第18回さのマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
佐野ラーメンと佐野プレミアムアウトレット 今回の大会が開催された栃木県佐野市を少し紹介する。 佐野市は、栃木県の南西部に位置する人口約11万人の都市。栃木県全体が人口約190万人を抱えているが、人口の多い順でいけば、宇都宮市(約51万人)、小山市(約16万人)、栃木市(約15万人)、足利市(約14万人)、那須塩原市と佐野市がほぼ同数で約11万4,000人。現時点ではわずかに那須塩原市の方が多いので、人口規模でいえば、栃木県では6番目の多さとなる。
佐野といえば、東京駅からもアウトレットモール行きの直通バスが運行されているので、佐野プレミアム・アウトレットは関東では有名なところ。そのほか、ご当地ラーメンとして「佐野ラーメン」も有名になった。 佐野ラーメン会のサイトを見ると、昭和初期に人口約5万人の町にすでにラーメン屋が160軒もあったという。その後、昭和63年に佐野ラーメン会が発足。醤油ベースのラーメンを提供する店が多いようですが、店ごとに進化しているとのこと。佐野ラーメン会には現在67店舗が加盟しているとのこと。私も大会会場で出店している店舗で1食、また帰りの電車が来るまでに佐野駅そばのお店で1食、計2食いただいたが、いずれもあっさりした醤油ラーメンだったものの、美味しくいただけた。 また、佐野のゆるキャラの「さのまる」は2011年(平成23年)に登場している。 犬型のゆるキャラで、佐野の特産品をまとった侍という設定。笠は佐野ラーメンのお椀、前髪は佐野ラーメンの太麺の縮れ麺であり、剣は佐野名物のいもフライということだそうだ。今大会もその「さのまる」が来場。なかなか活発に活動していたので、選手たちからも一緒に写真を撮る光景が見られた。また、街のあちこちには「さのまる」があり、佐野を一生懸命にPRしていることがうかがえた。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 急遽シャトルバスが用意されました 今大会の開催は12月11日。ナンバーカードなどが事前に大会事務局から送られていたのが11月28日。同封の注意事項などを読んだ上で大会に臨むこととなるのが一般的あるが、昨今のコロナの感染拡大状況を鑑みると、突然中止になることも十分あり得るので、大会のサイトの方は出発する前には少なくとも確認をするようにしている。以前は、こういうツールがなかったので、中止になると大会事務局の職員が手分けをして電話をしてくるというのが常だった。 しかしながら今回は大会は中止になることもなく予定通り結構された。 ただし、少々驚いたのが、12月2日に大会事務局からシャトルバスの運行が決まったという連絡が、大会のサイトに掲載されている。私にとっては、ありがたい話で非常に結構なこと。シャトルバスがなければ、運行本数の少ない路線バスを利用して会場まで行く予定であったが、この措置のおかげで行き帰りも楽になったほか、路線バスの運賃も払う必要がなくなった。いいことずくめではあるものの、シャトルバスの運行を知らない人もいたようで、本来であればもう少し早く決めて、11月28日に送ってきた通知にでも同封すべきではなかったかなと思う。
栃木県やその近郊の方の交通手段としては自動車が一般的かもしれないが、最寄駅から会場まで徒歩で相当程度歩くようなことがあるのであれば、やはりシャトルバスが必要かなとも思う。また、必要ならば事前に希望調査をして運行ダイヤを決めるのもよいと思うので、次年度以降も是非とも運行の継続をお願いしたいと思った次第。
レース この日のスタートは9時35分。5kmにエントリーした総数が477人なので、陸上競技場のトラックから一斉スタートをするにはやや多い人数。大会事務局側からはあらかじめ@40歳未満の男子は9時30分スタート、A40歳以上の男子は9時35分スタート、B女子は9時40分スタートと、あらかじめ大会要項にうたってある。混乱は少なかったと思うが、少々遅くにスタート位置に行った私は前から5列目くらいに並ぶのが精一杯だった。さすがに5kmなので、10kmとは違い申告タイム順に並べるという計らいはない。
9時34分くらいからカウントダウンが始まる。前の組でもカウントダウンが終わらないうちにピストルが鳴ったので、今回はカウントダウンと関係なくピストルの音に耳を研ぎ澄ましていたところ、カウントダウンが終わる1秒ほど前にピストルが鳴った感じがした。 さすがに5列目くらいとなると、前の方の動きが悪い。もたもた感はあるし、隊列にブロックされたりで150mほどは位置取りに苦労する。あっという間に先頭グループとは相当離される。ここで焦ったせいかペースが早まり、これが後々影響することとなってしまった。 競技場を出て一般公道に入り、信号交差点を左折するところが1km地点。3分49秒で通過。最近になく速いペースだ。しかし、私の前にはざっと見ても50人以上は走っているではないか。さすがに5kmなので細かく作戦を立ててる間もなく速いペースでレースは展開していった。
しかしながら、このあたりから急激に苦しくなり、ペースを維持するのがやっとになってきた。 この後、コースは2回ほど右折を繰り返し向きを大きく変えることになる。前から落ちてくるランナーはおらず、後方から時々追い抜かれるようになってきた。 3kmを12分13秒で通過。この1kmが4分13秒なのでペース的にはあまり変わりがないが、呼吸の苦しさは相変わらずだった。 赤見中学校の裏手を抜けて再び旗川の横の道に戻ってきた。今度はこの道を南下し、再び陸上競技場へ戻っていく。このあたりから数百メートルのうちに、後方から年代に関係なくいろんな選手に抜かれていく。今日はナンバーカードの支給が一枚なので明確に確認できないが、見た感じ同年代の選手にも数人抜かれていった感じであった。 序盤のオーバーペースがたたり、このあたりでは自分のペースを守るので精一杯なってしまった。 4kmの通過が16分25秒。この1kmは4分12秒と大きな落ち込みはないが、ペースを上げる余裕もなかった。 往路の1km地点の交差点を右折し競技場へ向かうが、前を走る選手との距離はさらに開き、後方からは別の選手が追い上げてくる。陸上競技場の入口を右折し、緩い坂を登ると陸上競技場の第4コーナーのゲートが見えてきた。残りは約100m。さすがにここまで来て抜かれるわけにはいかない。後方の選手の年代は確認しなかったが、最後の100mはスパートをかけてゴールを通り抜ける。ゴールタイムは20分52秒だった。 ガーミンの距離測定は、1km〜4kmまでの1kmが0.97kmまたは0.98kmとやや短めの表示であったが、4km〜5kmは1.06kmと逆に長めの表示。そのため4km〜5kmは4分27秒と最後に頑張った割にはラップタイムは悪い結果となってしまった。 先週の川口マラソンが終わってから、腰の調子が今ひとつで先週は練習を休みがち。いい感じで仕上がることなく大会に臨んでしまったのは仕方がないところ。4位の選手とは30秒差であり、上手に走ればこのあたりまでは何とか絡めそうであると感じた次第である。
本日の戦利品
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