第33回燕さくらマラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
約3年ぶりの泊まりがけの遠征 今回の遠征は約3年ぶりの泊まりがけの遠征となった。調べてみると令和元年7月の第33回サフォークランド士別ハーフマラソン(北海道)以来となる。 遠征前に久しぶりにバッグを取り出して遠征用に荷物を梱包したが、「日帰り」と「泊まりがけ」では準備の仕方が全然異なる。 私のようにあちこちに出かけるのがウリのような人間が、3年近くも泊まりがけで遠征に出かけなかったのは、ある意味奇跡的だった。なぜこうなってしまったのか・・・。
2年以上、故障と実践の無い時期が続き、走力が見事なくらい低下してしまった。現在もそうであるが、一度こうなってしまうとなかなか以前のように走れるようにするのには時間がかかる。関東でも月例大会などがかなり開催されており大会を選ばなければ、毎週のようにレースに出ることは可能。ただし河川敷の大会など似たような景色も多く、なかなかモチベーションが上がらない。 私にとっては「出かける」というのは、大きなモチベーション。走って、観光して、美味しいもの食べて・・・。コロナがおさまって、以前のように全国各地で大会の開催が復活することを切に望みます。
大河津分水さくら並木 今回のメイン会場は、大河津(おおこうず)分水さくら公園。この大河津分水さくら公園のすぐ横には「大河津分水桜並木」がある。 この桜並木であるが、世紀の大事業「大河津分水路工事」の偉業を称えて植えられたソメイヨシノ約2,600本のこと。 そもそも「大河津分水路」とは、越後平野を水害から守るために、当時の土木技術を駆使して建設された河川のことだそうだ。 国土交通省・信濃川河川工事事務所のサイトによると、 「分水路は、洪水時には上流からの洪水を可動堰から全て日本海に流しています。 また平常時には新潟方面へ生活用水やかんがい用水として必要な水量(毎秒270立方メートル)を流しています。分水路完成までの歴史は長く、亨保年間に寺泊の本間屋の数右衛門らの幕府への請願を発端に、その後200年あまり繰り返された請願がついに認められ、明治42年に本格的な工事が始められました。工事が始まってからも、大規模な地すべりや自在堰(現在の可動堰)の陥没等の困難を乗り越え、22年間の歳月をかけて昭和6年に完成しました。」とある。
なるほど、22年もかけて行われた大工事で、水害から流域の住民を守るために行われた大工事が完成したというものであれば、記念す植樹というのもわからないものではない。 日本では馴染みの桜ではあるが、このような歴史があって植樹された桜が大きく育った風景をみると地元の人たちもさぞかし感慨深いものであることは間違いないだろうと思う。 コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 レース
今回、コロナの関係で、スタート時に密集しないようにという配慮もあって、スタートはグループ毎のウエーブスタートとなる。トライアスロンなどではよく見かけるスタート方法である。 事前に申告したタイム毎にA〜Dまでの4グループに分けてのスタートのようで、私の場合は「B」なので2番目のスタートとなる。9時35分に「A」グループがスタートしてから1分後に「B」グループがスタートをする。タイムの集計も今回はグロスタイム(ピストルが鳴ってからゴールまでのタイム)ではなく、ネットタイム(スタート地点を通過し始めてからゴールまでのタイム)を採用して順位をつけるという珍しいスタイルである。陸連公認の大会ではないので、こういうローカルルールは「あり」だろうし、今後もこういう方法が増えていくのではないだろうか。 ちなみに今回の10kmの部のエントリーは448人。私がオススメする500人以下の規模である。 さてレースであるが9時36分にピストルが鳴る。1分先にスタートをしたAグループを追いかけるような形となる。私は前から3列目くらいに位置取っていたのでスタートロスがほぼないと言いたいところであるが、今回はネットタイムでの計測。位置取りはあまり関係しない。 スタート後にわずかに坂を登り右折をすると、この大会でのウリである「大河津分水桜並木」にでる。東京近郊では葉桜になってしまったが、新潟県燕市では満開を過ぎて桜が散りだしているタイミング。朝までの雨で「散り」が進んでしまったが、今日は桜吹雪の中を走ることができる絶好のタイミングであった。国道116号線の下をくぐり再び堤防道路に上がるあたり、つまり10kmのスタートから約1km地点くらいまでは、この桜並木が続いている。1kmの通過が4分17秒。向かい風であることもあるが、何となく体がシャキッとしない。
それにしても今日は風が強い。特に堤防道路を走っているときには、もろに向かい風が体の全面に当ってペースが上がらない。JR越後線の手前で再び堤防道路を降り、2kmを過ぎて再び堤防道路に上がるところでは、坂に加え向かい風でペースがガクンと落ちる。ここで後続の2人のランーに抜かれる。一人は黒の長袖シャツに黄色のランシャツをまとった男性ランナー、もう一人は白と黒のモノトーンでコーディネートした女性ランナーだった。ペース的にちょうど良さそうだったので、折り返しまではこの人たちを風除けにして走ることにした。が、ピタリと後ろにくっついてもあまり向かい風がおさまる感じがない。多少右へ左へと位置を変えても体感的にはあまり変わらなかったが、このまま折り返しまで付いていった。折返してすぐに5km地点。5kmは22分27秒。向かい風もあって22分以上もかかっていた。 後半は追い風になるので、ここぞとばかりにペースを上げれば良いはずなのであるが、思ったほど脚が動かず、先ほどの風除けにしていたランナーたちと差がどんどん広がってしまっている。復路は追い風なので単独走でも支障がないが、体感が向上するのを待っていたが変化は現れない。6kmを26分52秒(4分25秒/km)、7kmを31分18秒(4分26秒/km)という状態でレースは進む。JR越後線を越えるために、コースは堤防道路から左へ曲がり坂を下っていく。ここで前出の黒の長袖シャツに黄色のランシャツをまとった男性ランナーのペースが落ちてきたせいか私の方に近づいてくる。一人でも抜いていくとなると、俄然、力が出てくる。8kmを35分37秒(4分19秒/km)で通過。私の方も少しばかりペースが上がる。
この先、再び、堤防道路を上がったり下がったりの繰り返しとなるが、ゴールまでの残りも短くなってきた。9kmは40分03秒(4分26秒/km)で通過。堤防へのアップダウンの分だけ遅くなったのか?残りは1kmなのでここからはがむしゃらに走ることにした。
若いランナーでゴールまでに500mくらいのところでふらふらしているランナーがいて、構わず抜いていったものの、ゴールの50mくらい前で刺し返されてしまったが、ここまできたら順位は関係なあった。ゴールは44分11秒。後日発表の正式タイムががネットタイムなので、結果44分09秒と2秒ほどオマケをしてもらった。 走る前はあまり感じなかったが、走り出してみると体調面ではあまりいい感じではないことがわかった。背中の張り、腰から全部にかけての張りと少しの痛み、右膝裏の少しの痛みと違和感。1月頃からイマイチの左足の踵は今回は無事だった。 久しぶりの泊まりがけの遠征ではあったが、体調面ではイマイチのせいかタイムもシーズンベストを更新するような結果にはならなかった。 天候はイマイチではあったが、大河津分水の桜並木は素晴らしかった。来年、再び来るとしたら60歳代での出場となる。今回は50歳代で第16位と入賞には遠く及ばなかったが、今回のタイムを60歳代にあてはめると年代別で5位相当。60歳代の優勝タイムが38分35秒とかなり速いが、何とか40分程度で走れるように改善して、年代別の優勝争いに絡みたいと思った次第である。
本日の戦利品
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