2011奥州えさし国際交流マラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Willer Busと岩手県交通 デフレ社会となって久しい日本。多くのものが安く手にはいるようになった。 10年前では考えられなかった路線バスの世界にも、最近では新規参入の会社が増えている。その一つが今回名古屋−仙台間の往路を利用したWiller EXpressだ。 鉄道は、新たに膨大な設備投資がかかるので、今後の新規参入は少ないであろうが、路線の改廃が容易で鉄道、航空機などに比べれば初期投資の少ないバス事業は、交通事業の中では穴場の存在だったかもしれない。
しかしながら、都市間同士を結ぶ高速バスの人気は高まる一方だ。長時間の移動にはなるが、鉄道や航空機に比べて運賃が安いこと、乗り替えの手間がないことが大きな要因だ。 東京駅の八重洲口に行けばよくわかるが、20時過ぎから地方都市への夜行バスがひっきりなしに出ている。特に大阪方面へは、その本数も凄まじい。調べたところJR系のバスだけでも関東地区から関西地区への夜行バスは21本にものぼる。そのほとんどが満席。青春エコドリームのような少々窮屈な4列シートなら、東京駅〜大阪駅が最安値で3,430円。お金のない若者を中心に人気が出るのも当然だろう。 今回、名古屋から仙台まで往路に利用したWiller Busもそういう意味で言えば高速バスの新規参入者の一つだ。扱いは”路線バス”ではなく「高速ツアーバス (募集型企画旅行。つまり募集型企画旅行として、都市間を結ぶ高速バス)」ということで”旅行扱い”となっているが、実態としては路線バスと何ら変わりがない。むしろ旅行なので、人数が集まらなければ中止となるので、乗客が一人でも走らせる路線バスよりもリスクは小さい。運賃を低価格にして客を集める戦略であろう。 しかしながら名古屋・仙台間をを走るこのWiller Busであるが、一つだけ欠点がある。それはトイレのないこと。名古屋から仙台まで東名高速、首都高速、東北道を経由しているが、夜中にトイレ休憩で牧之原SA(静岡県)、海老名SA(神奈川県)、那須高原(栃木県)の3箇所に停車する。私の席は前から3列目。そのたびに後方から歩いてくる乗客の足音で目が覚める。これだけは少々辛かった。それ以外は路線バスと遜色がない。 トイレがないという意味では、江刺から仙台まで移動に利用した岩手県交通のバスも車内にトイレがなかった。大会後に気分よくビールをどうしても飲みたくなる。となれば、必然的にトイレが近くなる。高速バスの車内にトイレがあれば心おきなく飲むことができるが、そうでなければ少々遠慮がちになってしまう。。飲兵衛からすれば、飲めば飲むほど突然トイレに行きたくなる。こちらは待ったなし。2時間以上走る高速バスには、必ずトイレ付きバス走らせてもらうように、飲兵衛から各バス会社にはぜひとも要望したい(私だけ?)。
復興はまだまだ始まったばかり 中部地方以外に遠征に出かけたときには、必ずその地方の新聞を購入する。私も行政マンの端くれ。その地方の行政活動や、その地方の暮らしには非常に興味がある。 今回の遠征先は岩手県ではあるが、夜行バスの到着先の仙台では「河北新報」、宿泊した岩手県では「岩手日報」を購入した。ちなみに河北新報は、仙台市に本社を持つ河北新報社が発行する日刊新聞。東北地方のブロック紙。発行部数は約46万部。岩手日報は、盛岡市に本社を持つ岩手日報社が発行する日刊新聞。こちらの発行部数は23万部。岩手県ではシェア1位の新聞紙。(ちなみにわが家の愛読している中日新聞は、発行部数は約270万部。中日新聞東京本社が発行する東京新聞などと合わせると約335万部で、読売、朝日、毎日に続き全国第4位の発行部数) 3月11日の東日本大震災からしばらくは、日本中の新聞が東日本大震災にかかる記事で埋まっていたものの、東海地方ではこのところ日に日にその報道が減っている。同じ日本人として東北地方を支援していくという意味では引き続き東北地方についての状況などについて知るべきではあるものの、この地方はこの地方で重要な課題もたくさんある。東日本大震災にかかる情報や話題が少なくなっていくのはやむを得ないかもしれない。 しかしながら、河北新報や岩手日報をみると当たり前かもしれないが、東日本大震災にかかる記事がいまだに新聞紙面の多くをさいている。10月8日(土)に岩手県の避難所がようやくすべて閉鎖になったものの、宮城県や福島県ではまだ多くの人が家に帰れずに避難所に残っている。 私が今回訪れたところでは、たまたまかもしれないが東北の人は普通のような顔で生活しているものの、行く先行く先で「がんばろう東北!」という文字を見ると、見えないところで困っている人たちがたくさんいると感じる。平泉の世界遺産登録など明るい話題を糧に、切れそうな気持ちを繋ぎながら生活しているのだろう。来月は来月で宮城県へ遠征に出かけるが、個人的にも何か継続して支援できないか考えていこうとも思う。
一関市を散歩 仙台から遠征先の奥州市まで、当初はバスで移動する予定であったが、本数が少なく、JR東北本線で移動した方が早く到着することがわかったので、往きはJRで移動することにした。 途中、JR一ノ関駅で乗り継ぎに一時間近く時間があることがわかったので、一昨年「第28回一関国際ハーフマラソン大会」に出場するために訪れたこの一関の街を散策した。 今年の一関国際ハーフマラソン(第30回)は震災の影響で開催時期が9月から10月に変更。今年は10月16日のとなっている。 一関市は都会のような賑やかさはないが、落ち着いた静かな街という印象は変わらなかった。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 奥州市 優勝は逃すものの年代別3位はタナボタ 4度目の国盗りチャレンジとなる岩手県。 この日の岩手県地方は寒くなるという天気予報であったが、思ったほど気温は下がらず、スタート時の気温は17度。 前日の下見でスタート〜5kmは概ね平坦。5km〜折り返しは緩いアップダウンの繰り返しということがわかったので、今日の作戦は前半は抑え、後半重視でペースアップすることにした。 午前10時ちょうどにハーフマラソンの選手がスタートする。スタートからは6人ほど勢いよく飛び出し、自分は若干その後ろに位置し7番目。出だしは順調 この大会は選手に与えられているナンバーカードは1枚のみ。背中にはナンバーカードがないので、先行するランナーの年代を後方から確認する術がない。雰囲気で類推する方法もあるがよく外れる。(人は見かけによらないということか?) 最初の1kmの通過タイムは3分31秒。ちょっと予定よりペースが速いので、少しばかりペースを落とす。この後、5km地点通過までに数人に抜かれるが気にせず走る。久しぶりのハーフマラソン。難しいコースとはいえ一体何分ぐらいでまとめることができるのであろうか。 左右に田んぼが広がる5km地点の通過は18分32秒。 今日の目標タイムは体調やコースのアップダウンを考え1時間20分程度。昨年の同年代の選手の優勝タイム(1時間23分37秒)からみれば十分に優勝を狙えるタイム設定。5km地点を通過するまで併走していた選手が1人、現在少し前を走るが後半ペースアップして抜き返したいところだ。 そして5kmを過ぎていよいよこのコースの真骨頂、アップダウンが始まる。 ピッチを小刻みに腕を早く振り、坂を登る。体調はまずまずのようであるが、前を走るランナーとの差は縮まらない。むしろやや広がり気味かもしれない。自分を信じて最後まで走るだけ。順位はその結果。運がよければ優勝出来るし、相手が強ければそれまで。まずは自分自身がベストを尽くさなければならない。今のところ前には先ほどまで併走していた同年代の選手が少なくとも一人はいる。この選手だけならいいのであるが…。 3〜5%程度の緩やかなアップダウンが繰り返される。この部分の試走はしなかったが、やはりこのコースの大きなポイント。ここを上手に走れば上位に食い込めるのであろうが、相変わらず前との差は詰まらない。10km地点でもまだ上りが続く。 アップダウンの繰り返しでややヘロヘロになったところで10.5kmの折り返し地点にやってきた。このコースの折り返しはここ1ヵ所。ここで順位を確認しなければ、ゴールするまでわからない。 走りながら右手で指折り順位を数える。私は総合で12位。驚くことに同年代の選手が前に4人もいるのではないか。つまり年代別では現時点では第5位。優勝は極めて厳しい状況であることは間違いないが、もう少しばかり順位が上がらないものかと思いながら走る。 後半はここまで走ってきた道をそのまま巻き戻すように走る。前半に比べれば下り基調となるので、少々楽になる。 このコースは田園風景が多いが、ところどころで沿道の集落から人が出てきて応援してくれる。 またこの大会は給水所が多く非常に助かる。 真夏の大会でもないのに、ほぼ2kmごとにある。それもスポーツドリンク、水、スポンジと国際マラソン並の充実ぶりだ。これは本当にありがたかった。こういう行き届いたサポートがあるので、もっともっと参加者が増えてもいいと思う。 さてアップダウンが終わりつつある15kmも過ぎ、順位変動もなくこのまま終わるのかなと思い出した頃、前方にヨタヨタしている選手を発見した。折り返しを総合3位で走っていた選手だ。同年代の選手でもちろん同年代ではトップを走っていた選手。すれ違ったときに膝の辺りにかなりテーピングをしていた選手。故障が治りきっていないのであろう。この選手を抜き去り、これで順位が一つ上がり年代別4位へ。 さらに残り2kmくらいから歩いたり走ったりしている選手を一人発見。序盤、併走していた同年代の選手だ。こちらも故障が再発したのだろう。沿道で仲間と思われる選手から「こんなところで無理してもしょうがないぞ。止めとけ」と。申し訳ないがこちらも抜かせてもらう。これで年代別第3位へアップ。 最後は後続の選手らに抜かれないようにペースアップする。 ゴールの奥州市江刺支所には1時間20分50秒でゴール。一応目標タイム程度にはかえってきた。タイム的は満足出来るものではないが、コースの高低差や自分の体調からして、今日はまずまずだったかもしれない。 岩手県の国盗りは残念ながら今回も達成できず。今回で4回目の岩手県遠征であるが、3位、2位、3位、3位と岩手県は高いハードルになっている。 しかしながら岩手県はどの大会のコースも日本の源風景が残る素晴らしいコースなので、国盗りはできなかったものの、また岩手県にやってくる理由が出来たのは嬉しくもあり悲しくあり複雑な心境だった。 本日の戦利品
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