NO.241のニュースへ |
平成18年9月23日(土) 〜 NO.240 全滅 〜 |
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お盆の日帰り旅行で(News「NO.237 夏休みの総決算(その2)」で既報)捕まえてきたカブトムシ(News「NO.235 カブトムシ」で既報)が、一昨日とうとうすべて死んでしまいました。 こどもたちが毎日かわいがっていた4匹のカブトムシたちが全滅したことになります。 捕まえてきたときから一番元気だったメスカブトムシも、ここ一週間くらいは動きが鈍くなり、死ぬ前日くらいから裏返ってバタバタしていることが増えました。自力で起き上がれないくらい体が弱ってきたということでしょう。我が家に来た当初は血気盛んで、毎日のように交尾をしていましたが・・・。 「昆虫には昆虫の住む環境が一番だろう」ということで、今朝6時過ぎから家の近くの茶屋ヶ坂公園に主のいなくなった住処(木くず)を埋めてきました。来年はここから二世が誕生が期待できるかもしれませんね。
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平成18年9月18日(月) 〜 NO.239 敬老の日 〜 |
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ふと気がつけば、今日は年に一度の敬老の日。 日頃親不孝をしているので、子どもたちを連れて自宅→蒲郡の実家→名古屋市中川区の妻の実家→自宅とかなり強行日程で顔を出してきました。 本来は「何かプレゼント」と考えるのですが、今の年寄りはモノには困っていないので、今回は「@孫と遊ぶこと A孫に似顔絵を描いてもらうこと B孫と食事をすること」という「孫とのふれあい」をテーマに過ごしてきました。 蒲郡の私の母親とは、@は「生命の海科学館」、Bは「かっぱ寿司・蒲郡店」で済ませました。ところがAの似顔絵は、こどもたちがゲラゲラ笑いながら似顔絵を描いたのが、私の母にとって逆鱗に触れた模様・・・。こどもたちは今回はお小遣いをもらえず、ゆかこも習字を教えてもらうことなく帰ることになりました(反省したかな?)。 場所を変えて名古屋市中川区の妻の実家。 こどもたちは心を入れ替えたのか、似顔絵を割とまじめに描いたせいか、おばあさんはニコニコ。お小遣い1,000円をゲットしていました。 食事は、おばあさんのリクエストで海部郡蟹江町の「高さか(こうさか)→地図」。ここは古くからある和食処でホントにおいしい店屋です。忙しいながらも、とりあえずこどもたちを使って今日は親孝行をした気がします(子奴らにも小遣いをやらねば・・・)。
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平成18年9月18日(月) 〜 NO.238 24時間リレーマラソン 〜 |
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この大会は、昨年、主催者のひとりである福岡さん率いるランニングクラブ「セカンド・ウィンド」の創立25周年を記念して行った25時間リレーマラソンが高じて、今回パブリックの大会になったモノです。 主催者は、表彰も給水も周回数のカウントも行いません。まさに、走ることが好きなランナーが自分の責任において、自分で管理するというモノです。チャリティーでも何でもありません。 こういう趣旨の大会がどのようなモノとなるのか、初参加の私には想像がつきませんでした。 今回の参加チームは10チーム。大半が、名城公園をねぐらとするチームです。快足ランナーを多数擁するチームもあれば、障害者によるチームの参加もありで、雑多な感じが非常に面白いと感じました。 会場の名城公園の噴水のそばには、白テントが2張り設営されました。 ここは、周回数をカウントする各チームの集うところ。パッと見、10人の審査員が各ランナーのフォームを審査するがごとし。
さて、私といえば正午のスタートを見てから一旦帰宅。22時〜23時の割り当ての1時間(正確には59分05秒)で名城公園を12周回(1周約1300m)しました。あくまでも12月の福岡国際マラソンに向けてのペース走です。 これを見ていた(と思う)私と同年齢でライバル「庄内RTの田中くん」が、どうも私のペースを調査していたようで、私が走り終わった後、彼も「負けるか」とばかりに走りだしました。4分35秒程度で走りだし、終始4分50秒程度で走っていましたが、10周過ぎに「もう駄目、あと1周で交替!」と叫びながら本部前を通過していきました。
昔から故障がちの彼ですが、最近は右足首の調子が悪いそうです。昔から捻挫を繰り返していたため、右足首はぐらぐらのようでテーピングをしていました。練習もなかなかままならないようで、彼の最も得意とする800m、1500mも最近は苦戦しているようです。「チームも充実しているので、もう若手にいろいろと譲って・・・。」と言っていました。彼の引退も近いのかな?わたしゃ止めませんよ! 日曜日は、「9時から最後の3時間総攻撃をかける」という前日の指令で、8時20分頃に名古屋市役所チームのテントへ。9時からはひとり1周から3周の交替で走ることにしました。 これは表彰はしないというものの、参加10チーム中で「最多周回数チーム」という自己満足を獲得するためです。 昨晩から、泊まりの人たちの話を聞いていると、朝の6時頃から名城公園へラジオ体操をする人が100人ほどやって来たそうです。そういう人たちが、このリレーマラソンのコースを横に広がって散歩しているので、この時間はたいへん走りづらかったそうです。名城公園はみんなの公園です。文句が言えないところが辛い!
しばし休養し2本目。少しペースに余裕を持たせ4分17秒。3本目、4本目とも4分12秒です。 残すところ2時間の午前10時過ぎには、名古屋市役所チームは首位を独走。この時点で2位の庄内RTに対して、6周回のアドバンテージ。2時間で逆転するのはもはや不可能な周回数になっていました。 11時頃からは、興味が「最終的に何周回走れるか」に移ってきました。 1周5分とカウントすれば12周できます。このままで行けば266周まではいけそうです。正午の35分前頃から冷静に分析を始めました。どうも頑張れば267周いけそうな感じも出てきました。 「11時37分30秒前後くらいでタスキが来たら、4分30秒/周で行こう!」ということにしました。やや厳しい目標です。 ところが今日は走る予定のなかった新人・田中俊裕くん(愛工大名電→日大出)が、「ボクも行きます!」と。実力的には、名城公園1周で3分30秒くらいあるのですが、体調不良、ランパンなしの半パン状態で3分58秒〜3分59秒で繋いでくれました。こうなれば、私も頑張らないといけません。オーバーペースにならないように気をつけながら最後の150mでスピードアップし4分08秒で牧村さんへタスキリレー。この時点であと5分。4分40秒くらいで走りきれる牧村さんには安全圏です。 11時59分44秒で牧村さんは、最終走者のヒゲの服部さんへ繋ぎ任務完了。 最後の1周をカウントして貰い、名古屋市役所チームは24時間で名城公園を268周回。350kmにもおよぶ距離となりました。 今回感じたのは、自治体などの主催するマラソン大会や駅伝大会では、他のチームとなかなか交わることもありませんが、こういう長時間に及ぶイベントを通し、やや不健康?ながらも、他のチームと交流したり、いろんな楽しみを味わう場が与えられたというところです。 年に何回もというと「ちょっと・・・」と思いますが、1年に1回であれば非常に面白い企画だなと思いました。皆さんお疲れ様でした!
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平成18年9月17日(日) 〜 NO.237 夏休みの総決算(その2) 〜 |
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夏休みの総決算(その1)を発表してから一週間。この間にかなり涼しくなってしまいましたね。夏から秋への変化が少しずつわかる季節になってきましたね。 さて、今回は夏休みの総決算(その2)の報告です。 (News「NO.236 夏休みの総決算(その1)」で紹介した(2)高山・郡上八幡の日帰りバスツアー(8月15日)であって、News「NO.235 カブトムシ」で報告した、カブトムシのつかみ取りをしたものです)。 かれこれ一ヶ月前の8月15日はお盆とあって、「行楽地はある程度混むだろうな」と思っていましたが、行きの東海北陸自動車で渋滞に遭い、最初の目的地の高山に到着したときは、既に12時をはるかに過ぎていました。 にもかかわらず、予約していたはずの食堂が満員で、「先にカブトムシのつかみ取りからお願いします」ということで、食事ができたのは13時過ぎ。小さな子供の多いツアーでしたが、食事おあずけによく我慢しましたね。 次の目的地は、郡上八幡です。 郡上八幡は、昔の城下町ということで有名ですが、この山あいの街の中に「岩崎模型」というユニークな企業があります。この企業は、食品サンプルを作っている会社で、こういう会社が郡上八幡にあるということを初めて知りました。実際に私たちもエビ天を作ってみましたが、ちょっとしたテクニックが必要ですね。 最後に、郡上八幡を散策して名古屋に戻ってきましたが、さすがにお盆。名古屋駅午後6時30分到着予定が、実際には午後9時到着。やはりお盆はじっとしている方が良かったような気がしたのは私だけ?
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平成18年9月10日(日) 〜 NO.236 夏休みの総決算(その1) 〜 |
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皆さんは、夏休みはいかがお過ごしされたでしょうか。 今年は、妻・ゆきこが社会保険労務士の受験、私は富士登山駅伝競走の練習もあり、7月は子どもたちを連れて遊びに出かけることがありませんでした。例年に比べて、出かける回数は減りましたが、今年の主な旅行は (1)蒲郡の実家へ墓参り・愛知こどもの国(8月13日・既報) (2)高山・郡上八幡の日帰りバスツアー(8月15日) (3)広島2泊3日の世界遺産旅行&お父さんの母校訪問(8月28日〜8月30日) (4)長島温泉(9月10日) です。 本日出かけた(4)長島温泉は夏休みの旅行先ではありませんが、こどもたちが毎年楽しみにしているレジャーランドです。職場の同僚にクーポンをもらったこともあり、家族4人で出かけてきました。 私は、愛知県蒲郡市の出身なので、実家から70km以上も離れている長島温泉など、幼少の頃ほとんど行った記憶がありません。しかしながら、妻・ゆきこは、名古屋市中川区に住んでいたこともあり、長島温泉にはよく出かけていたようです。その影響もあり、結婚してからは一年に一度は長島温泉に出かけるようになりました。 今日も同じ学童保育所のHやしさん、OBのAさおかさんにもばったり会ったように、名古屋圏のレジャー施設であることは確かなようですね。 さて、本日の長島温泉ですが、天候がちょっと怪しかったのですが、目茶苦茶暑くなることもなく比較的過ごしやすい一日でした。昨年に比べれば施設も一部きれいになっていました。長島温泉も進化していますね。 それからジャンボ海水プールの何の施設だったかなぁ。「・・・のご利用は、身長130cm以下のお客様、泥酔されたお客様、55歳以上のお客様、体重80kg以上のお客様はお断りします。」と何度もしつこくアナウンスしていました。みなさんは大丈夫ですか?
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平成18年9月8日(金) 〜 NO.235 カブトムシ 〜 |
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ちょっと古い話で申し訳ありません。 8月15日のお盆に、家族で日帰り旅行に出かけました。岐阜県は高山、郡上八幡へのバスツアーです。 仕事の性格上、お盆は比較的休みづらいので、当初私は行く予定ではなかったのですが、「まあ、お盆に1日くらいは休んでもいいか」という方針転換で、急遽私も行くことにしました。 このツアー、完全にこども向けのツアーで、最初に行ったところではカブトムシのつかみ取りがありました(決してつかみ放題ではありません)。最初にメス1匹が入った虫かごを支給されると、そのあとはこのカブトムシの婿さん捜しです。 カブトムシのいっぱいいる、鶏小屋のような部屋で、子どもたちは好きなオスカブトムシを探します。 あれから3週間。 そのツアーで捕まえてきたカブトムシオス2匹、メス2匹のうち、それぞれ1匹ずつは死んでしまいましたが、残ったオス1匹、メス1匹は頑張って生きています。こどもたちもカブトムシにゼリーをやったり、蜜をやったりで飼育を楽しんでいます。ちょっと人気は陰ってきましたが、やはりムシキング人気ですかね・・・。 私も子どもたちといっしょになって観察をしていますが、昼間は潜っていることが多いですね。夜はなぜかせっせと活動しています。何のためにごそごそしているんでしょうか?このまま冬を越すのでしょうか。 我が家では珍しく長生きをしている生物となりました。 明日は、この小旅行を含めた「夏休みの総決算(その1)」です。 |
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平成18年9月4日(月) 〜 NO.234 さようならオツオリ 〜 |
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8月31日夜からのテレビ報道、9月1日の新聞報道で既にご存じの方も多いと思いますが、箱根駅伝の初のケニア人選手 ジョセフ・オツオリさん(山梨学院大学→トヨタ自動車→重川材木店)が、母国ケニアで自動車事故によって亡くなりました。37歳でした。 オツオリさんが日本に来るきっかけとなったことについて『山梨学院大学箱根駅伝物語(佐藤眞佐美著、山梨ふるさと文庫)』から引用・抜粋して少し触れてみようと思う。もちろん、この本はオツオリさんのために書かれたものではないことを断っておく。 昭和50年代の後半、山梨県は昭和62年に開催の決まっていた「第41回国民体育大会”かいじ国体”」の準備に頭を悩ませていた。国体といえば開催県が天皇杯、皇后杯(優勝)をさらっていくことが事実上命題となっているスポーツ大会だ。 その当時、山梨陸上競技協会のコーチをつとめていたのが秋山勉(東京農業大学出身、4年連続箱根を走っている)である。国体強化部長の古沢立彦から「長距離の有望選手を紹介して欲しい」と依頼を受け、順天堂大学の沢木啓介監督に交渉し推薦されたのが上田誠仁だ。 また同じころ山梨学院大学の古屋学長からも「数年後に山梨学院大学は、創立45周年を迎える。そのときまでに箱根を走る選手が育ってくれれば、将来の躍進につながる。ぜひ陸上競技の指導者を捜して欲しい。」と。 上田が山梨学院大学の監督に就任したのが昭和60年4月。当時26歳。 事前に高校を廻って部員を勧誘。入部してきた部員は7人。しかしながら、練習の厳しさに次々と退部者があらわれ部員は4人に。その後大学内で部員を勧誘し部員はなんとか8人までに増える。 昭和60年11月、箱根駅伝の予選会に初出場。8人しかいなのでオープン参加である。 昭和61年4月。上田の熱意が現れ、部員は35人に膨れあがる。 このころ、上田は前出の秋山と「アフリカの選手は、どうしてあんなに強いんでしょうねえ」「練習方法が日本とは、よほどちがうんだろうか。どこの国でもいいから、一度アフリカへ行って、練習風景を見てこようか」。このような会話をしていたようである。 秋山の知人で、清水さんという人からケニアを紹介されて上田はケニアに行くことになる。 アフリカの陸上競技選手の大半は、英語圏(アメリカ、ヨーロッパ)に留学している。その理由は、言葉のせいであるようであった。欧米に留学したからといってめざましい活躍をしているものはいないということもわかってきた。 「ひとりくらい、日本へ留学したいというもの好きが、いないもんでしょうかね」と上田。「それは面白いな」と秋山。「べつに一流のランナーでなくてもいいんです。うちの学生の刺激剤。こいつには負けたくないと、良い意味でのライバル意識を燃え立たせてくれるような、そういうような効果を期待したいんです。」 昭和61年11月。第63回箱根駅伝予選会に14名で出場。初出場で予選会6位で本選への出場権獲得! そしてその2日後の11月5日に、上田と秋山はケニアへ飛ぶ。彼らの行った先はアフリカで最も優れたランナーを輩出しているキシイ族の学校競技の名コーチ”シェム・オマシイレ”のところであった。 ジョセフ・オツオリは兄、姉、弟3人、妹4人と10人きょうだいの3番目に生まれる。彼の住んでいたキシイは、ケニアの首都ナイロビから西へ約400キロにある。 彼の家はトウモロコシ、ヤムイモ、コーヒー、紅茶、キャッサバ、野菜などを栽培する農家だ。ニワトリや牛、山羊も飼っている。彼の通っていたニャマゲーサ小学校まで家から1.5キロ。遠い子は3キロも5キロもあるところからやってくる。だから走るのはみんな得意である。午前の授業が終わるとみんなチーターのような速さで家へ帰る。昼食を食べるためだ。食べ終わると再び飛ぶようにして学校へ戻る。こんな生活は、オツオリでなくともあたりまえのようである。 小学校を卒業してから、彼はハイスクールへ入学する。ハイスクールに入り陸上競技を始め学校で注目されるようになり前出の”シェム・オマシイレ”の目にとまるようになり特別なコーチを受けるようになる。 オツオリと同じくオマシイレにコーチを受けていたケネディ・マニーサ・イセナがいる。後にいっしょに山梨学院大学へ進学している。 ある日オマシイレに呼ばれ、彼らは思いがけない勧めを受ける。「日本のある大学で、成績が優秀で足が速く、日本に興味のある留学生を募集している。日本にいる間は奨学金が出るので、お金の心配はいらない。きみたちを推薦したいがどうだ。日本へ留学してみないか。」このときオツオリは「味の素とトヨタの国?」と言っていたようだ。小学校の地理の授業に少し習っただけの国でどこにあるかも正確にはわからないのであった。 こうして、彼は日本にやってきた。文化や生活習慣、気候などの違いなどにとまどいながらも学生生活を送る。 これまでにも実業団で助っ人としてやって来た外国人ランナーは多くいたが、彼のように学生という身分で勉強をしながら卒業していき、日本とケニアとの橋渡しとして育っていったのは初めてだったのである(詳細は本を読んでください)。母校の山梨学院大学でも、留学生の選手の面倒を時折見ているときく。それだけに、今回の不慮の事故により命を絶たれたのは悔やまれる。冥福を祈ります。 |
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平成18年8月21日(月) 〜 NO.233 面白かった夏の甲子園 〜 |
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早稲田実業、優勝おめでとうございます。 昨日、決勝で延長15回を引き分けた両校(早実、駒大苫小牧)。高校球史に残る名勝負であると国民が皆思う中、今日もやってくれましたね。2日続けてこういう試合が見られるとホントに嬉しいと思います(今日は仕事でテレビの生中継を見られなかったのが残念!)。 春先のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)もそうであったが、勝負事には「明日なき戦い」というのが見ていて一番面白い。 甲子園に出場できるチームは全国約4,000校のうち49校。そこで頂点になれる高校は、当然のことながら1校だ。特に夏の甲子園は、地区予選では少なくとも過疎地域でも5試合は戦っている。甲子園でも2回戦から始まっても決勝まで5回は戦うことになる。この間、一度も負けが許されないのである。それも甲子園に行けるのは、高校生活のわずか3年間だけだ。熱くなるのも当然かもしれない。 それだけに、60本のホームランを量産した今大会において、最後の戦いとなった両校の投手戦には非常に緊張感があり感動しました。 特に斎藤くん(早実)。君のタフネスさにはプロ選手も脱帽だ。 個性あるキャラクターも多かった今大会(鹿児島工業の今吉くんが特に良かった)。久しぶりに面白いと感じた夏の甲子園でした。
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平成18年8月20日(日) 〜 NO.232 気持ちのいい昼寝 〜 |
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午前中は図工教室、昼からはアピタで少し遊んで帰ってきました。午後3時頃から、公文の宿題をしている間にちょっと眠たくなってしまいました。それにしても気持ちよさそうですね。
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平成18年8月13日(日) 〜 NO.231 愛知こどもの国&日帰り帰省 〜 |
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今年も、お盆に日帰り帰省をしました。実家が蒲郡(愛知県)と近いので、思い立ったが吉日的な行動で行けてしまうところがいいですね。 朝、家を出て東名・名古屋ICに向かうといきなり「豊田IC〜××IC 14km渋滞」の表示。高速に乗るのをあきらめ、高針から名古屋都市高速で大高経由で蒲郡方面に向かうことにしました。お盆は、なんだかんだいって渋滞しますね。 今日は、「愛知こどもの国」→「墓参り」→「実家」→「帰宅」というあわただしいスケジュールでした。こどもの国では、昨年と同様、日焼けコンテストが開催されていたので参加してきましたが、入賞にかすることもなく完全に桜と化してしまいました。来年こそは・・・(父が出るぞ?)。
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平成18年8月11日(金) 〜 NO.230 迷惑な酔っぱらい客 〜 |
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一昨日、名城公園での夜の練習を終え、桜通大通付近で気持ちよく飲んで帰宅途中に名城線「ナゴヤドーム前矢田」駅で16分ほど足止めされました。こんな大捕物があったとは・・・。(記事が横に長すぎたので分割しました) |
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平成18年8月1日(火) 〜 NO.229 富士山から出したハガキが届きました 〜 |
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一昨日に続き富士山ネタです。 夕方、仕事から帰ってくるとポストに大きなハガキが・・・。どこかで見たことのあるような字・・・。そうです、一昨日、私が富士山頂郵便局から自宅宛に出したハガキが届いていました。5日はかかるといわれていましたが、2日で届いていました。 ハガキは、通常のハガキより大きくサイズは15.5cm×21.8cmです。一枚350円で切手付きで販売されていたものです。表には、これといって書くことが思いつかなかったので、富士山頂郵便局にあるスタンプを片っ端から押しました(次回行った時にはちゃんと考えておかなければ・・・)。裏は登山証明書になっており、こちらに切手が貼ってあるという珍しいタイプのハガキです。これもまた、私が富士山頂へ行った証拠です。 |
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平成18年7月30日(日) 〜 NO.228 富士山頂へ行ってきました 〜 |
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いよいよ来週に迫った「富士登山駅伝」の最終調整のために、駅伝メンバーといっしょに日帰りで富士山に行ってきました(午前4時出発、午後8時45分帰宅でハードな一日だぁ〜)。 とはいうものの、来週の富士登山駅伝では1区を任されておりますので、山間区である足場の悪いところで練習する必要性は薄いのでありますが、むしろ高地トレーニングとしての効果がどのくらい出るかという観点で、頂上まで行ってきました。 名古屋は終日晴れていたようですが、静岡県地方は梅雨前線の影響で一日中曇り若しくは小雨模様で決していい天気ではありませんでしたが、頂上は晴天。44歳にて初めて頂上に到達しました。雲海を眺め満足して帰ってきました。ちょっと、観光気分過ぎたかな。富士山にも登ったことだし、もう思い残すこともないなぁ・・・。 いよいよ来週は富士登山駅伝の本番。応援是非ともよろしくお願いいたします。
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平成18年7月23日(日) 〜 NO.227 畑村洋太郎先生の講演会に出かけてきました 〜 |
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畑村洋太郎先生は、人々の犯す(冒す?)失敗を題材にして学問化した俗称「失敗学」の第一人者です。 私も仕事柄、高圧ガス事故の起こるその裏に潜む本質的なものは何かということを考えています。最近の事故多発は、設備の老朽化や熟練技術者の退職による部分が大きいといわれていますが、実際には、ヒューマンエラーの部分によるものが大きいような感じがします。 最近でいえば、このところほぼ毎日、新聞を賑わしている燃焼器具の大手「P社」のことが大変気がかりです。現社長も現会長の息子であり、同族経営という点で社内の風通しが非常に悪いような気がします。 同族経営で大きくなった会社には、意外とイエスマンが多く、会社の不利益になるような社員は、追いやられてしまうという傾向があります。従って、会社にとって都合のいい発言をする人ばかりが昇進してしまうといシステムになります。従って、会社の上層部に都合の悪い話はもみ消されるようなシステムができあがります。 「P社」がこういう会社かどうかは存じませんが、社長の顔色を見る限りではおそらく風通しの悪い会社のような気がします。(私の野生の勘) さて、話を戻しましょう。 畑村洋太郎先生のすごいところは、失敗(=「事故」と考えてもいいでしょう)の直接的原因ではなく、奥に潜む間接的原因まで調査してしまうところです。そして、法的な限界があるものについては、法改正まで提言するところにあります。 今回のシンポジウムのテーマ「安全・安心に日本が生きるための国づくり」では、過去の風水害事例、そしてその事例から講じた良い対策と悪い対策についての事例紹介がありました。既に著書に書かれているものも多くありましたが、面白いアイデアもあり思わず会場から笑いを誘う場面もありました。 さすが、畑村洋太郎先生と感心するシンポジウムでした。 |
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平成18年7月16日(日) 〜 NO.226 トカゲの次はカエル 〜 |
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先週、家に現れたトカゲと遊んでいた長女・ゆかこですが、今日は、図工教室の帰りに夕立の中、小さな「カエル」を見つけて持ち帰ってきました。本当に兄より積極的ですね、爬虫類やら両生類には・・・。 いわゆる「おてんば」であることは間違いなさそうです。 |
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平成18年7月16日(日) 〜 NO.225 かずたかの4年生サッカー大会 〜 |
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昨日、尾張旭市の「尾張旭晴丘グランド」というところで、長男・かずたかの通っている東海スポーツ主催の「東海スポーツ4年生サッカー大会(8人制)」が開催されました。News.191で報告したとおり、今年の1月9日の「小学校3年生の大会」以来の対外試合でした。 サッカー教室へ通い出してからまだ1年経っていません。以前からプレーしている子との差はいまだ歴然としていました。今回も主にDF(ディフェンダー)のポジション。敵方のFW(フォワード)からのボールをブロックしたりするいい場面もありましたが、後半ではコーナーキックのボールをオウンゴールする失態もありました。今は辛いかもしれませんが、くじけずに頑張って欲しいです。目指せワールド・カップ日本代表!
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平成18年7月16日(日) 〜 NO.224 富士登山駅伝の決起集会 〜 |
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さる7月13日(木)、名古屋市西区のある居酒屋で「富士登山駅伝」の決起集会が行われた。 メンバーの大半は、名古屋市役所の職員であり年齢も30歳前後と若手であるが、その中に44歳の私と45歳の大形さん(名古屋市消防局)を入れた6人の混成チームができあがった。チームを強くしたいというエース平野君(名古屋市役所)の思いからこのような形となったところが面白い。 昨年、今回5区を走る山岳のエース平野君に請われて練習会に参加するようになったのであるが、3月からつい先日まで行われた猿投山の練習会ではついに本領を発揮することなく(と自分では思っている)、メンバー選考のタイムリミットとなってしまった。いろいろな要因があったにせよ、この借りは本番で返すしかない。 メンバーには大形さんという先輩ランナーがいる以上、老け込むわけにはいかない。本番では元気のいい姿を皆に見せたいと思っている。 では、今回のメンバーを紹介する。コメントは、私の独断と偏見によるモノだ。 チーム名は「名古屋市役所」。 大会は平成18年8月6日(日)、御殿場陸上競技場を午前8時にスタート。応援よろしくお願いします。
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平成18年7月8日(土) 〜 NO.223 珍客 〜 |
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今日夕方、家に植えてある木に水をやろうとしてホースを取りふと地面を見ると、そこには「とかげ」がいるではないですか。それも何かに噛まれてじっとしています。珍しい光景です。最初は「蛙(かえる)に噛まれているの?」と思い、子供たちを大急ぎで呼んで来ました。 兄・かずたかは、最初は「忙しい・・・。」と言いながら面倒くさそうにやってきましたが、その珍しい光景を見ると「ウォー!」と雄叫びを。それを聞いた妹・ゆかこもやってきました。こうなると、積極的なのはゆかこです。 「お父さん、これ、とかげがとかげに噛みついているよ」と。そうです、私が「蛙?」と思っていた方も実はトカゲで、トカゲがトカゲに噛みついているのでした。何ででしょうか? 兄・かずたかはトカゲを追い回していましたが、妹・ゆかこはさっさと捕まえてペットのように遊んでいました。我が家にやってきた珍客でした。 |
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平成18年7月5日(水) 〜 NO.222 授業参観 〜 |
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約半年ぶりに授業参観に行ってきました。 今回の授業参観は、低学年(1〜3年生)は7月4日(火)、高学年(4〜6年生)は7月5日(水)と分かれてしまったので、ゆかこ(2年生)の授業参観は母が、かずたか(4年生)の授業参観は父が出席するというように分けて、本日、かずたかのクラスの授業参観に行って参りました。かずたかが4年生になってから初めての授業参観です。 授業参観のポイントは大雑把にいって次の2点です。 (1)担任の先生は適切に授業を行っているのであろうか? (2)息子は、ほかの子に比べて授業についていけないということはないだろうか? (1)については、いろいろと見解が分かれるのでコメントは控えさせていただきますが、(2)に関してはとりあえずホッとしました。 今回の授業参観時の授業科目は「国語」です。「とんぼの楽園」というタイトルの文章で、とんぼの住処(すみか)やとんぼの種類、絶滅しそうなとんぼなどについて学習したものです。 さて授業中のかずたかの様子はどうだったでしょうか。 かずたかは、私と同様、誰とでも積極的にうち解けて話をするような性格ではないので、ややもすると消極的になりかねない部分があるのですが、今日の授業を見る限りそういう心配はありませんでした。積極的に挙手して、発言をしたいようなところについては非常にいい印象でした。 その反面、ほかの子に先生が当ててしまい自分が発言できないとわかると遊んでしまう。う〜ん。なぜですかね。変なところが似てしまいますね。まあ、そうはいいながらも今日の様子から90点はあげてもいいかなという感じでした。 かずたかは、我が家で最初に生まれた子供であり、私に顔立ちも似ていることからとてもかわいい息子です。 かといってすべてを自分と同じように似て欲しいとは思いません。私が完全なる人間ではないのですから、当然、似て欲しくないこともあります。しかしながら、今日の授業中の様子は良いところも悪いところも自分が小学生の時と非常に似ていました。何で似るの?不思議だ・・・。
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平成18年7月2日(日) 〜 NO.221 昭和村へ行ってきました 〜 |
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一週間前の話で恐縮です。 最近は、なかなか家族4人で日曜日を過ごせず、6月25日(日)に久しぶりにのんびりと家族4人で初ドライブを兼ねて、岐阜県美濃加茂市の「日本昭和村」に行ってきました。 平成18年4月10日付けNews「NO.207 大正村 親子3人珍道中」の中で、「あとは昭和村へ行ってグランドスラム!」と予告したとおりようやく日本昭和村へ出かける機会が訪れました。 日本昭和村は、平成18年4月に開園した公設民営方式の公園です。「公」は岐阜県、「民」は株式会社ファームを表しています。株式会社ファームは、日本昭和村の運営のほか隣接する東海環状自動車道の美濃加茂SA(サービスエリア)の運営もしています。そのおかげで、美濃加茂SAに車を停めたまま日本昭和村に行くことができます。ありがたや〜。 ところで、今回グランドスラムを達成してそれぞれの”村”がどういうことをウリにしているか考えてみました。 「明治村」は、明治時代の施設を移設して集めて展示しています。ちょうど江戸時代からの移行期で、西洋文化を積極的に取り入れた感がよく現れています。これはなかなかなもの。 「大正村」は、現存する町並みを保存し、オープンな形で観光客を受け入れている村。ただし、「これは昭和のものでは?」というものが随所にあり、15年間という短期間の大正時代を如実に表す難しさを感じることができました。 さて、昭和村は?というと、今から20年ほど前も昭和。今から80年前も昭和。これだけの幅のある時代をどうとらえて表現するのだろうかと思っていましたが、どうもイメージとしては昭和20年〜昭和40年くらいをイメージして考えた感がありました。それ以外に、岐阜の特産物を売っていたり、アスレがあったり、昭和に特化したテーマパークにしていく難しさを感じました。 どちらかといえば、「あまりこだわらず気軽に遊びに行けばいいかな」という感じのテーマパークでした。 ここで耳寄り情報。 今回の小旅行で使った高速料金は、何とたったの”250円”。すでにご存じの方もいるかと思いますが、テクニックを伝授しましょう。 朝、8時30分頃に東名・名古屋ICから東名高速道路へ。小牧JCTから中央自動車道、さらに土岐JCTから東海環状自動車道に入り一路美濃加茂SAへ。ここで、前述のようにSAに車を停めたまま昭和村で午後3時頃まで過ごしました。そのあと、再び東海環状自動車道に戻ります。ここまで、まだ一度も料金所から出ていません。そのまま西進し美濃JCTで東海北陸自動車道へ。ここから南下して一宮JCTへ出るとそこには名神高速が・・・。そのまま名古屋ICへ向けて走ります。ただし、名古屋ICでは降りられませんので、日進JCTから愛知万博用に作られた名古屋瀬戸道路の長久手ICで降ります。 これだけ走って、支払ったのは250円。内訳は、東名(名古屋IC〜日進JCT分250円の早朝通勤割引で250/2=125円 → 50円単位なので切り上げて150円)+名古屋瀬戸道路100円=250円というわけです。最終目的地が「日本昭和村」という、サービスエリアに隣接したところだからできる技。一応、JHも黙認している合法的手段ですので、本当に日本昭和村へ行かれる予定のある方は一度お試しあれ!
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