第23回国境マラソンin対馬 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年も対馬までの移動は鬼門
また、天候のせいで比田勝→博多のフェリーが欠航。そのせいで、折り返しの博多港→比田勝も欠航となってしまった。ただし、博多→厳原の夜行フェリーは運行されるということで、そちらに乗船し、翌朝対馬に上陸。厳原→比田勝を島内の路線バスで移動し、何とか事なきを得た。 今年はこういうことはないだろうと思いつつ、大会前々日の午後、京成八幡14:39→成田空港15:33の列車で成田空港に向かう。成田を16時55分に経つpeach・MM527便が搭乗予定便。成田では1時間20分ほどの余裕がある。この日は天候には問題なく移動が出来るはずであった。 ところが、その乗車した京成の電車が京成佐倉で運転打ち切りとなる。「京成佐倉~成田空港で1時間雨量が規制値を超えたので、ここで列車の運行を打ち切ります」と車内放送が入るがこれがその理由。京成佐倉で強制的に下ろされてしまう。 急いでネットで気象庁の高解像度降水ナウキャストでその様子を見る。佐倉と成田の間で雨量を表す色が一番ひどいところで濃い紫色になっている。急激に発達した雨雲があるようだった。駅の放送では「運転再開の見込みは立っていません。JRも運転を見合わせています」と繰り返す。想定外のアナウンスに、さてどうしようかと思案する。
15時45分頃になると「JRは低速ながら運転を再開したとの情報が入りました」という。さらに「JRへ振り替え輸送をしているので、JRを利用される方は京成佐倉からJR佐倉まで路線バスで移動しご利用してください」という。京成もJRも同じようなところを走っているにもかかわらず、JRが運転を再開し、なぜ京成は運転再開をしないのか。若干の時差があっても、さほど変わらないだろうと思っていたが、16時が近づきタイムリミットに近づいてきた。 結局、京成は16時を過ぎても運転を再開しなかった。この時点で成田16:55→福岡19:00のpeach・MM527便の搭乗は諦めることにした。8,270円というリーズナブルな価格で購入したので何とか乗りたかったが、なにせ成田から福岡へのpeach便は午前1便、午後1便の合計2便のみ。航空機の遅れではないので他社便への振り替えは出来ない。 今から福岡へ向かう方法としては、 (1)ANA、JAL、スカイマークなど本数の多い羽田→福岡で移動 (2)東京→博多を新幹線で移動 のどちらかになるだろう。(1)を選択するにせよ(2)を選択するにせよ、場合によっては今日の出発は諦め、仕切り直しで明日の早朝から出発することもあり得る。 ただし明日の出発の場合、福岡までは何とかなっても、福岡から対馬へのアクセスが限られている。そうなると、やはり多少は強行してでも今日のうちには博多港を出発する対馬方面へのフェリーに乗船した方が良さそうだ。 いろんなことを考えながら、一旦京成八幡方面に戻ることにする。京成佐倉で運転を打ち切られた列車は、そのまま西の方へ折り返して運転していく。羽田に行くにせよ、東京又は品川から新幹線に乗るにせよ、京急線に乗り入れる列車の方が都合がよい。とりあえず16時14分発の三崎口行きの列車に乗った。 折り返す車中で、まずは飛行機について調べてみた。 さすがに安いスカイマーク便は満席。ANA、JAL関係は、運賃が34,700円なら空きがある。 次に新幹線。運賃は、自由席レベルで21,810円。当日料金なら航空運賃より新幹線の方がずいぶん安い。金銭的には新幹線に軍配は上がるものの、果たしてこの時間から出発し、博多から対馬方面のフェリーに乗船が出来るかどうかがポイントだった。
三崎口行きの列車は品川に3分遅れの17時40分に到着。急いでJR方面に向かい新幹線に乗り換える。17時47分発の「のぞみ195号博多行き」には飛び乗れるだろうが、どう見ても座れそうもない。後続の17時57分の「のぞみ119号博多行き」ならば座れるかもしれないので、こちらに乗ろうと考えた。ところがである。 「のぞみ119号博多行き」の自由席乗り場は恐ろしい順番待ちの行列。このまま後ろに並んでも、少なく見積もっても名古屋までは立たされるのは間違いない。 一方、反対ホームの17時54分発の「のぞみ399号新大阪行き」の自由席には並んでいる人が明らかに少ない。ここでひらめいたのは、一旦新大阪まで「のぞみ399号」に乗って、新大阪で「のぞみ119号」に乗り換えて移動するという方法だ。この先まだ5時間ほど乗車するので、座れるときに座っておきたいと思うのは自然だろう。
予想通り、「のぞみ399号」には若干の空き席があり、何とか座ることが出来た。 新大阪には20時20分に到着。新大阪では、5分の待ち時間の間に弁当とビールを購入し、「のぞみ119号」に乗り換える。 品川ではあれほど混んでいた「のぞみ119号」の1号車も、新大阪からは半分ほどの乗車率になり、余裕で座ることが出来た。このあたりの読みは正しかった。そしてここでようやく晩ご飯にありつけることになった。
「のぞみ119号」は、博多には定刻の22時57分に到着。 しかしながら、ここで安心してはいけない。博多港への移動のために、博多駅前の西日本銀行前(F乗り場)から23時02分の博多ふ頭行きのバスに乗らねばならない。新幹線からバスへの乗り換え時間は僅かに5分。 新幹線ホームは筑紫口、バス乗り場は反対側の博多口。おまけに交通量の多い道路の向こう側にバス停はある。荷物を引きずりながら博多駅の構内を走り抜け西日本銀行前のバス停には6分後に到着。残念ながら間一髪アウトだった。
F乗り場のバス停の「博多ふ頭」行きの時刻表を見ると、先ほど出発したバスは博多ふ頭に向かう終バス。「う~ん」と思わず唸ってしまった。さあ、どうする・・・。 タクシーで移動するという安易な方法もあるが、これ以上余計な出費は抑えたい。スマホでマップ検索したところ、博多ふ頭まで2.6kmで33分ほどと表示が出る。博多港からのフェリーの出発は0時05分。まあ何とか間に合うだろうと思い、スマホで示された最短コースをトコトコ歩く。金曜日の夜なので、博多の街は明るい。 23時40分にフェリーターミナルに到着。既に待合室の乗客は、乗船済み。乗船手続きをしてフェリーに乗車したのは出発の15分前。違う形ではあるが何とか博多港にやってきた。2年続きでの往路のトラブル。私にとって、対馬に渡るのは少々鬼門になっている感がある。
対馬 昨年の参戦記で、対馬のことを紹介していなかったので、概略について説明する。 対馬の位置であるが、九州と朝鮮半島の間。九州本土から約132km、朝鮮半島からは約50kmと位置的には、朝鮮半島の方が近い。 また、対馬のサイズであるが南北に82km、東西に18kmほどと縦長の形状となっている。面積は約696㎢。北海道、本州、四国、九州を除くと、択捉島(3,183㎢)、国後島(1,499㎢)、沖縄島(1,207㎢)、佐渡島(854㎢)、奄美大島(712㎢)の次に広く、淡路島(592㎢)よりは広い。 対馬は、博多港や福岡空港からのアクセスがあるので福岡県に所属しているように見えるが、長崎県に属している。平成16年3月、-対馬島内の厳原町、美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町が合併(新設合併)し市制施行、対馬市となる。島全域が対馬市で1島1市となった。対馬市の発足時の人口は約41,000人であったが、現在の人口は約29,000人と15年ほどで12,000人ほど人口が減少している。 また、対馬は古くから大陸との交流があり、歴史的には朝鮮半島と倭国・倭人・ヤマトをむすぶ交通の要衝であり、『魏志』倭人伝では、「対馬国」は倭の一国として登場している。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。(第22回大会に同じ)
9時50分、ピストルの合図と共に一斉に隊列が動き出す。 この大会のスタート兼ゴールは、まさに谷の一番低いところにある。それだけにスタート直後は上りの激坂で、選手をいきなり苦しめることになる。 昨年もこの激坂を体験しているのでわかっているつもりであったが、今年はこの激坂でハムストリングスの張りを覚える。登り切った頃には腕の感覚が少々なくなった感じ、つまり腕が酸欠の状態に陥った感じだった。昨年は感じることはなかったが、今年は練習不足と体調の悪さでこんな感じとなってしまった。今年はこの激坂をいきなり登り切るだけの体作りができていないことがわかり、最後まで走りきれるかどうか不安になってしまう。
トンネルの手前にはこのコース最初の給水所があるが、遠慮なくスポンジと水を2杯取る。昨年は涼しい感じがしたが、今年はしっかり太陽が照りつけるので、給水はコンスタントに必要になるはずだ。 泉トンネルを抜けて下り出すと3km地点が現れる。13分48秒。昨年が12分46秒だったので、たった3kmで1分も遅い。体調が悪いこともあるが、タイム的にはちょっと悪すぎる。 4km手前からフラットになり、比田勝の街にやってきた。このあたりで後ろを走るランナーが近づいてきているのがわかった。実はこのランナーは非常にマナーが悪いというかセコイ。折り返しでわかったのであるが、どうもこのランナーは韓国人の女性ランナーのようだ。 主催者からは「コースの左側を走ってください」と言われており、またレース中も監察のミニバイクからも同じように注意を呼びかけている。にもかかわらず、片側1車線の道路の両車線を目一杯使って最短コースを走っているではないか。右にコースがカーブすれば右後方から、左へカーブする場合は背中の方から息づかいが聞こえてくる。
4kmを過ぎて現れてくる比田勝国際ターミナルの前は、昨年・今年と宿泊した「つしまプラザホテル」がある。昨年は、ホテルの前でホテルのおばちゃんたちが応援に繰り出してくれたが、今年はお昼ご飯の準備のためであろうかその姿はなかった。4km~5km付近は比田勝の中心街。韓国からのツアー客も含め沿道からの応援も多い。このあたりはフラットであったが、体調は相変わらずよくない。折り返し地点でUターンするランナーを数えたところ、私は26番目、年代別で2番目の順位だった。同年代の前をゆくランナーとの距離もそこそこ開いているので、追いつくのは難しいだろうと感じる。 6km付近がちょうど「つしまプラザホテル」の前付近。折り返して戻ってきたが、相変わらずホテルのおばちゃんたちは現れなかった。
というのは、反対からやってくる自動車が中央線を越えて右側の車線を走ってくる。完全交通規制をしていないため、道路にはランナーも台数は少ないが自動車も走っている。私から見て反対車線を走る往路のランナーがあまりにも横に広がってしまったせいだろう。自動車も反対車線の正面からランナーが走ってくるとは思っていないと思っていたのであろう、このようになってしまったようだ。 このことについては、部分的でも交通規制をするなどしないと、交通事故も発生しかねない。事故など発生すれば、次年度以降大会の開催も危ういし、仮にそうなってしまうと、観光で生計を立てている島民の方々も、少なからず打撃を受けることとなる。大会事務局には、この部分について改善をするように別途メールでお願いをしたところ。 6.5km付近を右折すると漁港などが現れるのどかな風景に変わる。しばらくは平坦であるが、8kmの手前くらいから急坂が待ち構えている。昨年も思わず歩きたくなってしまうほどの斜度である。8kmの通過は36分57秒。昨年が34分26秒なので、かなりどうしようもないタイムになってしまった。ただし、この激坂を登り切れば、残りの2kmのアップダウンは激坂に比べれば大したことはない。
9km手前で、このコース4回目の給水を受け取る。昨年と比べて暑くなったので、給水には本当に助かった。10kmで4カ所というのも数的にもよかった。9kmからゴールまでの風景は本当に素晴らしい。走っていてあまり見ている余裕はないが、10kmコースの一番のロケーションだと思う。 残り400mを切って、今度は下り坂が始まる。実はこの下りも激坂。10km程度ならともかく、ハーフマラソンでも脚にきているランナーであれば、この坂の勾配で途中で転ぶようなランナーもいてもおかしくはないほどである。 そしてゴール。昨年とは比べものにならないくらいの悪コンディションで、何とかゴールしたという感が漂っていた。
会場周辺 この大会の特筆するのは、大会会場付近の活用方法だ。体育館のような施設がないので、雨が降るとやや難はあるものの天候がいい日には、会場周辺を上手に活用していることがわかる。ホテルを出発してから対馬やまねこ空港に送ってもらい帰路につくまでを写真で紹介する。
本日の戦利品
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