第42回菊花マラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
井戸田整形外科は卒業 「11月にどこかの大会に参加したい」とカミさん。昨年行った「おんたけ湖ハーフマラソン」も候補に挙げていたものの、長野県王滝村のサイトを見ると諸般の事情で本年は中止と・・・。11月上旬に紅葉が見られるので今年も行きたかったが泣く泣く諦める 8月の中旬にそういう話があったので、いろいろと調べるもののエントリーの〆切になったものが多数。辛うじてエントリーが出来たものが、「京都丹波ロードレース大会(京都府)」と「菊花マラソン(福井県)」の2レースだった。京都丹波ロードレース大会は、どう見ても前泊が必要で、消去法で「菊花マラソン」が残り、この菊花マラソンにエントリーをすることになった。 カミさんは私が車を運転するならどこでもよかったらしく、結果からいえば菊花マラソンは成功だったようだ。 カミさんは昨年のおんたけ湖ハーフマラソンで足を引きずってゴール。どうも調べたら半月板を損傷していることがわかった。それから1年掛けて名古屋駅前の井戸田整形外科に通い、家でコツコツとリハビリをしてきた。特段手術をしたわけでもないが、そのリハビリの成果が出たのか、今回はわずかに5kmの距離であるが痛みもなくゴール。本人も驚いていたし、非常に嬉しそうだった。井戸田整形外科でも、「もう来なくてもいいよ」と卒業の言葉をもらったようだ。 ちなみに井戸田整形外科のDrは井戸田仁先生。中日ドラゴンズや名古屋グランパスエイトのスポーツドクターなどもしているし、旧名古屋女子マラソンでは収容バスで待機をするなど、名古屋では名医で通っている先生。私も診察を何度も受けているが、整形外科に関してはこの先生に頼りっきり。カミさんも「井戸田先生でよかった」と大絶賛。 20年ぶりのエントリー 上記のような経緯で大会開催前の一月半ほど前に急遽エントリーを決めている。 かなり前にハーフマラソンでこの大会に出場した記憶はあるが、20年も前になるかと・・・。当時の記憶はかなり薄く、国道8号線を横断するためにハーフマラソンのコースが地下道をくぐるというユニークなコースであったということは記憶している。それ以外といえばあまり覚えていない。 前回は公共交通機関を利用して、前日に福井市内で一泊している。今回はカミさんを連れて出かけるので、日帰りで自動車で行くことを計画。福井県は名古屋からだと名神、北陸道経由で向かうことになる。途中、岐阜県滋賀県を挟んでの移動であるが、距離的には名古屋から静岡市へ行くのと変わらない。自動車であっても余裕の日帰り圏内だ。
早朝、出発するのに少々もたついたが、受付会場近くには午前8時少し前に到着。受付→荷物預け→ウォーミングアップと少々慌ただしかったがスタート時間には何とか間に合わせることが出来た。 この大会は20年前と変わらず、スタートとゴールが異なる場所となっている。そのためスタート地点の武生西小学校から、ゴールの武生第三中学校へ搬送してもらう必要がある。係の方に聞くと「8時30分までには出して欲しい」とのこと(実際にはもう少し遅かったようですが・・・)。 この日は気温も高めで、スタート時間まで走るための格好でも寒さに凍えることはなかったが、できればスタートとゴールが違う大会は避けたいが今回はやむを得なかった。
コース紹介(コースガイド) → 今回はお休みです。 レース ハーフマラソンが9時ちょうどにスタート。5分後の9時05分には3km部門が、さらにその5分後の9時10分が今回エントリーをした5km部門のスタートとなる。 3km部門がスタート場所に並んでいる頃、5km部門は武生西小学校の正門前でプラカードの前に並んでいる。人数もさほど多くなさそうだったので、前の方に並ばせてもらう。 3km部門のスタート後には、係員の誘導で小学校前の道路に移動する。まだまだ20分を切ってくるレベルに戻っていないので、実力とやや不釣り合いな整列位置であるが、今回も容赦してもらうことにする。 スターターの合図で一斉にスタート。道路の両側車線を使用して選手は県道190号線を東に向かう。しばらくするとJR武生駅の南側の商店街を抜ける。比較的道幅も広く走っていて気持ちがよいところだ。 商店街を抜けたところでJR北陸本線を超えるために、道路は右にカーブをしながら高さを稼ぎループとなってJR北陸本線を跨ぐようにして乗り越えていく。ループ状になっているおかげで、勾配もさほどきつくなく助かっている。
コース的には、跨線橋を除きフラットで走りやすいものの、スピードが出なく苦しい走りのままである。今回は5kmなので、そろそろ折り返しがあるだろうと思いながら走っていると、反対側からポツリポツリと選手が現れる。最初にすれ違った3人は、それぞれ単独走だったものの、4人目以下は集団で現れる。人数を数えていたが、私は48人目?で折り返し。同年代の選手も前に8人ほどいることがわかった。今日もあまり出来のよいレースをしている感じはない。 折り返してしばらくすると、堤防道路から日野川の河川敷を走るようにコースが変わっていく。ちょうどこのあたりでカミさんとすれ違う。脚を引きずる様子もなく元気そうだ。 帆山橋の下をくぐり、さらに万代橋の下をくぐると河川敷のコースから再び堤防道路のコースに戻る。この日も走りの出来は悪く、なかなか辛かったので早くゴールをしたい気分だった。 堤防道路にでるとすぐ先には武生第三中学校が見える。堤防道路を下って100mほどでゴールであることが堤防道路から見える。最後までペースが上がらず、22分06秒でゴール。最近の10kmの成績からして5kmは21分程度でゴールすることを目指していたが、プラス1分と大幅に目標を下回る結果となった。
いつもならここでレースは終わりであるが、今日はカミさんと一緒に参戦。ゴール後の給水で少し落ち着いてから、ゴール前の堤防道路にあがってカミさんが帰ってくるのを待つことにする。 似たような色のウエアを着た人が何人か帰ってくるので、カミさんと間違えそうになったが、カミさんは私がゴールしてから10分ほど遅れて堤防道路にやってきた。最初にすれ違った時と同じように、脚を引きづることもなくニコニコしながら走っている。苦しそうな顔をしないのがカミさんの特徴であるが、どうやら膝の心配もなく帰ってこられたようだった。無事これ名馬。 今回は1年ぶりのカミさんとの同時参戦であったが、まずは2人ともきちんとゴールできたことが収穫。このくらいの歳になると一年ごとが大切なので、順位を争うことも大切であるが、まずは故障なく走れることが大事であると思う。
菊人形まつり、今庄そば、関ヶ原めぐり せっかく武生(越前市)まで来たので、帰り道もいろいろと立ち寄ることにした。 まず手始めに、駐車場のすぐそばで「菊人形まつり」が開催されているのでとりあえず行ってみることにする。 菊といえば小学校の時、クラス全員に鉢植えの菊を一人一鉢ずつ渡され、菊の花の育生を行ったものの形の、結局いい大輪が出来ず、後々、菊の花のコンテストではいい成績が取れなかったという菊に関しては少々苦い思い出がある。 菊人形まつりというので、どのような菊があるかと思いきや、私が小学生の時に開催された鉢植えのコンテストもあれば、人間の人形に菊の花を着物に見立てた飾り付けなど、菊にまつわるものがあちこち見られた。むしろ私が驚いたのは、プランターにこんもりと小さな菊の花がぎっしり埋まったもの。溢れんばかりのボリューム感があって、こういう育て方もあるのだなと感心したところ。 菊人形まつりを観覧した後は、南下して今庄に向かう。 今庄は福井ではそば処で有名なところ。武生でも今庄のそばを食べられる店はあったが、そこは少々今庄に拘って、今庄の町内で食べることにする。 最初に調べた店屋は、行ってみたところお休み。予備の候補のお店に行ってみる。こちらは「ほっと今庄 おばあちゃんの店」という。お昼時と行くこともあり、お店の前には少々行列が出来ている。 おばあちゃんが丁寧に作るものの、とても時間がかかってなかなか料理が出てこないのでは?(笑)というイメージもあったが、実際に席に通してもらってから料理が出てくるまでの時間は標準的だった。 店内には「今庄産そば粉を使用しております」と張り紙もしてある。カミさんは「今庄セット」、私は「天ざるそば」を注文。そばは期待通り美味しかったが、思ったよりも量が少なく、大盛りにしておけばよかったと少々後悔 食後は、今庄宿を自動車から探索。 今庄宿は、北陸道の宿場町だったところ。京都から北陸への難所であり、参勤交代では越前での有数の宿場町として栄えていたという。2021年8月に、南越前町今庄宿伝統的建造物群保存地区の名称で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
今庄宿を簡単に観覧した後は、北陸道・今庄ICから南下。関ヶ原を目指す。 関ヶ原といえば、いうまでもなく「関ヶ原の戦い」で有名な町。関ヶ原の古戦場は、ベルギー王国の「ワーテルロー古戦場」及びアメリカ合衆国の「ゲティスバーグ古戦場」と並び世界三大古戦場ともいわれている。 ちょうど大河ドラマ「どうする家康」では、この関ヶ原の戦いの直前までストーリーは進んでいる。「ならば、せっかくなのでその戦いの場を予習として観に行こう」という私の提案で関ヶ原に行くことになった。高速道路では、名神・関ヶ原ICからすぐのところに関係する現場が存在する。 しかしどういうわけかこの日は、関ヶ原ICの料金所の前から渋滞が発生。料金所のゲートを通過できない。関ヶ原ICを出るとすぐに交差点があるということのほか、関ヶ原町内の道路が狭く、やはり観光客で渋滞が発生しているようだ。この時期の観光客といえば、「どうする家康」の影響としか考えられない。 合戦場や、石田三成の陣地跡など見どころは多数存在するが、まずは昔からある「関ケ原ウォーランド」に行ってみることにした。昔から関ケ原では看板は見かけるものの、行ったことがないところ。実際に行ってみると、施設はやや古ぼけた感じであったが、いわゆる私設博物館であった。 展示物は年表などよくあるものであったが、面白かったのは関ヶ原の合戦を模した実物大のパノラマ。もちろん想像で再現したものであろうが、東西両軍で15万人以上(諸説あり)が参戦。わずか6時間の戦いではあったものの、戦死者は両軍合わせて12,000人以上(諸説あり)を再現したものは面白かった(ただし、夜、そこにいると不気味かもしれません)。
そのほかの史跡には、あちこちに多くの観光客が見られた。関ケ原町も、大河ドラマに合わせて整備したことがうかがえる。なお、評判のよい関ケ原古戦場記念館は、17時閉館で間に合わず。別途来週に行くことに決定!
本日の戦利品
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