第19回七宗町レッキーマラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七宗町とは 多治見、中津川と言えば「東濃(美濃の東部)」、大垣といえば「西濃(美濃の西部)」、中濃といわれると名古屋ではあまり馴染みがない。七宗町はその中濃に位置する人口4,000人弱の小さな町が加茂郡七宗町だ。「七宗」と書いて「ひちそう」と読む。この地方の方言で「七」を「しち」と読むところを「ひち」と読むことによるらしい。ずっと「しちそうちょう」と思っていたが、この大会に出るにあたって初めて知った次第。 昭和46年に町制施行により七宗町が発足している。その後平成15年に美濃加茂市と加茂郡の6町1村(坂祝町、富加町、川辺町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村)が、「美濃加茂市・加茂郡町村合併協議会」を設置したものの、翌年の平成16年、この協議会は解散している。 七宗町のウリは、日本最古の石が発見された町ということである。 飛騨川の河床の礫岩に含まれていた片麻岩は、昭和45年に足立守(名古屋大学博物館・教授)によって約20億年前の岩石と推定されたことによる。国道41号線を走っていると、道の駅のそばに「日本最古の石博物館」があり、他に「地球最古の石」や「ストロマトライト」など地球の誕生から現在に至るまでの46億年の歴史がわかる資料が展示されている。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 今年を象徴するようなレース レッキーマラソンは今回が初出場。距離が3kmと短いので、もちろん会場に着いてから試走でコースを確認している。往路は少し登り基調。約1.5km先を折り返して戻ってくる単純な往復コースだ(スタート地点とゴール地点は微妙に違うが・・・)。レースシミュレーションはするもののイメージ通りからだが動くかどうかがポイント。椎間板ヘルニアからの回復が十分でないので、トップスピード、持久力とも発症前に比べて十分に戻ってきていないのが気がかりだ。
最前列に並ばせてもらってスタートを切る。今年からピストル音が紙雷管(火薬)から電子式に変わったが、最前列ではスピーカを通して十分聞こえる。今回もスタートダッシュは封印。なるべくイーブンペースになるように心がけて走る。 スタートして100mほどで葉津川にかかる寺洞橋を越える。すでにここまででもコースは少し登り気味。私の前には10人ほどの選手がいる。ざっと見た感じ中学生が多いようだ。ナンバーカードの支給が1枚で、背中にナンバーカードが無いので選手の年代がわからない。同年代らしき選手が一人いたが、スタートダッシュをしただけですぐに後方に下がっていった。 森林の間を抜けてコースは左にカーブし、二車線の道路から中央線の無い細い道路に入る。ほどなく1km地点の表示看板が現れる。3分29秒で通過。早い入りの感じは無いが、コースが登っていることを考えればオーバーペースだったかもしれない。 1km地点を過ぎた頃から、後方から徐々に抜かれだしてしまう。他の選手のペースが早いのではなく、私のペースが鈍ったのが原因だろう。抜かれざまに選手のナンバーカードを見るが、私と同じ50歳代の選手だ。この辺りでは見かけない選手だ。そしてしばらくするとさらに愛知県のS選手が抜いていく。S選手とは時々同じ大会で競うことになるが、私の記憶の中では10年以上前に1回負けたくらいで最近は抜かれた記憶が無い。50歳を過ぎるとお互いのポジションがほぼ決まってくるので、今日は明らかに自分のパフォーマンスが低いということが明らかになった。折り返し地点を13番目でターン。
50歳代は40歳代に比べると、筋力の低下が大きくなる年齢であるそうである。一朝一夕で元には戻らないようであるが、焦らず時間をかけてパフォーマンスを元に戻すように頑張れたらと思う次第である。
本日の戦利品
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