第31回おいらせ町いちょうマラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トラブル続きの土曜日 今回の遠征も夜行バスを利用しての現地入り。 大会当日、JR八戸駅から会場まで無料の送迎バスが出るというので、今回の拠点を八戸にすることにした。東京から八戸には、国際興業バスが運行する「シリウス号」と「しもきた号」という2種類の夜行バスが運行されている。「シリウス号」は、東京駅を出発した後、池袋を経由して八戸方面に向かう。一方の「しもきた号」は、4月にできたばかりのバスタ新宿を出発した後、大宮駅東口を経由して八戸方面へ向かう。 6月の首都圏からの金曜日出発の運賃はA運賃(9,600円)、八戸からの日曜日出発の運賃はB運賃(9,200円)のところ、国際興業バスのキャンペーンで1日1便1席に限り4,980円(ネット割引込)というものを実施している。遠征費を安く上げるためにも何とかこの一席を確保したいところで頑張ってみたところ、2ヶ月前の予約で往復ともこの1席をいずれも確保することが出来た(復路は、シリウス号のキャンペーン席が売切だったため、しもきた号で代替確保)。遠征にかかる経費のうち旅費の占める割合がどうしても多くなるので、これだけ安く行くことができたのは非常にありがたかった。
途中の高速のSAで運転手の交替(休憩?)のために時々停車しているのはわかったが、午前2時頃にどこかのSAで停車してから明らかに出発する雰囲気がなくなった。 私の席は「1B」というもの。3列シートの真ん中で最前列に位置している。運転手が何やら電話で会話をしているのが聞こえる。乗客が起きないようにと気を遣ってか、声が小さく会話が聞き取れない。ただ、雰囲気的には厄介なことが起きた感じで、バスはすぐにも動きそうもないようだった。「交通事故?」バスが自動車などと接触した雰囲気もないのでこれは違うだろう。一体全体どうしたことか・・・。こうなると、もう眠れなくなって事の真相を知りたくなってきたが、その時は意外と早くやって来た。 午前3時頃だろうか、バスには宮城県警の警察官が数人やって来た。そのうち一人の警察官が「車内の灯りをつけてもらっていいですか」と運転手に確認している。「ハイ」と運転手。灯りが付く前に先に運転手の方からマイクで説明があった。「お休み中失礼いたします。午前1時半頃、バスの車内で痴漢行為が発生したとお客様から通報がありました。バスは通常の停車場所でないSAにて停車しています。今から宮城県警の調査がありますので、ご協力お願いいたします。」と概略はこんな説明だった。 運転手が、何やら紙を持ってきて、乗客一人ずつに住所、氏名、生年月日、連絡先の電話番号を書かせている。もちろん私も書かされたが、その後、宮城県警の警察官が、この記録にもとづいて身分証明書の提示を求めてきた。この調子だと、一人ずつ取り調べていって、犯人がわかるまでバスは出発しないのだろうか。 夜中に走る夜行バスは、交通渋滞に遭うことも少なくほぼ定時運行をしている。目的地に到着した後の計画を立てやすいので、私は気に入って夜行バスをよく利用している。ただこの日に限って言えば、全く想像もしなかったことが発生し、迷惑この上ないことだった。 警察官がバスにやって来て30分ほど経過して後、宮城県警の警察官から説明があった。どうも、身元の確認をしただけで、これ以上の調査は行わないようだ。痴漢は現行犯でないと捕まえるのが難しいのだろうか、意外と早く事は決着した。 被害者の女の子は、どうも別ルートで目的地の方へ向かうようだ。トランクの中には荷物が残っているらしく、現地で荷物を取り出すとのことだった。
こうしてバスは再び動き出したが、とんでもない出来事のせいでJR八戸駅には1時間ほど遅れて到着した。運転手さんが休憩時間も惜しんでバスを走らせた関係で、ロスタイムが大幅に短縮し遅れは「たった1時間」だったと考えた方がいい。本来であれば大いに感謝すべきであるが、とはいえこの1時間の遅れで、予定していた列車に乗ることが出来ず、この日の午前中に蕪島にウミネコを見に行く計画はここで崩れてしまった。 予定を変更して午前中の次の計画である八戸港からのクルージングのために港に向かう。 八戸市内では、2つのクルージングを体験することができる。一つは、工場などが集まる八戸港からの出発する「シャーク号」によるもの、もう一つは、ウミネコの飛来地で有名な蕪島(かぶしま)近くの港から出発する「はやぶさ号」によるもの。この2つの港はかなり離れている。 当初計画していたのは、蕪島近くから出航する「はやぶさ号」に乗船するものであったが、その日の最初のクルージングが午前11時と遅く、午後からのコースの下見に影響が出てしまう。下見を優先するので、青い森鉄道の下田駅から出発する午後1時過ぎのバスに乗らねばならない。路線バスの本数が極めて少なく、ピンポイントでこのバスがあるので、外すわけにはいかない。 そこで、蕪島近くのクルージングを諦め、やむを得ず、工場が建ち並ぶ八戸港からの出港する「シャーク号」に乗船することにした。こちらはその日の最初の出港が午前10時と、はやぶさ号と比べると1時間ほど早い。乗船時間が1時間なので、午前11時には八戸港に戻ってくることになる。八戸港→(少々離れているが徒歩)→JR本八戸→(久慈線)→八戸→(青い森鉄道)→下田と移動しても何とか午後1時にはたどり着けるスケジュールだ。
ところが苦労して、八戸港まで行ったところ待合室には「本日 波が高い為 休航」と貼り紙が・・・。八戸港への公共交通機関でのアクセスはあまりよくないため、徒歩で苦労して来たにもかかわらずがっかりだった。大会前日とはいえ、何となくツキがない嫌な予感が漂っていた。 おいらせ町 おいらせ町とは、青森県の東部に位置する人口約24,000人の町。 平成18年3月1日、 上北郡下田町・百石町が合併し「おいらせ町」が発足している。この2町は当初、六戸町を含む3町で法定合併協議会を設けて協議し、新市名を「おいらせ市」に決めていたが、六戸町が財政計画案などに難色を示して合併協議から離脱し、市昇格を断念して2町合併による「おいらせ町」が誕生することとなったといういきさつがある。つまり「おいらせ町」となって、まだ10年ほどということになる。 名前の由来は、町内を東西に流れる奥入瀬川から取っている。なお、かの有名な奥入瀬渓流は、十和田湖畔の「子の口」から流れ出る奥入瀬川で「子の口」から「焼山」までの14kmの流れのことを現している。簡単に言えば、奥入瀬渓流は奥入瀬川の上流、おいらせ町は奥入瀬川の下流に位置するということになる。
大会名の一部となっている「いちょう」は、おいらせ町の「町の木」である。これは、樹齢1,100年以上といわれている「根岸の大いちょう」に由来する。幹の周囲が16m高さは32mもあり、乳不足の母親が乳がでるように祈れば、その願いが叶うとして信仰されている。また、慈覚大師がこの地を訪れた際に旅の疲れのために寝入ってしまい、その時身体を預けたいちょうの杖が根を生やし、現在の大いちょうになったという伝説も残されてる。また、この根岸の大いちょうは、青森県の指定天然記念物となっている。 また、大会会場となっているいちょう公園には、自由の女神像が立っている。 平成2年12月末に完成しているもの。おいらせ町(当時は百石町)がニューヨークと同緯度であることから、北緯40度40分の「4」の数字にこだわり、本家の4分の1の大きさで建立している。高さは本体11.5メートル、台座+階段9.3メートルで合わせて20.8メートル。自由の女神像は合併前の百石町(ももいし)にちなんで地元の人からは「ももちゃん」の愛称で親しまれている。制作費は竹下登内閣時代のふるさと創生資金によるもの。おいらせ町に自由の女神像があるのは不思議だったが、当時のふるさと創生資金で建てられたものであれば、何となくうなずける。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 当日 八戸駅前で前泊し、朝食後に八戸駅西口へ向かう。前日、夜行バスが到着したのは八戸駅東口、宿泊も八戸駅東口、八戸駅から八戸市街地などに向けて出発するバス乗場も八戸駅東口と玄関的な役割は八戸駅の東側にある。商業施設も八戸駅東側に集中している。 これに対して八戸駅西口は、新幹線の開業に合わせて整備したような感じであり、観光バスなどのプールもあることから、新幹線を利用した大量の観光客を奥入瀬渓谷などに輸送していくための拠点として整備されている感じがする。大会事務局から送迎バスの出発場所として指定されたのはこの西口。朝からバスが数台停まっているだけで、駅前とは言いつつも静かなものである。
案内看板も特になく少々バスを探したが、送迎バスはすでに到着していた。係の女の子の点呼を受けてバスに乗車する。あらかじめ申し込んでおいたので、名簿を作成し、人数を確認しているようだった。8時45分に出発する予定であったが、予約していた人が一人現れず、5分遅れでバスは出発した。西口と東口と間違えたのだろうか、それとも急遽出場できなくなりここに来られなくなったのであろうか、他人事ではあるが少々気になる。 八戸駅から開場までの所要時間は約30分。そこそこの距離があるものの、無料で送迎してもらえるのはありがたい。また、この時間を利用して、先ほどの係の女の子のうちの一人の子が、マイクを通しておいらせ町の説明をしてくれる。やや文章を棒読みの感はあったものの、沈黙の30分を続けるよりはずっと良い。おそらく、おいらせ町の役場の職員だろう。 八戸駅を出発して25分ほど過ぎると、昨日走ったり歩いたりした町並みが見えてきた。スタート地点をバスは通り過ぎ、何とメイン会場のど真ん中までバスはわれわれを送ってくれた。稀に見る好待遇だった。
到着したのは9時19分。受付は、プログラム通りであれば9時20分までなので、とりあえず急いで受付場所へ向かう。ここで遠来賞が当たっている旨の連絡を受ける。10mほど左手のテントに向かうように指示を受ける。今回の遠来賞は「おっぱいメロン」というものだそうだ。ややいかがわしいようなネーミングであるが、赤ん坊でも乳を吸うように安心して食べられるということからこのネーミングになったという。ほとんど予約分でなくなってしまい、市中に出回ることは稀というものらしい。10月中旬に送ってくるというので、それまでのお楽しみということのようだ。
レース 八戸駅から送迎バスで会場に到着したのが9時19分。受付が9時20分までなので、結構ギリギリ。今日出場する10kmのスタートは10時25分なので、1時間ほど時間がある。ナンバーカードをユニフォームに取り付けて、昨日下見を兼ねて試走したコースを今日も1kmほど往復する。昨日、下見と試走をしたばかりなので、イメージという観点ではバッチリ記憶に留まっている。 今日の10kmのエントリーは440人。私が推奨する500人に収まっているのでスタート時の混雑は少ないだろう。結構ギリギリにスタート場所に行くと、前の方がガラガラだ。よく見るとプラカードを持った人が立っていて、一番前は「10km 30〜35分」と書いてある。50歳を過ぎて35分台では走っているが、最近は故障もあってもっぱら38分ランナーだ。とはいえ、前方がガラガラなので、遠慮なく並ばせていただくことにする。先週の新潟県と違って、風が吹いていること、雲で太陽が見えないこともあって、立っているだけだと少々肌寒い。
10時25分、今日もピストルの合図でレースが始まった。最近はスタートダッシュが遅いので、あっという間に目の前に大量のランナーが視界を塞ぐ。スタート後、2回ほど左折を繰り返して、1kmほど経つと集団もばらけて落ち着いてきた。1kmの通過は3分32秒。このペースで最後まで通せば35分台になるが、今の実力では極めて厳しいと言わざるを得ない。この辺りは向かい風になることもなく、まずまずの感じで走れていたが、3km手前の鋭角に左折する地点を過ぎてからは恐ろしく向かい風になる。
折り返しで順番を数えたところ23番目。10mほどに同年代のランナー(ナンバーカードの「C」)が一人見えた。セーフティリードとは全くいえないくらいの距離だった。数人で折り返していくと、先ほど見た同年代の選手とは別に、すぐさま同年代の選手が抜いていく。先ほど後方確認した際には見えなかったので、おそらく私のすぐ後ろに付いていたのであろう。 折り返し地点を過ぎてすぐに、この同年代の選手に離され始めた。明らかにペースが違う。ゴールまでまだ5km以上残っているのでここは諦めてペースを守ることにする。 ところが、先ほど同年代の選手に抜かれてからさほど時間が経過していないにもかかわらず、また同年代の選手に抜かれてしまった。今度は先ほど、折り返し地点で後方に見えた選手のようだった。この選手も、折り返してから風向きが変わったため急にペースを上げたような感じだった。この選手についても先に行かせ、後ろから様子を見ることにした。 5kmの通過は18分59秒。10kmレースでは久しぶりの18分台の通過である。 5kmを過ぎて、再び、鋭角に曲がるところから再び向かい風となった。選手はばらけだしたので、風よけになる選手は全くいない。左右も畑ばかりで、遮るものが無いのがこのコースの特徴でもある。6kmを23分01秒で通過。この1kmが4分02秒。向かい風の影響もあり、ペースがガタッと落ちだした。 6km過ぎに右折をし、ようやく往路とは異なるコースに入り出した。10分後にスタートした5kmの選手も混じり出したので、コースは急に賑やかになってきた。風は相変わらず向かい風であったが、先ほど抜いていった同年代の選手が、徐々に近づいてきたので何とか追いつけないかと、ペースを上げることにする。 7kmの通過が26分57秒。この1kmは3分56秒で、先ほどよりも5秒ほど早くなっている。向かい風区間にもかかわらず無理をしてペースを上げたので、タイムにも如実に表れている。 7kmを過ぎ左折すると、洋光台という住宅地に入る。これまで畑ばかりを見て走ってきたので、住宅地を走るのが何となくしっくりこない。ここでもペースを上げ続け、何とか追いつかないかと頑張る。8km地点では追いつかなかったが、何とか9km地点で追いつくことができた。最初に抜かれた同年代の選手は遙か前に行ってしまったので、追いつくのは無理であるが、この選手を最後に振り切れば、順位は一つ上がることになる。 9kmを過ぎてからは下りに入るものの、下りきったところで右折、さらに50mほど先を再度右折して、いちょう公園の方に入っていく。 ちょうど、いちょう公園に入るところで、この選手のペースが上がった。やはり死んだふりをしていただけで余力は残っていたようだ。こちらとしては、追いつくのが精一杯で、ゴールまであと300〜400mあるところでペースを上げられると辛かった。せっかくここまで差を詰めてきたが、あっという間に差が付きだした。 ゴールタイムは38分50秒。今日はヘルニアの影響が少しばかり少なかった感じで、終始頑張ることができたのが収穫だった。順位は年代別で3位であるが、やはり年代別で優勝を狙おうとするならば、少なくとも36分程度で走らないと話にならない。中盤の粘りを出すには、やはり右脚の回復次第といったところだろうか。
蕪島 今回は八戸を拠点として活動をしたが、八戸といえばやはり「ウミネコ」ではないだろうか。 もちろん八戸市内ならどこでも見ることが出来るというものではないが、ウミネコの溜まり場というか集積地として有名なのが「蕪島(かぶしま)」である。 当初の予定では、大会前日の土曜日に訪れる予定であったが、前述のように夜行バスが遅れたこともあり、蕪島行きを断念せざるを得なくなった。とはいえ、ここまで来て、他に観光らしい観光もしないで帰るわけにも行かないので、何とか大会当日の午後に蕪島に行く計画を立てる。 八戸市内の温泉で汗を流した後JR八戸駅に戻り、15時13分発の久慈線久慈行きの列車に乗車し鮫に向かう。鮫という地名は珍しく、どんなところかこの「鮫」にも少々興味があった。
あらかじめ調べておいた地図を頼りに蕪島方面に向かう。交通量も少なく、歩いていてもストレスを感じない。しばらく歩くと、種差海岸遊覧バス「うみねこ号」のバス停にたどり着く。1時間に1本ほどのバスが出ているが、蕪島までは歩いても15分程度なので、バスを待つことなくそのまま歩いて行く。途中には、蕪島の案内標識や地元の小学生が描いた絵などが道路脇に画かれ、観光地をPRしている。この時間に蕪島の方に向かって歩道を歩いている人はいないが、今回の唯一の観光ということで蕪島が近づいてくるにつれてワクワクしてくる。
最初に検討していた、八戸港観光遊覧船・はやぶさ号の乗り場の前を通りがかったが、こちらも今日は波が高く休航していると貼り紙がしてあった。八戸には2箇所もクルージングが出来るところがあるので、機会があればまた、やって来たいと思いながらはやぶさ号の乗り場から蕪島に向かって歩き出す。 このはやぶさ号を始め、この辺りは漁船が多く係留され、その向こうに蕪島らしきものが見えてきた。道路にもウミネコが現れ始め、徐々に近づいて来る島が蕪島であることは間違いなかった。蕪島への観光客用の駐車場では、手に何か食べ物を持った人のまわりに無数のウミネコが近寄っている。遠目に見て餌を与えているというよりか、たまたま手に食べ物を持っていたのでウミネコが餌と勘違いして寄ってきているだけだった。あの数のウミネコから逃げようとするのであれば、さっさと手にしている食べ物を離すしか方法はあるまい。 この辺りのウミネコは観光客から餌をもらうのになれているせいか、人間が近寄っていっても全く逃げることはない。むしろ、餌をもらえないか待っているようにも見える。 それにしても蕪島のウミネコの数は何羽くらいいるのであろうか?ちょうど今は飛来して日本で滞在している時期のようであるが、3万羽とも4万羽ともいう数らしい。蕪島の山頂に向かう階段を登って、とりあえず山頂を目指していくが、本当にウミネコだらけだった。猫とはやはり鳴き声が違うものの「ニャアニャア」という鳴き声が四方八方から響き渡る。卵からかえってあまり間がない茶色の毛の雛もあちこちで見られた。おそらくこの雛たちは日本生まれだろう。 あまり長居をすると、そのうち糞をかけられるおそれもあるので、山頂をぐるりと一周したところで、階段を降りて昨年4月に出来たばかりの「八戸市蕪島休憩所」に向かう。 ウミネコはよく見ると可愛い顔をしているが、糞害にやられればその印象も大きく変わってしまう。何はともあれ糞害に会うこともなく、無事に下山できた。あの数で糞害にやられなかったというのは奇跡だったのであろうか。
平成27年4月にオープンしたばかりの蕪島休憩所は、新しくてきれいだった。可愛いウミネコから少し離れて、ウミネコや蕪島のことを知るにはちょうどいい建物かもしれない。 驚いたのは、この蕪島周辺も平成23年3月の東日本大震災の被害を受けていたことだ。蕪嶋神社は少し小高いところにあるので難を逃れたようであるが、周辺の施設は大きく被害を受けたことがパネルの写真からはっきりとわかる。鮫駅から歩いてきたところでは、震災の爪痕は感じなかった。建物や港湾施設などの復興は終わったように感じるが、震災の記憶だけは忘れ去られてはならないものだとあらためて感じた次第である。
番外編 蕪島から戻ってきて夕食を八戸駅ビル「うみねこプラザ」にある「烹鱗」でいただきました。きれいなお店でしたが場所が良いため、私が入ったタイミングではすぐに座れましたが、その後の方々は順番待ちです。 メニューを見たところ、どれも美味しそうに見えてあれこれ迷いましたが、せっかくここまで来たので「あおもり定食(1,980円税込み)」をお願いいたしました。あれこれ食べたい人にはオススメですね。もちろん美味しくいただいてきました。 本日の戦利品
|