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令和2年5月6日(水) ~ No.1195 フルーツパーラー弘法屋 ~ |
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東京には「千疋屋」という有名なフルーツショップがあります。商品の値段も結構なところですが、フルーツパーラーはお洒落で、雰囲気もそれらしさを醸し出していますね。 名古屋は名古屋で”弘法屋”というフルーツショップがあります。調べてみると、デパートにお店を出している「株式会社弘法屋」と覚王山・日泰寺で商売をしている「株式会社弘法屋本店」と二つあります。社歴をみるとどちらも大正14年(1925年)に「弘法屋」として創業とあります。理由はわかりませんが、途中で二つに分かれて商売をしているようですね。どちらもフルーツショップは"弘法屋"という地域ブランドを大切にして商売をしている感じがします。 先日、「弘法屋のマンゴーをまるごと使用したパフェがあるのでそれを食べよう!」とカミさんと長女・ゆかこが言うので親子3人で出かけました。場所は、池下の名鉄パレにある「フルーツパーラー弘法屋」です。千疋屋と比べるとお洒落さは???ですが、そこはぐっとこらえましょうか。少々こぢんまりとした感じのお店ですが、メニューはフルーツものがたっぷりです。 今回は、目的が「マンゴーパフェ」だったので、私と長女・ゆかこは迷わず「マンゴーパフェ(季節限定)」、カミさんはなぜか遠慮がちに「フルーツパフェ」を注文。ショーケースからフルーツを取り出して、パフェを作っているので少々時間はかかります。待つこと15分くらいでしょうか「おおっ!」という感じでパフェが登場!「コーンフレークが入っていないね(そりゃそうだよ!)」とか、ちょっと視点は違いますが3人がそれぞれ楽しみました。味の方はって?そりゃあ、言うまでもないですよ。ちょっと高い感じはしますが、一度ご賞味あれ
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令和2年5月5日(火) ~ No.1194 鯉のぼり ~ |
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先日、早朝、矢田川沿いを自転車に乗っているところ見かけました(印場橋そば)。コロナの影響で世の中、元気がありませんが、鯉のぼりくらいは景気よく泳いで欲しいですね。 |
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令和2年5月4日(月) ~ No.1193 相続(預金) ~ |
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昨年11月に母親が亡くなり、取り急ぎいろいろと手続きをしたところですが、残すのは相続の手続きです。相続すべきは「銀行の預金」と蒲郡市に残った「土地・建物」の2つです。今回、手始めに銀行の預金の相続をすることにしました。 とはいえ銀行の預金については、平成25年10月に母親が自宅で骨折して蒲郡市民病院に入院して以来、実質、私が管理していたので、あらためて相続の手続きをしなくともそのまま引き落としても良いのですが、普通預金以外にも定期預金など何かあるかもしれないので、今回は真面目に相続の手続きをすることにしました。 ネットでも銀行預金の相続の手続きはできますが、銀行の窓口に出向き説明と、相続に係る手続きの用紙をもらいました。また、説明書には次の書類の提出が求められています。
ということで、4月のある日、蒲郡の実家の樹木の剪定をするついでに蒲郡市役所に出向いて、母親の戸籍(原戸籍)を取りに行きます。 市役所の人には「相続」である旨を説明して調べてもらいました。母親は一度離婚しているという話しは本人から聞いていましたが、元戸籍から移った先の戸籍は何と「名古屋市熱田区」。その後離婚して、蒲郡市の親の戸籍に復籍。その後、父親と再婚し戸籍は「岡崎市」へ。その後、父親とともに蒲郡市へ戸籍を写し現在に至るということがわかりました。この間に戸籍法が2回変わり(昭和33年頃、平成28年)、戸籍の所在地は変わらねど、昭和33年は家族制度(家督制度?)の変更により記載内容が変更され、また、平成28年は様式や記載方法が変更になり、それぞれ余分に1通ずつ取得しなければならないことになりました。
結局、蒲郡市役所のほか岡崎市役所にも。また千種区役所にも二度ほど出向き、戸籍をかき集めるのに少々骨が折れました。あとで、「●●が足らない」と言われるのが面倒なので、一つずつが繋がるのか慎重に確認をしながら・・・そして、満を持して銀行へ出向き手続きをしました。かき集めた戸籍謄本については、向こうでコピーをとってもらいその場で返却してもらいました。2~3週間ほどで手続きは終わるそうです。 今回、教訓として残るのは「戸籍はやたらと動かさない」ということですかね。相続する人間が集めるのに苦労しますので・・・。 |
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令和2年4月27日(月) ~ No.1192 梅酒造り ~ |
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2週間前に、梅の木に実が成ってきたことを報告しましたが、昨日、梅の木を剪定するついでに梅の実を集めることにしました。剪定をしながらの作業なので2時間ほどかかりましたが、梅の木はサッパリ。また梅の実は、何と1リットル入るラーメンどんぶりに何と4杯分も取ることが出来ました。予想通りの大収穫 カミさんがネットでレシピを確認したところ、「梅1kgに、①5リットル瓶1本、②氷砂糖500~800g、③ホワイトリカー1.8リットル」とか。梅の重さがわからないので、梅が2kgと仮定してアピタ千代田橋店で適当に見繕って道具などを購入することにしました。 結果「①ガラスの瓶(4リットル×2本)、②氷砂糖(1kg)、③ホワイトリカー(1.8リットル×2本)」で作ることに。そして、昨晩、梅を2時間ほど水に浸し、昨日の夜から今日一日かけて乾燥させて準備完了。夕食後にカミさんが、さっそく作業を開始。準備ができれば、作業は15分ほど。冷暗所で6ヶ月~1年くらいでできあがるそうです。とりあえず、来年の今頃に開封ですかね。自家製梅酒、一体どんな味でしょうか。楽しみがまた増えました。
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令和2年4月13日(月) ~ No.1191 梅に実が成っています ~ |
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名古屋の自宅に戻ってきてはや2週間。テレワークも板について来ました。 往復の通勤時間は無くなったほか、通勤ための準備(着替え)時間も不要となり、そのあたりの時間は増えましたが、テレワーク中のメールの数が異常に増えています。出社時は、一日平均で50件程度のメールの受信量でしたが、テレワーク後は80~130件程度に増えています。平均して100件程度でしょうか。まあ、見ているだけでも一日終わってしまうような勢いで、これには少々まいっています あとはWebexやスカイプを使用した会議が増えました。集まって会議をしていたときと比べるとかなり密度が落ちています。その割に時間がかかる・・・。 4月は、私の部署では一年のうちで一番閑散期なので、今の調子でもまだ良いのですが、当然ですがこの調子で一年が終わるわけではありません。そういう意味では、テレワークが長期化すると仕事のペースが落ちていくのが見えているような気がします。テレワークは9:30~17:30という制限がありますが、時間外でもメールで送られてくる資料の確認などやることは多いので、決してヒマではありません。(カミさんは、一日家にいるから遊んでいるように勘違いしていますが) さて、テレワークで引きこもりが続いてはいますが、わが家の木々の生長は毎日楽しむことができます。 2月に白い花をたくさん咲かせていた梅の木ですが、現在は直径1cmほどの実がたくさん成っています。先日は、シジュウカラが3羽ほど飛んできて、梅の木に留まっていました。梅の実を食べたかったのでしょうか。カミさんも「これだけ成っているんであれば、今年は梅酒を作ろう」と言い出しました。 かつて、実家で母親が梅酒を自家製で作っていたことがありますが、それ以来となります。約45年ぶりくらいでしょうか。実がもう少し大きくなるのを待って、梅酒造りを始めようと思います。
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令和2年3月29日(日) ~ No.1190 テレワーク開始 ~ |
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先週木曜日の小池東京都知事の週末の外出の自粛要請があったのはご存じかと思いますが、昨日の都内のコロナウィルスの感染者が63人と前日の1.5倍の数に跳ね上がり、都内もかなりヤバい状態になってきました。 また私の単身赴任先の千葉県でも、私の仮住まいの市川市のお隣の船橋市でクラスター感染が発生。こちらは58人の感染者。場所が施設の中とはいえ、二次感染が発生すればひとたまりもありません。 テレワークに腰の重かったわが職場もようやく準備が整い、来週からテレワークがはじまることになりました。やや遅い感じもしますが、やらないよりはマシ。金曜日は職場の重たいノートパソコンを持たされ帰宅しました。 先ほども申したように、都内のコロナウィルスの感染者の状況については改善の兆しが見えず、テレワークがはじまったので、それを利用してしばらくの間は名古屋で仕事をすることにしました。単身赴任がもうすぐ4年を終えようとしているところですが、4年前にこんなことが発生すると誰が想像したことでしょうか。 ということで、急遽、名古屋に戻る次第です。
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令和2年3月26日(木) ~ No.1189 東京の桜は今が満開 ~ |
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昨日は東京都内で新型コロナウイルスの感染者が41人新たに発生したと報じています。また、昨日の午後8時には小池東京都知事が週末の外出の自粛等について報道発表しています。東京のような人口密集地でこれまで感染者数が第1位でなかったのは不思議なくらいで、徐々に「隠れ感染者」があぶり出されてきそうな気がします。 とはいえ、植物はコロナウィルスとは全く関係なく、例年通りにすくすくと成長を続けています。 都内の桜は、名古屋や京都よりも早く開花宣言したこともあり、現在はほぼ満開の状態です。残念ですが、こういう状況なので、今年は花見もおおっぴらにはできそうもないですね。 その桜ですが、職場(東京都港区虎ノ門)近くの交差点の角に桜の木が一本生えています。花見をするような場所に生えているわけではありませんが、この時期毎日、目の保養にはいい存在であると思っています。最後に本題のその桜について本日は紹介いたします。 |
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令和2年3月25日(水) ~ No.1188 東京での歯科通い ~ |
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先日の日曜日(22日)、名古屋の家でテレビを見ながらポテトチップスを食べていたところ、「ガリッ!」と小石を噛んだような衝撃が口内に走りました。「何の異物?」と思って口から異物らしきものを吐き出して、じっーと見てみると、それは自分の歯の詰め物ではありませんか「ポテトチップスごときの食べ物で詰め物が取れるとは・・・」と、少々ガックリ。 これまでも何度か詰め物が取れたことはありましたが、本当に久し振り。いつ以来か覚えていないくらい久し振りです。しかしながらよく考えると、この詰め物が取れてしまうための伏線がありました。 今まで、詰め物が取れてしまう場合、私の場合のきっかけで一番多かったのが「キャラメル」です。詰め物の上に、あの固いキャラメルを噛むとどうも接着剤の強度を超える応力がはたらいて、詰めものが取れてしまうようです。最近はキャラメルなどは食べることはありませんが、食べるとしても噛まずに舐めるようにしています。 今回の犯人はおそらく間違いなく「井村屋のあずきバー」でしょう。名古屋界隈では「井村屋のあずきバー」は有名なので「ああ、なるほどね」と思うこのサイトの読者もいるかもしれません。私の好物の「あずき」がたっぷり入った安い商品ですので、名古屋に帰るとついつい食べてしまいます。 ただ、このあずきバーですが、実はなかなか固い食べ物。煎餅のような堅さではなく、粘りっけのある堅さです。金属材料的にいえば「靱性(じんせい)」があるといってもいいでしょうか。煎餅とかアイスキャンディーは、固くても割とパリッと割れます。金属材料的にいえば「脆性(ぜいせい)」があるといえるものかもしれません。 ちなみに、あずきバーのサイトには『※ 固く凍っているため、歯を痛めないようにご注意ください。』と注意の警告があります。私のような人も相賀もしれませんね。 それはさておき「はて、治療はどうしようか」と困り果てる私。歯医者といえば、前の職場のそばにはいつでも行くことが出来る「三の丸クリニック」というところがあったので、すぐに直行していた。しかしながら今回は3連休が終われば再び上京する。治療するにしても職場近くの歯科医院にした方が良さそうだ。 ネットで調べたところ、現職場近くには歯医者は何軒もあったので、この中から選ぶことにする。歯医者の評判は、職場の人に聞けばすぐわかるが、そんなことをしていると時間ばかり経過してしまう。おまけに現在は時差出勤なので、夕方の時間帯の診察・治療は無理。いろいろと考えてみたが、評判も何もわからないので「予約のできるところ」を優先して決めることにした。 私の職場の最寄り駅である東京メトロ・神谷町駅の2番出口すぐのところに、その名も「神谷町駅前歯科」という歯科クリニックがあり、場所もわかりやすくE-PARKによる事前予約ができることがわかったので、ここを利用することにした。
22日(日)うちに24日(火)の午前10時で予約。 当日行ってみたところ、駅の出口のすぐ横のビルの2階にあった。階段を登ってドア開けると目の前は受付。待合室らしきところには3人程度しか座れないソファが一つ。基本予約診療だから、広い待合室がいらないということだろうか。「10時の予約の加藤です」とお願いすると、初診者が受付で書く問診票に所要事項を記入。
院長による口内の全般の目視で診察のほか、CTで口内全体を、またレントゲンでは今回詰めものがあった部分のみを撮影。その後、全体の説明をしてもらったほか、該当箇所については、詰めものを戻しても隙間があるので、再度詰めものを作って処置した方がよいとのこと。 1回目は約30分で終了したが、あと3回ほどは係るとのこと。4月上旬くらいまでは、この歯科に通うことになりそうだ。 |
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令和2年3月24日(火) ~ No.1187 長男・かずたかの引越(最終回) ~ |
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3月18日(水)に引越業者に荷物を搬出してもらい、4年間住んだワンルームマンションは空っぽ。引越先の大阪府堺市には3月21日(土)の夕方に到着するということで、引越先の環境を見がてら、あと2年京都に住むこととなるち長女・ゆかこも引き連れて親子4人で堺市に行き、引越の手伝いをすることにしました。 【3月20日(金)】 朝出かけるのに少しモタモタしていたこともあり、出発は午前9時。東名阪の事故通行止めの影響で、新名神に自動車が流れてきたこともあり、珍しく新名神が渋滞。また、この日は3連休で好天も重なり京都市内も人が多かったような気がします。 大学で所要があるということで、一旦大学へ。そのあと、名残惜しそうに、下宿先に行ってみました。確かに荷物は全くなく空っぽ。4年前に下見に来たことを思い出すと年月の経つのは早いと感じた次第です。 その後、長女・ゆかこの住む二条へ。親子4人が揃い、昼食を摂ってから、清水寺に行くことにしました。清水寺は、昨年末にも行っていますが、今回はそのときと違い足場が外れて久し振りに清水寺の全容が見えるようになりました。相変わらず観光客が多く、京都の観光名所であることを再認識した次第です。 そのあと、京都市内のイオンモールを2軒ハシゴして、カミさんは長女・ゆかこの下宿先で、私と長男・かずたかは京都御所そばのホテルで1泊。
【3月21日(土)】 長男・かずたかが下宿そばの歯医者に行くというので送っていきます。治療中に二条に向かい、カミさんと長女 ゆかこを迎えに行きます。二人を乗せて再び、歯医者に向かいますが、気がつけば、昼近くになってしまったので、名神・京都南ICそばの店で昼食を摂ることにします。 昼食後、一旦大阪府吹田市にある不動産屋で手続きを、その後に大阪府堺市へ向かいます。移動ルートとしては京都南→(名神)→豊中、せっかく吹田に来たので万博記念公園の太陽の塔をみて、その後中国池田→(中国道、阪神高速)→住之江も高速が繋がっているので、移動にはさほど苦労しません。 長男・かずたかの下宿先には午後3時少し前に到着。 ただし、部屋の前に予防用?として設置してある南京錠の鍵を管理会社が持って行ってしまっていたため、部屋の中に入ることができません。30分ほどして、管理会社、引越業者が到着。引越作業がはじまりました。 荷物の搬入は引越業者が行うものの、搬入した荷物の組み立てなどは手伝ってやります。 ある程度形ができたのが夕方。とりあえず、寝るだけなら大丈夫というところにまでこぎ着けました。 今回の引越先の最寄り駅は、南海電鉄の「七道」駅。大阪市内から南下して大和川という川を越えた最初の駅です。普通しか停まらない駅のようですが、昼中でも1時間に4本程度の列車があります。難波までは13分。近鉄なんばから近鉄特急に乗れば名古屋まで2時間ほどというところです。 しばらくはここで生活をすることになりますが、駅まで徒歩でも7~8分。近くにはイオンモールの大型ショッピングセンターもあり、一人暮らしの人間が生活に困ることはなさそうです。 モールで夕食を撮って、買物をして堺をあとにしたのは20時30分。そこから住之江→(阪神高速、近畿道、第二京阪)→上鳥羽と乗り継いで、長女ゆかこの下宿先の二条に着いたのは約1時間後の21時30分。さらに京都東IC→(名神、新名神、伊勢湾岸道、名二環)→上社南と乗り継いでわが家に帰ってきたのは23時30分。明日は車検があるので、何とかこの日のうちに名古屋まで戻ってこないといけません。
【3月22日(日)】 今日はN-BOXの2回目の車検。購入してからもうすぐ5年というから時間の経つのは早いですね。 10時にディーラーに持ち込み、軽く打ち合わせ。5年で走行距離が僅かに30,000km。今週と先週で京都を2往復したので、ここ2週間でおそらく700kmくらいは乗ったのではないでしょうか。一年あたり、平均すれば約6,000km。ここ2週間で一年に乗る10%以上の距離を乗ったことになります。 そうであっても走行距離が少ないので、ブレーキパッドやバッテリーの交換は見送ることにしました。ただし、タイヤの外側が減っているので交換。こちらは車庫入れの関係で、どうしてもすえ切りが多くなるのでやむを得ないかと。走行距離も少ないので、このままあと5年くらいは引き続き乗ることになるかと思います。
【3月23日(月)】 久し振りの出勤日。時差出勤で、基本的に11時30分が始業なので、名古屋を出るのもゆっくりできます。 この日乗ったのは”のぞみ216号”で名古屋9:14→東京10:54。相変わらず車内はガラガラ。 コロナウィルスの感染拡大防止の一環で、時差出勤が導入されるようになりましたが、これを機会にテレワークについても検討を進めていったら良いかと思います。
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令和2年3月19日(木) ~ No.1186 長男・かずたかの引越(その1) ~ |
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3月12日(木)に無事に大学を卒業した長男・かずたかですが、4月から就職の関係で大阪府堺市に引越をします。現在借りているところの契約は3月20日(金)まで。それまでに荷物の搬出をしなければなりません。 快適な暮らしをしようとすると、どうしても荷物が多くなりますが、引越をすると意外と使わなかったものが多く現れ、無残にも捨てられることになります。ある意味、引越は身の回りを整理するいい機会なので、お金さえかからなければ時々引越をするのもいいかもしれません。 引越業者は3月18日(水)の夕方、荷物の搬出にやってくるので、その前にカミさんと私で荷物の整理を手伝ってやりました。さすがにワンルームマンションなので、荷物の整理を始めると足の踏み場がなくなってしまいます。2時間ほどでしたが少しばかりは部屋が片付き、堺行きの荷物と名古屋行きの荷物の整理が少し付きました。 残りの作業は3月18日(水)の引越当日にカズタカ本人が行い完了。4年間住み慣れた城を明け渡したという気分でしょうか。4年間住んでいたので愛着が湧くのは当然でしょうが、次の行き先も決まっているので前を向いて進んでいかねばなりません。 今晩、再び名古屋に帰省し、明日は親子3人で一旦京都へ。京都で一泊し、明後日は大阪府堺市で引っ越し先の整理を行う予定です。
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令和2年3月13日(金) ~ No.1185 東京→名古屋、明日は京都へ ~ |
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昨日、大学を卒業した長男・かずたかですが、来週、大阪府堺市へ引っ越しもあるので、事前に幾つか荷物を名古屋へ持ってくるために、明日は京都へ行く予定です。ということで、今日はその前日で約一ヶ月ぶりの帰省となります。 噂には聞いていましたが、新幹線も相当乗客が減っていて、金曜日の夕方でもホームにいる人はちらりほらりとか。最初は「ホント?」と思っていましたが、本日、東京駅に行ってみたらその噂は本当でした。 この日は、運賃の少し安い「ひかり」を選んで乗りました。のぞみと比べると停車駅は「静岡」が一つ増えますが、時間的には10分弱余分にかかるだけで、のぞみに比べればいつもはやや空いています。ところが今日は、その「やや空いている」を通り越して乗車率は明らかに50%を割り込んでいる有様。混んでいて席の取り合いも大変ですが、あまりにも閑散としていると、少々、侘しい感じもしてきます。 企業の倒産、内定の取り消し、株価の大幅下落など、病気以外の経済的な影響も出てきて、「令和不況」がはじまらないか心配です。景気の良さがいつまでも続くとも思ってはいませんでしたが、こういう形で景気が悪くなるとは誰が予想したでしょうか。JR東海も3月19日(木)~3月31日(火)まで新幹線を一部運休させるといいます。ここら辺りにも、ことの大きさが現れていると感じます。 いずれにしてもコロナの感染が早く収束してくれることを願っています。
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令和2年3月12日(木) ~ No.1184 長男・かずたか 大学を卒業 ~ |
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本来であれば長男・かずたかの通っている龍谷大学で、本日、卒業式が行われる予定でしたが、コロナウィルスの感染拡大防止のために卒業式が中止になってしまいました。 今から4年前の平成28年4月1日(金)に入学式が行われましたが、この日は私も転職した最初の日のため、さすがに初日から仕事を休むわけにも行かず、入学式はカミさんだけの出席でした。「せめて卒業式だけは出席しようかと・・・」と思っていたところ、この有様。親として門出を祝ってやれないのは少々残念ではありますが、卒業式を挙行できなかったということで、長男・かずたかのゼミの連中で祝ってもらったそうです。写真は、カミさん経由でラインで送られてきたものです。なお、卒業証書は、大学のポータルサイトに登録すれば、後日郵送とのことです。
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令和2年3月10日(火) ~ No.1183 鋸山と東京湾フェリー(最終回) ~ |
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(その2)へ 鋸山の山腹には日本寺があり、いろんなルートからこの日本寺に入ることができる各ルートには管理事務所があるようで、そこで入場者に対して600円を徴収するシステムのようだ。この北口にやってくるルートは、これまでレポートしたように、車力道などを楽しむにはもってこいであるが、軽装で登るには無理のあるコース。ある程度の格好をしてこないと痛い目に遭うというもの。従って、この北口から日本寺に入ってくる人は少ないと考えられる。 日本寺北口管理事務所で600円を払うと、それと引き換えにチケット(入場券)と地図を渡される。「日本寺へは初めてか?」と聞いてくるので「そうだ」と返事をすると長々と地図の説明を始める。このルートでやってくる人は少ないから話しをしたいのであろうか。 管理事務所を抜けると、すぐ左手に「百尺観音像」がある。6年の歳月をかけて作られたものとある。百尺なので高さは約30m。陸海空の交通の安全を守るご本尊らしいが、どういういきさつでここに立てられたかはよくわからない。
「百尺観音像」の向こうにも切り通しがある。ここでも石切がされていたようであるが、その切り通しを抜けると上向きの階段があるが、これが今日のメインスポット「地獄のぞき」へ続く階段のようだ。 階段をテクテク登っていくと展望台がある。東京湾などを眺めるには地獄のぞきよりこちらの方がよいようであるが、切り立った崖の先に鼻ののように少し出っ張った先からスリルを楽しむにはやはり「地獄のぞき」まで行くべきだろう。なお「地獄のぞき」への最後の斜面は足下が整備されていないので、脚の悪い人にはお勧めしない。 「地獄のぞき」の感想であるが、あれはほかから見ると「おおっ!」という感じがあるが、その場に立っても崖の先端という意識は低い。「突然ここが崩れたら・・・」と思うと、ドキドキするかもしれないが、これまでも何事もなかったのでその心配はいらないだろう。 土日は長蛇の列ができるというが、この日は時間が早かったせいか、それともコロナウィルスの感染拡大防止のため外出を控えている人が多いせいかわからないが、順番待ちは「ゼロ」だった。
「地獄のぞき」が終わればあとは下山するだけ。 日本寺はいろいろと見どころがある。例えば下山途中に途中に「羅漢石像群」などがある。しかしながら、ところどころに現れる案内の看板にテープで「×」が貼ってある。最初は意味がわからなかったが、どうも拝観ができないと意味らしい。拝観すべきものが崩壊しているのではなく、昨年の台風15号の影響で道中の歩道がところどころで崩壊しているようであり、「羅漢石像群」は全て拝観できないようである。 通れるところだけ通って下ると、大仏広場に出る。ここには坐像としては、奈良の大仏を超えて日本一の大きさ(31m)を誇る大仏がある。まあ、大きければよいというものではないが、こういうところにこういうものがあるという程度で少しだけ見て先を急ぐことにする。この時点で10時25分。
金谷港を11時20分発の久里浜行きフェリーに何とか乗れないかと思い、やむを得ず鋸山ロープウエイで下ることを検討。ロープウエイ乗り場の方に向かって行くが、こちらも「×」の表示が出ている。大仏口管理所でロープウエイ乗り場の行き方を聞いてみたところ、最短ルートは道路が崩壊しているので、一旦山頂展望台方面へ上がってそこから降りていくしか方法が無いという。 せっかく、半分ほど降りてきたところで再び山頂方面へ向かうのは、少々がっかりする。仕方が無いのでそのまま下山を選択し、海岸まで出たところで国道127号線を北上するルートで金谷港へ向かうことにする。あと1時間ほど時間はあるが、11時20分の久里浜行きのフェリーに乗るのは何となく厳しそうになってきた。
JR内房線の線路下をくぐった先のT字路の交差点にでる。ここが国道127号線。房総半島の西側を海岸線に沿って走るロケーションのいい国道だ。 この国道127号線であるが、決して交通量の多い道路ではない。しかしながら鋸山から下りてきたT字路から金谷までの間に、トンネルを3つばかりくぐり抜けるようになっているが、トンネル内には歩道が整備されていない。トンネル内を歩いていると、すぐ脇を自動車が通り抜けていく。自動車も遠慮がちに走っているので冷や汗をかくことはないが、やはり安全性を考えるとここを歩いて通るのはオススメできない。特に夜間などは見通しも悪いので、私のようにトンネル内を歩くとしたら要注意だ。 金谷に向かって歩いていううちに徐々に海岸線が近づいてきた。内房なので、目の前にある海は東京湾をちょうど出た辺り。東京湾と太平洋の接点付近というところであろうか。海は澄んでいてきれいである。岩礁で釣りをしている人も多く見かける。今日は天気もよく、釣りをしていてもさぞかし気持ちのいいことだろう。 さて、鋸山をあとにして、国道127号線をテクテクと歩いていたが、金谷にかなり近づいたところで11時20分発の久里浜行きのフェリーが出発していくのが見える。残念ながら間に合わなかった。まあ、1時間に1本程度出航しているでの焦る必要は無い。 久里浜港に到着したのは11時37分。次の出発が12時25分なので、ここで港で少しゆっくりできる。
金谷港には初めてやってきた。港の隣には、ショッピングモールもある。このモール、比較的新しい感じがするし、船が出発するまで時間があるので少し覗いてみることにする。予想通り、そこには地元の海産物をはじめ、地元の特産品を販売している。観光客にとっては思わず手を伸ばしたくなるようなものばかりが置かれている。また奥にはレストランもあり、港の賑わいを演出する仕掛けはできている。ただし、こういう時期なのでモールはかなり空いていて、店員さんも手持ち無沙汰な感じであった。 モールから港に移動し券売機で切符を購入する。フェリーの所要時間は約40分と短いせいか、乗船名簿の記載は無い。金谷港もモールと同じように土産物売り場があるが、モールと比べるとかなりちっちゃくて地味な感じがする。しかしながら、小さい方が見やすいというメリットもあり、ここでは私の好物の「あおさ」とみそ汁に入れると美味しいという「地のり」を購入。店の規模が小さいとはいえ、侮ることはできない。 12時15分。出航の10分前になったので、乗船することにする。
今回乗船するのは「しらはま丸」。全長79m、総トン数が3,300トンの旅客船。竣工したのが平成元年なので30年選手。見た目はきれいであるが、船齢としては少々高い。 旅客定員680名の船内は閑散としている。土曜日のお昼という時間帯のせいもあるのであろうか。ざっと見たところ30人程度しか乗っていないような感じがする。いつもこういう状態であれば、営業的にはかなり厳しいと思うが、普段はいったいどういう人が利用しているのかが気になる。私のように、興味本位で乗るような人は少ないのではないだろうか。 金谷(千葉県)と久里浜(神奈川県)を結ぶ東京湾フェリーであるが、東京湾に出入りする船とちょうど直交するような形の航路である。それだけに右から左からとやってくる船と衝突しないように注意を払う必要がある。場所が場所だけに運航においても結構気を抜くことができない航路ではないかと思う。 今回、私は進行方向の左前方に座っていたが、ちょうど東京湾から太平洋に出てきたLNG船らしき船が右から左にすれ違っていく。昼中であり、この日は視界も良好なので問題は無いが、濃霧の日などは要注意だろう。 13時近くになると三浦半島がどんどん近づいてくる。 久里浜港は、東京湾を横断してやや左手にある。そのため入港する直前で進路が急に左に変わっていく。久里浜は、千葉県に単身赴任してから2~3回ほどやってきたことがある。いずれも「北下浦ふるさとマラソン大会」の事前の試走と参加後の入浴だ。今回は約2年ぶりの久里浜入りとなる。
久里浜は、ペリーの来航に係る観光がウリの街。久里浜港は、久里浜の街の中心からやや離れたところにあるが、港は港で雰囲気が出ていてよろしい。時間があれば散策するのもよいとは思うが、今回は久里浜港そばの温泉(海辺の湯・久里浜店)に入って海鮮関係を食することが目的だ。 前回来たときもこの温泉には「入浴料+食事」のセットがあったが、今回もお得感があるのでそれ(よこすかアルコールセット)を利用する。入浴料+食事、さらにアルコールまで付いて2,100円なのでかなり値打ちではないかと思う。 ここの温泉の露天風呂は、ちょうど久里浜港の出口付近から房総半島を眺めることができる。露天風呂に入りながら「鋸山はさほど高くはなかったが思いの外、登山道は厳しく、結構疲れたなあ・・・」と感慨にふける。このぼーっとしている時間がよろしい。温泉は、心身を癒やすのには最高の場であるとあらためて感じる。 よこすかセットを食した後、再び久里浜港へ。今度は、フェリー乗り場からバスで京急久里浜駅へ向かう。その先は陸路で京急久里浜→(京急)→東日本橋(乗り換え)馬喰横山→(都営新宿線)→本八幡と乗り継ぎ単身赴任先へ戻っていく。 鋸山登山を含めて東京湾をぐるりと廻る小旅行は天候にも恵まれ、なかなかよかった。私の場合、あまり行き当たりばったりで計画をすることはなく、多少、ゆるめに計画をするのが十八番。単身赴任でいつまで千葉県にいるかはわからないが、ここにいる間はまた面白そうなところを探して、ぶらりと楽しんで見たいと思う。
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令和2年3月7日(土) ~ No.1182 一ヶ月ぶりの陣馬山→高尾山縦走 ~ |
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2月1日(土)以来、約一ヶ月ぶりにお決まりのJR藤野駅→陣馬山→景信山→小仏城山→高尾山→高尾山口の縦走をしてきました。明日は天候が悪いというせいか、それとも屋内はコロナウイルスに感染しやすいので屋外で感染しにくいところを好んだ人が増えたせいかわかりませんが、令和に入ってから一番の混みようでした。 また、体も慣れてきたこともあり、景信山まではまずまずのペースでしたが、その後小仏城山くらいでスタミナ切れ。今回も4時間を切れず。3時間半での縦走はまだ少し先になりそうです。 なお、京王高尾山温泉極楽湯の冬期間で実施している入浴ポイントが5ポイント貯まり、ソフトクリームをいただきました。去年は入浴券と引き換えだったはずなので、この辺りも渋ちんになってしまいましたね
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令和2年3月6日(金) ~ No.1181 鋸山と東京湾フェリー(その2) ~ |
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(その1)へ 「車力道」がはじまる分岐点から富津館山道路の下をくぐり抜け、再び富津館山道路の下をくぐる手前に「車力道」の看板が現れる。ここまでは全てアスファルト舗装であり、車力道らしさが全く見られなかったが、ようやく「車力道」に入ると思うと少々ワクワクする。 若干のコンクリート舗装はあったが、そこを抜けると左右に恐ろしい本数の倒木が見られる。「一体これは?」と一瞬思ったのであるが、もちろん樹木の伐採ではない。根本から倒れていることから、強風で倒れたものに違いない。心当たりとすれば、昨年千葉県内で強風で大きな被害の出た台風15号の影響ではないかと直感的に感じた。 もちろん倒木はそのまま放置されてはいたが、登山するのに支障が無いように登山道を塞がないように登山道からは避けられて処理はされている。ただ、その倒木が放置されている風景は気持ちが良いものではない。処理に時間とお金はかかるだろうけど、鋸山の登山道は貴重な観光資源なので早い復旧と整備を願いたいと感じた次第。
さて、その倒木を左右に見ながら登っていくと「索道跡」に出くわす。この登山道には、ところどころに案内看板が出ているが番号でいえば「Y8-1」というもの。地図もついてるので、おおよそであるがどの辺りにいるかがわかるので私のような準備不足の人間にとってはありがたい。 「索道跡」とは、この看板の案内によると「山頂域の石切場とふもとをワイヤーケーブルで繋いだ石材運搬システム」とある。ロープウエーやスキー場のリフトと同じものであろうか。急勾配の鋸山から切り出した石を麓に下ろすのは重労働。これを主に担っていたのは女性というのであるから驚く。 「索道跡」をあとにして、車力道を登っていく。ようやくこの辺りから、石畳がはじまるが、その石畳が非常に急勾配。また、右に左に大きくカーブしている。人間が歩くのであれば、階段状になっているだろうけど、この車力道。例えていえばボブスレーのコースのようなものだ。かつてはここを80kgもあるような石をネコ車を使って下ろしてきたという
かなり登っていったところで「地球が丸く見える展望台」と「石切り場跡 石舞台」の分岐場所にでる。ネットでは、「素晴らしい絶景であるが、時間と内容を加味して(地球が丸く見える展望台へは)今回は行かない。」とあるので、私もそれに倣い、そちらには行かず「石切り場跡 石舞台」に向かう。 途中、切り通し跡を抜け、まずは観音洞窟へ。こんな高さのところでどうやってこの岩を切り落としていったのであろうか不思議に感じる。いやはや何ともスケールが大きい。 先へ先へと進むと、岩舞台(石切場跡)が現れる。ここがメインの石切場で、この先から索道を使って下ろしてのであろう。かつて、石切に使用していたと思われる機械が、そのまま放置され真っ赤に錆びている。こういうものを目の当たりにすると、時代が変わったことを肌で感じる。朽ちていくのを待っているだけではなく、遺産として何とか残せないかと思う。
石舞台の見学も終わり、鋸山のウリである「地獄のぞき」方面へ向かう。今きた道をそのまま戻り、分岐点を今度は左の方に曲がっていく。ここまでの車力道はお世辞にも足下がよいとはいえなかったが、石舞台から地獄のぞきに向かう登山道は勾配もきつく、こちらも足下があまりよくない。登山道は石の階段になっているところが多く一見歩きやすそうに見えるが、実は石が手前側に沈んでいたり、多くの人が歩いてすり減っていたりして、登るのには少々苦労する。上りも大変であるが、この階段を下るのは足を滑らせそうなので止めるべきだと思う。 登山道にパイプを組んだ手すりを設けたりして、安全対策はされていたものの、それでも登るのは少々大変であった。
何とか苦労して登っていったところでようやく日本寺の北口に出る。ここまでに上から降りてきた登山客は「ゼロ」。下から上がってきて追いついた登山客が2人。鋸山はロープウエイや自動車でもかなりのところまで登れるため、私のようにテクテクと登る登山者はほとんどいないようである。
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