第28回はしかみつつじマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三陸海岸を縦断作戦
「今年はどうしようか?」と考えていたところ、3月23日に三陸鉄道が全通するというニュースが入った。具体的には、JR東日本から山田線(宮古‐釜石間)の移管を受け、盛駅から久慈駅までの163kmが三陸鉄道リアス線として一つになるというもの。 「となれば、この機会を利用して乗ってみるしかない!」ということで、今回は三陸鉄道・南リアス線の終着駅となっている盛から、盛→(旧南リアス線)→釜石→(旧JR山田線)→宮古→(旧北リアス線)→久慈というように、三陸鉄道リアス線163kmをまとめて乗ろうという計画を立てた。
マラソン大会前日ではあるが、なかなかこういう機会でもなければ三陸方面には行く機会がないので、少々強行軍ではあるが、池袋からの夜行バスで一関に向かうことにした。 計算してみると総延長が328.1km。東京から東海道本線で名古屋までが366kmなので、これより少し短い程度。一ノ関を午前6時前に出発して、本八戸には17時少し前に到着するので、乗り換えの待ち時間を含めると11時間弱の非常に長い行程となった。 一ノ関駅 夜行バスは、早朝5時前にJR一ノ関駅前に到着した。一ノ関駅前では私を含め3人が下車をする。バスの車内では半袖で過ごしたが、車外に出るとさすがに寒い。一関市のこの日の5時の気温は12.3℃。さすがに緯度が高いだけのことはある。慌てて長袖シャツとウインドブレーカを羽織る。霧が立ち込んでいるせいか余計に寒く感じる。
ちなみにJRの駅名は「一ノ関」であるが、市の名前は「一関」なので少々ややこしい。 その一関市にやってくるのは、平成24年9月の第31回一関国際ハーフマラソン大会に出場するために来て以来、約7年ぶりとなる。このときは、走友のN村さんとの遠征。現地では、名古屋市から陸前高田市へ復興派遣で来ていた名古屋市役所のN藤さんと合流。3人でレースを楽しんだ記憶がある(N藤さんは既に派遣期間を終えて名古屋市役所に戻っている)。 さらに遡って、平成21年9月にも第28回一関国際ハーフマラソン大会に参加している。第28回大会と第31回大会ではコースが大幅に変わったが、第28回大会の時は確か一ノ関駅のそばまで走っていたような気がする。「ここだったかなあ?」と勘を頼りに20分ほど歩いたがコースは発見できず。(あとでコースを見たら違うところを歩いてしまっていた) 今日のスタートはJR一ノ関駅。5時59分の大船渡線の始発に乗ることになるが、街をフラフラ歩いて戻ってきてもJR一ノ関駅は閉まっている。しばらく待っていると、5時30分頃、女性の駅員さんがやってきて解錠してくれる。BRTを含め盛までの乗車券を買おうと思ったものの、自販機には表示がない。出札口に行くと先ほどの女性の駅員さんがいるではないか。アナウンスもしているので、早朝はどうも一人で対応しているようである。 「盛までは、どうやって買えばいいのでしょうか?」と私。「すみませんね。すぐに行きます」と、出札口を出て自販機の前に。「う〜ん、確かに盛まで買えませんね。ちょっとお待ちください」と、別の場所へ行ってしまった。1分ほどして戻ってきて「こちらの方で買えますので」と案内してもらった。その場所はみどりの窓口横の券売機。こちらは新幹線の切符をはじめ遠距離の切符が買える券売機になっている。みどりの窓口が午前7時からだったので、私がその自販機に気がつかずスルーしたところだった。なるほど、確かにここならば盛まで買える。 お礼をいうとしばらくしてその駅員さんは「よかったらどうぞ。今日からBRTの方ですが、道がよくなって3分ほど速くなっています」と説明する。私に差し出したのは大船渡線の時刻表とBRTの時刻表の2つだった。ちょうど時刻表が欲しいと思っていたベストタイミング。早朝閑散としているのでこういうサービスが出来たかもしれないが、それを差し引いてもなかなか親切に対応してもらい、朝から非常に気分がよくなった。一ノ関駅には女性の駅員さんは何人もいるかもしれないが、やや年配の女性だと言うことを付け加えておこう。いろいろとありがとうございました。
JR大船渡線とBRT 一ノ関から気仙沼までは、大船渡線で1時間半弱。土曜日の早朝、一ノ関から気仙沼方面に行く人はほとんどいない。車内は私を含め3人ほどで閑散としている。 昨年は、盛岡から宮古までJR山田線に乗車し、東北地方の背骨から三陸へ抜けた。この東北地方の背骨から三陸へ抜ける方法は、南から小牛田→石巻(石巻線)、小牛田→気仙沼(気仙沼線)、一ノ関→盛(大船渡線)、花巻→釜石(釜石線)、盛岡→宮古(山田線)の5通りかある。このうち、花巻→遠野(釜石線)と盛岡→宮古(山田線)は、いずれも山間をうねうねと走るもの。大船渡線についても、程度の差はあれそういうものかと予想していたが、山田線ほどではないものの、やはりそういう感じの路線であった。 新月を過ぎて終点の気仙沼に近づくにつれて、大船渡線に沿って右側に道路が現れる。「もしかしたらこれがBRT用の道路?」と思い眺めていたところ、気仙沼に着く頃には右側に赤いバスが見えてきた。やはり、これがBRT用の専用道路だった。
気仙沼での接続時間は5分。写真を取り急ぎ数枚撮ってBRTに乗り込む。乗客は数人。一番前の席が空いていたのでここに座らせてもらう。運転手とほぼ同じ位置で前方が見えるので、初めて乗る場合はなるべくこの位置に座ることにしている。 盛行きのBRTは定刻に出発。これから盛まで43.7kmを約80分かけて走る。専用道ばかりを走るわけではないので時間がかかるのはわかるが、平均時速が33km程度とちょっと速めの自転車と変わらない。利用できる公共交通機関が他になければやむを得ないが、少々スピード感の無さが気になる。 BRTは気仙沼を出発すると、しばらくして左側の車止めを横目に見ながら専用道を走り出す。しばらく走ると遮断機の前で停まる。専用道を走っているにもかかわらず遮断機で停まるのは不思議であった。しばらく停まった後、遮断機は上がる。目の前を何かが通り過ぎたわけではないので、どういう場合に上がるのかはよくわからない。その後、専用道をもともと鉄道があったと思われるところで現在は舗装された専用道を突き進む。トンネルがいくつも出てくるので、鉄道の跡をそのまま利用していることがよくわかる。また、ところどころで、待避線らしきところで停まるが、これは単線の鉄道と同じく、列車(バス)交換のための待避のようだ。さすがにもともと単線の跡地を利用しているので、、待避場所を除けばBRT一台が通るのが精一杯の幅しか整備されていない。 気仙沼の次の「鹿折唐桑」では、乗降客はいなかったが、この乗り場の先でBRTは右折して一般道を走ることになる。
陸前高田〜盛
也峠道を走っている間は、震災の影響を感じさせなかったが、峠を過ぎて下りだすと「ここから過去の津波浸水区間」の表示が見えてくる。この先は海に近いということだろう。しばらくすると、バスの右側には、明らかに津波被害を受けたままの建物(遺構として残している?)も見える。 車内では「次は奇跡の一本松、奇跡の一本松です」とアナウンスがある。震災後、一年半ほどしてマラソン大会のついでに陸前高田に立ち寄ったときは、ちょうどその奇跡の一本松が修復に出され根元から無くなっていたが、現在は元も場所に戻され復元された状態でそびえ立っている。震災後は地元の人々に勇気を与える象徴であったが、今はどうだろうか。地元の人に聞いたわけではないのでわからないが、通りすがりのものとしては震災の遺構の一つのような気もする。
BRTは復興された新しい道路を陸前高田市内に向かって走っていく。通常の路線バスとは違うので、駅(BRTなので駅として表現することとする)の数は少ない。奇跡の一本松の次の停車は「陸前高田」。 陸前高田の駅は、さすがに新しくきれいであるが、乗降客はいなかった。陸前高田の中心駅なので、駅の造りもバスターミナルという感じになっている。 しばらく時間調整をした後出発。高田高校前を通り(県立)高田病院に向かう。このあたりになると、元々の大船渡線の走っていたところから大きく外れ、コミュニティバスのような小回り差で経路を決めている感じがする。県立高田病院は、調べたところかつては陸前高田の中心部にあったが、東日本大震災で4階まで津波に浸かってしまい、現在の高台に新たに建てられたようである。この日は土曜日で病院もお休みのせいか、乗降客はいなかった。その後、脇ノ沢、西下と停車し、小友の手前からBRT専用線に入る。ここから先の盛までは、BRT専用船が整備されていた。終点の盛に近づくにつれて、少しずつ乗客が増えてくる。盛には定刻の8時47分から3分ほど遅れて到着。15人ほどの乗客はここで全て下車する。
三陸鉄道北リアス線 コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。(第27回大会と同じ) レース 昨年と宿泊するホテルは変更したものの、昨年宿泊したホテルはほぼ真向かい。八戸市の中心街にある。そのため朝起きてから、バスに乗って会場に到着するまでのパターンは昨年とほぼ一緒で行程を組んだ。 朔日町のバス停から階上へ行くのは、私ともう一人茨城県取手市からやってきたいう年配の男子の2人。途中のバス停からポツリポツリと乗ってきて、会場そばの登山口で下車したのは4人。受付の時間までに間に合わせようとしたら、朔日町7時49分→登山口8時24分が最終。その前となると1時間も前に八戸市内を出発しなければならない。大半のランナーが自動車で会場までやってくるだろうことが容易にわかる。
さて、昨年はこの大会で遠来賞をいただいたが、今年の遠来賞は京都府からやってきた私と同年代の男性だという。千葉県→青森県と京都府→青森県では勝負にならない。そのほか、最高齢者賞として85歳の男性と77歳の女性、最年少参加者としては3歳の子どもたちが賞を受け取っていた。そのほか、令和になったことを記念して、名前に「令」または「和」が入っている人も表彰を受けていたが、こちらは僅かに3人。思ったほどいなかったようだ。 レースは10時ちょうどにスタートする2km部門、3km部門に続き、10時30分に5km部門と10km部門が同時にスタートする。2km部門、3km部門の選手の戻ってくる時間を見ながら、5km部門と10km部門の時間を動かすことも考えていたようで、「10時35分のスタートします」と言ったり「選手が戻ってきたので10時30分に戻しますとか」二転三転する。こういうのは一番よくない。スタート時間から逆算してウォーミングアップをしているので、スタート・ゴールが同じ場所で選手の交錯が考えられるのであれば、最初からスタート場所を公道上に変えればいい。少人数で混雑も少なくいい大会であると思っていたが、今回は残念であった。
結局、10時30分にスタート時間は戻り、ピストルの号砲で一斉にスタートをする。今回は最前列を確保出来たので、ロスタイムなしにスタートを切ることができた。スタートして100mほどで左折し公道に出る。少し緩く上るが、このあたりで後方からのランナーにやや抜かれ出す。前方を見るとナンバーが黒数字の10km部門の選手が多く、ナンバーが赤数字の選手はやや少ない感じ。私と同年代の800番台の選手は見あたらなかったが、公道の直線部分で800番台の選手に抜かれる。決して速いペースではないが、私がズルズルと遅れ出す。今日は体の動きがいいと感じたが、走ってみるとやはりスピードがないことがよくわかる。
片側2車線の道路を左折し、畑の多い農道のような道に入っていく。このあたりからはしばらくは緩く下っている。左右に畑が広がり空気がいかにもきれいな感じがする。選手はこのあたりでかなりばらけた感じになった。1kmの通過が3分55秒。昨年が3分48秒なので7秒ほど遅い。この先の1.5km地点を左折するとジェットコースターのようなアップダウンが待ち構えている。 ちょうどその1.5km地点を曲がったあたりで、後方から800番台の選手に追いつかれる。1.5kmあたりから下りの間は併走していたものの、登りが始まると私の方がズルズルと後退を始める。もう一人、下の年代の選手にも同じようなパターンで離される。 今年は昨年と違って、折り返し地点の少し前に給水所があり、給水をしてから折り返す。折り返し地点のタイムは10分35秒。昨年が9分57秒なので38秒も遅い。この1kmで昨年比で31秒も遅れた勘定になる。上り坂が全く登れないのは、体感からもタイムからも明らかだった。
上りで水を開けられた分、下りで取り返そうにもなかなか思うように足が出ない。同年代の選手との差は開く一方。かたや若い年代の選手とは下りで差を詰め、その後の上りでも大きく差を開けられずに何とかその位置を保つ。 残り1.5kmくらいから勾配が緩くなり、その若い選手をようやく逆転する。ただし同年代の選手とは離れる一方だった。この付近からゴールまでは単独走になってしまった。ゴールタイムは22分01秒。前後の間隔が空いてしまったこともあり、少々気が抜けてしまったこともあるが、昨年が20分48秒だったので、わずか5kmで1分13秒も遅い。1kmあたりにすると14〜15秒ではあるが、平坦なところはともかく上りが異常に遅い。今回も課題が浮き彫りになったので、改善策を施して秋口までには何とか昨年並みにまで戻したいところである。
登山口食堂 本日の戦利品
|