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令和2年5月6日(水)
~ No.1195 フルーツパーラー弘法屋 ~
 東京には「千疋屋」という有名なフルーツショップがあります。商品の値段も結構なところですが、フルーツパーラーはお洒落で、雰囲気もそれらしさを醸し出していますね。

 名古屋は名古屋で”弘法屋”というフルーツショップがあります。調べてみると、デパートにお店を出している「株式会社弘法屋」と覚王山・日泰寺で商売をしている「株式会社弘法屋本店」と二つあります。社歴をみるとどちらも大正14年(1925年)に「弘法屋」として創業とあります。理由はわかりませんが、途中で二つに分かれて商売をしているようですね。どちらもフルーツショップは"弘法屋"という地域ブランドを大切にして商売をしている感じがします。

 先日、「弘法屋のマンゴーをまるごと使用したパフェがあるのでそれを食べよう!」とカミさんと長女・ゆかこが言うので親子3人で出かけました。場所は、池下の名鉄パレにある「フルーツパーラー弘法屋」です。千疋屋と比べるとお洒落さは???ですが、そこはぐっとこらえましょうか。少々こぢんまりとした感じのお店ですが、メニューはフルーツものがたっぷりです。
 今回は、目的が「マンゴーパフェ」だったので、私と長女・ゆかこは迷わず「マンゴーパフェ(季節限定)」、カミさんはなぜか遠慮がちに「フルーツパフェ」を注文。ショーケースからフルーツを取り出して、パフェを作っているので少々時間はかかります。待つこと15分くらいでしょうか「おおっ!」という感じでパフェが登場!「コーンフレークが入っていないね(そりゃそうだよ!)」とか、ちょっと視点は違いますが3人がそれぞれ楽しみました。味の方はって?そりゃあ、言うまでもないですよ。ちょっと高い感じはしますが、一度ご賞味あれ

この日は親子3人でおでかけ。
 
フルーツパーラー弘法屋さんは、池下の名鉄パレの中にあります。席数も少なくこぢんまりとした感じです。

これが季節限定のパフェ!宮崎産のパフェをまるごと1個使用したマンゴーパフェ
 
こちらは、いろんなフルーツが入った冷蔵庫です。美味しそうですね。マンゴーもここから取り出して調理をしたようです。

15分ほど待ったところで出てきた実物。う~ん、コーンフレークが入っていない(笑)

こちらはカミさんが注文したフルーツパフェ(1,500円)。こちらはこちらで食べてみたいですね。
 
あっという間に、お腹の中に消えてしまいました。たまにはこういうお金の使い方も良いですね。
令和2年5月5日(火)
~ No.1194 鯉のぼり ~
 先日、早朝、矢田川沿いを自転車に乗っているところ見かけました(印場橋そば)。コロナの影響で世の中、元気がありませんが、鯉のぼりくらいは景気よく泳いで欲しいですね。
令和2年5月4日(月)
~ No.1193 相続(預金) ~
 昨年11月に母親が亡くなり、取り急ぎいろいろと手続きをしたところですが、残すのは相続の手続きです。相続すべきは「銀行の預金」と蒲郡市に残った「土地・建物」の2つです。今回、手始めに銀行の預金の相続をすることにしました。

 とはいえ銀行の預金については、平成25年10月に母親が自宅で骨折して蒲郡市民病院に入院して以来、実質、私が管理していたので、あらためて相続の手続きをしなくともそのまま引き落としても良いのですが、普通預金以外にも定期預金など何かあるかもしれないので、今回は真面目に相続の手続きをすることにしました。

 ネットでも銀行預金の相続の手続きはできますが、銀行の窓口に出向き説明と、相続に係る手続きの用紙をもらいました。また、説明書には次の書類の提出が求められています。
  相続届
  亡くなった人の出生から死亡までの連続した戸籍謄本
  相続人の戸籍謄本
  相続人の印鑑証明書
  亡くなった人の通帳・証書・キャッシュカード・貸金庫の鍵など
 ①は、銀行でもらいました。⑤も手持ち。②~④は役所に出向いて揃えなければいけません。②については、一部は既に取得していましたが、全部となるとどれだけ手間がかかるか皆目見当が付きません。③の私の戸籍謄本も、蒲郡市→名古屋市と移っているので、こちらも集める必要があります。
 ということで、4月のある日、蒲郡の実家の樹木の剪定をするついでに蒲郡市役所に出向いて、母親の戸籍(原戸籍)を取りに行きます。

 市役所の人には「相続」である旨を説明して調べてもらいました。母親は一度離婚しているという話しは本人から聞いていましたが、元戸籍から移った先の戸籍は何と「名古屋市熱田区」。その後離婚して、蒲郡市の親の戸籍に復籍。その後、父親と再婚し戸籍は「岡崎市」へ。その後、父親とともに蒲郡市へ戸籍を写し現在に至るということがわかりました。この間に戸籍法が2回変わり(昭和33年頃、平成28年)、戸籍の所在地は変わらねど、昭和33年は家族制度(家督制度?)の変更により記載内容が変更され、また、平成28年は様式や記載方法が変更になり、それぞれ余分に1通ずつ取得しなければならないことになりました。

千種区役所。たま~に用事があって行くことはあります。
 
こちらは蒲郡市役所。現在は、私の戸籍が残る程度のお付き合い。

岡崎市役所は初めてやってきました。私の戸籍の始まりは岡崎市になっています。
 
岡崎のゆるキャラ「オカザえもん」が市役所の一角に立っています。

岡崎市役所で戸籍関係の証明書の発行は東庁舎にて。こちらは新しくてきれいでした。
 
①~⑤の関係書類。戸籍謄本が9通、印鑑証明が1通。役所で集めた書類だけで5,000円程度はかかっています。

 結局、蒲郡市役所のほか岡崎市役所にも。また千種区役所にも二度ほど出向き、戸籍をかき集めるのに少々骨が折れました。あとで、「●●が足らない」と言われるのが面倒なので、一つずつが繋がるのか慎重に確認をしながら・・・そして、満を持して銀行へ出向き手続きをしました。かき集めた戸籍謄本については、向こうでコピーをとってもらいその場で返却してもらいました。2~3週間ほどで手続きは終わるそうです。

 今回、教訓として残るのは「戸籍はやたらと動かさない」ということですかね。相続する人間が集めるのに苦労しますので・・・。
令和2年4月27日(月)
~ No.1192 梅酒造り ~
 2週間前に、梅の木に実が成ってきたことを報告しましたが、昨日、梅の木を剪定するついでに梅の実を集めることにしました。剪定をしながらの作業なので2時間ほどかかりましたが、梅の木はサッパリ。また梅の実は、何と1リットル入るラーメンどんぶりに何と4杯分も取ることが出来ました。予想通りの大収穫

 カミさんがネットでレシピを確認したところ、「梅1kgに、①5リットル瓶1本、②氷砂糖500~800g、③ホワイトリカー1.8リットル」とか。梅の重さがわからないので、梅が2kgと仮定してアピタ千代田橋店で適当に見繕って道具などを購入することにしました。
 結果「①ガラスの瓶(4リットル×2本)、②氷砂糖(1kg)、③ホワイトリカー(1.8リットル×2本)」で作ることに。そして、昨晩、梅を2時間ほど水に浸し、昨日の夜から今日一日かけて乾燥させて準備完了。夕食後にカミさんが、さっそく作業を開始。準備ができれば、作業は15分ほど。冷暗所で6ヶ月~1年くらいでできあがるそうです。とりあえず、来年の今頃に開封ですかね。自家製梅酒、一体どんな味でしょうか。楽しみがまた増えました。

2週間前とは違ってまさしく新緑萌ゆる、急激に葉が出始めました。
 
梅の実も若干大きくなった感じ。ちょっと早いかもしれませんが、梅の木の剪定と合わせて収穫することにしました。

こんな感じにラーメンのどんぶりに一つずつ集めていきました。
 
剪定と収穫で約2時間。終わった頃には少し暗くなってしまいました。

獲れたのは、ラーメンどんぶりに4杯分。大収穫でした。水で2時間ほどあく抜き。
 
アピタ千代田橋店で梅酒造りの、瓶、氷砂糖、ホワイトリカーを購入しました。

お盆に移し替え、約24時間乾燥させました。

カミさんがやりたがっているので、任せました。梅と氷砂糖は、交互に敷き詰めるとか。地層ができる感じですかね。
 
最後にホワイトリカーを入れてできあがり

4リットルの瓶で2本ができました。
 
冷暗所で半年から1年でできあがります。台所の床下収納にしまうことにしました。半年後か1年後には、また報告させていただきます。
令和2年4月13日(月)
~ No.1191 梅に実が成っています ~
 名古屋の自宅に戻ってきてはや2週間。テレワークも板について来ました。
 往復の通勤時間は無くなったほか、通勤ための準備(着替え)時間も不要となり、そのあたりの時間は増えましたが、テレワーク中のメールの数が異常に増えています。出社時は、一日平均で50件程度のメールの受信量でしたが、テレワーク後は80~130件程度に増えています。平均して100件程度でしょうか。まあ、見ているだけでも一日終わってしまうような勢いで、これには少々まいっています

 あとはWebexやスカイプを使用した会議が増えました。集まって会議をしていたときと比べるとかなり密度が落ちています。その割に時間がかかる・・・。
 4月は、私の部署では一年のうちで一番閑散期なので、今の調子でもまだ良いのですが、当然ですがこの調子で一年が終わるわけではありません。そういう意味では、テレワークが長期化すると仕事のペースが落ちていくのが見えているような気がします。テレワークは9:30~17:30という制限がありますが、時間外でもメールで送られてくる資料の確認などやることは多いので、決してヒマではありません。(カミさんは、一日家にいるから遊んでいるように勘違いしていますが

 さて、テレワークで引きこもりが続いてはいますが、わが家の木々の生長は毎日楽しむことができます。
 2月に白い花をたくさん咲かせていた梅の木ですが、現在は直径1cmほどの実がたくさん成っています。先日は、シジュウカラが3羽ほど飛んできて、梅の木に留まっていました。梅の実を食べたかったのでしょうか。カミさんも「これだけ成っているんであれば、今年は梅酒を作ろう」と言い出しました。
 かつて、実家で母親が梅酒を自家製で作っていたことがありますが、それ以来となります。約45年ぶりくらいでしょうか。実がもう少し大きくなるのを待って、梅酒造りを始めようと思います。
 

見ての通り、たくさんの実が成りだしました。もともとはマラソン大会の参加賞でもらってきたものですが、ここまでくると嬉しいですね。
 
こちらは紫陽花。毎年剪定しますが、こちらも毎年毎年きれいな花を咲かせてくれます。あと1ヶ月半くらいですかね。こちらも紫陽花まつりでもらってきたもの。
令和2年3月29日(日)
~ No.1190 テレワーク開始 ~
 先週木曜日の小池東京都知事の週末の外出の自粛要請があったのはご存じかと思いますが、昨日の都内のコロナウィルスの感染者が63人と前日の1.5倍の数に跳ね上がり、都内もかなりヤバい状態になってきました。
 また私の単身赴任先の千葉県でも、私の仮住まいの市川市のお隣の船橋市でクラスター感染が発生。こちらは58人の感染者。場所が施設の中とはいえ、二次感染が発生すればひとたまりもありません。

 テレワークに腰の重かったわが職場もようやく準備が整い、来週からテレワークがはじまることになりました。やや遅い感じもしますが、やらないよりはマシ。金曜日は職場の重たいノートパソコンを持たされ帰宅しました。

 先ほども申したように、都内のコロナウィルスの感染者の状況については改善の兆しが見えず、テレワークがはじまったので、それを利用してしばらくの間は名古屋で仕事をすることにしました。単身赴任がもうすぐ4年を終えようとしているところですが、4年前にこんなことが発生すると誰が想像したことでしょうか。
 ということで、急遽、名古屋に戻る次第です。

午前中に帰省の準備をしていたこともあり、出発が遅くなってしまいました。
 
本八幡14時ちょうどの列車に乗りましたが、見ての通りガラガラ。

都営新宿線、東京メトロと乗り継いで東京に来ました。丸の内線改札口とJRの改札口を結ぶ連絡通路も見ての通りガラガラ。
 
日曜日の昼間というのに、JRの改札口も人影がまばら

東京駅の新幹線ホームも人が少ないですね。
 
乗客が少ないことを考慮して、今回は安い自由席に。こちらも予想通りガラガラ。自由席の乗車率は30%くらいでしょうか。

多摩川を過ぎて神奈川県に入ったところ、今朝から関東地方は雪でした。この時期としては珍しいですね。
 
東京14:51→名古屋16:31の「のぞみ95号」は定刻に名古屋駅に到着。

名古屋駅のホームも人がまばらな感じですね。

泥江町(ひじえちょう)の交差点です。名古屋駅から乗った基幹バスの車窓から桜の開花の様子が見えました。
令和2年3月26日(木)
~ No.1189 東京の桜は今が満開 ~
 昨日は東京都内で新型コロナウイルスの感染者が41人新たに発生したと報じています。また、昨日の午後8時には小池東京都知事が週末の外出の自粛等について報道発表しています。東京のような人口密集地でこれまで感染者数が第1位でなかったのは不思議なくらいで、徐々に「隠れ感染者」があぶり出されてきそうな気がします。

 とはいえ、植物はコロナウィルスとは全く関係なく、例年通りにすくすくと成長を続けています。
 都内の桜は、名古屋や京都よりも早く開花宣言したこともあり、現在はほぼ満開の状態です。残念ですが、こういう状況なので、今年は花見もおおっぴらにはできそうもないですね。

 その桜ですが、職場(東京都港区虎ノ門)近くの交差点の角に桜の木が一本生えています。花見をするような場所に生えているわけではありませんが、この時期毎日、目の保養にはいい存在であると思っています。最後に本題のその桜について本日は紹介いたします。
令和2年3月25日(水)
~ No.1188 東京での歯科通い ~
 
 先日の日曜日(22日)、名古屋の家でテレビを見ながらポテトチップスを食べていたところ、「ガリッ!」と小石を噛んだような衝撃が口内に走りました。「何の異物?」と思って口から異物らしきものを吐き出して、じっーと見てみると、それは自分の歯の詰め物ではありませんか「ポテトチップスごときの食べ物で詰め物が取れるとは・・・」と、少々ガックリ。
 これまでも何度か詰め物が取れたことはありましたが、本当に久し振り。いつ以来か覚えていないくらい久し振りです。しかしながらよく考えると、この詰め物が取れてしまうための伏線がありました。

 今まで、詰め物が取れてしまう場合、私の場合のきっかけで一番多かったのが「キャラメル」です。詰め物の上に、あの固いキャラメルを噛むとどうも接着剤の強度を超える応力がはたらいて、詰めものが取れてしまうようです。最近はキャラメルなどは食べることはありませんが、食べるとしても噛まずに舐めるようにしています。
 今回の犯人はおそらく間違いなく「井村屋あずきバー」でしょう。名古屋界隈では「井村屋のあずきバー」は有名なので「ああ、なるほどね」と思うこのサイトの読者もいるかもしれません。私の好物の「あずき」がたっぷり入った安い商品ですので、名古屋に帰るとついつい食べてしまいます。

 ただ、このあずきバーですが、実はなかなか固い食べ物。煎餅のような堅さではなく、粘りっけのある堅さです。金属材料的にいえば「靱性(じんせい)」があるといってもいいでしょうか。煎餅とかアイスキャンディーは、固くても割とパリッと割れます。金属材料的にいえば「脆性(ぜいせい)」があるといえるものかもしれません。
 ちなみに、あずきバーのサイトには『※ 固く凍っているため、歯を痛めないようにご注意ください。』と注意の警告があります。私のような人も相賀もしれませんね。

 それはさておき「はて、治療はどうしようか」と困り果てる私。歯医者といえば、前の職場のそばにはいつでも行くことが出来る「三の丸クリニック」というところがあったので、すぐに直行していた。しかしながら今回は3連休が終われば再び上京する。治療するにしても職場近くの歯科医院にした方が良さそうだ。

 ネットで調べたところ、現職場近くには歯医者は何軒もあったので、この中から選ぶことにする。歯医者の評判は、職場の人に聞けばすぐわかるが、そんなことをしていると時間ばかり経過してしまう。おまけに現在は時差出勤なので、夕方の時間帯の診察・治療は無理。いろいろと考えてみたが、評判も何もわからないので「予約のできるところ」を優先して決めることにした。
 私の職場の最寄り駅である東京メトロ・神谷町駅の2番出口すぐのところに、その名も「神谷町駅前歯科」という歯科クリニックがあり、場所もわかりやすくE-PARKによる事前予約ができることがわかったので、ここを利用することにした。

東京メトロ・神谷町駅2番出口のすぐ隣にあります。わかりやすい場所ですね。
 
1階は飲食店。階段を上がった2階にあります。きれいな感じですね。

 22日(日)うちに24日(火)の午前10時で予約。
 当日行ってみたところ、駅の出口のすぐ横のビルの2階にあった。階段を登ってドア開けると目の前は受付。待合室らしきところには3人程度しか座れないソファが一つ。基本予約診療だから、広い待合室がいらないということだろうか。「10時の予約の加藤です」とお願いすると、初診者が受付で書く問診票に所要事項を記入。


診察券も作ってもらいました。これでまたカードが一枚増えることに・・・
 予定の10時になったところで診療開始。「斯く斯く然々こうこうで」と説明。最初に説明した相手は歯科技工士さん?しばらくしたところでネットに出ている女医の院長が登場。西川史子にちょっと似た感じの先生だ。年齢はわからないが、30代というのはちょっと厳しいだろう。

 院長による口内の全般の目視で診察のほか、CTで口内全体を、またレントゲンでは今回詰めものがあった部分のみを撮影。その後、全体の説明をしてもらったほか、該当箇所については、詰めものを戻しても隙間があるので、再度詰めものを作って処置した方がよいとのこと。

 1回目は約30分で終了したが、あと3回ほどは係るとのこと。4月上旬くらいまでは、この歯科に通うことになりそうだ。
令和2年3月24日(火)
~ No.1187 長男・かずたかの引越(最終回) ~
 3月18日(水)に引越業者に荷物を搬出してもらい、4年間住んだワンルームマンションは空っぽ。引越先の大阪府堺市には3月21日(土)の夕方に到着するということで、引越先の環境を見がてら、あと2年京都に住むこととなるち長女・ゆかこも引き連れて親子4人で堺市に行き、引越の手伝いをすることにしました。

【3月20日(金)】
 朝出かけるのに少しモタモタしていたこともあり、出発は午前9時。東名阪の事故通行止めの影響で、新名神に自動車が流れてきたこともあり、珍しく新名神が渋滞。また、この日は3連休で好天も重なり京都市内も人が多かったような気がします。

 大学で所要があるということで、一旦大学へ。そのあと、名残惜しそうに、下宿先に行ってみました。確かに荷物は全くなく空っぽ。4年前に下見に来たことを思い出すと年月の経つのは早いと感じた次第です。
 その後、長女・ゆかこの住む二条へ。親子4人が揃い、昼食を摂ってから、清水寺に行くことにしました。清水寺は、昨年末にも行っていますが、今回はそのときと違い足場が外れて久し振りに清水寺の全容が見えるようになりました。相変わらず観光客が多く、京都の観光名所であることを再認識した次第です。

 そのあと、京都市内のイオンモールを2軒ハシゴして、カミさんは長女・ゆかこの下宿先で、私と長男・かずたかは京都御所そばのホテルで1泊。

先週、京都を往復した後、燃料を入れていなかったので、高速に乗る前に満タンに。この店はレギュラーが129円/リットルと安いです。京都は名古屋と比べると燃料が高いのでなるべくここで入れるようにしています。
 
この日は道路が混んでいました。正午過ぎ、長男・かずたかが大学に用事があるというので、まずは大学へ行きました。龍谷大学の深草校舎は立派な建物ですね。

学業の成績は大したことはありませんでしたが、学生時代には大学以外で学んだことがたくさんあったようです。来月から社会人になりますが、親以上に活躍して欲しいですね。
 
先週、引越のために片付けを手伝ったところですが、念のため部屋に行ってみることにしました。

ここにやってくるのも、これが最後でしょう。
 
部屋の中は片付けられて空っぽ。4年前に持ってきた電灯は外され撤去されていました。

長男・かずたかの住んでいたマンションから東方を臨んだところ。盆地の京都らしい風景ですね。
 
二条にある長女・ゆかこの下宿先に迎えに行きました。これで4人が集まりました。

お昼は「じゅうじゅうカルビ・五条高倉店」にて。食べ放題ではありません。
 
今日の目的地の一つ「清水寺」にやってきました。三連休とあって、人出は多かったですね。

いわゆる「清水の舞台」。年末に来たときは、この辺りは足場だらけでしたが、すっかり外されきれいになっていました。
 
この辺りでは、新調された「萱葺きの屋根」がよく見えます。新しいだけあって、この毛並みというんでしょうか、がきれいに整っていますね。

御朱印帳に記帳してもらってご機嫌なカミさん。
 
下から見るとこんな感じ。何度見ても、素晴らしい造りですね。

下から見上げたところ。
 
清水寺の参観も終わり、下っていきます。

途中に抹茶関係が美味しそうなお店があったので、立ち寄ってみました。
 
こちらは、抹茶ラテにタピオカが入っています。なかなかよかったです。

夕食はイオンモール桂川にて。郊外の巨大なショッピングモールですが、キリンビール京都工場の跡地とか。
 
長女・ゆかこのオススメで、鰹の美味しいお店で食事をしました。和食は私の口にあいます。なかなかいい感じのお店でした。この後、カミさんと長女・ゆかこを二条の下宿先に送り、私と長男・かずたかは京都御所そばのホテルで宿泊。

【3月21日(土)】
 長男・かずたかが下宿そばの歯医者に行くというので送っていきます。治療中に二条に向かい、カミさんと長女
ゆかこを迎えに行きます。二人を乗せて再び、歯医者に向かいますが、気がつけば、昼近くになってしまったので、名神・京都南ICそばの店で昼食を摂ることにします。
 昼食後、一旦大阪府吹田市にある不動産屋で手続きを、その後に大阪府堺市へ向かいます。移動ルートとしては京都南→(名神)→豊中、せっかく吹田に来たので万博記念公園の太陽の塔をみて、その後中国池田→(中国道、阪神高速)→住之江も高速が繋がっているので、移動にはさほど苦労しません。

 長男・かずたかの下宿先には午後3時少し前に到着。
 ただし、部屋の前に予防用?として設置してある南京錠の鍵を管理会社が持って行ってしまっていたため、部屋の中に入ることができません。30分ほどして、管理会社、引越業者が到着。引越作業がはじまりました。
 荷物の搬入は引越業者が行うものの、搬入した荷物の組み立てなどは手伝ってやります。
 ある程度形ができたのが夕方。とりあえず、寝るだけなら大丈夫というところにまでこぎ着けました。

 今回の引越先の最寄り駅は、南海電鉄の「七道」駅。大阪市内から南下して大和川という川を越えた最初の駅です。普通しか停まらない駅のようですが、昼中でも1時間に4本程度の列車があります。難波までは13分。近鉄なんばから近鉄特急に乗れば名古屋まで2時間ほどというところです。

 しばらくはここで生活をすることになりますが、駅まで徒歩でも7~8分。近くにはイオンモールの大型ショッピングセンターもあり、一人暮らしの人間が生活に困ることはなさそうです。
 モールで夕食を撮って、買物をして堺をあとにしたのは20時30分。そこから住之江→(阪神高速、近畿道、第二京阪)→上鳥羽と乗り継いで、長女ゆかこの下宿先の二条に着いたのは約1時間後の21時30分。さらに京都東IC→(名神、新名神、伊勢湾岸道、名二環)→上社南と乗り継いでわが家に帰ってきたのは23時30分。明日は車検があるので、何とかこの日のうちに名古屋まで戻ってこないといけません。

こちらが私と長男・かずたかが宿泊した「ザ・パレスサイドホテル」。名前の通り、京都御所の西側にあるホテルです。
 
通りに面したところは、お洒落な感じに整備されています。シングルが通常6,700円のところ3,600円(税抜き)で泊まれました。コロナの影響で宿泊客が減少しているせいか、かなり値下がりしていますね。二人でも7,200円です。

長男・かずたかが通っていた歯医者。土日営業しているのがウリのようです。
 
長男・かずたかが歯医者で治療中の時間を使って、長女・ゆかこの下宿先にカミさんら2人を迎えに行きました。

お昼近くになったので、昼食を摂ることにしました。京都ではよく見かける「天下一品」へ。かずたかの大学の近くの天下一品は無料のトッピングが豊富ですが、ここの店舗はややフツーな感じ。
 
天下一品の得意なこってりラーメン

ラーメン大好き親子。この後、名神・京都南ICから高速で大阪府吹田市内へ。不動産屋で手続きをしてから南下して、マンションのある大阪府堺市に向かいます。
 
管理会社と鍵のトラブルが少しありましたが、15時30分から引越を開始。荷物が次々と運ばれていきます。

長男・かずたかの部屋からの風景。近くに阪神高速でしょうか、見えますね。騒音は特にありません。
 
こちらは公営住宅と一軒家ですかね。住宅の多いところのようです。

今回の間取りは、1DK。6.5畳と5畳の2部屋で、家賃は51,000円と安いですね。(共益費とかは別)
 
ベッドが置かれ、少しずつ位置が決まっていきます。

この辺りの段ボールは、長男かずたかが自ら開封することになります。
 
夕食は、近くにイオンモール堺鉄砲町という、これまた大型のショッピングモールがあったので、下見を兼ねて出かけました。ここは4年ほどまえにできた新しいモールで、ダイセル㈱堺工場の跡地ということです。昭和57年に大爆発事故を起こしているので、現在はモールとなって住民にとっては安心かもしれません。

回転寿司は手軽で良いですね。名古屋にもあるチェーン店です。この後、少し買物をしてかずたかを下ろしました。この日から大阪府堺市での一人暮らし開始です。
 
この2日でかなり走ったので、京都市内で給油。この後長女・ゆかこの下宿まで送っていき、私とカミさんは名古屋へ帰りました。名古屋に着いたのは23時30分頃です。

【3月22日(日)】
 今日はN-BOXの2回目の車検。購入してからもうすぐ5年というから時間の経つのは早いですね。
 10時にディーラーに持ち込み、軽く打ち合わせ。5年で走行距離が僅かに30,000km。今週と先週で京都を2往復したので、ここ2週間でおそらく700kmくらいは乗ったのではないでしょうか。一年あたり、平均すれば約6,000km。ここ2週間で一年に乗る10%以上の距離を乗ったことになります。

 そうであっても走行距離が少ないので、ブレーキパッドやバッテリーの交換は見送ることにしました。ただし、タイヤの外側が減っているので交換。こちらは車庫入れの関係で、どうしてもすえ切りが多くなるのでやむを得ないかと。走行距離も少ないので、このままあと5年くらいは引き続き乗ることになるかと思います。

車検はホンダカーズ愛知・瑞穂店。長いお付き合いになったセールスマンがここに在籍しています。
 
N-BOXの代車で借りたのが、N-WGN。走りはN-BOXより軽快でした。夕方、車検が終わりました。トータルで10年くらいはN-BOXに乗るんでしょうか。

【3月23日(月)】
 久し振りの出勤日。時差出勤で、基本的に11時30分が始業なので、名古屋を出るのもゆっくりできます。
 この日乗ったのは”のぞみ216号”で名古屋9:14→東京10:54。相変わらず車内はガラガラ。
 コロナウィルスの感染拡大防止の一環で、時差出勤が導入されるようになりましたが、これを機会にテレワークについても検討を進めていったら良いかと思います。

11時30分出勤なので、自宅を出たのは8時15分過ぎ。名古屋駅からの新幹線も9時14分発の「のぞみ216号」で十分間に合います。
 
この日は富士川の向こうに富士山が見えませんでした。たまにはこういう日もあります。

10時54分。東京駅には定時に到着。この日の車内の乗車率は、50%以下だったように思います。
 
これから東京→霞ヶ関→神谷町と地下鉄で移動し出勤です。次回の帰省はGWの予定です。
令和2年3月19日(木)
~ No.1186 長男・かずたかの引越(その1) ~
 3月12日(木)に無事に大学を卒業した長男・かずたかですが、4月から就職の関係で大阪府堺市に引越をします。現在借りているところの契約は3月20日(金)まで。それまでに荷物の搬出をしなければなりません。
 快適な暮らしをしようとすると、どうしても荷物が多くなりますが、引越をすると意外と使わなかったものが多く現れ、無残にも捨てられることになります。ある意味、引越は身の回りを整理するいい機会なので、お金さえかからなければ時々引越をするのもいいかもしれません。

 引越業者は3月18日(水)の夕方、荷物の搬出にやってくるので、その前にカミさんと私で荷物の整理を手伝ってやりました。さすがにワンルームマンションなので、荷物の整理を始めると足の踏み場がなくなってしまいます。2時間ほどでしたが少しばかりは部屋が片付き、堺行きの荷物と名古屋行きの荷物の整理が少し付きました。
 残りの作業は3月18日(水)の引越当日にカズタカ本人が行い完了。4年間住み慣れた城を明け渡したという気分でしょうか。4年間住んでいたので愛着が湧くのは当然でしょうが、次の行き先も決まっているので前を向いて進んでいかねばなりません。

 今晩、再び名古屋に帰省し、明日は親子3人で一旦京都へ。京都で一泊し、明後日は大阪府堺市で引っ越し先の整理を行う予定です。
【3月14日(土)】

早朝、9時半頃に京都に到着。長女・ゆかこのところに行くものの「眠い」ということで、カミさんと二人で三十三間堂へ。
 
三十三間堂は、小学校6年生の修学旅行以来実に45年ぶり。昔来たときの記憶はほとんどなかったので、実に新鮮な感じでした。内部は写真撮影が不可なので建物の外からのみの写真となります。

京都府庁の前だけ通ってみました。こちらの建物は明治37年(1904年)に竣工した「京都府庁 旧本館」。100年以上前に建築された古いものですが、京都市内に現存する国宝級の建築物と比べれば、新参者かもしれません
 
京都御所にも行ってみました。

駐車料金は取られるものの、入場は無料です。
 
受付で首からかけるカードを渡されます。
 

京都御所をあとにして、一旦、長男・かずたかの住むマンションへ。近所のラーメン屋で親子3人で昼食。その後、長女・ゆかこのマンションへ行き、これで親子4人が勢揃い。カズタカは、バイト先に置いてきた原付を取りに四条へ、その後河原町、西院に立ち寄り再び二条へ。ここでカミさんと長女・ゆかこを下ろして私は円町のホテルへ、。夕方6時に千本三条本店の焼肉屋「弘(ひろ)」に集合。

こちらが、その「弘(ひろ)」。京都市内だけで営業している焼き肉屋さんです。構えは和風で京都らしいです。こちらは千本三条本店。

店内の様子。なかなか予約が取れないお店で、この日は運良く取れました。コロナウイル感染問題とは関係なくお店は大盛況です。

お肉の調理が凝っていますね。

こちらは牛タンをマンゴーぽく見せるために上手に切れ目を入れています。

卒業祝いに、長男・かずたかに現金をプレゼント。金額は内緒ですが・・・

食後はJR二条駅前のコメダ京都二条駅前店へ。愛知県民ですなぁ

季節限定の「小倉ノワール」。美味しい!この日はこれで解散。

【3月15日(日)】

次の日、長女・ゆかこのマンションで泊まっていたカミさんを拾って長男・かずたかのマンションへ。下見に来たときから数えて4年が経ちました。早いものですね。
 
長男・かずたかのマンションから東の方を臨んだところ。4年前と同じ景色ですね。伏見稲荷も近いです。

左のドアの向こうはトイレと風呂。正面がメインの部屋です。
 
荷物をまとめ、徐々に段ボール箱が積み上がってきました。ある程度まとまったところでこの日の作業は終了。親子3人で一旦名古屋に帰ります。

【3月16日(月)】

この日は自宅から出勤。子どもたちの通っていた千種台中学校の横を通り、地下鉄・自由ヶ丘駅に向かいます。ハクモクレンが咲く時期になりましたね。
 
地下鉄で自由ヶ丘→栄→名古屋へと移動。

時差出勤のためいつも乗る新幹線よりも2時間ほど遅いです。
 
この日の利用は、名古屋8時59分発の「のぞみ214号」。

出発する時間が遅いこともありますが、コロナの影響で車内はガラガラ。
 
この日は天気もよく富士山はくっきり。

東京駅には定時の10時36分に到着。
 
11時から経済産業省で打ち合わせがあるので急ぎ足で移動します。

【3月19日(木)

今週は20日(金)が春分の日のため、4日間の出勤。18時半過ぎに職場を出て、この日利用したのは東京発19時18分の「のぞみ445号」。
 
夕食は先週と同じお店で買った「麵飯セット(エビチリ)」。こちらもとても美味しかったです。

名古屋には定時の20時54分に到着。先週よりも少々乗車率は高かった感じです。
 
家に帰ってくると、カミさんと長男・かずたかが居間で遊んでいました。明日は午前8時頃に出発の予定です。
令和2年3月13日(金)
~ No.1185 東京→名古屋、明日は京都へ ~
 昨日、大学を卒業した長男・かずたかですが、来週、大阪府堺市へ引っ越しもあるので、事前に幾つか荷物を名古屋へ持ってくるために、明日は京都へ行く予定です。ということで、今日はその前日で約一ヶ月ぶりの帰省となります。

 噂には聞いていましたが、新幹線も相当乗客が減っていて、金曜日の夕方でもホームにいる人はちらりほらりとか。最初は「ホント?」と思っていましたが、本日、東京駅に行ってみたらその噂は本当でした。

 この日は、運賃の少し安い「ひかり」を選んで乗りました。のぞみと比べると停車駅は「静岡」が一つ増えますが、時間的には10分弱余分にかかるだけで、のぞみに比べればいつもはやや空いています。ところが今日は、その「やや空いている」を通り越して乗車率は明らかに50%を割り込んでいる有様。混んでいて席の取り合いも大変ですが、あまりにも閑散としていると、少々、侘しい感じもしてきます。

 企業の倒産、内定の取り消し、株価の大幅下落など、病気以外の経済的な影響も出てきて、「令和不況」がはじまらないか心配です。景気の良さがいつまでも続くとも思ってはいませんでしたが、こういう形で景気が悪くなるとは誰が予想したでしょうか。JR東海も3月19日(木)~3月31日(火)まで新幹線を一部運休させるといいます。ここら辺りにも、ことの大きさが現れていると感じます。

 いずれにしてもコロナの感染が早く収束してくれることを願っています。

今日は東京駅を19時33分発の「ひかり531号で帰省。「ひかり」の方が、のぞみよりも若干安いです。名古屋は21時17分到着なので、所要時間は1時間44分なので、最速ののぞみと比べると10分弱遅いだけです。
 
東京駅を出発直後の車内。品川、新横浜と少しばかり乗客は乗ってきましたが、満員にはほど遠い状態。

今日は若干、時間に余裕があったので、東京駅の地下で弁当を探してみました。こちらは「過門香弁当(牛オイスター)」という商品で950円。麻婆豆腐が辛かった
 
ひかりのため、数少ない乗客が途中の静岡で降りてしまい、名古屋に到着する寸前では、ガラガラになりそうな感じです。

名古屋には定時の21時17分に到着。
 
名古屋駅で降りる乗客もまばら。金曜日の夜のこんな風景は初めてです。
令和2年3月12日(木)
~ No.1184 長男・かずたか 大学を卒業 ~
 本来であれば長男・かずたかの通っている龍谷大学で、本日、卒業式が行われる予定でしたが、コロナウィルスの感染拡大防止のために卒業式が中止になってしまいました。

 今から4年前の平成28年4月1日(金)に入学式が行われましたが、この日は私も転職した最初の日のため、さすがに初日から仕事を休むわけにも行かず、入学式はカミさんだけの出席でした。「せめて卒業式だけは出席しようかと・・・」と思っていたところ、この有様。親として門出を祝ってやれないのは少々残念ではありますが、卒業式を挙行できなかったということで、長男・かずたかのゼミの連中で祝ってもらったそうです。写真は、カミさん経由でラインで送られてきたものです。なお、卒業証書は、大学のポータルサイトに登録すれば、後日郵送とのことです。
 来月からは社会人。現在住んでいる、マンションも3月18日(水)に引っ越し業者が来て退去の予定です。引っ越し先は大阪府堺市の予定。名古屋に持って帰る荷物も幾つかあるでしょうから、週末は京都に出かけて一部の荷物を持ち帰ってくる予定です。
【長男・かずたかの学生生活の歩み】
出来事  年月日 年齢
大学 卒業 令和2年3月12日 23歳
入学 平成28年4月1日 19歳
高校 卒業 平成27年2月27日 18歳
入学 平成24年4月6日 15歳
中学校 卒業 平成24年3月8日 15歳
入学 平成21年4月7日 12歳
小学校 卒業 平成21年3月19日 12歳
入学 平成15年4月7日 6歳
令和2年3月10日(火)
~ No.1183 鋸山と東京湾フェリー(最終回) ~
(その2)へ

 鋸山の山腹には日本寺があり、いろんなルートからこの日本寺に入ることができる各ルートには管理事務所があるようで、そこで入場者に対して600円を徴収するシステムのようだ。この北口にやってくるルートは、これまでレポートしたように、車力道などを楽しむにはもってこいであるが、軽装で登るには無理のあるコース。ある程度の格好をしてこないと痛い目に遭うというもの。従って、この北口から日本寺に入ってくる人は少ないと考えられる。

 日本寺北口管理事務所で600円を払うと、それと引き換えにチケット(入場券)と地図を渡される。「日本寺へは初めてか?」と聞いてくるので「そうだ」と返事をすると長々と地図の説明を始める。このルートでやってくる人は少ないから話しをしたいのであろうか。
 管理事務所を抜けると、すぐ左手に「百尺観音像」がある。6年の歳月をかけて作られたものとある。百尺なので高さは約30m。陸海空の交通の安全を守るご本尊らしいが、どういういきさつでここに立てられたかはよくわからない。

こちらが日本寺北口管理事務所。日本寺に入るための関所のようなもの。ここで600円を払わないとこの先には進めない。
 
管理事務所のそばに日本寺の案内看板があるが、赤いテープで「×」が5カ所ほど付いている。最初は意味がわからなかったが、下山していく途中で意味がわかってきた。

こちらは「百尺観音像」、百尺なので高さは約30m。手前に人がいるのでその大きさがよくわかる。
 
下から上に向かって撮影したが、あまり立体的な感じではない。久の下に石像を薄く彫ったような感じだった。

「百尺観音像」付近から上を見ると「地獄のぞき」が見えます。これからあそこに登るぞ!
 
ここにも切り通しがあります。

 「百尺観音像」の向こうにも切り通しがある。ここでも石切がされていたようであるが、その切り通しを抜けると上向きの階段があるが、これが今日のメインスポット「地獄のぞき」へ続く階段のようだ。
 階段をテクテク登っていくと展望台がある。東京湾などを眺めるには地獄のぞきよりこちらの方がよいようであるが、切り立った崖の先に鼻ののように少し出っ張った先からスリルを楽しむにはやはり「地獄のぞき」まで行くべきだろう。なお「地獄のぞき」への最後の斜面は足下が整備されていないので、脚の悪い人にはお勧めしない。
 「地獄のぞき」の感想であるが、あれはほかから見ると「おおっ!」という感じがあるが、その場に立っても崖の先端という意識は低い。「突然ここが崩れたら・・・」と思うと、ドキドキするかもしれないが、これまでも何事もなかったのでその心配はいらないだろう。
 土日は長蛇の列ができるというが、この日は時間が早かったせいか、それともコロナウィルスの感染拡大防止のため外出を控えている人が多いせいかわからないが、順番待ちは「ゼロ」だった。

こちらが地獄のぞきへの階段。
 
階段を上がったところには、展望台がありました。

せっかくなので、展望台から景色を眺めることにしました。
 
眼下には、東京湾と金谷港が見えます。富士山も見えるようですが、やや視界が悪くこの日は見えませんでした。

展望台から右手の方を見ると「地獄のぞき」が見えます。それではそっちの方に行ってみましょうか。
 
展望台を一旦降りて「地獄のぞき」に向かいます。最後の登っていくところは階段などが整備されていません。斜面を登っていくことになりますが雨の日は滑るので要注意ですね。

ここが「地獄のぞき」ですか・・・。
 
左手には、先ほど行った展望台が見えます。

地獄のぞきから下を見ると、先ほど通ってきた日本寺北口管理事務所が見えます。
 
「地獄のぞき」からは、富津館山道路がよく見えます。

 「地獄のぞき」が終わればあとは下山するだけ。
 日本寺はいろいろと見どころがある。例えば下山途中に途中に「羅漢石像群」などがある。しかしながら、ところどころに現れる案内の看板にテープで「×」が貼ってある。最初は意味がわからなかったが、どうも拝観ができないと意味らしい。拝観すべきものが崩壊しているのではなく、昨年の台風15号の影響で道中の歩道がところどころで崩壊しているようであり、「羅漢石像群」は全て拝観できないようである。

 通れるところだけ通って下ると、大仏広場に出る。ここには坐像としては、奈良の大仏を超えて日本一の大きさ(31m)を誇る大仏がある。まあ、大きければよいというものではないが、こういうところにこういうものがあるという程度で少しだけ見て先を急ぐことにする。この時点で10時25分。

「地獄のぞき」も行ったので、後は下山するだけ。日本寺の大仏も見ていきましょうか。しかしながらここでも案内看板に「×」が付いています。
 
少し降りたところに「西国観音」がありました。

こちらが西国観音。こういうところにあるのであれば、鋸山の石で作ったのでしょうか。
 
分岐するところから右手の方は通行止め。昨年の台風15号の影響で歩道が崩れているようです。

どんどん下っていったところで大仏広場に出ました。
 
こちらは大仏広場にある売店。

大仏広場の奥の方に、大仏が鎮座しています。
  世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型。昭和41年に4年わたり修復されたとか。

 金谷港を11時20分発の久里浜行きフェリーに何とか乗れないかと思い、やむを得ず鋸山ロープウエイで下ることを検討。ロープウエイ乗り場の方に向かって行くが、こちらも「×」の表示が出ている。大仏口管理所でロープウエイ乗り場の行き方を聞いてみたところ、最短ルートは道路が崩壊しているので、一旦山頂展望台方面へ上がってそこから降りていくしか方法が無いという。
 せっかく、半分ほど降りてきたところで再び山頂方面へ向かうのは、少々がっかりする。仕方が無いのでそのまま下山を選択し、海岸まで出たところで国道127号線を北上するルートで金谷港へ向かうことにする。あと1時間ほど時間はあるが、11時20分の久里浜行きのフェリーに乗るのは何となく厳しそうになってきた。

大仏広場をあとにして、中腹から表参道に向かって行くと仁王門があります。
 
こちらが仁王門。元禄七年の再建とか。仁王門の偏額「乾坤山(けんこんざん)」は韓国の王族 李埈鎔公の書だそうです。

ここからが表参道。今回は全く逆の方からやってきました。
 
どんどん下っていくと、JR内房線・保田駅の案内看板が出てきました。保田駅方面もなかなかいいところがあるようですが今日はこれから東京湾フェリーに乗船するので、朝きた金谷の方に向かいます。

どんどん下ってくると海が見えてきました。
 
こちらはJR内房線。その先が国道127号線のようです。

 JR内房線の線路下をくぐった先のT字路の交差点にでる。ここが国道127号線。房総半島の西側を海岸線に沿って走るロケーションのいい国道だ。
 この国道127号線であるが、決して交通量の多い道路ではない。しかしながら鋸山から下りてきたT字路から金谷までの間に、トンネルを3つばかりくぐり抜けるようになっているが、トンネル内には歩道が整備されていない。トンネル内を歩いていると、すぐ脇を自動車が通り抜けていく。自動車も遠慮がちに走っているので冷や汗をかくことはないが、やはり安全性を考えるとここを歩いて通るのはオススメできない。特に夜間などは見通しも悪いので、私のようにトンネル内を歩くとしたら要注意だ。

 金谷に向かって歩いていううちに徐々に海岸線が近づいてきた。内房なので、目の前にある海は東京湾をちょうど出た辺り。東京湾と太平洋の接点付近というところであろうか。海は澄んでいてきれいである。岩礁で釣りをしている人も多く見かける。今日は天気もよく、釣りをしていてもさぞかし気持ちのいいことだろう。

 さて、鋸山をあとにして、国道127号線をテクテクと歩いていたが、金谷にかなり近づいたところで11時20分発の久里浜行きのフェリーが出発していくのが見える。残念ながら間に合わなかった。まあ、1時間に1本程度出航しているでの焦る必要は無い。

 久里浜港に到着したのは11時37分。次の出発が12時25分なので、ここで港で少しゆっくりできる。

国道127号線に出ました。右折して北上します。道路脇には「日本寺大仏」と「鋸山観光道路」の案内看板が設置されています。
 
鋸山から国道127号線に下りてきて金谷に着くまでにトンネルを3つ通り抜けなければなりません。

見ての通り、トンネル内には歩行者用の歩道が特別整備されているわけではないので、気をつけて歩いていかなければなりません。
 
トンネルを抜けると左手には東京湾。もしかしたら太平洋といってもいいかもしれません。いい天気ですね。

房総半島がぐるっと曲がって見えます。
 
ここは外側に歩道が整備されています。

じっと下を見ると、かなり水が澄んでいます。釣りをしたくなるはずですかね
 
遠くに金谷港が見えます。これからあそこまで歩いていかねば・・・。

金谷の市街地に戻ってきました。こちらはどうも鋸山ロープウエイのようですね。
 
交差点を右に曲がると、朝降りたJR浜金谷駅があるようです。今回は金谷港フェリー乗り場に行くのでこのまま直進。

フェリー乗り場の案内が出てきました。
 
こちらがフェリー乗り場。近くにショッピングモールがあったのでそちらも覗いてみました。

 金谷港には初めてやってきた。港の隣には、ショッピングモールもある。このモール、比較的新しい感じがするし、船が出発するまで時間があるので少し覗いてみることにする。予想通り、そこには地元の海産物をはじめ、地元の特産品を販売している。観光客にとっては思わず手を伸ばしたくなるようなものばかりが置かれている。また奥にはレストランもあり、港の賑わいを演出する仕掛けはできている。ただし、こういう時期なのでモールはかなり空いていて、店員さんも手持ち無沙汰な感じであった。

 モールから港に移動し券売機で切符を購入する。フェリーの所要時間は約40分と短いせいか、乗船名簿の記載は無い。金谷港もモールと同じように土産物売り場があるが、モールと比べるとかなりちっちゃくて地味な感じがする。しかしながら、小さい方が見やすいというメリットもあり、ここでは私の好物の「あおさ」とみそ汁に入れると美味しいという「地のり」を購入。店の規模が小さいとはいえ、侮ることはできない。

 12時15分。出航の10分前になったので、乗船することにする。

徒歩移動の乗船客は、自販機でチケットを購入。船に乗る場合、乗船名簿の記載をすることが多いですが、ここではその手続きがありません。
 
フェリー乗り場には、千葉県のお土産が所狭しと並んでいました。

私の大好きな「アオサ」。ほぼ毎日、みそ汁に入れて飲んでいます。
 
こちらはみそ汁に入れると美味しいと書かれた「地のり」。お試しで買ってみることにしました。

こちらがお店で購入したお土産。「アオサ(左)」は、長女・ゆかこが欲しいというので、下宿先の京都に持っていくことにしました。
 
出航10分前になったので乗船することにします。

 今回乗船するのは「しらはま丸」。全長79m、総トン数が3,300トンの旅客船。竣工したのが平成元年なので30年選手。見た目はきれいであるが、船齢としては少々高い。

 旅客定員680名の船内は閑散としている。土曜日のお昼という時間帯のせいもあるのであろうか。ざっと見たところ30人程度しか乗っていないような感じがする。いつもこういう状態であれば、営業的にはかなり厳しいと思うが、普段はいったいどういう人が利用しているのかが気になる。私のように、興味本位で乗るような人は少ないのではないだろうか。

 金谷(千葉県)と久里浜(神奈川県)を結ぶ東京湾フェリーであるが、東京湾に出入りする船とちょうど直交するような形の航路である。それだけに右から左からとやってくる船と衝突しないように注意を払う必要がある。場所が場所だけに運航においても結構気を抜くことができない航路ではないかと思う。
 今回、私は進行方向の左前方に座っていたが、ちょうど東京湾から太平洋に出てきたLNG船らしき船が右から左にすれ違っていく。昼中であり、この日は視界も良好なので問題は無いが、濃霧の日などは要注意だろう。

 13時近くになると三浦半島がどんどん近づいてくる。
 久里浜港は、東京湾を横断してやや左手にある。そのため入港する直前で進路が急に左に変わっていく。久里浜は、千葉県に単身赴任してから2~3回ほどやってきたことがある。いずれも「北下浦ふるさとマラソン大会」の事前の試走と参加後の入浴だ。今回は約2年ぶりの久里浜入りとなる。

この日乗船したのは「しらはま丸」。船体には、千葉県のマスコットの「チーバくん」が描かれています。
 
旅客定員680名にもかかわらず、乗船していたのは30人程度の感じ。

定刻の12時25分に出航。千葉県をあとにします。
 
久里浜に向かう途中で、LNG船らしき船が目の前を横切っていきました。

「しらはま丸」の要目。平成元年に竣工なので30年選手であることがわかります。船としては高齢ですね。
 
午後1時頃になると、久里浜の街が近づいてきました。

久里浜港の構内に入り、針路が左に変わりました。後ろを見ると航跡が見えますね。
 
久里浜港の桟橋に接岸中。

下船準備ができました。
 
通路を渡って行った先が久里浜港のフェリーターミナルです。

 久里浜は、ペリーの来航に係る観光がウリの街。久里浜港は、久里浜の街の中心からやや離れたところにあるが、港は港で雰囲気が出ていてよろしい。時間があれば散策するのもよいとは思うが、今回は久里浜港そばの温泉(海辺の湯・久里浜店)に入って海鮮関係を食することが目的だ。
 前回来たときもこの温泉には「入浴料+食事」のセットがあったが、今回もお得感があるのでそれ(よこすかアルコールセット)を利用する。入浴料+食事、さらにアルコールまで付いて2,100円なのでかなり値打ちではないかと思う。

 ここの温泉の露天風呂は、ちょうど久里浜港の出口付近から房総半島を眺めることができる。露天風呂に入りながら「鋸山はさほど高くはなかったが思いの外、登山道は厳しく、結構疲れたなあ・・・」と感慨にふける。このぼーっとしている時間がよろしい。温泉は、心身を癒やすのには最高の場であるとあらためて感じる。

 よこすかセットを食した後、再び久里浜港へ。今度は、フェリー乗り場からバスで京急久里浜駅へ向かう。その先は陸路で京急久里浜→(京急)→東日本橋(乗り換え)馬喰横山→(都営新宿線)→本八幡と乗り継ぎ単身赴任先へ戻っていく。

 鋸山登山を含めて東京湾をぐるりと廻る小旅行は天候にも恵まれ、なかなかよかった。私の場合、あまり行き当たりばったりで計画をすることはなく、多少、ゆるめに計画をするのが十八番。単身赴任でいつまで千葉県にいるかはわからないが、ここにいる間はまた面白そうなところを探して、ぶらりと楽しんで見たいと思う。

こちらが久里浜港のフェリーターミナル。金谷港のフェリーターミナルとはちょっと雰囲気が違いますね。
 
金谷港のフェリーターミナルを出てから徒歩2分ほどで「海辺の湯」に到着。こういうアクセスのいいところに温泉があるのは嬉しいですね。

今回も「よこすかアルコールセット」を自販機で購入。温泉にまずは入って、その後に昼食です。入浴料込みでこの値段なのでお得だと思います。
 
食事は1階のお食事処「よこすか」にて。以前来たときとレイアウトが変わっていました。

こちらが「よこすかアルコールセット」の飲み物+食事。食事は、「刺身、天ぷら、かじめ、きゃらぶき、びわゼリー、ご飯、みそ汁」といったところ。 

食事を終えて、再び久里浜港フェリーターミナルに戻ってきました。
 
フェリーターミナルからバスで京急久里浜駅まで移動します。

1時間に2本ほどのバス。フェリーターミナルから久里浜の市街地に向かう貴重な脚です。
 
京急久里浜に到着。都営浅草線経由で東日本橋まで乗車します。

10分おきに都心方面に列車が出ているので非常に便利です。
 
ちょっとした小旅行でした。次はどこに行きましょうか

【2月29日(土)の行程】
本八幡 6:24 千葉  6:52 1,518円 総武線・千葉行き
千葉 6:58 浜金谷 8:19 内房線・館山行き
浜金谷駅 8:19 日本寺北口管理所 9:49 徒歩(車力道)
【日本寺/拝観】   600円   入場料
日本寺北口管理所 9:49 地獄のぞき 10:07 徒歩
地獄のぞき 10:07 日本寺大仏 10:25 徒歩
日本寺大仏 10:25 国道127号線口 10:59 徒歩
国道127号線口 10:59 フェリー乗り場 11:37 徒歩(国道127号線)
【のり、あおさ/購入】 1,080円 お土産代
金谷 12:25 久里浜 13:05 800円 東京湾フェリー
フェリー乗り場 13:05 海辺の湯 13:10 徒歩
【海辺の湯/入浴・昼食】 2,100円 よこすかアルコールセット
海辺の湯 14:20 久里浜港 14:25 徒歩
東京湾フェリー 14:32 京急久里浜駅 14:44 199円 京浜急行バス
京急久里浜 14:58 東日本橋 16:10 1,113円 京浜急行
馬喰横山 16:14 本八幡 16:39 0円 都営新宿線

合計 7,410円
令和2年3月7日(土)
~ No.1182 一ヶ月ぶりの陣馬山→高尾山縦走 ~
 2月1日(土)以来、約一ヶ月ぶりにお決まりのJR藤野駅→陣馬山→景信山→小仏城山→高尾山→高尾山口の縦走をしてきました。明日は天候が悪いというせいか、それとも屋内はコロナウイルスに感染しやすいので屋外で感染しにくいところを好んだ人が増えたせいかわかりませんが、令和に入ってから一番の混みようでした。

 また、体も慣れてきたこともあり、景信山まではまずまずのペースでしたが、その後小仏城山くらいでスタミナ切れ。今回も4時間を切れず。3時間半での縦走はまだ少し先になりそうです。
 なお、京王高尾山温泉極楽湯の冬期間で実施している入浴ポイントが5ポイント貯まり、ソフトクリームをいただきました。去年は入浴券と引き換えだったはずなので、この辺りも渋ちんになってしまいましたね

この日も寝坊本八幡の出発は7時ちょうど。ただし、高尾山口行き急行のため、乗り換えはなし。

高尾山口には3分遅れの8時29分に到着。

屋外スポーツはコロナウィルスの感染しにくいというせいか、降りた乗客は多かったですね。

いつものように高尾山口駅のロッカーに荷物を預けます。ここはICカード専用。

高尾山口8時37分→高尾8時39分で高尾に戻ります。

高尾ではJRに乗り換え。8時45分の小淵沢行きの列車に乗ります。これを逃すと次は9時24分まで列車はありません。

2番線に停車中の小淵沢行きの普通列車。相変わらず登山客が多かったですね。

藤野には8時58分に到着。改札を出て左折、線路沿いに歩いていいます。

8時58分に到着した列車の場合、陣馬山へ向かう途中の踏切で下り特急かいじ?と上りの普通列車の通過で待たされます

陣馬山登山口。ここもお馴染みなりました。

今日は足下が乾いていたので歩きやすかったというか、走りやすかったですね。

この辺りは木の根がでているので躓かないように注意です。

陣馬山の頂上にある清水茶屋が見えてきました。

今日は曇っているので、富士山が全く見えません。先を急ぎましょう。

陣馬山(855m)の頂上

曇りですが、季候が良くなってきたせいかこの日の陣馬山は人が多かったですね。

陣馬山から明王峠へ向かうところでは、足場が悪くぬかるんでいるところが少しあります。白くなっているのは凍っている部分です。

明王峠。ここもいつもより人が多かったですね。

景信山(727m)に到着。

私は景信山では休憩したことはありませんが、景信山もかなり賑わっていました。

この日も気になった「なめこ」の販売。

福島県産のようですが、なめこがデカイのが特徴ですね。いつかは買ってみたいと思います。

小仏峠へ。

小仏城山(670m)に到着。今日はこの辺りでエネルギー切れ。

この日のお楽しみも城山茶屋の「なめこ汁(300円)」。美味しいなぁここのなめこ汁は

小仏城山も人が多かったですね。

小仏城山から一丁平へ。この辺りは登山道が整備されていますね。

高尾山に到着。頂上の少し手前の方が、シートを敷いて休憩している人が多いですね。

ここはお馴染み高尾山(599m)の頂上。

薬王院を経由して麓まで降りてきました。いつもであれば外国人観光客が多いのですが、この日はほぼ日本人ばかり。

お土産物屋さんも通常営業。ただし、外国人観光客が減った分、売り上げも減っているのでしょうか。

高尾山口駅には13時11分に到着。JR藤野駅を出発して4時間09分。荷物を預けるために朝、8時29分に高尾山口に着いてから4時間42分が経過。

体もやや冷えかけていたので、急いで荷物を取り出して温泉へ。

この温泉では冬になるとスタンプカードを作りはじめポイント制度を始めます。今回で5ポイント貯まったのでソフトクリーム無料券(350円相当)をいただきました。

この日のお昼は「豚生姜焼き定食」。カキフライの時期は終わったみたいです。来週、再来週は帰省の予定なので、次回の陣馬山→高尾山の縦走は3月下旬の予定です。
【行程と所要時間の比較】
      
  H31    R1    R2 
  2/17
(日)
  2/24
(日)
  3/9
(土)
  4/20
(土)
  12/7
(土)
2/1
(土)
  3/7
(土)
JR・藤野駅202m 8:27   8:36   7:21   7:21   9:06 9:01   9:02
陣馬山登山口 8:48   8:55   7:41 7:34   9:27 9:14   9:15
陣馬山855m(着) 9:49   9:53   8:42 8:33   10:32 10:15   10:18
休憩   休憩    休憩   休憩
なし
  休憩 休憩   休憩
なし
陣馬山855m(発) 9:55   9:59   8:45   8:33   10:38 10:21   10:18
明王峠739m 10:14   10:18   9:06 8:51   11:04 10:43   10:40
景信山727m 10:54   10:53   9:47 9:26   11:52 11:28   11:21
小仏城山670m(着) 11:23   11:19   10:14 9:52   12:28 11:59   11:50
なめこ汁   なめこ汁   なめこ汁   なめこ汁   なし なめこ汁   なめこ汁
小仏城山670m(発) 11:31   11:26   10:22   9:59   12:29 12:09   11:58
一丁平 11:38   11:34   10:29 10:06   12:39 12:17   12:07
高尾山599m 11:59   11:54   10:49 10:24   13:04 12:41   12:30
薬王院 12:07   12:01   10:56 10:31   13:14 12:50   12:39
京王・高尾山口駅193m 12:36   12:29   11:17 10:52   13:51 13:26   13:11
【所要時間】 4h09m   3h53m   3h56m   3h31m   4h45m 4h25m   4h09m
令和2年3月6日(金)
~ No.1181 鋸山と東京湾フェリー(その2) ~
(その1)へ

 「車力道」がはじまる分岐点から富津館山道路の下をくぐり抜け、再び富津館山道路の下をくぐる手前に「車力道」の看板が現れる。ここまでは全てアスファルト舗装であり、車力道らしさが全く見られなかったが、ようやく「車力道」に入ると思うと少々ワクワクする。

 若干のコンクリート舗装はあったが、そこを抜けると左右に恐ろしい本数の倒木が見られる。「一体これは?」と一瞬思ったのであるが、もちろん樹木の伐採ではない。根本から倒れていることから、強風で倒れたものに違いない。心当たりとすれば、昨年千葉県内で強風で大きな被害の出た台風15号の影響ではないかと直感的に感じた。
 もちろん倒木はそのまま放置されてはいたが、登山するのに支障が無いように登山道を塞がないように登山道からは避けられて処理はされている。ただ、その倒木が放置されている風景は気持ちが良いものではない。処理に時間とお金はかかるだろうけど、鋸山の登山道は貴重な観光資源なので早い復旧と整備を願いたいと感じた次第。

車力道に入って少し行ったところに、洞窟のようなものがある。ここは「ヒカリモ発生地」とか。
 
この穴の下に水たまりがあったが、その中に生えているのがヒカリモのようです。

水たまりを見ると、蛇の死骸のようなものが幾つか見えましたが、藻は繁殖しておらずヒカリモらしきものは見えませんでした。
 
さらに歩いていくと目の前には、富津館山道路が現れます。この下をくぐります。民家もまだところどころにあります。

しばらくは右側に富津館山道路を見ながら並行に歩いていきます。道路の左側には「鋸山登山道 車力道→」の看板もあります。
 
再び富津館山道路を越える前に、脇道がありますが、こちらが「車力道」。

脇道の入口に手作りの「車力道」の看板があります。これなら見逃さないでしょう。
 
ようやく舗装路でなくなり、登山らしくなってきました。

ただしこの辺りはコンクリート舗装。
 
コンクリート舗装が終わると、再び不整地に。倒木が非常に多く、昨年の台風15号で倒れたものであると気がつきました。ただし、倒木のうち登山道を塞ぐようなものは切断されていたので、登山には支障がありません。

細い道から少し開けた広場がありました。
 
看板が幾つかありましたが、どうやらここは「索道跡」というところのようです。看板中の地図では、この場所は「Y8-1」という場所のようです。

鋸山と車力道の説明書き。石を運搬した人たちを「車力」と呼び、その道が「車力道」ということだそうです。
 
黄色の↓を写真に書いておきましたが、どうもこの2本の木にワイヤーが結ばれていたようです。

 さて、その倒木を左右に見ながら登っていくと「索道跡」に出くわす。この登山道には、ところどころに案内看板が出ているが番号でいえば「Y8-1」というもの。地図もついてるので、おおよそであるがどの辺りにいるかがわかるので私のような準備不足の人間にとってはありがたい。
 「索道跡」とは、この看板の案内によると「山頂域の石切場とふもとをワイヤーケーブルで繋いだ石材運搬システム」とある。ロープウエーやスキー場のリフトと同じものであろうか。急勾配の鋸山から切り出した石を麓に下ろすのは重労働。これを主に担っていたのは女性というのであるから驚く。

 「索道跡」をあとにして、車力道を登っていく。ようやくこの辺りから、石畳がはじまるが、その石畳が非常に急勾配。また、右に左に大きくカーブしている。人間が歩くのであれば、階段状になっているだろうけど、この車力道。例えていえばボブスレーのコースのようなものだ。かつてはここを80kgもあるような石をネコ車を使って下ろしてきたという

この石畳のような道が車力道。かつては石切場から女性がネコ車で80kgもある石を一日3往復運んだという道。
 
ところどころ崩れて土砂で埋まっていました。

この辺りは岩を切って道を作っています。
 
倒木を伐採した跡があります。登山道だけは確保したというところです。

この辺りは恐ろしい上り勾配。前日雨が降ったので石が乾いていないこともあり、結構のぼるのに苦労しました。
 

2本のスジは、ネコ車の車輪の跡でしょうか。
 
「地球が丸く見える展望台」と「石切場跡 石舞台」への分岐場所まできました。この日登山道で初めて人に会いました。

 かなり登っていったところで「地球が丸く見える展望台」と「石切り場跡 石舞台」の分岐場所にでる。ネットでは、「素晴らしい絶景であるが、時間と内容を加味して(地球が丸く見える展望台へは)今回は行かない。」とあるので、私もそれに倣い、そちらには行かず「石切り場跡 石舞台」に向かう。
 途中、切り通し跡を抜け、まずは観音洞窟へ。こんな高さのところでどうやってこの岩を切り落としていったのであろうか不思議に感じる。いやはや何ともスケールが大きい。
 先へ先へと進むと、岩舞台(石切場跡)が現れる。ここがメインの石切場で、この先から索道を使って下ろしてのであろう。かつて、石切に使用していたと思われる機械が、そのまま放置され真っ赤に錆びている。こういうものを目の当たりにすると、時代が変わったことを肌で感じる。朽ちていくのを待っているだけではなく、遺産として何とか残せないかと思う。

標識の案内に従って、石切り場跡 石舞台の方へ向かいます。
 
分岐点からも石を切り落とした跡がうかがえます。

分岐点からは、下の方へ石の階段を下っていきます。
 
石の壁の横に道が・・・。

これが「切り通し跡」。岩壁を切り取って作った道。石材やズリ(石のくず)を搬出する道を作る必要があり、これを切り通しというようです。経路としては、この先の階段を登って岩舞台方面へ向かいます。
 
「Y8-3」ここに「切り通し跡」の案内があります。

先ほど見ていた岩壁ですね。
 
凄い高さに圧倒されます。
 
さらにどんどん進んでいきます。

ここで現れたのが「石切り場跡(観音洞窟)」です。ここの石の切り方には特徴があるそうですが、看板の説明を読んでも今ひとつ理解ができませんでした。
 
こちらは観音洞窟の下部の方

こちらが観音洞窟の説明書き。この場所は「Y6」とあります。誰かが忘れていったのでしょうか、タオルが掛けてありました。
 
さらに進んでいきます。

ちょうど三叉路になっていましたが、看板に従って「石切場跡」の方に向かいます。
 
こちらがその看板。

あの尖っているのが「地獄のぞき」でしょうか。今日行きたいスポットの一つ。

ここも切り通し跡ですかね。

石切場跡(石舞台)に到着。私のカメラは低性能で広角レンズがないので、この大きな空間をうまく撮影ができません。

作業場の跡なのかわかりませんが、木のベンチのようなものがこの広間にあちこちに見られます。

この案内を見ると、ここは有力な「芳家石材店」の石切場の跡だそうです。

最盛期には、金谷の人口の80%の人が石材関係の産業に従事していたというから驚きですね。

確かにコンサートホールのような雰囲気はありますね。

ここから索道で麓に下ろしていたのでしょうか。

当時使用していたと思われる設備が放置されています。

さびさびですが、貴重な文化遺産として手入れして残せないものでしょうか。

安全第一と書いたのでしょうか。「全」の上の方が削れてしまった感じです。その下は「芳家石材K」と書いてありますね。

石切り場(石舞台)は行き止まりなので、戻って先に進みます。再び分岐点にきましたが、今度は日本寺や地獄のぞきのある方に向かいます(赤矢印)。黄色矢印は最初に石舞台に向かって歩いていた道

 石舞台の見学も終わり、鋸山のウリである「地獄のぞき」方面へ向かう。今きた道をそのまま戻り、分岐点を今度は左の方に曲がっていく。ここまでの車力道はお世辞にも足下がよいとはいえなかったが、石舞台から地獄のぞきに向かう登山道は勾配もきつく、こちらも足下があまりよくない。登山道は石の階段になっているところが多く一見歩きやすそうに見えるが、実は石が手前側に沈んでいたり、多くの人が歩いてすり減っていたりして、登るのには少々苦労する。上りも大変であるが、この階段を下るのは足を滑らせそうなので止めるべきだと思う。
 登山道にパイプを組んだ手すりを設けたりして、安全対策はされていたものの、それでも登るのは少々大変であった。

ここからは「日本寺」と書いてある方向に向かって歩いていきます。
 
石の階段がありますが、沈んでいたりすり減っていたりして、案外歩きにくいです。

拡大してみたところ、何十年と使っているとこんな風になってしまうのでしょうか。
 
こちらは上から見下ろしたところ。登るにしても手すりがないと少々辛いです。この日は雨上がりだったので、下りは・・・ですね。

乗っている途中、木々の間から東京湾を見下ろすことができるところがありました。
 
この辺りからは、連続してパイプの手すりが設けられています。
 
突然、案内看板が出てきました。「Y3」。ここも石切場で「ラピュタの壁」といわれているところです。

東京湾を見るための展望台なのか、ラピュタの壁を見るための展望台なのか?
 
いずれにしても房総半島や東京湾を見下ろすことができて気持ちがいいですね。

これがその「ラピュタの壁」。案内看板を見ると「ここは鋸山に残る最大垂直面96mの石切り場の跡。」天空にそびえるような壮大な景観から「ラピュタの壁」と呼ばれるようになったとか。
 
さて登山道に戻り、上がっていくと木にくくりつけられた看板が・・・。もちろん「山頂」と書かれた方へ歩いて行きます。

少し勾配が緩くなった石畳が続きます。
 
ここも石切り場の跡のようですが、「日本寺北口管理所」という看板があります。これで登山も終焉に近づいてきました。

 何とか苦労して登っていったところでようやく日本寺の北口に出る。ここまでに上から降りてきた登山客は「ゼロ」。下から上がってきて追いついた登山客が2人。鋸山はロープウエイや自動車でもかなりのところまで登れるため、私のようにテクテクと登る登山者はほとんどいないようである。
(続く)
 
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