足柄大橋開通25周年記念 金太郎マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Nさん宅で連泊 今回、日曜日にこの大会に参加する走友のNさんの東京のご自宅でお言葉に甘え2泊させていただいた。Nさんは1月から単身赴任で東京に住んでいる。東京というと、どうしても通勤地獄のイメージがあるが、彼の東京での住まいは京急蒲田駅近くのマンスリーマンション。交通の便でいえば至便な立地環境だ。ただし、走るとなると2kmほど離れた多摩川の方へ練習に行かれるとのこと。蒲田といえば羽田空港にも近く、遠征にも非常に便利なところだ。(ただし実際に使ったのは2月の別大マラソンで大分に行くときのみだそうだ) 2泊もしたので、Nさんにこの蒲田界隈をいろいろと案内していただいた。 蒲田といえば中小企業の工場が立ち並ぶことで有名な街。日本の技術力が中小企業の技術力によって支えられていることは有名な話であり、その代表地が蒲田である。 Nさんに聞くとこれらの工場群は、もう少し離れたところにあるとのこと。さすがに駅前には工場らしきものは見あたらなかったが、土曜日の夕方に入浴に出かけた蒲田温泉は、まさに下町の情緒豊かなところに立っていた。確かに地下から湧き出るどす黒い温泉湯もあるため蒲田温泉と称しているものの、雰囲気はまさしく銭湯。銭湯といえば、経営難で次々に閉鎖されていく昨今、この蒲田温泉は多くの入浴客で賑わっていた。恐らく入浴客の大半は、この銭湯の近くの蒲田商店街界隈の住民だろう。それにしても土曜日の夕方にもかかわらず、すごい賑わいであった。
第一京浜国道こと国道15号線と交差するもので、この第一京浜はあの箱根駅伝の1区と10区のコースにもなっている。箱根駅伝が開催される当日は、電車が選手を待ち踏切が閉まらないようにされているという。(関連するサイト(動画)を見ましたが、京急さんの涙ぐましい努力です) また、選手の一部では線路に脚をはさみケガをしたりする危険なポイントでもある。 しかし、箱根駅伝のような一年に1回のイベントから日常生活に視点を移すと、朝方は電車の往来で慢性的に踏切が閉まるという自動車にとっては交通の難所のようだ。この第一京浜国道を挟んで京急蒲田駅の反対側に用事のある人たちは、北東の夫婦橋付近の交差点でこの第一京浜国道を渡らなければならない。しかしながら、踏切が閉まっている間は、自動車が止まっているので、電車同様に道路を横断することが可能であるという。確かに第一京浜国道の脇には「横断禁止」とかなり大きな文字で書かれているが、踏切が閉じているときに限っていえば、少々目を瞑ってもいいかもしれない。これも生活の知恵。 現在、京急空港線も高架工事が進み近い将来この踏切も廃止され、選手たちもケガをすることがなくなるだろうが、住民は踏切がなくなり反対側に渡るのに苦労することになるであろう。 最後に、Nさん2泊もさせていただきありがとうございました。 大会当日
この日は、5時前に起床。Nさん宅を5時30分に出発する。さすがに東京。午前6時前にもかかわらず京急蒲田駅の横浜方面のホームには多くの乗客が待っている。 横浜駅構内のコンビニ食料を調達し、相模鉄道さらに海老名で小田急に乗り継いで、会場の最寄り駅である新松田駅に到着したのは、午前7時30分前であった。 新松田の手前の伊勢原、秦野では、明らかに丹沢山系への登山客(ハイキング)が多数下車していったが、この新松田駅でもわれわれランナーよりも、登山目的の乗客が多数下車してきた。一昨年は、自動車でやってきたので気がつかなかったが、この新松田駅を利用する客はどうもそういう登山客が多いようだ。 新松田駅から昨日の下見時と同様に、徒歩で会場に向かう。 会場に到着したのは午前8時前。昨日は見えなかった」富士山がくっきり見え、何となくいいことがありそうな予感もした。
コース変更 今回のこの大会の参加者は3,400人あまり。2年前に比べて600人ほど増えている。公道を走る箇所が少なく、大半が酒匂川のサイクリングロードを走るので、参加料が3,000円というのは少々高い気がしないでもないが、昨今のマラソンブームで選手の数は増える一方だ。 昨年まではグランドの中を全種目ともスタート場所としていたが、スタートして50m先を左折、さらにまたその先50mを左折するというコースレイアウトで、参加者が1種目で1,000人を超えるような状態で怪我人が出ないのが不思議なものだった。 しかしながら、主催者が私のHPを読んだせいかどうかは知らないが、今回からはスタート場所が公道に変更されている。スタート時のトラブルの軽減には間違いなくなるだろう。また、スタート位置を200mほどずらし、それにあわせて細かな距離調整をしたため、コースが少しばかり変更されている。 事前に入手した大会要項のコースマップと当日のプログラムに掲載されたコースと異なっていたので少々面喰らったが、よい方向に改善されていくので主催者には敬意を表したい。 なお、プログラムに掲載されていたマップは、非常に見にくかったので私の方で修正して掲載させてもらった。来年以降、参加される方は参考にしてください。また、コースの急な変更のためコースガイドは、お休みさせていただきます。 レース
昨年はエントリーしなかったものの、東日本大震災の影響でこの大会そのものが中止になっているので、事実上、連続出場のようなものかもしれない。 2年前に来たときも今回と同じく国盗り目的でやってきた。ただし今回は前回と違ってオーバーフィフティ。国盗りがしやすくなっただけに、今日は何がなんでも勝たなければならない。 9時45分に走友のNさんの出場する15km部門のスタートを見送った後、自分の準備をしてスタート位置に向かう。 Nさんの出場した15km部門のエントリーは約1,500人。私の出場する10km部門のエントリーも1,200人近いので片側1車線の道路では明らかに狭い。私のスタート位置といえば前から二列目。半分歩道に足がかかっているものの、10km部門だけで1,200人近いエントリーなので、贅沢は言えない。 10時05分、ピストルの音で一斉にスタートする。 今回も上手にスタートできたのでストレスはない。先頭集団は牽制するような形で走るので少々横に広がりペースも上がらない。歳をとってきたせいか、近年は高速化に対応できない自分にとってはちょうどいいペースだったのでこの先頭集団に乗っかりレースを進める。先頭集団は8人だ。 1kmの通過は3分25秒。衛生センター手前を右に曲がり少しばかり砂利道を走り、酒匂川のサイクリングロードに出る。2kmの通過が6分33秒。この1kmのタイムが3分9秒と選手間で噂されている距離の疑義が速くも露呈する。 この先頭集団の8人で走っていても、酒匂川サイクリングロードは狭く感じる。酒匂川サイクリングロードに入る前に、ある程度のポジションを確保しておかなければ、ここで追い抜いていくのは難しいと感じる。3kmの通過が10分29秒。この1kmが3分56秒と先ほどの2km地点の看板がますます怪しい。 このころから息づかいは荒くないものの、脚が少しずつ重く感じるようになってきた。高速で走る練習ができていないせいだろうか、最後までこのペースで押し切れる自信が薄かった。 十文字橋付近の4kmの通過が14分ちょうど。決して速いペースではないが、後半のことを考えペースをこの辺りから少し抑えることにした。そのため、徐々に先頭集団が前方に少しずつ離れていき出す。5kmの通過が17分38秒。このくらいのタイムで最後まで行けたら今日はOKかもしれない。
この足柄大橋の下をいったんくぐり、サイクリングロードから足柄大橋に係る側道を上り、足柄大橋に係る歩道を大井町方面(東行き)に走る。昨年までは橋の南側の歩道を東行きに走っていたが、今年からは橋の北側の歩道を東行きに走るコースに変更されている。これは、橋を越えた直後に、距離調整のために民家のある集落を走るためにこのように変更したと思われる。 ちょうど、この辺りから20分前にスタートした15km部門の選手が次々と現れ少しずつ抜いていく。スピードも違い、後方から抜いていくにもジグザグに走らなければならないので少々骨が折れる。集落で15部門の選手を少しずつ追い抜き足柄大橋の下をくぐると、15km部門の選手は直進、10km部門の選手は左折するポイントがあるが、ここから急激に選手の数が減る。先頭グループから離れてしまったので、再び単独道のような形となったが、足柄大橋の上で西進中に10km部門の選手(40歳代)に一人抜かれる。また、数はそれほど多くはないが15km部門の選手で既に折り返し地点で折り返しゴールを目指す選手もちらほらいる。 金太郎のモニュメントが2箇所ある足柄大橋を渡り終えて再び酒匂川のサイクリングロードに戻る。気温が上がってきたので、足柄大橋直下の給水所で水をもらい、飲んだり体にかけて体を冷やす。ちょうどいいタイミングで給水所があり助かる。
開成水辺スポーツ公園で野球やゲートボールをしている人たちを左手に見ながらゴールを目指す。後半は、距離表示の看板が出されていなかったが、このあたりで残り2kmくらいだろうか。15km部門の選手たちと一緒にゴールを目指す。 残り500mを切り、ゴールが近づいてくる。先頭集団からは離れてしまったが、恐らく50歳代の選手はいないだろう。何とか神奈川県の国盗りが達成できそうだと感じていた。 ゴール手前で若い選手に一人抜かれたものの、総合10位、年代別では逃げ切り優勝。3度目の挑戦で神奈川県の国盗りを達成することができた。また、東京で泊めていただいたNさんは15km部門で年代別第6位に入賞。二人ともハッピーに帰宅をしていったこの日でした。
本日の戦利品
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