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令和2年3月5日(木) ~ No.1180 とうとう蒲郡市でも感染者が・・・ ~ |
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わがふるさと愛知県蒲郡市においても、とうとう新型コロナウイルス感染者が出てしまいました。う~ん。困りましたね。ちなみにテレビに出ている蒲郡市長は、中学校、高校時代の同級生です。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6353164 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200305-00215804-nbnv-l23 おっちゃんだろうけど、飲食店に行ってはいかんなあ人口8万人の小さな町なので、すぐに「誰がどこで飯食った」って広まるでしょう。困ったものです。 それはさておき、わが職場も来週からさらに時差出勤が拡大することになりました。(以下の通り) ここまで来ると通勤の混雑緩和というよりか、個人の好き好みも入ってくるような気もします。私は帰りが遅いので、来週からは「D」で出勤の予定です。
差話は変わりますが、コロナウイルス関係でトイレットペーパやティッシュペーパーの買い占め騒ぎがはじまっています。 この騒ぎで思い出すのが、豊川信用金庫の「取り付け騒ぎ」事件です。昭和の歴史にもなった大騒動です。まあ、私の地元愛知県の東三河で起こった出来事となので、よーくこのことは覚えています。詳しく知りたい人はネットで「豊川信用金庫事件」で調べてみてください。 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200304-00010004-finders-bus_all 本当にとんでもない事件でしたが、教訓としては ①伝言ゲームのいい加減さ ②人間の不安な心理が増長されていく という2面ですかね。 時代は令和になっても、同じようなことが起こるとは、人間の進歩の無さがよくわかります。 |
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令和2年3月4日(水) ~ No.1179 鋸山と東京湾フェリー(その1) ~ |
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千葉県市川市での単身赴任生活がまもなく4年を迎えようという今日この頃、初めて鋸山(標高329m、千葉県第5位の高さ)に行ってきた。鋸山のすぐそばには東京湾フェリーが発着する金谷港があるので、「鋸山」と「東京湾フェリー」をセットにして今回は東京湾をぐるりと回る小旅行を楽しむことにする。 2月29日(土)。JR本八幡を午前6時24分発の千葉行き普通列車に乗ってまずは千葉へ。列車は3分ほど遅れの6時55分に到着するものの、接続する6時58分発の内房線・館山行きには何とか間に合う。 内房線の車内はもっと空いているかと思っていたが、思いのほか着席率は高かった。ただし君津までにかなりの乗客が下車し、その先はいわゆるローカル線の雰囲気となった。 鋸山の登山口となるJR浜金谷には8時19分に到着。クーラーボックスに釣り竿という出で立ちの乗客が数名下車。私のようにこれから鋸山に登ろうという雰囲気の乗客は見た感じ「ゼロ」だった。本八幡を出発して2時間弱が経過。新幹線であれば東京・名古屋を1時間35分~40分で走る「のぞみ」よりも時間がかかっているということになる。
これまで数回、館山方面に行く途中で浜金谷を通過したことはあったが、下車するのは初めて。JR金谷駅から東京湾も近いだろうが、それよりも駅の周りが山々に囲まれていることに気づく。 JR金谷駅は無人駅であり、電車がいなくなると途端に静けさが漂う。秘境駅というほどではないが、房総半島の先端まで行かなくともこの静かな雰囲気が味わえるとは思わなかった。
さて、浜金谷に着いたので早速鋸山に向かうことにする。 鋸山への登山方法は何通りかあることはネットであらかじめ調べてわかったこと。私の場合、観光が主たる目的ではないので、ロープウエイを利用して登ることはない。また、単身赴任中で市川市には自動車を持っていていないので、自動車で上がることもない。JR浜金谷から登っていく方法は3通りあるようであるが、今回は「車力道」というルートで上がることにする。 「車力道」というのは、昔、鋸山で切り出した岩を荷車に乗せて、人力で下ろしてきた道路のことを指す。ネットでいろいろなサイトを見たけど、この「車力道」の登山道は少々難易度があるが、見所が多くオススメと書いてある。トレーニングの一環で登るので、多少の足下の悪さは許容できるし、見所が多いのであれば一石二鳥ではないか。 今回、このネットのオススメを元に「車力道」を選んだのであるが、如何せん初めて行くところなので、地図などを用意しなければならない。ただし、山歩きは意外と地図が少なく、街中と違って目標物が少ないので、歩く場合はネットでの現地での写真の方が参考になる。ネットの記事をプリントすると紙の枚数がかさむので、今回はスマホを片手にネットに掲載されている写真を頼りに歩いていくことにする。
さてそのスマホの情報であるが、これが思いのほかわかりやすく、手軽で非常に役に立った。 結論から言えば、この「車力道」は非常に面白かった。ただし、道中の看板は少なく、名所における案内はあるものの、分岐点における文字がかすれていたりしており、登山道の整備が必要と感じた。地方自治体は財政的に厳しいところが多く、このようなところにお金をかける余裕が少ないのはわからないではないが、ちょっと珍しい鋸山の遺産を維持して欲しいと思う次第。
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令和2年2月29日(土) ~ No.1178 鋸山 ~ |
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さて、日本で一番高い山は富士山というのはご存じですね。山梨県と静岡県に跨がっていることも承知されているかと思います。 それでは、各都道府県で一番標高の高い山は?となると意外にわからないものです。そこで47都道府県の各県ごとに一番高い山を並べたのが下の表です。 第5位の富山県・立山までは標高が3,000m以上、15位の東京都・雲取山までは2,000m以上、43位の茨城県八溝山までは1,000m以上ということから、日本が山がちな国土であることがよくわかります。 「さて、最下位の都道府県はどこだろうか」と思い調べたところ、何と何と私の単身赴任先の千葉県ということがわかりました。千葉県といえば房総半島を占有している自治体。イメージからすると山がちな雰囲気はありますが、意外にも一番高い山が愛宕山で僅かに408m。私の出身の愛知県蒲郡市にある五井山(ごいさん)ですら455mあるわけで、これよりも低いということになります。
今日(2月29日(土))、千葉県第6位の標高を誇る「鋸山(のこぎりやま)」に登ってきました。この鋸山、正式には乾坤山(けんこんざん)というそうですが、名前が面白いですね。 鋸山というは凝灰岩から成っており、この岩は建築などの資材として適しているそうです。そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われていました。 その結果、露出した山肌の岩が鋸(のこぎり)の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになったそうです。 採取された石材は、幕末から明治、大正、昭和にかけて、主に横須賀軍港や横浜の港湾設備、東京湾要塞の資材として利用されてきました。また、靖国神社や早稲田大学の構内にも利用されているそうです。自然保護規制の強化により昭和60年を最後に採石を終了したとのこと。 明日以降、この鋸山の登山(ハイキング?)についてのレポートをします。 |
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令和2年2月29日(土) ~ No.1177 閑散としていた水素・燃料電池展(東京ビッグサイト) ~ |
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2月26日(水)~2月28日(金)まで、東京ビッグサイトで開催していた水素・燃料電池展に行ってきました。諸般の事情で行ったのは最終日の2月28日(金)です。 日本中がコロナウイル対策で大規模なイベントが中止になっているので、開催は見送られるだろうと思っていましたが、まさかの開催決行。事前にハガキで出展の取りやめをわざわざ連絡してきた企業さん、メールで出展はするけどブースは無人ですと連絡してきた企業さん。また、電話で今年は無人にさせていただきますと伝えてこられた企業さんと、行く前からかなり悲惨な状態が想像できます。 私が行く前日(27日)に行った職場の同僚からも「恐ろしく閑散としていた」という情報はもらっていましたが、「僅かでも情報収集をしなければ・・・」と出かけてきました。 単身赴任先の本八幡からですと、本八幡→(総武線)→西船橋→(京葉線)→新木場→(りんかい線)→国際展示場というルートが乗り換えが少なくアクセスがいいですかね。最寄りの国際展示場で下車して東京ビッグサイトに向かう人の少ないこと少ないこと ほとんど歩いている人はいません。さらに東京ビッグサイトの館内に入っても、受付場所は本当に閑散予想はしていたものの、あまりの人の少なさに驚き。地方で開催している展示会のような感じと行ったところですかね。 出展を取りやめて、ブースがないところもかなり目立っていましたし、やはり無人となっていたところも相当数にのぼりました。その中で有人のところに幾つか立ち寄らせていただきましたが、逆に空いているので丁寧に対応していただいた感はありましたね。こういう状況下の中で有人で頑張られた企業さん、ありがとうございました。来年は盛況になるように祈念していますね。
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令和2年2月28日(金) ~ No.1176 新型コロナウイルス感染拡大に伴う社会的影響 ~ |
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つい一昨日(27日)、単身赴任先の千葉県市川市内のスポーツクラブにおいて新型コロナウィルスに感染した人が3人でてしまいました。小中学校の教職員が4人このスポーツクラブの会員になっていたこともあり、市川市は市内の55の市立の小中学校55校と幼稚園6園を2月28日(金)~3月12日(木)まで臨時休校にするという。千葉日報では以下のように報道している。
これは前日(26日)に、北海道知事が「(相次ぐ新型コロナウイルス感染を受け、)道内の全ての公立小中学校に臨時休校を要請した。私立学校についても休校を要請。期間は2月27日(木)~3月4日(水)」という発表によって、市川市長も市内の小中学校を休校にすることを躊躇しなくなったのではないかと想像する。 イベントの中止はともかく、小中学校の休校はイベントの中止と同レベルでは語れない。 わが家もそうであったが、小学校の特に低学年のうちは、共働き家庭では親が家に帰ってくるまでは、どこかで子どもをあずかってもらう必要がある。一般的には学童保育所がその受け皿となるが、急に学校が休みとなっても受け皿の学童保育所は対応ができない。人の手配が間に合わないからだ。 さらに、学校が休校でも学童保育所の方が場所が狭いので、子どもたちは濃厚接触の環境にさらされる。学童保育所でも集団生活をすることには変わりがない。 さらにこの学童保育所も閉鎖となるとさらに深刻になる。 朝から晩まで家にいる小学校の低学年の子どもの世話を親がしなければならない。共働きの親であれば、どちらかが仕事を休まなければならない。そのあたりのことを踏まえて英断をしたとは思えない。政府も同じ。細かいことを言っていられないのはわかるが、社会が混乱するような施策は一歩踏みとどまって考えなければならないと思う。 |
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令和2年2月25日(火) ~ No.1175 わが職場で”時差出勤”開始 ~ |
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新型コロナウィルスの感染拡大で各地で大騒ぎになっているのはご存じの通り。 わが職場でもやや遅くなりましたが、2月25日(火)から時差出勤が解禁となりました。同時に検討されていたテレワークは、就業規則の改正のほか、テレワークができる環境にあるかどうかの判断の材料が整っていないということで今回は見送り。とりあえず時差出勤が認められただけでも大きな進歩かもしれません。そういえば、朝方の通勤電車の車内もいつもよりもかなり空いていたように思えます。時差出勤やテレワークの影響でしょうか。 ネットで時差出勤、テレワークなどの実施状況について投票しているのを見かけましたが、 (1)どちも行っていない(80.9%) (2)時差出勤のみ実施(8.9%) (3)両方実施(7.0%) (4)テレワークのみ実施(3.3%) という中間結果でした。どちらも行っていないというのが80.9%で思いの外、多かったですね。いろいろな事情があってどちらもできないのでしょうか。 さてわが社の時差出勤ですが、2月25日(火)~3月6日(金)までの暫定措置ですが、以下のような時間となっています。Aパターンは、通常の出勤時間を2時間前倒し、Bパターンは通常の出勤時間を1時間後ろ倒しというものです。私が選んだのは「B」パターン。定時で帰ることなどほぼないので「どうせなら朝遅く・・・」ということで選びました。通勤時間が遅くなるので、間違いなく空いているでしょうが、いつまでこのことが続くことやら・・・。
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令和2年2月23日(日) ~ No.1174 各地でマラソン大会中止!新型コロナウイルスの感染拡大で ~ |
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2月17日(月)に東京マラソンの縮小開催が発表されました。 東京マラソンという大規模マラソンの影響力は大きく、翌日の2月18日(火)から東京マラソンに追随するように次々とマラソン大会が中止になっています。ここで紹介するのは3月8日(日)までの開催予定分ですが、私が調べた限り以下のように「決行・中止・未定」となっています。恐ろしい勢いで中止になっていることがわかるでしょう。
さて、一般ランナーにおいて、大会が中止になったときにがっかりすることは『この大会に合わせて練習をしてきたことが・・・』ですかね。その大会が目標となっていた大会であればあるほど、その落胆は大きいかと思います。 それともう一つがっかりするのは、遠征に係る費用です。宿泊施設のキャンセルは、早めであればキャンセル料がかかりませんが、飛行機など払戻のきかないような格安チケットなどは、完全にただの紙切れになってしまいます。 今回、縮小開催の東京マラソンは、参加料がそれなりに高額なので払戻がないとなると、確かにこれが一番痛いところになるかもしれません。主催者に返金を求めたい気持ちはわからないでもないですが、意外と事前準備にお金を使っているので、払戻はあまり期待できません。 私の場合、これまで761大会にエントリーして中止となったのが12大会(14種目)です。台風接近などの悪天候による中止が多かったですが、新型インフルエンザ流行や口蹄疫などの影響により中止になったこともあり、中止になった理由は様々です。ただし、いずれも地域的な事情で、今回のように全国的にほぼ一斉に中止になるようなことはこれまでもありません。それだけに新型コロナウイルスの感染拡大が非常に深刻であるということを受け止めなければなりません。 あくまでもランニングは余暇の過ごし方であるので、この騒ぎが収まるまではしばらくは大人しくしていた方が良さそうな気がします。
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令和2年2月16日(日) ~ No.1173 神戸市講演、名古屋帰省 ~ |
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【2月5日(水)】 明日は神戸市で講演会で講師を務める。明日の朝出発でも間に合うが、西に向かうので夕方、東京駅から名古屋に新幹線で向かう。18時10分くらいまで経産省で打ち合わせをしていたこともあり、新幹線に乗車できたのは出発の1分前。まさにギリギリセーフ。
【2月6日(木)】 早朝名古屋を出発したときも肌寒かったが、京都の手前から雪がちらほら。神戸でも日中であったにもかかわらず雪がちらつく有様。早朝、講演を依頼してきた団体さんからも、「今日の神戸は寒いですよ」とメールが。最初は「挨拶という意味かな?」と思ったけれども、本当に寒いという意味であったことに現地で気がつく。 講演場所は、JR神戸駅から徒歩で5分ほどのところにある神戸市産業振興センター。講演は、神戸市水素クラスター勉強会というもので、神戸市の外郭団体さんが主催している勉強会だ。神戸市内、神戸市近隣の企業さんを集めて年間でもかなりの頻度で次世代エネルギーと呼ばれている水素にかかわりのある人を呼んで講演をするというもの。私の場合は、平成30年1月19日(金)と2月9日(金)にも、この神戸水素クラスター勉強会で2回ほど講演をしているので、今回でここでの講演は3回目となる。 先方さんから今回の講演における依頼してきたテーマは、水素関連の法規制の最新の動向。最近の法改正は規制改革実施計画におけるものが大半なので、改正の経緯を含めて2時間半ほど講演してくる。さすがに30人程度のこぢんまりとした勉強会ですの、終わってからの質問は異常に多い神戸は雰囲気もいい街なので、またお呼びいただければ講演に伺うつもり。 23時頃帰宅。 ちょうど韓国(ソウル)に遊びに出かけていた長男・かずたかも私が帰ってくる少し前にセントレア経由で帰省。
【2月7日(金)】 この日は、一日休暇。もともとは空き家となっている蒲郡市の実家の掃除でもしようと考えていた。 ところが、長男・かずたかが受験した名古屋周辺の町役場の一次試験に合格し、この日がちょうど二次試験の日。名古屋の自宅から公共交通機関で移動すると少々面倒なので、私がその町役場まで長男・かずたかを送っていく。その町役場であるが自動車で行けば、名古屋高速を使っても自宅から30分程度のところ。 この日の二次試験は集団面接と小論文。今回の職員募集は、いわゆる二次募集のようで採用は若干名。一次試験には25人ほどいたそうで、この日の二次試験では約3分の1の8人しかいなかったらしい。ここで合格しても三次試験があるので、まだまだ安心はできない。 二次試験終了後は、今度は名鉄名古屋駅まで長男・かずたかを送っていく。 昨日、韓国から帰ってきたばかりであるが、セントレアからの午後便で再び韓国(ソウル)に向かうとのこと。詳しくは聞いていないが、大学の同級生らとの卒業旅行のようで荷物を向こうに置いて日本に戻っていたようだった。そのせいか、海外旅行に行くとは思えないくらいの身軽さ。航空運賃が安くなったこともありこんなことも出来るが、いやはや何ともビジネスマンぽい行動だ。ちなみ、翌日の夜に韓国(ソウル)から関空に戻ってきたとのこと。 さて、長男・かずたかを送っていったあと、名古屋市中川区内に4月に新規オープンするという水素スタンドを見に行く。もちろんアポなしなので、外から眺めるだけ。場所だけでも知っておいても損ではない。 その後、蒲郡に足をのばす。実家に立ち寄り、少しだけ掃除をしその後市役所へ固定資産税の引落用の口座変更の相談に行くが、今すぐ手続きをすることはないのでそのままにしておけばよいとのこと。少々肩すかしであったが、これ以上用事も特にないので名古屋に戻る。カミさんの帰りが遅いとかで、ながた屋で味噌煮込みを食する。
【2月8日(土)、2月9日(日)】 終日動きなし。自宅でのんびり 【2月10日(月)】 実はこの日も休暇をとって休みだけど、非公式に県内の水素ステーションの視察に出かける。こちらも情報収集。こちらは昨年中にアポを取っていたので、予定通りの視察。5年前と比べるとかなりコンパクトに作られるようになり、コストダウンが進んでいると感じる次第。そのうちのいくつかは、技術基準の変更について私が提案して制度が変わったものが採用されていた。そういう意味では、少しは社会貢献ができたという気がする。 夕方、京都から長女・ゆかこが帰省。高速バスを利用し名古屋駅にやってきたので、夕食は親子3人でゲートタワーで済ますことにした。
【2月11日(火)】 この日は朝からジャズドリーム長島へ。今年は正月も出かけているので、行くのは2回目。しかしながら飛び石連休の祝日のせいか、それともコロナウイルスの関係で中国人観光客が激減しているせいかは定かでないが、高層道路もジャズドリーム長島も比べものにならないくらい空いていた。 さすがに2月になると冬物商品のバーゲンが始まっており、「来年用に・・・」と思って買おうとした商品もあったが「う~ん、お父さんそれ似合わない」とか言われて、結局何も買わず今回、アウトレットでは何も買わずに終了。夕方からはスーパー銭湯に出かけ、これまたのんびりと過ごす。 週末、週初めにそれぞれ休みを取ったので、2月に名古屋で過ごす期間は珍しく長くなったが、明日からは再び出勤
【2月12日(水)】 名古屋からの通勤電車となる名古屋発7時05分の「のぞみ204号」で東京に向かう。今日は雲が多めであったが、富士山はきちっと見えた。8時43分、いつも通り定刻に東京駅に到着。毎度のことであるが、あの過密ダイヤで遅れることなく定時通りに運行するJR東海は素晴らしい!
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令和2年2月4日(火) ~ No.1172 3週連続の陣馬山 ~ |
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2月1日(土)、3週連続で陣馬山に行ってきました。今日は12月7日(土)以来のJR藤野駅~陣馬山~景信山~小仏城山~高尾山~京王・高尾山口駅の縦走です。過去2週と比べ、足下の状況もかなりよくなっていました。 この日はスタート時間が遅かったこともありますが、トレイルランや山登りの人が多かったような気がします。富士山もはっきり見えましたが、この辺りの山へ登山する人の多寡は、もしかすると富士山が見えそうかどうかで決まるような感じがします。今シーズン、あと何回この縦走ができるかどうかわかりませんが、昨年4月20日の3時間31分を切ることができるところまで、仕上げていきたいと思います。
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令和2年1月29日(水) ~ No.1171 高松(香川県)出張 ~ |
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昨日(1月28日(火))、香川県高松市に日帰りで出張に出かけてきました。 今回の出張の目的ですが、超臨界乾燥装置のメーカーが高松にあるということで、製品の調査に出かけたというものです。出張内容の詳細は控えますが、香川県を目的地として出かけるのは、国盗り目的で全国行脚していた時に平成21年3月に丸亀市に行って以来、約11年ぶりです。さらに高松市に行ったとなると、昭和60年の大学4年生の時の乗船実習以来、実に35年ぶりです。 今回は、羽田空港→高松空港→メーカー→高松空港→羽田空港と、高松の市街地には全く足を踏み入れることもなく、いわゆるトンボ返りでした。 今回の出張において、空港とメーカーの間を往復しただけなので、ここでご紹介できることも限られていますが、全国的に雨天の中、飛行機から富士山が眼下に僅かに見えたこと。そして、名物の讃岐うどんを食べてきたことくらいですかね。もう少しゆっくりと出張に出かけたいところです。
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令和2年1月28日(火) ~ No.1170 和田峠 ~ |
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先週、雪が残る陣馬山に行って下山に苦労して帰ってきました。「しばらくは陣馬山には登るまい!」と思っていましたが、 ①一週間経てば雪も相当減っているだろう ②前回失敗した下山の最短コースの確認(和田峠へのエスケープ・ルート) の2つの目的を持って再び陣馬山に行ってきました。日にちは1月25日(土)です。 結論から言えば、当初の目的は達成できましたが、藤野駅~和田峠の約10kmは舗装路で登山らしからぬ雰囲気。また和田峠~陣馬山は0.7km程度と時間にして15分程度(今回私は13分)で味気ないルートで満足感は全くありませんでしたが、エスケープルートとして覚えておいた方がいいコースであることは確認できました。使うことがないようにしたいですね。 なお、陣馬高原下発11時25分の高尾駅北口行きのバスに乗るために、頂上を10時47分に出発。下りを少し頑張って4.4km先のバス停には11時20分に到着。効率だけはいい山登りでした。
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令和2年1月21日(火) ~ No.1169 雪の陣馬山 ~ |
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下の写真を見て、どこだと思いますか?ニセコ?八方?野沢温泉?乗鞍?いえいえ、写真のところはスキー場ではありません。この暖冬の時期にこの雪のあるところとは・・・。 何とそこは東京都と神奈川県の県境に位置する陣馬山(標高857m)の山頂付近です。1月18日(土)にかなり雪が降ったようで、下の写真は1月19日(日)に登頂したときに撮影したものです。陣馬山は何度か行っていますが、こういう景色はもちろん初めてです。
雪山登山が好きというわけではありませんが、結果的にこういう場に遭遇してしまっただけです。装備としてはアマアマで下山に大変苦労しました。 この雪もあり、当初予定していた陣馬山→景信山→小仏城山→高尾山の縦走は諦め、往路と違う陣馬高原下バス停へ向かって下山しましたが、こっちは雪が深く下山ルートを誤ってしまいました。今回は判断ミスが多かったと思い反省。 雪が溶けて、足下のぬかるみがなくなるまで、しばらく陣馬山~高尾山の縦走はお休みですかね。
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令和2年1月19日(日) ~ No.1168 大谷祖廟(おおたにそびょう)へ納骨 ~ |
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先日、昨年11月に亡くなった母親の納骨に京都に出かけてきました。このサイトの読者の方ならご存じかと思いますが、京都にはわが家の二人の子どもたちが下宿しています。納骨だけの目的で京都に行くようなことはもちろんありません。今回については、カミさんが京都に行くというので、あとから私がそれに乗っかったというだけです。理由はともあれ、1月の京都の滞在についてレポートをしてみたいと思います。 【1月10日(金)】 1月8日(水)に東京の職場に初出勤したばかりであるが、2日後の1月10(金)には名古屋に帰省。 この日は、東京発18時33分発新大阪行きの「ひかり527号」で名古屋に向かう。名古屋までの停車駅はのぞみに比べ「豊橋」のみ増えるだけ。所要時間も5分程度増えるが、のぞみと大差はない。乗客は「ひかり」なので少しは少ないと思いきや「のぞみ」と大差はなく結構混んでいる。豊橋停車の「ひかり」は少ないので、豊橋で下車する乗客が目立つが、名古屋でもそこそこの乗客が降りていった。21時過ぎに帰宅。
【1月11日(土)】 この日は6時30分過ぎにわが家を出発。カミさんと二人で京都に向かう。長男・かずたかは沖縄に遊びかアルバイトか知らないが行っているので京都にはいない。ということで、まず向かったのは長女・ゆかこの下宿先。9時15分頃に到着するものの、深夜までのバイトにより寝不足のせいか起きて出かける気配はない。仕方がないので、お土産を置いてカミさんと大谷祖廟へ向かう。
大谷祖廟とは、浄土真宗の開祖・親鸞の墓所のこと。浄土真宗は、江戸時代に諸般の事情で分裂というか分割され、本山も東本願寺と西本願寺に分かれる。浄土真宗本願寺派の本山が西本願寺、真宗大谷派の本山が東本願寺。かつては、浄土真宗の信者でもくらいの高い人だけが大谷祖廟に納骨ができたそうであるが、現在はそういうこともなく誰でも納骨できるようになったようだ。 母親の遺骨は昨年12月に専覚寺にある加藤家の墓に大半は納骨したが、一部が残っていたので、この日はその残った遺骨を大谷祖廟で納骨してもらうというもの。父親の時もそのようにしたが、大谷祖廟にやってくるのは長男・かずたかが生まれたあとなので20年ぶり。当時は、私、カミさん、長男・かずたか、母親とカミさんの父母の合計7人でやってきた。長女・ゆかこは、まだ生まれていない頃だ。 納骨に関しては、所定の紙に必要事項を記載して、事務所で手続きをする。松竹梅ではないがいろんなコースがある。一番安い集団読経と納骨だけのコースで2万円を支払い、呼び出されるまでしばらく待つ。 係の人の呼び出しを受けた後は、骨壺を持って本堂へ移動。坊さん3人に読経してもらったほか、私とカミさんで焼香。集団読経のコースであったが、11時頃の回で呼び出されたのは、私たちだけであった。 本堂の読経終了後は、御廟(ごびょう)へ移動し、そちらの方で再び読経が行われた。読経中に骨壺がどこかへ運ばれ納骨が終了。読経が終了すると、御廟に鍵がかけられる。親鸞のお墓のそばに一緒に納骨されたのは宗教的には非常に意味深いものがあるが、遺骨が手元から無くなったことについては、何となく一抹の寂しさがあった。もちろん大半の遺骨は、蒲郡市の墓に納まっている。
納骨も終わり、お昼に近くなったので、再び長女・ゆかこのところに行く。 今度は起きていたので一緒に昼ご飯を食べに出かける。午後からは、私が「龍安寺に行きたい」といい、カミさんは「金閣寺に行きたい」といい、どうも同じ方向のようなのでそちらの方で食事をすることにした。行った先は、くら寿司・金閣寺店。金閣寺の近くではないが、近くに「金閣小学校」などもあり、このあたりではフツーに金閣という言葉を使っているようだ。 食後にまずは金閣寺へ行こうと思ったが、長女・ゆかこが昨年実習にやってきた特別老人ホームがこの先の山奥にあるという。まあ、娘の実習先なので授業参観ではないが、親としてもとりあえずどんなところか見に行こうということで龍安寺に行く前に寄り道をした。 山奥というだけあって、確かにクネクネ道を登っていくが、思った以上に奥まったところにあった。こういう施設は、最近はこういう山奥のような土地の安いところに建設されることが多い。外から見ただけなのでどんなところかはわからないが、「こういうところで働くのも大変だ」と娘がポツリという。 特別養護老人ホームに行ったあとは金閣寺へ。金閣寺へはこれまで何度も訪れているが、最近では長男・かずたかが世界遺産に興味を持って全国を周遊した平成18年1月のときにやってきたのが最後。14年ぶりにやってきたことになる。 金閣寺はいうまでもなく京都のメジャー観光スポット。金閣寺が建設された経緯がわからなくても、あの異様な金色の輝きには目を見張るものがある。日本人としても凄いものだと感じるが、外国人にとってもわかりやすいものだと思う。14年ぶりに金閣寺を見たが、14年前のイメージとはまた違ったように感じる。
金閣寺の見学のあと今度は龍安寺(りょうあんじ)に向かう。龍安寺は立命館大学の比較的そば。やってくるのはもちろん初めて。一番見たいのはもちろん「石庭」。4つの謎があるほか、配置されている石15個が、いろんな角度から見ても一度に全てを見ることができないというのも知られている。石庭の広さは小学校のプールよりも小振りであるが、わびさび感が漂っているのがいい。
この日はこれで終了。夜はJR二条駅前にあるBIVI二条というモールにあるチファジャ(二条店)という焼肉屋で夕食。京都を中心に店舗を展開しているチェーン店。席のコンロの火力が偏っていて、網の半分くらいしか焼けずにクレーム。結局は、掃除が不十分で目詰まりしていたことでガスの供給が偏っていたことが判明。当然ですが、食べ放題の時間は延長 【1月12日(日)】 2日目の午前中は、私とカミさんで「東映太秦映画村」に出かける。金閣寺や龍安寺がいにしえの観光地ならば、東映太秦映画村は近世の観光地といえるだろう。いずれにしても、東映太秦映画村は以前から気に掛けていたところなので一度は行ってみたかったところだ。 入場料は少々高めではあったが、そこはやむを得ない。事前の調査が少なかったこともあり、何をしてよいのかあまりわからず、ところどころに立っている東映の職員らしき人にカミさんが尋ねる。「どういうように廻ったらいいですかね」と。するとやや年配の女性係員が「チラシの裏にいろんなところでのショーの記載があるので、それを楽しむのもいいですよ。今からですと××がもう少しで始まるのでそちらはいかがですか。ここに記載のものは全部無料ですよ」と丁寧に説明してくれる。なるほどそうか。有料のアトラクションもあるが、無料のショーだけでも十分楽しめそうだ。カミさんと協議した結果、とりあえず別案もないので言われた通りにすることにする。
結果からいえば、東映太秦映画村のビギナーのわれわれには十分なものだった。 「ちゃんばら辻指南」、「おもしろ学習館 寺子屋」、「おもしろ散策ツアー」、「激突!忍者ショー『サスケ』」と4つのショーを楽しんできたが、さすがにいずれもこなれた感があって楽しむことができた。これらのショーに出演する人たちは、私が知らないだけで東映の映画番組やテレビ番組に脇役でちょいちょい出演している人たちらしい。さすがに演技も美味いが、人の心を掴むのも上手であると感心する。 3時間ほど楽しんで東映太秦映画村をあとにしたが、お金さえあれば朝から夕方まで十分楽しめる施設だと思う。
午後は午後で、都道府県対抗女子駅伝がちょうど開催されるので、年末の高校駅伝と同じように一年に一度のタイミングなので観戦しなければならない。観戦場所は、昨年の高校駅伝と同じくイオンモール京都五条店前がいいので、自動車を飛ばしてそちらの方へ向かう。 都道府県対抗女子駅伝のスタートは午後0時30分。昨年末の全国高校駅伝の男子と同じ42.195kmのコースだ。先頭の都道府県は2時間15分程度でゴールするとなると、ゴールタイムは午後2時45分頃。イオンモール京都五条店の前は、午後2時35分過ぎ。時間を逆算しながら、イオンモール京都五条店へ向かうが、余裕で間に合いそう。 店内でお好み焼きを買って、カミさんと昼食にする。食べ終わったら、昨年末の高校駅伝と同じ位置に向かう。前評判で「京都」が優勝候補にあがっていたせいか、高校駅伝の時と比べると観客が多いような気がする。 少々待ちくたびれた頃に交通規制が始まり、パトカー、関係車両、白バイなどがやってくる。 先頭は下馬評通り赤のユニフォームをまとった「京都」がやってきた。最終区10kmの担当は地元京都の実業団ワコールの一山麻緒。沿道の盛り上がり方も凄い。 しばらく間が開いて黄緑色のユニフォームの「宮城」。積水化学所属の佐藤沙也伽であるが、今回は出身のふるさと枠での出場。サングラスをしていたが、陸上競技ファンの中では「カワイイ」と評判。 その後方には紫色で同じようなユニフォームの「東京」「長野」と続く。「東京」は新谷仁美が走る。一時期引退していたが、このたび佐藤沙也伽と同じ積水化学に所属することになったようだ。「長野」は細田あい。ダイハツの所属なので、今回はふるさと枠での出場。新谷仁美に少し遅れるように走って行く。 ちなみに14番目にやってきたのは「熊本」。走者は吉本ひかり。吉本ひかりは、細田あいと同じダイハツに所属するが、出身は佛教大学。長女・ゆかこの大学のパイセンにあたる。 先頭通過から最終ランナーまで約15分。さすがに駅伝だけあって、42.195kmを走っても市民マラソンと違って著しい差は無い。今回も初めて”生”都道府県対抗女子駅伝を観戦できたが、機会があれば沿道で応援してみたいと思う。(公式記録はこちら)
レース観戦も終わったので、長女・ゆかこの下宿に向かう。カミさんの話しによると、今日はバイトもないので一緒に名古屋に帰るという。まあ、自動車だから何人乗っても費用は同じなので構わないが、こういうところに京都と名古屋の距離の近さを感じる。夜は親子3人で温泉に入ってくつろぐ。
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令和2年1月14日(火) ~ No.1167 年末年始 ~ |
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時が経つのは早いですね。今年も年が明けてから既に約2週間が過ぎました。1月も概ね半分が終了。いろんな事をテキパキと進めないと気がついたら師走になっているかもしれませんね。 今回の年末年始ですが、令和元年12月28日が土曜日、令和2年1月4日も土曜日、5日が日曜日ということもあり、例年より長い9日間の年末年始の休暇でした。皆さんは、いかがお過ごしになったでしょうか。 簡単に年末年始の休暇の過ごし方を振り返ってみたいと思います。 【12月27日(金)】 この日は帰省がピークとなる日。夕方の東京駅がとんでもないことになるだろうと思い、出勤は午前中のみとし昼から休暇をとって帰省。早い時間なので東京駅も空いているだろうと思いきや、週末金曜日の夜以上の混雑職場を出る時間も少々遅くなったので新幹線に乗るのも結構ギリギリ。次回の出勤は1月8日(水)。10日以上東京を離れることとなる。 長男・かずたかも、この日京都から戻ってきた。一気にわが家も1人→3人へと賑やかになってきた。
【12月28日(土)】 この日は忘年会第一弾。東海市の某所で開催するものの、変な意味で盛り上がってしまった。詳しい話はできないが、年末年始の宿題ももらう羽目に・・・
【12月29日(日)】
昼から、少し遅い昼食にカミさんとアピタ千代田橋店に出かける。長袖シャツも安かったので、まとめ買い。 【12月30日(月)】 この日は金山で忘年会第二弾。少々ご無沙汰している走友のNさんと久し振りの再会。見た目お元気そうな感じでなりよりであるが、11月中旬から腰の状態が悪かったとのこと。私も故障上がりで、ゆっくりで故障しないように練習するのが精一杯。状況的には五十歩百歩。「景気のいい話をしましょう」という目的の忘年会であったが、お互いがお互いなのでなかなか景気のいい話が出てこない。「別府に行きますか」とNさん。「いやいや別府はマラソンでないと」と私。「じゃあ会社の保養所のあるところで・・・」とNさん。「それはいいですね」と私。ということで、折をみてNさんの会社の保養所のあるところに出かけましょうかということで話はまとまりました。 令和2年はお互いに見違えるほど元気になっていたですね。 この日の夕方に、長女・ゆかこが帰宅。私が頼んでおいた商品をアルバイト先のドラッグストアで買ってきてくれた。私が使用するのではなく、カミさんへのプレゼント。 私が忘年会から帰宅して、少々遅めのプレゼントとしてカミさんに渡すが、反応はイマイチおかしいなあ、娘の情報に基づいて買ったのに・・・。
【12月31日(火)】 いよいよ今日が今年最後の日。恒例の干支の置物の購入に朝から瀬戸へ出かける。毎年、干支の置物をこの時期に購入するのが習慣になったが、私にとっては年中行事であり季節感があっていい。 ただし行きつけのお店に行ったものの、ほとんど売り切れ。「残り物に福がある」と自分を慰め、置物を3つほど購入した。一つは名古屋で使うもの。残りの二つは、京都で過ごす子どもたちへのもの。 一旦帰宅後、昼過ぎには家族揃ってイオンモールナゴヤドームへ昼食に出かける。今年も残り時間がどんどんなくなっていた。 帰宅してからは夕食。なぜか毎年、大晦日の夕ご飯はすき焼き。午後10時過ぎに年越しそばを食べるがかなり腹一杯。視聴率がイマイチだった紅白歌合戦をみていたが、「昔の名前で出ています」的な歌手が多い。歌番組もはやらないので、盛り上がりに欠けるのであろうか。 そうはいいながらも結局最後まで見てしまい、気がつけば日付が変わっていた。日付が変わったついでに「あけましておめでとう。お年玉だよ」と子どもたちに早速渡す。みんな眠たそうなので、「ありがとう」の声も小さい。布団に入るが寝ながら「2020年になってしまったなあ・・・。去年も一年早かったなあ・・・」と思いながらしばらくしたら意識を失った。
【1月1日(水)】 新年となり、カミさんだけが初日の出を見るために、ランニングで平和公園に向かっていった。平和堂には100人ほどの人がいたようだ。長男・かずたかは、初日の出を見るためだけに起きてきて、私とカミさんの寝室のベランダから初日の出を撮影。撮影後は再び床に入ってしまう。まあ、若者らしいところだ。 朝食は定番のおせちとお雑煮。一年がこれで始まった。 「ところで今年の初詣はいつ行くか?」「昨年のように遅くなると善哉がなくなるので早くしたら?」「いやいや昼はまだ混んでいる」「かずたかが厄年なので厄払いを兼ねて・・・」といろいろ意見がでたが、今年は珍しく昼に出かけることにする。 正月三が日については、初詣先の城山八幡宮の駐車場が閉鎖されてしまったので、数少ない民間のコインパーキングを利用する。当然満車だろうが、多少待つのは仕方がないと覚悟をしてたが、思ったよりも早く駐車場が開いて思っていた以上にすんなりと初詣ができた。 昼食後には「バッティングセンターに出かけよう」ということになり、元日から開いているところを探したところ尾張旭市のトキワバッティングセンターが開いていることがわかった。私は何十年ぶりのバッティングセンター。ソフトボールや野球では3番、4番を打っていたのでバッティングには少々自信があったが、目が悪くなったせいか110km/hの球にかすりはするもののなかなか前に飛ばない。ならば遅い球の80km/hのソフトボールならと思って違うゲージに入るが、こちらは球速が遅いせいか球がお辞儀をするので、かするどころかかえってあたらなくなってしまった。今日のバッティングセンターの様子で私の家庭の中での地位はあっという間に下落。やはり練習しないとこんなものかと。正月そうそう少々凹んだ
【1月2日(木)】 さて、この日と翌日は一泊二日の行程で三重方面へ家族旅行。12月中旬に急遽日程調整したため、この日となってしまった。宿泊先も目茶苦茶高いところは空いているが、リーズナブルなところは満室。その中でも少々穴場的なところを私が見つけた。伊勢エビ、アワビ、松阪牛というフレーズに惹かれて決定。これ以外の行程はフリー。 とはいえ行き当たりばったりすぎても困るので、この日は長島のアウトレット、翌日は伊勢神宮というこの二つだけ決めて家を出発。正月早々、伊勢湾岸道・湾岸長島IC前は大渋滞。予想以上に時間がかかったものの、長島のアウトレットではまずまず満足して過ごすことができた。 長島から宿泊先の鳥羽までは、長男・かずたかが運転。道中以外と時間がかかり、到着したときにはかなりいい時間になっていた。夕食は部屋食。予想通り素晴らしい食事。予約したのは私。昨日、地に落ちた地位もこれで挽回したのではないか。
【1月3日(金)】 朝は早起きをして走りに出かける予定でったが、見事に寝坊。カミさんと、宿泊した部屋から日の出を拝む。久し振りに水平線から日が昇るのを楽しめた。 朝食後は伊勢神宮に向けて出発。調べたところ、正月三が日は合計50万人の人手らしく、伊勢神宮周辺は大がかりな交通規制が敷かれるらしい。パークアンドライドで伊勢神宮に行くように案内がされていた。 われわれは、二見の駐車場に停めてパークアンドライドで伊勢へ向かう。バスは観光バスを使用しているので立ちっぱなしの移動はない。思っていたよりも時間もかからず伊勢神宮近くに到着。朝から人出は凄いのひと言。 伊勢神宮には何度もきているが、特に本殿前の混みようは凄まじいものがあった。参拝後は、お祓い横町をプラプラと楽しむ。昨日泊まったホテルに置いてあったパンフレットから、午後は鳥羽にある伊勢シーパラダイスに行くことにする。ゴマフアザラシがいるとのこと。長男・かずたかがゴマフアザラシが大好きなのでそれが決めてであったが、行ってみたらセイウチのショーやかわいいカワウソ、モルモットへの餌やりなど遊べるイベントも幾つかあり思ったよりも楽しかった。 昼食は遅くなったが三重県を中心に店舗の多い「あじへい」へ。ファミレス的な店屋で、愛知県にはない営業形態だ。思った以上に家族には評判がよく、紹介した私は鼻高々 帰りの高速道路ではかなり渋滞したが、伊勢道→亀山JCT→亀山西JCT→新名神→伊勢湾岸道→名二環とまわりなるべく渋滞を回避しながら何とか帰宅。即席の旅行であったが、なかなか盛りだくさんになり楽しめたと思う。
【1月4日(土)】 正月4日目。子どもたちは、京都へ戻る日。1時間ほどの時間差であったが、それぞれ別便のバスで名古屋→京都と移動。渋滞もなくすんなりと京都に戻れたようだった。どうやらアルバイトのシフトが入っているのが、京都に戻る理由らしい。昼からは、カミさんと老夫婦の所帯となる。 夕方からは、本山で「本山の会」の新年会。本山駅界隈に住む、昔の職場の仲間との会である。私が一番年長者であるが、だんだん退職に近づいているので、専ら話題の中心はそっちのことが増えてくる。
【1月5日(日)】 今日は、イオンモールナゴヤドーム前店で中日ドラゴンズ・福田永将のトークショーがあるので、カミさんがそれに行こうという。一見、無料のようにみえるが、お買い物を3,000円以上すると整理券を一枚渡すというシステムらしい。その整理券も先着順にいい席が与えられるのではなく、場所は抽選の模様。 カミさんは朝早く出かけて買物をして、何とか2枚を確保。一枚は67番でもう一枚は23番。どう見ても23番の方が前の方であるのでかみさんにそちらの席を譲る。 トークショーは午後2時からなので、午後1時20分頃にわが家を車で出発。「会場へは10分前までに」と説明があったものの、15分前にはしっかり並ばされている。10分前くらいから入場が始まるが、最初の50人くらいは着席。残りの70~80人は立ち見という格好だ。 2時ちょうどに福田が現れる。昨年は18本のホームランを打って、特に9月の貢献度は高かった。おちゃらけの正確でもなく、いたって真面目な感じ。時々後輩をイジルのが面白い。クイズや質問コーナーなどでおおよそ40分ほどの時間を過ごしたが、思ったよりも面白かった。最後に記念写真を撮影するが、翌日の中日スポーツに載っていたのは、福田と周囲の10人くらい。ちょっとがっかり。 夜は東海市内で新年会。
【1月6日(月)、7日(火)】 今日は初出勤の日であるが、岡山・倉敷へ一泊二日の出張。 本来であれば11月に行く予定であったが、母親の容態がかなり悪そうだったので日にちを変えてもらい年明けとなった。どの会社も、新年はおそらくこの日が最初。新年にもかかわらず受入をしてもらい感謝している。 翌日は天候がイマイチの中、岡山県庁へ。こちらはアポを取っていた二人が急遽体調不良で不在。代わりに対応してくれた人たちがいたが、明らかに役不足の感じであった。少々、消化不慮気味で出張は終了。この日も一旦名古屋に帰る。
【1月8日(水)】 名古屋での長かった年末年始の休暇+岡山出張も終わり東京へ。 これだけ長期の休みとなると、在宅でも仕事ができるのではないかと思う。リニアの開業予定は2027年。まだあと7年もある。64歳か65歳になっているだろうが、それまで東京で仕事をしているかどうかもわからない。移動の交通手段が発達してきて、あちこち出かけるのが便利になったが、地に足のついた生活をしたものだとつくづく感じる。
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令和2年1月9日(木) ~ No.1166 京都三昧(その2) ~ |
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遅くなりましたが、京都三昧(その1)に続いて京都三昧(その2)についての報告です。 【12月22日(日)】 この日は京都滞在2日目。 昨日は、期間限定の今年の漢字「令」を清水寺で見たほか、嵐山においては素晴らしい竹林のライトアップを見ることができました。どちらも期間限定のイベントで、カミさんも満足していました。 さて、2日目ですが、この日も期間限定のイベントを味わってきました。 というのも、この日は1年に一度の高校駅伝の開催日です。男子は第70回記念大会で各都道府県の代表47校+各地区代表の11校の合計58校、女子は第31回大会で47校の参加です。西京極陸上競技場を発着。男子は42.195kmを7区間で、女子は21.0975kmを5区間で競います。スタートは女子が10時20分、男子が12時30分です。 これまでテレビで見ることは何度もありましたが、目の前で高校駅伝を観戦するのは初めてです。 カミさんと観戦場所を探しましたが、イオンモール京都五条店の駐車場に自動車を停めて、往路復路を観戦するのがよかろうということになりました。10時少し前に現地に到着。店内で少し買物をしたりして、女子高生ランナーたちがやってくるのを待ちます。 10時20分にスタートしたことをスマホのテレビ中継で確認。西京極陸上競技場からイオンモール京都五条店までの距離がわからないので、いつ目の前を通り過ぎるのであろうと思いながら待ちます。交通規制がかかっているので目の前を走る車はありません。 5分ほどすると監察車、NHKの中継車、パトカー、白バイ2台、そしてもう1台のNHKの中継車、そして先導する白バイ2台と続きその後ろに女子高校生ランナーの大群がやってきます。時間は10時26分少し前。スタートしてからイオンモール京都五条店は2kmもない場所でしょうか。
ざっと35人ほどは集団でしたが、6人ほどがやや遅れだし縦長の列に、そしてその後ろに6人ほどがさらに遅れて通り過ぎていきます。1区は、最長区間なので各校のエース級が集まるところ。「みんなガリガリだね」とカミさん。そうですよ、腕なんてポキリと折れそうなくらい細いんですからね。 往路はバラけてもさほど差はつきません。あっという間に集団は過ぎ去ってしまいました。まあ、1区ですからね。 1時間ほど店内で暖をとってから、今度は道路を渡って復路の応援。 優勝候補と言われていた神村学園が先頭で来るかと思いきや、先頭は仙台育英高校。続いて神村学園ですが、既にその差は100m近く開いていました。「残り2kmでこの差は勝負ありだなあ・・・」と私。とりあえず47校全部が通り過ぎるまで観戦。カミさんは一生懸命「ガンバレー」と声援。生の高校駅伝は、選手の息づかいまで聞こえてきていいですね 昼食を挟んで午後からは長男・かずたかのオススメで、黄桜酒造に行ってきました。 京都伏見といえば「伏見稲荷」が有名ですが、それ以外にもこの「黄桜酒造」も有名どころです。昔はカッパをモチーフにしたCMでお馴染みでしたが、最近はいろんな種類のお酒の開発も進み、黄桜=日本酒メーカという関係も崩れています。 工場(伏水蔵)の見学もしたかったのですが、時間の関係でこの日は省略。次回来たときはもう少しゆっくりまわりたいと思います。
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