第19回目白ロードレース 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 20年ぶりの東京都23区内のレース 4月から仕事の拠点は東京都内、生活の拠点は千葉県市川市に移すため3月に入り、順次、借りているマンションへ引越を始めた。引越の荷物は少なく、むしろ、細々としたものを現地調達するために、現地でのホームセンター通いは思った以上の回数になった。この辺りは想定内で、現地での滞在はある程度時間がかかるだろうと踏んでいたため、週末にあらかじめ関東方面のロードレース・マラソン大会の参加を予定していた。その第1弾が今回の「目白ロードレース」だ。 東京都における大会の参加は、今から25年以上前の平成2年11月に府中市で開催された「第13回府中多摩川マラソン」まで遡る。この大会は多摩川沿いを走るロードレースで、当時は箱根駅伝の常連校の学生が20kmに大挙参加し、学内の選手選考などに使っているようだった。 東京都23区内という限定になれば、平成8年1月の「’96東京シティハーフマラソン」まで遡る。こちらも今から20年前で、東京都庁を出発し大井競馬場がゴールとなるハーフマラソンの大会だ。今の東京マラソンの前身にあたる大会といっていいかもしれない。スタートから最初の5kmはやや下った感じのコースで好記録が狙えるコースとして参加したものの、前半のオーバーペースが響いて目標の1時間10分切りはならず、1時間12分を超えてしまった失敗の大会だったという記憶がある。当時の国内の一流選手を多く呼び、スタートラインにはよくぞこれだけ集めたというほどの蒼々たるメンバーが集っていた。そして今回。東京都23区内で走るのは20年ぶりとなる。 早朝、千葉県市川市のマンションを出発し、総武線、山手線を乗り継いで50分ほどでJR目白駅に到着。改札口付近にはそれらしきランナーもちらほら。そして目白駅前にはどこかの学校の学生たちだろうか、集合場所として学生が来るのを待っているようだった。また、駅前には横断幕や幟も立っており、想像以上に宣伝をしている感じが伝わってくる。 目白駅前に関係者が机を出していたので、会場までの道のりを尋ねたところ、ここから15分ほどという。学習院大学の隣の坂を下って歩いて行ったのであるが、もちろんここもコースだった。結構な下り坂であるので、逆に考えれば、必ずどこかで上って行くことになるのだろう。
15分ほど歩いて、会場の豊島区立千登世橋中学校に到着。私のイメージでは中学校というより、敷地規模からいったら小学校かと思うような狭さだった。都内では、これが標準的な広さであろうか。いずれにしても20年ぶりの東京都23区内の大会だけに少々ワクワクする。
ウエーブスタート 先ほどから何度も連呼しているが、この大会は東京都23区内で開催されるもの。決して交通事情が良い場所で行われるものではない。大会は「ロードレース」と謳ってはいるものの、学習院大学の構内の階段を登ったりする部分もあり、さながらクロスカントリーの様相を見せるところもある。それだけにコースの一部の幅が狭く、また一般は千登世橋中学校のグランドがスタート場所となるので、大人数の出発が難しい。そこで、主催者はスタート時間をこまめに分け、この問題を解決している。 特に厄介なのが、高校生以上が参加する5.2kmの種目だ。大会要項には、スタート時間が以下の表のように記されていたが、実際には同年代でも2ウエーブに分けてスタートをさせている(丸数字は項目コード)。大会を何とか運営していこうという主催者が捻りだした末の結論であったのであろうが、複数のウエーブスタートのためにゴールして順位の集計が終わるまで最終的な順位の確定が出来ないという不安がある。そのため、レースは見えないランナーを仮想しながら走るということが要求される。 結局私の場合は、11時08分スタート。そして2分後に同年代のランナーのもう一ウエーブのスタートがあるということになったのだった。
レース 2分ずつのウエーブスタートを横目に見ながら、グランドで最後のウインドスプリントをして本番に備える。11時06分に「40〜50歳未満 男子」の第2ウエーブがスタートし、いよいよスタートラインに並ぶ。 11時08分、ピストルの合図と共に千登世橋中学校の正門に向かって走り出す。序盤の正門手前では、コースが少し狭くなっており、さらに正門を出てすぐに右折するので、接触を避けることもあり、ややゆっくり目でスタートする。 正門を出て100mほどは公道を右側通行で走るが、すぐさま右折して学習院大学の構内に入っていく。最初は舗装路を緩く上っていくが、フェンスを越えたところから階段が始まる。階段は短いものの勾配のきつい登り坂がしばらく続くので、ここが最初の我慢のしどころとなる。
スタート直後には5人ほど前を走っていたランナーがいたが、この登り坂で3人ほど抜き返し、坂を登り切ったところでは前には同年代のランナーが2人となった。先月の西濃駅伝競走大会以来2週間ぶりのレース。個人レースとしては1月末の高浜シティマラソン以来、5週間ぶりのレースになるので、ややレース勘が鈍い感じがする。 登り切ったところからは平坦になり、ここで一息ついて学習院大学の正門から目白通りに出る。目白通りに入ってからは数分前にスタートした、他のウエーブの選手が前を走るので避けながら前の2人を追いかける。ナンバーカードも色分けしているので、後ろから見ても同年代かどうかが一目瞭然で非常にわかりやすい。 目白通りに入ってから、二人の選手との距離はやや縮まりかかった感じがした。JR目白駅横の交差点を左折して、あさ歩いてきた坂を下り出す。前の二人の選手の距離はどんどん縮まり、先頭を走る同年代の選手を2番手の選手と、3番手を走る私が次々と追い抜いた。ここで順位が一つ上がり、私は2番手。前を走る同年代の選手はあと一人。後方から様子を見ながらチャンスをうかがう。 学習院大学の構内に入っていく周回コースの2周目に入り、先ほどの階段と坂を駆け上っていく。2周目に入り要領を掴んだものの、1周目よりもややペースは落ちるような感じであった。ところが前を走る同年代の選手のペースの落ち方が激しく、この登り坂でついに同年代の先頭を走る選手を抜き去り、このウエーブでトップに躍り出た。しかしまだレースは半分当たりにさしかかったところ。後半をいかに走るかがポイントになってくる。
2周目の目白通りに入ると、ランナーが入り乱れて後方から抜いていくのも一苦労だった。とはいえ、少なくともこの第1ウエーブのトップは死守して、何とかゴール後の発表時点では上位に食い込みたいところだ。 2周目の目白通りを終えて、JR目白駅横の交差点を左折し山手線と平行に走る道路を下って行く。後続との距離が気になるが、まずは落ち着いてペースを守り3周目に備えることが大事であると言い聞かせて走る。相変わらずランナーが多く、片側一車線の道路では少々道幅が狭いと感じた。そして公道を左折し、3周目に入る。 オーバーペースにならないように走ってきたつもりではあったが、さすがに3周目の学習院大学の階段はきつかった。階段のすぐ右側には平行してスロープがあるので、そちらから前方を走るランナーを抜こうとも思ったが、こちらもコースが塞がれまた階段も同様に塞がれたため、後ろから「すみませ〜ん」といいながらコースを空けてもらう。大腿部がかなり疲れてきて、明らかに3周目は1周目、2周目の勢いがなくなっていた。事実上ここが最後の頑張りどころ。坂を登り切って目白通りに出てからは、少しずつ回復してきた。 JR目白駅の横の交差点で後方をチラリと見るが、同年代のランナーがすぐ後ろにいる様子はない。とりあえず離すのは成功したようだ。あとはこの下り坂を利用してペースを上げてゴールするだけだった。他のウエーブのランナーを避けながら20分03秒でゴール。あとは、順位確定を待つだけだ。
着替えをして30分ほどすると、ホワイトボードに結果が貼りだされていた。私の順位は、残念ながら第2位。第1位の選手とはもちろんウエーブが違うものの、タイム差は44秒もある。完敗といっていいだろう。表彰式では「終わってみないと順位がわからないですね」と、優勝した古田さん。 来月からは生活の拠点がこちらに移ってくるので、今日の面々とはあちこちで対戦をすることになるだろう。まだ、椎間板ヘルニアが完治せずに脚の痺れが残っているが、来年のこの大会では完治してリターンマッチでリベンジしたいと思った次第です。関東のランナーのみなさんお手柔らかにお願いいたします。 本日の戦利品
|