NO.221のニュースへ |
平成18年7月1日(土) 〜 NO.220 ダブル進級! 〜 |
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毎週金曜日は、3年ほど通っている東邦スイミングのスクールの日です。 父が、ちょうど帰宅する頃に子供たちは二人ともスイミングの送迎バスを降りて家に戻ってきていたところでした。 ゆかこ : 「お父さん!今日テストで進級したよ!」 わたし : 「ほーっ!それは、よかった!ところで兄(にい)は?」 かずたか : 「(ちょっととぼけた感じで)僕もあがったよ。」 わたし : 「そうか二人とも上がったのか!それは目出度い」 ということで、子供たちの成長がうれしい父は、夕食にかずたかのリクエストを受け入れ”カツ丼”にしたのでありました。 ちなみに来週からは、3時間目になるので帰宅が遅くなりますね。
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平成18年6月4日(日) 〜 NO.219 納車 〜 |
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5月27日(土)付け「さようなら ステップワゴン」でお知らせしたように、9年6ヶ月乗ってきた初代ステップワゴンを売却して、本日新車の納車がありました(といっても販売店に直接取りに行きましたが)。 新しく乗り換える車も、実は「ステップワゴン」です。 今回の色は”シルバー”。わが家には屋根付き車庫はあるものの、だんだん洗車が面倒になってきたということです。 それにしても10年近く乗り続けたステップワゴンからの進化は凄まじいモノでした。セールスのS永さんから説明を受けるたびにみんなで「ホーッ!」の連続でした。 今回の購入も9年前と同じ”ホンダベルノ愛知・緑店”ですが、今回も店長以下、整備工場長、セールスマンが揃ったところで納車式を挙行。花束をいただきました。9年前と同じく嬉しい心遣いです。 わが家での2台目のステップワゴンも長く乗っていきたいと思います。 |
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平成18年6月3日(土) 〜 NO.218 信州旅行に行ってきました 〜 |
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今週の月曜日(5月29日)が小学校の運動会の振り替え休日となったので、日・月と1泊2日で信州旅行に出かけてきました。なぜ、信州旅行になったかというと
心配された天気もどんどん良くなり、短期間の旅行でしたが子どもたちにも好評でした。これから、暑い夏がやってきますね。名古屋からの避暑には信州は最適ですね。それでは、旅行のワンシーンを・・・。
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平成18年5月27日(土) 〜 NO.217 さようなら ステップワゴン 〜 |
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平成8年11月から約10年に渡り乗り続けた初代ステップワゴンと来週末で別れを告げます。 今から10年前、街中で走っている「ステップワゴン」の斬新なデザインに惚れてしまい購入しました。世の中に登場してまだ間もない頃でした。 ご存じの通り、ステップワゴンは人気のある車で登場以来10年経ちましたが、いまだに初期型のステップワゴンが走っているのを多く見かけます。そういう事情もあってなかなか乗り換える気もしなかったのですが、年末の大雪の日にスリップをして後輪を縁石にぶつけてしまいました。走行には支障はないのですが、さすがに先般の6ヶ月点検で確認してもらったときに、「少し曲がっていますね」といわれました。 現在の走行距離は約73,000km。 通勤に使っているのはないので、平日は買い物程度しか使用しません。しかしながら、土・日に旅行や遠征などで長距離運転することがあるので、遠出をした際、走行不能になるのは困るので思い切って買い替えることにしました。まあ、セールスから呈示された値引き額も相当だったということもあります。 子どもたちも、産まれてから乗っていたのは、現在のステップワゴンだけということもあるので、新車が来るのが待ち遠しいようです。私も、車を購入するのは久し振りでちょっと楽しみです。ところで次の車種はって?それはお楽しみにしてください。 明日・あさってで信州方面に旅行に出かけます。初期型のステップワゴンで出かける最後の旅行になりそうです。 |
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平成18年5月24日(水) 〜 NO.216 8歳になりました 〜 |
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加藤家の5月の恒例なる最後の行事は、長女・ゆかこの誕生日です。 既に一週間前の5月18日が8歳の誕生日ですので、一週間遅れの報告です。 8年前の平成10年5月18日は、午後から愛知県半田市のN産業という会社に高圧ガス施設の「保安検査(1年に1回官庁など第三者が行う検査)」に出かけていたので、出産の立ち会いはしていません。(二人目はコレだ〜!) 長男・かずたかの時のように陣痛もなかなか起きてこず予定日を過ぎてしまったので、担当医には「土・日に産まれなかったら月曜日には出しますからね」といわれたため、その月曜日(平成10年5月18日)に妻・ゆきこはひとりで国立名古屋病院に向かい入院しました。その後、点滴をうたれ(陣痛促進剤とでもいうんですかね?)、午後3時前にゆかこは産まれてきました。兄と同じような顔の子供が生まれてくるかと思いきや、夜、初対面の時には「サル?」と思うような今の顔とは似てもにつかないような顔でした。 余談ですが「昼間に生まれる子は、気が強い」とか誰かが言っていたそうですが、兄と互角に(互角以上か?)喧嘩している姿や学童や学校で男のことばかり遊んでいる姿を見ると何となくうなずけてしまいます。 今年の誕生会は、5月18日(木)に私が東京へ終日出張するということもあったので、前日の5月17日(水)に兄と同様「ココス・名東よもぎ台店」で食事を兼ねて行うことにしました。5月17日は、くしくも8年ぶりに愛知県半田市のN産業に「保安検査」に出かけました。N産業さんにはもともと特別な思い入れがあったわけではありませんが、8年前の長女・ゆかこの出産当時に私が仕事をしていた場所ということで、たまに、車で通りかかると思い出してしまいます。 あれから8年。長女・ゆかこもすっかり大きくなってしまいましたね。
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平成18年5月14日(日) 〜 NO.215 結婚記念日・誕生日・母の日 〜 |
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先週は、公私に忙しくなかなか近況報告ができませんでしたが、加藤家は5月にイベントが集中しているのでまとめて紹介いたします。 1 結婚記念日(5月8日(月)) 平成5年に結婚して今年で13年。時々喧嘩もしていますが、何とか13年続いてきました。これからもよろしくお願いいたします。 2 わたしの誕生日(5月10日(水)) 最近は、来ても全然嬉しくない日ですが、子どもたちはケーキを食べたくてお祝いしてくれました。みんなで手紙を書いてくれました。そのなかでも長男・かずたかが書いた手紙は、お父さんを尊敬してくれている内容で予想外に嬉しかったです。みんなで父ちゃんの小さい頃の写真を見て楽しみました。 3 母の日(5月14日(日)) やはり家庭の中での人気者は子どもたちの母親であるゆきこです。花屋さんでカーネーションを買いましたが、子どもたちも自分たちのお小遣いで花を買ってプレゼントをしました。
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平成18年5月14日(日) 〜 NO.214 わんぱく相撲名古屋場所(千種区予選大会) 〜 |
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長男・かずたかの待ちに待った「第23回わんぱく相撲名古屋場所(千種区予選大会)」が、本日、千種区の名古屋経済大学市邨(いちむら)高等学校(地図)で行われました。かずたかにとっては、小学校1年生の時に参加して以来3年ぶりの出場です。3年前の「第20回大会」は、ナゴヤドームで行われ230人からベスト8に残りました。今回の目標はずばり千種区予選を突破して6月11日の名古屋場所(決勝)へ駒を進めることです。
大会は、今年からは各区内の予選会方式にかわり予選会で勝ったチャンピオンが決勝大会に進めるという方式に替わったため、事実上一度の負けも許されません。 会場で受付をして早速、人数調査。4年生の男子は7人がエントリーしていました(が、実際には会場に現れたのは6人でした)。 1年生から順番に取り組みが始まりました。 ひとり3戦行い、3勝した者が午後の決勝へ進みます。かずたかの4年生はちょうど6人だったので東西に3人ずつ分かれて取り組みです。 最初は、やや緊張していたのかちょっと身体の動きが固かったのですが、2回、3回と取り組みをする度に動きは良くなってきました。午前は3戦全勝です。ここまでは本人も予定通り。 ところが、取り組みが少ないので午後からの取り組みを早めに行うと本部からお話がありました。 ちょっと腹が減ったので、コンビニにお弁当を買いに行って急いで昼食です。体育館に戻ると決勝戦がどんどん行われていました。 4年生の決勝の相手は、かずたかと同様に3戦全勝のおざわくんです。 おざわくんは、小学校こそ違うものの、かずたかの通っているサッカー教室で一緒にプレーしている顔なじみです。身長は同じくらいでしょうか。ただし、体重だけならかずたかの方が圧倒的に多く有利です。午前中に、付け焼き刃で相撲の戦術を教えてやりました。「まわしを取って頭を相手の胸につけてグイグイ押していけ!お前なら勝てるぞ!」と。
立ち会いこそ上手にまわしを取って頭をつけましたが、その後おざわくんに上手に身体を起こされそのまま逆に押し込まれて寄り切られ負けてしまいました。ちょっぴり悔しかったのか、3年前と同じように少し泣けてしまいました。でも、おざわくんには「ボクの分まで頑張ってくれ!」とエールを送ってやりました(エライ!)。 最後に負けてはしまいましたが、「大関」の賞状をもらってちょっぴり嬉しそうに帰ってきたかずたかでした。 ちなみに体格の良さから、中京高校で行われている相撲クラブ「中京クラブ」の入部を誘われしまいました。帰りにかずたかと会話をしてきました。 父 : 「お前、さっき誘われた相撲の練習会。土・日にやっているけど行くか?」 かずたか : 「いかない・・・。」 父 : 「そうだよな。父ちゃんもお前には相撲取りになって欲しいと思っていないからな。」 ということで親子の意見が一致。 角界入りの意志のないことがわかってホットした私でした。
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平成18年5月8日(月) 〜 NO.213 鹿子公園はタイムカプセル 〜 |
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先日、久し振りに子どもたちが、近所の鹿子公園で遊んでいたところ砂場からスコップが出てきました。そこにはわが・長男かずたかの名前が・・・。1歳か2歳の頃に使っていたものですかね。本人もたいそう嬉しそうに家に持ち帰ってきました。
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平成18年5月8日(月) 〜 NO.212 穴場 〜 |
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連休の後半の5月4日(木)〜5月5日(金)の2日間で、奥三河へ富士登山駅伝向けの合宿に名古屋市役所の走友会さんらと出かけました。 合宿の内容としては、「速く走る」ことを目的としたものではなく、上り坂を「強く走る」ことを目的としたものといっていいでしょう。疲労の具合を考慮して2日目は練習内容を変更しましたが、非常に強度の高い練習であったのでなかなか消化するのが大変でした。実施したメニューについて簡単に紹介しておきます。
練習の内容の詳細はさておき、5月4日に泊まったところは思わず
実はこの施設「愛知県奥三河総合センター(料金のサイト)」といいます。うう、なんと我が社の施設ではないか・・・。知らなかった・・・、と思わず唸ってしまいました。昭和47年にオープンした施設ですが、当時のままの料金でタイムスリップしたような感があります。登山等で宿泊される用事があるのであれば本当にオススメです。 ちなみに、夕食と朝食は施設内にあるレストランで食べました(事前予約)が、夕食と朝食とあわせて2,200円。1泊2食で全部で3,600円でした。我が社の施設ということもありますので、是非ともご利用のほどお願いいたします。 |
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平成18年5月3日(火) 〜 NO.211 南北トライアスロンの悲哀 〜 |
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久々にトライアスロンの話題を二つ。 1 日本海オロロンライントライアスロン(北海道) バブルの産物とも揶揄されるトライアスロン。市町村合併で、自治体の主催するマラソン大会が減っているのはご承知の通り。それよりも開催経費と手間のかかるトライアスロンがまた一つなくなってしまう・・・。 4月28日付けの北海道新聞で次のような記事が発表されています。
まっすぐのびる道路をひたすら北へ走りました。時には、沿道に人家も人影もないところを走ることもありましたが、「これが北海道なんだなl〜!」と大地を噛みしめながら楽しんだことが昨日のようです。長い間ありがとうございました! 2 全日本トライアスロン宮古島大会(沖縄県) もうひとつは、先月開かれた第22回の宮古島トライアスロン。 こちらは、トライアスロンの国内のメッカのごとく盛況という話はよく聞きますが、これは表向きの話。人気大会が故に、選手の参加枠も10年ほど前からかなり増やしたこともありますが、それに伴い選手のマナーの悪さも増加しています。今大会では、スイムのカットオフ(途中関門)のことで選手側が声を荒げています。情報源はMSPOのサイトであります。(詳しくはこちらをご覧ください。) 宮古島大会のスイムは3km(3,000m)。1,700m地点を50分で通過しないとここで競技が終了というルールがあるそうです。(私も’92の第8回大会に参加していますが、当時そのようなルールがあったかどうかは記憶がありません。) 一般的にカットオフを設ける理由は、ゴールの制限時間から逆算して途中で著しく遅れだし、この先ゴールまでたどり着く見込みがほとんどないからです。 マラソンや駅伝などでもカットオフを設けていますが、そのほとんどは道路の使用許可の絡みで設けています。カットオフタイムを1秒や2秒超えたところで、体勢に影響はないと思いますが、どこかで線引きをしなければいけないので線引きは必要かと思います。ただし、カットオフタイムが来たので、集団の途中でスパッと「ハイ!ここまで〜」というように切ることはあまりありません。集団の区切りのいいところで切って選手を収容します。 今回の宮古島のスイムのカットオフの問題点は、 (1)天候(潮の流れ)にかかわらず一律のカットオフを設ける必要があったのか? (2)カットオフの場所は適切だったのか (3)カットオフ後の収容体制はできていたのか という3点です。(選手が制止を無視して泳いだと言うことの議論は後述します。) (1)については、カットオフを決めた理由が現場サイドに十分伝わっていなかったことが一番の問題です。現場としては機械的に「1,700m地点で50分超で収容せよ」という指示に従って収容したのですからやむを得ません。カットオフタイムも以前この大会で死亡者がでた関係で海上保安庁から要請があって設定されたかもしれません。仮に、そうであれば当日の潮流の方向に関係なくカットオフするのですからやむを得ませんが、事前協議の結論のもって行き方が適切だったかどうかもっと議論すべきことになるでしょう。 むしろ問題は(2)と(3)です。 おそらく、例年の様子から1,700m地点で50分超の選手は10名、多くとも20名程度だったのではないでしょうか。であれば、収容する選手を船に乗せて陸に戻すことは可能でありますが、如何せん洋上で何百人にもなることを想定していなかったでしょう。洋上でそれだけの選手を収容することを考えていないコースレイアウトですから、ここが一番問題であったと思います。潮の向きを考えずに公正にカットオフするのであれば、やはり1500mを2周回するという形が一番適切であったのではないでしょうか。1,500人もの選手が一斉にスタートして泳ぐのであれば、コーナーコーナーでバトルがでるのは予想されるので、ウェーブスタートを実施するなどして分散させたらどうでしょうか?このような対策が取れないのであれば、洋上においてカットオフはできません。主催者の判断で明らかに著しく遅れた選手や「ちょっとヤバイなぁ〜」という選手だけを収容するべきです。 主催者が、カットオフの目的を明確にし、さらに選手に十分説明をした上で実施をするのであればよいでしょう。 しかしながら、選手からの抗議を見ているとその辺りのことが大会前後においても見られていないような気がします。 選手も宮古島に行くために、冬の寒いうちから練習し、多額の遠征費や休暇を取った上で出かけていくのですから、主催者側も選手の気持ちを汲んで不公平感のないようなレースレイアウトをすべきだったのでしょう。 ただし、これまで述べてきたことは、あくまでも選手に自主性がないという前提の話です。 選手が「すべて自己責任においてレースを行い、主催者には一切の責任を負わせない」という強い意志のもとで行うのであれば、カットオフなど最初から必要ありません。 しかしながら、温室レースで育った日本人トライアスリートにはできないんでしょう。 主催者に対し声を荒げることにより、だんだん主催者もやりにくくなり、「大会の縮小」→「大会の開催中止」というように最悪の場合、選手のパフォーマンスを披露する場を、選手たちが自らがつぶしていってしまうようなことになりかねません。 ルールはルールとして守った上で、ルール違反、マナー違反になるようなレースは慎みましょう。お互いに気持ちよくレースをし、主催者側も大会を継続しやすいように選手自身が考え行動すべきではないでしょうか。 |
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平成18年4月30日(日) 〜 NO.210 イチゴ狩り&潮干狩り 〜 |
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ゴールデン・ウィークの前半、妻・ゆきこが仕事で多忙とのことで、子どもたち二人を連れて実家の蒲郡への帰省を兼ねて昨日(4月29日)から出かけました。1泊2日とはいえ親子3人の泊まりは初めてです。 この時期、蒲郡では二つの「狩り」が楽しめます。 ひとつ目は、本日の中日新聞・朝刊でも写真入りで紹介されていた「潮干狩り」。海上保安庁の潮干狩りカレンダーでは、4月27日(木)〜5月1日(月)が絶好の潮干狩りの日。本当は、29日(土)に行う予定でしたが、高速道路の大渋滞で到着が遅れたのであきらめ本日(30日)実施してきました。 二つ目は、「イチゴ狩り」です。 東名・音羽蒲郡ICを下車して2つのトンネルを越えてすぐ右側に現れるのが「蒲郡オレンジパーク」。ここでは季節に応じて、「イチゴ狩り」「メロン狩り」「ブドウ狩り」「ミカン狩り」が楽しめます。こちらは要予約ですが、29日(土)はキャンセルがでたので、早朝の予約で運良く楽しむことができました。 それから子どもたちのリクエストで、わが母校の木船幼稚園、蒲郡市立中央小学校へ遊びに行ってきました。こちらは、大人には面白くないものですが、子どもたちには自分たちの通っていた保育園、通っている小学校と比較して楽しんでいました。 |
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平成18年4月25日(火) 〜 NO.209 学級委員に選ばれました 〜 |
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先週の金曜日、父が帰宅すると妹・ゆかこが何やら半分照れくさそうに部屋に入ってきて言いました。 「おとうさん、ゆかちゃんね、2年3組の学級委員になったんだぁ〜」と。「ほーっ!それは、それは。学級委員はみんなのお手本でなければいけないぞよ(古い考えかな?)。まあ、頑張りたまえ。」と激励をしました。 加藤家の学級委員の歴史といえば、私が娘と同じく小学校2年生の時になったほか、妻・ゆきこは小学校4年生〜6年生の3年間学級委員をしていたそうです。私は、どちらかといえば学級委員タイプではなく、陰のブレインタイプ。ゆきこは、表に出たがりの性格からして学級委員タイプです。子どもたちもそれぞれの親の性格を受け継いだような気がします。 今回の学級委員の選挙にゆかこは今回立候補して、18票対17票のわずか1票差で学級委員に選出されたとのことです。自分でも「一度やってみたかったー!」といっております。非常に頼もしいかぎりです。
かたや兄・かずたかは「オレは2学期に立候補する。なぜならば、2学期の学級委員は3学期もできるからだぁ〜」といっています。これは負け惜しみにしか聞こえません。兄も、妹に刺激されてい発憤して欲しいなと思う父であります。 |
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平成18年4月20日(木) 〜 NO.208 かずたか10歳の誕生日 〜 |
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ここ一週間前くらいから、誕生日を楽しみにしていた長男・かずたかですが、昨日(4月19日)、めでたく10歳を迎えることが出来ました。 私と違って、彼はセレモニーが非常に好きなようで、学校でも給食の時間に牛乳で「乾杯!」をしてもらったとかいう話を嬉しそうにしているし、学童保育所でも「今日はオラの誕生日だ〜い!」いいまくっていたようです。そういうことで自分の気持ちを高めているのでしょう。 今日の誕生日のお祝いも彼が自分でストーリーを決めていました。 @誕生日のプレゼントは「ロボザウルス」(ラジコンの恐竜ロボット)、A夕ご飯は「ココス」、B帰宅後はケーキ というものです。(ココスは子供にはバースデイ・サービスがあるのでオススメです)
「今日はとってもいい日だった!」を連発しながらかずたかは床に入りました。 |
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平成18年4月10日(月) 〜 NO.207 大正村 親子3人珍道中 〜 |
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3週間前の3月19日(日)に、岐阜県恵那市明智町(旧 恵那郡明智町)で開催された「第22回大正村クロスカントリー大会」の参戦記は既にお伝えしたとおりですが、この大会に行く前も帰ってきてからも、わが息子かずたかが「大正村に行きたい!」とおねだり。先日の大会参加時にいただいた、「ささゆりの湯」の入浴割引券(一人わずか100円ですが)の期限も4月20日と迫っていたのでこともあり、せっかくなので昨日(4月9日(日))、親子3人でノコノコと大正村に出かけてきました。なぜ親子3人かというと、たまたま新年度、早々、「仕事が忙しい」と日曜日にもかかわらず出勤してしまったわが母ちゃんをを置いていってしまったからです(気にしない!)。 さてさて、大正村の説明よりもまずは、中部地方に「明治村(愛知県犬山市)」、「大正村(岐阜県恵那市)」、「昭和村(岐阜県美濃加茂市)」が集まっているのはご存じですか?なぜこの地域にそれぞれ、このようなものが出来たかという経緯については各自で調べて頂くことにして、わが息子も「明治村を見たから今度は大正村を見たい」と素朴に思ったようです。子供のクセして、ノスタルジックなものが好きなようです。(わたしもですが・・・。)ともあれ、親子3人の大正村へ出かけた一日の様子をご覧ください。(あとは昭和村へ行ってグランドスラム!)
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平成18年4月8日(土) 〜 NO.206 名古屋でも黄砂観測! 〜 |
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正午のNHKのニュースを見ていたところ「山陰地方で黄砂が見られた(黄砂現象)」と報じていました。特に隠岐では視界が3km程になるほどのすごさで、学生時代を広島県呉市で過ごした私には「懐かしいなぁ〜」と思っていました。 ところが、午後2時か3時頃になると名古屋でも空が曇ってきました。それも普通の曇り方ではありません。黄ばんだような雲。何と名古屋にも黄砂が飛んできたのです。「名古屋まで黄砂が飛んでくるとは・・・。」西日本ならともかく、ここ、名古屋まで黄砂が飛んでくるのは非常に珍しいことです。 そもそも黄砂現象とは「主として乾燥地帯(ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など)や黄土地帯で強風により吹き上げられた多量の砂塵が上空の風に運ばれて日本、韓国、中国などで降下する現象をいいます。濃度が濃い場合は、天空が黄褐色となることがあります。一般的には、春季(3月〜5月)に多く観測されます。」(気象庁のHP 「黄砂に関する基礎知識」より引用) この滅多に見られない気象現象、さっそく子どもたちにも空を見上げながら教えてやりました。 |
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平成18年4月8日(土) 〜 NO.205 わが家に冷蔵庫がやってきた! 〜 |
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昨日、わが家に待望の新型冷蔵庫がやってきました。 新婚当初(平成5年5月)から使ってきた冷蔵庫。平成14年6月の新築時にも、前の住処から持ってきたのですがとうとう息の根が尽きてしまいました。約12年11ヶ月という寿命でした。 昨秋頃から不調 不調の症状が現れたのが昨年秋頃(?)。製氷ランプが点滅するようになった。取扱説明書にはこの症状の説明がない(あとでよく読んだところ販売店にご相談くださいとあった)。そして3月上旬からは冷凍庫が凍らなくなった。 4月1日(土)に修理点検 修理依頼をして修理に来たのが一週間前の4月1日(土)。 ちょっとうさんくさいオヤジ(それでも東芝の代理店の人)が点検に来ました。冷凍室の引き出しを2つはずして奥のパネルをはずすと銅パイプの熱交換器が現れました。オヤジ曰く「う〜ん半分くらいしか冷えてねぇなぁ〜。ん!?こりゃあかんわ冷媒が漏れとるわ〜」 長年の使用で配管の膨張・収縮により溶接箇所にクラック(亀裂)が入った模様です。「修理すると7〜8万円くらいかかるけど・・・。新しい冷蔵庫買った方がいいよね・・・。」と冷めた声で。「も、もう結構です」とわたし。 わずか15分ほどの作業。出張料2,310円を払ってオヤジに帰ってもらいました。(この作業中に、冷凍庫の奥から平成6年9月に買ったウナギの蒲焼きの凍ったものが出てきました。冷蔵庫の呪いか?) 4月7日(金)冷蔵庫到着! 4月4日(火)の夜、ヤマダ電機・星ヶ丘店に行って注文。現品はあるものの「配送のトラックの順番待ち」で、最速で4月10日(月)と言われれていたものが、何かの手違いで急遽昨日に繰り上げ。私も仕事を休んで冷蔵庫を迎えました。 午後2時過ぎ、白いトラックが1台。大男が2人トラックから降りて来て、古い冷蔵庫を手早くトラックに乗せたと思うと、頼んでいた冷蔵庫をまさに担ぎ!トラックから降ろしていました。冷蔵庫は100kg近くあるはずです。ささっと梱包をはずして、指定の場所に冷蔵庫を納めてしまいました。時間にして約20分。あっという間の出来事でした(家電リサイクル料4,830円をその場で支払いました)。 夕方、子どもたちが帰ってくると子どもたちは大はしゃぎ! かずたか : 「うぉ〜新型冷蔵庫だ〜!」 わたし : 「ちょっと待て!この冷蔵庫はこうやって開けるのだ!」 と冷蔵庫の前面ボタンをポン! こどもたち : 「すげぇ〜!」 今日でわが家の不安定な食糧事情も解消されることになりました。 ところで、あなたの家の冷蔵庫大丈夫ですか?放っておくと大変なことになりますよ!(どこかできいたことのあるフレーズ?)
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平成18年3月28日(火) 〜 NO.204 小泉首相 わが母校の卒業式に出席! 〜 |
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北側国土交通大臣から出席の要請があったにせよ、歴代首相として初めて卒業式に出席して頂いたということは、海上保安業務が年々重要性を増してきたという現れではないのでしょうか。 今回は、第52期生の卒業式。 ちょうど20年前に卒業した私(第32期生)の頃の卒業式の出席者は、トップが運輸政務次官(運輸省のナンバー2。今でいう副大臣)、そして海上保安庁長官、呉市長らという時代でしたので、隔世の感があります。もちろん今回は、藤田雄山広島県知事も出席されています。 今回は、約4時間も滞在されたということで、おそらく大学校始まって以来の大騒ぎになっていたでしょう。 私が在籍していた頃もそうでしたが、VIPの来校の度に、学生たちは学生寮の大掃除を何度もさせられたので、当時は大物が来ることを学生らはあまり歓迎していませんでしたが、今回は学生はもとより、大学校長以下、かなりの緊張の中で厳かに卒業式を迎えられたのではないでしょうか。(いいなぁ〜)
簡単ですが、わが母校の海上保安大学校の設立前後の出来事とを紹介します。
また、いまだに「海上保安庁」と防衛庁の一部組織である「海上自衛隊」との区別がつかない方がおられますので、簡単に比較紹介します。
愛知県警の警察官が約1万3,000人に対し海上保安庁職員が約1万2,000人。そのうち約半数が陸上勤務と思われるので、6,000人程度で日本の周辺海域を治安を維持しているわけです。まさに、少数精鋭部隊なのです。 最後にOBとしてPR。 海上保安庁のPRとなる映画「海猿」が戻ってきます。平成16年6月に初公開された「海猿」が、ゴールデンウィークの5月6日から「LIMIT OF LOVE 海猿」としてまたまたロードショーです。こちらも乞うご期待ということでお知らせいたします。 |
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平成18年3月25日(土) 〜 NO.203 かずたか負けじと追いつく! 〜 |
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先月のスイミングの進級テストに、足のケガで参加できなかったかずたかですが、今月の進級テストでは見事に進級を果たしました。 とはいうものの、かずたかの方がスイミングに入ったのが4ヶ月も先のこと。「サーモンクラス」でのんびり一年も過ごしても涼しい顔。なかなか闘争心に火がつきません。 では、父ちゃんであるわたしが、小学生時代にいつもいつも闘争心むき出しにしていたかというと、全くそんなことはありません。小学生時代の私は、体型こそかずたかとは違うものの、性格は今のかずたかによく似ていました(DNAだぁ〜)。まあ、のんびりしていて、マイペース。好きなことは集中してやる。一日中、家の中で本を読んでいても楽しいなあと思っていました。 ただし、わたしも小学校の高学年になると、5段変速の自転車を買ってもらったこともあり、あちこちに出かけるような放浪癖がつきました。それからは、外でよく遊ぶようになりましたね。 来月からはかずたかもいよいよ高学年です。そろそろ何かのきっかけで大きく脱皮してほしいなあと思います。
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平成18年3月16日(木) 〜 NO.202 名古屋国際女子マラソンと福岡国際マラソン 〜 |
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名古屋国際女子マラソン 先日の日曜日の名古屋国際女子マラソンは、弘山晴美さんの逆転劇+マラソン初優勝でランナー仲間では盛り上がりましたね。その一方でテレビに映らない「陰」の部分もありました。 地元・中日新聞の「地域スポーツ」のコーナーで小さく取り上げられていましたが、今年から18.4km地点において先頭走者が2周目に入った時点で関門を設ける制度が出来ました。 それは、こういうことです。 名古屋国際女子マラソンの現コースは、「桜通」を内山町から名古屋駅に向かって西進します。東西に伸びる「桜通」と南北に伸びる「大津通」の交差する「桜通大津」交差点(18.4km地点)を右折し北上します。その後名古屋城の周りをぐるりと廻って今度は「桜通」を西から東へ向かい再び「桜通大津」の交差点に出ます。おそらく、24.1km地点くらいでしょう。「桜通大津」交差点から「城北橋」交差点までは、「1周目が始まるランナー」と「2周目に入るランナー(1周走り終わって康生通三丁目に向かうランナー)」が併走する区間になります。 ただし、1周目が始まるランナーは道路の左側レーンを、1周走り終わったランナーは右側レーンを走ることによってコースを区分しています。 ところが、どうしても1周目が終わって桜通大津に戻ってくるところで、コースの都合上、これから1周目に入るランナーと交錯してしまうのです。当然、早い方が優先されて、これから1周目に入る遅いランナーは”踏切で電車を待つが如く”待たされるわけです。走路員からも、「この箇所は危険」と毎年のように指摘があったようで、今年はついに先頭が2周目に入った時点で、まだ1周目に入れないランナーに対して関門が出来てしまったわけです。 5km〜20kmの関門は、「22分30秒/5km」のペースで設定されているので、15km−1時間07分30秒、20km−1時間30分が関門です。18.4km地点の通過は、計算上は1時間22分48秒ですが、先頭の三井住友海上の渋井陽子選手がハイペースで飛ばしたおかげで、1時間20分31秒程度で通過してしまったせいで、15kmは通過できたけれども20kmまでたどり着けなくて収容されたランナーがかなり多数発生しました(ざっと38人)。20kmまでたどり着いたランナーで15km地点の一番遅いランナーが1時間05分23秒ですから、少なくとも5kmを21分47秒のペース、20kmを1時間27分10秒で走って行かないといけないことになります。 先頭のペースに左右される制度とはいえ、現在のコースを継続する限り18.4kmの桜通大津で大量に収容されるランナーが出ることは続くでしょう。3大女子マラソンの中では、一番不人気な名古屋国際女子マラソン。この評判から今後参加者が減らなければと思うのは私だけでしょうか。 福岡国際マラソン さて、今度は福岡国際マラソンです。昨日、わが家に福岡国際マラソンの大会事務局から一通の手紙が届きました。「季節はずれで何だろう?」開封するとそこには、アンケート用紙が入っていました。 今年の12月で60回の大会になりますが、記念大会のためのアンケートではなく「今後の大会運営のために選手からの声を聴きたい」という旨の好感の持てるアンケートです。 福岡国際マラソンといえば、かつては男子マラソンの参加資格が最も厳しい最高峰の大会。一昨年から、市民化の動きを模索し始めて私も参加資格を得ることが出来るようになり、かなりイメージが変わってきました。今後も、これまでの福岡のステータスを守りながら、上手に市民ランナーを取り入れ発展していく大会になること祈念します。 以上のことより、国内主要男女の各大会の主催者の考え・対処に差が出てしまったような気がします。皆さんはどう思われますか。 |
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平成18年3月12日(日) 〜 NO.201 岩附くんのお見舞い 〜 |
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夕方、長男・かずたかの同級生の岩附タイセイくんのお見舞いに家族で行ってきました。 岩附くんは、詳しくは知りませんが足が不自由(関節の障害?)で、今回腰骨を一部移植した手術をしたようです。担任の先生から、術後は麻酔が切れると痛がっているということをかずたかはきいていたようでした。 わたしも、かずたかのクラスの授業参観や運動会を見に行きましたが、いつも松葉杖を持ち歩いていたのでかずたかに「岩附くんは骨折でもしたの?」と聞きましたが、どうやら骨折、捻挫などの一過性のものでなくどうも先天的なものでもあるようです。 かずたかは、私の小さい頃と同様に友達がたくさんいるわけではありません。ただ、今のクラスで、かずたかと仲良く遊んでくれている子が二人いて、一人が「かすやくん」という子。もう一人が前出の「岩附くん」なのです。気が合うんでしょう。この悪ガキ?3人組は授業参観で行ったときにも、休憩中楽しそうに遊んでいました。息子にとって数少ない大切な友達です。 特に岩附くんは、授業参観でもハキハキと話をするので、とても同じ3年生とは思えずとても賢そうな感じでした。 自分が小学校に行っていた時によく遊んだ友達に同じく”岩月”(字が違うけど)というヤツがいました。かずたかと同様、彼とよく遊びました。何となくそういう境遇が似ているので、その”岩附くん”もかずたかのクラスの他のクラスメートよりもちょっと気になる存在でした。 少し前に、かすたかが かずたか:「岩附くんは足の手術をして入院している」と。 何となくお見舞いに行きたそうだけど、なぜか躊躇しています。 かずたか:「先生は、子どもはお見舞いに行っちゃいけないといっていた」 というのです。 わたし:「そんなことないだろう大人がよくて子どもがダメというのはどういうことだろう?」 昨日、病院に電話して入院しているのを確認して わたし:「じゃあ日曜日にお見舞いに行こうじゃないか」とプッシュしてやりました。 行ってみて初めてわかったのですが、入院しているのが小児病棟で、感染防止のために15歳未満の子はその病棟に入れないルールになっているのです。 ナースステーションで何とかならないかと尋ねると、 看護婦さん:「子どもさんは中には入れないけど、岩附さんがそちらに行けばいいんですよ(^^)」と。 ということで、大変ご足労でわざわざ岩附くんに病棟から出てきてもらい久々に会うことが出来ました。 男同士なので、あんまり会話が弾みません。お互いにテレているところもあるんでしょう。でも、かずたかは自分の大事な友達の岩附くんに会えて嬉しそうでした。わたしも、ちょっと気になる岩附くんに会えて息子と同様に嬉しかったです。岩附くん、早く良くなって、また、かずたかと一緒に遊んでやってください! |
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