第28回はしかみつつじマラソン 参戦記

 2年連続の参加です。

 昨年は、遠来賞をいただいたこともあり、私の中では「いい大会」に位置づけられています(笑)。参加賞はわずかに2,500円と今時この値段でよくやれるなあと感心するばかりです。参加賞もTシャツ、せんべい汁のほかゴール後に水の配布、またスポンサーのかもめちくわからは4本入りのちくわが配られます。走って、参加賞をもらうだけでも2,500円は主催者としては間違いなく赤字のはずですが、この値段でよく頑張っていると思います。

 残念ながら参加者については、昨年比で少々減っています。主催者側も気にしているようですが、おそらく距離が最長でも10kmまでしかないことが一つの原因かもしれません。参加者を集めるだけが目的というのであれば、手っ取り早い方法としてはハーフマラソンくらいの距離の種目を一つ入れる方法があります。しかしながら、私のようにマラソンをゆっくり走るより、5km・10kmをガンガン走る方が好きなタイプもいますので、この大会はマンモス大会になって欲しくはないと思っています。

 さてレースの方ですが、参加者が少ないこともあり今年も10kmと5kmが同時スタートです。1.5kmくらいまではゆっくり下っていますが、そこから1kmは傾斜が10%は間違いなくあるような激坂のアップダウンがあります。今年もここがポイントであることは重々承知でしたが、昨年以上に登りが走れず、ここで併走していた選手に離されてしまいました。今年は昨年に比べ同年代の参加者のレベルが下がったこともあり、タイム的には昨年比で1分以上も落ちていますが、何とか年代別3位に食い込むことが出来ました。

 また、今年は大会終了後に、近くで開催している「臥牛山(がぎゅうざん)まつり」もも覗いてきました。ラム肉も食べられるとありましたが、売り切れそうな気配がしたので、マラソン大会会場そばの「登山口食堂」という、昨年から気になっていたところでジンギスカンを食べてきました。いろんな意味でちょっとやばそうな感じのお店でしたが、80を明らかに過ぎたおばあちゃんが一人で切り盛りしているので、あと数年したらこのお店はなくなっているかもしれません。
 

●大会名 第28回はしかみつつじマラソン
●開催日 令和元年年6月2日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
階上町立中央体育館発着(地図)(青森県三戸郡階上町) 

大会要項 

プログラム

コースマップ
コースガイドはこちら
(第27回大会に同じ)
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、23℃くらい
●参加賞 Tシャツ、かもめちくわ、水(ゴール後)、せんぺい汁、リ・ソビームちっぷ、ポケットティッシュ(抽選会)
●結 果 22分01秒(5km 総合 第15位、50歳以上男子 第3位)
●表彰 賞状、メダル
●過去の戦績
H30.6.3   第27回   5km   20分48秒   総合第13位 年代別第3位   (56歳)
●交通手段等
【5月31日(金)/1日目】
徒歩 マンション 21:25 本八幡駅 21:33
地下鉄 本八幡 21:39 小川町 22:08 都営新宿線
淡路町 22:13 池袋 22:26 メトロ丸ノ内線
夜行バス 池袋駅西口 23:00 一ノ関駅 4:48 けせんライナー
4:49
【6月1日(土)/2日目】
JR 一ノ関 5:59 気仙沼 7:25 大船渡線
気仙沼 7:30 8:50 大船渡線BRT
( 8:47 )
三陸鉄道 10:00 宮古 12:24 南リアス線
宮古 13:19 久慈 14:54 北リアス線
( 13:15 )
JR 久慈 15:00 本八戸 16:42 八戸線・リゾートうみねこ
徒歩 本八戸駅 16:42 ホテル 17:00
【ホテルイルヴィアーレ八戸アネックス/泊】
【6月2日(日)/3日目】
徒歩 ホテル 7:31 バス停 7:35
南部バス 八戸中心街・朔日町 7:49 登山口 8:24
徒歩 バス停 8:24 会場 8:30
【第28回はしかみつつじマラソン 5km 10:30スタート】
   【昼食/登山口食堂】
   【臥牛山まつり/見学】
南部バス 登山口 13:54 八戸中心街・八日町 14:26
13:52 14:30
徒歩 バス停 14:35 温泉 14:58
【八戸城下町温泉 花衣/入浴】
徒歩 温泉 17:00 八戸中心街 17:35 (途中の買物も含む。)
    【夕食/割烹さんりく】
夜行バス 八戸中心街・六日町 19:35 バスタ新宿 5:15 MEX八戸
( 5:25 )
【6月3日(月)/4日目】
地下鉄 新宿 5:36 本八幡 6:16 都営新宿線
徒歩 本八幡駅 6:16 マンション 6:26
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 2,500円  
地下鉄 195円 (淡路町〜池袋/本八幡〜小川町は定期券区間)
216円 (新宿〜小川町/小川町〜本八幡は定期券区間)
夜行バス 7,540円 (池袋駅西口〜一ノ関駅/けせんライナー)
7,600円 (八戸中心街・六日町〜バスタ新宿/MEX八戸)
入浴料 400円 (八戸城下町温泉 花衣)
JR 1,880円 (一ノ関〜盛)
1,140円 (久慈〜本八戸)
三陸鉄道 3,710円 (盛〜久慈/片道途中下車きっぷ)
南部バス 500円 (朔日町→登山口)
500円 (登山口→八戸中心街・八日町)
宿泊料 4,100円 (ホテルイルヴィアーレ八戸アネックス) 
合 計 30,281円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。5km 男子50歳以上は6位まで (★は加藤が参加した部門
【10km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
49歳以下男子 43人 工藤 翼 33 青森県六ヶ所村 六ヶ所村役場 33’48”
50歳以上男子 45人 和田 政明 50 青森県青森市 サテライト六戸 37’45”
一般女子 13人 名久井 由香 36 青森県青森市   53’00”
【5km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
34歳以下男子 15人 五十嵐 斐郷 34 青森県八戸市 ST六戸 17’00”
35歳〜49歳男子 27人 鈴木 友幸 36 青森県南部町   17’16”
★50歳以上男子 25人 石岡 尊広 58 青森県青森市 青森競輪場 19’22”
和田 忠 58 青森県おいらせ町   21’02”
加藤 一郎 57 千葉県市川市 名古屋市役所走友会 22’01”
川村 幸夫 57 青森県八戸市   22’49”
古川 勝久 57 青森県八戸市 レストランきの字クラブ 22’54”
笹山 和重 52 青森県おいらせ町   24’01”
一般女子・高校女子 10人 番沢 亜貴子 33 青森県八戸市 JOYFIT八戸 22’18”
【3km−10時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢  住所 所属 記録
小学生男子 42人 沼山 在音 12 青森県東北町 甲地小学校 10’46”
中学生男子 3人 田村 京也 15   道仏中学校 10’00”
小学生女子 37人 鈴木 愛菜 12 青森県三沢市 上久保小学校 11’51”
中学生女子 8人 平井 遥菜 12 青森県むつ市 田名部中学校 11’29”
一般女子・高校女子 17人 廣田 清香 39 青森県八戸市 青森陸協 11’37”
【2km−10時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所 住所 所蔵 記録
フリー 49人 表彰なし
総合計 334人  

三陸海岸を縦断作戦
三陸縦断距離
路線名 区間 距離
JR大船渡線 一ノ関〜気仙沼 62.0km
JR大船渡線BRT 気仙沼〜盛 43.7km
旧南リアス線 盛〜釜石 36.6km
旧山田線 釜石〜宮古 55.4km
旧北リアス線 宮古〜久慈 71.0km
JR八戸線 久慈〜本八戸 59.4km
合計 328.1km
 今年も出発は大会の前々日金曜日。昨年は夜行バスでまずは盛岡へ。盛岡で早朝練習を行った後、JR山田線で宮古へ。宮古からは三陸鉄道に乗り換えて北リアス線をそのまま北上し八戸に入った。

 「今年はどうしようか?」と考えていたところ、3月23日に三陸鉄道が全通するというニュースが入った。具体的には、JR東日本から山田線(宮古‐釜石間)の移管を受け、盛駅から久慈駅までの163kmが三陸鉄道リアス線として一つになるというもの。
 「となれば、この機会を利用して乗ってみるしかない!」ということで、今回は三陸鉄道・南リアス線の終着駅となっている盛から、盛→(旧南リアス線)→釜石→(旧JR山田線)→宮古→(旧北リアス線)→久慈というように、三陸鉄道リアス線163kmをまとめて乗ろうという計画を立てた。

この日は池袋駅西口から一ノ関駅へ向かう。金曜日の夜だけあって、ほぼ満席。
 ただし、この盛に行くためには調べたところ、一ノ関→(JR大船渡線)→気仙沼→(JR大船渡線BRT)という乗り継ぎでしかいけないことが分かった。一ノ関からの始発列車に乗れば、何とか夕方までには八戸に行くことが出来ることもわかった。
 マラソン大会前日ではあるが、なかなかこういう機会でもなければ三陸方面には行く機会がないので、少々強行軍ではあるが、池袋からの夜行バスで一関に向かうことにした。

 計算してみると総延長が328.1km。東京から東海道本線で名古屋までが366kmなので、これより少し短い程度。一ノ関を午前6時前に出発して、本八戸には17時少し前に到着するので、乗り換えの待ち時間を含めると11時間弱の非常に長い行程となった。

一ノ関駅
 夜行バスは、早朝5時前にJR一ノ関駅前に到着した。一ノ関駅前では私を含め3人が下車をする。バスの車内では半袖で過ごしたが、車外に出るとさすがに寒い。一関市のこの日の5時の気温は12.3℃。さすがに緯度が高いだけのことはある。慌てて長袖シャツとウインドブレーカを羽織る。霧が立ち込んでいるせいか余計に寒く感じる。

池袋駅西口から乗車した夜行バスは、ほぼ定刻に一ノ関駅前に到着。所要時間も6時間弱のためあまり眠れなかった。

こちらはJR一ノ関駅。人口約12万1,000人の一関市の玄関。岩手県史南端の都市。東京から約450kmほどのに位置する。東北新幹線の停車駅でもある。

 ちなみにJRの駅名は「一ノ関」であるが、市の名前は「一関」なので少々ややこしい。
 その一関市にやってくるのは、平成24年9月の第31回一関国際ハーフマラソン大会に出場するために来て以来、約7年ぶりとなる。このときは、走友のN村さんとの遠征。現地では、名古屋市から陸前高田市へ復興派遣で来ていた名古屋市役所のN藤さんと合流。3人でレースを楽しんだ記憶がある(N藤さんは既に派遣期間を終えて名古屋市役所に戻っている)。
 さらに遡って、平成21年9月にも第28回一関国際ハーフマラソン大会に参加している。第28回大会と第31回大会ではコースが大幅に変わったが、第28回大会の時は確か一ノ関駅のそばまで走っていたような気がする。「ここだったかなあ?」と勘を頼りに20分ほど歩いたがコースは発見できず。(あとでコースを見たら違うところを歩いてしまっていた

 今日のスタートはJR一ノ関駅。5時59分の大船渡線の始発に乗ることになるが、街をフラフラ歩いて戻ってきてもJR一ノ関駅は閉まっている。しばらく待っていると、5時30分頃、女性の駅員さんがやってきて解錠してくれる。BRTを含め盛までの乗車券を買おうと思ったものの、自販機には表示がない。出札口に行くと先ほどの女性の駅員さんがいるではないか。アナウンスもしているので、早朝はどうも一人で対応しているようである。
 「盛までは、どうやって買えばいいのでしょうか?」と私。「すみませんね。すぐに行きます」と、出札口を出て自販機の前に。「う〜ん、確かに盛まで買えませんね。ちょっとお待ちください」と、別の場所へ行ってしまった。1分ほどして戻ってきて「こちらの方で買えますので」と案内してもらった。その場所はみどりの窓口横の券売機。こちらは新幹線の切符をはじめ遠距離の切符が買える券売機になっている。みどりの窓口が午前7時からだったので、私がその自販機に気がつかずスルーしたところだった。なるほど、確かにここならば盛まで買える。

 お礼をいうとしばらくしてその駅員さんは「よかったらどうぞ。今日からBRTの方ですが、道がよくなって3分ほど速くなっています」と説明する。私に差し出したのは大船渡線の時刻表とBRTの時刻表の2つだった。ちょうど時刻表が欲しいと思っていたベストタイミング。早朝閑散としているのでこういうサービスが出来たかもしれないが、それを差し引いてもなかなか親切に対応してもらい、朝から非常に気分がよくなった。一ノ関駅には女性の駅員さんは何人もいるかもしれないが、やや年配の女性だと言うことを付け加えておこう。いろいろとありがとうございました。

こちらがみどりの窓口の横にある自販機。新幹線などの遠距離用はこちらで購入することとなる。

出てきた切符は、なるほど窓口で購入するものと同じ。今日はこの切符で一日が始まった。

JR一ノ関駅で女性の駅員さんからいただいた時刻表。途中駅の通過時間が分かるので、遅れているかどうかが瞬時に分かった。

大船渡線の始発5時59分の気仙沼行きがスタート。かわいい2両編成のようだ。

3番線には、2両編成の気仙沼行き列車が停まっていた。ホームには人がいなく閑散。

土曜日の早朝、地方都市と反対方面へ行く乗客は少ないのだろう。

JR大船渡線とBRT
 一ノ関から気仙沼までは、大船渡線で1時間半弱。土曜日の早朝、一ノ関から気仙沼方面に行く人はほとんどいない。車内は私を含め3人ほどで閑散としている。
 昨年は、盛岡から宮古までJR山田線に乗車し、東北地方の背骨から三陸へ抜けた。この東北地方の背骨から三陸へ抜ける方法は、南から小牛田→石巻(石巻線)、小牛田→気仙沼(気仙沼線)、一ノ関→盛(大船渡線)、花巻→釜石(釜石線)、盛岡→宮古(山田線)の5通りかある。このうち、花巻→遠野(釜石線)と盛岡→宮古(山田線)は、いずれも山間をうねうねと走るもの。大船渡線についても、程度の差はあれそういうものかと予想していたが、山田線ほどではないものの、やはりそういう感じの路線であった。
 新月を過ぎて終点の気仙沼に近づくにつれて、大船渡線に沿って右側に道路が現れる。「もしかしたらこれがBRT用の道路?」と思い眺めていたところ、気仙沼に着く頃には右側に赤いバスが見えてきた。やはり、これがBRT用の専用道路だった。

一ノ関〜気仙沼の大船渡線はワンマン運転。

気仙沼駅が近づくと右側からBRT専用道と並行するようになった。

気仙沼には定刻に到着。ここでBRTに乗り換え。

ホームの先を見ると赤色のバスが停まっています。

手前が盛方面のBRT乗り場(大船渡線BRT)、奥側が本吉、志津川、柳津方面のBRT乗り場(気仙沼線BRT)。気仙沼では、2方向のBRTに接続している。

今日は盛まで行くので、大船渡線BRT乗り場からバスに乗車する。

 気仙沼での接続時間は5分。写真を取り急ぎ数枚撮ってBRTに乗り込む。乗客は数人。一番前の席が空いていたのでここに座らせてもらう。運転手とほぼ同じ位置で前方が見えるので、初めて乗る場合はなるべくこの位置に座ることにしている。

 盛行きのBRTは定刻に出発。これから盛まで43.7kmを約80分かけて走る。専用道ばかりを走るわけではないので時間がかかるのはわかるが、平均時速が33km程度とちょっと速めの自転車と変わらない。利用できる公共交通機関が他になければやむを得ないが、少々スピード感の無さが気になる。
 BRTは気仙沼を出発すると、しばらくして左側の車止めを横目に見ながら専用道を走り出す。しばらく走ると遮断機の前で停まる。専用道を走っているにもかかわらず遮断機で停まるのは不思議であった。しばらく停まった後、遮断機は上がる。目の前を何かが通り過ぎたわけではないので、どういう場合に上がるのかはよくわからない。その後、専用道をもともと鉄道があったと思われるところで現在は舗装された専用道を突き進む。トンネルがいくつも出てくるので、鉄道の跡をそのまま利用していることがよくわかる。また、ところどころで、待避線らしきところで停まるが、これは単線の鉄道と同じく、列車(バス)交換のための待避のようだ。さすがにもともと単線の跡地を利用しているので、、待避場所を除けばBRT一台が通るのが精一杯の幅しか整備されていない。
 気仙沼の次の「鹿折唐桑」では、乗降客はいなかったが、この乗り場の先でBRTは右折して一般道を走ることになる。

左は大船渡線。7時30分に盛行きのBRTは出発しました。

しばらくすると大船渡線の車止めが見えます。この先は鉄道路線がなくなってしまいました。

なぜかBRT側に遮断機があり、車両はここで停まります。何かが通過するわけではありませんが、しばらくすると遮断機は上がりました。

ところどころに信号があります。待避線で向こう側から車両が来なければ青色に変わるようなシステムのようです。

いかにも以前鉄道用のトンネルとして使われていた感がたっぷりあります。

気仙沼を出てしばらくはトンネルをいくつか通り過ぎます。トンネルとトンネルの間にも待避線があります。鉄道と比べてスピードが遅いせいか、待避線の数が多いような気がします。

気仙沼からしばらくは比較的民家が多いです。ただし、従前から駅がなかったせいか、BRTはこのあたりでは停まりません。

最初の停車は「鹿折唐桑」。かつてはここに駅があったのでしょう。BRTはその先を右折し一般道を走ることになりました。この先のBRTの整備がされていないのか、される予定がないのかわかりませんが、今のところBRT専用道路はないようです。

陸前高田〜盛

上の写真を拡大したところ。鹿折唐桑の先は右折しか出来ないようになっている。この先もBRT専用線が整備されるのであろうか。
 鹿折唐桑から先を右折すると、すぐさま信号がある。こちらはBRT専用線の信号ではなく一般道の信号。ここからはフツーの路線バスになってしまった。このあたりは道路も広く、また新しい建物も多い。見るからに東日本大震災の際に津波で被害を受けたことが容易に想像できる。更地になったままのところもかなり目立つ。その後バスは国道45号線に入り、峠道を越えながら北上。最終目的地の盛を目指す。

一般道に出たところですぐに信号交差点があった。ここからは普通の路線バスと変わらない。

復興整備で道路が拡張されたのであろうか、道幅が広く感じる。左右には震災後に新たに建てられたものばかりであるが、その一方で更地もかなり目立つ。

このあたりは震災で被害が少なかったところであろうか。BRTは国道45号線の峠道を越えていきます。

陸前高田 19km、大船渡 34kmと鉄道であれば大した距離ではないが、路線バスと思うと少々長い道のり。

 也峠道を走っている間は、震災の影響を感じさせなかったが、峠を過ぎて下りだすと「ここから過去の津波浸水区間」の表示が見えてくる。この先は海に近いということだろう。しばらくすると、バスの右側には、明らかに津波被害を受けたままの建物(遺構として残している?)も見える。

 車内では「次は奇跡の一本松、奇跡の一本松です」とアナウンスがある。震災後、一年半ほどしてマラソン大会のついでに陸前高田に立ち寄ったときは、ちょうどその奇跡の一本松が修復に出され根元から無くなっていたが、現在は元も場所に戻され復元された状態でそびえ立っている。震災後は地元の人々に勇気を与える象徴であったが、今はどうだろうか。地元の人に聞いたわけではないのでわからないが、通りすがりのものとしては震災の遺構の一つのような気もする。

峠を越えて国道45号線を下っていくと何やら看板が見えてきました。

この先が、どうも東日本大震災の際の津波浸水の被害に遭った場所のようです。地震の際には、ここより下には行ってはいけないという意味かと思われます。

平坦になってきたところで海が見えてきました。

こちらも津波の被害に遭った建物のようです。取り壊しがされていないということは、こちらも遺構として保存するのでしょうか。

BRTから見えた奇跡の一本松。後方の建物は、テレビ等でよく見かけますが、こちらも取り壊しがされていません。

道の駅「高田松原」もぱっと見は何も無さそうに見えますが、こちらも津波被害に遭った建物で現在は使用されていません。

陸前高田市内は、震災から8年を経過しても復興のための工事が続いています。道路もこの先はまだ未整備。

陸前高田市内の中心部への幹線道路の整備は進んでいるようですが、左右の土地は更地が目立ちます。

 BRTは復興された新しい道路を陸前高田市内に向かって走っていく。通常の路線バスとは違うので、駅(BRTなので駅として表現することとする)の数は少ない。奇跡の一本松の次の停車は「陸前高田」。
 陸前高田の駅は、さすがに新しくきれいであるが、乗降客はいなかった。陸前高田の中心駅なので、駅の造りもバスターミナルという感じになっている。
 しばらく時間調整をした後出発。高田高校前を通り(県立)高田病院に向かう。このあたりになると、元々の大船渡線の走っていたところから大きく外れ、コミュニティバスのような小回り差で経路を決めている感じがする。県立高田病院は、調べたところかつては陸前高田の中心部にあったが、東日本大震災で4階まで津波に浸かってしまい、現在の高台に新たに建てられたようである。この日は土曜日で病院もお休みのせいか、乗降客はいなかった。その後、脇ノ沢、西下と停車し、小友の手前からBRT専用線に入る。ここから先の盛までは、BRT専用船が整備されていた。終点の盛に近づくにつれて、少しずつ乗客が増えてくる。盛には定刻の8時47分から3分ほど遅れて到着。15人ほどの乗客はここで全て下車する。
陸前高田駅。ここまで通ってきた中では、一番大きい駅です。ただし、どちらかというとバスターミナルという感じ。
陸前高田から高田高校前を通り高田病院に向かう道路は新しく整備された感じです。途中から坂を上り出しました。

県立高田病院の看板が見えてきました。

この日は土曜日。病院も診療がお休みのせいか、乗降客はありません。

高台にある県立高田病院から坂を下っていきます。このあたりの民家を見ても新しい建物ではなさそうなので、このあたりは津波の被害を受けなかった場所のようです。

再び国道45号線に戻りました。ところどころに津波浸水被害があった場所かどうかの表示が見え隠れしています。

こちらは「西下」駅?どうみてもバスの停留所です。手前は岩手県交通の「三日市」停留所。こちらは、停留所と表示がされています。

再びBRT専用道に入りました。

このあたり気がつきましたが、遮断機は、そもそもBRTの専用道に一般の自動車が間違えて入らないようにするためのものであって、BRT専用道と交差する道路を走る自動車を優先させるものではないようです。

小友(おとも)駅。かつてここに駅舎があったのでしょうか。この日は、一人の乗客が乗り込んできました。

ここもかつては大船渡線の鉄道が走っていたトンネルを利用している感じがありありとしています。

ここは狭い自動車用の道路(山道)といってもわからない感じがします。

このあたりは線路があった雰囲気ですね。

道路としては不自然なカーブの感じが出ています。鉄道なら何となくわかるようなカーブの雰囲気ですね。

写真の駅は、「碁石海岸口」。

こちらは「細浦」。

現在の細浦駅の向こうには、鉄道時代の細浦駅のホームが残っていた。

こちらは「下船戸」。

大船渡魚市場前を過ぎたあたりから、大船渡市の市街地が見えてきました。

こちらは、大船渡駅。5〜6人乗客が乗り込んできました。次の盛が終点です。

BRT専用道の右手に線路が見えてきました。三陸鉄道の線路のようです。

終点の盛駅が見えてきました。こちらは跨線橋も残っています。

盛駅に到着したBRT。気仙沼を7時30分に出発し、盛には3分遅れの8時50分に到着。所要時間は1時間20分。

駅ですので、それぞれのホームごとの乗り場が案内されています。

BRTはこの先でUターンして向きを変えるようです。

久し振りに見ました駅名標。

三陸鉄道北リアス線









コース紹介(コースガイド) →
 こちらを参照してください。(第27回大会と同じ)

レース

 昨年と宿泊するホテルは変更したものの、昨年宿泊したホテルはほぼ真向かい。八戸市の中心街にある。そのため朝起きてから、バスに乗って会場に到着するまでのパターンは昨年とほぼ一緒で行程を組んだ。
 朔日町のバス停から階上へ行くのは、私ともう一人茨城県取手市からやってきたいう年配の男子の2人。途中のバス停からポツリポツリと乗ってきて、会場そばの登山口で下車したのは4人。受付の時間までに間に合わせようとしたら、朔日町7時49分→登山口8時24分が最終。その前となると1時間も前に八戸市内を出発しなければならない。大半のランナーが自動車で会場までやってくるだろうことが容易にわかる。

今年も八戸中心街の朔日町(ついたちまち)バス停から7時49分発の階上庁舎行きのバスに乗車しました。

八戸市内を走るバスは本数が多いものの、階上方面へは2時間に1本程度しか本数が無いので、乗り遅れないように早めにバス停に行きバスを待つことが大事です。

 大会会場の最寄りのバス停は「登山口」バス停。登山口とは、名前の通り「階上岳(740m)」への登山口という意味。

バスは定刻の8時24分に到着。朔日町からの所要時間は35分で料金は500円。「登山口」では、私を含め4人が下車。いずれも出で立ちからしてこの大会に参加するランナーでした。

登山口バス停から会場までは、徒歩で1〜2分の距離。ただし途中に「登山口食堂」というお店がある。昨年から気にはなっていたが、後ほどレポートをします。

今年もやってきました!いい天気です!

 さて、昨年はこの大会で遠来賞をいただいたが、今年の遠来賞は京都府からやってきた私と同年代の男性だという。千葉県→青森県と京都府→青森県では勝負にならない。そのほか、最高齢者賞として85歳の男性と77歳の女性、最年少参加者としては3歳の子どもたちが賞を受け取っていた。そのほか、令和になったことを記念して、名前に「令」または「和」が入っている人も表彰を受けていたが、こちらは僅かに3人。思ったほどいなかったようだ。

 レースは10時ちょうどにスタートする2km部門、3km部門に続き、10時30分に5km部門と10km部門が同時にスタートする。2km部門、3km部門の選手の戻ってくる時間を見ながら、5km部門と10km部門の時間を動かすことも考えていたようで、「10時35分のスタートします」と言ったり「選手が戻ってきたので10時30分に戻しますとか」二転三転する。こういうのは一番よくない。スタート時間から逆算してウォーミングアップをしているので、スタート・ゴールが同じ場所で選手の交錯が考えられるのであれば、最初からスタート場所を公道上に変えればいい。少人数で混雑も少なくいい大会であると思っていたが、今回は残念であった。

町立体育館の入口を左折すると、昨年と同じようにゴールのエア・アーチが見えてきました。

今年も体育館内が受付場所のようです。

体育館の入口は、よく見るとお洒落な感じです。

受付は、クラスごとにアルファベットで分かれています。私は「I」の区分です。

体育館内には地元の小学校の子どもたちが集まって所狭しと据わっているのが印象的でした。

開会式では遠来賞、最高齢者賞、最年少賞などの表彰も併せて行われました。

 結局、10時30分にスタート時間は戻り、ピストルの号砲で一斉にスタートをする。今回は最前列を確保出来たので、ロスタイムなしにスタートを切ることができた。スタートして100mほどで左折し公道に出る。少し緩く上るが、このあたりで後方からのランナーにやや抜かれ出す。前方を見るとナンバーが黒数字の10km部門の選手が多く、ナンバーが赤数字の選手はやや少ない感じ。私と同年代の800番台の選手は見あたらなかったが、公道の直線部分で800番台の選手に抜かれる。決して速いペースではないが、私がズルズルと遅れ出す。今日は体の動きがいいと感じたが、走ってみるとやはりスピードがないことがよくわかる。

10時ちょうどに2km部門と3km部門が一斉にスタート。大半が小中学生です。

中央体育館の出口の正面には、今年も歓迎の看板が設置されていました。

中央体育館付近をはじめ、コース上に幟が目立ちました。

民家が少ないところを走るので、幟で賑わいを演出しようということでしょうか。

中央体育館前の公道は2車線ですが、ここを左折して農道のような道に入っていきます。

 片側2車線の道路を左折し、畑の多い農道のような道に入っていく。このあたりからはしばらくは緩く下っている。左右に畑が広がり空気がいかにもきれいな感じがする。選手はこのあたりでかなりばらけた感じになった。1kmの通過が3分55秒。昨年が3分48秒なので7秒ほど遅い。この先の1.5km地点を左折するとジェットコースターのようなアップダウンが待ち構えている。

 ちょうどその1.5km地点を曲がったあたりで、後方から800番台の選手に追いつかれる。1.5kmあたりから下りの間は併走していたものの、登りが始まると私の方がズルズルと後退を始める。もう一人、下の年代の選手にも同じようなパターンで離される。
 今年は昨年と違って、折り返し地点の少し前に給水所があり、給水をしてから折り返す。折り返し地点のタイムは10分35秒。昨年が9分57秒なので38秒も遅い。この1kmで昨年比で31秒も遅れた勘定になる。上り坂が全く登れないのは、体感からもタイムからも明らかだった。

右側は林ですが、左側には一面畑が広がっています。

ここがスタートしてからちょうど1km地点。2kmコースの折り返し地点です。左右に畑が広がっています。のどかな風景ですね。

右手はパターゴルフ場かそれともゲートボール場か?人の気配はありませんでしたが、のどかな感じはそのままです。
スタートから1.5km地点。3kmコースの折り返し地点です。5km及び10kmコースの選手はその先を左折します。その先がジェットコースターのようなアップダウンになります。

 本日のタイム(参考)
距離 SPLIT LAP
1km 3’55” 3’55”
1.5km 5’41” 1’46”
 2.5km 10’35” 4’54”
3.5km 15’29” 4’54”
4.0km 17’41” 2’12”
ゴール 22’01” 4’20”
 折り返し地点では10kmコースの選手はそのまま直進するが、5km部門はここでUターンしゴールに向かう。数えると私は16番目でターン。年代別では3番目だった。
 上りで水を開けられた分、下りで取り返そうにもなかなか思うように足が出ない。同年代の選手との差は開く一方。かたや若い年代の選手とは下りで差を詰め、その後の上りでも大きく差を開けられずに何とかその位置を保つ。
 残り1.5kmくらいから勾配が緩くなり、その若い選手をようやく逆転する。ただし同年代の選手とは離れる一方だった。この付近からゴールまでは単独走になってしまった。ゴールタイムは22分01秒。前後の間隔が空いてしまったこともあり、少々気が抜けてしまったこともあるが、昨年が20分48秒だったので、わずか5kmで1分13秒も遅い。1kmあたりにすると14〜15秒ではあるが、平坦なところはともかく上りが異常に遅い。今回も課題が浮き彫りになったので、改善策を施して秋口までには何とか昨年並みにまで戻したいところである。

ゴールに向かって下り坂を懸命に走る選手たち。

写真は10kmコースの選手です。

ランナー側からゴールの方をみると目の前には階上岳(740m)がそびえています。ちなみに帰りのバスで登山帰りの方に聞いたところ、階上岳の頂上はこちらからは見えないそうです。

中央体育館に戻ってきました。ここを右折すると残りは約100m程度。

もう目の前ですね。
タフなコースの完走、お疲れ様でした。

ゴール付近は応援の人も含めて人が多いですね。

ここでナンバーカードのタグの回収を行います。

その先で冷えたペットボトルの水をいただきます。この日は暑かっただけに美味しかったですね。

体育館の入口では記録証が発行されます。

10時30分からは、かもめちくわの配布と抽選会でクジが引けます。

体育館内ではせんべい汁が振る舞われました。せんべい汁は、青森県八戸市付近の郷土料理です。こちらは選手のみならず応援に訪れた家族やランニングクラブのチームメートももらえます。昨年も今年も数には余裕があった感じです。

名前の通り、お椀の底に割った煎餅(せんべい)が置かれています。

その上に具材の入った汁物を加えてできあがりです。係のおばちゃんたち、ありがとうございました。

登山口食堂



本日の戦利品

昨年と同様、年代別3位。賞状とメダルをいただきました。

こちらは参加賞の数々。左からTシャツ、リ・ソビームちっぷ(試供品)、ゴール後にいただた水(ペットボトル)、かもめちくわ、抽選会では末等のポケットティッシュ。参加料が2,500円でいろいろといただきました。

こちらは選手だけでなく会場にいた人に振る舞われた「せんべい汁」。数にかなり余裕があり、昨年と同様、3杯いただきました。

この日使用したナンバーカードと完走証。ナンバーカードが前後用として2枚あるのはありがたいです。