第31回北軽井沢マラソン 参戦記

 土日を利用した慌ただしい遠征です。
 今回の目的地は「北軽井沢」です。北軽井沢は、群馬県吾妻郡長野原町にある地名です。リゾート地として有名な軽井沢の所在は、長野県北佐久郡軽井沢町です。確かに軽井沢町の北側に位置するので「北軽井沢」というらしいのですが、本家の軽井沢からは路線バスでも30分ほど離れているので、それほどお隣感はありません。
 軽井沢はいうまでもなく、日本を代表するリゾート地で、旧軽井沢の町歩きのほか、西武グループのリゾート開発でホテル、アウトレット、スキー場、ゴルフ場など一年を通じて遊ぶことが出来る街です。もちろん会社の保養所や別荘も多く存在しています。それに対する「北軽井沢」ですが、市街地は非常に小さく軽井沢のイメージで出かけてみると拍子抜けしてしまいます。「北軽井沢」は、どちらかというと静かに余暇を楽しむという感じで、ショッピングが出来るところはほとんどありません。大型のリゾート施設もありませんが、別荘はたくさんあります。軽井沢が「動」ならは、「北軽井沢」は「静」というたとえでもいいかもしれません。

 さて大会の方ですが、わずか6.5kmのコースにもかかわらず、登り坂に苦しめられ勝負どころとみていたところで同年代の選手に離され、今回はそのせいで入賞を逃してしまいました。毎回同じパターンですが、アップダウンのあるコースになると、どうしても日頃の練習コースのバリエーションの無さが露呈してしまいます。日頃の練習を変えなければなかなか解決でいない問題かもしれませんが、千葉県市川市に単身赴任してからは練習環境に苦しんでいます。
 なお、大会の方ですが人口約5,600人の長野原町に、1,200人以上のランナーが押し寄せ賑やか感はありました。前日受付あり、出店もまずまず、また宿泊したペンション・エデンでは大会終了後の入浴やマッサージ機の無料使用などもあり、結果は出ませんでしたが、楽しく過ごせた2日間でした。
 

●大会名 第31回北軽井沢マラソン
●開催日 平成30年6月17日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
北軽井沢グランド発着(地図)(長野県吾妻郡長野原町) 

大会要項 

プログラム


コースマップ
コースガイドはこちら
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 くもり、13℃くらい
●参加賞 バスタオル、水(ペットボトル)、クリアケース、スポーツドリンク(コップ)、飲むヨーグルト(コップ)、トマト、キュウリ
●結 果 27分53秒(6.5km 総合 第38位、50歳以上男子 第7位)
●表彰 なし
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【6月16日(土)/1日目】
徒歩 マンション 7:50 本八幡駅 8:00
地下鉄 本八幡 8:03 九段下 8:35 都営新宿線
九段下 8:40 渋谷 8:51 メトロ半蔵門線
高速バス 渋谷マークシティ 9:35 北軽井沢 13:45 上田バス
13:25
【前日受付14:00〜17:30】
【コース試走】
【ペンションエデン/泊】
【6月17日(土)/2日目】
徒歩 ペンション 8:05 会場 8:10
【第31回北軽井沢マラソン 6.5km 9:20スタート】
   【ペンションエデン/入泊・マッサージ機】
  【ますや(北軽井沢/昼食)】 
路線バス 北軽井沢 12:21 旧軽井沢 12:55 草軽交通
12:17 12:52
徒歩 旧軽井沢 12:55 軽井沢駅 13:40 (旧軽散歩含む)
高速バス 軽井沢駅前 14:00 池袋駅東口 17:30 西武バス
( 16:52 )
地下鉄 池袋 17:36 淡路町 17:49 メトロ丸ノ内線
小川町 17:55 本八幡 18:24 都営新宿線
徒歩 本八幡駅 18:24 マンション 18:34
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 4,000円  
地下鉄 269円 (小川町〜渋谷。本八幡〜小川町は定期券)
195円 (池袋〜淡路町。淡路町〜本八幡は定期券)
高速バス 3,500円 (渋谷マークシティ〜北軽井沢)
2,600円 (軽井沢駅前〜池袋駅東口)
路線バス 1,120円 (北軽井沢〜旧軽井沢)
宿泊料 6,840円 (ペンションエデン。楽天ポイント1,800使用)
宿泊補助 ▲5,000円 (職場福利厚生)
合 計 13,524円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。6.5km 一般男子50歳以上は6位まで (★は加藤が参加した部門
【21.0975km−9時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所 記録
男子35歳以下 128人 江沢 拓真 群馬県 1゚15’08”
男子36〜49歳 213人 小平 佳伸 長野県 1゚16’32”
男子50歳以上 278人 安藤 栄作 埼玉県 1゚24’25”
女子35歳以下 45人 服部 史子 新潟県 1゚39’33”
女子36〜49歳 42人 三枝 祐佳 山梨県 1゚27’28”
女子50歳以上 42人 橋 順子 東京都 1゚42’32”
【6.5km−9時20分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名  住所 記録
男子35歳以下 36人 廣木 大地 群馬県 22’32”
男子36〜49歳 43人 鈴木 英明 埼玉県 23’03”
★男子50歳以上 86人 山田 能之 埼玉県 23’44”
相馬 正巳 群馬県 26’09”
吉岡 明 群馬県 26’20”
後藤 和彦 群馬県 26’52”
吉岡 和弘 埼玉県 26’55”
中村 善則 長野県 27’31”
加藤 一郎 千葉県 27’53”
女子35歳以下 20人 佐藤 真衣 群馬県 29’15”
女子36〜49歳 34人 佐俣 久美子 群馬県 24’58”
女子50歳以上 35人 小川 未彩音 栃木県 32’07”
中学生男子 11人 塩原 匠 群馬県 22’00”
中学生女子 5人 宮ア はぐみ 群馬県 30’59”
【3km−9時35分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所 記録
男子小学1〜3年 35人 狩野 夢翔 群馬県 11’56”
男子小学4〜6年 65人 田口 倖菜 埼玉県 12’57”
女子小学1〜3年 20人 石川 湧史 栃木県 10’18”
女子小学4〜6年 42人 青木 裕希 群馬県 12’27”
ファミリーペア 30組 松岡 一奴
松岡 修斗
埼玉県 12’35”
総合計 1,217人  

北軽井沢
 最初に説明したとおり、北軽井沢は群馬県吾妻郡長野原町にある地名。軽井沢の北にあるので「北軽井沢」であることには間違いないが、なぜこうなったか歴史を紐解くと次のようになる。(出典はウィキペディア)
 1882年(明治15年)、殖産興業、富国強兵により洋服の需要が増えたことから、綿羊の供給地として、また軍馬の養育地としてこのあたり一帯が選ばれ、放牧場「浅間牧場(吾妻農林牧場)」を開設したことにより、北軽井沢の開墾は始まっている。

 1909年(明治42年)、草軽電気鉄道の前身となる「草津興業」が発足。同社はスイスの登山電車のように高原や温泉へ避暑客・湯治客を運ぶとともに、貨物輸送を行って地域の発展を図ろうとする趣旨から創立。1913年(大正2年)、軽井沢駅に隣接する新軽井沢駅から旧軽井沢駅(開業時は旧道駅)・北軽井沢駅(開業時は地蔵川駅)を経由して草津温泉駅に至る軽便鉄道の敷設に着手し、1915年(大正4年)には小瀬温泉まで、1918年(大正7年)には北軽井沢駅まで開業。 1926年(大正15年)には草津温泉まで55.5kmに及ぶ高原鉄道が全線開通。路線の延伸と並行して沿線地域が次々と開拓された。大正末期から昭和初期にかけて大学関係者の別荘地が次々造られたことで、
何もなかった北軽井沢駅周辺の環境も整備されていった。

 旧館林藩主の秋元子爵家が別荘を建てたことをはじまりとして、避暑のための別荘地として売り出されるようになった。1923年(大正12年)、旧制第一高等学校(東京帝国大学の予科)の同窓生らの団体「一匡社」が、草軽電気鉄道の勧めにより会員や家族の保養のために応桑に「一匡村」と称する共同名義による山小屋風の別荘群を建設・運営した。一匡村は後の別荘地のようなレジャー用の分譲地ではなく、食事・風呂等は共同、勉強会を開くなど、自給自足的な生活を送る場であったが、避暑地北軽井沢の別荘地の歴史の始まりであった。

 1927年(昭和2年)にはこの付近に広大な土地を所有していた法政大学学長松室致が、自身が所有する土地を学者・文人・芸術家らに分譲し、政治家・財閥・華族等のエスタブリッシュメント向けではなく
文化人向けの静謐な保養地・避暑地を創設することを発意。これに賛同した野上豊一郎や安倍能成ら夏目漱石門下の文化人らとともに別荘地「法政大学村」を開いた。元々この辺りは「地蔵川」という地名であったが、「大学村」の関係者が隣接する「軽井沢」の北に位置することからこの地を「北軽井沢」と呼び始めた。それに倣うように草軽電気鉄道の駅名も、1927年(昭和2年)に「大学村」の寄贈により駅舎を改築したことから、その際に「地蔵川駅」から「北軽井沢駅」(旧北軽井沢駅舎は現存)へと改称された。1960年(昭和35年)4月に、新軽井沢 - 上州三原間の草軽電気鉄道が廃止された後も、「北軽井沢」の駅名は草軽交通のバスターミナル名(現在はバス停のみ)に継承され、地名として定着していった。

大会前日、最初に向かったのは渋谷マークシティ。北軽井沢への直行バスの出発はここから。

東京駅八重洲口、バスタ新宿などと比べると、こぢんまりとしたバスターミナル。主に東急バスの発着場所の模様。出発は9時35分。

途中、関越道の上里SAで休憩。その後軽井沢を経由して北軽井沢へ。

道路の渋滞もあり、20分ほど遅れて13時45分に北軽井沢へ到着。もともと10人ほどの乗客だったが、北軽井沢で下車したのは私一人。

東京(渋谷)から北軽井沢へ直行の路線が出来てまだ1年と少々。今大会にあわせて利用したが、ありがたい。

手前の緑色の枠内には「乗降場」の文字があります。上りも下りもここにバスが停まる模様。バスの停車したすぐ右側には「北軽井沢ふるさと館」があります。

時間もあったので中を覗いてみることにしました。

この「北軽井沢ふるさと館」の外壁には「標高1,111m」が刻まれています。曇っていたこともありますが、バスから降りたときには東京や名古屋の3月上旬くらいの気温と感じました。(12℃くらいいだった)

大正4年に開業し、昭和37年に廃止されるまでの草軽電鉄の歴史や遺産について説明があります。

当時、草軽電鉄を走っていた機関車や客車の模型。

出札口で発売していた硬券の切符。左側には、日付を入れるスタンプもありますね。

草軽電鉄の施設はほとんど撤去されたが、この北軽井沢駅の駅舎は唯一現存するもの。

平成18年に登録有形文化財に指定されている。

こちらは実物大の電気機関車(デキ12形)の木製の模型。

一通りの見学をした後、バス停にほぼ隣接する北軽井沢グランドへ。こちらが前日受付の会場です。

前日受付は14時〜17時30分。ちらほら前日受付をしている人がいましたが、どこに宿泊するのでしょうか。

こちらは私が宿泊した「ペンション・エデン」。

大会会場に近いこと、大会終了後に入浴が出来ることもあり、ここで宿泊することに決定。

部屋もペンションという感じ。無線LANがあるのでこちらもありがたかったです。

素泊まりプランを選んだので、夕食は近くの食堂へ。

日頃の野菜不足を解消すべく、注文したのは野菜炒め定食(750円)。

大会当日の朝食も近くのコンビニに買い出しへ。SAVE ONとセブンイレブンとありましたが、近い方のSAVE ONへ。

コース紹介(コースガイド) →
 こちらを参照してください。

大会当日
 宿泊したペンション・エデンが、会場まで距離にして300mほどということもあり、朝はゆっくり出来た。宿泊料は少々高めであったが、単身赴任中で公共交通機関しか使えない身にとって、その利便性を考えると悪い場所ではない。というか、選択肢があまりないというのが実情だろうか。
 出かける際に、ペンション・エデンの女将さん(というのか?)が、にこやかに「戻ってこられるのであれば、荷物はお部屋に置いていってもいいですよ」というので、お言葉に甘えて置かせてもらう。実際のところ、走り終わって再び入浴し、着替えたりしていたら11時。いわゆるチェックアウトの時間は過ぎているのであるが、日曜日ということもあり宿泊客はあまりないのであろう。大会終了後は、無料のマッサージ機もかなり利用させてもらい、結果的には、リーズナブルな宿泊料になったような感じだった。

 ペンションから少ない荷物で会場へ向かう。ところどころで、吐く息が白くなる。寒いなあと感じていたが、まさか6月になって吐く息が白くなるとは・・・。昨日今日と東京でも寒いようであるが、ここ北軽井沢はさらに輪をかけて寒い日のようである。

 受付は、前日に行っているので、大会当日にバタバタすることはなかった。じっくりと構えて、スタートを待てばいい。一つだけ気がかりなのは、昨日の試走で途中からコースを間違えトータルで8kmほどミスコースをしてしまったので、疲労がやや抜け切れていない感があったことだ。そのため、この日はウォーミングアップを短めにし、レースに臨むこととなった。

会場そばの旧北軽井沢駅。なぜかスタート前にここに寄ってくるランナーが多かったような気がします。

会場には、ブルーシートやテントがあちこちに設営されていました。

開会式。終了後にはストレッチなどの体操が実施されました。

こちらは当日の受付。前日受付と同じ場所です。

無料で提供されたスポーツドリンク、飲むヨーグルトなど。スタート前から利用する選手も目立ちました。

こちらは有料の牛乳の販売ブース。

こちらは地元・長野原町の観光などを発信していたブース。

スポーツショップも1軒出店していました。

奥はコーヒーショップ、手前は焼そば屋。焼きそば屋は他にもう1軒ありました。

こちらは唐揚げとポテト、氷を販売するお店です。この日は寒く、氷は売れたのでしょうか?

電気自動車も出店。ハーフマラソンの最後尾車で走っているのを実際に見ました。

こちらはマッサージ、針灸のブース。スタート前は閑散としていましたが、レース後は施術を受けている人が目立ちました。

荷物預かりもあります。ナンバーカードの末尾の番号で、左右に分散して預かっていました。

9時ちょうどにスタートをするハーフマラソンの選手。三々五々集まってきました。

レース
 午前9時にハーフマラソンの選手がスタートする。
 私の出場する6.5kmのスタートは9時30分と思い、荷物を預けウォーミングアップをしていたが、9時18分頃にスタート場所にかなり人が集まっているので、心配になって行ってみたところ9時20分がスタート時間だった。思い込みは怖いが、今回はスタート時間に遅れることなく何とか間に合う。

午前9時スタートのハーフマラソンの選手。アップダウンのコースが待ち構えています。

ハーフマラソンは、この大会のメイン種目なので参加者が多いですね。

後ろの方の人は、ファンラン派ですね。
北軽井沢鬼押出し太鼓の皆さんのスタート時の演奏。

 9時20分に号砲一発選手が動き出す。ハーフマラソンに比べると選手層が若いのがこの6.5kmの特徴のようだ。6.5kmという距離は半端な距離であるが、折り返しもなくこの北軽井沢地区をほぼ一筆書きで廻ってくることができるので、この距離にしたのであろう。
 スタートしてやはり体が重いと感じる。昨日、コースの試走をしたが、コースミスでかなり余分な距離を走ってしまった影響であろう。すーっと体が前に出る感じがしない。北軽井沢グランドを出て、公道に出たときにはすでに30人ほどの選手が前にいるような感じだった。前半は平坦から下り、後半は一転して上りとなるコースなので、後半に余力を残しておかなければならないのは自明。しかしながら、体が重いことに加え思った以上に苦しい。標高が1,100mという高地を走っているせいであろうか、息の乱れがなかなか直らない。そうこうしているうちに1km地点を過ぎる。3分49秒。最近としては普通のタイムであるが、体に全く余裕がない。

 1km地点を過ぎたあたりからは下りが体感できるような感じになる。オーバーペースにならないようにしながら、下り坂を利用して前半はタイムを稼がなければならない。2km(7分56秒で通過)あたりで前を走る同年代(男子50歳以上)らしき選手に追いつく。この日はナンバーカードが1枚のみ支給なので、雰囲気で判断するしかない。背が大きくストライドは大きいので下りは速そうであるが、登りはやや足下が窮屈という感じの選手だ。この選手に追いつくと同じくらいに後方から別の同年代らしき選手に追いつかれる。同年代では何番手かわからないが、ゴールまでにはこの人らよりも一歩でも二歩でも前に出なければならない。

旧北軽井沢駅庁舎あたりが応援が多いですね。

登録有形文化財になっているだけあって、写真に映えるところの一つですね。

こんなユニークな格好の選手もいました。真夏は暑いでしょうが、この日は寒い日だったのでちょうどよかったかもしれません。

ゴールにかなり近づいてきました。

公道からグランドに入っていきます。残り50mほど。

ここから足下が土に変わりますので、少し注意ですね。最後の最後に足下をすくわれないように・・・。

 広い道路から左折し別荘地の中を走る。3km地点が現れるが、11分57秒で通過。この1kmは4分01秒。ここまでのやや下ってきたにもかかわらずタイムに反映されていない。
 3kmを超えたあたりから下りの勾配がきつくなってきた。先ほどの長身の選手にはここで置いていかれる。ストライドが長い利点を生かしている感じだ。
 4km地点付近が、このコースで一番低いところ。15分50秒で通過。この1kmは3分53秒と下りを利用してペースアップした格好になった。が、息もあまり整わず相変わらず、いっぱいいっぱいの状態が続く。
 本日のタイム(参考)
距離 SPLIT LAP
1km 3’49” 3’49”
2km 7’56” 4’07”
 3km 11’57” 4’01”
4km 15’50” 3’53”
5km 20’55” 5’05”
6km 25’48” 4’53”
ゴール 27’53” 2’05”
 その4km地点の橋を超えてから、このコースの最大の難所(登り坂)が始まった。前半に体に余裕を持たせてここを乗り切ろうと考えていたが、実際には全く余裕がなく、本当に歩きたくなるくらいのペースダウンとなる。2人の同年代らしき選手のうち、長身の選手にはどんどん離される。もう一人の選手は後方にいるようであるが、さらにまた一人、ランシャツランパンの同年代らしき別の選手に抜かれてしまう。ここは少々予想がではあったが、この日はまさに「為す術もなく」という言葉通りだった。

 5km、6kmと距離が進むにつれて登り勾配も緩くなるものの、前の選手との差は一向に縮まらず27分53秒でゴール。完走証をもらいに行くが、そこには「第7位」と印刷されていた。前半から中盤まで競っていた長身の選手、後半抜かれたランパンランシャツの選手といい勝負をしていたら何とか6位には食い込んでいたかもしれない。次回頑張ります。

まもなくゴールです。

9時35分スタートの3km部門の選手も戻ってきました。

ゴール後はチップを回収します。

完走証発行所は長蛇の列。

無料のドリンクコーナーには、寒い日にもかかわらず人が集まります。

番外編
 往路は渋谷から北軽井沢まで高速バスの直行便でやってきたが、復路は正午前後の時間帯に東京方面への直行便がなく、北軽井沢→軽井沢(路線バス)、軽井沢→池袋(高速バス)と乗り継いで帰ることにした。そのうち前半の路線バスであるが、白糸ハイランドウェイを経由して軽井沢駅に向かうルートを走る。途中には、白糸の滝、小瀬温泉、旧三笠ホテル、旧軽井沢などの観光地を経由して軽井沢駅に向かう。軽井沢といえば、昨年の9月に2泊3日の行程で軽井沢に遊びに行っています。うち1泊は軽井沢の老舗旅館の「つるや」に宿泊しました。軽井沢は、このほか走友のNさんや、職場の知り合いの方の紹介で保養所に泊めてもらったりで何度か訪れていますが、昨年9月の家族で旧軽井沢の「つるや」さんに宿泊したのは印象的ですね。今回は、路線バスは旧軽井沢で下車。少しプラプラしながら軽井沢まで歩いて行きました。さすがに日本有数の観光地だけあって、この日も多くの人が旧軽井沢を訪れていました。

会場そばにある、大衆食堂「ますや」さん。昨夜の夕食に引き続き利用しました。

まずは一杯

昼食はカツ煮定食。フキの煮付けは久し振りに食べました。美味しかったです。

北軽井沢のバス停は、「ますや」さんの真ん前。軽井沢方面へ向かう人たちです。

少々遅れて到着。路線バスという雰囲気ではないですね。

乗車率は60〜70%程度。結構混んでいました。

白糸の滝、旧三笠ホテルなどを経由して旧軽井沢に到着。乗り継ぎの高速バスの出発まで時間があったので、旧軽井沢をブラブラしました。

自動車が入れない区間もあります。

こちらは昨年の9月に家族旅行で宿泊した「つるや」旅館。老舗の旅館で、旧軽の雰囲気にぴったりでした。

こちらが正面の玄関。構えからしていいですね。

凄い行列のお店もあります。

軽井沢といえば、レンタサイクルですかね。

峠の釜めしで有名な「おぎのや」さんも軽井沢に店舗があります。

この先を左折すると、あの有名な「万平ホテル」があります。

軽井沢駅に到着。プリンススキー場方面は曇っていました。

軽井沢駅前から池袋までも高速バスで移動。乗車率は50%くらいでしょうか。

さすがに西武バスだけのことはあって、軽井沢プリンスホテルウエストにもバスが停車します。ここも昨年9月に家族でコテージに1泊しました。

途中で関越道の上里SAで休憩です。

上里SAは、バスの休憩場所としてよく使われるようなので、バスがかなり多く停車していました。

関越道の渋滞もあって、池袋には定刻より40分近く遅い17時30分に到着。

本日の戦利品

参加賞のバスタオル(左)。描かれているのは、長野原町のゆるキャラ「にゃがのはら」です。右は本日使用したナンバーカード。

完走証(左)、ゴール後にいただいたクリアファイル(中)、ペットボトルの水(右)です。クリアファイルは、雨天時を考慮したのでしょうか、完走証を入れて渡されました。

会場では無料で「のむヨーグルト」の無料配布と・・・

キュウリとプチトマトの無料配布もありました。プチトマトは、いかにも取れたてという感じであり、またプチトマトとはいえないような大型のサイズでした。ちょっとビックリ