第20回記念 つなぎブロンズマラソン大会 参戦記
 熊本県の国盗りをかけての遠征です。

 「つなぎ」と「ブロンズ」という言葉に惹かれて参加することにしました。「つなぎ」は、上下の繋がった作業服?と思っていたのですが、この町の名前の「津奈木」。「ブロンズ」は、水俣病の暗いイメージからの脱却、また過疎化に歯止めをかけるため、昭和59年から町全体を美術館とする構想を提唱し、健康で文化的な地域形成のシンボルとして町内に彫刻を設置し、緑と彫刻のある町づくりに取り組み、町のあちこちに見られるブロンズ像に由来しています。

 大会は、町内のお祭りである「つなぎふれあい祭り」と併設され開催されます。お祭りの方は、津奈木町総合グランドを中心に賑やかに行われていますが、マラソン大会はスタート・ゴール共にグランドの外。お祭りの賑わいの割には、マラソン大会の参加者が少々少ないような気がしました。
 とはいえ、今年は開催してから20回目の記念大会。配布された大会要項には記載がありませんでしたが、今大会にはゲストランナーとしてセビリアの世界選手権マラソン銀メダリストの市橋有里さんを招待し、大会に華を添えました。

 さて、私の方ですが、初の1大会2種目のエントリー。スタート時間が違うことはもちろんのこと、熊本県まで遠征に来たこと、昨年の参加者のレベルから、2種目の優勝を狙って走ることにしました。1種目めの3kmを走り終えて2種目めの10kmまで20分弱。余裕を残して3kmを走ったつもりでしたが、いざ10kmを走り出すと思った以上に足どりが重く、「まずいなあ」と思って走っていましたが、中盤から先攻する選手がずるずるとペースダウンし、ややタナボタ的な勝利でした。
 とはいえ、1大会で2種目の優勝は初めて、表彰式では西川・津奈木町長さんから「加藤さんは2種目で優勝です」と紹介され、ちょっぴり照れくさいやら嬉しいやら複雑な気持ちでした。

 他にも、町内の素晴らしい景観やつなぎ温泉・四季彩に入浴したり、また前日は水俣病資料館にて水俣病の歴史をあらためて勉強し直したりと、今回の熊本県遠征は非常に収穫の大きいものでした。
 
 
●大会名 第20回記念 つなぎブロンズマラソン大会
●開催日 平成22年11月14日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
津奈木町総合運動公園発着(熊本県葦北郡津奈木町) →詳細地図

大会要項

プログラム

コースマップ

コースガイドはこちら
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 くもり、18℃くらい
●参加賞 タオル、スイートスプリング、アクエリアス(缶)、食事券(たいめしorとりめし)、ぶた汁券、入浴券(つなぎ温泉・四季彩)、アクエリアス(紙コップ/完走後)
●結 果 10分20秒( 3km) (総合第 6位、男子40歳以上 第1位)
36分53秒(10km) (総合第10位、男子40〜49歳 第1位)
●表 彰 賞状、メダル(各2セット)
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
  【11月12日(金)/1日目】
徒歩 自宅 19:15 自由ヶ丘駅 19:25
地下鉄 自由ヶ丘 19:29 本山 19:31 (名城線)
本山 19:33 名古屋 19:49 (東山線)
夜行バス 名鉄BC 20:20 熊本交通センター 7:21 (九州産交/不知火号)
(7:29
【11月13日(土)/2日目】
路線バス 熊本交通センター 7:28 熊本駅 7:36 (熊本電鉄)
JR 熊本 8:00 新八代 8:35 (鹿児島本線)
JR・
肥薩おれんじ鉄道
新八代 9:07 水俣 10:12
徒歩 水俣駅 10:12 ホテル 10:20 (荷物預け)
ジョギング ホテル 10:40 水俣病資料館 11:00
【水俣病資料館・水俣メモリアル 見学】
ジョギング&徒歩 水俣エコパーク 12:00 水俣駅 12:40 (昼食購入を含む。)
肥薩おれんじ鉄道 水俣 12:53 津奈木 13:02
徒歩 津奈木駅 13:02 会場 13:30
【コース下見&試走】
路線バス 津奈木役場前 15:34 水俣駅前 15:52 (産交バス)
徒歩 水俣駅前 15:52 ホテル 16:15
【ビジネスホテル サンライト 泊】
【11月14日(日)/3日目】
徒歩 ホテル 7:41 桜井町バス停 7:44
路線バス 桜井町 7:52 小津奈木 8:12 (産交バス)
(8:08
徒歩 小津奈木バス停 8:08 会場 8:25
【第20回記念つなぎブロンズマラソン大会/3km−10時00分、10km−10時30分スタート】
路線バス 津奈木役場前 13:35 つなぎ温泉 13:40 (産交バス)
【つなぎ温泉・四季彩 入浴】
徒歩 つなぎ温泉 15:30 津奈木駅 15:40
肥薩おれんじ鉄道 津奈木 15:57 八代 16:50
JR 八代 16:55 熊本 17:34 (熊本駅構内で夕食)
路線バス 熊本駅 18:09 熊本交通センター 18:18
夜行バス 熊本交通センター 20:20 名鉄BC 7:23 (名鉄バス/不知火号)
(7:29
【11月15日(月)/4日目】
地下鉄 名古屋 7:37 本山 7:53 (東山線)
本山 7:56 自由ヶ丘 7:58 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 7:58 自宅 8:10
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 6,000円 (3km−3,000円/10km−3,000円)
地下鉄 520円 (自由ヶ丘〜名古屋/往復)
夜行バス 20,700円 (名鉄BC〜熊本交通センター/往復)
路線バス 260円 (熊本交通センター〜熊本駅/往復)
JR 1,440円 (熊本〜八代)
肥薩おれんじ鉄道 1,220円 (八代〜水俣)
270円 (水俣〜津奈木)
1,100円 (津奈木〜八代)
路線バス 330円 (津奈木役場前〜水俣駅前)
270円 (桜井町〜小津奈木)
130円 (津奈木役場前〜つなぎ温泉)
宿泊 5,050円 (ビジネスホテルサンライト/1泊朝食付き)
入浴  0円 (つなぎ温泉・四季彩/無料入浴券)
モノレール 100円 (つなぎ温泉・露天風呂まで往復
入館料 0円 (水俣病資料館)
合 計 37,390円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者
【10km−10時30分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
一般男子29歳以下 21人 緒方 卓思 21 水俣市   34’21”
一般男子30歳代 32人 田尻 貴之 37 宇城市 オーデンAC 33’19”
一般男子40歳代 39人 加藤 一郎 48 愛知県 名古屋市役所走友会 36’53”
倉岡 秀幸 41 多良木町   37’26”
宮島 誠一 41 芦北町   37’41”
一般男子50歳代 38人 上原 晃弘 53 多良木町 森山産業 36’34”
一般男子60歳以上 29人 大野 兼晴 61 荒尾市 一人の狂走会 40’16”
一般女子 38人 岩田 久美 41 あさぎり町 ふなっぴ〜ず 40’02”
【5km−10時05分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
一般男子39歳以下 20人 磯田 章太 23 水俣市   17’09”
一般男子40歳代 10人 北野 健 42 熊本市   20’54”
一般男子50歳代 26人 本坊 佳満 55 鹿児島県 津貫走遊会 18’28”
一般男子60歳以上 33人 坂本 興次 65 熊本市   19’05”
一般女子39歳以下 10人 山下 千佳子 29 水俣市   23’43”
一般女子40歳以上 18人 小谷 イク 58 鹿児島県   22’08”
【3km−10時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所  所属 記録
小学生男子 61人 田尻 悠成 11 宇城市 不知火JRC 10’32”
小学生女子 73人 中村 世愛 11 熊本市 走るんじゃー 11’25”
中学生男子 28人 西 慶一郎 15 熊本市 熊本市立錦ヶ丘中学校 10’01”
中学生女子 10人 高木 結加 15 鹿児島県   10’25”
一般男子39歳以下 9人 津崎 格良 30 鹿児島県 去R下警備保障 9’51”
一般男子40歳以上 33人 加藤 一郎 48 愛知県 名古屋市役所走友会 10’20”
設楽 聡 43 水俣市   10’31”
田尻 歩 42 八代市 KRRC 10’51”
一般女子 24人 東 紀代子 26 人吉市 J−forest 12’24”
【3kmファミリー−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
ファミリー 30組 表彰なし
総合計 662人  

車を置いて・・・
 熊本県には、4月の鹿児島遠征の際の経由地として訪れて以来7ヶ月ぶりにやってきた。
 今回は九州遠征のためマイカーは自宅に置き、得意の夜行バスを利用した。今回の目的地は、熊本県でも鹿児島県境に近い葦北郡津奈木町というところ。津奈木町のすぐ南には公害で有名になった水俣市がある。熊本市から津奈木町へのアクセスは、熊本から八代まではJR鹿児島本線、八代から津奈木までは肥薩おれんじ鉄道と公共交通機関で行くことができる。

 もともと自動車か公共交通機関で行くことができる大会を選んで出かけてるのではあるが、経営で苦戦している地方の公共交通機関が無くなるとこの国盗りも黄信号になるだけに、いつもながら公共交通機関の存在には感謝している。

名古屋→熊本は、夜行バス「不知火号」。このバスは九州産交のバス(熊本交通センターにて)

JR熊本→八代はJR鹿児島本線で移動(JR熊本駅にて)

八代→津奈木は肥薩おれんじ鉄道にて(JR新八代駅にて)

乗車率は30%程度でしょうか。地元の新聞でも経営が苦しいと伝えています。

現地に行ってから、鉄道程度の運行本数があることがわかり、利用した産交バス(コース下見の帰り。津奈木役場前にて)

車内の乗客は私を入れて3人でした。

大会当日も宿泊先の水俣から会場そばまで産交バスを利用しました。(桜井町バス停にて)

熊本から名古屋への帰りも夜行バス「不知火号」(御在所SAにて)

九州新幹線。全通は平成23年3月12日
 熊本駅構内には九州新幹線開業までのカウントダウンパネルが設置されている。
 九州新幹線は、博多・鹿児島中央間256.8km。このうち、現在供用中なのが平成16年3月13日に先行開業した新八代・鹿児島中央間の126.8km。この区間については、平成17年8月の夏休み家族ツアーの行程の一部で鹿児島中央・新八代の全区間に乗車している。トンネルが多く、東海道新幹線のようには景色は見えなかった記憶がある。それよりも、この区間を走っている間に「昼食の駅弁を食べてくれ」とツアーガイドさんに言われ、かなり急いで食べた記憶がある。とにかく1時間も乗っていないのである。
 現在も同じであろうが、新八代駅の新幹線ホームのすぐ向かいには、博多方面へ接続する「リレーつばめ号」が待機している。便宜を図ったものであろうが、やはり乗り換えは煩わしい。これも来年の3月11日で見納めとなるだろう。

JR熊本駅構内に設置されている九州新幹線全線開業までのカウントダウンパネル
 さて、来年の3月12日まであと4ヶ月ほど。九州新幹線の全線開業を、熊本県のみなさんは大きな期待を寄せているだろう。
 またこの開業とともに、一部列車は新大阪から鹿児島まで直通で運転されるという。新大阪・鹿児島中央間は3時間45分、新大阪・熊本は2時間59分間の所要時間となるようだ。
 鹿児島空港、熊本空港ともにそれぞれ市内の中心地から大きく離れたところにある。それぞれの区間で、新たに飛行機と新幹線の乗客の奪い合いが発生することが十分に予想される。どちらが便利か、開業したら一度試してみたいとも思う。

肥薩おれんじ鉄道
 九州新幹線新八代・鹿児島中央間の開業に伴い、JR九州から経営移管された元の鹿児島本線八代 - 川内間の運営を行っているのが「肥薩おれんじ鉄道」だ。熊本県、鹿児島県、JR貨物のほか沿線の市町村も株主となって運営している典型的な第3セクター路線である。
 はっきり言えば、JR九州に採算が合わないと見捨てられた路線(区間)を、学生、高齢者など自動車という足の使えない弱者のために自治体がシブシブ引き継いだような感じだ。
 これまでにも肥薩おれんじ鉄道と同様、新幹線が開業したために、並行する在来線が第3セクターとなって引き継がれたというものが、青い森鉄道(東北新幹線八戸延伸部に並行する東北本線のうち青森県内の目時・八戸間25.9kmm を転換)、IGRいわて銀河鉄道(東北新幹線八戸延伸部に並行する東北本線のうち岩手県内の盛岡・目時 82.0km を転換)、しなの鉄道(長野新幹線に並行する信越本線の軽井沢 - 篠ノ井 65.1km を転換)である。いずれも経営状況は芳しくない。

 今回の遠征で3度ほどこの”肥薩おれんじ鉄道”を利用したが、車両はすべて1両編成のディーゼルワンマンカー。大半の駅は無人駅で、その無人駅には自動券売機すら置いていない。路線バスを利用する場合、乗車時に整理券を取って下車時に精算するワンマンシステムが、この肥薩おれんじ鉄道でもとられている。合理化が徹底している。

 今回、この肥薩おれんじ鉄道の八代・水俣間を利用したが、シーサイドを走るロケーションは素晴らしい。しかしながら得てしてロケーションのいいところを走る鉄道路線は、皮肉にも経営が苦しいところが多い。乗る側とすれば、素晴らしい景色を空いた車内から眺められるのはありがたいが、経営者側からは冷や汗ものだろう。

 新幹線が開業し遠距離移動の利便性は高まる反面、地元の足としての機動力が低下することは地元住民にとっては死活問題。自動車などの運転が出来ない学生、高齢者に配慮した交通機関の整備はやはり必要ではないだろうかと考えさせられた。

これが肥薩おれんじ鉄道の車両。一部列車はJR線へも乗り入れをしている。(JR新八代駅にて)

まさにシーサイド。右に見えるのは八代湾

干潟も見えますね。

佐敷〜水俣では、第3セクターの原因となった九州新幹線と何度か交差。

ファミリーマートの広告をした列車もありました(水俣駅にて)

津奈木から八代まで乗った列車。前日の土曜日の昼間よりは乗客は多かったものの、座席が埋まるにはほど遠い状況。

こちらはJR水俣駅に到着した列車

大正15年に開業している水俣駅。かつては特急列車も停車していたが現在はひっそりしている。

水俣病
 今回大会会場となる津奈木町のすぐ南に隣接するのが水俣市。今から50年ほど前に水俣病で大揺れになった街である。水俣市は、目立った観光地ではない。恐らくこれからわざわざ訪れることもないかもしれないので、コースの試走・下見の空いた時間を利用して水俣病資料館を訪れてみた。

 まずは水俣病についておさらいしよう。
 水俣病とは、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)に由来するメチル水銀を排水とし、1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)にほぼ未処理のまま多量に廃棄したことにより、魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が発生したという有機水銀中毒のこと。

 水俣病の主な症状としては、四肢末端優位の感覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、聴力障害、平衡機能障害、言語障害、手足の震え等がある。患者には重症例から軽症例まで多様な形態が見られ、症状が重いときは、狂騒状態から意識不明をきたしたり、さらには死亡したりする場合もある。比較的軽い場合には、頭痛、疲労感、味覚・嗅覚の異常、耳鳴りなどが起こるという。軽症者は、その症状が水俣病に起因するものかどうか判断が難しいため、水俣病の認定を受けにくいという問題点がある。

 また昭和39年には新潟県阿賀野川流域でも同様の患者の発生が確認され、こちらは新潟水俣病と呼ばれる。こちらは、阿賀野川上流の昭和電工鹿瀬工場が廃棄した同じくメチル水銀によるものとされている。

 そもそも何のためにアセトアルデヒドを生産していたのか?
 アセトアルデヒドは、酢酸や酢酸ビニルなどの中間製品として生産されていた。酢酸はアセテート繊維、酢酸ビニルはビニルと合成され、昭和20〜30年代は繊維原料として生産され、繊維工業の発展に寄与していたようだ。当時は、繊維産業は花形産業だったので、このアセトアルデヒドの生産は企業にも大きな利益をもたらしていたことは容易に推測できる。
これがチッソ叶俣工場の正門。肥薩おれんじ鉄道・水俣駅の目と鼻の先にある。水俣市はもともとこのチッソ叶俣工場の城下町として発展したきた経緯がある。それだけに水俣病の原因がこのチッソ叶俣工場の排水によるものとわかった時から、この街に原告と被告が同居するという異常な状態が始まった。

先般、ノーベル化学賞を受賞した鈴木先生、根岸先生の技術がこのチッソ鰍フ液晶の技術に活かされているとPRしていました。

チッソ叶俣工場横の小さな川。もしかしたらこの小さな川に、当時メチル水銀の排水が流されていたかもしれません。この日はカモが2匹気持ちよさそうに泳いでいました。

こちらが水俣市立「水俣病資料館」

 今回訪れた水俣病資料館であるが、水俣駅から西へ2kmほど行ったところにある。バスなどもあるが本数が少ないので、ホテルに荷物をあずけ、ゆっくりジョギングして行くことにした。

 水俣病資料館は、エコパーク水俣のほぼ一番西に位置する。エコパーク水俣とは、水俣湾に流れ込んだメチル水銀のヘドロを浚渫し、その場所を埋め立てた広大な公園のこと。58ヘクタールの広大な敷地を持つ。スポーツ施設の他に、バラ園や竹林園などがある。私が、訪れたのは土曜日の午前中であったが、野球やゲートボールをしている人がちらほらいたが、賑わっている感じはない。昨年4月に「道の駅 みなまた」がオープンしているが、こちらの方はそこそこの客で賑わっていた。

 さて、話を戻そう。
 私が水俣病資料館に到着したのは、午前11時頃。見学は無料であるが、ノートに記名をしてくれと頼まれた。驚くことに、今日この施設を訪れたのは私が一人目。いまだに訴訟は継続中であるものの、世の中の関心は薄くなってきているのであろうか。それとも、わざわざここに来てまで水俣病について勉強しようとする人がいなくなってきているのであろうか。

 ノートに記名し、受付のすぐそばで15分ほどの短い映画を見るように促された。観客はもちろん私一人。しかしながらこの映画がよかった。

 水俣病が発生するまでのことだけでなく、水俣がチッソと一緒に大きくなってきたことも一緒に描かれている。水俣はチッソによって育てられ、またチッソによって苦しめられてきたことが上手に描かれているのだ。ちなみに水俣の市制施行は昭和24年。昭和35年頃の最盛期には、人口が約48,000人いたものの水俣病が発覚したこの時期から人口が減り続け、現在は約27,000人にまで減っている。
 水俣の人々の苦しみ。しかしながらいつまでも苦しんでいるだけでは仕方がない。「負(ふ)の遺産」を「冨(ふ)の遺産」に変えていこうという取り組みによって水俣を再生していこうという発想は素晴らしいと感じたものの、世間の評価はあまり芳しくないのが気になった。
 しかしながら、この映画は一度くらいは見るべきだ。広島や長崎の人たちが原爆によって苦しめられたのと同じように、水俣の人たちは水俣病で苦しんできたのだ。二度とこのようなことが起きないようにあって欲しいと願うばかりだ。

津奈木町とは
 今回、大会のネーミングの「つなぎ」と「ブロンズ」に惹かれて訪れた津奈木町。人口5,300人ほどの小さな町だ。
 津奈木町のサイトで町の紹介を「熊本県南部に位置し、東南北の三方は山に囲まれ、海岸線近くまで迫る山々には、温暖な気候を利用して甘夏みかんやデコポンの果樹園が広がっています。西は不知火海に面しており、海岸線を利用してタイやフグ、ヒラメの養殖が盛んに行われています。」と表している。農業、漁業を産業の中心としたどこにでもありがちな町の感じがするが、実際に行ってみるとなかなかユニークだった。

 水俣市の北側に隣接するこの津奈木町も、水俣市と同様、過去に水俣病患者を多く出している。町全体が暗く沈んでいたことは容易に想像できる。この街に彫刻が多いというのは、同じく町のサイトに次のように記されている。
 水俣病の暗いイメージからの脱却あるいは過疎化に歯止めをかけるため、昭和59年から町全体を美術館とする構想を提唱し、健康で文化的な地域形成のシンボルとして町内に彫刻を設置し、緑と彫刻のある町づくりに取り組んでいます。現在、本町には彫刻が15体・絵画250点余を所蔵しています。また、平成13年につなぎ美術館が開館し、各種の企画展と町内に点在する彫刻達との調和で散策ルートが完成し、多くの観光客を招いています。
 過疎化に歯止めがかかっているとは思えないが、この取り組みは町外の私には素晴らしい取り組みだと思う。
 私の個人的な印象であるが、水俣市は「エコ」を理念として市の再生を図ろうとしているが、街の中の雰囲気としてはやや沈滞している。反面、津奈木町はつなぎ温泉を中心に周辺から観光客を取り込んで街作りをしていこうという感じが見られた。今回、時間の関係もあって、この街の”ウリ”である彫刻については、全部を見ることが出来なかったが、なかなかユニークな温泉もありまた訪れてみたいと感じた街でもある。

「千代」
 江戸時代後期、町に実存した孝行娘「千代」は、幼くして父母と別れ、祖父母を助けて田畑を守った。その孝行ぶりが肥後藩主の耳に入り、年に米10俵を褒美として賜ったという逸話がある。作品は馬を招き寄せる千代の姿が彫られている。(津奈木駅前にて)

「那有」
 都会的で、若い女性の躍動美を表現した作品。東京の八王子駅ビルと上越市高田公園にも設置されており、自然と調和のとれたこの作品は、伸び伸びとして優雅で、都会とはまた違う雰囲気を感じることができます。(津奈木町役場前にて)

「はぐれっ子」
 街中ではぐれた子供の寂しそうな様子が伝わってくる作品です。
四季の移ろいにあわせて、様々な表情を見せてくれます。津奈木町役場では、岩野勇三氏の制作した「若い女」「那有」「はぐれっこ」の3作品を見ることができます。
(津奈木町役場前にて)

「薫風」
 両手を大きく広げ、包み込むようなその姿は、万物の包容を表現しており、均整のとれた肉体美からは男性の力強さがあふれています。
夕日を背にした「薫風」は、ギリシャ神話のアポロンの神のようで、津奈木大橋から町を見下ろし、静かに見守っているようでもあります。(津奈木大橋にて)

「風ん子」
 タンポポの花の種が風にのって飛んでゆく様を象徴しており、今まさに町の子供たちが元気よく飛び立とうとしているところを表現した作品です。
橋の上に設置された「爽風」「薫風」「風ん子」は、風をテーマに制作され、父・母・子供たちの平和で理想的な家庭を表しています。

「爽風」
 海から吹き寄せてくる風が自然界に多くの恵みを与えてくれるように、「爽風」が町に吹き、発展していくように…と願いが込められています。
当時、橋の上の彫刻として話題を呼び、新聞・テレビ等で取り上げられ、町の顔として広く紹介されました。彫刻の立つあけぼの橋は、建設省の「第一回手づくり郷土賞」を受賞しています。

「まつり」
 男の子がお面を片手に、祭りではしゃぐ姿は、躍動感があり、今にも動きだしそうな錯覚をおぼえます。つなぎ温泉「四季彩」の受付から浴場棟へとつづくトンネル内に設置されています。

「シャツブラウス」
 女性がシャツブラウスを身にまとい、祈るように胸で手を組んでいる姿は、こまやかな女性の美しさとやさしさを表現しています。県指定重要文化財「重盤岩眼鏡橋」横のめがね橋公園内に設置されています。

「時のカプスール」
 以前、町の中心であった役場跡地には、つなぎ物産ギャラリー「グリーンゲイト」が建ち、その敷地内にこの作品が設置されています。カプセルの中に凝縮された町の過去から現在の姿をそのステンレス製の表面に映し出し、「ときの翔」と「時のカプスール」の2体の抽象彫刻は、過去の歴史と未来への飛躍を表現しています。

これは何でしょうか?つなぎ物産ギャラリーのすぐそばにありました。いわゆるオブジェでしょうけど・・・。

つなぎ温泉・四季彩の上には、岩肌が露出した山がある。これは津奈木町のシンボル重磐岩(ちょうはんがん)というらしい。この岩山の頂上には舞鶴城公園があるが、かつて津奈木城があったところを整備したもの。

町の花の「ツワブキ」。役場周辺のあちこちに植えられていました。

これがつなぎ温泉・四季彩の目印。すぐ横を走る国道3号線脇にそびえ立っています。

外装を改装中のようです。駐車場から温泉へは、川を越えなければなりません。

ぐるっと廻り橋を渡るか、ここを通っていくかのどちらか。荷物が多いときはちょっと辛いですね。

温泉の受付。入浴料は大人500円。自販機で入浴チケットを購入しますが、この日は、大会の参加賞の入浴券があるので無料で入浴できました。

受付から右手へ通路を歩いていくと・・・

あら珍しい、幻想的なトンネルがあり、緩やかに坂を登り・・・

少しうねった通路を歩いていくと・・・

ようやく更衣室に到着。男性用の暖簾は「薫風」が描かれていました。もちろん天然温泉です。多くの人で賑わっていました。

こちらは山の上の露天風呂往きのモノレール。山の上の露天風呂は入浴は無料ですが、このモノレールの往復利用料100円のみ必要。

かなりの急斜面を登っていきます。

下から見るとこんな感じです。

登ったところには3畳ほどの更衣室が男女それぞれあります。中央の電話は、出たときにモノレールを上に呼ぶためのもの。

これがその露天風呂。洗い場も無ければシャンプーも石鹸も無し。本当に浴槽が一つあるのみ。しかしモノレール代100円だけなら安いもの。しかし入浴客はあまりいなく穴場。

ここからの眺めはなかなか素晴らしいものでした。

眼下に見えるのは津奈木川。遠くに九州新幹線が見えます。

 これは重磐岩(ちょうはんがん)眼鏡橋。津奈木町のサイトによると、この橋は町の中央にそびえる奇岩『重盤岩』(ちょうはんがん)にちなんでこの名前がつけらという。熊本県指定文化財
 この橋の設計者の岩永三平は岩永三五郎とともに薩摩藩に招かれて、甲突川の西田橋や武之橋など数多くの名橋を手がける。しかし、橋が完成すると秘密保持のために石工を永送り(暗殺)するという噂が流れ、三五郎は、いろいろな口実で石工たちを藩外に逃れさせた。岩永三平は、途中で追っ手に襲われ瀕死の重傷を負ったが、津奈木の人々によって手厚く看護され、その恩返しに自分が持っている技術を人々のために生かそうと、この眼鏡橋を架けたと伝えられてる。だからこの町にこんな立派な橋があちこちにあるんですね。
 
造られたのが1849年(嘉永2年)。今から160年ほども前になる。

なかなか趣はあるが、実際に歩いてみると急峻で今の橋に比べれば歩きにくかった。

コース紹介(コースガイド) →
こちらを参照して下さい。

初の2本立て
 今回の遠征では、3km(10時スタート)と10km(10時30分スタート)にエントリーした。
 一大会で二種目のエントリーは、4月の「えびの京町温泉マラソン大会」以来2回目。ただし、えびの京町温泉マラソン大会は、例の口蹄疫の問題で開催直前になり開催が中止になってしまったので、実走は今回が初めてのこととなる。

受付は津奈木町役場の隣にある「農業就業改善センター」という施設。

部門別に受付が行われていました。黄色ジャンパーがスタッフですね。

中央はゲストランナーの市橋有里さん。セビリア世界選手権マラソンの銀メダリストです。雰囲気はモデルといった感じ。気軽にサインに応じていました。

 まずは10時からの3km。
 2種目めのことを考え、序盤はゆっくり必要最低限の走りをするつもりでいた。ところが、スタートするやいなや、同じ年代でポーンと走っていく人がいるではないか。「これはまずい!」と思い、その選手に慌てて付いていくことにする。その選手の頑張りも1kmくらいまで。追い付き、直ぐさま追い抜きました。その後は少しリードをしたまま余裕を持ってゴールへ。総合6位、40才以上男子では1位。まず1勝。

 そして10時30分からは2種目めの10kmに出場。先ほどのゴールからわずか20分弱でのスタートとなる。これは見込み通り。
 先ほどの3kmがウォーミングアップになったかと思いきや、むしろ先ほどのスタートダッシュが効いたみたいで走り出してみると足が思ったより重い。スタートしてから1kmくらいまでに、8人ほどの先頭集団が出来るものの、自分はこの中に入れきれず、この少し後方にいる。足が動かないので、徐々にこの集団から離されていく。しかしながら、1kmの通過ペース(私は3分20秒)からして、あの集団が最後まで続くとは思えない。スタート時に確認した同年代の選手も前にいる。


ゴールする選手。係員さんは、ゴールする選手ひとりずつにゴールテープを張っていました。いい気分ですね。
 しかし私の見込み通り3km位で細かなアップダウンが始まりだした頃から集団がバラけだし、同年代の選手が遅れ出している。これなら後半逆転するチャンスがあるかもしれない。
 足どりは重いまま我慢して走っていると、こちらの期待通りに同年代の選手の背中がだんだん近づいてくる。そして4.8kmあたりの折り返し地点でとうとう追い付く。半分までに追いつくことが出来れば、後半は期待が出来る。「よし!いけるぞ!」
 その選手はしばらくはついてきたものの、5km地点を越えてからは徐々に離れていったみたいだ。こちらはマイペースを貫く。若年層の選手に少し抜かれたものの、同年代の選手との位置関係は変わらずそのままゴール。総合10位、40才代男子では1位。2種目の優勝で熊本県の国盗りを飾ることができた。

 また表彰式では、西川・津奈木町長さんから「2種目の優勝者」と紹介された。3kmは10分20秒、10kmは36分53秒とタイム的にはたいしたことはないが、ちょっと照れ臭いような鼻が高いような複雑な気持ちだった。
走った後に参加賞の一つの弁当を貰いに行きました。
弁当は2種類。とりめし(左)とたいめし(右)。2種目エントリーして引換券が2枚あったのでそれぞれいただきました。

こちらではぶた汁。こちらも引換券が必要です。

同じく2枚で2杯いただきました。味もなかなか。

青空の下、選手たちは早速食事をしています。

こちらは「つなぎふれあい祭り」のお客さんたちの食事風景。

大会前日の土曜日からグランドで「つなぎふれあい祭り」が開催されていました。普段は静かな町もこの日はとても賑わっていました。

このステージで表彰式や抽選会が行われました。

抽選会で当たりを待つ人々。小中学生が圧倒的に多かったですね。

本日の戦利品

副賞はありませんでしたが、初めて一つの大会で2つの種目に優勝することが出来ました。