま温泉へどうぞ」というような感じであった。


会場のすぐ横を流れる天の川(湯ノ岱大橋から撮影)

名前はきれいですが、ちょっと濁っていました。

会場付近の横断幕は「湯ノ岱温泉マラソン」ではなく「湯ノ岱温泉まつり」。そこがポイントですね。

さらに歩いていくと露店が出ていました。

湯ノ岱大橋を左折して200mほど行ったところに会場がありました。

雨が降り出しそうなビミョーな天気ですが、芝生の上にシートをひいて陣取っている人が多いですね。

こちらは受付

あくまでも「湯ノ岱温泉まつり」です・・・。

国盗り激突!軍配は?
 「加藤さーん!」
 受付を済ませ陣取る場所を探していたときに私の名前が呼ばれる。北海道の見知らぬ場所まで来て私の名前を呼ぶ人は一人しかいない。5月の三戸桜マラソンで知り合いになった埼玉県の原田さんだ。
 ここに来る一週間ほど前に、「加藤さんも湯ノ岱温泉マラソンに出場するんですね」とメールが来ていた。私はビンボー移動で、名古屋からひたすら陸路をたどって北海道までやってきたが、彼は飛行機とレンタカーでここまでやってきたようだ。
 久しぶりの再開。国盗りを狙う同胞ではあるものの、今日は同じ5kmを走るライバルになる。少なくともどちらかは敗者になる。年齢、体調からいって私の方が不利ではあるが、勝負事はやってみないとわからない。

 スタート時間まで余裕があるのでコースの下見に出かける。
 コースは、概ね以下の通りだ。保養センター前をスタートし、一般道路に出たところを左折する。2kmの部、3kmの部、5kmの部、10kmの部といろんな部門があるが、全ての部門が左折していく。

 コースの大半が農免道路のため民家はほとんど無い。
 2〜5kmの各部門は、各々の距離の半分を走ったところで折り返し、再びスタート地点の保養センター前に戻ってくる設定であるが、いずれもこの農免道路を少しずつ上っていく。10km部門のみが4kmほどで第1折り返しがある設定で、そのまま今来たところを戻り、第2折り返し地点まで行ってからゴールをするというコースだ。きついアップダウンもなく、前半はやや上り勾配であるものの、後半は下りとなるため攻め方は比較的やさしいコースともいえよう。 


保養センター前のスタート地点

200mほどで一般道に出る。ここを左折

左折したところは農免道路。今回のコースの大半はこの農免道路になる。

珍しい山菜加工工場。高い山が無くても山菜が採れるというのは北海道らしいですね。コースから見えます。

農免道路なので、民家はほとんど見られません。

3kmコースの折り返し

珍しく民家がありましたが、玄関前も草がぼうぼう。かつては人が住んでいたようですね。比較的新しい家なのでもったいない!

ここが今日私が走る5kmコースの折り返し地点。周りには何もないですね〜!

ついでに10kmコースの下見もしました。クマササが生い茂っています。

何という草でしょうか?涼しいところではよく見かけますが・・・。

10kmコースの第1折り返し

10kmコースの第1折り返し付近の民家。こちらの方が、まだ誰か住んでいるような雰囲気です。

10kmコースには給水ポイントがあります。おばちゃんに水を1杯もらいました。ありがとうございました。

ここまではほとんど緩い上り。折り返すと今度はゆっくり下ってきます。

湯ノ岱温泉付近を流れる天の川。コースの農免道路から時々現れます。

 大会要項では、午前11時10分に5km部門、2km部門のスタート予定。
 ところが、10km部門の最後の選手が思った以上に帰ってこない。スタート時間が、少し後ろにずれ込むことになる。結局、2km部門の小学生たちが5分ほど遅れてスタート。私の出場する5km部門は、さらに予定よりも10分ほど遅れてのスタートとなった。

 少人数の大会であるので容易に最前列に並ぶ。原田さんも同じだ。
 スタートのピストルと同時にダッシュするが、原田さんはスルスルと前に行く。若いだけあって脚がよく動いている。


今回のレースの心拍数の変化。クリックすると拡大します
 一般公道までの約200mでいきなり5mほど差がつく。
 左折したところから徐々に追い上げて追いつく。というよりも彼が私のために少し待っていたような感じだった。最初のうちは、私と彼の他にまだ選手がいたようであったが、スタートから500mほどで彼とのマッチレースとなる。想定していたとおりである。
 しかしながら、今の私は彼についていくのが精一杯。とてもではないが、戦略も何もあったものではなかった。

 スタートしてから2kmくらいからやや上り勾配がきつくなり出す。
 それと同時に、私もかなりきつくなってきたため原田さんと少しずつ距離ができはじめてしまう。まだ折り返しまでたどり着いていない前半で既にこの状態。彼がペースを上げたのではなく、私のペースが落ち始めたのであった。あっけないが、これが今の私の実力。

 下りでは更に離され、ゴールでは40秒近く離される完敗だった。
 負けるのは好きではない。しかしながら、今日は国盗りの同胞である原田さんが優勝したのであるから祝福すべきことだ。
 残念ながら、北海道には、また来なければならないことになった。

午前10時スタートの3km、10km部門。先導はオートバイですね。

10km部門のランナーたち。沿道に応援者がほとんどいないのが少し寂しいですね。

3km部門の先頭を走る中学生女子ランナー

もうすぐゴール。7月の北海道は涼しくて走りやすいですね。

コース上は応援が少なかったものの、ゴール付近は賑わっていました。

主催者から選手に渡される参加賞?のひとつ。左側が豚汁。右側が漬け物。そして漬け物の下にはちょっとわかりにくいですが、おにぎりが2個ついています。参加料が2,000円で、このほかにポカリスエット、フルーツポーク(地元産豚肉)、湯ノ岱温泉無料入浴とサービスは素晴らしいですね。

抽選会の様子。結構な賞品が出ていました。

ナンバーカードを持った子どもたちが、「当たらないかなあ・・・」と待っています。

湯ノ岱温泉
 
ここ上ノ国町内では、(私にとって)これといった観光施設がないので今日のお楽しみは「湯ノ岱温泉」の入浴。レース終了後、帰りの列車の出発までの短い時間における入浴となる。
 温泉はこの保養センターの中にあり、玄関から入って右奥にある。朝から何度かこの施設のトイレを借りて出入りしているので、玄関横にいるおばちゃんも選手たちが入浴に入ってきたのか、トイレに入ってきたのかの区別がつかない。そのため、主催者から渡された「無料入浴券」も、おばちゃんに渡すことなく入れてしまった(帰りにきちんと渡しましたが・・・)

 温泉は、意外に空いていて気持ちよく入浴できた。
 湯ノ岱温泉は「ナトリウム・カルシウム・塩化物炭酸水素塩泉」という種類の温泉で、色も少し濁っていていかにも温泉らしい色だ。湯温も私の好きなややぬるめの温度。
 ひとつ残念だったのは、浴室内にはシャンプー、ボディーシャンプーの類が置かれていないこと。まさに、汗を流すだけだった。

青函トンネル
 今回、北海道の滞在時間はわずかに9時間あまり。午前6時前に函館に到着してから、青函トンネルに入る14時50分頃までの間だ。
 帰りも函館から青森にフェリーで渡ろうと考えたが、連絡がうまくいかないので、やむを得ず青函トンネルをくぐるルートを採用した。

 この青函トンネルをくぐるのは、平成12年に家族で青森に旅行した際にツアーのメニューのひとつに「ドラえもん列車で吉岡海底駅で遊ぶ」というものだった。吉岡海底駅は、青函トンネルの中間付近に位置する。もちろんイベント用の駅で、普通はここでは乗降の取り扱いをしない。
 9年前はここを折り返してきたので、青函トンネルを全て通のは今回が初めてである。

 今回、木古内からスーパー白鳥26号に乗ったのであるが、車内でも坂に青函トンネルのPRアナウンスを車掌がしていた。また座席にも、スーパー白鳥の各列車が青函トンネルに入る時間などの案内がされている。
 列車はほぼ定時で運行していたので、北海道側から青函トンネルに進入する時間もまた青森県側で地上に出る時間もほぼその通りであった。25分もトンネルの中を走るのであるから、「地上に出るのはまだか、まだか」と思う乗客も多いので、「これを見ろ」といわんばかりの対策だろう。

 確かに、青函トンネルの25分間は退屈だった。しかし、この53kmもの超長大トンネルを掘った先人たちの偉業には素直に敬意を表したい。


木古内から乗車したスーパー白鳥26号

スーパー白鳥26号の車内

各座席の前にはこのように青函トンネルの通過予定時刻表が貼ってありました。

木古内から青函トンネルに入るまでの北海道側の景色

青函トンネルを出た後の、青森県側。海は陸奥湾。

まりもっこり
 安藤美姫が携帯ストラップに付けていると紹介されてから爆発的なヒットとなった”まりもっこり”。北海道の総合商社「株式会社キョーワ」が販売している。
 わが家でも長女・ゆかこがこの”まりもっこり”がはまっている。

 私も全国各地へ遠征に出かけるので、そのたびに地方限定のこの”まりもっこり”を買ってきている。

 しかしながら”まりもっこり”の本場北海道では、キーホルダーのみでなく「まりもっこりのクッキー」や「まりもっこりのぬいぐるみ」までが木古内駅の売店で売っていた。さすが北海道!通信販売でも買えるんだろうけど、やはり本場で買う方が味わいがありますね。

観光、食事は青森で

 北海道を後にして青森に戻ってきた。
 帰りの夜行バスが午後8時に青森駅前から出発するので、約5時間が青森の滞在時間となる。さほど遠くに出かけるだけの余裕もないので、9年前にも訪れた「アスパム」に行くことにした。

 「アスパム」の正式名称は「青森県観光物産館」で、青森県(omori)観光(ightseeing)物産(roducts)館(ansion)の頭文字から「ASPM」=「アスパム」を連想させるということから愛称として使われている。昭和61年に開館され、JR青森駅から徒歩5分程度ところにあるので、気軽に立ち寄ることが出来る。

 ピラミッド状の奇抜な建物であるこのアスパムは14階建て。
 1階部分は主に青森県の物産品の販売を行っている。2階部分が私のオススメで、一押しが青森県のPR映像を流す青い森ホールだ。有料であるが360度見渡せるパノラマ映画で青森県を楽しむことが出来る。ほかには子ども向けの疑似体験装置「エネルギー館キャプテンジーオ」やパネル展示などがある。
 3階はハローワーク、4〜9階は貸会議室、そして10階がみちのく料理が味わえる「西村」が入居。13階が展望台で青森市内はもちろん下北半島や津軽半島が見渡せる。そして14階にも食事が楽しめるDining「はなぁふ」がある。


青函連絡船の奇跡についてパネル展示がありました。これは特設展示のようです。

こちらは常設展示のもの。世界遺産にも指定された白神山地のブナ林ですね。
他にも青森県の紹介が多くされていました。ホタテは美味しそうですね。 
太宰治についても特設展示されていました。ビデオもなかなか面白かったですね。 
こちらが私の一押しの「青い森ホール」。360度のパノラマ映像が楽しめます。以下は、その映像の一部です。青森県のことがよくわかりますね〜!

アスパムの13階から見た景色。手前に見える船は、かつての青函連絡船の八甲田丸

 このアスパムであるが、青森県のことを全体的に早く知るには非常によい施設であると思う。
 愛知県にはこのような施設は、私の知る限り無い。他県から観光に来てもらおうというのであれば、このような施設は必要ではないか。

 かつて、1993年の信州博で長野県館で長野県のPR映画を見たが、本当に素晴らしかった。このアスパムの2階の青い森ホールの青森県のパノラマ映像は、そのときの映像に勝るとも劣らず素晴らしいものだと思う。


おさない食堂の店内

 さて、最後に青森で食べた美味しいものを紹介しよう。
 青森市内での滞在時間は行きも帰りも短く、さほど遠くにも出かけることがなかったが、美味しいものだけは食べたかった。
 JR青森駅前から東へ延びる商店街で食堂を探していたところ、チェーン店の居酒屋が多く並ぶ中、いかにも地元料理を食べさせてくれそうな店屋があった。雰囲気は大衆食堂。さらに良いことに、店屋の前のショーケースに、地元料理が並んでいる。会計ももちろん明朗。「ここだ!」ということですんなり決まった。

 店屋の名前は「おさない食堂」。
 入ってみると入口は狭いものの、奥行きが長い店屋だ。
 まず、青森といえばやはりホタテ。店屋の前に飾ってあったメニューで「貝焼き定食」というのが目に入る。ほかにも食べたいものはあったが、今回はホタテの入っているこの「貝焼き定食」を食べる。
 貝焼き定食は、ホタテを玉子でとじたもので上にウニがトッピングされている。味は思ったより薄味であったものの、最初の目的のホタテを食べることが出来た。これには満足!

 そして翌日の日曜日、性懲りもなく再び夕食に「おさない食堂」を訪れる。
 今度もホタテだ。ただし、昨日は煮たホタテだったので、日曜日は生ホタテだ。ホタテとほかの海産物の組み合わせはいくつがあったが、悩みに悩んだ末にウニホタテ定食を選んだ。ウニは、地元産ではなかもしれないが・・・。
 しかしながら、このウニホタテ定食も大当たりだった。本当に美味い!また、青森に来ることがあったら、この店で別のメニューを注文しようと思う。


土曜日に食べた貝焼き定食

日曜日ウニ食べたウニホタテ定食