第46回小鹿野ロードレース大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 起伏のあるコースの攻略
10月の中旬に開催されるハーフマラソンの大会を探したところ、「埼玉県」とこともあり千葉県市川市からもさほど遠くないだろうと思い、今回この大会にエントリーをした。 ここまでの考えはよかったのであるが、いざ調べてみると市川市からでも相当遠いと思っている秩父市から、さらにバスで45分ほどかかるのが小鹿野町(おがのまち)だった。単身赴任先の千葉県市川市の本八幡から乗り継ぎ、待ち合わせ時間を含めて約4時間かかることがわかった。おまけにコースは起伏があってきつそうだ。「ならば下見を・・・」と、8月の暑い時期ではあったが下見を兼ねて試走をした。 実際走ってみると5kmまでは登っているもののその勾配はまだ緩く、5kmを過ぎたあたりから勾配がきつくなる。10km手前で折り返し、そのまま戻って来るが、15km過ぎに峠がある。ここが最後の難所。その後、距離調整の折り返し地点がもう一箇所あるが、最後は緩く下りながらゴールに向かうというコース設定となっている。下見をしたこともあり、事前にレースの計画を建てることができたのは収穫だった。 前半から攻めていくのも一つの方法であるが、15km過ぎの峠が残っているので前半で脚を使いきるわけにいかない。今日は、前半やや自重気味、15km過ぎてから余裕があればペースアップしていこうというペース配分で走ることとした。
レース(前半) この日会場には午前8時過ぎに到着。スタート時間が午前9時30分なので、秩父市内で前泊してもそれほど時間に余裕があるわけではない。8月のコースの下見以来2ヶ月ぶりにやって来たが、2ヶ月前の静けさと違い今日は選手が多く集まり、町が賑わっている。コースをプラプラしながら軽く体をほぐしたり、ジョグをして準備をする。昨日、秩父にやって来たときには日没後で寒かったが、この日の朝もぐっと冷え込んだ。盆地的な気候のせいだろうか。 ハーフマラソンのエントリーは500人弱。マンモス大会が増えた中では少ない部類に入るのであろうが、とはいえ決して少ない人数でもないので、何とか前方のスタート場所を確保したい。 スタート前に招待選手の紹介があった。ハーフマラソンはSUBARUの選手が1人、大東文化大学から4人の選手が招待されている。大東文化大学は、埼玉県内に大学があるので、この大会としては地元の選手の招待ということになる。昨日の、箱根駅伝の予選会では、トップで予選を通過しているので、紹介後の一般の選手からの拍手も一段と大きかった。 町の広報による記念撮影が終わると最前列を占めていた数名が後方に行ってしまったので、棚ぼたで最前列を確保出来た。小鹿野町の職員でマラソン大会の参加者だろうか・・・。
9時30分。号砲と同時に隊列は動き出す。 招待選手の5人の選手があっという間に隊列から二段ロケットのように切り離されてどんどんと前へ進んでいく。そしてその後ろには20人ほどの選手がばらけて私の視界に入る。今年初めてのハーフマラソン。5km、10kmと比べると入りがゆったりとした感じだ。 原町交差点近くの1km地点を3分58秒で通過。先々週のことを思うと、疲労は抜けてまずまずの感じ。あとは最後までキチンと脚が動いてくれるかがポイントになりそうだ。 1kmを過ぎて道がやや細くなり、国道299号線に近づいたところで登りが急になる。交差点を左折し国道299号線に入ったところが2km地点。ここを7分59秒で通過。この1kmは4分ちょうど。 今日の目標は、コースがタフなため1時間30分を切ってくること、年代別で8位以内に入ることの2点。控えめに見えるかもしれないが、今シーズンの初ハーフ、また椎間板ヘルニアがキチンと治っておらず、右脚に一部痺れが残っていることなどを考慮すればこんな程度でもやむを得ないかなと思う。
国道299号線に出てからはペースを落としたわけではないが、後方からちょっとずつ抜かれてしまう。今日は自分のペースを優先するために無理な集団走はせずに、とにかく体感に頼ってペースを維持することに徹する。3kmを12分07秒(4分08秒/km)、4kmを16分14秒(4分07秒/km)、5kmを20分29秒(4分15秒)で通過。このあたりまではまずまずであったが、この後上り勾配が徐々に厳しくなる。ペースを落としたわけではないが、後方から抜かれる人数が増えていく。6km過ぎあたりであろうか、女子の先頭にもとうとう抜かれてしまう。最近、こういうことが増えてきているので、気にせずマイペースを貫くことにする。 5kmを過ぎてからは距離表示の看板が無くなり、何kmあたりを走っているかがわからなくなってしまった。事前に下見&試走をしたものの、2km以降は延々と国道299号線を走るので、目印らしき建築物がほとんど無く折り返しまでどのくらいあるのか把握出来なかった。 前方からパトカーが走って来る。そしてその後ろには選手が一人付いて走っている。実業団のSUBARUの選手だ。そしてその後ろには大東文化大学の選手がポツリポツリと現れる。約10kmは走ったのであろうが、招待選手同士の中でも大きく開きができていることがわかった。反対側を走る選手も増えてきたので、折り返し地点が近づいていることがわかる。 レース(後半) 折り返してくる選手の数をかぞえ、30人を過ぎた頃に折り返し地点が見えてきた。かぞえ間違いが無ければ、37番目でターン。また私と同年代のナンバ-カードが900番台、1000番台のランナーは既に9人が折り返し、私は10番目でターン。大会名がロードレースなので競技色が強く、走力のあるランナーが集まるだろうとは予想していたが、折り返し地点での順位は予想の範囲内だった。 折り返してしばらくすると10km地点が現れる。10km地点を42分57秒で通過。この5kmは22分28秒もかかっている。5km以降はほぼ登り一辺倒だったため、タイムの落ち込みは仕方がない。ここから下って行くのでペースを戻して行くのみだ。 そう思いながらもペースが上がらず、後方からも少しずつまだ抜かれていく。ヘルニアになってから、ギリギリ一杯の状態で走るのが難しくなり、スピードのコントロールの微調整が上手く出来なくなってしまった感がある。下って行く途中で、女子の2番目の選手にも抜かれてしまったことが、現在の力関係を如実に語っているような気がする。
国道299号線を右折して飯田橋を越えたところが15km地点。1時間03分17秒。この5kmは20分20秒。タイムは持ち直してきたが、ほぼ下り一辺倒の区間の割りにはペースが上がっていない。 そして15kmを過ぎてからは後半の最大の難所の峠を越えていく、距離的は2kmも3kmも続くわけではないが勾配はなかなかなものである。このあたりに来ると、前にも後ろにも選手がいなくなり、完全に単独走になっていた。 峠を越えてからは後は下り坂。気持ちを切り替えるが、体がなかなか付いていかない。最後の方の距離表示は「あと3km」、「あと2km」、「あと1km」とカウントダウン方式だった。あと1kmの通過タイムが1時間25分05秒。残り1kmを3分50秒程度で走れば何とか1時間28分台でゴールができる。ここでペースを上げて小鹿野町の商店街の間を駆け抜けていった。ゴールは1時間29分08秒と、残念ながら1時間28分台は出なかった。年代別の順位も11位。 今の実力としてはこんな程度かもしれないが、当初心配していた途中での大幅なペースダウンも無く、最後まで同じようなペースで走ることが出来たのは収穫だった。2週間後のハーフマラソンで上積みが出来ることを自ら期待したいと思う。
本日の戦利品
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