第32回サフォークランド士別ハーフマラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
士別へ 今回、この大会にエントリーしたのは4月。士別という街については、あまり知識はない。極寒の地でありトヨタ自動車の士別の試験場があることは知っていたが、それ以外は毎年7月に開催される士別サフォークランドハーフマラソンの開催場所であるという程度。北海道の中でもどのあたりにあるかということも、今回初めて理解した。 士別への道のりはなかなか遠い。旭川の北に位置するので、旭川空港を経由するのが利便性としては良いのであろうが、便数の多い新千歳経由の方が安い。そのため今回は本八幡→(京成電車)→成田→(バニラエア)→新千歳→(JR)→札幌→(高速バス)→旭川→(JR)→士別と5つの交通手段を駆使して行くことにした。 しかしながら、調べてみると移動に10〜11時間ほどかかるため、早朝に出発しても到着するのは夕方。さすがにこれではコースの下見も試走も出来ない。今回は、初めてということもあり、宿泊料の安い旭川で1泊し、大会前日の下見バスに間に合うように旭川を出発するというスケジュールにした。
ここで士別市の紹介をしておこう。 士別市の人口は約19,000人。昭和45年頃は約38,000人いたが、現在は半減。地方都市が直面する人口減少問題に直面していることがうかがえる。 士別の歴史をいくつか紐解くと、次のようになる。1857年(安政4年)松浦武四郎が天塩川の流域を調査。1899年(明治32年)に屯田兵制度最後となる兵村がおかれ、約100戸が入植。1902年(明治35年)士別村が誕生。1915年(大正4年)に町制が施行され士別町となる。昭和29年士別町と3村が合併・市制施行し、士別市が誕生。2005年(平成17年)、士別市と朝日町が新設合併し、士別市が誕生している。 士別の産業としては第一次産業が中心。大正時代はデンプン製造、昭和初期からは製糖で知られ、現在も甜菜(テンサイ。砂糖大根ともいう。)の工場がある。観光や街おこしのためにサフォークという種類の羊を飼っている。誰の発案で始まったかは調べたがわからなかったが、テンサイだけの街に観光客を誘致するための起爆剤として始めたのであろう。街の至る所で「羊」「サフォーク」という文字が目に付く。 この街のもう一つウリが「合宿の里」。今から40年前に順天堂大学が、この街でがっしゅくをはじめたのが始まりのようだ。順天堂大学の10年の合宿を記念して始まったのがサフォークランド士別ハーフマラソン大会。今や、人口19,000人の街に2,000人に近いランナーがこの地を訪れる大規模な大会となった。さらに、この大会では、全国の実業団ランナー、箱根で上位を争う関東の大学のランナーが大挙してこの大会に参加している。 士別でもう一つ注目されるのは、自動車関連の企業の試験場の多さである。トヨタ自動車士別試験場、ブリヂストン北海道プルービンググラウンド、ヤマハ発動機士別テストセンター、ダイハツ工業北海道試験場などである。寒冷地向けの自動車やタイヤの性能のテストをするのに都合がいいのであろうか。 士別は「サフォーク」、「合宿の里」、「自動車関係の試験場」の街ということを覚えておこう。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 大会当日 朝起きてホテルのそとを見ると、地面が濡れている。夜中に少し雨が降ったのであろうか、空は相変わらずどんよりしている。雨が降ったこともあり、気温は少し下がったようだ。昨日は街中でも25℃くらいあり、この地方としても気温が高い方だったと思う。スタートするまで、気温が低い状態が続けばいいのであるが・・・。
朝食を摂ってホテルを8時40分頃に出発。ホテルから会場まで、距離にして1.3kmほど徒歩で移動する。今日のスタートは10時30分。ナンバーカードは事前送付済みなので、極端に言えばスタート時間に間に合えばいい。とはいえ、有力選手の集まる9時30分スタートのハーフマラソンのスタート風景くらいは見たいものだ。 メイン会場に隣接する体育館に荷物を置いて、軽く体操をしてからスタート地点に向かう。昨日は閑散としていた会場であるが、今日は選手をはじめ家族や関係者で会場はとても賑わっている。約人口19,000人の士別において、一年のうちの数少ない大きなイベントではないかと思う。 パンフレットには、ゲストとして増田明美さん、スキージャンプの船木和喜さん、カーリングの本橋麻里さん、鈴木夕湖さんが来ているらしいが、会場に姿を現していたのは増田明美さんと船木和喜さんの二人。増田明美さんは、いろんな大会でお目にかかっているが、平成7年7月に福井県で開催された第3回花はす早朝マラソンで入賞した際に、賞品などを手渡されたことがある。早いもので23年も前になる。増田明美さんについては、ここで詳しく説明をするまでもないが、日本女子のマラソンの草分け的な選手である。語り口が上手なので、今やマラソン、駅伝シーズンになるとあちこちで解説に引っ張りだこだ。スポーツ選手の転身の成功例といってもいいだろう。
レース 10kmのスタートは10時30分。ハーフマラソンは1周10.422kmを2周するが、これではまだ距離が足らないので、ゴールから遡って253m地点がスタート。逆に10kmは1周すると10kmを超えるので、ゴール地点の422m先がスタートとなる。ハーフマラソンと10kmのスタート地点の差は253m+422m=675mとなる。また、ハーフマラソンの選手が、2周目に10kmのスタート地点までに走る距離は、10.422km(一周の距離)+0.675km(スタート地点の差)=11.0975kmとなる。ハーフマラソンの距離から10kmを引いたと考えてもいい。 ハーフマラソンの先頭が3分/kmで走るとなると、約11kmを走るのには33分かかる。ハーフマラソンのスタート時間が9時30分なので先頭通過は10時03分頃。10kmのスタート時間より27分ほどまでにすっかり通り過ぎていることになる。 私が10kmのスタート地点に向かうときに、コース上を走っている選手は、10kmを約1時間ほどかけて走っている選手なので、イーブンでゴールまで走っても2時間ほどになるペースの選手ということになる。このくらいのペースになると、必死の形相という選手は少なく、苦しいながらもにこやかに走っている選手が多いような気がする。
この大会は、ハーフ、10kmとも陸連公認コースで開催され、また陸連登録の部をそれぞれ設けているので、陸連登録者がこのコースで走れば記録は公認される。ハーフマラソン同様、係員が登録者は前に来るようにアナウンスをしている。男子の登録者は歩道側、女子の登録者は道路の中央分離帯側に並ばされるが、その数は男子の方が圧倒的に多い。私は比較的空いている、女子の登録者の後方に並ぶ。 10時30分、ピストルの合図で一斉にスタート。公認コースで走るのは久し振りだ。男子の登録した選手らはあっという間に前に行ってしまったが、女子の登録した選手は必ずしもそういう感じではなく、もたついている選手も何人か見かける。女子であれば10kmを40分程度で走る力量ならば、登録している選手は普通にいるい。今日はペースが合えば、このくらいのペースの女子選手をペースメーカに出来ないかと考える。今日の目標はレベルは低いが41分台。直前に練習が出来なかったことを考えると41分台も危ういかもしれない。
しばらく走ると、同年代の選手を一人見つける。この選手を一旦抜き去るものの700mほどで、すぐに抜き返される。スタートしてから二度ほど左折すると1km地点を迎える。3分53秒。前週の水曜日にギックリ腰になったこともあり、治療に専念したせいで練習不足。体の動きも悪く、自分でもかなり無理をして走っている感じがする。1kmを過ぎると後方から一人同年代の選手に抜かれる。今日はこの調子だと、ゴールまで抜かれる一方になるいやな予感がする。 1kmを過ぎて右折し、セブンイレブンがあるあたりから登りが始まる。ややダラダラしている感があるが、このコースの中では一番上り坂が続く箇所になる。前方には、同年代の選手が一人いることを確認できるが、先ほどの2人とは異なるので、私の前に少なくとも3人の同年代の選手がいることになる。2kmの通過が8分09秒。この1kmは登り坂になったこともあり4分16秒かかっている。
下り坂は短く、割と早く平坦になる。土建屋の施設の前が3km地点であるがここの通過が12分20秒。この1kmで4分11秒とペースが全然上がっていない。天塩川にかかる中士別橋を越えて少し行ったところが4km地点。16分39秒で通過。この1kmはさらに遅く4分19秒もかかっている。今日はすこぶる体が動かない。ゴールまでまだ6kmも残っている。苦しいながらもまとめなければいけない。4kmを過ぎると1kmほど直線が続く。北海道はこういうところが多いが変化がなく前を走る選手を見つめながら走る。
5kmを過ぎてからは、わずかであるが向かい風になる。涼しいといえば涼しいが、走りにはマイナスかもしれない。6km地点を25分28秒で通過。この5kmも4分22秒と相変わらずペースが上がらず。そうこうしているうちに、後ろから女子選手と女子選手をペースメーカにしている同年代の選手に抜かれる。これで同年代の選手が前に5人いることになり、仮にこの数が合っていたとしても現在は6番目。入賞がギリギリのラインになってきた。 7km地点を過ぎて左折。天塩川にかかる九十九橋前後でアップダウンがあるがあるが、終盤に差し掛かってきても苦しかった。8kmを34分18秒で通過。この先も少し登りがあるが、全体的には大きくペースを落とすような場所は少ない。残り1km地点を38秒47秒で通過。このあたりから先は完全に平坦になる。 左折してグリーンベルトのある道路に出ると、ゴールまでは一直線だ。このあたりからは11時スタートの2kmの小学生や11時10分スタートの5kmの選手が同じコースで入り乱れる。残り150mほどだろうか後ろから大きな足音が聞こえてくる。ここまで来て、これ以上抜かれるのも嫌なので最後の最後にペースアップをする。ゴールタイムは43分04秒と、目標の41分台にも及ばず冴えなかったが、以前から一度走ってみようと思っていたこの大会をキチンと完走できたのは少ない満足感のうちの一つだった。
本日の戦利品
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