第7回城南島羽田マラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東京モノレール 今回の会場は、東京都大田区にある城南島海浜公園。もちろんここに行くのは今回が初めて。
この東京モノレールであるが、調べたところ昭和39年10月に開催された東京オリンピックの前月に開業している。元々羽田空港への旅客目的でスタートしたものであるので、開業当時は中間駅はなく羽田までノンストップで運行していたという。ほぼ運河上を走るために用地買収の必要がなかったことから、深夜に及ぶ突貫工事のおかげで着工から一年強で開業している。これが建設コストを引き上げる原因となった。当時の国鉄の初乗り運賃が20円、タクシーの初乗りが100円の時代に、このモノレールは片道250円の運賃だたっという。今ほど飛行機が庶民の乗り物ではなかった時代だけに乗車率は20%台と非常に低迷していた。その後、都内の交通渋滞が激しくなり、定時運行をするモノレールに客が移行していった時代もあったが、京急が平成10年に羽田空港に乗り入れを開始。羽田空港への唯一の軌道系の公共交通機関が一転して激しい競争に巻き込まれるようになった。京急は千葉県方面の鉄道会社との相互乗り入れも開始し、乗り換えることなく空港に行く利便性を高めている。 東京モノレールも現在の浜松町始発を、新橋、さらに東京方面に延ばす計画もあるようであるが、今のところ目立った動きはない感じである。 この東京モノレールであるが、初めて見たのは私が中学生の修学旅行時で、羽田空港の見学のときだった。羽田空港は当時から発着便数は日本で最大の空港だ。しかしながら当時の私の中学校は、一学年で約550人のマンモス校(1学年で13クラス)。修学旅行もクラスごとに合計13台のバスを借り切っての移動だ。わざわざここまで来たのだから、羽田空港までモノレールに体験を兼ねて乗ってもよかったと思っていた。しかしながら高額な運賃に、この大人数。6両編成のモノレールで移動することは、いろんな意味で困難と判断したのだろう。あれから約40年。 マラソン大会に参加という理由でこの東京モノレールに乗ることとなったのであるが、初めて乗るまでの時間は非常に長かった。 私が中学生当時としては、開業からは比較的新しい方のインフラであったが、いざ今回乗ってみると車両も浜松町の施設もかなり老朽化しており、おまけに乗り心地も決していいとはお世辞にも言えなかった。中学生の時に好きだった女の子に40年ぶりに会ったら、とんでもない変貌でがっかりした(そういう事実が特段あったわけではないが・・・)というようなものだろうか。 あちこち出かけるのは好きな性分なので、初物には惹かれるところがあるが、東京モノレールに初めて乗った感想としては「思ったよりもレトロだった」といたっところ。東京都内の軌道系の公共交通機関でこんな気分が味わえるというのは想定外だった。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 レース
先週同様、「プォ〜ン」というホーンの合図でレースは始まった。 スタート直後に飛び出した選手は5〜6人。200mほど走ってコース幅が狭くなると、私の前にいる選手は4人だけとなった。正確に言えば3人の集団と+1人。その後ろに私。さらに足音からして、私の後ろの比較的近いところに選手が一人いる感じだった。順番でいえば、私は5番目となる。今日の目標は総合で6位入賞と年代別の優勝。先週と同じ目標である。
スタートをして300mほどでコースは大きく左へカーブする。今回の会場である城南島海浜公園は「L字」状の形状をしている。公園内をフルに活用してコースをレイアウトしようとすれば、90度向きを変えるところが必要になることになる。必ずしも直角に曲がる必要はないが、今回のコースにおいては最初のその方向転換は大きく左へ曲がるカーブによるものだった。 直線ばかりのコースはつまらない。右へ左へ曲がりアップダウンを繰り返す方が、同じ走るでもいろいろと楽しめるではないか。記録を狙うのならともかく、ロケーションを楽しんだり、コースの変化を楽しむのであればトリッキーなコースが最高であると個人的には思っている。今大会のコースも城南島海浜公園内を上手にレイアウトし、さらに一周を2.5kmとする小細工が涙ぐましい。主催者の苦労の跡がとてもよくうかがえる。先週の「川崎イルミネーションマラソン」と同様、公園内と言っても馬鹿にするようなコースではない。 話を戻す。
その1km地点はやや下り坂にあり、その先の照明灯を時計回りに270度廻って向きを南東方向に変える。相変わらず後ろからはピッタリくっついてきている足音が聞こえる。振り向かないのでどの年代の選手かわからない。 そしてしばらくの間は海岸沿いを走り、数百メートルで右折さらに直進をすると先ほど走ってきた往路のコースに戻った。往路のコースに戻ったところで左折し、選手たちとすれ違う。もともと5km部門はエントリーが少ないので、すれ違う選手の数は決して多くはない。
しばらく他の5kmの選手らとすれ違ってからは、コースは対面通行から外れ再び海岸線に向かう。途中で1.5kmの表示ががり、その先にはこのコースで唯一のUターン場所がある。ここで前後の選手との間隔を把握することが出来る。 前を走る選手は辛うじて視界に入っていたが、その先の3人は相変わらず見えない。おそらく離れる一方だろう。Uターン場所ターンの歳に私のすぐ後ろにいる選手を確認したところ、同年代の選手ではなく私より若い選手であることがわかった。一安心したいところであったが、その後ろには、同年台のカテゴリーの選手が2人も続いている。私との間隔もさほど開いているわけでは。ややもすると一気に抜き返されかねないような間隔である。 再び海岸線に出てしばらくの間は東京湾を左手に見ながら走る。視界に海が大きく広がるのが気持ちがいい。雨は上がったものの天気は今ひとつであったが、東京湾を見渡せるロケーションが非常にいい感じだ。主催者も「よくぞこういう場所を探してきてくれたものだ」と感心する。 公園のほぼ東端まで来たところでコースは90度直角に曲がり、向きを南西方向に変える。相変わらず海岸線を左に見ながら走ることになるが、曲がってしばらくすると2km地点の表示が出てきた。2kmの通過は7分07秒。この1kmは3分36秒。このペースで留まりたいところであったが、徐々にきつくなってきた。ペースが落ちてきたことを察知されたのか、後ろを走っていた選手にこの辺りで前に出られてしまう。まだ残りは3kmある。ここは後ろに何とか付きながら、ペースメーカとして頑張ってもらった方がトータルとしてタイムは良くなるだろうと考えた。
エアドームをくぐって再びスタート地点を通過する。2.5kmの通過タイムは9分07秒。何とか後半の落ち込みを最小限に抑えて18分台の前半を出したかった。 2周目に入ってからはこの選手に付いていくので精一杯で、ジリジリとこの選手との差が広がりつつあった。そこは何とか最短コースを確保しながら、差が広がっていかないように頑張った。3kmの通過は11分ちょうど(この1kmは3分53秒)、4kmの通過は14分46秒(同じく3分46秒)と前半と比べてペースは明らかに落ちていたが、何とかこの日の目標を達成するために終盤も粘り続けた。後続の同年代の選手には少し縮められた感はあったものの、何とか2周目も同じ順位をキープ。ゴールタイムは18分40秒。総合6位、そして年代別では優勝することができ、先週の雪辱を果たすことができた。
先ほども述べたようにタイム的にはまだまだ。5kmで1分程度遅い状況である。椎間板ヘルニアからの回復の遅れもさることながら、残業続きで日常の練習は早朝の1回のみ。それもジョグ程度の練習しか出来ていないことを考えれば、まだマシな方かもしれない。体調が戻り十分練習が出来る環境になるまで今は我慢の時かもしれない。 本日の戦利品
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