NO.1226のNewsへ |
令和2年8月22日(土) ~ No.1225 古渡城、末盛城、沓掛城、大高城、桶狭間古戦場 ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月30日(日)から「麒麟がくる」の放送が再開されるようです。前半もなかなかよく、後半もきっと期待できるものになろうかと思います。とりあえず、放送が再開される前に前半の復習を兼ねて、桶狭間の戦いの舞台となった桶狭間の合戦場(跡)、今川義元がその直前に宿泊していた沓掛城(跡)、徳川家康が戦いに加わらず居残った大高城(跡)などを帰省期間中にカミさんと一緒に回ってきました。 沓掛城や大高城は、「麒麟がくる」でも登場してきますが、大きなポイントではありません。やはり一番メジャーなのは「桶狭間の戦い」の合戦場でしょう。合戦は広範囲で行われていたようですが、史跡として残っているのはその一部で今川義元が戦死したと伝えられる場所です。 織田信長と今川義元の像が建てられているものもありますが、こちらは「桶狭間古戦場公園」という別のところです。こちらについては今回は訪れていませんが、機会があれば訪れて紹介したいと思います。 以下は、今回訪れたところに加え、別日に訪れた末盛城も加えて説明をします。 【古渡城/名古屋市中区】
【末盛城/名古屋市千種区】
【沓掛城/愛知県豊明市】
【大高城/名古屋市緑区】
【桶狭間古戦場/名古屋市緑区~豊明市】
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月17日(月) ~ No.1224 スマホ買い換え ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先週、スマホの音が鳴らなくなり、「おや?設定のミス」と思っていましたが、念のため自宅から電話をかけてみたところ、話し声も聞こえてきません。「う~ん、壊れた?」と思いドコモショップへ出かけます。店員さんもテストしますが「どうもスピーカーが壊れているようですね」という診断。修理に出しても、時間と費用からすれば買い換えした方がよいと判断(店員さんも同じことを言ってました)。今回、買い換えることにしました。 3年ほどしか使用していなかったので、少々もったいないような気はしましたが、この手のものは最新のものにしておかないといろいろと不都合が出てきます。結局、アンドロイドの一番廉価版で、税込23,760円のものに買い換えしました。こちらの手続きをしたのが8月15日(土)の夕方。 ところでスマホを買い換えして面倒なのが、電子マネーの入れ替えとアプリのダウンロードですね(カミさんは、非常に嫌がって5年も使い続けている)。私が使っている電子マネーは、Edy、Waon、nanacoの3種類ですが、一旦、センターというところに預け、スマホを変えたらそこからまた戻すというやり方。各社によって若干手続きの差はありますが、概ねそういうやり方です。 あとはLINEの設定、セブンイレブンのアプリ、ヤマダ電機のアプリ、スポーツナビのアプリ、スマートニュースのアプリなどいくつかダウンロードしてセットアップが完了。夕方から始めて日付が変わりそうな時間までセットアップに時間がかかりました。 今回スピーカーが壊れたのは謎ですが、新しいスマホこれからも大切に使いたいと思います。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月17日(月) ~ No.1223 夏期休暇終了。帰りは青春18きっぷ ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8月7日(金)は、東京駅から星ヶ丘までJRハイウエイバスで帰省。こちらは早割で2,350円。本日の名古屋からの戻りは、青春18きっぷを利用し、東海道本線の乗り継ぎ乗り継ぎで東へ向かった。こちらは、金券ショップで5回分を11,700円で購入したので、1回分が2,340円。バスの早割とほぼ同額であるが、乗り換えの多いこと多いこと・・・。計画的に行動しないと、トイレも食事もできなくなるので、あまりギリギリの計画をしないのがコツ。あとは、乗り換え後に席に座れないことがないように、通勤時間帯を外すなどの工夫も必要。列車が遅延して、接続する列車に乗れなくなることもあるので、終電で到着するような予定は組まない方が賢明。 乗り換えは多いけど、名古屋~東京の東海道の景色は素晴らしいので、その気のある方は一度お試しを。ただし、移動時間が長いので、退屈をしのぐ準備は必要かと
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月11日(火) ~ No.1222 キャリーケースにデジカメも買い換え ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
先週は、冷蔵庫の買い換えのご報告をしましたが、6月にはデジカメが、そしてつい最近、キャリーケースも壊れてしまいました。どちらも私にとっては大切なアイテム。今思えば、私の使い方に問題があるような・・・。 また、どちらも修理に出しても時間も費用もかかりそうなので・・・。ということで、いずれも新たに買い換えしました。今後は大切に使いたいですね。(※ 実はまだ買い換えしなければならない大切なものが残っています。後日レポートします。)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月8日(土) ~ No.1221 14年ぶりに冷蔵庫買い換え ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨晩、単身赴任先から名古屋へ帰ってきました。しばらくはお盆休みで名古屋にいる予定です。 さて、話は変わりますが、一ヶ月前ほどから冷凍庫のアイスクリームが軟らかくなることが発覚。以前もそうでしたが、こういう現象が起きてくると冷凍庫を修理しようとしても保証期間は切れているので有償になるし、同じようなことが繰り返し起きる可能性が高いです。ということで、修理は諦め、さっさと買い換えをすることにしました。 カミさんはK'sデンキが好きなようなので、先日の4連休の7月23日(木)に恵那市に行った帰りにK’sデンキ一社店に立ち寄ってその場ですぐに冷蔵庫の機種決めをしました。4連休中に配送してもらえるかと思いきや、以外にも時間がかかるとのこと。結局8月8日(土)の本日配送していただきました。 今日まで使ってきた冷凍庫は、平成18年4月7日(金)から使用してきたもの。14年と4ヶ月の冷蔵庫人生でした。14年前は前倒しの搬入で、スイミングスクールから帰ってきた子供たちが大はしゃぎ。今はその子供たちも、社会人と大学生。時間が過ぎるのは早いですね。 今回の冷蔵庫を前と同じペースで使えば私も70歳を超えることに。一緒に長生きしましょう!
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月7日(金) ~ NO.1220 4連休(最終回) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月25日(土)】 4連休ではあるが、この日、京都から名古屋へ戻るので、外出するのはこの日が最終日となる。この日は福知山に向かい、福知山光秀ミュージアムと福知山城の見学が目的。夕方から長女・ゆかこがアルバイトがあるというので、あまり遅くならないうちに京都に戻ってこなければならない。 前回、7月上旬に行った亀岡市(京都府)は、比較的京都市内からも近く高速道路を使わず行ったものの、福知山市は同じ京都府でも、かなり日本海に近い。一般道の往復では時間がかかりすぎるので、今回は往復とも高速を利用した。それでも、途中、片側一車線の区間も多く、70km/h位で走ることもしばしばだったので、思った以上に時間がかかった。
福知山市にやってくるのは公私とも初めて。 今年で30回を数える福知山マラソンも、エントリー数が9,000人を超える人気大会。毎年11月23日に開催されるが、今年はすでに中止が決まっている。明智光秀ミュージアムと福知山城を見に来ようという機会がなければ、おそらくマラソン大会くらいしか私には用事のない街だったかもしれない。 福知山市は人口約76,000人の都市。京都では、京都市、伏見市(現京都市伏見区)に次ぎ、三番目に市制を施行(昭和12年)している。当時の人口は32,000人程度。 現在、京都府内では、①京都市(146.2万人)、②宇治市(18.0万人)、③亀岡市(8.6万人)、④長岡京市(8.0万人)、⑤舞鶴市(7.9万人)、⑥木津川市(7.7万人)に次いで7番目に人口の多い都市となっている(全部で15市)。 京都市内から2時間弱で福知山市に到着。 福知山市には初めて来たものの、ごみごみした感じもなく落ち着いた城下町という感じ。福知山城のそばの無料の駐車場に自動車を停めて、まずは明智光秀ミュージアムのある方へ向かう。駐車場には結構な数の車。順番待ちをするほどではないものの、京都以外のナンバーの自動車も結構見かける。 チケット売り場では、明智光秀ミュージアムと福知山城のセットで購入。福知山城も見るからに立派な感じで、こちらの見学も楽しみな感じ。 福知山光秀ミュージアムは、福知山城公園内にある「佐藤太清美術館」(※ 佐藤太清(さとうたいせい)は、福知山市出身の日本画の画家)を改装したもの。入口の張りぼてのパネルまでは写真撮影はOKであるが、内部は他の大河ドラマ館と同様、写真撮影が禁止。さすがにここは、岐阜の大河ドラマ館と違って丹波攻略から福知山城を築城するまでの歴史の紹介が中心となっている。やはり地元に根ざした内容となっているのが特徴。内部を紹介できないのが残念である。 福知山光秀ミュージアムを出てからはいよいよ福知山城へ。 福知山城は、丹波平定を成し遂げた明智光秀が1579年に築城したものであるが、明治に入り廃城令により取り壊されたが、昭和61年に再建され現在の姿となっている。 福知山城の石垣は、寺院や墓石をかなりたくさん利用した「転用石」が多く使われているのが特徴。そのほか、本丸に残る深さ50mの豊磐井(とよいわのい)と呼ばれる井戸もみどころだ。
城に入る前に見所の多い城も珍しい。 外観は木造のようになっているが、建築方法としてはコンクリート造り。天守から見る福知山の風景もよかった。築城した明智光秀は、どのように思ったのであろうか。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月6日(木) ~ No.1219 4連休(その4) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月24日(金)・坂本城趾ほか編】 西教寺の見学を終えて、自動車で「滋賀院門跡」へ向かう。 滋賀院門跡とは、元々、京都の北白川にあった法勝寺を、江戸時代初期に現在地に移し、のち後水尾上皇から「滋賀院」の号を賜わったもの。江戸時代末まで天台座主となった皇族代々の居所であったため「滋賀院門跡」と呼ばれいる。 ここも「びわ湖大津光秀大博覧会」の会場の一つで、先ほど購入したチケットの中にもあったので立ち寄る。こちらは先ほどの西教寺ほど明智光秀との関わりがないせいか、観光客も少なくひっそりとしていた。ただし小堀遠州の手がけた庭園は、さすがに名勝というだけあって、素晴らしいものと感じる。
さて、大津で最後に見ておく必要があるのは「坂本城」。 坂本城とは、比叡山焼き討ちの後、明智光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城したもの。宣教師ルイス・フロイスの著書『日本史』では、安土城につぐ天下第二の城と評されるほどの素晴らしいものであったようだ。 本丸がびわ湖に面したという造りで、びわ湖側からは攻めにくい位置としたことが面白い。現在は壊されてしまってはいるものの、びわ湖が渇水になると当時の石垣が湖面の下から現れてくるという。 坂本城址公園に自動車を停めるものの、公園内に見所はあまりない。城址公園とは名ばかりで、元々坂本城のあったところから少し南側に位置するので、厳密に言えば城跡ではない。公園内には明智光秀とはどう見ても似ても似つかぬような石像があったり、「光秀の意地」なる歌詞の書かれた石碑など、もう少し公園を上手に整備できなかったのかと思う。 また、城址公園から少し離れたところで、坂本城の二の丸があった場所に碑があるのでそちらも確認しておいた。 最後に面白かったのは、村田さんという個人の所有する土地の中に「明智塚」があること。塚の由来について、「土岐氏から拝領した宝刀を城の主柱下に埋めた跡である」、「明智光秀秘蔵の愛刀が埋まっている」などの伝承が残っているが、いずれも真相は定かでない。いずれにしても個人の土地を開放しているところが見所だと思う。
大津を後にして、今度は京都に向かう。 残りの予定は「明智光秀の胴塚」と「明智藪」の2つ。いずれもガイドブックの住所をナビに入力して場所を探す。胴塚については、近くに何も案内がなくウロウロ・・・。サイドガイドブックを見ると「コイン精米所のそばにひっそりある」と書いてある。「ん?おっ、そこにコイン精米所が!」ということでようやく発見。コイン精米所でもいいが、「直売ぶどう粟津農園」の方が目印になるような気がする。 「胴塚」については、ここに直接胴体が埋められているわけではなく、農民に刺されたという明智藪の近くに胴体を埋めたようであるとのこと。この胴塚はその伝承を伝えるために地元の有志で作られたものとのこと。なるほど。
最後は「明智藪」。こちらはまさに明智光秀が刺されたという現場。こちらもナビによると住宅地の方にある感じだ。付近まで来ると、文字は小さかったものの「明智藪」の表示があった。道幅も狭く、路肩に車を停めて看板の指示通りに歩いて行く。少し歩いていったところに石碑があった。ただし、刺されたという現場まだこの先とのこと。なるほど、竹藪が現れ雰囲気が出てくる。400年以上経過しても、藪は宅地開発もされずに残っていたことになる。案内がなければ、本当にただの竹藪。山崎の戦いで負けて、すごすごと細い道を通りながら、坂本城に戻ろうとしていたのであろう。 ここで刺されたのは、ほぼ事実であろうが、その後別の形で生き延びたという節もあるが、8月末から再開される「麒麟がくる」では、エンディングをどのように表現するのであろうか。楽しみは残る。
そして午後8時から、長女・ゆかこと合流して「弘」で遅い夕食。この店については、このサイトで何度も登場してくるので、あえて説明をする必要もないだろう。いろいろ注文しても、会計はリーズナブル。たくさん食べなくともおいしいお肉を食べたい方にはおすすめのお店であることは間違いない。(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月4日(火) ~ No.1218 4連休(その3) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月24日(金)・西教寺編】 この日は滋賀県の西教寺、坂本城跡、明智塚のほか、京都市内にある明智光秀の胴塚、明智藪を見学し、夕方、長女・ゆかこと合流、親子3人で会食の予定。 この日は午前10時過ぎのやや遅めの出発。名二環、伊勢湾岸道、新名神、名神と高速道を乗り継いで大津へ向かう。最初の目的地は西教寺。 西教寺の概略を説明すると、天台宗の一派である天台真盛宗(てんだいしんせいしゅう)の総本山。寺伝では、聖徳太子が創建し、のちに天智天皇から西教寺の勅願を賜わり、平安時代に延暦寺中興の祖良源(りょうげん)が、続いて横川の源信(げんしん)が庵を結んで修行道場としたと伝えられている。 その後、荒廃していた時代が続き、室町時代末期に延暦寺で修行を積んだ真盛が入寺して再興している。 また、戦国時代、織田信長による延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀が寺の復興に尽力したことから、境内には、光秀一族の墓もあるというもの。西教寺にとっては、明智光秀は恩人という立場に当たるということだろう。
西教寺の駐車場は広く、「麒麟がくる」で明智光秀が脚光を浴びているせいかもしれないが、思った以上に訪れている人は多い。入口でチケットを購入し中に入る。西教寺に入ってほどなく右手の施設で「びわ湖大津光秀大博覧会」を開催している。見かけは”お堂”であるが、中の雰囲気的は「大河ドラマ館」とほぼ同じといっていい。ここでもこれを見たさに人が集まってきている雰囲気がひしひしと感じ取られる。 博覧会を見学した後は西教寺の本堂の方へ向かう。西教寺は天台真盛宗の総本山というだけのことはあってなかなか広くて移動するのに時間がかかる。かなり上ったところに「唐門」があり、ここから観るびわ湖の風景が絵画のようであると説明があったので、そちらの方にまず行ってみる。確かに額縁に納まった感じであるが、私の撮影の仕方が悪いのか、先ほどの禅明坊光秀館で見たような感じにはうまく撮影ができない その後拝観料を払ったので、所定のルートで本堂などを見学する。本堂も確かに大きいが、これ以外にも非常に見所は多い。写真撮影ができないが「客殿」がいい。もてなしの部屋とは当時でもこういう豪華なものであったかと・・・。また、庭園が立派なのには感服する。それにしても庭園の多いこと多いこと
そして最後に、明智光秀と一族の墓を見ていく。西教寺の本堂前にこれらの墓がある。 1571年に織田信長は比叡山を中心に近江の国の寺院を焼討にし、この西教寺も災禍を被ったものの、その後、坂本城主となった明智光秀が復興に大きく力を注ぎ、1574年に仮本堂を完成し、現在の本尊(阿弥陀如来)を迎えている。 西教寺にとって、明智光秀とは復興に尽力をしてもらった人物であり、大いに恩があったことがよくうかがえる。(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月3日(月) ~ No.1217 ノートパソコン買い換え ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2月頃からノートパソコンの調子が悪くなり、だましだまし使ってきましたが先週末とうとう限界に達しました。症状としてはノートパソコンのディスプレイが映らなくなるというもの。修理に出して直してもらうという方法もありましたが、 ①ちょうどこれからお盆の時期に入るため修理に時間がかかること ②修理に出しても高額な修理代のかかる恐れのあること(なおる保証があるわけでもない) ③3年使用してバッテリーの性能がやや落ちてきたこと ④修理中は、パソコンの使用ができないこと(不便) ・・・などの理由もあり、思い切って買い換えることにしました。 先々月くらいから、買い換えについては検討をしており、価格や機種は概ね検討済み。お盆に帰省の際に名古屋で購入しようかと思っていましたが、少し時期が早まりました。 8月1日(土)、昼から単身赴任先から一番近くの家電量販店であるヤマダ電機・市川本八幡店へ出かけます。ここにはプリンターのインクやひげそりの購入など時々出かけるお店です。パソコン自体はたくさんのモデルが置かれているわけではありませんが、ある程度機種を決めていたので数モデルが置かれていれば十分です。 店員さんと少し値引き交渉を行い購入決定。今回購入したのは、前回とと同じく富士通でUH90/D2というモデル。このモデルに決めた理由はバッテリーの駆動時間が長いということ。重量は855gで600g台のパソコンと比べると少し重いのですが、店員によるとバッテリーが多い分だけ重いとのこと。 さっそく帰ってからセットアップ。前のパソコンからのデータ移管などを行い、夜遅くに使用できるようになりました。ちょうどホームページの更新もこの新しいパソコンで行っています。 今日から出勤の際にもこちらのパソコンを持ち歩きますが、軽量化されバッグが軽くなるのでうれしいですね。
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年8月2日(日) ~ No.1216 4連休(その2) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月23日(木)・後半】 ○久し振りの大正村 瀬戸をあとにして恵那市へ向かう。今日の目的地は、ぎふ恵那大河ドラマ館をはじめとする周辺の明智家ゆかりの地を訪れることである。この地は、現在は恵那市であるが、かつては恵那郡明智町と呼ばれていた。平成16年10月に旧恵那市に岩村町、山岡町、明智町、串原村、上矢作町が合併し現在に至っている。 私にとっての旧明智町は、旧明智町時代から参加している「大正村クロスカントリー」に過去4度出場しそのうち2度優勝をしていることもあるほか、トライアスロンシーズンになると名古屋からこの旧明智町まで片道約50kmの山道を自転車で何度もトレーニングに来たこともあり非常に馴染みがある。子どもたちが小さい頃、2~3回ほど遊びに来たこともある。単身赴任をするようになってからは、旧明智町にはパタリと来なくなったので、ここにやってくるのは何年ぶりだろうか。 一般国道ではあるものの信号もほとんどなく快調に走る。旧明智町に到着したのは午後3時前。日本大正村の無料駐車場に自動車を停めて、まずは大正ロマン館に向かう。ここの1階が「ぎふ恵那大河ドラマ館」になっている。これまで、「岐阜大河ドラマ館」、「ぎふ可児大河ドラマ館」、「京都大河ドラマ館」と3つ訪れているので、今回が4つ目で最後の大河ドラマ館になる(※ 大河ドラマ館ではないが、このほかに「びわ湖大津光秀大博覧会」や「福知山光秀ミュージアム」も大河ドラマに合わせてイベントが開催されている)。さすがに4つ目ともなると慣れもあるがワクワク感はやや少ない。
大正ロマン館で入場券を購入して、早速、中に入る。場所柄なのか、時期的なものかはわからないが、この大河ドラマ館も空いている。まあ、密にならないし空いているのでゆっくり楽しむことが出来るのはよいことだ。 ただし会場は非常に小振りで、他の大河ドラマ館にあった「うつルンです」がここにはその機材が置かれていなかった。会場の広さの制約の関係かもしれないが少々がっかり。そのほかの出し物は、他の大河ドラマ館と比べても少なめで、入場料が安くなっているのも何となく頷ける。
大河ドラマ館を見学した後は、明智城跡に向かう。大正ロマン館から徒歩で行ける範囲とのことなので、トコトコとカミさんと歩いていく。 ここ旧明智町にある明智城は、別名「白鷹城(しらたかじょう)」とも呼ばれ、可児市にある明智城が別名「長山城(または「明智長山城」)とも呼ばれるように区別して呼ぶことも多いようだ。こちらの明智城(白鷹城)は、1247年に明智遠山氏(遠山景重)が築城したもの。この遠山景重の直系で遠山景行が明智光安と同一人物という説があり興味深い。明智光安は「麒麟がくる」の中で明智光秀の伯父として登場してきているので皆さんもご存じであろう。この説が事実であれば、遠山景重こと明智光安が白鷹城の城主であったことになるが、どうも調べていくとこの説はかなり怪しいいうかかなり可能性の低い説のようである。 道中の一部は東海自然歩道になっており、トコトコ歩くにはちょうどいい感じのところ。途中から徐々に勾配が厳しくなる。途中、天神神社を経由し、15分ほどで本丸に到着。現在は気が何本も生えていたり、切り株があったりと本丸があった雰囲気はあまりないが典型的な山城という感じであった。公園などに整備されているわけではないので、ひっそりとした感じであった。
駐車場に戻ってきてからは、自動車で移動。この後に訪れたのは明智光秀の母親の「於牧の方の墓所」。明智光秀の母親「牧(麒麟がくるでは石川さゆりが演じている)」は、松の木に張り付け処刑されたという悲運の人生。「於牧の方の墓所」は、その後江戸時代に里人の民が建立したもので、供養塔のような位置づけのようだ。
同じく、明智光秀が供養されている龍護寺、明智光秀の産湯として使った井戸などを巡ってきた。ぎふ恵那大河ドラマ館が開館している関係か、普段はこういうところを訪れる人がほとんどいないのであろうが、私らと同じようにぐるぐる回っている人を見かけた。(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年7月28日(火) ~ No.1215 4連休(その1) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新型コロナウィルスの感染が拡大している中、みなさんはこの4連休をいかがお過ごしだったでしょうか。私の場合、7月22日(水)の午後に感染者の一番多い東京を脱出して名古屋に帰ってきました。とはいえ、愛知県も名古屋市を中心として感染者が激増。多い日は新規感染者が100人に迫る勢いです。4連休中は、一番よいのは大人しく家でじっとしてることになるのでしょうが、まあ人混みを避け、3密にならないように気をつけながら行動をすればよいだろうということで、連休4日間のうち3日間はカミさんとおでかけしていました。以下はレポートになります。 【7月22日(水)】 この日は午後から休暇をとり、夕方から高速バスで名古屋へ。新幹線であれば片道11,000円程度かかるが、平日の高速バスであれば3,000円。JRバスが8月からまた普段の料金に戻すので、こちらであれば2,400円程度。時間はかかるが東京・名古屋の往復の回数が増えてくると交通費も馬鹿にならない。 バスタ新宿から乗った高速バスは中央道経由で名古屋に向かうが、この日は首都高でやや渋滞が発生したため最初の休憩場所の双葉SAでは15分程度の遅れ。次の駒ヶ岳SAでは、休憩の間にお土産物を買う。リンゴパイと蕎麦がよいということでごっそりと買い込む。約4,000円の出費。バスは22時過ぎ、ほぼ定刻に栄に到着。さらに地下鉄に乗り換え、帰宅したのは23時過ぎ
【7月23日(木)・前半】 この日は連休の初日。今年は梅雨明けが遅く天候が優れない。午前中は天気の様子を見ていたが、晴れる様子もなく外出するかどか躊躇していたが、とりあえず「近場のぎふ恵那大河ドラマ館に行こう」ということでやや遅めの時間であるが恵那(岐阜県)に向けて出発。 ○尾張旭で2日遅れの土用の丑の日 今年の土用の丑の日は7月21日(火)と8月2日(日)。 7月21日(火)は単身赴任先にいたので、スーパーで鰻の弁当を買おうかどうしようか迷ったが、名古屋に帰ってからカミさんと食べに行こうと思いこの日は我慢。恵那(岐阜県)に行く途中、尾張旭市内で信号待ちをしているときに美味しそうな店を発見。食事時でもあったので立ち寄ることとする。店の構えもいいし、雰囲気も出ている。この通りはこれまで20年以上の間に何度も通ったところであるが、これまでは全く気がつかなかった。「鈴松」というお店だ。 お店に入るとエレベータで2階に通される。2階は個室になっており、割烹という感じがよく出ている。雰囲気的には夜のお店ではあるが、店外にも表示があるようにランチメニューも豊富だ。カミさんは「安いのでいいよ~」と言いながらも、ランチメニューの鰻丼(赤だし、茶碗蒸し付き。ソフトドリンク又は濃厚ソフトクリームの選択)というメニューを見てすぐに「これ」と気が変わる。私も同じものを注文する。 鰻は少々小振りではあったが、鰻丼は美味しかった。2,250円(税別)ならばまずまずではないか。わが家からは少々遠いところではあるが、気が向けばまた立ち寄りたいところだ。
○瀬戸では藤井聡太さんの祝賀垂れ幕を確認 食後、再び自動車を恵那(岐阜県)に向けて走らせる。 今回は、高速を使わず一般道だけで恵那へ向かうので、道中、必ず瀬戸を通ることとなる。「愛知県で、今、一番活躍しているのは?」といえば、間違いなく「藤井聡太・棋聖」と誰もが口を揃えるだろう。彼の活躍は、ここで説明をするまでもなく、素晴らしいもの。最年少記録を次から次へと塗り替えていくところに期待感が大きい。コロナで、世の中が暗くなっている中で、いま日本では一番明るい話題ではないだろうか。 その藤井聡太・棋聖の出身がこの瀬戸市(愛知県)。現在も住んでいるようであるが、この活躍をどのように祝しているのか。往路は瀬戸市役所へ、復路は瀬戸の中心的存在となった「瀬戸蔵」の前を通ってみた。結果は以下の通り。今や「瀬戸市」を知らなくても、藤井聡太・棋聖を知らない人はいないだろう。愛知県民の一人として、これからも彼の活躍を期待し続けていきたいと思っている次第。(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年7月13日(月) ~ No.1214 麒麟がくる(小旅行・最終回) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月5日(日)/最終日】 3日目の最終日ですが、夕方大阪府堺市に住んでいる長男・かずたかのところに行くこと以外は未定。 「西教寺に行く?」 「それ大津だから滋賀県だよ。次回にしよう」 「じゃあどこにする?」 「・・・。」という感じで決定打がなかなか出ず、「とりあえず延暦寺(比叡山)にしようか。」ということで最終日の午前中は延暦寺に行くことにしました。ちなみに延暦寺の方が京都府寄りですが、西教寺と同じ滋賀県にあります。比叡山ドライブウエイをうねうねと走ったので、西教寺の方が近かったかもしれません) さてここで延暦寺の説明を少し。 延暦寺は、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院で、天台宗(開祖は最澄)の総本山です。1994年(平成6年)には、古都京都の文化財の一部として、ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。また、織田信長により焼き討ちにあったことでも有名です(←今回はこの関係で見学)。 比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」と呼ばれる3つの区域に分かれていますが、これらを総称して「三塔」といっています。結構広いので、今回は東塔のみ見学。 長女・ゆかこは、アルバイトからの帰宅が遅く、この日はカミさんと二人で出発。京都市内から東進して府道30号線を走り、途中から比叡山ドライブウエイ(有料)を走りました。道はクネクネして京都府と滋賀県の境を行ったりきたりの感があります。景色は確かによかったですね。 今回は、田の谷峠の料金所から延暦寺東塔までの往復で1,600円(JAF割引100円にての料金)。西塔、横川まで行ってきて戻ると、往復で3,000円以上かかるので、決して安い料金ではありませんね。
今回は時間の都合もあって「東塔」地区だけでしたが、思った以上に観光客はいました。さすがは世界遺産ですね。集客力が違います。ただし比叡山ドライブウエイを走っている車は少なかったので、一体みなさんどうやってここまで来たのか不思議です 東塔地区での中心的な建造物は「根本中堂」。先に説明した織田信長の焼き討ちにもあっている施設です。こちらは残念ながら現在改修中で、従来の姿が見えず残念でした。「文殊楼」も行ってみてました。とても急な階段を登り2階部分に上がってみましたが、実際に内部を見てみますと歴史の深さを感じてしまいます。
延暦寺から昼過ぎに一旦京都へ戻り、親子3人で食事。JR二条駅の隣の円町駅のそばに評判のよい店があるというのがわかったので、そこで親子3人でランチ。「洋食の店ITADAKI円町店」といいます。店内は清潔感があり、もちろん料理も美味しかったです。これからも京都に来たらリピートしたいと思います。
さて、食後に長女・ゆかこをマンションまで送り、ここで今回はお別れ。今度は長男の住む大阪府堺市に向かいます。長女・ゆかこの住む京都市右京区から大阪府堺市まで高速道路を経由しても距離は70km程度。結構あります。近畿の道は詳しくないのでナビにお任せですが、上鳥羽ICから第二京阪、近畿道、阪神高速を経由して堺に行くというルートです。阪神高速がくにゃくにゃしているので、ちょっと走るのが面倒です。 長男・かずたかとは18時の待ち合わせで時間が少しあるので、仁徳天皇陵に行ってみました。 仁徳天皇陵は今回の大河ドラマ「麒麟がくる」とはまったく関係ありません。私の少ない知識で「堺といえば、仁徳天皇陵、クライオワン、ハイドロエッジ」となってしまいます(後ろの二つは、私の仕事絡みの会社)。以前、クライオワンに見学に来たときに、遠巻きに仁徳天皇陵を見たことはありましたが、近くに行ったことはありません。長男・かずたかが大阪府堺市にいる間に、少しは堺に詳しくなろうということで今回は仁徳天皇陵を訪れました。 仁徳天皇凌ですが、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれています。日本では最大の前方後円墳で有名です。大阪府堺市には、この仁徳天皇陵のほかにも古墳がたくさんあり、百舌鳥・古市古墳群として世界遺産に登録されています。あまりにも大きすぎて近くに行っても、ただの森にしか見えません。上から全景を見渡せるところがないかと調べたところ、堺市役所の21階の展望台がよいということがわかり、さっそく堺市役所へ。駐車場に自動車を停める前に警備員さんに確認したところ、コロナの関係で現在は21階は開放していないとのこと仕方がないので、横から古墳を見るだけにしました。といっても中には入れるわけでもなく、横から見るだけでは面白みはないですね。
近くの大仙公園を散歩したりして、18時に長男・かずたかのマンションへ。月曜日と火曜日が休みとのことで、この日は親子3人で名古屋に戻りました。仕事も慣れはしてきたものの、社会人特有の悩みもいろいろあるようですね。自動車の中でぶつくさ言っていましたが・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年7月11日(土) ~ No.1213 麒麟がくる(小旅行・その2) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
【7月4日(土)/2日目】 この日は、朝食を小川珈琲の本店で摂ってから親子3人で京都府亀岡市へ向かうことにしました。小川珈琲は京都に本店を構える有名なコーヒー店です。世間では通販の方が有名かもしれませんね。店内は広いですが行ったときは満席で、少々順番待ちをしました。
さて、朝食後は国道9号線を亀岡に向かって車を走らせます。京都市内から徐々に山がちになり、ついには片側一車線となります。山陰に抜ける主要道ですが、東海道、山陽に比べれば交通量の少ないことは一目瞭然です。 亀岡市に行くのは今回が初めてです。長女・ゆかこの大学の同級生に亀岡市から通っている子がいるようですが「何も無いところ」といっているそうです。でも明智光秀は、ここから本能寺に出かけて行っています。一体どんなところか・・・。 亀岡で行くところといえば、「京都大河ドラマ館」。サンガスタジアムが会場ですが、現在J2に在籍している京都サンガF.C.のホームグラウンドです。以前は京都パープルサンガと称しており、ホームグラウンドは西京極陸上競技場だったはずです。調べたところ、このサンガスタジアムは京都府が亀岡市に建設したものとか。人口約86,000人亀岡市(これでも人口は京都府では京都市、宇治市に次いで3番目とか)の財政では厳しいかもしれませんね。2020年1月に竣工なのでまだピカピカの施設です。確かにJR亀岡駅には近いので、交通の便は良さそうです。 自動車を近くの駐車場において、京都大河ドラマ館に向かいます。この日も天候が悪く、あまりお客さんがいなさそうな雰囲気。大河ドラマ館もこれで3つめということもあり慣れてきました。検温したり、住所や連絡先を書かされたりも同じです。こちらも館内は同じコンセプトです。亀岡は、明智光秀を前面に押した感じなので、ぎふ可児大河ドラマ館、岐阜大河ドラマ館とはやや雰囲気が違ったような気がします。まあ、それはそれでよかったですね。
大河ドラマ館を楽しんだ後は、明智光秀が建てたという亀山城趾を訪問しようと思いましたが、雨脚も強くまた適当な駐車場もなくこの日は断念。亀岡市内で昼食を摂って京都に戻ることにしました(丹波亀山城趾は、宗教団体が管理しているので見学は手続きが必要のようです)。 ただしJR亀岡駅のそばにある南郷公園には明智光秀の像があるので、そこだけ覗いてきました。
さて京都市内に戻ったところで「次の行き先は?」ということになりますが、私の提案で「本能寺の変(1582年)」で有名な本能寺に行くことにしました。現在の本能寺は、移転をしたもので元々本能寺のあったところ(本能寺跡)は、現在、特別養護老人ホームになっています。跡地でもいいですから400年以上前に明智光秀に襲撃され織田信長は自害したと言われています。地元の人には知られているところかもしれませんが、さほど車の通りの少ないところに碑は立っていました。
この日最後に訪れたのは「明智光秀の塚」です。 1582年、先ほど行きました本能寺において織田信長を襲撃した明智光秀は、すぐ後の山崎(天王山)の戦いで豊臣秀吉に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、小栗栖の竹薮で農民に襲われて自刃、最後を遂げたと言われています。 家来が、光秀の首を落とし、知恩院の近くまできたが、夜が明けたため、この塚のあるところに首を埋めたと伝えられているものです。 現在、この塚のあるところはいわゆる路地裏。今年は大河ドラマで主役ではあるものの、歴史的には織田信長に隠れるような存在のため、塚についても「道三塚」以上に地味な感じの扱いのような気がしました。(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年7月9日(木) ~ No.1212 麒麟がくる(小旅行・その1) ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」はお休み中で進展がありませんが、その隙を突いてとばかりにカミさんと明智光秀やら織田信長に関係しそうなところを旅してきました。日程的には2泊3日ですので、分割してレポートします。 【7月3日(金)/1日目】 7月の上旬、カミさんが関西にいる子どもたちのところに遊びに行くというので、私もくっつていくような感じで同行。7月2日(木)の夜遅くに、東京の職場から名古屋の自宅に戻ってきました。 7月3日(金)~7月5日(日)で京都を含めてあちこちに出かけようとは言っていたものの、行程については全く無計画。「とりあえず、初日は清洲城と岐阜の大河ドラマ館、金華山に行こう。あとは道三塚かな」ということで出発。 最初に訪れたのは清洲城。織田信長が桶狭間の戦いの時に出陣していったということで有名になりました。今回の大河ドラマの前半の最終回でもそのことは取り上げられていますね。現在は復元した清洲城がありますが、本来は隣の清洲公園にあったそうです。この日は平日ということもあり、訪れている人はちらほら。清洲城は名古屋を新幹線で出発して数分。京都方面への進行方向の右手に見えてきます。注意していれば気がつくので、一度は車窓からもご覧下さい。ただし、現在は改修中で外からはシートがかけられているので、少々、気がつきにくいかもしれません。
次に訪れたのは道三塚。マラソン大会で何度も訪れていた岐阜メモリアルセンター長良川競技場からさほど遠くもないところにあります。道三塚は、特に案内看板もなく自動車でウロウロしながら見つけました 道三塚とは、美濃を納めていたマムシの道三こと斎藤道三が葬られているもの。元々は、現在の場所とは異なる別の場所にあったようであるが、度々、長良川の増水によって流されてしまったこともあり移転したようです。「麒麟がくる」での斎藤道三は、序盤においてかなり目立つ位置にいて記憶に残る存在でしたよね。最後は長男との戦で敗れ亡くなってしまうという派手な一生であったのも記憶に残るでしょう。斎藤道三はもちろん岐阜市内では有名な人物。その割には、道三塚は意外と地味に残っているというか、静かにひっそりとしたところにあるという感じでした。
道三塚を後にして、この日のメインの岐阜大河ドラマ館へ移動します。道三塚からは時間にして10分ほどでしょうか。岐阜大河ドラマ館は、金華山の麓の岐阜公園内にある岐阜市歴史博物館の2階を利用していました。ぎふ可児大河ドラマ館と同様、イベント用の仮設の建築物が建てられているわけではありません。 岐阜大河ドラマ館は、岐阜市にあるということもあり、明智光秀以外にも先に紹介した斎藤道三や岐阜城にも一時居城としていた織田信長の方にやや強めのスポットが当てられている感がありました。 またぎふ可児大河ドラマ館と基本的には同じようなコンセプトで作られていますが、大河ドラマ館めぐりをする私らのような人にも楽しめるように、少しずつ違う工夫はされています。館内は撮影禁止ですが、書く大河ドラマ館ごとに人物、背景をそれぞれ選択し自分の顔をそこに合成して大河ドラマに出てくる人物になれる「なれルンです」がありますが、これはここでも好評でした。違う意味で大河ドラマ館の中で写真撮影ができる貴重なスポットでもあります。訪れた日が平日の雨天ということもあり空いていましたね。
大河ドラマ館を出て、この日最後の目的地である岐阜城へ向かいます。 岐阜城は標高329mの金華山の頂上にある山城です。城主が斎藤道三の頃「稲葉山城」と呼ばれていましたが、1567年に織田信長は本拠地を小牧山城(愛知県小牧市)から稲葉山に移ったことを機として、古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したのに因んで、この城と町の名を「岐阜」と改めています。 金華山に登るのは何年ぶりでしょうか。わが子どもたちがおそらく未就学児の頃に、頂上にある「リス村」に連れて行って以来ではないですかね。金華山は徒歩でも登れますが、一般の観光客はロープウエイを利用します。眺めもなかなかいいので、頂上に行くにはロープウエイはオススメです。 ロープウエイを降りてからは岐阜城へ向かいます。こちらは清洲城と同じく復元をしたものです。ロープウエイ乗り場からテクテク歩くこと約5分で岐阜城に到着。途中には階段もあるので、以外と時間はかかります。 検温や書面での住所などの記入を終えてからチケットを購入。内部は展示物や岐阜城の歴史を紹介しています。最上階へ行くと岐阜市内が眼下にきれいに見えます。この日は雨天のため、ややしっとりとした感じでした。 それにしても標高329mもある岐阜城から麓まで、いちいち上り下りするのはさぞかし大変であったかと。昔の人はそういう労を惜しまずに上り下りを繰り返していたのでしょうか。
この日の大河ドラマ関係の旅は終了。東海北陸自動車・一宮木曽川ICから京都へ向かいました。夕方からは、カミさん、長女・ゆかこと3人で外食。お馴染みの焼肉の「弘(ひろ)(千本三条本店)」が会場です。今回もガッツリ食べてきました。いいお肉を扱っているお店で、何度行っても十分楽しむことが出来ますね(続く)
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
令和2年7月6日(月) ~ No.1211 ドアラのフライパンが届きました ~ |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製品を作っているのは、愛知県碧南市の「石川鋳造㈱」です。さすがにドラゴンズの地元・愛知県の会社の製品ですね。 今日の夕方ようやく届いたようですが、カミさんにもまずまず喜ばれました また、成人してしまったわが家の子どもらにも意外とウケがよかったようです。(幼いということ?) いずれにしても、料理が楽しくなることに少しは役立てそうですね |
NO.1210のNewsへ |