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令和2年6月30日(火)
~ No.1210 明智光秀博覧会、明智城跡等に行ってきました ~
 NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」については、6月7日(日)の放送分で撮り溜めがなくなり、現在は放送が休止中となっているのはご存じかと思います。ここまでの視聴率はまずまずのようですね。私も毎回欠かさず見ていましたが、登場してくる場所が岐阜県、愛知県が多く、わが地元のことでもあるので関心が高いです。

 明智光秀に関しては、ゆかりの地がたくさんあることから、この大河ドラマに係る「大河ドラマ館」も、全国で5カ所あります。去る6月20日(土)、この5カ所のうちわが家から最も近そうな岐阜県可児市の大河ドラマ館にカミさんと行ってきました。こちらは明智光秀博覧会の一部として有料施設として営業しているものです。
 目的地が大河ドラマ館だけではもったいないので、このほか明智城跡、天龍寺と明智光秀の関係の深いところを実際に行ってみるほか、可児市のオススメスポットで木曽川脇にに整備された「竹林の小径」も脚を伸ばしてみました。と、少々真面目に歴史を辿りにいくかと思いきや、帰りには岐阜県土岐市にあるプレミアムアウトレットに寄るカミさんのリクエストも取り入れています。

 朝8時に出かけて帰ってきたのが、午後7時前。車に乗っていた時間よりも、徒歩でテクテク歩いた時間もそこそこあり一日を十分に活用した感じはあります。詳しい説明は写真の方に添付しますが、テレビで紹介されたところを実際に訪れてみるのはやはり楽しいと感じた次第です。みなさんも是非行ってみてください。

NHKの大河ドラマで取り上げられ、ここぞとばかりに「明智光秀博覧会」と称してイベントを開催しています。
 
会場は、花フェスタ祈記念公園。この公園は平成7年に開催された花の博覧会「花フェスタ‘95ぎふ」の会場を岐阜県が再整備し、平成8年4月にオープンした県営の都市公園です。 ナゴヤドームおよそ17個分の広さがあるとか。

チケット売り場には、明智家の家紋である「桔梗」の幟のミニチュアが飾ってありました。
 
とりあえず入場ゲートを過ぎたところに写真撮影用のセットがあります。6月20日の日にち入り

会場の入口で連絡先などを書かされました。コロナ対策ですかね。
 
ここから先が有料施設。残念ながら大半が写真撮影禁止のため様子をお伝えすることができません。

こちらは人物と背景を選択して、顔の部分に自分の顔を入れて合成するというもの。できあがったあとはスマホなどで自分で撮影ができます。私は「駒」さんと「稲葉山城」を背景にして合成してもらいました。
 
こちらは等身大のパネル。カミさんは石川さゆりより大きい?

大河ドラマ館を出たところにはいろいろなチラシが置いてありました。他の大河ドラマ館のチラシもありましたので、出かけるときの参考にしたいと思います。
 
2階にも無料のコーナーがあります。1階の大河ドラマ館と比べるとやや地味な感じ。

可児市が明智光秀の一番のゆかりの地であるというアピールが凄いです
 
小学生が描いたのでしょうか。

1階にはお土産コーナーもあります。思ったよりも充実していました。ここで「三日天下餅」を購入
 
花フェスタ記念公園の入口にあるモニュメント。とりあえず自動車を置いて明智城跡などに徒歩で向かうことにしました。

少し歩いただけで横断幕が・・・。大河ドラマで取り上げられている今年のうちにという感じがよく出ています。
 
細い道を抜けていったところでいくつか看板がありました。とりあえず道は間違っていなかったということのようです。

今回の大河ドラマと関係なく昔からある看板のようです。
 
まずは天龍寺にやってきました。こちらは明智家の公縁寺です。

天龍寺の入口には「明智光秀公縁寺」という碑が立っています。開山が寛永2年(1625年)なので江戸時代に入ってから。つまり明智光秀が亡くなった後ということになります。
 
こちらが入口のようです。

写真の中央にあるのは、明智光秀の命日である6月13日にちなんで作られた、日本一大きい(6尺1寸3分)位牌。2m近い高さですね。確かに位牌としてはバカデカイ

カミさんは最近御朱印にはまっているので、300円を払って御朱印をいただきました。

書き置きのものに日付けを入れただけのものですが、カミさんは嬉しそう

こちらは明智家のお墓とのこと。檀家さんのお墓とは全く別のところにひっそりとありました。

天龍寺からさほど遠くないところに明智城跡があります。左側の石碑には「桔梗坂」と書かれています。

道路脇には桔梗が植えられています。桔梗は明智家の家紋です。

この坂を上り下りしていたんでしょうか。

大手門まで来ました。ここもテレビで紹介されていましたね。

左右の敷石は最近のようですが、中央の敷石は400年以上前からあるものでしょうか。

明智城も「山城」の一つです。弘治2年(1556年)に明智光秀の叔父光安・光久が城主であった時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城しているのはドラマで紹介されたとおり。
その落城した際に亡くなった7人の武将を祀ってるのがこの七ツ塚です。

こちらもテレビで紹介されていた石碑。

展望台も新しく作られていました。城から見渡した景色が味わえますね。なかなかの眺望です。

令和2年6月13日。明智光秀の命日に合わせて建設されたブロンズ像です。

帰りは行きとは違ったルートで花フェスタ記念公園までテクテク歩いて帰りました。こっちのルートを歩いている人は見かけず

可児市内には「明智」という名鉄の駅があります。ただし無人の小さな駅です。

お昼ご飯は横浜飯館というお店で。結構、ガッツリ食べました。

明智光秀関係の探索を終え、可児市の観光名所の一つである木曽川渡し場遊歩道に行ってみました。

なかなかの竹林ですね。

散策をしている人は少なめ。蚊に刺されてしまいました

帰りにカミさんのリクエストで土岐プレミアムアウトレットに立ち寄りました。ここに来るのは初めてです。

よく出かけるジャズドリーム長島と比べると小振りな感じのアウトレットです。

移動も解禁となったこともあり、人出は多かったです。

ナイキショップは3密にならないように入場制限がかかっていました。

タリーズのショップではカミさんにごちそうになりました。すでに夕方の午後5時。一日をフルに使った感があります。
令和2年6月15日(月)
~ No.1209 垣根の剪定とヘッジトリマー ~
 今年はテレワークで名古屋に居るときが多くなっているので、週末は蒲郡の実家に掃除に出かけているのは、これまで何度もお伝えしているとおりです。

 今から一週間ほどま前のことになりますが、一番厄介な垣根の剪定に着手することにしました。この垣根ですが、カイヅカイブキで3分の2ほどが覆われています。これまで剪定は、植木バサミでチョキチョキとやっていましたが、見た目も悪く作業効率が悪いので、思い切ってホームセンターで文明の利器を購入することにしました。その名も「ヘッジトリマー」といいます。簡単に言えば、チェーンソーのようなもので、細い枝葉をカットするのに向いている道具です。もちろん電動工具なので、電気が必要ですが、こういうこともあろうかと、実家はガスと水道は止めていますが、電気は使えるように契約はそのままです(毎月電気代を払っている)。家からはコードリールも持参して、これで準備は完了です。

コーナン砂田橋店で購入した「ヘッジトリマー」。2~3万円もするなら買わないでおこうと思いましたが、安いもので4,000円程度。写真のものも6,000円程度だったので購入することにしました。
 
開けてみたところはこんな感じ。動かしてみると音はそこそこうるさいです。夜中には作業はできないですね

 説明書を読むと、カットするときは少し寝かせてカットをするとか、太い枝はあらかじめ切っておいてくれとか、幾つか注意事項はありましたが、使用はさほど難しくなさそうです。

 まずは、垣根の内側から始めて、脚立を少しずつ動かしながらカットしていきます。さすがに早いですね。調子に乗って今度は垣根の外側を。垣根の天井部分が少々大変でしたが、概ね3時間ほどで剪定は終了。あとは、散らばった枝葉の処理ですが、これがいつも以上に細かいものが飛び散っているのでかき集めるのに一苦労。やり始めて後片付けまで約6時間。手作業と比べれば、非常に効率のいい剪定でした。できばえですか?そこは、素人がやること。庭師とは比べものにならないほど下手くそですが、素人がそれなりに苦労して剪定した感が漂っています。

見ての通り、垣根はボッサボサ。ここ4年ほどは手をつけていない状態。
 
ヘッジトリマーで思い切って短く刈ってみました。気持ちもいいものですね。

掃除をしたあとはこんな感じ。素人なりに多少は見られるようになったかと
 
道路に面した方も伸び放題

こちらもガンガン刈ってやりました。
 
掃除をしたあとはこんな感じ。しばらくは垣根の手入れもしなくて良さそうです。

先日DIYした門扉も取り付けました。採寸していたのでぴったりですね
 
この日の収穫は7袋。思ったより少なめですが、実は道路側のみしか集めておらず、庭に残った枝葉はそのまま。次回行ったときに集めてくる予定です
令和2年6月13日(土)
~ No.1208 上京、虎ノ門ヒルズ駅、アベノマスク ~
 昨日(6月12日)、10日ぶりに上京しました。仕事はテレワークでこなせるのですが、管理職ローテーションというものがあって、今月は6日ほど出勤となっています。現在、名古屋が定位置なので、職場に出勤といっても出張で上京する雰囲気に近いです。

この日は名古屋を9時23分に出発する「のぞみ94号」を利用。
 
出勤が11時30分なので、この時間の新幹線で間に合います。

新幹線は相変わらず乗客が戻ってきていないようで、13号車はガラガラ。乗車率は20~30%程度でしょうか。
 
富士川にかかる鉄橋では富士山は見えず。梅雨時は見えるのが稀でしょうか。

東京駅には定時の11時03分に到着。
 
職場には少し急ぎ足で向かいます。

 今回上京して「変わったなあ・・・」というところがいくつありました。
 まずは、東京駅。前回上京したときは、駅弁屋がみなシャッターが降りていたのですが、今回上京したときはほぼオープンしている感じ。ただ賑わいというところでは3月頃には遠く及ばず、静かな感じです。
 もう一つは、東京メトロ日比谷線に虎ノ門ヒルズ駅が開業したこと。私の場合は、利用することはあまりないかもしれません。通勤途中の霞ヶ関~神谷町の間にできた駅なので、一つ余分に停車するなあというのが実感。

午前11時過ぎではありますが、東京駅の人通りも少ないような気がします。
 
地下鉄・丸の内線で東京→霞ヶ関。そして日比谷線に乗り換えしますが、霞ヶ関と神谷町の間に虎ノ門ヒルズ駅が6月6日に開業。

霞ヶ関駅の次駅案内も「虎ノ門ヒルズ」に変わっていました。
 
車内の次駅案内も「虎ノ門ヒルズ」。

停車中にホームを覗いてみましたが、ホームも狭く、いかにもあとから作ったという感じ。駅のお洒落感も感じないほど簡素な感じです。
 
本八幡の単身赴任先の郵便受けにアベノマスクが届けられていました。6月3日~6月12日の間に配達されたようです。カミさんに聞いてもいらいないとか。寄付をすることにしましょうか。

 そして今週末は本八幡(千葉県市川市)の単身赴任先で過ごすのですが、10日ぶりに戻ったところ、郵便受けに「アベノマスク」が入っていました。名古屋のわが家には5月18日(月)に来ていたのに、単身赴任先の本八幡には6月3日(水)~6月12日(金)の間の配達ですからね。街でも、アベノマスクをつけて歩いている人はほとんど見かけません。何となく無駄な支出だったような気がしますね。
令和2年6月13日(土)
~ No.1207 わが家の植物の様子 ~
 テレワークで自宅で過ごす時間が長くなってくると、自宅にある植物の変化が日々わかるようになります。

 一つは、紫陽花。
 この時期、味わいのある淡いブルーの花が咲き誇りますが、今年はなぜか3輪とその数が少なめ定期的に剪定していますが、剪定した場所がまずかったのか?葉ばかりは、非常に青々としています。こちらは、10年前(平成22年)に「三ヶ根山あじさいまつり」でもらった苗木が生長したもの。一ヶ月ほどは、シトシト降り続く梅雨の中で癒やしてくれそうですね。

今年の紫陽花は、なぜか葉っぱばかりが目立ちます。
 
今年は僅かに3輪ほど。前年の剪定の仕方がまずかったかもしれません

 もう一つは、柑橘。
 平成14年に家を新築した際に、ホームセンターで購入したものですが、甘夏だったかハッサクだったか忘れてしまいましたが、秋になるとここ毎年、数個が収穫できるようになりましたが、気がつくとこちらも小さな実が数個目視で確認できました。今年は白い花がたくさん咲いていたので、実の方もそれに合わせてたくさんできたようです。こちらは秋の収穫の時期が待ち遠しいですね。

こちらは柑橘。ホームセンターで購入したときは、自動車に乗るほどの小さなものでしたが今では私の背丈よりもずっと大きくなってしまいました。
 
よく見ると、実がポツリポツリとできています。

目視で確認できただけでも8つほど。
 
収穫できる秋~冬が待ち遠しいですね。
令和2年6月13日(土)
~ No.1206 一週間早い父の日プレゼント ~
 一昨日、私が12日(金)~15日(月)まで上京し、週末自宅に不在となるのでカミさんから父の日プレゼントをもらいました。父の日は、6月の第3日曜日。一週間間違えていたようですが、まあいいか。
 テレワークで時間が取れるようになったので、プール通いしたときに体を拭くタオルだそうです。ありがとうございました。
 
令和2年6月12日(金)
~ No.1205 DIY(日曜大工) ~
 今年は、新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、外出の自粛で日曜大工をする人が増えたそうですね。ホームセンターの売り上げが↑していることから、そのあたりのことは事実のようです。

 私の場合はといえば、テレワークの関係で単身赴任先の千葉県市川市にいる時間よりも、自宅のある名古屋にいる時間の方が多くなったこともあり、これまで滞っていた蒲郡市の実家の掃除や、自宅の掃除、はたまた昨年亡くなった母親の相続の手続きなど、名古屋に居ないとできなかったことが一挙に進んだ感があります。
 特に、実家の掃除は単身赴任をするようになってからはかなりおろそかにしていたので、今年はかなりきれいになったと思っています。

 その中で、気になっていたのが実家の庭へ入るところの簡易扉です。以前から少しずつ壊れだしていたのですが、メインの2本の木材の足元が老朽化したため、とうとう扉の原型が崩れだしてしまいました。修理しても、元々の木材が相当朽ちてきているので、思い切って自分で作ることにしました。といっても、そんなに凝ったものを作る気も無く、まあ防犯上、すぐに入れないようにする程度のものでいいと思っています。
 なお、作業時間は約30分。本当に簡単なものですけど、できてみればまずまずといったところでしょうか。

右側が壊れかけの扉。ホームセンターで、材料の材木9本と、サンドペーパーを購入。
 
材木は38×38×900(mm)の角材2本、と38×19×900(mm)の角材7本です。

7本の角材は少し長いので、200(mm)ほどカットします。
 
まずは長さがこれで揃いました。

のこぎりで切ったところにバリが出ているので、ペーパできれいにしてやります。
 
2本の角材を並行に置き、それに直行するように2本の角材を並べます。そして釘打ち。これでフレームが完成。

7本の角材は、表に4本、裏に3本配置。いずれも釘留め。
 
約30分で完成。

次回、蒲郡に行くときに持っていく予定。
 
横から見ると、7本の角材が千鳥格子状に配置されているのがわかります。
令和2年6月5日(金)
~ No.1204 高速バスで名古屋へ ~
 早いもので6月ですね。わが職場は、相変わらずテレワークが続いています。ただし、7月頃に通常業務の体制に戻していくことを前提ににテレワーク率を下げつつあります。6月は管理職ローテーションで、月に6日ほど出勤はしますが、それ以外はテレワークです。6月1日(月)、2日(火)と出勤したので、3日(水)は午前中休暇を申請して新宿から高速バスで名古屋に移動しました。

 東京・名古屋の定番は新幹線移動ですが、緊急事態宣言が解除されたこともあり、金券ショップの新幹線チケットも売れ始めたこともあり、たたき売りのような値段のものは無くなっていきます。新幹線に乗らなければ、次の移動手段は高速バスです。メインは東海道経由のJRバスの東名ライナー、新東名ライナーです。平日の昼間ですと早割で2,200円程度で購入できるのですが、バスも乗客が減っているせいか、現在は早割もなく片道5,300円以上しています。
 ネットで調べたところ、路線バス以外の便も何本かありましたが、路線バスでは名鉄バスと京王バスの共同運行している新宿~名鉄バスセンター(以下「名鉄BC」)の運航便が、通常で4,000円、ネットでの購入で3,000円、さらに早割なら2,400円で乗車できることがわかりました。時間は多少かかっても、頻度が増えれば安い方が良いですよね。

この日も早起き。本八幡から新宿までは都営新宿線で一本。バスタ新宿へ向かいます。
 
新宿・名鉄BCを往復する便。京王バスと名鉄バスが共同運行。この日の乗車便は京王バスが運行を担当。

座席はネットで予約。スマホで予約したことを見せるか紙でプリントするかのどちらか。スマホのトラブルを避けるために私はいつも紙を持参します。
 
この日の乗車は6時30分の名古屋(名鉄BC)行き。4列シートですが、通路側のB席・C席は現在販売していないとのことですが、仮に4×10列=40人が定員としても乗車率は3割くらいの感じでした。

首都高速から中央道へ入ります。しばらくすると右側には東京競馬場が見えてきます。
 
そしてほどなくして、左側にはサントリー武蔵野ブルワリー(ビール工場)。誰かの歌の歌詞の通りです。

都内を抜けて、1時間ほどして右側に甲府の市街地が広がってきます。
 
午前8時20分くらいに双葉SAに到着。最初の休憩場所です。ここで約10分停車しました。

双葉SAには展望台があったので急いで登って景色を眺めてきました。
 
中央の塔は何でしょうか。奥の山並みは南アルプスです。

 ということで、3日(水)は午前4時半起床。本八幡を5時24分の列車で新宿へ。新宿を6時30分の名鉄BC行きに乗車しました。このバスは東海道経由ではなく中央道経由です。名鉄バスと共同運行の京王バスに配慮したんでしょうか。中央道は、東名に比べて距離は長いし、道はくねっているし、標高最高地点は1,015mと坂道ではエンジンを唸らせるし、運転手にとっては負担の大きい道路ですが、それに反比例するように景色は抜群です。
 6月中のテレワークは全て名古屋で行う予定です。東京・名古屋間を6月中は2往復する予定ですが、この路線バスは合計3回利用の予定です。

双葉SAを出発して、私には馴染みの八ヶ岳が見えてきました。今年の夏も、八ヶ岳の山麓に何度か通うことになるのでしょうか。
 
標高1,015mの地点を越える手前では、バスのエンジンの唸り音は大きくなりました。その後バスは少しずつ下り、右手には諏訪湖が見えてきました。

2回目の休憩は駒ヶ岳SA。9時50分頃に到着。休憩はやはり10分。10時の出発です。
 
観光シーズンでは、駐車するところを探すのに一苦労する駒ヶ岳SAですが、この日は見たことが無いくらい空いていました。

こちらは駒ヶ岳ですかね。雪渓が見えます。
 
東京でお土産が買えなかったので、駒ヶ岳SAで信玄餅(左)と野沢菜(右)をお土産に買いました。

恵那山トンネルを抜けて、3回目の休憩は恵那峡SA。駒ヶ岳SAで信玄餅SAから終点の名鉄BCまで2時間を少々超えてしまうので、そのために恵那峡SAで休憩を入れるようです。
 
名神小牧ICで下車。名古屋高速を南下しまずは栄に向かいます。黒川辺りからは、名古屋駅前の高層ビル群が見えてきます。

栄には15分ほど早い12時07分に到着。
 
栄からは地下鉄で自由ヶ丘へ。

昼の地下鉄は空いていますね。
 
久し振りに自由ヶ丘に戻ってきました。6月12日(金)の朝までは、名古屋で生活の予定です。
令和2年5月31日(日)
~ No.1203 まとまった練習 ~
 テレワークで時間に余裕ができたこともあり、5月はここ数年の中ではまずまずできています。コロナウィルスの感染が収束しきっていないこともあり、マラソン大会等が通常通り開催されるのはまだ少し先になるでしょうけども、今のうちにここ数年で失われた持久力を戻さなければと思っています。

 今日は午前5時半頃から本八幡→南船橋を往復20kmジョグ。午前11時半頃からは、本八幡→三郷→春日部とバイクトレをしてきました。江戸川の堤防をひたすら上流に向かって走るだけですが、ほとんど平坦なので高速走行が可能です。といっても、行きは追い風なので35~40km/hでビュンビュン走って行きますが、帰りは向かい風のために20~25km/hにペースダウン。この日の走行距離は93kmで100km近く走ったのも久し振りなので、終わってみると結構疲れました。

 プールに行くことが出来る時間が確保出来れば、トライアスロンにも復帰したいですね。

江戸川の河口から50km。つまり東京湾から50kmということ。
 
遠くの方に山が見えます。方向からすると筑波山辺りでしょうか。

この辺りはのどかな感じ。
 
JR三郷駅を過ぎてから田畑が目立つようになりました。

この辺りまで来ると、ランニングしている人も自転車に乗っている人も全然見かけません。
 
先ほどの海から50km地点の先に橋が見えたので、とりあえずそこまで行って折り返すことにしました。標識を見ると、ここは埼玉県春日部市とあります。

この橋の向こうまで渡ってみましたが、向こう側は千葉県野田市。
 
少し古い感じの橋で「宝珠花橋」と書いてありました。後で調べたらあと数kmで利根川との合流地点でした。次回は少なくともそこまでは行ってみようと思います。
令和2年5月28日(木)
~ No.1202 ミニサイクルのパンク修理 ~

平成17年3月に旧尾西市が一宮市に吸収合併されるための1回ポッキリのイベントである尾西シティマラソンの優勝賞品でいただきました。
 5月の上旬、名古屋に帰省中、私の愛用するミニサイクルの後輪がパンクしました。このミニサイクルですが、平成17年3月に旧尾西市で開催された「尾西シティマラソン」での優勝賞品です。主に近距離の移動で使うくらいで、遠乗りには向いていないので長い距離を乗ることはありません。テレワークで時間ができたので、名古屋にいる間は自転車トレは専らこのミニサイクルです。ロードレーサーが1台欲しいところですが、名古屋にはこの自転車しかないので、このミニサイクルに乗るしかありません(6月のボーナスで1台購入する?)

 そのミニサイクルですが、これまで使用頻度が低かったこともあり、部品の交換は皆無。パンクもしたことがありませんでした。ところがさすがに16年もタイヤの交換をしていなかったこともあり、タイヤの内部の繊維が切れてチューブがタイヤの割れ目から顔を出し、後輪がバーストしてしまいました。ロードレーサーのタイヤの交換は楽ですが、ママチャリなどは後輪を外すのが面倒です。

 近所の量販店の自転車屋に持っていって修理を頼もうとしたところ、「タイヤの在庫がなく取り寄せ」になるとのこと。後輪がバーストすれば、前輪だって時間の問題です。
 「時間がかかるのであれば、自分でタイヤとチューブを買ってきて自分でやるか」と切り替え、ホームセンターにタイヤとチューブを買いに出かけました。ミニサイクルのユーザーは少ないせいか、1軒目で全て調達できず、2件目と合わせてタイヤ2本、チューブ2本の購入が完了。これで準備は完了です。

 「さて、後輪を外すのはどうすべきか?」と自転車をじっと眺め、とりあえず手が付けられそうなところからバラすことにしました。後輪は変速機もなくチェーンの張りをどうやって保つかなど謎が多かったのですが、バラしていくうちに機構の謎がいろいろと解けて、後輪をバラすことが思いの外、楽しいことがわかりました(ただし時間はかかった・・・)。

 バラす方はまだ簡単な方で、タイヤとチューブを入れ替えた後は、今度は元に戻さなければなりません。こちらの方が頭を使うのですが、「あれっ?あれっ?」と少々悪戦苦闘しながらも何とか完了。本当に日が暮れる有様でした。前輪は別の日に交換しましたがこちらは30分程度で完了。工賃分が浮いたことになり、たまにはパンク修理も自分でやるべきとあらためて感じた次第であります。

見ての通り、後輪がバーストしてぺちゃんこ。
 
さすがに15年もほぼノーメンテのため、タイヤも劣化して割れてしまい、内部の繊維も切れてチューブがひょっこり顔を出しバーストしてしまいました。

タイヤを外すレバー(左のカラフルなもの)とタイヤ2本。16インチは珍しいので、ホームセンターでも在庫がほとんどありません。
 
こちらはチューブ。やはり16インチのチューブは需要が少ないせいか、ホームセンターの在庫はタイヤと同様、少ないようです。メーカはバラバラですが、そんなことはどうでも良いです。

さて、最初に後輪のブレーキワイヤーを外します。ママチャリも同じ手順。
 
スパナを使用してネジを緩めます。こんな感じ。外したネジは無くさないように、ワイヤーに締め付けておきます。。

次にスタンドと泥よけの支えを止めているナットを外します。ラチェットレンチで楽々
 
緩めたところ・・・

両側ともナットを外しました。後輪のシャフトを少し前側にずらしチェーンをスプロケットから外します。これでようやくフレームから後輪を外せるようになります。
 
外した後輪

後輪を外した状態の自転車。逆さまの状態の方が作業はやりやすいです。
 
タイヤを外して見ると、チューブもバースとしたせいで大きな穴が空いていました。

さすがに15年も経っていると、リム回りのゴムのガードも切れていました。もちろんこれはポイッ!
 
必ずしもゴムである必要はなく、代わりにリムの回りを一周テープで保護しておきました。写真を撮りながら作業をすると時間がかかるので写真撮影はこれで終わり。元に戻す方が時間がかかりました。
令和2年5月27日(水)
~ No.1201 5月は誕生日&結婚記念日 ~
 5月は私の誕生月であり、その2日前がカミさんとの結婚記念日です。私の年齢はさておき、平成5年にカミさんと一緒に暮らすようになって既に今年で27年です。早いものだ・・・

 少し前のことになりますが、GW中に家族が揃ったところで、平穏無事に暮らせていることにも感謝しつつ、結婚記念日のお祝いで得意の「鰻」を食べに行きました。いつもの「なまず屋」というお店です。コロナの影響もあり、外食している客はほとんどいなくガラガラでした。それはさておき、鰻を食べると何となく幸せな気分になれますね。この日は財布の紐のことは考えずにあれこれ注文してしまいました。

わが家では専ら鰻といえば「なまず屋」。名古屋市名東区にあります。
 
まずはビールから今日は瓶ビールなので、久し振りにカミさんに注いでもらいました。

長男・かずたかが注文した「きも焼」。鰻の肝ばかりですね。
 
うざく(きゅうりとうなぎの酢の物)は長女・ゆかこが注文。三重県の郷土料理だそうです。長女・ゆかこは初うざく。

こちらは「長焼」。みんなで分けて食べました。
 
こちらはカミさんが注文した「中詰丼」。上の鰻を食べてその下のご飯を食べていくと、またまた鰻が登場してきます。

このお店のメインは「ひつまぶし」。いろんな食べ方ができるので嬉しいですね。

27年経ってしまいました・・・
 
子どもたちも鰻でニコニコ😄大満足

完全に財布の紐が緩んでしまいました
令和2年5月26日(火)
~ No.1200 テレワークの功罪 ~
 先日、緊急事態宣言が解除され少し緊張感が和らいだところですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 緊急事態宣言の解除が一番最後となった関東の1都3県では、商業施設の営業も少しは緩和した感じですが、緊急事態宣言の発令前とはほど遠く、営業時間も短く、恐る恐る営業をしているような感じです。

 本日を含め、先週と今週でここまで4日ほどは時差出勤(11:30~19:30)。緊急事態宣言が解けてからでは、本日が最初の出勤日となりましたが、電車はやはり空いているし、職場は相変わらずテレワークだらけで空っぽ、一部の職員が出勤しているだけで至って静かなものです。

 テレビやメディアでも、このテレワークについて最近、今後も継続するかなどテレワークについてよく語られています。
 「顔が見えない」、「仕事の評価が難しい」、「会議システムがうまく使えない」など、悪いことも言われてはいますが、その反面、「混雑した痛勤電車に乗らないで済む」、「出勤のための着替えがなくて済む(クリーニング代が浮く)」、「自由な時間が増えてよい」など肯定的な意見も多いです。私の場合は、後者の肯定派で、個人的にはテレワークによる恩恵が多いような気がします。

 転職してこの4月で5年目に突入しましたが、一番の悩みは自由に使える時間を捻出することです。職場までの通勤時間は往復で2時間強。これまでは残業も比較的多いですし、何しろ単身赴任のために何から何まで自分で完結しなければいけませんから、買物から洗濯まで、毎日となるとそれなりに時間を取られます。結局、時間を削るとなると睡眠か練習時間のどちらかです。

 ところが3月末からテレワークが実施されるようになって、少なくともこの通勤にかかる往復2時間強の時間+出社のための着替えの時間が節約できるようになり、この時間をそのまま練習時間に充てることができるようになりました。ここ数年は、自転車にも乗っていませんでしたが、最近は江戸川沿いの堤防道路を千葉県→東京都→埼玉県と朝から走り、そこそこ練習が出来るようになってきました。新しい生活スタイルというよりか、私の場合は、若いときの時間のある時代にタイムスリップした感じです。

 ここ4年は生活していても、いわゆる「私生活」の部分は閉塞感がありましたが、今後もテレワークが続くのであれば、この通勤にかかっていた時間を有効に活用して「復活!」を目指していこうと思います。60歳までもうあと数年ということもありますので・・・。

この日は、BIKE+RUNのセット練習。比較駅平坦な千葉県市川市内で、坂のある珍しいところとして、ネットで検索したら出てきたのが「弘法寺」。62段の階段があります。ここにやってくるのも久し振り。
 
62段を上がるとこのような風景。本堂はまだこの先にあります。由緒あるお寺です。

 62段の階段を上がったところから市川市内を見下ろしたところ。結構急傾斜な階段です。この日はここを10往復。

弘法寺の入口に貼ってありました。ちょっと悲しいですね。ジョギングではなく思いきり走ればOK?「禁止」はきつ~い物言いですね。
 
弘法寺の階段トレの後は、江戸川の堤防をひたすら北上。JR総武線、国道14号線(市川橋)、京成線、北総線、国道6号線(新葛飾橋)、JR常磐線、国道298号線+外環道(ここまで東京都内)、県道295号線(上葛飾橋)、つくばエクスプレス線、そしてこの日はJR武蔵野線と交差するところまで来ました。もはや埼玉県に入っています。

こちらはJR武蔵野線の鉄橋。ここまで片道で約20kmほど。
 
鉄橋を渡ったところには、JR武蔵野線の三郷駅がありました。

バイクトレは、名古屋から持ってきたTREKの5500。平成5年以降入してから25年以上使っています。当時は珍しかったカーボンフレームで、現在でも軽量の部類に入る名車です。現在でもパフォーマンスが高いのでそのままれーすでも使えます。
令和2年5月20日(水)
~ No.1199 家族BBQ ~
 GW中、数日ですが家族が揃ったので、わが家でBBQ(ただの焼肉?)をしました。陽気も良いので屋内ではなく屋外です。平成14年に新築した際に、作ったウッドデッキを初めてこのような形で使用しました。ウッドデッキはやや細長の感じですが、何とか楽しめる感じにBBQセットは収まりました。
 炭火が途中で少し消えかかったりと、少々ハプニングがありましたが、屋外で安く楽しむことができました。

 なお、カミさんからカネをもらい兄妹で買い出しに行ったこともあり、結構いい肉を買ってきてましたけどね

ウッドデッキにBBQセットを据え付け。買った覚えはないので、長男・かずたかが大学時代に使っていたもののようです。
 
ちょっとコンロが低いかな。少々窮屈そう

肉奉行は、長女・ゆかこに交替。
 
いい感じで焼けてきました。匂いが伝わらないのが残念

このくつろいだ感じがいいですね。
 
カミさんも様子を見に来ました。

ステーキ用のデカイ肉もあります。こちらは大きすぎるので、焼けてからハサミで切りました。炭で焼くと美味しいですね。また、集まったらやりましょうか。
令和2年5月19日(火)
~ No.1198 実家の庭の手入れ ~
 ここ4年間は単身赴任で、実家のある蒲郡市にはお墓参りで訪れる程度。空き家となっているわが実家は、事実上ほったらかし状態でした。草むしりは結構重労働なので、ホームセンターで敷石を購入して防草対策を講じたせいか背丈が1mにもなるような大きな草は生えてきません。しかしながら、実家の庭に植えている木々はどんどん生長していきます。こちらは妙案もなく、ここ数年は放置したまま。松も梅もカリンも伸び放題でした。

 ところが4月からテレワークが始まり名古屋に戻ったこともあり、毎週末は蒲郡に出かけこれらの木々の剪定を6回に分けて行いました(毎回日帰り)。その成果も出て現在は非常にサッパリ。造園業者が行うレベルからしたら見栄えの良さはほど遠いところですが、伸び放題よりはマシでしょう。

 延べ6回(6日)にわたり庭の手入れをしていればハプニングもいろいろあります。そのうち一番大きなハプニングとしては、マムシ(?)に出くわしたことです。さすがに体長が15~20cm程度の小さなもので、まだ暖かくなっていなかったので動きは鈍く、木の枝で突いても目立った動きはありません。とはいえ、庭に住み着いてもらうのも危険なので、その次の回で庭から追い出そうと思ったら、前回いた場所には既にその姿はなく、どこかに引っ越してしまいました。蛇は縁起物とはいえ、マムシはちょっと住み着いてもらうのは困る生き物ですね。

一番の難関は松の木。ここ5年ほど放置している間にどんどん伸びてしまい、背の低い脚立を使っても一番上部を剪定できないほどになってしまいました。
 
とりあえず下の方から順番に剪定を始めました。小枝は枯れている部分も多く、水分が通っていないところは思いきってバサバサと切ってしまいました。

よく見ると枯れ葉が貯まって下の方は陽が通らなくなっているので、枯れてしまっているようです。枯れ葉を叩いたり突いたりして落としてやる作業も剪定と並行して行いました。
 
松の木は4回ほど時間をかけて剪定。切った枝の袋詰めも、小さく切って袋が破れないように注意をしながらの作業なので、意外と時間がかかります。

5日目で松の木の剪定作業は終了。
 
造園業者の腕前ではないので、見せびらかすほどのレベルではありませんが、それなりにスッキリしました。

【BEFORE】
垣根となっている樹木も相当伸びてしまいました。お隣さんのところにも、かなり食い込んでしまっています。
 
もともと成長が早い木なので、思い切ってバッサバッサ。

内側からもバッサバッサ。
 
【AFTER】
どうですか、サッパリしたでしょう。上の方は、屋根に登って屋根から伐採しました。

こちらもゴミ袋への詰める作業は骨が折れました。
 
【BEFORE】
この辺りは、敷石の隙間から草が生えています。

【AFTER】
割とラフですが、ささっと草取りもしました。
 
【BEFORE】
エアコンの室外機周りも草が伸びてしまいました。

【AFTER】
こちらは少し丁寧にとってみました。

屋根に登るときに使用した脚立。昨年、ホームセンターで松の木の剪定用に購入。確か8,000円ほどしたかと思います。

真ん中付近の木は、敷地境界にあるので、私の実家の敷地側である屋根の上から剪定を行いました。

こちらはこれまで剪定してきた木々。それなりに格好が付く程度にはなってきました。

庭への入口の扉も老朽化して壊れてしまいました。こちらは6月に帰省したときに修理しようかと考えています。

清掃作業中に見つけたマムシ(?)。剪定した木の枝で突いてみましたが、4月で気温が低い日だったせいか動きも鈍い感じでした。

こちらの方が分かり易いかと思います。中央の茶色と白の特徴的なシマシマを見るとやはりマムシかと

延べ6回(6日)に渡る剪定作業。1回だけ剪定だけで袋詰めをしなかった回がありましたが、5回はいずれも袋詰めをして車に積んで名古屋に運んできました。初回は6袋。

2回目は8袋。

3回目は6袋。

4回目は集めず5回目は10袋。

最終回は6袋で、5回の合計は45リットルの袋で合計36袋。1年くらいは剪定作業をしなくても大丈夫でしょうか。
令和2年5月18日(月)
~ No.1197 久し振りの出勤とアベノマスク ~
 今日は3月27日(金)以来、約50日ぶりに職場に出勤しました。4月は諸般の事情で、出勤を免除してもらいましたが、今月は管理職のローテーション出勤で今月中に合計で5日ほどの出勤があります。
 とはいえ、相変わらず11時30分~19時30分の時差出勤(D勤務)なので、出勤時間はいわゆるラッシュアワーからは全く外れた時間帯で、地下鉄はガラガラです。テレワークが進んだことももちろんあるかと思います。

 職場の最寄り駅は、東京メトロ日比谷線の神谷町です。この付近には大使館も多く、いつでも歩いている人は多いですし、流しているタクシーも相当な数です。この日は、休日かと間違えるくらい人の通りも車の通りもありません。ゴーストタウンとまでは行きませんが、疫病に襲われた街の感じが漂っています。

 職場の入居しているビルの1階でも、受付の女の子と警備員が一人いるくらいで、外来者で入館手続きをしている人など一人もいません。エレベータで上がっていって、職場についても出勤している人は10%程度ですかね。非常に静かです。

本八幡10時26分発の新宿行き普通列車(10両編成)の私の乗った車両は、乗客は私だけ。
 
小川町で都営線から東京メトロに乗り換え霞ヶ関までやってきました。霞ヶ関の丸の内線ホームですが、午前11時過ぎでこのガラガラ状態。

霞ヶ関で日比谷線に乗り換え。日比谷線ホームでも到着した列車から降りてくる人はちらほら。
 
神谷町駅界隈も、人も車も休日のようにひっそりしています。ゴーストタウンの雰囲気が出ています。

帰りの丸の内線の車内。午後8時過ぎでも立っている人はいません。
 
淡路町で丸の内線から都営新宿線に乗り換え。小川町で列車を待つ人もかなり少なめ。


名古屋のわが自宅にも、ようやくアベノマスクが届きました。
 今日は13時30分~16時までと16時30分~17時30分はテレビ会議をしていたので、私の席の辺りだけガヤガヤしている感じ。パソコンのスピーカを付けていても周りに人がいないので、苦情もありません。女の子が一人出勤していたので、電話も取ってもらっていましたが、いつもの数分おきに電話がかかってくる騒々しさもなく、外の人にもテレワークで人があまりいないことが認知されてきたようです。
 東京の警戒宣言がいつ解除されるかわかりませんが、仮に解除されたといったからといって急にテレワークがなくなって、従来の「密」な職場環境に戻るはずがないだろうと私は踏んでいます。

 さて、話しは変わりますが、夕方、カミさんから「わが家にもアベノマスクが届いた」と連絡がありました。以前から「もらっても使わないよね。必要なところに寄付をしよう」と決めていたので、必要としているところを探して寄付をしようかと考えています。
 みなさんのところには届きましたか?町でこのマスクを付けている人はなかなかお目にかかっていないですね。全世帯に配り終わるのはいつになるのでしょうか。
令和2年5月17日(日)
~ No.1196 相続(土地・建物) ~
 先日、預金の相続については、レポートしましたが、今回は土地と建物の相続の手続きについてです。
 私が法定相続人となって相続する土地や建物は、蒲郡にある実家が唯一の物件です。昭和42年に父が購入し昭和55年に母親に生前贈与され、以降はそのままとなっています。今回、その土地と建物を相続するので、名義が換わるのは実に40年ぶりということになります。こちらについても、名古屋法務局のサイトを見ながら書類を集めたり、登録免許税の計算などをしました。

 念のため、わが家から一番近い名古屋法務局名東出張所で書類の確認を兼ねた相談をしようとしたところ、コロナ対策で面談の相談は受付していないとのこと。電話相談という形で、翌日電話をもらい聞きたいことを整理して電話やりとりをしました。愛想のない年配のいかにもOBで再雇用という感じのオッちゃんに半分説教をされているような感じでほぼ一方的に喋られました。「ところで自分で申請するの?」というので「はあ、もちろんそうですが・・・」というと、「書類の綴じ方はあーで、こーで」「謄本を返してもらいたかったら、返信用封筒に切手はいくらいくらで」とまたまた一方的に喋られ、少々、疲れましたがとりあえず書類は整った感じです。

わが家から15分ほどのところにある名古屋法務局名東出張所に行って来ました。不動産番号を調べるためにとりあえず手数料を払って登記簿謄本を取りました3通で1,800円ナリ
 
謄本は、交付申請書に手書きでもできますが、オンライン申請でもできるようです。大半の人はオンライン申請をしていましたが、機械が一台しかなく長蛇の列ができると係員が「これだけ並ぶと手書きの方が早いです」と申請書を配布していました。

ある日のお昼前に行ってきましたが、法人の印鑑証明書を取る人が多かった感じです。そこそこヒマな感じではなさそうです。
 
左から相続登記の申請書、中央が母親の出生から死亡までの戸籍謄本、除籍謄本等の束。私の住民票も入っています。一番右は謄本類を返却郵送してもらうための返信用封筒と切手。ただし、単身赴任先の千葉県への郵送は不可とのことで、結果的には使用せず。

 相談は、名古屋法務局名東出張所でしたが、書類の提出先は蒲郡市を所管している名古屋法務局豊川出張所です。豊川に出かけるのは何年ぶりでしょうか。

 豊川市は人口約18万4千人で、東三河では豊橋市(人口37万3千人)についで人口の多い街です。戦前は、豊川海軍工廠があったこともあり、空襲で大きな被害を受けています。戦後、この海軍工廠跡は、陸上自衛隊の豊川駐屯地、日本車輌製造、コニカミノルタ、新東工業などに生まれ変わっています。この日本車輌製造は、新幹線などの鉄道車両の製造工場のほか、私の仕事の関連で行くと高圧ガス関連の貯槽などの大型容器の製造工場でもあります。見学ももちろん、検査でも何度も行っていたところでもあります。また、豊川シティマラソンでは、平成14年から平成19年まで私が6連覇を果たした大会で、個人的にはいろいろと思い出のあるところでもあります。

豊川市の官庁街は諏訪町付近です。交差点の角には豊川郵便局が見えます。名古屋法務局豊川出張所は直進ですが、とりあえず交差点を左折します。
 
交差点を左折すると交通量が少ない割に片側2車線の道路があります。この道路の正面が日本車輌製造・豊川製作所。新幹線などの車両の製造工場があります。

正面の左側にはモノレールが見えますね。ここで製作されたものを再び買い取って据え付けしているようです。
 
門の右手にはSLが見えます。こちらもここの工場の出身のようです。新幹線が完成したときは、この門から道路に出て、浜松工場まで牽引されていくそうです。そのこともあって、、工場の前の道は広くなっています。

こちらは豊川市陸上競技場。平成14年~平成19年まで豊川シティマラソンで6連覇したときのスタート・ゴールとなったところ。当時は、全天候型ではなく雨が降るとぐちゃぐちゃでしたが、平成24年に全天候型の陸上競技場に改装。せっかく豊川市にやってきたので、久し振りに寄ってみました。

 ある日、名古屋から自動車で2時間半ほどかけて、名古屋法務局豊川出張所に向かいました。もちろんここに行くのは初めて、ナビで行き先の設定をしているので間違えようはありません。数日前に、名古屋法務局名東出張所にも謄本を取得するために出かけたのですが、そこよりもさらに小さな建物。来客はほとんどおらず、職員さんもヒマそうです。
 早速「②登記」と書かれたところに出向き「相続登記お願いします」と私。窓口には、若そうなあんちゃん。「相談とか事前にされましたか?」とあんちゃん。「名東出張所で電話でしています」と私。ペラペラと差し出す書類を見ているけども何やら不安げな感じ。「椅子におかけてお待ち下さい」とあんちゃん。私も役所で何十年と申請書の審査をしていたので、いざ自分が書類を作成したり、関係する添付書類をかき集めるのは面倒だなと思ったものの、相続登記の審査など高圧ガスの技術的な審査と比べれば難易度など全く大したことは無い(と思う)。

 30分ほどすると「加藤さ~ん」と呼び出される。なぜ、あんなに簡単なものの審査にこれだけ時間がかかるのかと思いきや、呼び出すのは先ほどのあんちゃんではなく、いかにも退職して再雇用されているような爺さんだ。先ほどのあんちゃんは不慣れで、この爺さんに任したのであろう。もしかしたらこの爺さん、短時間採用で出勤してくるまで私が待たされていたかもしれない。母親に一度離婚歴があり、関係図にその旨の記載が無かったので追記して欲しいと。こちらはその場でボールペンで用紙に追記。土地の評価額や登録免許税の計算は正しかったようなので、収入印紙として59,200円を購入して貼付してから最終的に提出してくださいとのこと。やれやれ。ちなみにこの登録免許税とは、相続の場合土地や建物の評価額の0.4%に対して課税される。今回私が相続する土地と建物の評価額が1,500万円ほどなので、その0.4%がの59,200円が登録免許税ということだ。同じ手続きをしても、土地・建物の評価額が大きければ事務的な作業は同じでも登録免許税は高くなるという仕組みだ。
 ちなみに、相続税であるが法定相続人が1人の場合は、3,600万円までが控除されるので、預金と土地建物を合わせても3,600万円にははるかに及ばないので相続税はありません(相続税を払うべき人は、8%くらいとか)。

ここが名古屋法務局豊川出張所。外装工事中なのか、シートがかかっています。
 
主要業務は2階で行っているようです。階段を上がっていきます。

こちらが2階の入口。先日訪れた名古屋法務局名東出張所もこぢんまりとしていましたが、豊川出張所はさらにこぢんまりとしています。
 
ここも各種証明書の交付申請がメインの業務のようです。ただし、私が訪れたときには、来客がほぼゼロで、係員さんたちもヒマそうにしていました。

登記関係は奥の方の2番窓口。
 
内部を確認してもらいました。一部修正がありましたが、とりあえず受付してもらえました。

申請書の次には、収入印紙を貼るための白紙を挟みます。収入印紙は、名古屋法務局豊川出張所で購入できますが、59,200円とこれだけ高額の収入印紙を購入したのは初めてです。
 
相続登記後、蒲郡の実家に向かいました。豊川から蒲郡へは、久し振りに国坂峠を経由してやってきました。昔はここを自転車で何回も超えて練習をしていたところです。

 夕方、その豊川出張所から電話があり「加藤さんの戸籍の謄本がありませんので送って下さい」と電話。私も銀行預金の相続と比べると、戸籍の書類が少なく不思議だなあと思っていたら名古屋法務局豊川出張所のちょんぼ。こんな簡単な書類の審査を一体何年やっているんだろう・・・。翌日、郵便局から私の戸籍の謄本を送りましたが・・・。
 また、登記が済んだら、書類の引き取りに再び豊川出張所まで出向かなければいけません。郵送も単身赴任先の千葉県は不可とのこと。審査はちょんぼはするし、郵送先も融通が利かないし、すんなりいかない相続登記でした。遅くとも5月中には終わるようなので、6月くらいに再び名古屋法務局豊川出張所まで出向いてみたいと思います。
 
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