第21回トライアスロンフェスティバル in フォレスタヒルズ 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5年ぶりのトライアスロン このフォレスタヒルズにやってくるのも5年ぶりならば、トライアスロンの大会に参加するのも5年ぶり。ただし、前回はリレー方式での参加なので、一人で3種目をこなす正真正銘のトライアスロンとなると、平成19年9月の神栖市第21回波崎トライアスロン大会以来、約7年ぶりとなる。さすがにこれだけの期間、トライアスロンを離れるとなると競技レベルの低下は著しいこと間違いないだろう。おまけに加齢のよる体力の低下も加わるので、以前の競技レベルに戻すのは難しいと思う。 5年もトライアスロンを離れてしまった理由のその一つに仕事の忙しさで、練習時間の確保が難しかったことが大きい。プールに行こうにも、施設が閉まっていては練習にも限界がある。 今年になって仕事が一段落付いたわけではないが、ここ数年ランニングの走力低下が著しいと感じているのが復帰の一番大きな理由。トライアスロンをするというよりも、クロストレーニングによりバランス良く体を鍛え、走力を上げることが大きな目的だ。とはいえ、先月のデュアスロンも自転車で風を切る楽しさを久々に感じたが、今日はトライアスロンの爽快感を久しぶりに感じることができるだろう。
スイム 私の出場するA部門(スイム400m、バイク12km、ラン4km)は9時ちょうどスタートの第1ウエーブと9時40分スタートの第2ウエーブに分かれている。エントリーは全部で73人と少し大きな練習会レベルであるが、わずか73人でも2ウエーブに分けるには理由がある。それは、スイム会場でフォレスタヒルズの流水プールを使うことにある。コース幅は5〜10m程度だろうか。自動車が通る道路と同じくらいの幅よりも少し広いくらいだ。さすがにこの幅で73人を一斉に泳がせるとなると抜くのはほぼ困難であり、わずか400mでバトルばかりを繰り返すこととなるための配慮であろう。 9時ちょうどに第1ウエーブの選手を見送ってから、スイムのイメージを膨らます。流水プールは一周で200mでここを反時計回りにまわる。左に左に曲がりながら進むことが多いが、ところどころで右へコースがカーブしているので、必ずしも左の壁を見ながら泳ぐことが最短距離を泳ぐことにはならない。コースを頭に入れながら、なるべく最短距離を泳ぐイメージを膨らませる。 また、今回はウエットスーツの着用は認められているが、泳ぐ距離が400mと短いので脱ぐ手間を考えると着ない選択もあったが、自分のバイクランを通して着るウエアがスイムに対応したものでないので、上半身のみウエットスーツを着るという変則的な形でチャレンジすることにした。 9時15分過ぎに着替えをし、ウエットスーツをウエアの上に着用してプールで試泳をする。温水プールになれているせいか水が冷たい。が、泳げばちょうど気持ち良くなるくらいの水温だ。ウエットスーツもまずまずいい感じ。上下セパレートのシロモトさんのウエットスーツがこういう形で使えるとは思わなかった。 スポーツドリンクを飲むために一旦、芝生広場に戻り、トイレを済ませてプールに戻ると計測用のアンクルバンドをもらっていなかったのが私だけのようで「646番の人いますか〜!」と連呼していた。「ハーイ!」と返事をする。時間はまだ9時30分。全然焦ることはない。
9時40分。ピストルの合図で5年ぶりのトライアスロンが始まる。 最前列にいたものの、ものの5秒もたたずにスタートダッシュに遅れてしまったことがわかる。最短コースを取ろうと思っていたが、やはり同じようなコースを泳ぐ選手がいるので、邪魔でしょうがない。100mほどでバトルが一段落したものの、1周目が終わると再びバトルに巻き込まれる。海ではないので、体の浮き方が今ひとつで、時々水を飲みかけたりする。久しぶりのトライアスロンなので、大したことのないトラブルでも少々焦る。 この400mの距離が正しければ、6分半程度で上がってこれるだろう。終盤はまずまず自分のペースで泳ぐことができたような気がした。 流水プールを2周回してスロープを上がる。スイムに苦手意識があるので、水から上がってくるとホットする。プールサイドを走りながら、ウエットスーツを脱ぎゴーグルを外してトランジットエリアに向かう。プールを出たところの計測ポイントを7分11秒で通過。おそらくプールを上がったところでは6分半くらいだっただろうか。まずまずのペースでバイクに入ることができた。
バイク 自分の前にプールから上がった選手は、あっという間にトランジットエリアに向かって行ってしまった。自分もトランジットはそこそこ早い方だと思っていたが、この選手はトランジットのスピードはかなり速い。 自分のバイクの場所に行ってみると、自分のまわりのバイクの数台は既にいなくなっていた。いつものことなので気にしても仕方がない。毎度のこと、ここから追い上げが始まっていく。 自分の近くのバイクラックでは、私より年配のF坂さんがバイクに乗る準備をしていた。トライアスロンを20年以上やっているものの、最近の若い選手の名前は全然知らない。昔からやっている人の名前は知っているが、その一人がF坂さんだった。どうやら私よりもスイムで先に上がっていたようだ。 しかしながらバイクで、トランジットエリアを出ていくときには、秒差くらいに距離も縮まっており、バイクをスタートしてからすぐに抜き去る。バイクは、1周2.4kmの往復コースを5周回する。3種目の中では一番時間が長いが、かといってわずかに12kmなので大きく差は付かない。 ややオーバーペース気味でバイクに乗り出すが、どういうわけか先月のフレンドリー・デュアスロン磐田大会と同様、乗り始めると膝から下の脚が攣りかける。原因が今一つわからないが、乗りながらストレッチをしたりして回復するのを待つ。 このコースは、バイクトランジットから半分強が緩やかな登り。登り切って右折をすると今度は急な下りが始まり、ほぼ下りきったところで直角に左折し、さらにその先50mほどでUターンするというテクニカルなコースだ。DHバーを使うところはほとんど無いので、DHバー無しのドロップハンドルでの参戦でも、バイクタイムはほとんど変わらないだろう。 序盤にオーバーペース気味でバイクをスタートしたので、3周回までは呼吸も脚もかなりしんどかった。おまけに後ろに2人ほどがくっついて走っているようだ。意図的にドラフティングしているわけではないだろうが、バイクの走力に差がないということだろう。 折り返しをUターンすると、後続の2人のうちの一人が前に出る。こちらのペースがやや落ちてきたとみて前に出たのであろうか。とはいえ、ペースアップするわけでもなく差が付かない。4周目の後半には再びこの選手を抜いて5周目に入る。 最終周でも自分を含めて3人で連むような感じで走ることになる。折り返しからバイクトランジットに向かって登り切ったところで、バイクシューズを半脱ぎにしてトランジットに備える。バイクの終盤は、トランジットに向けてバイクをすぐに降りられる準備と、ランに向けて脚をフレッシュな感じにするために軽めにペダリングをすることに心がける。 バイクの距離も短く、練習不足のボロを何とかさらけ出すことなくランに移ることができた。
ラン バイク→ランのトランジットではややもたついた感じはあったものの、バイクで同走していた選手たちよりは何とか先にランコースへ飛び出していくことができた。 30代の頃は、ここからさらにペースアップをして前走する選手を抜いていったものの、ここ数年は走力が低下していることもあって、ガンガン走っている感覚がない。 自分の今の順位はよくわからないが、3人ほどが前を走っているようだった。ジュニアの選手が2人、一般部門の選手は1人のようだ。 ランは片道500mのコースを4往復するコースで、前を走るこの一般部門の選手を追いかける。 1周目、2周目と徐々にこの選手との差が詰まっていくことがわかる。3周目の折り返し地点の手前でこの選手を抜き去る。 第1ウエーブの選手の様子がわからないので、はっきりとした確信がなかったが、この時点で第2ウエーブの一般部門ではどうやらトップに立ったようだった。後続の選手を見るが、大きく追い上げている選手も見当たらなかったので、このペースで行けばもしかすれば、5年ぶりのトライアスロンで一般部門の優勝もちらついてきたかと思った。結果から言えば、これがまずかった。 4周目の折り返しを気持ちよく折り返し、下り坂をマイペースで走っていく。ゴールのレッドカーペットが見えてきて、すぐさま右に曲がると「折り返してからゴールしてください」と係員。 きちんとコースを確認していなかったのがまずかったのであるが、最後の折り返しですぐ後ろに凄い勢いの選手が一人近づいてきた。「もしかしたらこの選手もこれでゴール?」気持ちよさも一瞬で吹っ飛び、スプリントが始まった。 距離にして50mほどだろうか、レッドカーペットに入ってゴールテープが見えても何とか私の方が前を走っていたものの、ゴールテープの寸前で右側に後続の選手が前に出て、距離にしてどうだろうか50cmあるかないかくらいの差で逆転を許してしまった。少なくともこれで5年ぶりのトライアスロン復帰での記念すべき優勝はなくなってしまった。いくら登竜門的な大会とはいえ、そんなに簡単に優勝してしまうほど生やさしいものではなかった。残念!
総合第4位、一般Aでは第3位 1時間ほどすると結果の一覧が貼り出された。結果は総合で第4位、一般Aでは第3位だった。 A部門での最速は、驚くことに中1の選手だった。その次が一般部門の選手で、第1ウエーブの佐藤選手だった。第2ウエーブでの最後のスプリント勝負を制しても、結果的には優勝できなかったことになる。 レース前の目標が3位までの入賞だったので、何とか目標は達成したことになり、復帰戦としては上出来のスタートだったと言えるかもしれない。 また、もう一つ驚くべきことに一般Aで優勝したのは34歳の佐藤選手。 この選手は、左手首から先がなく、右手一本でブレーキをかけて自転車に乗っているという。バイクのタイムもわずか12kmで、私よりも2分も早い。おまけにこのテクニカルコースでアップダウンと下りながらの急なカーブもあるし、Uターンが2箇所もある。どんな形でバイクに乗っていたのであろうか。凄い選手がいたものだと久々に驚いた。 さて最後に5年ぶりのトライアスロンの感想について。 50分ほどの短い時間ではあったが、めまぐるしく変わる3種目を楽しむことができた。マラソンなどの単一種目とは、またひと味違った爽快感があったと感じる。 もともとトライアスロンと言えばアイアンマン・ディスタンス(スイム3.8km、バイク180km、ラン42.195km)からスタートしている。トライアスロンがこの距離に限定していたら、もしかしたら復帰することがなかったかもしれない。(マラソンも42.195kmのみであれば同じことが言える) この大会は、登竜門的な位置付けで、これからトライアスロンを始めようとする人のための大会で、私のように20年以上もトライアスロンをしている人間の出場する大会ではないかもしれないが、5年ぶりのトライアスロンでリハビリ的な意味で出場するには、手頃でちょうど良かったような気がする。距離が長くなるとボロが出てくるだろうが、これからもトライアスロンを続けていこうという気にさせるには十分な大会であった。 この大会は、練習会的なこぢんまりとした雰囲気で、気楽に参加できるという意味では非常に良かった。わが家からも近いということもある。毎年毎年こういう場を設けていただいた高橋希代子さんをはじめとする主催者に御礼申し上げます。
中日新聞に掲載されました 7月14日付けの中日新聞に結果が掲載されました。掲載は嬉しいですが、大会終了から2週間後というのは・・・。 本日の戦利品
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