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平成29年3月7日(火)
~ No.945 京都下宿調査と家族集合 ~
 3月3日(金)ですが午前中の用事を済ませて、夕方、東京駅から高速バスに乗って再び名古屋に戻ってきました。
 翌日の3月4日(土)は、午前9時過ぎから京都市内で長女・ゆかこの下宿先の部屋の寸法測定です。家具を初め、もろもろ揃えるものが部屋の中に収まるかどうかを確認しなければならないので、ある程度時間をかけて各所の寸法を調べて記録しておかなければなりません。この作業は、昨年私が千葉県市川市の単身赴任先のマンションを契約した際、長男・かずたかの下宿先の契約した際など、これまでも同様のことを実施してきました。今回はこれで3回目の作業ということになります。
 午前6時半過ぎに名古屋を出発。途中やや渋滞に遭ったこともあり、京都のマンションに到着したのは、午前9時半くらいでした。

 長女・ゆかこの住む予定のマンションは、2月中にカミさんと長女・ゆかこの二人が不動産屋に紹介してもらったところからチョイスして、すでに契約済みです。ただし、私がそこを訪れるのは初めて。どんなところかワクワクでした。
 長男・かずたかと同じ京都市内のマンションですが、住所は京都市中京区。京都の中でも比較的人口密度の高いところです。大学の二条キャンパスから約1kmほど離れたところなので、一般的には賑やかなところと言えるでしょう。近所にはコンビニ、食品スーパーなどもあり、JR二条駅もそれほど遠くありません。立地的にはいいところですね。
 午前中は、マンション内のモデルルームで寸法測定。そして大学に実際に行ってみて雰囲気を味わってきました。また、入学式は本学のあるキャンパスで行われるので、本学にも行ってきました。

3月3日(金)は早朝夜行バスで東京に到着しましたが、夕方の東京駅17時30分発のハイウエイバスで名古屋に逆戻り。この日は東京出張という感じでした。

途中、足柄SAなどで休憩しながら名古屋に向かいます。

長女・ゆかこの住む予定のマンション。築年数も新しくきれいですね。大学のキャンパスからも1km程度の距離。

玄関を入ったところには、オートロックのシステムがあります。

マンションの引渡は3月31日。この日見せてもらったのは、1階のモデルルーム。左右逆向きですが、部屋の間取り寸法は同じだそうです。

南側には大きな窓。西側にも小窓がありますが、長女・ゆかこの入居する部屋では逆の東側にあることになります。ベッドもショールームですので見本としておいてありました。

南側から北側を見たところ。通路の右側にはクローゼットがあります。

こちらは風呂。長男・かずたかのマンションの風呂と同じくらいの大きさでした。

こちらは風呂の前にある洗面台と洗濯機。洗濯機もモデルルームなので置いてありますが、入居時には持参しなければなりません。

こちらはトイレ。写真ではわかりませんが、便器の上あたりには棚が設置されています。

ここが台所。キッチンはIH用のコンロが2個使用できます。冷蔵庫と電子レンジはショールームのもの。こちらも持参する必要があります。

実際に入居するのは上のフロアなので、エレベータで上がって様子を見てきました。

入居予定の部屋の前にて。現在は、まだ使用中のようです。

オートロックなどを確認してきました。

大学の駐車場は一般の人は駐められないとのこと。近くのコインパーキングに駐車して、少しばかり大学を覗いてきました。

ここのキャンパスも出来てから10年も経過していないので新しくてきれいです。

大通りに面した入口の前にて。

1階には事務室があります。連絡事項などがボードに張り出されています。

建物の中心は吹き抜けになっています。7階建てとか・・・。リッチな感じですね。

ここは学食。学食大好きのカミさんが早速チェック。

80円でコーヒーが飲めるということで、早速、3人で240円を払ってチャレンジ。

店員さんから渡されたのは、コップとコーヒーのカートリッジ。機械にカートリッジを差し込んで、自分で作るようです。なるほど、安い理由がわかりました。

こちらは大学のマスコットキャラクター。ここまでくれば、どこの大学かおわかりですね。ヒント、中日ドラゴンズの大野の母校です。

京都駅前の不動産屋に立ち寄った後に、伏見区に住む長男・かずたかのマンションに向かいます。

 京都駅前にある不動産屋に寄って入居に関する書類を提出し、今度は京都市伏見区に住む長男・かずたかのマンションに向かいます。長女・ゆかこの入居予定のマンションと、長男・かずたかの住むマンションとの距離は、10kmは離れていませんが自動車で走るとそこそこあります。

 午後1時過ぎに、長男・かずたかのマンションに到着。名古屋から運んできた長女・ゆかこ用の荷物を月末まで置かせてもらいます。昼食は長男・かずたかの薦めで京都駅南口のイオンモールに行くことにしました。肉食系のわが家はすぐにすき焼き屋を選択。60分食べ放題でしたが、店員がなかなかやってこないので90分ほど長居。食後3人がショッピングをしている間、こちらは休憩。その後、ニトリ京都南インター店でインテリアの調査とカーテンの購入を。午後8時過ぎに京都を出発して名古屋に午後10時頃戻ってきました。

 正月以来、家族4人で過ごしましたが、長男・かずたかも相変わらずの感じで、安心して名古屋に戻ってきた次第であります。次回は3月31日に京都へ行きます。

久し振りにやってきました長男・かずたかのマンション。

自動車から長女・ゆかこの荷物をいくつか降ろしました。3月31日までここで仮保管。

午後1時を過ぎていたので食事に行くことにしました。

普段は自転車で行動している長男・かずたかですが、自動車に乗ると楽ちんですね。ただいま自動車学校に通っているところです。

京都駅南口にイオンモールがあるということで、ショッピングついでに、そこで御飯を食べることにしました。

肉食系の加藤家は、すき焼きの食べ放題をチョイス。肉のグレードによって料金が違いますが、下から二番目のグレードを選択。

60分間食べ放題。終了10分までに、ラストオーダーを取りに来ると言っていましたが何事も起きず・・・。90分くらいはいたでしょうか。

すき焼きの他にアイスクリームも食べ放題。ただしハーゲンダッツは16時から食べ放題。4月からは兄妹が京都で暮らすことになります。

最後は苦しそうだった長男・かずたか。夕方になったら「晩ご飯は?」と言っていましたが、他のみんなは「いらなーい」と。

但馬屋というお店です。最高級は但馬牛でも使っているのでしょうか。なかなかリーズナブルな店屋でした。
平成29年3月3日(金)
~ No.944 卒業式(長女・ゆかこ) ~
 3月1日(水)の夜、職場での仕事を22時45分頃に切り上げ、23時40分の夜行バスで名古屋に向かいます。3月2日(木)は、長女・ゆかこの通っていた高校の卒業式です。とりあえず、名古屋に朝方までに着けば間に合うだろうと思い、夜行バスに飛び乗って名古屋に帰ってきました。

東京駅八重洲口を23時40分に出発する名古屋駅行きの夜行バス。

新幹線の最終便が無くなったあとに出発するので、かなり時間を有効に使用できます。

 長女・ゆかこの通う高校の敷地に足を踏み入れるのはこれが3回目。入学式の時、文化祭の時、そして今回と僅かに3回です。自動車で学校の正門前までは何度か送って行きはしましたが、中に入るのは久し振りです。回数が少ないだけに、3年前の4月に、桜の木の下でカミさんと長女・ゆかこと写真を撮った記憶が鮮明なので、時の経過が非常に早く感じられます。

20日ぶりに戻ってきましたが、梅がちょうど咲き始めていました。

近所では梅の木を植えている家が無いので、このあたりでは梅の名所と密かに話題になっているかも・・・

今日で制服を着るのも最後となりました。いろいろありましたが、何とか3年間通うことができました。

入学式と同様に、達筆な文字が書かれています。

学校の体育館へ向かう階段には、飾り付けが施されていました。

反対側から見るとこんな感じ。

御祝いメッセージもいろいろなところから届いていました。卒業式らしいですね。

 卒業式は10時30分から約1時間かけて行われました。明治から続くふる~い学校なので、今回の卒業式は第108回とプログラムに書かれています。卒業式は式典なので、オーソドックスな感じで進行。ちょっと意外だったのが、卒業式で歌った唄が「あおげば尊し」と「蛍の光」です。最近の流行歌に変えていく学校が多い中、ここぞとばかりに伝統にこだわった感がありました。スーパーなどの閉店音楽として定着してきた「蛍の光」を卒業式で聞くのは久し振りでした。
 卒業式に引き続き、在校生が主催で行われたのは「門出式」。こちらは少し砕けた感じで、進行していきます。担任への花束贈呈や在校生の「3月9日」の合唱など、式典メインの卒業式と比べてリラックスした感じで進んでいきました。長女はわりとしらっとした感じでしたが、私としては進学先も決まったこともありそれなりに感慨深いものはありました。

もうすぐ卒業式が始まります。この学校では、卒業生の入場というメニューは無く、最初から着席となっています。

卒業証書授与。代表は、長女・ゆかこと同じクラスの女の子。他に、皆勤賞、精勤賞などの表彰もありました。在校生送辞、卒業生の答辞などオーソドックスなメニュー。卒業生の答辞は、ハンドボールの全国選抜大会で準優勝した部のキャプテンが読み上げました。4月からは関西学院大学へ進学とか。

こちらは卒業式に引き続き行われた門出式。クラスの代表が感謝の言葉を述べて、担任に花束を渡します。

こちらは長女・ゆかこの担任のM山先生。2年間担任を受け持ってもらいました。3年生では特進理系の担当でした。電話では話したことはありましたが、本人に会うのはこの日が初めてでした。

こちらは在校生の合唱。「3月9日」(って知ってますか?)を歌って、卒業生を送っていました。

最後は、在校生の演奏で卒業生を体育館から送っていました。

3年10組から順番に退場。3年2組は後の方で、順番待ちをしている長女・ゆかこ。

ようやく順番です。

クラスメートと一緒に退場する長女・ゆかこ。

最後はここの間を通って退場です。

最後まで演奏を続けていた在校生たちが印象的でした。

3年1組も退場。こうして式典は終了しました。

 私は一旦帰宅し、夕方からは前の職場の近くの共済組合の施設内のレストランで、親子3人で夕食を摂りました。ここに来るのも久し振りです。私が昨年3月で退職した際に、共済組合から2万円の補助券(29年3月末までに使用しないと期限切れとなる)を支給していただいたので、ここぞとばかりに使用しました。量は多くありませんがフレンチです。女性はこういうところの方がいいんでしょうね。来月から大学生になる長女・ゆかこにアドバイスを送ったり、将来を語ったりと久し振りにまじめな話を親子でしてきました。

地下鉄・市役所駅4番出口に集合。前の職場の横を通っていくので、少しばかり撮影していきました。

ここが家族で御祝いをした、地方共済組合の施設「アイリス愛知」。

最上階のグランシャリオというレストランでお祝いです。

卒業しました。一応証拠です。

なかなかフランス料理のコースを食べる機会も無かったし、使用期限の迫った共済組合からの補助券を消費するという意味では一石二鳥でした。カミさんのアイデアですが、なかなかナイスでした。

八事を23時14分発の夜行バスで東京へ。霞ヶ関には早朝5時25分頃に到着。ここで降りたのは私一人でした。一旦、単身赴任先の千葉県市川市に戻り、風呂&着替えて職場に向かいます。

 私は、明日どうしても出勤しなければならないので、八事(名古屋市昭和区)を23時14分の夜行バスで、東京に一旦戻りますが、3月3日(金)の夕方の高速バスで再び名古屋へ逆戻り。3月4日(土)は、京都へマンションの間取り等の確認の為に親子3人で京都へ向かいます。3月は慌ただしいですね。明日は、京都にいる長男・かずたかもやってくるので、正月以来、親子4人で過ごすことになります。
平成29年2月18日(土)
~ No.943 桜一輪、何とか咲きました ~
 2月11日(金)、名古屋で講習会を開催する関係で、約一ヶ月ぶりに名古屋に戻ってきました。2月13日(月)の夕方までの滞在ですが、名古屋にいる間にちょっとばかり行事を入れてみました。
 また2月13日(月)からの週は、移動や長女・ゆかこの大学受験の合格発表もあり、落ち着かない一週間でした。

【2月11日(土)】
 この日は、大曽根(名古屋市北区)で飲み会。飲み会の相手は、同じ会社の中部支部の現職、OBの人たちです。今の会社に入る前からの付き合いです。中には20年以上前からの付き合いの人もいて、いろいろと盛り上がりました。「加藤さん、二次会へ・・・」ということで、OBのU村さんの行きつけのスナックへ。ところが、土曜日はお休みのようで、急遽、別のお店へ。そこのお店でも、「あら~U村さんお久しぶり」と。名古屋市内のお店を豪遊していることは知っていましたが、久し振り(10年ぶりとか言ってましたが・・・)といっても名前を覚えてもらっているくらいですから相当通っていたんでしょうね。最後は、私とO野さんでU村さんを自宅まで肩を貸しながら送って行くということに・・・。重たかったけど、まあ楽しい飲み会でした。

一次会は大曽根駅の嘉門。二次会は、上飯田のスナックです。ここはU村さんのかつての行きつけの店の一つみたいです。

U村さん(左)とK林さん(右)。お二人ともOBになってしまいました。

この日は夕方5時半から11時過ぎまで長時間の飲み会でした。

おっさんばかりなので、古い唄が多いです

どうしてスナックのママさんは、唄が上手なのでしょうか。七不思議です。

【2月12日(日)】

この日の飲み会は、地下鉄本山駅そばの風来坊・本山店。「世界の山ちゃん」と同様に手羽先の有名な店です。
 この日も飲み会でしたが、会場はわが家から比較的近い本山(名古屋市千種区)。前の職場の同僚です。最初は、お土産の交換会からスタート。私はドイツのお土産(ソーセージ)を、Qさんはバレンタインデーが近いということで、奥さんに持たされたチョコレートを、S本さんは前日ダイナランドへスキーに出かけたというので、スキー場のお土産を。何となくわらしべ長者の雰囲気も漂っていましたが・・・。
 さて、2月ということで今回の飲み会は新年度に向けての人事の話題が中心でした。私が以前に属していたS部関係では、定年退職者はナシ。ただし、2人ほど私のように中途で退職する人がいるとのこと。新たな就職先も聞きましたが、「なるほどね」というところ。役所のシステムで、先が明るくないことを悟ったのでしょう。二人とも異動の時期に近づいているので、再び高圧ガスの仕事に戻ったり、もしかしたら離れたりするかもしれませんね。

【2月13日(月)】
 この日は午後から名古屋市千種区にあるimyビルというところで講習会。午後0時30分集合なので、午前中は比較的のんびりできます。

 そしてこの日の午前中にもう一つやるべきことは、長女・ゆかこが受験した京都市内のA大学の受験結果の確認です。午前9時にネットで発表があるので、パソコンの前でスタンバイ。午前9時というのは少々早いですね。
 午前9時になると同時に、入試結果の画面に受験番号を入力します。固唾をのんで画面をおそるおそる確認していきます。A大学は第2志望ですが、受験した3校の中では一番難易度の高い大学で、本人は受かった気がしないせいか部屋で寝ています。
 A大学はA日程で、2月1日、2月2日、2月3日と3日連続で受験。さらにセンター利用でも出願しているので、結果としては4つ表示が出てきます。

 「2月1日→不合格、2月2日→不合格・・・」「あーっだめかぁ」「センター利用→不合格」と画面をさっとスクロールしましたが、よーく見ると「2月3日→合格」となっています。不合格の文字に埋もれて一瞬見逃すところでしたが、奇跡的に「合格」の文字を発見!
 家に残っていたカミさんに「おーい!一つ受かっていたよ!」と呼ぶと「えーっ、本当?」と慌ててすっ飛んできます。画面を再度見つめますが、一つだけ「合格」の文字がそこには残っていました。今度はカミさんが「ゆかちゃーん!受かってるよ-!合格だよー!」と階段を駆け上りながら、諦めて寝ている娘のところに飛んでいきます。2階からは、「ほげー!〇×※△¥~!」と全く意味不明の叫び声が聞こえてきます。浪人も覚悟の結果待ちでしたが、奇跡的に一つ合格をいただいたこの日でした。

 本来は、高校に答案の引取等で登校する日でしたが、急に機嫌を直して出かけることにしました。合わせて、近所の施設に入っている祖母にも報告に行きました。

ここまで連敗街道まっしぐらだっただけに「ホントに合格?」という感じ。まだ実感が湧いていないようです。

パソコンの画面を印刷して、近くの施設に入所中の祖母のところに報告。「お金(合格祝)はいくらにしようね」とばかり言っている祖母。

「おばあちゃん、お金のことは聞いてなくて、まずは合格おめでとうって言って」と督促。

家に帰ると、速達で入学の手続き書類が届いていました。前日までには郵便局に届いており、配達日の指定になっていたようです。

 午後からは、imyビルで講習。さすがに名古屋での開催だけあって、かつての知り合いなどにたくさん会いました。名刺を配るなどして近況報告。講習会終了後、経産省さんと打ち合わせをしてから大阪へ移動。

【2月14日(火)】
 この日の講習会の会場は、JR新大阪駅近くのCIVI研修センター東大阪というところ。午後からの開始なので、早朝、ホテルから川沿いに1時間ほど走ってきました。知らない街を走る場合は、わかりやすいところを、人口の多い街はとりあえず川を目指して走り、あとは河川敷の信号の無いところを走るのが走りやすいですね。
 講習会終了後は、新大阪駅のお好み焼き屋で反省会。たっぷり飲んできました。午後9時過ぎ、新幹線で東京駅に到着。

【2月16日(木)】
 この日は午後から東京都大田区にある、一般高圧ガスの充填所に出かけました。部内の職員に現場を知るために、同じ職場で企業出身の人にお願いして、受入をしていただきました。2時間程度ですが、充填所内の配置図、フローシート、製造現場の案内をしていただき、コールド・エバポレータを中心に部内の職員に勉強させました。
 私も現場に出かけるのは久し振り。もちろん都内の充填所に出かけるのは初めてですが、作りは東京でも愛知でもほとんど同じです。勉強するにはちょうどよかった製造事業所だったような気がします。

【2月17日(金)】
 この日は一日内勤。仕事が溜まっているので、なるべくなら外に出かけたくはありません。とはいえ、内勤日は外部からの問い合わせの電話が多くかかってくるので、結構対応に追われます。
 この日のメーンイベントは、長女・ゆかこの最後の試験結果の発表日です。第1志望のB校です。12月の公募推薦で不合格になっているので、これが最後のチャンス。
 カミさんは忙しいというので、番号だけ聞いて、私の方で確認することにしました。長女・ゆかこは、諦めモード。月曜日に1校受かっているので、まあ、それでもいいかと思っているのでしょうか。午前中はヨガに出かけたらしいとカミさんから情報が入ってきました。

 受験結果の発表は午前10時。パソコンに受験番号を入力して確認しましたが、受験とセンター利用と二つとも不合格。月曜日に合格したA校が唯一の合格となってしまいましたが、何とか浪人せずに進学することができました。

 4月からは、兄妹とも京都市内で下宿生活が始まります。それと同時に、名古屋のわが自宅はカミさんの一人暮らしが始まります。私も千葉県市川市に単身赴任中なので、完全に家族4人ともバラバラの生活が始まります。予想はしてはいましたが、いよいよ現実になるときが近づいてきます。
 また長男・かずたかと長女・ゆかこはともに京都市内の大学ですが、JR京都駅を挟んで対角線上にあるので、下宿先もそれぞれ別々です。まあ、兄妹としてはそれなりに近いところに住んでいるので、一人暮らしと言っても心細さは半減ではないでしょうか。あとはお金のやりくりだけですかね。トホホ・・・。
平成29年2月11日(土)
~ No.942 名古屋はうっすらと雪化粧 ~
 昨晩遅く、久し振りに名古屋の自宅に戻ってきた。ごそごそしているうちに日付けが変わり土曜日へ。
 朝起きてみると、外は雪景色。道路を見るとアスファルトはむき出しであるが、近所の家の屋根は白くなっている。今日は、わが娘の私大の最期の受験日。カミさんも会場まで送っていくというので、駅まで自動車で送っていく。ここまで一次試験で合格したのが1校あったが、昨日の二次試験の発表で不合格。結果は今のところ全敗。滑り止めも不合格となっているので、来週の残りの2校を発表を待つことになるが、このままでは浪人の可能性が高くなってきた。志望を下げなかったせいもあるが、初心を貫徹してもらいたいと思った次第。浪人はもちろんOKです。

道路には冠雪がありませんが、屋根やら駐車している自動車にはうっすらと・・・。

近所の地下鉄・自由ヶ丘駅まで送っていきました。カミさんは会場まで付き添い。最後の逆転なるか???
平成29年2月10日(金)
~ No.941 名古屋帰省 ~
 10日ほどの海外出張もあった1月が終わり、2月も上旬から中旬にさしかかっている。
 先日の別大マラソンは、エントリーしていたものの欠場。故障に加え、練習が出来ていないので自分の中では仕方がない感があるが、8月の時点で翌年の2月を占うのは難しいと悟った次第。

 別大マラソンの翌日は、東京のわが職場で講習会。自分はバックアップという立場であるが、準備などは当然お手伝いをする。2月7日(火)は、走友のNさんが上京。久し振りに新橋に出かけて一杯。インフルエンザで練習を1週間お休みされていたので、走れないストレスは少々あるようだが、体調は上向きのようだ。
 翌日の2月8日(水)に岡山へ移動。9日(木)は講習会の講師を1時間ほど務めて東京へ戻る。名古屋を通過するのは忍びない。
 そして今日も午前10時から午後5時近くまで経済産業省で打ち合わせがあり、なかなか休むこともできない。

 来週2月13日(月)は名古屋で講習会。そして翌日の14日(火)は大阪で講習会の開催のため出張となるが、今日はそのために一足先に名古屋の自宅へ戻る。年末年始の休みを多く取っていたので、先月の初出勤が1月10日。なので約1ヶ月ぶりの帰宅となる。長女・ゆかこの受験も連敗続きで気になるところであるが、明日は私大の受験の最終日。元気に送り出してやりたいところである。
1月に行われた団体の賀詞交換会後に3次会で行った先が神田の「味仙」。味仙は名古屋の台湾ラーメンの店屋であるが、最近東京に進出したということで、行ってみました。ところが名古屋の味仙の標準の辛さより数倍辛い台湾ラーメン。みんなヒーヒーいいながら食べていました。
こちらは同僚と。お互いに休日出勤をしたので、夕食を一緒に食べようと近くの居酒屋へ。わが息子のように体が大きく食べっぷりがいいので、時々おごってやっています。

2月8日(水)は岡山へ講習のために出張。前日移動で、遅くなってしまいましたが、主催者の事務局長に岡山市内でご馳走になりました。

久し振りに訪れた倉敷。12年ぶりくらいかもしれません。

岡山といえば「天満屋デパート」。先月の大阪国際女子マラソンで、天満屋所属の重友梨佐が優勝。昨年末の高校駅伝男子も倉敷高校が優勝。地元としては応援のしがいがあるのではないでしょうか。

2月9日(木)の講習会場は、倉敷市内の南部の水島地区。三菱自動車を始め、工業地帯であります。こちらは水島臨海鉄道の倉敷市駅。

平日の昼間なので駅は割りと閑散とした感じ。

こちらは水島臨海鉄道の列車。昼間は1両のワンマン運転。

こちらは車内の様子。乗車率は20%くらいでしょうか。

列車の終点の水島駅。駅名標が少々色あせた感じです。

水島駅に到着した列車。数分停車して折り返していくダイヤのようです。

水島臨海鉄道の水島駅から徒歩で3分ほどのところにある講習会の会場。倉敷市環境交流スクエアというところ。

講習会は階下の会議室を2部屋ぶち抜きで行われました。久し振りの講師で、やや準備不足。持ち時間の1時間をぎりぎりで消化という感じでした

そして本日。3日続きで新幹線に乗ります。JR東海の利益に貢献しています。東京駅21時23分の、のぞみ431号で帰宅します。自宅に戻るのは、日付が変わる少し前。
平成29年2月5日(日)
~ No.940 別大マラソンを終えて ~
 私にとって17回目のエントリーの別大マラソンですが、昨日のNewsで報告したように「欠場(DNS)」となりました。内訳としては、完走11回、途中棄権4回、欠場2回です。昨年はエントリーしていませんが、別府にやって来ているので、かれこれ応援やら旅行やら色々合わせて20回以上は大分県に来ています。だいぶお金を大分県に落としているので、そろそろ大分県から金一封でも出るかと・・・。

 さて、本題にうつります。
 昨日は、ビーコンプラザに受付に行ったものの、そこで欠場と伝えることなく、大会当日を迎えました。もちろん、走るだけの準備もしていないので選択肢は「欠場」しかないのですが、「せっかくだから少しばかりは選手の気分を味わってもいいだろう。大会前日に急いで欠場を宣言しなくとも良いだろう」と思い、スタート場所の「うみたまご」にやって来てからナンバーカードのチップを返却することにしました。あとは、応援に徹するだけ。うみたまごでは、走友会の2人にエールを送り、無事に大分市営陸上競技場に戻ってくることを願い、最初の応援場所の別府大学駅付近に向かいました。

 昨年は、亀川の折り返し付近で応援していましたが、応援後の大分方面への列車に乗るための時間の余裕が少なく、今年は一つ手前の「別府大学」駅で降りました。駅から国道までも近く、こちらの方が良さそうな感じです。スタートから8km少し手前くらいでしょうか。12時23分頃に先頭集団が通過していきます。その後選手の数がどんどん増え、明らかに辛そうな走友会のN藤さん、そして元気そうなH部直さんがやってきます。H部直さんは、私を見つけて手を振る余裕。この時点では、楽勝サブスリーかなという感じでした。
 このあたりでは、やや雨が強くなっていたので心配しましたが、その後は雨が上がり曇り空。風はほとんど吹いていません。コンディション的には、今年も恵まれた感じでした。

温泉街別府らしい光景ですね。ゆっくり温泉に浸かってのんびりしたかったのですが・・・。(JR別府駅前にて)

JR別府駅前から北浜に向かっていくところは、別府のメインストリート。

北浜から会場のうみたまごへシャトルバスで向かいます。一応「athlete」のカードがあるので・・・。

10分ほどでうみたまごに到着。一年ぶりにやって来ました。昨年はノーエントリー、今年はエントリーしたものの走るだけの体が戻らず残念ながら欠場。

この日は天候があまり良くなく、例年のように屋外で過ごす人がやや少なめ。

小雨が止んで好記録を期待します。左がH部直さん、右がN藤さんです。

H部直さんに取ってもらいました。次回は走りたいです。

うみたまご前の歩道橋から別府方面を見たところ。

こちらは歩道橋から大分市街地方面を見たところ。

ここから3,000人を超える選手がスタートしていきます。

私は、一足早くバスで別府駅前へ移動。

JR別府駅構内の食堂で先に昼食。この日は豊後定食を注文。とり天に加えだんご汁とおいた名物のセット。

最初の応援場所はJR別府大学駅の近くです。

JR別府駅から国道までは至近。8km少し前です。移動も楽ですね。もうすぐ先頭がやって来ます。

先頭集団。スタートしてから8km手前なので、まだ集団です。

最初にやって来たのはN藤さん。8km前ですが、既に苦しそう。やや心配・・・。

アップしたところがこの写真。

続いてH部直さん。私を見つけて手を振る余裕。良い感じです。今日もサブスリーが狙えるような予感が・・・。

応援している間に、反対側には亀川の折り返しをUターンした先頭グループが来ました。

このあたりが最後尾付近。自転車が伴走しています。

 H部直さんを見送ってから、急いで別府大学駅に向かいます。
 12時52分の列車は応援団で大混雑です。車窓からは先ほど見ていた選手たちを追いかける格好になりました。どんどん抜かしていき、うみたまごを過ぎたあたりで先頭集団を抜いていきます。恐るべし電車の力。
 大分駅到着後は、急いで昭和通り交差点に向かいます。何とか先頭が通過する前にたどり着きましたが、先ほどの集団がかなりばらけてサバイバルになってきているのがわかりました。

 このまま弁天大橋に向かって歩いて行きます。弁天大橋付近が30kmの少し手前。右手にはゴールの大分市営陸上競技場が見えてくるので、ここが一つのポイントになるだろうと思いここで待ち構えていました。8km手前で苦しそうだったN藤さんですが、相変わらず苦しそうな感じは変わらず。ただし、昔より粘りが出てきた感じ。しばらくするとH部直さんもやって来ましたが、8km手前ほどの余裕は無くなっていましたが、ペース的には21分/5kmを守っている感じ。このまま行けば、昨年に続きサブスリーが見えてくる感じです。

 そして、二人を見送ってからガードの下をくぐり、大分市営陸上競技場に向かいます。
 ちょうど先頭の安川電機の中本健太郎が競技場に入るところで、アナウンスだけが聞こえました。残念ながら先頭は見えず。その後はポツポツ選手がやって来て、2時間30分を過ぎた頃からはドバッと選手が増えました。2時間48分目標のN藤さんは、2時間50分を過ぎたところで現れます。何とか大崩れせずに戻ってきました。ねばりが付いた感じですね。そしてイーブンで刻んできたH部直さんですが、2時間58分15秒ほどで競技場の入口にやって来ました。顔は明らかに苦しそう。息も先ほどとは違って荒れています。思わず私は「直さん!(3時間が)切れるぞ!」と叫びました。まだ、450mほど残っているので、微妙な感じでした。

JR別府大学駅から乗車して大分方面に向かいます。車窓からスタート地点のうみたまごが見えてきました。

ちょうど中間点くらいで先頭グループに電車で追いつきました。

JR大分駅に到着。改装も終わりきれいになりました。急いでコースに向かいます。

昭和通り交差点。先頭がやってくる前に何とか滑り込みセーフ。

先頭もかなりばらけてきました。

昭和通り交差点から弁天大橋に向かう途中の歩道橋から大分駅方面を見たところ。

28km地点の手前で右折し、弁天大橋に向かいます。このあたりから徐々に疲れが溜まってくる頃。

弁天大橋を登ったところが29km地点。この少し先で応援することにしました。

最初に来たのはN藤さん。相変わらず苦しそうですが、粘っている感じがします。

アップするとこんな感じ。

続いてやって来たのは、H部直さん。8km手前の頃の余裕はありませんが、21分/5kmを上手に刻んでいるので、サブスリーは射程の範囲。

アップするとこんな感じ。

競技場の入口。最初にやって来たのはN藤さん。2時間48分の目標には及びませんでしたが、この時点で2時間50分くらい。走り込みのせいか、大崩れがなくなりました。

今日は最初から最後まで苦しい表情でした。

続いてH部直さん。余裕のサブスリーかと思いきや、息もかなり乱れて戻ってきました。余裕は全くありません。

ここで私が「直さん!(3時間が)切れるぞ!」と大声で喝を入れました。そして結果は・・・。

走ってはいませんが、選手の特権でふぐ雑炊をいただきました。

カテゴリー3とカテゴリー4は、第2コーナー付近から舞鶴高校の控え場所へ。着替えてからふぐ雑炊をもらいにいくのが面倒ですね。

帰りの飛行機の時間もあるので、一足先に競技場から別府北浜までバスで戻ってきました。ホテルに預けてあった荷物をピックアップして大分空港へ。

19時35分発のジェットスターで成田に飛びます。

マラソン帰りの選手たちで、大分空港の保安検査場は大混雑。

一年に一度、七夕のように大分に来ていますが、次回は来年2月でしょうか。今年もいろいろとお世話になりました。

大分から成田へ向かうのは初めてです。

機内は見ての通り満席。

成田では到着後第3ターミナルまでバスで移動。LCCは、飛んでいないときにとにかく時間がかかります。

第2ターミナルビルから京成八幡へ。直通で約55分。慌ただしい3日間でした。

欠場しましたが、ナンバーカードはもらっていました。別大では珍しい黄色のTシャツです。来年の出場は厳しいかもしれませんが、早いうちに出場資格を何とか確保したいと思います。

 結果から言えば、N藤さん2時間51分58秒、H部直さん2時間59分59秒でした。特にH部直さんの、芸術的なタイムは、真似しろといっても出来ないほどギリギリですが素晴らしいものでした。昨年に続き2年連続のサブスリーを達成!昨年がまぐれではなかった証明になるでしょう。お二人ともお疲れ様でした。ベストは更新できなかったかもしれませんが、二人ともよく検討したと思います。練習と気象コンディションがビシッと合えば、記録は付いてきますので、毎年好記録の出やすいこの大会に出場し続けて下さい。

 さて話は変わりますがここ数年、別大マラソンのエントリー開始は8月です。私の場合、ここ2年はフルマラソンを走っていないため、参加資格もこれで切れてしまいました。今のところ、8月までにフルマラソンのどこかの大会にもエントリーしていないので、今年は再び実績作りからスタートです。少々時間はかかるかもしれませんが、再び別大国道を走ることを夢見て頑張ろうと思った次第です。
平成29年2月4日(土)
~ No.939 別大マラソン欠場します ~
 今日は別府に来ています。とはいえ、明日に迫った別大マラソンですが、今回は残念ながら欠場です。一番大きな理由は、2年前の椎間板ヘルニアが完治していないこと。10kmくらいはそこそこ走れるようになってきましたが、フルマラソンとなるとどうも着地の問題があるせいが、右足の人差し指に変な擦り傷ができます。当然のことながらモチベーションもあがらない・・・。やや悪循環な感じです。

 8月にエントリーを開始したときにどうしようかと少し考えましたが、参加資格も今年で切れるので、「とりあえず申し込んでおこう」と決めて、宿泊先の手配、飛行機の手配も済ませてあとは練習するだけの状態にしておきましたが、11月くらいに「間に合いそうもないなあ」という感じで、モチベーションがぐっと低下。そんなところです。

 今回は走友会からは、2人エントリーしているので、昨年に引き続き応援にまわります。明日は午前中が雨、午後から回復するようですが、気温はやや高め。風が吹かないといいですけどね。

 さて、私ですが、いつになるかはわかりませんが、復活して別大国道を疾走する姿を想像して将来に繋げていきたいと思います。

東京からは羽田と成田から大分便があります。今回は安いジェットスターを利用なので成田から出発。

2月3日(金)の午後仕事は休み。成田を16:55の便で大分に向かいます。

成田から大分へ向かうジェットスターの機体。エアバスA320です。

19時少し前に大分空港に到着。

空港ではこんな歓迎もありました。走れないのが残念です。

大分空港から別府北浜までは、大分交通のバスで移動。大分空港が国東半島の方にあるので、移動に時間がかかります。

別府駅前の風景。一年ぶりです。昼の景色は、私の好きな景色の一つです。

こちらはJR別府駅前。温泉の街の情緒がでています。

別府駅近くのホテルで2泊します。駅前でとり天を食べることができる店屋を探しました。

こちらは480円のとり天。味はまずまず。ただし、ビールでぼったくられました。

こちらは今日の昼食べたとり天定食。別府駅構内の豊後茶屋という馴染みの店屋です。こちらは明朗会計。

受付会場は、相変わらず別府市内のビーコンプラザ。

テンションが上がらないので、16時30分頃に行きました。

受付は17時までです。飲食できるランナーの広場は、かなり閑散としています。

ショップは毎年同じようなお店。

こちらはTシャツ引換所。今年は珍しく黄色のTシャツでした。

500円分の金券がありましたが、売り切れの店が多く、ここで鶏の唐揚げをいただきました。鳥三昧ですな。

今年からカテゴリの区分が少し変わり、昨年までのカテゴリー2(2時間30分~3時間00分)が、カテゴリー2(2時間30分~2時間55分)、カテゴリー3(2時間55分~3時間00分)となりました。カテゴリー3はわずか5分ですが、相当数の選手がいました。

近いですがビーコンプラザから別府駅までシャトルバスに乗って帰りました。

夕方からは、大分市内で参加する走友会の面々への激励会。左はN藤さん、右はH部直さん。天候に恵まれるといいですね。
平成29年2月3日(金)
~ No.938 新年会 ~
 今頃と思うかもしれませんが、昨日がわが部署の新年会です。日程が合わず忘年会もなし。昨日がようやく新年会ですが、若い連中はここぞとばかり弾けていましたね。ストレスの発散する場は、定期的に設けなければと思います。写真は二次会のカラオケです。寝ちゃってるのは許してあげてください。
平成29年2月2日(木)
~ No.937 サンフランシスコ(最終日)、そして帰国 ~
 ミュンヘンが長かったせいで、サンフランシスコで3泊しても短く感じてしまいます。休日がなかったせいかもしれません。
 この日はサンフランシスコに到着した翌々日ですが、サンフランシスコから自動車で1時間ほど走ったところにある、サンディア国立研究所に行ってきました。ここは、聞くところによると、軍需についても研究をしているとかで、なかなかハイレベルな機関のようです。われわれが目的とするのは、そっち方面ではなく、あくまでも水素ステーションに係わる調査です。ここでは午後1時から午後5時近くまで、ディスカッションや研究している施設の視察もしてきました。研究機関なので、少数精鋭。研究には潤沢にお金が使われている感がありました。

 夕方からは、サンフランシスコに戻り、最後の夜を満喫してきました。この日はオイスター&ワインです。
【1月26日(木)】

サンフランシスコで宿泊したホテルの朝食。無料ということもあり、品数も少なく野菜もありません。無料なのでそんなものと思えば・・・。

2ドル払って洗濯をしました。左側が洗濯機、右側が乾燥機(1.5ドル)です。

これがコインの投入口。2ドルなので25セント硬貨を8枚立てて押し込みます。日本のコインランドリーとはちょっとやり方が違いますね。

昨日と同じ運転手に頼みました。運転も慎重ですし、車はリンカーンのもので乗り心地が良かったです。

こちらがサンディア国立研究所の受付。写真の撮影が制限されているのでこの程度で勘弁してください。ここには5時間ほど滞在。

サンディア国立研究所からサンフランシスコに戻ってくる途中で渋滞に遭い、街に着いた頃には真っ暗です。

この日訪れたのは、ベイブリッジに近い「フェリービルディング」。この中にオイスター(蠣/カキ)の美味しいお店があるそうです。

ここのようです。順番待ちをしましたが、割りと早く席が空きました。

空いた席は、店内ではなく店外。少々寒かったですが、ベイブリッジの照明がきれいに見えます。

これが注文した6種類のオイスターセット。カキそのものは驚くほど大きくはありませんが、味付けが日本とは違って面白かったです。もちろん生ガキ。

また、ワインを頼んじゃいました。手前はパンです。

上の写真のの皿を真上から撮影したところ。氷がやたらと多いですね

私と同行のK屋さん。長期間お世話になりました。

こちらはS野さん(左)とF井さん。

こちらはアサリをクリームで煮込んだもの。名前は忘れました。

帰りに乗ったタクシー。サンフランシスコ内は料金が高いですね。

【1月27日(金)→(日付変更線)→1月28日(土)】

 この日は、サンフランシスコから東京への移動日というか帰国日になります。久し振りに日本に戻ることになりますが、海外出張中の方が時間に余裕があって気持ちがよかったなあ・・・。週明けからは再び慌ただしい毎日が・・・。

ホテルから空港までは、行きと同じようにシャトルを利用しました。スティービーワンダーのような感じの運転手でした。2ドルチップを渡しておきました。

サンフランシスコでは、荷物預けと出国手続き。出国なので、審査は簡単です。

かなり余裕を持って空港に行ったので、ショッピングの時間もかなりありました。空港内はサンフランシスコ内よりさらに物価が高いです。

帰りの飛行機は日本航空(JAL).。サンフランシスコ空港でこの機体は、他には見かけませんでした。

ここから搭乗。

東京・羽田行き。出発は15:05です。

いよいよ機内へ。

各席のモニターで飛行位置がわかります。サンフランシスコを出発した直後くらい。

しばらくして飲み物サービスが。久し振りに飲む日本のビールです。おつまみ付き。

午後5時を過ぎると機内食が出てきました。天丼と何やらからの選択でしたが、迷わず天丼をお願い。長時間フライトは今回3回目ですが、一番豪勢な機内食でした。さすがJAL

食後にはハーゲンダッツのアイスクリームもでます。これも初めて

何度か飲み物サービスに廻ってきました。これはリンゴジュース。

2回目はオレンジジュース。

日付変更線を超えたので、1月28日(土)になりました。

日本時間の午後5時過ぎに2回目の機内食が出てきました。こちらはホットドッグ。ビールはアサヒスーパードライ。

羽田には19:20頃到着。フライトは11時間15分です。久し振りに日本に戻ってきました。

羽田空港国際線ターミナル駅からは、京急→地下鉄→京成で京成八幡へ向かいます。直通列車もあるので楽です。

成田や羽田に行くときに主に利用するのが、京成八幡です。本八幡界隈には、JR、地下鉄(都営)、京成と3つの鉄道があって使い分けができて便利です。

単身赴任先ではありますが、この街にも久し振りに帰ってきました。
平成29年1月31日(火)
~ No.936 サンフランシスコ(その1) ~
 ミュンヘンからの直行便でのサンフランシスコ入りで大幅な予定変更は何とか免れました。
 これまでの米国への渡航歴は、ホノルルやハワイ島コナのみで、米国本土へ足を踏み入れるのは今回が初めてです。国土の大きさを滞在中に感じたいと思った次第です。

 到着した翌日の1月25日(水)の行動予定は、サンフランシスコ周辺の水素ステーションの視察です。3箇所ほど視察しましたが、日本と比べると比較的コンパクトに収まっている印象が強かったです。また、視察後は、サンフランシスコに戻り市内を少しばかり観光しました。中心部は賑やかですし、名物のケーブルカーも健在。凄い坂を登っていきます。ただし、運賃は1回で7ドルとか。欠航歩いて市内を廻りましたが、サンフランシスコというのは坂の多い街ですね。つくづく今回感じた次第であります。

【1月25日(水)】

この日、最初に訪れた水素スタンドは、アポ無しで訪れたにもかかわらず親切に色々と教えて貰いました。JAPANから来たというのが効果的だったのでしょうか。左から二人目がショーンさん。その右が私。

次のスタンドに向かいますが、地図を見るとゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を通ります。タクシーの運転手の「ゴールデンゲートブリッジを通るのか?」と尋ねると「もうすぐ見える」と返事。後部座席から見たゴールデンゲートブリッジです。

ゴールデンゲートブリッジを渡っているところ。車中から撮影。ゴールデンゲートブリッジは、太平洋からサンフランシスコ湾の入口である2,042メートルのゴールデンゲート海峡に吊されている橋。恒に強い風の吹くロケーションのため、多くの専門家は橋を架けるのは無理だと思っていた。ジョゼフ・ストラウスの指揮の下、建設工事は1933年1月に始まり、1937年4月に完成。総工費は3,500万円。全長は2,789メートル

2軒目の水素スタンドは1軒目と同じ会社の経営。ここではあまり見るところはありませんでした。

今度はリッチモンド橋を渡ります。ここは上下に分かれて自動車が走るような構造になっています。

3軒目の水素スタンド。こちらはバスの車庫の中にある自家用のスタンド。こちらも飛び込みで、ヒアリングをしました。快く対応していただきましてありがとうございました。

3軒目の水素スタンドの調査を終え、ベイブリッジを渡りサンフランシスコ市内に戻ってきました。こちらはタクシー車窓から見たサンフランシスコの中心部。サンフランシスコは人口約75万人とか・・・。

こちらはサンフランススコの中心部にあるユニオンスクエアという広場。南北戦争が勃発した時代にカリフォルニアがUnion(北部)に賛同し、集会を開いたことからこの名前が付けられたそうです。

サンフランシスコの観光の中心と言っていいかもしれません。

ユニオンスクエアの周りには、メーシーズ(Macy'sなどの老舗デパートの他、ブティック、アートギャラリー、シアターなどが集まるお洒落なショッピングゾーンになっている。)

ユニクロも店舗を出していました。人目に付くところへの出店ですね。

そしてこちらは説明することもないでしょうが、サンフランシスコ内を走るケ-ブルカー。この転車台で向きを変えるというので見ていました。

運転席が一方向しか付いていないんですね。結構、写真を撮っている人が多かったです。

乗車するのに7ドルほどするそうですが、人気があっていつも満員です。

スタバがありました。サンフランシスコ限定のマグカップがあるということで購入するために立ち寄りました。1個約10ドル。日本ではオークションで6,000円ほどで取引しているとか・・・。

市内には、ほかにトロリーバスなど日本ではあまり見ることの出来ないものが走っていました。

こちらは寿司屋のようです。提灯に「松竹梅」と書いてありました。少し日本と感覚がずれていますが・・・。

こんな勾配を登っていくのが不思議でした。1873年(明治6年)にアンドリュー・ハリディという人によって開発され国の歴史記念物に指定されている。ケーブルカーは地下に埋められた時速15kmのスピードで絶えず動いているケーブルとハンドルによって締められ結ばれたときに移動し、停止する場合はハンドルでケーブルから車体を離しブレーキをかける仕組みとなっているとガイドブックに書いてありました。

1906年頃までは多くの路線にケーブルカーが走っていたそうですが、現在は3路線だけが残っているようです。

狭いところもケーブルカーはガンガン登っていきますね。

テクテク歩いて行ったところ、海が見えてきました。次の目的地のフィッシャーマンズ・ワーフも近いようです。

海岸ではケーブルカーでもトロリーでもないバスが走っています。

これはフィッシャーマンズワーフの中心より少し東側の商業施設。

こちらはアルカトラズ島。19世紀後半は軍隊基地として利用されていたが、遡って1934年、軍の刑務所から連邦刑務所となり、1963年に刑務所が閉鎖されるまでアル・カポネを含む悪名高き犯罪者たちがここに収容されていた。当時何度も試みられた出獄は多数の小説や映画にも描かれています。

アルカトラズ島を背景に一枚撮影して貰いました。

ここがフィッシャーマンズワーフの中心部です。

魚介類のシーフードショップが所狭しと並んでいますが、特に蟹関係の店屋が目立ちます。

写真の撮り方が悪いせいか、ただの漁港にしか見えませんが、ここでも小型船舶がぎっしり。

アルカトラズ島関係のグッズで、囚人服がお土産として売られています。娘のパジャマ用に一つ買ってみました。

ゴールデンゲートブリッジがきれいに写せる撮影スポットがあるというので、そちらの方から一枚パチリ。

ここはサンフランシスコで有名なギラデリというチョコレートのお店。かなりお値打ちなものがあったので、まとめて購入しました。

再び、ユニオンスクエアの方へ戻ります。帰りもテクテク。

斜度が20度もあるかというような坂道。

自動車も苦労して登るような坂道ですが、ケーブルカーもどんどん登っていきます。

このあたりはチャイナタウン。サンフランシスコの重要な観光スポットの一つ。アジア圏外にある大規模なチャイニーズ・コミュニティー。

ユニオンスクエアに戻ってきました。中央にあるこのモニュメントは、1898年にマニラ湾沖の戦いで、スペイン軍から勝利を勝ち取った英雄ジョージ・デューイを讃えて建てられたものだそうです。

晩ご飯は、カリフォルニアワインとステーキにしようということで、ガイドブックを見ながらこのお店に決めました。

私はお上りさんで詳しくは知りませんが、非常に老舗で、100年以上続いているお店のようです。

店内の壁には、おそらくこのお店をこれまで訪れた著名人の写真でしょうか、相当の枚数のものが飾られています。

一本5,000円もするようなナパのワインを注文。確かに美味しかった。

こちらは36ドルを払ったステーキ。みなさんは、レア、ミディアムレアなどで注文していましたが、私はウエルダン。しかしながら一口食べて「美味い!」のひと言が思わずでてしまうような素晴らしい肉質、焼き具合でした。さすがですね。働いている店員さんも、この店で働いていることを誇りに思って働いているようなオーラがでていました。

サンフランシスコの2泊目が始まろうとしています。

サンフランシスコしないから外れて、比較的空港に近いところの宿でしたが、設備としては十分でした。室内には、ドリップ式のコーヒーが4セット。紅茶も無料で飲めます。他にミネラルウォーターも。

トイレとバスがセット。

ミュンヘンがシャワーだけの部屋だったので、湯船があるのはありがたいです。

狭いですがロッカーもあります。明日は、サンフランシスコの滞在の最終日です。
平成29年1月28日(土)
~ No.935 ミュンヘン → サンフランシスコ(移動日) ~
 ミュンヘンでの5日間は、本当にこの時期にしては珍しい快晴続きで、天候にはかなり助けて貰いました。寒かったですけどね。
 さて、1月24日(火)はミュンヘンからサンフランシスコへの移動日です。距離感覚が私もわからないのですが、日本とドイツの時差が8時間。そのドイツとサンフランシスコの時差が7時間ですので、それなりに遠いのは想像できるかと思います。(ちなみにサンフランシスコと日本の時差は17時間)

 この日の予定は、ミュンヘン(ドイツ)からロンドン・ヒースロー(イギリス)に一度飛び、ロンドン・ヒースローからサンフランシスコへ飛ぶという予定でした。ところが、どうもロンドンの天候が悪く、ロンドンからミュンヘンにやってくる便が欠航になったようで、その折り返しである自分たちの乗る便が欠航になってしまいました。ミュンヘン→ロンドンの後続の便(なぜかこちらは運航予定)に勝手に振り返られていましたが、ロンドンの乗り継ぎ時間は1時間程度しかありません。ブリティッシュ・エアウエイズのカウンターで問い合わせると「1時間の乗り継ぎは無理だ」と言われ、少々途方に暮れかかったところに「ルフトハンザの直行便があるが、それでいいか?」と。もちろん、明日は明日で予定があるので二つ返事でOK。ただし、ミュンヘンの出発が15時過ぎで、空港で長時間足止めをくらってしまいました。旅にはトラブルが付きものですが、結果オーライ。事なきを得ました。

 ただしこの日のホテルのチェックインは、現地時間の午後9時。長い一日でした。

【1月24日(火)】
【当初の予定便】
航空会社 出発地 到着地 飛行時間
ブリティッシュ・エアウエイズ   ミュンヘン   10:45    →    ロンドン   11:55   (2時間10分)
ブリティッシュ・エアウエイズ   ロンドン 15:05 サンフランシスコ 18:20 (11時間15分)
   
【変更後の便】
航空会社 出発地 到着地 飛行時間
ルフトハンザ   ミュンヘン 15:50 サンフランシスコ 19:00 (11時間10分)

こちらが5泊したミュンヘンのホテルの室内。天井が高い部屋で床はウッド。割りとシンプルな部屋でした。

壁には東芝製のテレビが埋め込まれています。

ベッド横には絵画が数枚かけられていました。

トイレが手前、奧がシャワールームでガラスで仕切られているだけです。風呂に入れなかったのが少々辛かったです。

ミュンヘン空港まではタクシーで移動。自動発券機で発券すると、違う便のチケットが出てきます。おかしいなと思って出発予定を見ると欠航(cancelled)と表示がされていました。写真の赤線の便です。

ルフトハンザの便に振り替えて貰いましたが、乗り場が変わったので移動します。

こちらでルフトハンザの搭乗手続きをし、荷物預けと発券をして貰いました。

出発が5時間も遅くなったので、空港内で昼食です。

ドイツでもう一杯飲めるのは予想外でした。

肉ばかりだったけど、ドイツはグルメ三昧でした。

空港内で少々高めの店屋でしたが美味しかったですね。

搭乗口までシャトルで移動です。

ここで少し待ちました。

最終日は曇りで大陽がでなくて寒い日でしたが、移動日で難を逃れました。

いよいよ機内へ。ドイツの5泊は長かったなぁ・・・。

少し見づらいですが、駐機している便です。

ルフトハンザの機内。もちろんここはエコノミーではありません。

搭乗後に、まずは飲み物サービス。相変わらずビール三昧。

ドイツ時間の17時過ぎに機内食。パスタ、パン、チーズetc

サンフランシスコの17時過ぎに2回目の機内食。またパスタをオーダーしてしまいました。パンとプリン?もありました。

19時過ぎにサンフランシスコに到着。ここでの入国審査で凄い順番待ち。終わったのが20時15分過ぎ。

荷物はすでに外に出されていました。手前の赤いキャリーケースがカミさんから借りてきたもの。

空港の表示が明るいですね。サンフランシスコ国際空港と書いてあります。

空港からホテルまで30分間隔でシャトルが出ていると書いてあったので利用しました。20人くらいが乗れる乗り物です。

空港から他のホテルの乗客を乗せてきたので、近い割りには遠回りをしてやって来ました。ミルウッドというのが今回から3泊するホテルです。

ここでチェックインをします。

アメリカのテレビ番組でよく見た、いわゆるモーテルというヤツでしょうか。コの字型に配置された客室の前がそのまま駐車場になっています。

先ほどチェックインしたフロントに主な国の時刻が表示されていました。左から
・ホノルル 19:03
・サンフランシスコ 21:03
・ニューヨーク 0:03(翌日)
・ロンドン 5:03(翌日)
・東京 14:03(翌日)

こちらが宿泊した客室。広かったですね。床が絨毯でフカフカしていました。

反対側から見るとこんな感じ。コーヒーや紅茶のサービスもありますし、部屋には冷蔵庫と電子レンジもありました。サンフランシスコではここで3泊です。
平成29年1月28日(土)
~ No.934 ミュンヘン(最終日) ~
 ミュンヘンで過ごすのも1月23日(月)が最後。ミュンヘンで5泊しましたが、寒かったけれど毎日晴天で思いっきり天候には恵まれました。基本晴れ男ですので、私の神通力が強かったのではないでしょうか。それではミュンヘンでの最後のレポートです。

【1月23日(月)】

昨日、インフォメーションでトラムの路線図を手に入れてUバーン以外の交通手段のことが理解できたので、この日もホテルの近くの停留所からトラムを使って待ち合わせ場所のミュンヘン中央駅に向かいます。

途中で、ミュンヘン市内を流れるイザール川をトラムは超えていきます。この雰囲気は広島市内を走る路面電車の雰囲気に似ているかもしれません。

午前8時前で、ミュンヘンも通勤通学時間帯で混んでいます。

待ち合わせ場所は、ミュンヘン中央駅のスタバの前。ここで通訳のA野さんと8時に集合です。

ミュンヘン中央駅からは、Sバーンに乗り換えてミュンヘン北部の空港に近い方の駅で下車。この駅ではごそっと人が降りましたが、この駅の付近には工場らしきものが多く、そこで働く人たちかもしれません。

駅を出て凍っている道路を登っていきます。

15分ほど歩くと、この日の訪問先のリンデに到着。リンデはドイツでは有名な高圧ガスメーカーであり、高圧ガス機器の製造メーカーでもあります。

午前中は、社内の会議室でディスカッション。午後からは隣接する水素スタンドの視察をしてきました。

リンデの製品は、日本でも使われていますし、この後の訪問先の米国でも使われているくらい歴史と技術力のある会社です。

再び、朝降りた駅に戻ってきました。

見た感じそれほど大きな駅ではありません。

Sバーンも比較的本数が多く、時刻表を気にすることなく乗ることが出来ます。

通訳のA野さんともこれでお別れということで、ミュンヘン市内に戻って遅めのランチを摂ります。

こちらが通訳のA野さんに連れて行ってもらったお店。日本と違って、どのお店も永年継続して営業をしています。

トンカツのお店と言っていましたが、日本のトンカツとは少々違うような・・・。

最終日ですので、マリオン広場から少し離れて、市場があるという方を少しプラプラしてみました。

とにかくソーセージやサラミなどが所狭しと並んでいる店を発見。ドイツらしい光景です。

と思いきや、その隣にもソーセージショップが!

そのまた隣も!これで3軒連続!

4軒連続!

5軒連続 ひえ~(^_^; こんなに並んでいて潰れないかと心配になりますが、それだけ客がいるんですね。

こちらはデリカショップという感じでした。

外でも飲食ができますが、平日でもあり閑散としていました。

露店はまだまだあります。

日本ではあまり見かけない光景ですね。

露店のまわりはこんな雰囲気。

こちらはチーズショップ。岩のような大きさのチーズを売っています。お土産に持って帰りたかったのですが、大きすぎて荷物になってしまいます。

こちらもデリカショップ。美味しそうなお総菜がたくさん並んでいます。

ここではワインと果物を売っていました。

夕食はマリオン広場の新市庁舎のすぐ下にあるお店です。通訳のA野さんのお話ですと、この新市庁舎の下をワンフロアーで使っている広いお店とか。ただしここは初日に観光した際に、「店外に日本語メニューが置いてある店屋だね」といって行かなかったお店でした。

店内にはいくつかの部屋がありますが、ここは一番大きな部屋のようです。

ドイツ語メニューが読めず、英語メニューでこれまで何とか凌いできましたが、このお店で初めて日本語メニューに出会いました。

通訳のAのさんのオススメはトンカツ。昼間のお店のトンカツよりトンカツらしいものが出てきました。

並べてみるとこんな感じ。毎日同じようなものばかり食べていた感じですね。

写真の順番が逆になってしまいましたが、ドイツの夜を楽しむのはこれが最後です。楽しいミュンヘンの5日間でした。
平成29年1月27日(金)
~ No.933 ミュンヘン(その3) ~
 レポートがずれずれになってきていますが、ミュンヘンの1月22日(日)のレポートです。今から帰国するにもかかわらず、まだドイツのレポートですみませんm(__)m。もうすぐサンフランシスコを発ちますので、サンフランシスコについては機内で編集します。

【1月22日(日)】

1月22日(日)は仕事がお休みですので、相も変わらずマリエン広場に朝から出かけました。

ミュンヘンに来てからは、毎日こんな調子です。

早朝から開いている店は少なく、事前に調べておきましたが、地元の人たちが民族衣装を着て歓談している様子が見られました。

お約束のプリッツェルと白ソーセージ。この店の白ソーセージの方がやや硬めで、私はこちらの方が良かったです。

朝から ビールで嬉しいですね。

昨日まで下から見ていた聖ペーター教会に登ることにしました。午前10時前に来ていたら閉まっていましたが、朝食後に来たら本などが置かれ観光地と化しています。

登りの勾配もきついですが、とにかく狭いです。階段ですれ違うのは不可能。踊り場ですれ違いをします。

聖ペーター教会の上から。ミュンヘン市内が一望できます。

新市庁舎も上から見るとこんな感じです。

夕方訪れることにした大聖堂(塔が2つの建物)も同じくらいの高さに見えます。

再び地上に降りました。下から見るとこんな感じ。

壁にこんなものがありました。

別角度で見た聖ペーター教会

新市庁舎の下にはインフォメーションがあります。ここで日本語ガイドブックと、Sバーン、Uバーン、トラムの路線図を手に入れました。

ニュンフェンブルグ宮殿へ行くためにトラムに乗ります。

ここがニュンフェンベルグ宮殿の最寄りのトラムの停留所。

橋の下は川のようですが、凍っています。

川ではカーリングらしき遊びをしている人がたくさんいます。

日本では見られない光景です。

スケートをしている人もいます。地元民でしょうか。

宮殿の前は大きな池のようですが、ここも凍っています。

白鳥、クロ白鳥などの鳥もいます。人間に懐いていますね。

夏は夏でいいかもしれませんが、冬のこういう光景はこれで面白いと思います。

これがニュンフェンブルグ宮殿。ヴィッテルズバッハ家の夏の離宮ということだそうです。

今から入ってきます。

入ってすぐ2階がシュタイナーザール(祝祭大ホール)。天井まで凄いデコレーションです。

天井も高いですね。

こちらは北側通路ギャラリー。

ここには選帝候マックス・エマニエルの美人がギャラリーには、フランスのルイ14世に仕えた5人の宮廷女官たちの絵が飾ってあります。

こちらはこの宮殿の絵でしょうか。
南側パビリオンにはリードヴィィヒー世王の美人ギャラリーがあります。36枚の美人画がありますが、確かに言うとおり美人ばかりが描かれています。

宮廷の外側には、広大な広場があります。木の板で覆われたものが何か不思議でしたが、ガイドブックの絵を見るとそこには石像が建っています。冬の間は雪などで痛むので保護しているのでしょうか。

マーシュタールという馬車博物館にも行ってみました。馬は作り物ですが・・・、

とんでもなく豪勢な馬車です。

こちらはソリですが、冬の乗り物として用いられたようです。

こんな感じで馬に引かせていたのでしょうか。

ニュンフェンブルグ宮殿を出て、またトラムの停留所に戻りますが、先ほどの川で遊んでいる人が増えたような気がします。

ミュンヘンの人たちは、冬は外で遊ぶというようにして楽しんでいるのでしょうか。ただ、通訳のA野さんによると、冬のミュンヘンでこんなに晴れているのは珍しいと言われました。滞在中で天候が悪かったのは、最後の移動日くらいで、この日が少し曇っていたぐらい、残りはずっと晴天でした。

再び、マリエン広場に戻ってきました。馬鹿の一つ覚えみたいですが、ミュンヘンの観光の中心地です。

今度は大聖堂に行ってみることにしました。

昔の教会は、威厳を高さで表していたのでしょうか、内部ももちろん広いですが・・・、

高さもとんでもなく高いです。

戦時中にはかなり壊れたようです。

外から見るとこんな感じ。

この日の少し早めの夕食に訪れた店屋。日曜日は休みの店屋が多く、観光客も土曜日の方が多かったですね。

オーダーします。毎度のことまずはビール。そしてソーセージなどを・・・。

お疲れ様。同行のF井さんとK屋さん。

この日もいろいろと頼んでシェアして食べました。ドイツ料理っぽいでしょ!

同行のS野さんと私。一応私服も持っていきました。

この店のソ-セージは日本人向けですかね。

コールスローサラダみたいな感じですが、ビネガーが効いていました。

こちらは赤キャベツを煮込んだもの。

皮のパリパリが良かったです。

この2種類の団子(というと怒られます。名前はあるんでしょうが・・・)は、最後までぷよぷよであまり好きになれませんでした。

店内の様子。空いていて良かったです。

この日はトラムでホテルの近くの停留所まで乗って帰りました。
平成29年1月25日(水)
~ No.932 正月休み(最終回) ~
 遅くなりましたが、正月休みの最終日の報告です。
 この日は成人式で、わが家の第一子、長男・かずたかが20歳を迎えることができました。今回正月休みが長期化した理由が、この長男・かずたかの成長を見届けることであります。そういう意味では、親の手を煩わせるのも終盤にさしかかっており、逆に言えば自分も歳をとったわけであります。ということで、最終日の報告です。

【1月9日(月・祝)】
 本人の希望で、羽織袴で出席したいということで、カミさんが手伝いながら着物を着せてやっていました。こちらは京都府綾部市のショップからのレンタルで、終了後は着払いで返送するシステムです。
 成人式の会場は、6年間通った名古屋市立富士見台小学校であります。集まった正確な人数はわかりませんが、同窓会の雰囲気よろしく久し振りに集まって来たという感じが写真からも読めます。

 式典では「世界に一つだけの花」を合唱したようですが、みんなに踊らされて前でマイクを握って唄っていました。カラオケではありませんが、歌にはそこそこ自信があるようですので、本人にとっても良い思い出になったことでしょう。

自宅の前にて。自分のお腹を痛めて産んだ子どもが成人になったので、一番嬉しいのはカミさんかもしれません。

こちらが6年間通った名古屋市立富士見台小学校。私もここに来るのは久し振りですが、長男・かずたかも久し振りでしょう。

節目節目はキチンと通ってきました。これからは自分で切り拓いて進んでいく歳になったということです。

おだてられやすい性格です。

賑やかでいいですね。

ちなみに女性は着物ばかり。男性はスーツばかりですが、着物を着てきたのはわが息子一人だけ。

旧友と会うのも久し振りでしょう。面影はありますが、みんな大人になった感じがありますね。

小学校の担任、中学校の担任も駆けつけてくれました。

写真屋が入って記念撮影の準備中です。このあと星ヶ丘の焼肉屋へ繰り出したとか・・・。

昼間から焼肉&酒三昧で、長男・かずたかは、夕方家に帰ってきてひっくり返って寝ていました。ということで、かずたか抜きの親子三人で星ヶ丘へ食事に・・・。

長女・ゆかこは大学受験がいよいよ本番です。健康にだけは気をつけて実力が100%出せるといいですね。

私も次の帰省は2月上旬の予定。星ヶ丘テラスの風景もこれでしばらくは見られません。

名古屋駅を21時過ぎののぞみで上京。

単身赴任先の千葉県市川市の本八幡には、日付が変わる少し前に到着。明日からは久し振りの出勤です。
平成29年1月24日(火)
~ No.931 ミュンヘン(その2) ~
 今日は移動日。
 これから「ミュンヘン」→「ロンドン・ヒースロー」→「サンフランシスコ」と、また恐ろしい乗り継ぎの長旅になるところでしたが、何とミュンヘン→ロンドン(ヒースロー)便が欠航。ロンドン(ヒースロー)からサンフランシスコへの乗り継ぎ便が1時間ほどしか無く、「トランジットは無理」とブリティッシュ・エアウェイズ(BA)のカウンターで言われました。「代わりに、ルフトハンザだがミュンヘン→サンフランシスコの直行便があるがOKか?」とのこと。手数料なしで他社便に振り替えでもちろんOKです。ただし、ミュンヘンの出発が15時50分ということで、空港に午前9時前に来たにもかかわらず、6時間以上ミュンヘン空港に滞在することになりました。大してすることも無いので、昼食を食べてお土産を購入したくらいですかね。帰りにロンドンでお土産を買う予定は狂ってしまいましたが、直行便に振り替えて貰ったのはラッキーでした。

 遅ればせながら、1月21日(土)のレポートです。この日は一日休日で、ミュンヘンを満喫しました。
【1月21日(土)】

1月21日(土)、今日は海外出張中とはいえお休みの日。ミュンヘン市内の観光どころを歩き回りました。

ソーセージ本場のお国柄ですが、これは肉屋ではなくソーセージ屋。

ミュンヘンの観光地としての中心は、マリオン広場。かつてはここが市場で取り行きをされていた場所だったとか。

昨日も来ましたが、後方は新市庁舎。この日は朝からやって来たので、全貌がよく見えました。

新市庁舎は、ミュンヘンの象徴です。1867年から1909年まで42年を要して建設した大事業。鐘楼は85mの高さがあるとか。

時間が早すぎて、上に登ることはでいませんでした。

マリエン広場の名前の由来となったマリエン(聖マリア)のカラム(円柱)。1638年のマクシミリアン1世の御世に置かれたもので、バイエルンの守護聖人に捧げられている。

新市庁舎の中に入ってみましたが、こんな感じ。外から見ている方がいいですね。

新市庁舎の前には噴水がありますが、結構あちこち氷っていました。

こちらは通訳のA野さんのオススメの白ソーセージの美味しいお店とか。午前中で無くなってしまうので早めにということでしたが・・・、

こちらがその白ソーセージ。ぷよんとした感じで、あまり締まった感じはありません。食感としては、紀文のはんぺんというところでしょうか。

朝から飲んじゃってます

お店はどこも焦げ茶色の重厚感がある感じですね。時間も早かったせいか、空いていました。

雪はあまり積もっていませんが、とにかく寒いです。午前10時くらいの時間帯でも、間違いなく氷点下です。

こちらは昨日、晩ご飯を食べたお店。美味しかったですね。

後方が国立劇場。写真中央の銅像は誰でしょうか。

こちらはレジデンツ。14世紀から19世紀にかけて徐々に勢力を拡大し続けたヴィッテルスバッハ家の宮殿とか。

内部を見学しましたが、3時間ほどかかりましたが、よくぞこれだけ贅沢したものだという感じでした。

やはり空襲で被害を受けたが、戦後に修復されている。古代ギリシャ風の19世紀疑似ゴシックな外観を取り戻し1963年に再びその扉が開かれました。
ここは宮殿内の「骨董の間」というところ。空間も凄いですが、飾り付けも凄いですね。

宮殿内と宝飾品の展示物を合わせて見てきましたが、3時間ほどかかるほど広大な敷地でした。

鑑賞後は、再び市内へ繰り出しました。

ドイツの警察の自動車でしょうか、その先導に従ってデモをしている人たちに遭遇しました。

「アフガニスタン〇〇」とありましたが、〇〇の意味がよくわかりませんでした。

陽が落ち出すのも結構早いです。

マリエン広場にはこんなものも。

市場に行ってみましたが、ソーセージがとにかく太い。

サラミも化け物のような大きさでした。日本ではまずお目にかかれないサイズです。

ハードロックカフェもあります。

そのちょうど反対側に、世界一有名なビアホールのホーフブロイハウスがあります。かつての宮廷のビール醸造所として造られたのが1589年。

年間ここを訪れる人は約4万人。1920年にナチ党員の第1回の集会が開かれたそうです。

バイエルン音楽が中央で奏でられます。

観光客が圧倒的に多いようですが、ここは1リットルがお約束のようです。

帰りに入口で記念撮影しました。

日本のレストランで「SHOYA」があります。庄屋でしょうね。

ラーメンが12ユーロ前後、餃子が3個で5.5ユーロ。1ユーロが120~125円程度なので、かなり値段としては高いです。

こちらはミュンヘン中央駅。構えが立派です。

ミュンヘン中央駅の前は、トラム(日本で言うところの路面電車)がかなりの頻度で走っています。

明日はトラムを使って移動にチャレンジです。

ミュンヘン中央駅の構内。賑やかですね。

構内にお店も一杯あります。

IEC(日本の新幹線にあたる)もここから発車します。

Uバーン、Sバーンと同様に改札が無いので近くまで近くまで寄って見ることが出来ます。

終着駅の雰囲気がたっぷり。かつての上野駅のような感じですね。
 
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