佐田岬マラソン2018 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バンクーバー→成田→本八幡→新宿→松山
成田に着陸したのは16時45分。10時間の及ぶフライトで遅れが僅かに5分なので、この程度は許容範囲。一安心していたが、滑走路に着陸した後、駐機場へ向かう雰囲気がない。しばらくすると「成田空港付近の天候不良で離発着が遅れています。駐機場へは15分ほど遅れて到着の予定です」とアナウンスが入る。「17時くらいなら仕方がない」と思っていたが、15分ほどするとまた同じようなアナウンス。「シートベルト付けてお待ちください」といってても、生理現象でトイレに行き出す乗客がちらほら出始めた。最初は15分と行っていたので、多少の余裕で構えていたが、次第に時計が気になりだしてきた。結局、駐機場に到着したのは着陸から1時間後の17時45分。完全にタイムリミットだった。
乗客を掻き分けるように走り、手荷物受取場所までダッシュしていくものの、荷物はなかなか降りてこず、荷物のピックアップが出来たのは18時10分頃だった。行動を共にした仲間二人との挨拶もそこそこに急いで京成電車の乗り場に走る。何とかギリギリで18時14分発の上野行き特急に乗車できた。この列車は京成八幡には19時07分頃に到着。結局、単身先のマンションには19時20分頃到着した。 単身赴任先のマンションでの行動も慌ただしかった。 時間的な余裕がないことは予想していたので、土日の遠征の用意は海外出張の前に済ませていたので問題はないが、海外出張で発生した洗濯物となるYシャツを急いで目の前のクリーニング屋に持っていくのと、長旅でサッパリしたかったので、風呂にだけ入って20時10分過ぎには単身赴任先のマンションを出発した。いくら単身赴任先とはいえ、1時間も滞在せずに遠征先に向かうのはスケジュール的にかなり無理があった
コース下見&当日 松山市内でレンタカーを借りて昨年同様コースの下見をしてきた。この大会のコースとなっている佐田岬半島は、日本で一番長い半島。九州の方に向かって40kmほどの距離がある。愛媛県の内子町、大洲市以遠を「南予」というが、佐田岬半島は愛媛県では「南予」に分類される。国道197号線がこの半島の中央を背骨のように走っている。かつての旧道は、佐田岬半島は典型的なリアス式海岸のため、海岸線を走る悪路狭隘路線であった。佐田岬半島は地質が脆いため地滑りが多く発生し、通行止めになることがしばしばあったという。現在の197号線ことメロディーラインは、佐田岬半島の尾根筋に延び高台にある道路なので見晴らしがよい。ドライブについては打って付けの道路と思う。 今大会のコースの一部は旧国道197号線のようである。なるほど景色は良いものの生活するにはなかなか大変そうなところであるが、断崖絶壁から眺める宇和海の眺めは素晴らしい。アップダウンは厳しいが、明日もこの風光明媚な景色を眺めながら頑張ろうと思った。
日本に戻ってきた日にいきなり夜行バスで松山へ移動。そしてコースの下見と時差ボケなのか夜行バスで寝不足なのかサッパリわからず、また宿泊先のホテルで「下町ロケット」をティーバーを使って見ていたこともあり、床に入ったのは日付が変わってからになってしまった。朝起きるとすでに8時。完全に寝坊。昨年出場しているので焦ることはないが、急いで朝食を摂りに最上階のレストランへ行く。今回は朝食付きプランでバーバープラザホテルに宿泊したが、ここのホテルの朝食は美味しく、さすがにレストランの食事という感じがした。また、最上階から眺める風景も非常によく、八幡浜で宿泊される方がいたら是非ともオススメしたいと思う。
ホテルを9時に出発し、会場には9時35分に到着。昨年停めたところの駐車場は満車で、奥の方の駐車場に誘導される。受付から少々遠いのが難点であるが、遅くきたから文句は言えまい。 昨日夕方試走した際は、がらんとした状態であったが、早朝から大急ぎで会場の設営をしたのであろう、見違えるような風景になっていた。ナンバーカードを付けて軽くウォーミングアップをすると、時刻は10時20分。スタートまで残り10分となってしまった。体調面では不安だらけ。オーバーペースにだけはならないようにしようと誓いスタートラインに並ぶ。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください(2017大会に同じ)。 レース
スタート後はいきなり登り坂となる。コースに関しては、昨年と今年で下見を各1回、またレースも昨年に引き続きなので、まずまず頭にたたき込んでいると思っている。 昨年の反省を活かし、今年は今日は序盤から折り返しまではペースをゆったりし、終盤に備える作戦だ。平坦なコースであれば、それほどペース配分に気を遣わなくてもよいが、このコースはほとんど平坦なところがないのが特徴。ロケーションの素晴らしさを味わうためには、このアップダウンの試練に耐えなければならない。
5km〜6kmの間に現れる川之浜の海水浴場あたりでは平坦になるが、6kmの手前からは再び上りが始まる。特に6km〜7kmあたりは勾配がきつく、ここで遅れ出す選手も多く、このあたりでポツリポツリと抜いていく。8kmを過ぎたあたりからは下り出すが、9kmを過ぎるとさらに下り勾配がきつくなる。さすがに6km〜10kmあたりのアップダウンに手を焼いて10kmの通過は43分29秒。この5kmは22分20秒かかっている。後半のことを考えれば、このくらいでよかった。 10kmあたりから大久という集落があり、このあたりで少しだけフラットになるが、集落が終わると緩く上り出す。すでに折り返し地点を折り返してすれ違う選手が増えてくる。一人二人と数えると、総合で38番目、年代別では4番目に折り返したことがわかった。私の後ろにも同年代の選手が2人ほどいるようだった。 12km地点の前から再び上り坂が始まるが、ここの勾配が一番きついような気がする。昨年はこの12km〜14kmで非常に苦しみ、ここでかなり脚を使ってしまったので、ここに来るまでに脚を溜めておこうと考えていたが、練習不足もあり脚にはほとんど貯金がなくなっていた。このあたりの上り坂で、ペースは一気に5km/分近くまで落ちるが何とか後続の選手を先に行かせることはなかった。が、結果からいえば、この区間でもっとペースを落とせばよかった。 残り5kmくらいから再び上りに入るが、完全に脚を使い切った状態になり、昨年とほぼ同じような状態になった。このあたりからは11時ちょうどスタートのクォーターマラソンを走る選手も入り乱れ始め順位もよくわからなくなってきた。 今年もこの最後の5kmが非常に辛かった。あと1kmの少し前くらいから、有線放送から音楽が流れる。この音楽はどうも正午になると有線放送のスピーカーから流れるようだ。昨年もなっているのが聞こえたが、今年は、昨年よりもゴールから遠い地点で鳴り始める。2週間前にもハーフマラソンを走っているが、今回は35kmくらい走ったような疲労感が滲み出てくる。 残り1km手前から始まる上りでは、昨年同様大きくペースが落ちる。が、今年は前半からペースを落として走ってきたので、昨年に比べれば最後の頑張りは多少はできた。残り450mほどで下りに転じる。ゴールの100mほど前では、ゲストの土佐礼子さんが通過する選手らとハイタッチをしている。私もここでハイタッチ。そしてゴール。昨年の記録はハーフマラソンのワースト記録であったが、今年はさらにその記録を約3分更新することとなった。 着順も年代別6位で入賞圏内から僅かに外れたと思いきや、記録証発行所での記録を見ると、なぜか年代別5位。私の数え間違いだったのであろうか。こんな記録でも、今回は入賞については救われた感じであった。
本日の戦利品
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