第11回桜川市さくらマラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
サンスポ古河はなももマラソン 先週の目白ロードレースに引き続き、今週も引越ついでに関東地方の大会の参戦です。 今回は、走友の中村さんが「サンスポ古河はなももマラソン」に出場されるというので、「それならば名古屋から千葉のマンションまで自動車で一緒に移動し、一泊して出かけたらどうでしょうか」ということで話がまとまりました。大会当日のこの日は、早朝、わがマンションから北へ向かって出発です。 近所の総武本線・本八幡駅から秋葉原を経由し、上野を6時49分発宇都宮行きの「快速ラビット」で古河(茨城県)へ向かいます。この時間であれば座れるだろうと思いきや、電車の座席には空きがありません。快速のため停車駅は少ないですが、赤羽、浦和、大宮、蓮田と停車するたびに乗客が増え、まさにマラソン列車の様相を呈してきました。 7時40分に列車は古河に到着。ここで中村さんは下車。ここで別れて、私はその先の小山へ向かいます。予想通りこの古河では9割以上の乗客が下車し、車内は静寂の空間に戻りました。 目的地は違うとは言え10,000人規模の大会に参加する人たちと同じ列車に乗り合わせるとなると予想はしていましたがやっぱりこのランナーの数は凄まじいですね。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 桜川市 桜川市は、茨城県の中西部に位置する人口約42,000人ほどの地方都市だ。あまり聞き慣れない地名なので調べたところ、平成17年10月1日に、西茨城郡岩瀬町、真壁郡真壁町、真壁郡大和村の3町村が合併して誕生している。この「桜川」という市名は、公募により選ばれたもので、3町村の中央を流れる「桜川」が、岩瀬町を源流として旧大和村から旧真壁町へと南下していて、「桜川」という名称が3町村共通のキーワードだったからという。旧町名や旧郡名を新市名に冠することが多いが、桜川市に至っては公募で全く違うネーミングとなったのが珍しい。 なお、桜川市のホームページに書かれていたが、「西の吉野、東の桜川」と言われるほど、平安時代から桜の名所としで知られ、歌人・紀貫之(きのつらゆき)が「常よりも 春べになれば 桜川 波の花こそ まなくよすらめ」と詠んだほどらしい。 国指定文化財・天然記念物の名勝「桜川のサクラ」や雑誌にまるで珊瑚礁のようにと形容されるほどの「高峯の山桜」をはじめ、雨引観音などの桜の名所が点在しており、山桜の美しさは際立っているというので、桜のシーズンには是非一度訪れてみたいところだろう。 遠来賞をいただきました 小山で水戸線に乗り換え、大会会場の最寄り駅の「岩瀬」には、8時58分に到着した。岩瀬駅前には、大会の係員さんが待機しておりシャトルバスに乗るように案内している。岩瀬駅に8時58分に到着した列車に乗っていた乗客のうちシャトルバス(といってもマイクロバス)を利用したのはわずかに7人。少々寂しい人数であるが、会場まで無料で運んでもらえるのはありがたい。公共交通機関が発達している地域ではないので、参加者の多くは自動車に乗って来場するのであろう。
シャトルバスで5分ほど揺られると、ローソンのすぐ隣にある巨大な空き地にバスは到着。見渡す限り、マラソン会場らしきものが見当たらない。シャトルバスの降車場で係員さんに尋ねると遠くに見える高台の上が会場という。たいていは会場のすぐ横までシャトルバスが選手を運んでいくのであるが、これだけ離れたところで降ろされるのは少し珍しい。 降車場から獣道を通り、いわれた方角に近づいていくとウォーミングアップをしている中学生らしき集団が現れる。おそらく会場も近いことだろう。高台まで上がると、そこにはグランドと体育館が見えてきた。なるほど、シャトルバスの降車場からは全く見えなかったが、しっかり大会の準備は出来ている。参加者は3,000人に満たない規模であるが、市の人口を考えれば市の一大イベントであることは間違いない。 会場には、お祭りのごとくかなりの数の屋台が出店している。秋祭りで神社の境内に並ぶあの類いの店屋ばかりだ。少々、マラソン大会とは趣旨が違うような気もするが、賑やかなのは大賛成である。 受付テントの近くまで行くと、特別賞の発表がされている。特別賞とは、「健康賞(75歳以上の選手)」と「遠来賞」の二つを指している。健康賞は12人。こちらは年齢で区切るのでまあ良いとして、遠来賞には11人もいる。通常は南北各一人程度なので大盤振る舞いだ。内訳としては、北から岩手県1人、宮城県4人、愛知県3人、大阪府1人、広島県1人、沖縄県1人。久しぶりの遠来賞。遠慮なく賞品をいただくことにする。
レース 今日のスタートは11時45分と正午にかなり近い時間。もちろん全てのプログラムの中で一番最後の種目になる。選手待機所のところには11時30分頃に行ったが、既に多くの選手でごった返している。ウインドスプリントを4本ほどこなし、この列に加わる。スタート5分前には、スタート地点へ移動。今日は見たところ高校生を含めて若い年齢の選手が多いような気がする。その中で何とか前から2列目に並ばせてもらう。
11時45分。ピストルの合図と共に列が一斉に動き出す。 スタート直後はやや登りとなっており、200mほどこれが続くが、小さな峠を越えるとほどなく平坦になる。さすがに若い選手が多いと思った通り、私の前には既に30人ほどの選手が走っている。 この日のナンバーカードの支給は一枚。胸部に着けているので、後方からは年代の確認が出来ない。確認をするチャンスとすれば、2kmを超えて折り返す折り返し地点の一箇所となる。 1km地点を通過。3分29秒。最近の中では一番早いタイムで1km地点を通過している。景色もいい感じで流れているような感じである。
折り返してくる選手のナンバーカードは5000番、5100番台が多く、折り返し地点が近づくにつれて5200番台も少しずつ現れてきた。そして折り返し地点でUターンするが、私と同じカテゴリーの5300番台の選手はいない。男子50歳以上の選手の中ではトップでUターンしたことになる。後続の選手を確認するが30mほど後ろに2人、同年代の選手がいた(ような気がする)が、ピタリと背後に付かれているわけではないので少々気が楽だった。3kmが10分55秒。この1kmは3分41秒とまずまずいい感じ。ゴールまで残り2kmであるが、少々このペースの維持がきつくなってきた。 4km手前から少し登り坂が始まるが、このアップダウンの後には最後にグランドへ入るための登り坂が待っている。同走の選手とは少しずつ離されていったが、後続から同年代の選手には抜かれずに何とか位置をキープしていた。ところがである。 後ろから、私と同年代らしき選手が、4kmを超えたあたりで後ろから抜いて行くではないか。油断していたわけではないが、抜かれた際にナンバカードを見ることが出来なかったので、同年代かどうかは確認できない。とりあえず、ここまで来たら付いていくしかない。しばらくは付いては行くものの、ちょうどスタート地点付近(約4.3km地点)からはどんどん離されて行くではないか。序盤から最近にはないハイペースで走っていたせいか、この日の余力はなかった。 坂を下りきったところにある交差点を左折し、桜川市総合公園のグランドに入るための坂を登るのも喘ぎ喘ぎ。同年代らしきランナーとはどんどん距離が離れていく。差が詰まることなく、このままゴール。ゴールタイムは18分33秒。タイム的には当初の目標を達成できたものの、問題は順位だった。急いで記録証発行所へ脚を運ぶ。そして打ち出された記録証を見ると、そこには「5km 一般男子50歳以上 第2位」と印字されていた。やはり4kmを過ぎてから抜かれたのは、同年代の選手のようだ。今回も年代別では第2位。平成28年に入ってから3回目の第2位。俗に言うシルバーコレクターになってしまった。ありきたりではあるが、「次回こそは・・・」と今回は強く思った次第である。
本日の戦利品
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