第62回公認祐徳鹿島ロードレース大会 参戦記
 13ヶ月ぶりの佐賀県の遠征です。
 佐賀県は私から見ると大会数が少なく、また人口の割にはレベルが高い選手が多いので、佐賀県の国盗りには手こずるだろうと思っていました。そのため今回は万全の体調で臨むべく前泊し、コースについても前日試走をしてチェック。勝てる保証はないものの、やれることだけはやって翌日に臨みました。

 大会当日も晴れたものの、スタート時間が近づくにつれ風がだんだん強くなっていきます。コースはほぼ平坦なものの、なるべくなら風のない方が私にとっては好都合です。

 終わってみれば、年代別2位の選手とのタイム差はわずかに9秒でしたが、何とか難攻不落と思われた佐賀県の国盗りをクリアしました。

 国盗りの残りは3府県。このまますんなりと終わるとは思いませんが、とりあえずゴールがやや近づいてきたような気がします。二週間後は京都府、三週間後は徳島県。この2府県がクリアできれば、最後は沖縄県です。長かった国盗りを何とか今年度中に終わらせたいと思っています。

●大会名 第62回公認祐徳鹿島ロードレース大会
●開催日 平成25年2月24日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
鹿島市林業体育館前発着(詳細地図)(佐賀県鹿島市)

大会要項

プログラム

コースマップ
コースガイドはこちら
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、9℃
●参加賞 キャップ(帽子)、カットバン、豚汁、おしるこ、おにぎり、スポーツドリンク(完走後)
●結 果 35分46秒(総合第97位、10km :男子50~59歳  第1位
●表 彰 賞状2枚、盾2枚
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【2月22日(金)/1日目】
徒歩 自宅 18:45 自由ヶ丘駅 18:53
地下鉄 自由ヶ丘 18:54 本山 18:56 (名城線)
地下鉄 本山 18:57 名古屋 19:13 (東山線)
夜行バス 名鉄BC 19:40 長崎駅前南口 7:04 (グラバー号)
7:08
【2月23日(土)/2日目】
   【朝食/長崎市内散策/昼食】
JR 長崎 12:32 肥前鹿島 14:27 (長崎本線)
【ホテルに荷物預け】
路線バス 鹿島バスセンター 14:48 祐徳神社 14:59 (祐徳バス)
【祐徳稲荷参拝/コース下見・試走】
路線バス 古枝小学校前 16:32 鹿島バスセンター 16:42 (祐徳バス)
【スカイタワーホテル/泊】
【2月24日(日)/3日目】
路線バス 鹿島バスセンター 9:02 祐徳神社 9:12 (祐徳バス)
徒歩 祐徳神社バス停 9:12 会場 9:15
【第62回公認鹿島祐徳ロードレース大会 10km 11:00スタート】
徒歩 会場 13:19 祐徳神社バス停 13:22
路線バス 祐徳神社 13:30 執行分 13:35 (祐徳バス)
【ひぜん祐徳温泉 宝乃湯/入浴・昼食】
路線バス 執行分 16:45 鹿島バスセンター 16:50 (祐徳バス)
【夕食】
JR 肥前鹿島 18:03 西諫早 19:44 (長崎本線)
19:42 )
徒歩 西諫早駅 19:44 諫早インター 20:03
夜行バス 諫早インター 20:19 名鉄BC 7:04 (グラバー号)
7:14
【2月25日(月)/4日目】
地下鉄 名古屋 7:17 本山 7:32
地下鉄 本山 7:42 自由ヶ丘 7:44
徒歩 自由ヶ丘駅 7:44 自宅 7:57
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
 
参加料 3,000円  
夜行バス 12,230円 (名鉄BC~長崎駅前南口)
12,030円 (諫早インター~名鉄BC)
宿泊代 4,800円 (スカイタワーホテル/1泊朝食付き/楽天ポイント200使用)
JR 1,430円 (長崎~肥前鹿島)
910円 (肥前鹿島~西諫早)
路線バス 300円 (鹿島バスセンター~祐徳神社)
300円 (古枝小学校前~鹿島バスセンター)
300円 (鹿島バスセンター~祐徳神社)
270円 (祐徳神社~執行分
160円 (執行分~鹿島バスセンター)
見学料 300円 (大浦天主堂)
600円 (グラバー園)
入浴料 0円 ひぜん祐徳温泉 宝乃湯/ホテルで無料券をもらう)
地下鉄 520円 (自由ヶ丘~名古屋/往復)
合 計 37,150円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者(10km一般男子(50~59歳)は3位まで)
【ハーフマラソン-12時15分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
一般男子(18~39歳) 222名 キラグ・ジュグナ 28 佐賀県 ひらまつ病院 1゜04’00”
一般男子(40~49歳) 129名 元近 啓之 43 大分県 中津市陸協 1゜13’47”
一般男子(50~59歳) 105名 福田 充 50 福岡県 大濠ランナーズ 1゜19’37”
一般男子(60歳以上) 41名 古賀 隆則 60 長崎県 佐世保重工 1゜23’50”
一般女子(18歳以上) 42名 渡辺 眞由美 21 埼玉県 大東文化大学 1゜14’51”
【10km-11時00分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
一般男子(18~39歳) 119名 片川 準二 21 埼玉県 大東文化大学 29’23”
一般男子(40~49歳) 68名 山口 俊成 43 伊万里市   34’19”
★一般男子(50~59歳) 48名 加藤 一郎 50 愛知県 名古屋市役所走友会 35’46”
江口 達也 50 佐賀市 水曜トライアル 35’55”
坂井 一夫 56 福岡県 さかい整形外科医院 36’51”
一般男子(60歳以上) 42名 林 範一 61 福岡県   40’46”
一般女子(高校生以上) 61名 福内 櫻子 19 埼玉県 大東文化大学 33’28”
高校生男子 77名 菅原 優樹 18 大分県 大分東明高校 30’41”
【3km-中学生10時00分スタート/小学生10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
中学生男子 207名 山本 航大 14 長崎県 長与第二中学校 9’09”
中学生女子 108名 天本 雛緒 13 鳥栖市 鳥栖西中学校 10’08”
小学生男子(4年以上) 89名 吉田 怜矢 12 長崎県 長崎南部AC 10’22”
小学生女子(4年以上) 45名 谷川 実咲 11 伊万里市 IJAC(伊万里ジュニアアスリートクラブ) 11’17”
【2kmジョギング-12時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢  住所 所属 記録
小学生以上 304名 表彰なし
総合計 1,707人  

往復夜行バス

往路の乗車率が67%、復路が50%強と乗車率が芳しくなかった名古屋・長崎便。廃止にならないかとヒヤヒヤ。
 昨年1月の嬉野温泉ロードレース大会以来、13ヶ月ぶりの佐賀入り。
 昨年は大阪から佐世保行きの夜行バスに乗り、途中の武雄温泉で下車。さらにバスを乗り継ぎ嬉野市まで行った。名古屋から佐世保行きの夜行バスが平成23年10月末日に廃止となり、佐世保方面への夜行バスの移動は大阪からのみとなり、少々不便となった。

 今回の会場の佐賀県鹿島市は、嬉野市よりもさらに南方に位置する。行き方をいろいろと考えたもののなかなか妙案が浮かばず、最終的に名古屋から出ている長崎行きの夜行バスでいくことに決めた。これも土曜日出発となると強行軍であるが、金曜日出発で前泊するとなると時間に余裕が出来る。
 今回、佐賀県の国盗りが達成できれば、九州島内の7県の国盗りが完了。別大マラソンを除けば、九州にそうそうやってくることもなくなるかもしれないので、それならば長崎市内の観光もしておこうかということで長崎行きの夜行バスを利用することにした。

 行きは長崎自動車の運行で座席数27名に対して18名の乗車、帰りは共同運行の名鉄バスでこちらは27名の座席数に対して15名の乗車と満席にはほど遠い状況。あまり乗車率が芳しくないと、名古屋-長崎の夜行バスも廃止になるかもしれない。夜行バスユーザーの私としては、ちょっぴり気がかりだ。

長崎市内散策
 今回長崎経由で佐賀入りをしたのであるが、コースの下見等の時間を大会前日の午後としたこともあり、夜行バスが長崎に到着する午前7時過ぎから、JR長崎駅を列車が出発する12時30分過ぎまでの5時間ほど長崎に滞在する時間が出来たので、この時間を利用して駆け足で長崎市内の観光をすることにした。出かける前にあまり長崎市内の観光について調べたり検討する余裕が無かったので、今回は金曜日に本屋で「るるぶ」を購入し、バスの中で読みながら観光の目的地を決めることにした。

 長崎市内にやってくるのは、高校生の時に一人旅でやってきて以来33年(もしかしたら34年?)ぶりだった。当時のことはあまり記憶は無いが、JR長崎駅はとてもきれいになっていたというのが今回の第一印象だ。
 長崎は鎖国時代に外国から文化が多く入ってきたこともあり、当時の歴史的価値のある建築物が多い。また、同様に西洋伝来の食べ物も多く、観光するには一日では全く時間が足りない。
 また、広島市と並んで原爆投下を受けた都市でもあり、その関係の施設もいくつかある。

 このあまりにもたくさんある観光施設から、4時間程度の時間を使って観光をするというのは苦渋の選択だった。せっかく市内に市電が走っていることもあるので、市電を使って楽しめるところにしようと考え、大浦天主堂、グラバー園を観光することに決めた。いわゆる「南山手付近」だ。
 また時間があれば、その隣の「東山手」のオランダ坂などをプラプラ散策しようとも考えたが、結局時間が無く、大浦天主堂と、グラバー園のみの観光となった。

JR長崎駅。駅前の歩道橋は覚えているが、現在の駅舎は4代目で2000年に改装されたもの。

長崎駅は終着駅。改札口の上には大浦天主堂、出島などが描かれたステンドグラスが備わっている。

長崎市は市電の街。正式には「長崎電気軌道鉄道(株)」という私企業。

現在は5路線、4系統で計11.5kmで運行している。
電車のカラーも車両もマチマチが面白い。

中には箱根登山鉄道、熊本市電、仙台市電、東京都電、西鉄北九州線で活躍した車両もある。

市内のあちこちで一日乗車券を販売している。大人500円なので5回乗れば元が取れます。

大浦天主堂
  パリ外国宣教会フューレ神父は、1863年1月に来日。南山手の外国人居留地に隣接した現在地を入手。 次いで8月初旬に来日した同宣教会プチジャン神父の協力を得て、天主堂建立に着手。翌年12月に竣工し、1865年2月に祝別式を挙行。『日本二十六聖殉教者天主堂』と命名。 日本では地名をつけて呼ぶ習慣があり、ここを通称『大浦天主堂』と呼んでいる。

 祝別式から一ヶ月後の3月17日、当時「フランス寺」と呼ばれていた天主堂に珍しい西洋風の建物を一目見ようと、見物人が大勢来ていたが、その客にまぎれて、浦上の隠れキリシタンたちがやって来た。聖堂内で祈るプチジャン神父に近づき、「ワタシノムネ、アナタトオナジ」、つまり、私たちもあなたと同じ信仰をもっています、とささやいて信仰告白した後、「サンタ・マリアの御像はどこ?」と尋ねた。プチジャン神父は大喜びで彼らをマリア像の前に導いた。
 こうして、プチジャン神父によってキリスト信者が発見され、その後、五島、外海、神の島など長崎県の各地からうわさを聞きつけたキリシタンたちが名乗りをあげにやってきたと言われて。

  なお、名称の由来となった日本26聖人とは、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕縛され1597年2月に長崎西坂の丘で処刑された26人が、1862年6月、ピオ9世教皇により聖人の尊称を献上されて、全世界でカトリック全教会信徒の尊崇を受けることになった日本人20名、外国人6名の聖殉教者達のこと。
 キリシタン禁教令にもかかわらず、長崎はキリシタンの街として栄えてた。ポルトガル貿易の為、秀吉は長崎に宣教師の居住を認め、住民の信仰の自由を黙認していた。だから、その場所をこの26人の処刑地に決めたのは、長崎に住む人々への警告のためであったといわれている。

大浦天主堂下電停の裏は運河のようです。

「わが国ボウリング発祥の地」という珍しい碑がありました。

大浦天主堂へはこの坂を登っていきます。

大浦天主堂、グラバー園とメジャーな観光地があるので、土産物屋さんも多いですね。

大浦天主堂が見えてきました。内部は拝観できるが、写真撮影は不可。素晴らしく鮮やかなステンドグラスでした。
また、礼拝も日頃から行われているので、単なる観光施設ではない。

1864年に竣工。今から約150年前の建造物。洋風建築輸入の初頭を飾る代表的なもので昭和8年国宝に指定。昭和20年8月の原爆投下によって甚大な被害を受け、昭和27年国庫補助により、5年の歳月を費やして修復工事を完了。昭和28年に国宝に再指定。

これは信徒発見のレリーフで敷地内にあります。

1981年にヨハネパウロ二世が訪れたことを祈念したもの「ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です」と書かれている。

グラバー園
 大浦天主堂のすぐそばにグラバー園がある。こちらの歴史についても触れてみよう。
 ペリーが浦賀にやってきたのは1853年。諸外国は通商貿易を求めて相次いで来航し、幕府に開国を迫り幕府はついに開国へと踏み切ることになる。英国・アメリカをはじめとした5か国と修好通商条約を締結。これに1859年に長崎は横浜・函館ともに開港され、外国との自由貿易時代に入った。

グラバー像
 長崎にも外国の商人の住む家や活動拠点となる場所を確保するため、幕府は急いで埋め立てや造成をはじめ、東山手・南山手・大浦・小曽根・梅ヶ崎・新地・出島地区一帯に外国人居留地が形成されていった。居留地は、海岸に近いほうから、上等地・中等地・下等地の3つに分けられ、借地料の高い上等地には貿易のために訪れた外国商人たちの商館や倉庫、その背後の中等地にはホテルや銀行・病院・娯楽施設、山手の下等地には住宅・教会・領事館などが建設されました。
 山手のなかでも、南山手が住宅地として利用されたのに対して、東山手は当初「領事館の丘」と呼ばれ、ポルトガルやプロシアなど、各国の領事館が建ち並んでいた。こうしたことからこの地には様々な種類の洋館が建てられ、大浦バンドと呼ばれる海岸通りを中心とした居留地独特の街並みが形成されていった。

 1899年に外国人居留地は廃止されたが、その後も洋館は残り、長崎の街に異国情緒を醸し出していた。1970年に、次第に少なくなってきた洋館を保存しようと、旧グラバー住宅などがあった南山手の丘を整備。市内に現存していたさまざまな洋館を移築して、グラバー園が誕生ている。それ以来、グラバー園は長崎を代表する観光地となった。

 「グラバー園」の名の”グラバー”とは、トーマス・ブレーク・グラバー(1838年~1911年)のこと。スコットランド出身のグラバーは、21歳の時に開港と同時に長崎に来日し、グラバー商会を設立している。
 幕末の激動の時代の中、伊藤博文らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しまなかった。また明治以降は純経済人として、日本の近代科学技術の導入に貢献している。とび色の瞳と赤い顔のため、彼が経営した炭坑の坑夫からは「赤鬼」とあだ名されていたが、性格は豪胆で情に厚く、使用人の子供にさえお土産を忘れないきめ細やかな愛情の持ち主だった。
 日本で終生を過ごし73歳の生涯を閉じたグラバーは、現在でも長崎市の坂本国際墓地で妻ツルと、息子の倉場富三郎夫婦とならび眠っている。


旧グラバー住宅。1863年に建てられた日本最古の木造西洋風建築。もちろん重要文化財。

グラバー住宅内の食堂

150年前の料理が紹介されている

こちらは旧自由亭。江戸時代の終わり頃、日本で初めて西洋料理のレストランとしてオープン。創立者の草野丈吉は出島のオランダ人のもとで修行した。

旧三菱第2ドックハウス。修理のために造船所に船が入っている間、乗組員たちが宿泊した。明治29年に造られた西洋風建築。

旧三菱第2ドックハウスの2階ベランダから見た景色

旧オルト住宅。長崎に残る洋風住宅の中で最も大きいものがこの旧オルト住宅。大浦天主堂、旧グラバー住宅の施工を手がけた小山秀が施工。こちらも重要文化財。

グラバー園の展望台からの景色。奥に見えるのは稲佐山(333m)。
 時間の都合で、大浦天主堂とグラバー園しか訪れることが出来なかったが、さすがに西洋人の在留地としての受け皿だった長崎だけのこともあって、日本でありながら異国文化がたっぷりと漂う感じが素晴らしいですね。
 また、別の機会に長崎市内をさらに散策したいと思います。

祐徳稲荷でお参り
 この日の午後に長崎から佐賀県鹿島市へ移動する。
 コースの下見と試走をすることにするが、今大会のスタート地点の後方には、祐徳稲荷の大きな鳥居がそびえている。この祐徳稲荷は日本三大稲荷の一つといわれている。

 調べたところ、日本三大稲荷については、
①伏見稲荷(京都府)、笠間稲荷(茨城県)、祐徳稲荷(佐賀県)という説
②伏見稲荷(京都府)、豊川稲荷(愛知県)、祐徳稲荷(佐賀県)という説
③伏見稲荷(京都府)、豊川稲荷(愛知県)、最上稲荷(岡山県)という説
などの諸説があり、総本山の伏見稲荷は別格として、残りの2つはわが愛知県の豊川稲荷、笠間稲荷、最上稲荷と今回訪れた祐徳稲荷の中から2つが選ばれるような感じだ。

 祐徳稲荷が日本三大稲荷に入るかどうかは別として、佐賀県鹿島市のこの奥まったところにこのような荘厳な神社があるのは驚きだった。年間300万人が参拝に訪れる。九州では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数ということのようだ。

 祐徳稲荷の由緒としてはウイキペディアには以下のように書かれている。
 鹿島藩主鍋島直朝夫人で、後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛が、朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。

 明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。

 
現在の本殿は、昭和初期に建て直されたものが昭和24年(1949年)に焼失したあと、伊勢神宮造営局長の角南隆が設計して昭和32年(1957年)に再建されたもので、3代目である。主要建物は総漆塗りである。
 
 建立されたのが1687年と今から326年前。奈良、京都の仏閣と比べるとその歴史は浅くは感じるが、昭和32年に再建された本殿は今から50年以上前のものとは思えないほど艶やかであった。
 私はコースの下見にのついでに立ち寄ったのであるが、冬の寒い時期の午後にもかかわらず、祐徳稲荷には多くの参拝者が訪れていることから、この神社の参拝者が多いことが十分にうかがえた。

祐徳稲荷の門前町にそびえる大鳥居

門前町は多くの店があります。正月にはさぞかし賑わっていることでしょう。

神池にかかる橋を越えると楼門があります。

楼門をくぐって正面に見えるのが神楽殿。昭和41年に新築されたもので一般参拝者の諸祈願はここで行われる。

御本殿へはこの階段を登っていく。昭和24年の火災で焼失したので、現在の本殿は昭和32年に再建されたもの。

神社の恒例祭典や参拝者の玉串拝礼はここで行われる。今回は本殿でお参り後に、カミさんと子どもたちには学業成就の御守りを、実家の母には「健康」の御守りを購入していきました。

本殿の正面にドーンと構えています。

コース紹介(コースガイド) こちらを参照して下さい。

公認鹿島祐徳ロードレースとは
 今回で第62回を数える”公認鹿島祐徳ロードレース大会”。始まったのは昭和27年(1952年)であるが、一般の部としては第1回~第37回が20km、第38回~第49回が30km、第50回の記念大会以降はハーフマラソンが実施されている。なお、一般女子は第45回大会から部門が設けられ、今に至っている。

 また10kmは第11回大会から高校の部として始まっているが、第39回大会から女子が「高校・一般女子」として始まっている。一般男子がいつから10kmに出場できるようになったかは不明であるが、昨年の第61回大会(2012年)からは、ハーフマラソン、10kmともに男子のみ年代別の区分が「①18~39歳」と「②40歳以上」から「(1)18~39歳」、「(2)40~49歳」、「(3)50~59歳」と「(4)60歳以上」に分かれ、そのおかげで今回国盗りが出来たのである。

 幾多の変遷を重ねて第62回を迎えた歴史ある大会。過去には著名な選手が優勝している。
 第16回~第18回では佐々木精一郎(メキシコ五輪マラソン代表:鳥栖工高-九州電工)が3連覇、喜多秀喜(モスクワ五輪5000m、10,000m代表:鹿島実高-福岡大学-神戸製鋼-帝京大学監督-流通経済大学監督)が第23回、第30回、第39回大会で優勝、30kmロードの元日本記録保持者の西本一也(九州産交)は第32回大会、早田俊幸(1995年世界陸上代表:県岐阜商-カネボウ-アラコ-ユニクロ-本田技研)は第42回、第44回大会で優勝している。

 また第60回大会(2011年)から箱根駅伝出場校を中心に学生ランナーを多数参加してもらっている。さらに昨年からは鹿島市がスポーツ合宿の誘致を行い、補助金を出して関東の大学を中心にこの地に呼び寄せている。日頃は静かであろうこの鹿島の街中には、あちこちに「歓迎」の幟が立ち並び、遠来客の歓迎ぶりを際立たせている。

 60回を超える大会は、現在も九州の主要レースであることには間違いないだろうが、昨今のマラソンブームの中で競技志向の高いこの大会は、参加者が伸び悩んでいるのであの手この手で参加者を増やしつつも高い競技性を維持していこうという意図がよく現れている。

JR肥前鹿島駅を降り立つと、いきなりこのような幟があちこちに立っているのが目につく。

食事をした店舗にもこのような「歓迎」を表すポスターが貼られていた。

この大会のメイン会場は鹿島市林業体育館

その体育館の前にもこのような立て看板がありました。

選手受付は体育館外のテントにて

スポーツグッズを販売するショップ1軒出店がありました。

子どもたちが喜びそうな食べ物屋の屋台。

天気も良く、屋外で歩き回る人が目立ちました。

体育館内は更衣室兼控室。参加者の割にやや狭い体育館でした。

飲み物を販売するブースもありましたが、やや閑散とした感じ。

着順によるラッキー賞もありました。残念ながらハズレ!

無料で配られた豚汁。美味しかったですね。

こちらは無料のおにぎり。

そしてこちらも無料のおしるこ(実際には「ぜんざい」ですね)

選手には無料で配布された3点セット。お昼ご飯にはちょうど良かったですね。

天気も良かったので、会場内にはブルーシートが敷かれ、またテーブルが並べられたくさんの人がここで食事をしていました。競技性の高いロードレースでは見られないような光景でしたが、市民化へ舵を大きく切っているのがよくわかります。

冷や汗かきながら、佐賀県の国盗り達成!
 九州で最後に残った佐賀県の国盗り。佐賀県は大会数が少なく、またハイレベルな選手が多いので、今日を外すと国盗りの全国制覇が非常に厳しい状況になるので、今日は何が何でも勝ちに行くことで気合いを入れていた。

 今日のスタート時間は午前11時。いわゆるマラソン大会としては遅いスタート時間になると思うが、この大会のメインのハーフマラソンのスタート時間は12時15分。どうもテレビ中継の都合でこのような遅いスタート時間のようだ。

 この大会は九州内でも由緒ある公認大会。今回も関東学連から男子8名、女子2名、また佐賀県内からも5名の招待選手を呼んで大会に花を添えている。
 鹿島市内にはあちこちにこのロードレース大会の幟のほかに、今回出場する大学の幟が多く立っているのが目につく。それもそのはず、鹿島市内で関東学連に所属する大学がこの時期に合宿にやって来ているのである。合宿ついでにこの大会に参加ということなのであろうか。

 若い選手が多いので早めに招集場所へ行って、スタート場所を確保しようとする。招集地点はスタート場所の道路から左手に入った駐車場だ。一般ランナーには「ここより前に行かないでね」と注文を付ける係員。せっかく早く来たにもかかわらず、大学生や高校生がどんどん後から来て前に来る。一般ランナーには厳しくモノをいう係員も後からやってきた彼らには何も言わない。彼らもタイムを狙っているかもしれないがこちらも同じ。場所取りをしたいのならもう少し早く来いと言いたい。

 最前列は大東文化大学勢がほぼ陣取るような形となった。女子2名の招待選手がいるのでやむなし。何とかそれでも2列目を確保した。

3km中学生男子のスタート

こちらは3km中学生女子のスタート

12時15分スタートのハーフマラソン。関東学連の大学生や実業団選手が多く目につきました。

後方は一般市民ランナーですね。

 11時ちょうどに号砲。男女合わせて実業団、大学生、高校生がざっと140人もいる。スタートするやいなやあっという間に先頭等の差はみるみる開いていく。

 スタートしてから約400mで信号の無い交差点を斜め左へ曲がっていく。この辺りでは正面から強く向かい風が吹く。辺りには遮る建物もないので高校生を風よけに使いながらここを凌いでいく。

 久保山北交差点が見えてくる。この交差点の前が1km地点だ。列は既に相当長く伸びている。私と先頭の差もざっと見た感じで100m強はありそうだ。
 1kmの通過が3分11秒。スタートから最初の1kmくらいまではやや下り気味とあって、スピードがいつも以上に出ている感じはしていたが、少々オーバーペースと感じここからペースを少し落としていく。先頭を走っている大学生はおそらく2分50秒を切っているだろう。

 2km地点付近からコースはほぼ平坦となる。この辺りから見物をしている人が増え声援が多くなる。しかしながらペースを落としたこともあって、ゆっくりであるが少しずつ後方から抜いていく選手が増える。
 4kmくらいから後ろについて走る選手がいた。沿道の人が「大東頑張れ!」というので、よく見ると大東文化大学の女子選手だった。今や私も35分ランナー。大学生の女子選手と勝負するレベルになってしまった。
 とはいえ、この選手とは4~6kmくらいまでは併走、その後徐々に離されたものの、今日のレースペースを作っていくのにはありがたい存在だった。

 4kmを過ぎて徐々に観客が少なくなり、5kmの折り返し地点の赤いコーンが見えてくる。17分32秒で折り返す。入りの1kmは少々早かったものの、5kmの通過はほぼ目標タイムになっていた。折り返してくる選手が何人いるだろうと数えながら走っていたが、難と自分はちょうど100番で折り返していったのだった。さすがに高校生、大学生らが大挙して参加してくるような大会だけあって、50歳代では上位に入ってくる私でさえこの順位だ。

 話を戻す。
 折り返して約10秒ほどで、私と同じ1300番台のランナーとすれ違う。私はアウェーの参戦なので、もちろん後続のランナーのことは全く知らない。折り返し後で約10秒ですれ違ったので、距離としては20秒分約100mほどの開き。ポジティブ・スプリット的な走りの私としては、後半粘って何とか逃げ切りたいと考えていた。

本日のタイム(参考)
距離 SPLIT LAP
1km 3’11” 3’11”
2km 6’41” 3’30”
3km 10’19” 3’38”
4km 13’57” 3’38”
5km 17’32” 3’35”
6km 21’08” 3’36”
7km 24’48” 3’40”
8km 28’24” 3’36”
9km 32’05” 3’41”
ゴール 35’46” 3’41”
 今日は最初の入りが早かったものの、前出の大東文化大学の女子ランナーのおかげで大崩れをすることも無く、ゴールに向けて少しずつ距離を縮めていった。
 残り1kmの久保山北交差点からゴールまでは1%ほどの登り坂となり、気を緩めるとペースが落ちてしまうところであったが、ここまで来たら逃げ切るしか無いと思いペースアップをはかる。
 残り400mほどで右に曲がり、祐徳稲荷前の参道の直線道路に出た。徐々に沿道の人が増え気合いが入る。緩い登り坂ということもあって、なかなかペースが上がらなかったものの、スタートしてから36分に近づいてきた頃、ようやくゴールを越えることが出来た。

 しばらくすると後続の同年代の選手がフィニッシュ。5kmの折り返しですれ違うランナーを確認したが、同年代で私よりも前を走っているランナーはいなかったはずであるが、もしかしたら見落としをしているかもしれない。

 ゴールの左手には記録証発行所がある。おそるおそるここで記録証を発行してもらう。順位のところには「1位」と書かれていた。この瞬間、佐賀県の国盗りを達成したことが正式に決まったのであった。嬉しいこともさることながら、難攻不落と覚悟した佐賀県の国盗りを達成できて安堵感の方が強かったことは言うまでもない。

 なお、表彰式の際に2位の江口さん、3位の坂井さんと少し雑談をさせていただいたが、お二人とも穏やかな感じの方で気持ちのいい表彰式だった。
 後日発表された大会ホームページを見ると、昨年から新設された10km男子50~59歳部門の大会記録を更新していることがわかり、記録の横に「大会新」のマークが表示されている。

ハーフマラソンを1時間04分00秒で優勝したジュグナ選手

路線バスの車中から、反対側を走るハーフマラソンの選手を応援しました。

途中でバスを降りて沿道からも応援です。

ひぜん祐徳温泉・宝乃湯で祝杯!

本日の戦利品

さすがに「ロードレース」と銘打っているだけあって、副賞はありませんでした。