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平成21年2月9日(月)
〜 NO.460 金生山(きんしょうざん)と奥の細道むすびの地 〜
 2月1日の別大マラソンも終わり、とりあえず一段落。昨日、久しぶりに家族サービスをしました。
 とはいいうものの、妻は社会保険労務士の講義を受けに”資格の大原”へ、長女・ゆかこは学童保育所の行事に出かけています。ということで、昨日は前々から長男・かずたかと約束していた大垣の金生山(きんしょうざん)化石館へ出かけることにしました。
 大人数なら車の方が移動もリーズナブルですが、少人数なら公共交通機関でも楽しいですね。
 ということで、今日は地下鉄やJR、バスなどを利用してちょっと太めの長男・かずたかの健康にも配慮して車を家において出かけました。

 そもそも「金生山化石館」に行くことになったのは、職場の先輩と年末に化石の話をしていたところ、「大垣にオレも昔行ったことがある金生山というところがある。化石がボロボロ出てくるよ」と教えてもらったことがきっかけです。なるほど、飽きの早い長男・かずたかには労無く化石を探すにはうってつけです。

通称「美濃赤坂線」はトイカ(スイカ)使用できず!
 実際に現地までの行程も面白かったですね。
 名古屋から大垣までは定番のJR東海道本線で移動。そこから先は、東海道本線の盲腸線である通称「美濃赤坂線」で終点の美濃赤坂まで行きます。ここは東海道本線の支線ぽいですが、実際には東海道線の一部のため盲腸線と呼ばれることが多いところです。まあ、乗りつぶしマニアでもなければわざわざ用事もなく来ることはありません(実際”らしき”人が一人美濃赤坂駅で写真を撮っていました)。

 ところが大垣を出発するとすぐに車内放送で「ただいまから乗車券の回収に参ります」と・・・。長男・かずたかの分は、JR金山駅の自動券売機で乗車券を購入したものの、私はモバイル・スイカで入場。「もしかして・・・?」そうです。私の嫌な予感は的中!なんとこの通称「美濃赤坂線」にはトイカ(スイカ)が使える改札はありません。
 結局、降りてからニコニコ現金払い(950円)。モバイル・スイカの入札については、「また駅で解除してください」といわれました。

ここが通称「美濃赤坂線」の終点の美濃赤坂駅。

4両編成の電車に乗客は10人程度だったでしょうか。

この駅はれっきとした東海道本線の駅のひとつ。金生山からの石灰石(生石灰や消石灰かもしれませんが)を運搬するための駅のようです。

もちろん無人駅。自動券売機もありませんでした。

赤坂は中山道57番目の宿場町
 インターネットで調べ印刷した地図を持って金生山に向かいます。すると5分ほど歩いたところに「赤坂宿」の碑が見えます。
 「もしや・・・?」
 そうです。ここは旧中山道の走っていた幹線道。江戸から数えて57番目の「赤坂」の宿場町だったところです。
 旧東海道の吉田、鳴海、宮(熱田)などではその雰囲気のかけらもないのですが、道路の舗装さえなければここ”赤坂”は趣ある宿場町ですね。
 今回は金生山に行く目的で、大垣の見所をあまり下調べをしてきませんでしたが、思いもよらぬ旅が始まりました。

これがその碑

この角度が一番宿場町らしい雰囲気ですね。

この建物も江戸時代の頃からあるのでしょうか。

新聞店(左)の右には和菓子屋があります。その名も「五七処」。もちろん、江戸から数えて57番目の宿場町ということを店名にしています。帰りにおみやげにここで饅頭を買いました。

金生山化石館
 旧中山道から金生山への道のりは険しいですね。
 いつもであれば、車で急坂もひとっ飛びですが、今日は親子でテクテク・・・。車でも喘いで登るような急坂です。親子で息を切らしながら登りました。途中には、ここでの化石発掘などに貢献した熊野先生の銅像もありました。

 15分ほど登るとようやく金生山化石館が見えてきました。かずたかは「やっと着いた〜!」とやや疲れた感じです。親子遠足と思えば楽しいですけどね。

 入館料は大人のみ100円。かずたかは無料です。
 館内は残念ながら、写真撮影禁止のためみなさんにお見せするものはありませんが、ここ金生山で採取された化石を中心に展示してありました。

 金生山一帯は石灰石が多く採取されます。あちこちに石灰石を採掘する会社と、採れた石灰石を生石灰や消石灰にする工場もあります。そもそも石灰石は海に住んでいた生物の死骸ですから、海に住んでいた生物の化石が出てきても当然のようです。

中山道から金生山化石館への道は険しい。正面に見える子安神社の鳥居の右側の道を上がっていきます。

化石研究に生涯を捧げられた故熊野敏夫先生の銅像。

これは金生山神社の入口。もう少しだよ。

ようやくやってきました金生山化石館。昭和39年に故・熊野先生業績と化石標本の展示・保存のため、赤坂町・赤坂商工会・熊野先生顕彰会の努力によって設立された。現在の建物は昭和60年に建てられ、平成8年に大垣市へ寄贈されている。

化石館の下には、金生山で採れた石が蒔いてあります。

化石館の駐車場から見た大垣市街。高台で景色がい。いですね

こんな看板も・・・。

フズリナとサンゴ、海綿の化石を見つけました。オジさん(化石館の人?)には、「海綿は珍しいぞ〜!」といわれて嬉しそうでした。

今日採取した化石。ボツボツはフズリナ。右手前はサンゴ、右奥でちょっと見えないものが海綿

「大垣城」と「奥の細道むすびの地」
 金生山を後にして、いったん大垣駅に戻ります。

 みなさんは大垣市のことをどのくらいご存じですか?
 私が大垣に足を運ぶのは、これまでもっぱらマラソン(水都大垣ハーフマラソン)か駅伝(西濃駅伝)くらいで、その程度しか知識がありません。岐阜県には、県庁所在地である岐阜市くらいしか人口が多い街がないので、「岐阜市の次くらいに人口が多いだろう」という推測はありました。(これは正解!)

 大垣市で特筆するのは一級河川が15本も流れていること。これが水都と呼ばれる所以でもあります。
 また、観光資源としては小振りのものが多いですね。
 駅ビルで昼食を摂った後、午後からは「大垣城」と「奥の細道むすびの地記念館」とその周辺を散策することにしました。

 大垣城は、関ヶ原の戦いの時に西軍の大将であった石田三成が拠点とした城で有名です。ただし、昭和20年に空襲で焼けてしまったため、現在の天守などは戦後に復元したものであるそうです。

 また「奥の細道」は、ご存じ俳人・松尾芭蕉の紀行のことです。
 芭蕉が弟子の河合曾良を伴って、元禄2年(1689年)に江戸深川の採荼庵を出発し、全行程約2,400キロメートル、日数約150日間中に東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰ったのですが、この「奥の細道」では、大垣に到着するまでが書かれているため、大垣を「奥の細道むすびの地」と呼ぶようですね。

「大垣駅までのバスは・・・。」

名阪近鉄バスが1時間あたり1〜2本走っています。

大垣駅南口。後方に「奥の細道むすびの地」の看板があります。

大垣のメインストリートを南下すると・・・。

大垣城の入口

天守から見た西方。眼下は大垣公園。奥には伊吹山

大垣城。名古屋城などと比べればずっと小振り

さすが水都。市内のあちこちに湧き水があります。

奥の細道むすびの地記念館にて

後方には松尾芭蕉の銅像もありました

芭蕉の詠んだ句碑があちこちにあります

大垣からこの川を下って、桑名に出たそうです。
 大垣駅〜大垣城〜奥の細道むすびの地記念館と歩きましたが、今日はちょっと寒かったですね。
 男二人旅(親子遠足)も帰りの電車では、二人で疲れて久しぶりに爆睡してしまいました。楽しかったですよ〜!
平成21年2月3日(火)
〜 NO.459 滲出(しんしゅつ)性中耳炎 〜
 長女・ゆかこが一週間ほど前から「耳が痛い」というので、ようやく昨日夕方、耳鼻咽喉科に連れて行きました(かかりつけのいだ耳鼻咽喉科がしばらく休診となってしまったので、はじめて日比耳鼻咽喉科に行きました)。小さな子どもが多く、とっても混んでいましたね。

 しかしながら診察していた日比先生。丁寧に診てくれますね。聴力検査や鼓膜の動きを見る”チンパノグラム”という検査をしたりして下された診察結果が「滲出(しんしゅつ)性中耳炎」。聞き慣れない病名です。

 滲出性中耳炎を調べてみたところ、『小児に多く見られる耳の病気で、鼓膜の奥(中耳)に液体がたまった状態』をいうそうです。

 この液体は耳の穴から入ってものではなく、中耳の炎症によってしみ出てきたもの。だから「滲出」というそうです。
 多くの場合、急性中耳炎に引き続いて滲出性中耳炎が続くのですが、特にきっかけがあきらかではない場合もあるようです。

 このようにきっかけが不明な場合でも、過去に急性中耳炎を起こしていることが多いため、過去に起きた炎症が中耳内に残って滲出性中耳炎になるものと考えられるようです。

 たしかに長女・ゆかこの場合は2〜3年前に中耳炎を起こしているのでそれがきっかけだったかもしれません。

 薬で治る場合からチューブ留置をしても粘調の滲出液が排出されず、聞こえるようになるまでかなりの時間を要する場合まで様々とか・・・。帰りがけに「週に2〜3回くらい、しばらく継続してきてください。」といわれました。

 小学生の医療費は無料ですので長期戦もOKですが、いやはやこういう病気もあるんですね。
平成21年1月23日(金)
〜 NO.458 一般公開 〜
 今朝の中日新聞の県内版等にも、わが母校の練習船「こじま」の一般公開の記事が大きく取り上げられました。

 今週末の土曜日(明日ですね)。場所は名古屋港ガーデン埠頭。地下鉄・名古屋港駅から徒歩ですぐです。時間のある方は、ぜひともご覧下さい。
平成21年1月22日(木)
〜 NO.457 練習船こじま 名古屋入港! 〜
 昨日帰宅すると、一通のハガキがきていました。
 裏面は以下の通り。
 加藤くん、元気ですかぁ?
 寒さが厳しくなる中、トレーニングに励んでいるのかな。

 さて、練習船「こじま」は、1/22(木)〜1/25(日)まで、名古屋ガーデン埠頭に寄港する予定となっています。もし、都合がつけば、新こじまを見に来ませんか。

 加藤くんのホームページを見たら、1/24,25と大会に出場するとあるので、もしかしたら無理かもしれませんね。

 私は、1/21(水)に呉を出港します。携帯にメールをいただければありがたいです。
 ハガキの差し出し主は、私の大学時代の同期生のI條さんです。一言でたとえると「山椒は小粒でぴりりと辛い」という人間です。私と違って非常にハキハキとしてみんなに好かれる人間です。

 彼は昨年から、わが母校の海上保安大学校の練習船「こじま」の航海長であります(学生から見れば怖〜い訓練教官でもありますよ・・・)。私は現在海上保安庁にいませんが、「名古屋=加藤」ということで声を掛けてもらったということは大変嬉しいですね。

 今回、練習船「こじま」は、名古屋には今日を含めて4日間も停泊するにもかかわらず、残念ながら諸般の事情でこの間に行くことも出来ず、I條さんには今朝ほど「ゴメンね」メールを入れておきました。飲んでいろいろと近況を語り合いたいところですが、非常に残念です。中年の所帯持ちオヤジの悲しいところであります。(夕方、名古屋銘菓を差し入れで送っておきました。)

 練習船「こじま」は、もちろん航海実習のために名古屋に寄港します。
 第四管区海上保安本部のサイトを見ると、1月24日(土)には名古屋港ガーデン埠頭で一般公開が行われるほか練習船「こじま」の一般公開に併せ、ヘリコプターによる人命救助訓練、消防艇による放水訓練を実施する予定になっています。機会があれば、ぜひ週末の土曜日はガーデン埠頭にお越し下さい。私の同期のI條航海長にも会えますよ〜!

 来年寄港したときはぜひ一緒に飲みに行きましょう!I條さん!
平成21年1月18日(日)
〜 NO.456 雑誌・トライアスロンJAPAN 休刊! 〜

この号で休刊となったトライアスロンJAPAN誌。このまま廃刊となってしまうのか?
 非常に急な話。

 1984年から発刊を続けている日本で唯一のトライアスロン情報誌「トライアスロンJAPAN」が2009年2月号(2009年1月3日発売分)で休刊になる。私にとって青天の霹靂だ。

 私はこの雑誌を1988年頃から20年以上買い続けている愛読者の一人。この雑誌が休刊になるということは、トライアスロンに関する情報の間口が非常に狭くなるということを現す。

 いろんな雑誌が廃刊、休刊になるのを横目で見ていたが、「まさか私の愛読書の一つであるトライアスロンJAPANが・・・」という思いだ。

 この雑誌、厚さが5mm程度で880円。ページ数も96ページと少ない。
 雑誌の価格は、購読者数と雑誌の広告収入で決まるが、この雑誌はどちらも非常に限定的。

 数年前まで、ジェロ本多さんのトライアスロンカレンダーを毎年購入していたが、こちらも購入者数が減少し、ジェロさんからギブアップの連絡が・・・。

 シドニーオリンピックからトライアスロンが正式種目になるものの、日本での人気ぶりは今ひとつのようだ。

 潟宴塔iーズのサイトでは休刊について以下のように発表している。

『トライアスロンJAPAN』誌 休刊のお知らせ 2008年12月26日更新

 このたび、弊誌『トライアスロンJAPAN』は、1984年の創刊以来、日本で唯一のトライアスロン月刊誌として多くのトライアスロン愛好者にご愛顧いただいて参りましたが、2009年2月号(1月5日発売)をもちまして休刊させていただくこととなりました。
 24年の長きにわたり、様々な形で「トライアスロンJAPAN」の誌面づくりを支えていただいた皆様方、愛読していただいた読者の皆様には心より御礼申し上げますとともに、突然の休刊でご迷惑をおかけしますこと深くお詫び申し上げます。
 『トライアスロンJAPAN』の現状と将来の展望を見据えた結果、やむなく休刊の措置をとらせていただくことになりましたこと、何卒ご理解賜りますようよろしくお願い申し上げます。

株式会社ランナーズ トライアスロン編集部 編集長 村山友宏

また、定期購読の支払済み料金の返金につきましては、12月15日より書面にてお送り差し上げておりますが、ご不明点は下記、定期購読窓口までお問い合わせください。
※定期購読関係は「定期購読窓口 TEL:03-3714-6661」までお問い合わせください。
※雑誌関係は「トライアスロン編集部 TEL:03-3714-7411」までお問い合わせください。
※広告・メディア関係は「メディア営業部 TEL:03-3714-1411」までお問い合わせください。
お手数をおかけしてしまいますが、なにとぞ、よろしくお願い申し上げます。

 トライアスロンJAPANの現状とは、”購読者数の減少”と”広告収入の減少”。将来の展望とは、現在の景気、世の中の動向としてトライアスロンの競技人口の増加が見込めないということであろうか。

 雑誌が休刊になってもトライアスロンは続けますよ〜!わたしは!
平成21年1月18日(日)
〜 NO.455 授業参観 〜
 一昨日授業参観がありました。
 今年度は諸般の事情があって、小学校の授業参観に出かけるのは初めてです。しかしながら、長男・かずたかは3月で小学校を卒業。中学校になれば授業参観に訪れることもありません。今回は今のうちにしっかり授業風景を目に焼き付けておこうと思い出かけました。
 なお、学校からいただいたチラシに「授業の妨げになりますので、ビデオ・カメラ撮影はご遠慮ください」とあるので、授業風景は撮影していません。(以前はたしか「・・・ご配慮下さい」であったような・・・。)

授業参観は圧倒的に”お母さん”が多いですね。父親の大半は学童に子どもをあずけている親ばかり

わずかな休み時間でも校庭で遊ぶ子どもたち
 長男・かずたかのクラスの授業は「算数」でした。
 比から絶対量を求めるという問題を解くものです。小麦粉と砂糖の比が5:2。小麦粉が150グラムあるときは、砂糖は何グラム必要かという問題です。

 これとて、解き方はいろいろあります。
 担任はベテランのI先生。いろんな解き方に対して、いろいろ意見を述べていました。なかなかですな〜!

 ところで長男・かずたかは、ノートに何やらグラフを書いて答えを出し、その後手を挙げ代表4人のうちの一人として板書をしました。「ちょっと難があるかな?」と思った解き方でしたが、先生はベタ褒め。他の4人とはちょっと違った解答の仕方でした。やや偶然の産物的でしたけどね。とりあえず結果オーライというところでしょうか。来月が最後の授業参観になります。

授業開始前の長男・かずたかのクラス

黒板の上にそれぞれの目標が掲げてありました。

かずたかの作った「坂本龍馬新聞」

習字。ふだんはへたっぴですがそれなりには・・・。

冬休みの宿題の書き初め。蒲郡のおばあちゃんの家で特訓しました。

百人一首です。蝉丸の句の前半
 高学年(4〜6年生)の授業参観は2時間目で同じため、前半を長男・かずたかの授業。後半を長女・ゆかこの授業と移動は大忙し。こちらもベテランのE先生の授業。

 4年生といえば10歳。来月は2分の1成人式を行います。
 そこで2年前の長男・かずたかの時と同じく「大人とは・・・」「子どもとは・・・」、それぞれどういうイメージなのか。子どもたちから意見を出してもらいました。

 「仕事が大変そう」「酒やタバコが吸えていいなあ」「髪の毛が白くなる」「遠くに出かけられる」。いろんな意見がでました。

 何とわが娘は「大人とは・・・・、疲れやすい」。クラスのあちこちからゲラゲラ・・・。「オイオイ、父ちゃんを目の前にしてなんてことを言うのお〜!」

 いつぞやか担任から”ちょっと消極的”といわれたわが娘でしたが、今日は挙手をバンバン。先生にも4度ほど当てられて、上手に発言していました。

長女・ゆかこのクラスの授業終了。多くのお母さんたちが来ていました。

「大人とは」「子どもとは」。それぞれのイメージを黒板に貼りました。

ゆかこの版画。タイトルは「ゴールイン」。父ちゃんのことではなく自分のことだそうです。

冬休みの宿題の書き初め。兄ちゃん同様、蒲郡のおばあちゃんのところで特訓しました。
 今回は2人とも授業中に頑張っていたので、ご褒美に夕ご飯時にケーキをプレゼントしました。もちろん、長女・ゆかこの大好きな”グルマンディーズ”さんのですよ。
平成21年1月1日(木)
〜 NO.454 あけましておめでとうございます 〜
 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 年賀状をたくさんの方に出させていただきましたが、お届けできなかったみなさんには、下記のもの(本年のわが家の年賀状です)で失礼させていただきます。
 今年一年、良い年でありますように!
平成20年12月24日(水)
〜 NO.453 クリスマスケーキ 〜
 小さな子どもを抱える家庭でありがちなクリスマスパーティ。わが家でも、本日開催しました。
 年々、食事が親が年をとってきているせいでやや和風になってきている点を除けば、パターン的にはほぼ毎年同じです。

 本来であれば、昨日から伊豆方面へ旅行に出かけているはずだったので、クリスマスケーキについては予約をすることも考えていませんでした。
 昨日になって「近くに出来たグルマンディーズさんで頼んだら」というと、長女・ゆかこは喜び勇んで予約に出かけていきました。昨日は、4回ほどもわが家とグルマンディーズさんとの間を行ったり来たり。お得意さんとして顔を覚えて欲しいみたいですね。

 今日は、一日休暇で家にいたので、午後3時頃出かけてケーキを受け取りに行きました。
 店内には、ケーキを入れる箱が7つほど積み上げられていました。開店から2週間足らずでクリスマスケーキという売り上げの柱となる注文が、意外にも「多く」入っているなあと感じました。

 さて、そのケーキですが、まずは箱から。
 シンプルな白い箱に、ベルベットの赤い布でトナカイが付けられていました。カワイイですね。
 そしてケーキは、ちょっとイチゴが少ないかなあという気がしましたが、デコレーションはそれなりに楽しい感じです。

ベルベットの赤い布でトナカイの飾り付け

イチゴとブルーベリーで飾り付け。18cmで4,300円

中にもイチゴがぎっしり

和風のクリスマスパーティー
 さて、問題は味の方です。
 ケーキのクリームにうるさい妻は「これはおいしいいぞ!」と。
 何を食べても美味しいという私、長男、長女は「おいし〜い」とお決まり文句。

 ケーキ屋さんの期末テストでもあるクリスマスケーキ。わが家の採点は合格点でした。
平成20年12月20日(土)
〜 NO.452 15年ぶりに電子レンジを更新! 〜
 一昨日、妻の実母が入院してから、わが家でもバタバタの生活が始まりました。特に昨日は、そのバタバタが顕著。

 昨日は早朝6時前から病院からあることで電話。妻を車に乗せて病院へ向かいます。(実は今朝もでした・・・)
 急いで戻って朝食の準備。一昨日のバタバタで、冷蔵庫の中はほとんど空っぽに近い状態。仕方がないので、冷蔵庫の中のあるものをほぼ出し切って調理をすることに決めました。

 その中で目に付いたのが「燻製卵(通称「くん玉」)。酒のつまみよろしく「ちょっと朝からリッチに・・・」と取り出したのは良かったのですが、”くん玉”といえどももとは「ゆで卵」。すっかりそのことを忘れて電子レンジに入れてしまいました。

 3分ほどでしょうか「ドッカーン!」と大きな音が電子レンジの方から・・・。
 電子レンジの庫内で、”くん玉”2個のうち見事に1個が木っ端みじんに・・・。「あちゃ〜・・・」。そこに寄ってきた子どもたちは「お父さん、ダメじゃん!電子レンジに卵入れちゃー。子どもでも知ってるよ」と大笑い。

 電子レンジの中を覗くと、”くん玉”の上に載せておいた蓋が上へ飛んで、上部のヒーターを割ってしまっていました。1年ほど前からレンジの表示の調子が悪かったので、ちょうど替えるタイミング。
 本日ヤマダ電機へ行って、15年ぶりに電子レンジを更新しました。

 うっかりとはいえ、慌てているとろくなことがないですね。みなさんも気をつけてくださいね。

見事に粉々になってしまった「くん玉」と電子レンジの内部。白い破片は、ヒーターのガラスです。新婚から15年半使用してきました。

こちらは、本日ヤマダ電機で購入した電子レンジ。2万円弱で20リットルのものが買えます。廉価なものですので特殊な機能はありません。
平成20年12月20日(土)
〜 NO.451 わが街にケーキ屋誕生! 〜
 先週の金曜日(12月12日)、わが家からわずか200mほど離れたところにケーキ屋さんがオープンしました。

 私が、この千種台界隈(地下鉄自由ヶ丘駅のやや東側の少し高くなった広域を「千種台」といいます)に引っ越してから15年ほど経ちますが、引っ越してきた当初は、大型スーパーの他にも、商店がまばらに点在していました。

 家の近所で軽く買い物もすることが出来ましたが、平成15年12月の地下鉄・自由ヶ丘駅開業の数年前から、この辺りの区画整理が始まり、商店街も無くなり、また、点在していた商店も少しずつ店をたたんでいきました。

 今では、大型スーパーのチェーン店以外で、この千種台界隈で個人商店を構えているのは、地下鉄自由ヶ丘駅の西側の商店街(私がクリーニングを頼む酒屋もあります)と、わが家のすぐそばにある、洋食屋、古ぼけた靴屋、クリーニング、鶏肉屋等です。なかなか気軽に利用できる店屋はほとんどありません。

 今回オープンした、ケーキ屋さんは「ビスキュイテリエ グルマンディーズ」という名のお店です。
 調べたところ「ビスキュイテリエ」の「ビスキュイ」はフランス語で「ビスケット」のことを、「グルマンディーズ」とは、同じくフランス語で「食いしん坊」、「食道楽」または、「ごちそう」などの意味のようです。ちょっと長い名前ですが、覚えましょうね。

 長女・ゆかこは、開店してから4日目ほどで、すでに1回お店に行ってプリンを買っています。
 今日は、わが家で学童の子どもたちをよんでクリスマス会を開くというので、何かいいものはないかと出かけました。
 何にしようかと子どもたちと相談していると、知人が次々とやってきます(人気だなあ・・・)。
 今回、子どもたちのためにプリンを8個ほど購入しました。私も一ついただきましたが、非常に濃厚な感じのプリンでおいしかったです。

 今回わが家のそばにケーキ屋さんが出来たというのは非常にいいことです。
 そもそもケーキ屋さんというのは、チェーン店よりも個人商店の方が創意工夫が発揮できて楽しいものです。スーパーのような安さや利便性が要求されないところがいいですね。

 今回出来た「グルマンディーズ」さんはちょっと狭いので、店内での飲食は出来ませんが、わが家の近くに出来たケーキ屋さんとして長く頑張って欲しいですね。

ブラウンで統一されたお店。シックな感じですね。

誕生日ケーキも出来るそうです。

お店でいただいた名刺(表)。裏は右の写真です。

営業時間は10:30〜18:30。もうちょっと開いてるといいですね。クリックすると拡大します。
平成20年12月13日(土)
〜 NO.450 防災ヘリ 〜
 今日は、わが社の防災ヘリ「わかしゃち」の紹介を少しさせていただきます。

 本日、豊田市内で「平成20年度愛知県災害医療訓練」が行われました。
 私も、通常業務とは別で応援のため出勤しました。
 メインの訓練会場は、豊田市の時瀬公園というところです。時瀬公園というのは、矢作第2ダムのすぐそばにある公園で、岐阜県串原村のすぐそばです。直線距離で北に5kmくらいのところには大正村(岐阜県恵那市)があるような位置関係のところです。

 私は、この訓練会場の担当ではなく、ヘリコプターで消防隊員やDMAT(DMATとは、大地震及び航空機・列車事故といった災害時に被災地に迅速に駆けつけ、救急治療を行うための専門的な訓練を受けた災害派遣医療チームのこと)が、ヘリコプターに乗り込む拠点の足助消防署の警備担当です。時瀬公園からは、かなり離れたところです。

 今回の訓練は、連携活動訓練という位置づけで愛知県の他に岐阜県、三重県、富山県から5チームのDMATや病院、県、消防、警察、自衛隊、海上保安庁など各機関のヘリコプターが参加もするという非常に大がかりな訓練です。

 今回、山間部の拠点としてこの足助消防署には、常設のヘリポートがありますが、ここに日頃見慣れない名古屋市消防、陸上自衛隊、海上保安庁のヘリコプターがやってきて、レスキューの消防署員やDMATを乗せて訓練会場へ飛び立っていきました。

名古屋市消防局

陸上自衛隊

海上保安庁
 訓練会場の時瀬公園には9機のヘリコプターが集まってきています。これだけでも非常に珍しいのですが、この足助にも4機のへりがやってきました。特に海上保安庁のヘリコプターが、こんな山間にまでやってくるのは非常に珍しいことです。

「わかしゃち」のスペック
メーカー 米国:ベル・ヘリコプター・テキストロン社
型式 ベル式412EP型
大きさ 全長17.1m・全幅2.8m(ローター径14.0m・全高4.6m)
最大全備重量 5,398kg
有効搭載量 2,318s
エンジン・最大出力 双発タービンエンジン・1,800SHP(馬力)
燃料タンク容量 約1,250リットル
燃料の種類 航空ジェット燃料JET A-1(第四類第二石油類)
定員 15名
巡航速度 243km/h
航続距離 783km(名古屋市から函館市くらい)
限界高度 6,096m(飛行中の限界高度)
 さて、いよいよわが社の「わかしゃち」の登場です。
 「わかしゃち」は、平成8年に導入され、山岳遭難事故、山林火災、高速道路上での多重事故など多目的利用のために出動する防災ヘリです。使用機体は、アメリカのベル社の412型で、いわゆる汎用ヘリコプターです。 ちなみにわが社の防災航空隊の整備士さんに教えてもらったところ、本日、足助消防署のヘリポートにやってきた残りの3機はすべてこのベル412型の前のモデル212型だそうです。海上保安庁には212型は38機ほど配備されているそうですね。

 私も訓練で、「わかしゃち」に一度搭乗したことがありますが、飛行機と違い飛行中はふわふわした感じで、ちょっと落ち着かない感じでした。
 今日は、機内にイスをつけていましたが、飛行目的に応じて積み込む機材が大きく異なるので、必ずしもイスがついているとは限りません。床にベタ座りのこともあります。

 訓練の終盤、今日は給油のために足助消防署にやってきました。手回しのポンプでドラム缶2本(400リットル)のジェット燃料を積んで30分ほど休憩して再び飛び立っていきました。ちょっと珍しい光景でした。

 本日は訓練での飛行でしたが、急病人の搬送など日頃からかなりの頻度で出動しています。青空に赤、青、白のトリコロールのヘリコプターが見えたら「わかしゃち」と思って手を振ってくださいね。

わかしゃち(左前方から)

わかちゃし(左後方から)

わかしゃち(後方から)

わかしゃちへの珍しい給油風景
平成20年12月13日(土)
〜 NO.449 ごまたまごプリン 〜
 一昨日、東京に日帰りで出張に出かけました。
 本年度は東京出張が多く、東京に出かけるのは実に11回目となります。

 火・水と東京に出張に出かけた妻が「時間が無くて、ごまたまごプリンをおみやげで買えなかった。子どもたちも好きだから明日買ってきてね」というので、帰り際に東京駅の構内で売っているところを探して買ってきました。

 地方に行けば、たいていどこにも銘菓・名物というものがあります。
 名古屋でいえば「ういろう」や「きしめん」がまさにそれにあたります。

 ところで、東京における銘菓とは・・・?すぐに答えられる人はどのくらいいるでしょうか?
 東京駅に行ったことがあれば、東京駅構内における土産物売場の数は、数え切れない恐ろしい数にのぼります。1週間ごとに東京出張で、ちょっとずつ土産物を買っていっても、明らかに買い切れないばかりの数です。
 地方では地産地消が叫ばれていますが、東京はそこで取れるものがあまりないところなので、あまり地産地消が進まない街ではありますが、日本らしく加工してモノを作り上げるレベルが非常に高い街です。
 今回、妻に頼まれて買ってきた「ごまたまごプリン」もまさにそんな感じのおみやげです。

 そもそも「ごまたまご」とは、銀座たまやの販売する東京のおみやげです。東京駅構内での直営のブースの前では「上から読んでも”ごまたまご”。下から読んでも”ごまたまご”の銀座たまやでございます」と宣伝しています。確かにそうですね。
 「ごまたまご」そのものは、銀座たまやの説明では「黒胡麻ペースト、黒胡麻餡をカステラ生地で包み ホワイトチョコレートでコーティングした 可愛いたまご型のお菓子」とあります。大きさは、普通の卵とウズラの卵の中間くらいの大きさでしょうか。軽く一口で食べることが出来る大きさです。日持ちとしては約3週間。銀座たまやの代表的な商品です。

東京駅構内の「ごまたまごプリン」売場。多い時で10人くらい並んでいました。新幹線中央口乗り場のそばですよ〜!

これが「ごまたまごプリン」のパッケージ。6個入りで1,600円

こどもたちも大好きな「ごまたまごプリン」。待ってました!

これが中身。お味の方は・・・。買ってみてくださいね〜!

 そして、妻が催促した「ごまたまごプリン」は、比較的売り出されれてから新しい商品のようです。
 東京駅構内では、「ごまたまご」は7カ所ほどの売り場で売られているようですが、この新発売の「ごまたまごプリン」は限られた売場でしか売ってないようで、中央コンコースの「ごまたまご」売場のお姉さんに場所を教えて貰いました。ありました、ありました。並んでますよ〜!

 家に帰って、食べてみたのは翌日の朝食時。
 こちらは普通の卵よりもやや大きめのケースの半分にプリンが入っています。早速食べてみる「何だ、普通のプリンじゃん」と思いきや、そこの方にカラメルの替わりに胡麻ペーストのソースが入っていました。
 なるほどちょっと変わった味です。さて、次も買うかって?そのあたりはみなさんも食べてご判断ください。
平成20年12月10日(水)
〜 NO.448 忘年会 第1弾 〜
 いよいよ忘年会のシーズンですね〜!
 一昨日、私にとって本年度最初の忘年会がありました。

 この忘年会は、私の企画で趣旨は「日頃、一生懸命仕事をしてくれている同僚、部下に感謝をしるす」というものです。残念ながら、昨年に比べて私自身が財政難、ボーナス前という2つの理由で、申し訳ないですが会費として2,000円を徴収させてもらいました。
 たいしてご馳走できませんでしたが、来年もよろしくお願いいたします。

 行った場所は、職場から5分ほど歩いたところにある共済組合の施設です。ふぐ料理と2時間飲み放題の6000円程度のコースでしたが、予想通りふぐは今ひとつでした。

 終わってみれば、料理よりも会話の方が楽しく、ここでの2時間はあっという間でした。

 続いて2次会。Yさんの行きつけのスナックへ。
 ここは、ママさんが気さくで私も数回行きましたが、非常に入りやすい店です。しこたまカラオケを歌っても5人でトータル12,000円程度。このスナックは、スナックのイメージを変える店屋ですね。

 3次会は、さすがにYさんと二人でラーメンになってしまいました。
 終電間際となってしまい、あわてて電車に乗るのも面倒なので(酔っぱらい特有の症状!)、ラーメンを食べてからは二人でタクシーで帰りました。栄から野並経由の自由ヶ丘行きです。

 タクシー代は当然「ウン千円」ですが、これも社会の消費に貢献しているという思いで支払いました。これは非常にシンプルな形で社会の中で循環しています。

 「@私がタクシーに乗りお金を払う」 → 「Aタクシーが燃料(LPガス)を入れるためにオートガススタンドへ行きお金を払う」 → 「Bオートガススタンドが1年に1回の県知事の保安検査を受けるためにお金を払う(その検査は私が直接行うことがあります)」 → 「C行政は私の仕事の対価として給料を支払う」 といった形です。非常にわかりやすいですね。

 ということで久しぶりにタクシーに乗りましたが、非常に社会貢献に寄与した気持ちで帰ってきました。 
平成20年12月9日(火)
〜 NO.447 オサイフケータイの落とし穴 〜
 昨年4月から、携帯電話はNTTドコモのFOMAシリーズを使っています。機種はSH703iというもので最近のものではないのでワンセグ対応でもなければ、携帯電話でバーコードも読めません。

 しかしカメラ機能やオサイフ機能に関しては、ほぼフルに活用しています。
 特にオサイフ機能としては、Edy、nanaao、iD(iDはドコモのクレジットなのでこれはプリペイではなく、ポストペイ)を利用しているので、たいていのコンビニでは現金払いはしません。小銭の出し入れがないのでレジの会計は楽チンですね。

 また従来から東京出張が多かったので、モバイルSuicaも利用していましたが、このJR東日本のSuicaとJR東海のToicaが相互乗り入れしてからは、この東海地方でもモバイルSuicaが非常に役に立つようになりました。

 このようにわが携帯電話は、日常生活では完全に「オサイフ」がわりになっていますが、一昨日、初めてこの「オサイフ」が機能しなくなりました。
 時は土曜日。新幹線に乗る前に名古屋駅の売店で携帯電話を落としてしまい、レジでEdyが機能しなくなりました。焦るわ〜!仕方なしに久しぶりに現金払いで商品を購入しました(後に並んでいた方、ご迷惑おかけしました)

 原因はいたってシンプル。携帯電話を落としたことです。
 携帯電話を落としたこと(衝撃)によって、FOMAカードが挿入されているにもかかわらず、FOMAカードが認識されなくなってしまいました。
 FOMAカードとは携帯電話の所有者の基本情報が書き込まれている1cm四方程度の小さなカードです。

 博多行の新幹線の中で復旧作業に悪戦苦闘!電源を入れたり切ったりしてパソコンと同じように立ち上げし直しましたが、やはりFOMAカードを認識してくれません。
 結局、裏蓋を開けてFOMAカードを挿入し直してみると見事に復旧!(万歳!)一時は福岡のドコモショップにSOSを出そうかとも考えていたくらい深刻な状況でした。

 Edyが使えなくてわかったのですが、このFOMAカード。認識できないと、この携帯電話では電子マネーの利用どころか電話の発信もメールの送受信もできません。インターネットは調べませんでしたが、たぶんアクセスできないでしょう。出来ることは写真を撮ること、登録してある電話番号を見ることくらいですかね。

 同じようなトラブルを起こさないように、くれぐれも携帯電話を落としたり衝撃を与えないように注意しましょうね。

平成20年11月30日(日)
〜 NO.446 バッティングセンター 〜
 昨日、長男・かずたかが「バットが欲しいのでバットを買ってくれ」といいます。
 今年の4月からは学童保育所に行っていないので、放課後ともだちと公園で野球(もどき?)をしているようです。「今日はホームランを打った」とか、「ヒットを3本打った」とか結構自慢話が多いです。(息子といえども自慢話をするのは、たいしたことがない証拠です)
 で、昨日スポーツ・デポという店屋で試打もしながらバットを一本買いました。

 今日は午後から床屋に行きましたが、その帰りに話が講じて「じゃあ、バッティングセンターに行ってみよう」ということになり、車のナビで自宅近くのバッティングセンターを探しました。

 ありました!ありました!
 名東区大森に「オリエンタルバッティングセンター」というバッティングセンターがありました。
 私が子供の頃は、あちこちにバッティングセンターがあったものですが、娯楽が多様化してからは経営が難しくなったようですね。

 ここは25球で250円。つまり1球10円。最近、バッティングセンターには行かないので相場がわかりませんが、決して高いという感じではありません。
 長男・かずたかは「オイラは野球は得意じゃないんだよ・・・。」と急に弱きに。長女・ゆかこは「面白そう。どんなとこかなあ」と反応は様々。

 自動販売機でコインを買って早速チャレンジ!
 私は久々のバッティングセンターで、とりあえず球速93km/hで調整。93km/hというのはボールがお辞儀するので曲がりの悪いカーブのような感じですね。
 初球こそ空振りするものの、25球でヒット性のあたりが約10本。正面の「ホームラン」にはなかなか当たりませんでした。

 子どもたちはといえば球速65km/hという初心者向けでチャレンジ。
 長女・ゆかこは空振りばかり。長男・かずたかも空振りばかりですが「5球あたったよ〜」と喜んでいました。子どもたちには初体験のバッティングセンター。思ったよりウケは良かったみたい。また行きましょうかね。

初体験のバッティングセンター

まずは一番遅い65km/hで挑戦!

当たった?

じっくり見て・・・。

えっ、もう終わり?2回目は自分の小遣いでチャレンジ

ゆかちゃんは、早々にゲームコーナーへ
平成20年11月25日(火)
〜 NO.445 骨密度測定 〜

測定場所の様子。閑古鳥が鳴いていました
 昨日、久しぶりに家族4人で休日を過ごしました。
 出かけた先は、長男・かずたかの大好きな「のんほいパーク」こと「豊橋総合動植物公園」です。わが家から徒歩でも15分程度のところに「東山動植物園」があるにもかかわらずです。

 本人が言うには、「園内に恐竜や化石がたくさん展示してある自然史博物館があるから」というのが大きな理由のようですが、他にも
  @小さいときに東山動植物園に行き過ぎて飽きたこと
  Aのんほいパークの方が空いていること
  B遠出した満足感があること
等の理由があるようです。


クリックすると拡大します
 詳細は、また後日、機会があれば報告することとして、今日は昨日、園内のイベントの一つに行われていた「骨密度測定」のお話です。
 これまで、骨密度の測定には興味があったものの、なかなか測定する機会がありませんでした。今回はまさに「千差一隅」のチャンス!午前10時からの開始からすぐに測定してもらおうと待ちかまえていましたが、10分たっても準備中〜!(のんびりしてますな〜愛知県牛乳普及協会さんは・・・)天候が今ひとつのせいか人手も少なく、遊園地で遊んで戻ってきても先着400名には楽々セーフ。

 さあ、その骨密度測定ですが、始まる前にアンケートを長々と書かされました。氏名、生年月日はもとより、骨折の経歴と原因、牛乳・チーズ・ヨーグルトの摂取状況、喫煙履歴、スポーツの履歴など非常にたくさんでした。ようやく書き終わると、測定の準備へ・・・。

 測定は非常に簡単。
 (1)右足の靴下を脱ぎます
 (2)右足の両くるぶしのやや下あたりにジェル(ゼリー)を塗ります。
 (3)測定器に足を突っ込むこと10秒程度
以上で測定終了です。

 測定後、プリントしてもらったのが右のものです。
 初体験でしたので、ちょっとドキドキでしたが、非常に骨密度が高く安心できる結果でした。

 とはいうものの、私は牛乳は好きではありません。小学校、中学校時代の給食は我慢して飲んでいましたが、最近はもっぱらチーズ、ヨーグルト派。ただし、チーズは塩分やカロリーも多いので、カルシウムの摂取は牛乳の方がいいとか・・・。それよりも私の経験からすると、運動をちゃんとしている方が骨を丈夫にするような気がしますが・・・。

 みなさんも機会があったら測定してみるといいですよ〜!
平成20年11月22日(土)
〜 NO.444 福岡国際マラソンまであと2週間 〜
 今日は午前中に名城公園で30km走を行いました。2週間後に控えている「福岡国際マラソン」で予定しているレースペースにかなり近いペースです。今日の感じからすると、大会当日の天候がごくフツー(強風とか雨が降るとかいうことが無い状態)であれば、終盤くらいまでは何とか持ちこたえることが出来そうな感じですかね。練習が十分出来ていないので大きな事を言うことが出来ませんが、昨年の37km地点でリタイアの汚名を何とか返上したいと思います。

 それはさておき、私も46歳。Aグループ、Bグループという制度が4年前に出来、高嶺の花であった「福岡国際マラソン」が市民ランナーにもやや開放されたものの、Bグループの参加標準記録が2時間45分(フルマラソン)であり、いつまでこのタイムをクリアし続けることが出来るのか、この年になると不安であり、楽しみでもあります。何とか最低でも50歳くらいまでは出場し続けたいと思っています。

 ということで11月18日に主催者のサイトでエントリーリストが発表されたので、今年の福岡国際マラソンに出場する選手の年齢を調べてみました。その結果は以下の通りです。

【招待選手/一般参加別】
海外招待選手(Aグループ) 6名
国内招待選手(Aグループ) 7名
ペースメーカー(Aグループ) 4名
海外一般参加(Aグループ) 6名
国内一般参加(Aグループ) 66名
国内一般参加(Bグループ) 559名
合 計 648名
 
【年齢別】
年齢 人数 累計   年齢 人数 累計   年齢 人数 累計   年齢 人数 累計
59 46 16 58 36 24 320 26 17 590
55 45 18 76 35 37 357 25 13 603
54 44 15 91 34 32 389 24 21 624
53 43 31 122 33 33 422 23 629
52 10 42 12 134 32 33 455 22 10 639
51 14 41 33 167 31 19 474 21 642
50 19 40 21 188 30 27 501 20 648
49 25 39 44 232 29 28 529
48 33 38 24 256 28 22 551
47 42 37 40 296 27 22 573

 驚くべきことに最高齢(最年長という言い方の方が適切ですね)が59歳の保坂好久さん(静岡県)。この方は、市民ランナーとしては有名な方で40歳になっても10km31分台で走っていたスピードランナーです。今大会への参加するための記録は私よりも上です。故障しない限り来年も恐らく参加されることでしょう。来年になれば60歳!恐るべし!

 で、再び表をご覧ください。
 保坂さんをはじめとし、私よりも年長者が42名。まだまだ先輩方がたくさんいますね。
 また、私と同じ46歳のランナーも16名。まだまだ負けられません。

 ところで、今大会のエントリーから真ん中の年齢を調べてしました。いわゆる平均的な(中央値)年齢ということです。
 エントリーが合計648名ですので、その半分の324番目辺りの方が、年齢的には中央になります。調べてみると「35歳」。マラソンは、年齢が高くなっても十分続けられますね〜。若いうちはスピードをつけて、それからマラソンへ入ってきましょうね。

 さて、冒頭に申したように福岡国際マラソンまであと2週間。今回も次年度の標準記録が確保できるように応援よろしくお願いいたします。
平成20年11月7日(金)
〜 NO.443 疲労回復のためのスグレもの 〜
 今日は「スグレもの」の紹介です。

 ちまたで”スグレもの”というと、「なるほど!これはいいぞ〜!」と言わせるために”わざわざ開発されたような特別な商品”を指すことが多いかと思います。

 今日は、私が本来の使用目的を逸脱して使用しているものの紹介です。

 まずは写真右のものをご覧ください。

 いわゆるローラーの表面に粘着テープが貼ってあって、絨毯やカーペットなどの表面のゴミをぺたぺたと貼り付けて取るアイテムですね(商品名は何というんでしょうか)。
 これはこれで世の中に出た当初は、スグレもので紹介されているかと思います。ゴミがたくさんくっついてくると、くっつきが悪くなりますが、わざわざ掃除機を出すことなくゴミ取りが出来ますよね。ちょろちょろと掃除するには非常に便利ですね。

 私にとっては、このローラーの部分だけが必要でした。粘着テープは無くてもOKです。同じようなものとして、ペンキを塗るためのローラー式の刷毛(と言う名称でしょうか?)がありますが、たぶんそれでもいいかと思います。私はこれを、体の主に下半身のマッサージ用の道具として最近使用しています。

 ランナーやトライアスリートの練習では、足腰を酷使します。わが家にもマッサージ機はありますが、主に用途としては体の上半身の「ほぐし」用です。これでは足腰のうちの特に「足(脚)」のマッサージがなされません。

 下半身の「ほぐし」については、これまで
 @お金を払ってマッサージの専門店でマッサージをしてもらう
 A自分で患部を指で押す(指圧)などするセルフマッサージ
で対応していました。

 @は費用がかさばる、Aは手が早く疲れてしまうのでなかなか頻度が増えません。
 そこで何とか、廉価で効果的にマッサージが出来ないかとあれこれ考えました。
 その結果、まず考えついたのがこの”ゴミ取りようローラー”です。

 使ってみると「お〜、いいいぞ!いいぞ!」という感じです。使用可能な範囲も広く、自分でやっていても楽ちんです。ホームセンターで数百円で購入できるアイテムです。

 ランナーやトライアスリートのみなさん!騙されたと思って下記の写真のようにあちこちをローラーで押しながら転がしてください。5〜10分くらいでほぐれてきますよー!次の日の目覚めが全然違います。

 疲労回復が早く進めばポイント練習の頻度を増やすことが出来ますし、確実にレベルアップにつながります。一度試してみてくださいね。間違いなくオススメですよ〜!
平成20年11月3日(月)
〜 NO.442 Dr Pepper 〜
 突然ですが、みなさん「Dr Pepper(ドクターペッパー)(右写真)」ってご存じですか?

 名古屋界隈では、ほとんど見かけない飲み物ですが、不思議とわが家から1kmと離れていないコカ・コーラ系の自動販売機で売られています。

 私がこの「ドクターペッパー」に最初に出会ったのが、中学校3年生の修学旅行で東京に行ったときです。もちろんこの時に見つけたのも自動販売機。

 「なんだこりゃ?」「ちょっと買ってみるか・・・。」好奇心旺盛だった当時中学生だった私はすぐに買いました。さっそく飲んでみますが「・・・。不思議な味だなあ。コーラとも違うし・・・。」まあ、何というか・・・、ドクターペッパーの味なんですね(当たり前)。

 今回、このサイトに掲載するので「ドクターペッパー」について調べてみました。
 アメリカでもっとも古い炭酸飲料「ドクターペッパー」は、1885年、ウェード・モリソンと彼の経営するドラッグストアで働いていたチャールズ・アルダートンにより、米国テキサス州のウェイコで誕生しました。製品名の由来は、モリソンの義父にあたる医師チャールズ・ペッパー博士にちなんだものと言われています。」
(日本コカ・コーラ社のサイトから引用) 

 また、Wikipediaには、日本での販売について以下のように書かれています。
 「(前略)現在日本において定期的に販売を行っているのが東京コカ・コーラボトリング、利根コカ・コーラボトリング、三国コカ・コーラボトリング及びコカ・コーラセントラルジャパンの旧富士コカ・コーラボトリング地区(双方とも現在は500mlペットボトルのみの販売)、沖縄コカ・コーラボトリングの5つのボトラーの販売区域のみなので、事実上、関東とそれに隣接する一部地域及び沖縄地域でしか販売されていない。

 東京都内、千葉県、栃木県、茨城県および沖縄県では、多くのコカ・コーラ自販機で販売され入手しやすい状況となっており、特に都内ではその範囲が拡大される傾向にある。
 埼玉県、群馬県、新潟県、神奈川県、山梨県、静岡県では前者ほど販売網が広くは無いがペットボトル入り製品が一部自販機やスーパー等で入手できる。それ以外の地域では現地販売会社がレギュラー商品として扱っていないために国産品を入手することは非常に困難であるが、輸入食料品店などで海外産のものを入手することは可能である。そんな中、2005年よりファミリーマートが全国販売を開始、さらに販売区域外のSHOP99で500mlペットボトルが買えるようになり地味ながらも販売網を広げている。今後は様々な地方で認知が進む可能性もある。」                                               

(Wikipediaから引用) 

 何とドクターペッパーは、今でも飲まれている最も古い炭酸飲料なのですね。(そうなんだー!驚き!)
 また、日本ではやはり関東圏、沖縄くらいでしか売られていませんね。

 にもかかわらず、わが家から1kmと離れていない自動販売機でなぜ売られているのか?

 同様にWikipediaには
 「味の好き嫌いはハッキリと分かれ、好きな人の中には熱狂的なファンとなる者も多く、「人類が至った最高の飲料」との評価をする人もいる一方、嫌いな人からはルートビアなどと同様に「薬臭い」「摩訶不思議な味がする」といったネガティブな評価が聞かれることも多い。」
とあります。
 私はどちらかというと肯定派。摩訶不思議だけど、また飲みたくなるような感じですね。こういう好奇心があるのはやはり中・高校生。

 そういえば、自動販売機のそばには○○高校が・・・。高校生向けに販売しているんですね。きっと。(オジさんが買ってはいけない?それとも若い証拠?)
平成20年11月1日(土)
〜 NO.441 高橋尚子さん、お疲れ様でした 〜
 頂上まで登りつめた山。あとは降りるだけ。いつかはやってくるトップ選手の引退の日・・・。

 高橋尚子さんのこれまでの数々の記録やエピソードについては今さら説明するまでもないが、今から思うとピークは金メダルを獲得したシドニーオリンピック(2000年)から女子で初めて2時間20分を切って優勝したベルリンマラソンの頃であろう。年齢で言うと28〜29歳の頃だ。

 ボリュームのある練習と主要な大会に優勝することにより駆け引きも熟成され、マラソン選手としては一番脂にのっていたに違いない。怖いもの無し。まさに無敵艦隊という強さだった。

 しかしながら、積水化学を退社しスカイネットアジア航空とスポンサー契約を結んだ2003年頃(所属は佐倉アスリート倶楽部)から少しずつ陰りが見えてきたような気がする。これは周辺環境が変わったことに加えて、加齢による影響によることが原因だったような気がする。

 周辺環境が変わったというのは、積水化学を退社し企業の援助が無くなったことにある。
 小出(義雄)さんの指導を継続して受けるものの、佐倉アスリート倶楽部を運営していかなければならないため、資金を稼ぐために小出さんが講演に出かけることが多くなったという。つまり、高橋尚子さんが小出さんに練習の面倒を見てもらう機会が大きく減ったことにある。

 また、年齢も「30」を過ぎれば、練習後の疲労回復が遅くなる。若い頃と同じ練習方法を継続することは出来ない。練習方法や疲労回復のための工夫など、毎日の変化に応じて見直さなければならない。
 われわれ市民ランナーであれば、自分でそのあたりを見極めながら練習などすべきであるが、高橋尚子さんのような大選手、特に女性であることも考えると、目利きである小出さんの適切なアドバイスを継続して受けているべきだったと思う。

 さらに、2005年5月には小出さんとの師弟関係を解消し「チームQ」を結成。
 ただでさえ、小出さんの指導が必要なところであるにもかかわらず逆行する行動は、私からみてもちょっと疑問であった。(平成17年5月12日付けNews NO.136「イバラの道を選択した高橋尚子さん」を読んでください)
 独立後は、その年の東京国祭女子マラソンで優勝するものの、それ以外は以前のような小気味よい走りを見ることはなかった。

 北京オリンピックの出場をかけた名古屋国際女子マラソンで惨敗。
 その後の都内の記者発表会での席で、「2008年11月の東京国際(同30回大会で終了)・2009年1月の大阪国際・同年3月の名古屋国際と、国内3大女子マラソンへ3レース連続で出場する」と明言したが、一レースも走ることなく現役引退。やはり、切れ味のある走りが戻らないと判断したのだろう。

 それにしても、女子選手でこれだけ長期間トップレベルを維持したことは素晴らしい。
 女子マラソンの歴史としては、村本みのるさん(第1回東京国際マラソン第7位、日本人1位で唯一のトップ10入り))が女子マラソンの扉を開け、増田明美さんがオリンピックに足跡を残し、宮原美佐子さんが日本人女性としては初めて2時間30分の壁を破り、そして高橋尚子さんが日本記録を2時間25分台から2時間19分台まで上げ、女子マラソンの高速化の先鞭を切ったといえる。

 しかしながら、実力だけでなく爽やかな笑顔と前向きな生き方から多くのファンを生み出し、女子マラソンを国民的な人気にした功績は非常に大きいと思う。それだけに、今回の引退によってがっかりするファンも多いだろう。

 ’98年3月の名古屋国際女子マラソンで見せたキレのあるスパート。同年12月のバンコク・アジア大会でみせた一人だけ別次元の走り。シドニーオリンピックの選考会であり、最後のイスであった名古屋国際女子マラソンでは、直前のアクシデントでファンをハラハラドキドキさせながらも、きっちり優勝。そしてシドニーオリンピックでの快進撃。本当に記憶に残る走りを次々と披露してくれました。本当にお疲れ様でした。

 11月9日(日)に開催される「いびがわマラソン」に引退後初めてファンの前に顔を見せられるそうですね。私も、ちょっと見に行こうかな〜!
高橋尚子さんのマラソン全成績
年月 大会 順位 記録 備考
1997年1月 大阪国際女子マラソン 7位 2時間31分32秒 初マラソン
1998年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間25分48秒 当時の日本最高記録
1998年12月 バンコク・アジア大会 優勝 2時間21分47秒 当時の日本最高記録
2000年3月 名古屋国際女子マラソン 優勝 2時間22分19秒 大会記録
2000年9月 シドニーオリンピック 優勝 2時間23分14秒 金メダル獲得・五輪記録
2001年9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間19分46秒 当時の世界最高記録
2002年9月 ベルリンマラソン 優勝 2時間21分49秒 マラソン6連覇
2003年11月 東京国際女子マラソン 2位 2時間27分21秒 .
2005年11月 東京国際女子マラソン 優勝 2時間24分39秒 2大会ぶりマラソン優勝
2006年11月 東京国際女子マラソン 3位 2時間31分22秒
2008年3月 名古屋国際女子マラソン 27位 2時間44分18秒 現役最後のレース
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