第1回つる湧水の里ランフェス 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
都留市 都留市は大月市と富士吉田市の間に位置している人口約3万人の都市。大月市はJR中央本線と富士急行の分岐する大月駅があることで知られている。富士吉田市は、富士山の麓に位置する都市で、富士登山競走の出発点でも知られている。 さて都留市はといえば、個人的には「都留文科大学」がある街ということで知ってはいた。高校時代、県外の大学をいろいろと調べていたときに、山梨県に公立の大学で「都留文科大学」があることを知った。文系の大学なので受験することも検討はしなかったが、地方にはいろんな公立大学があるのをそのときに知った。今から40年以上も昔の出来事であるが懐かしい。 ほかにも高崎経済大学、東京都立大学、姫路工業大学、北九州市立大学など、国立大学と比べると公立大学はやや地味な感じではあるが、その地方にわざわざ設立したのは何らかの趣旨があったのだと思う。
さて、現在の都留市といえばやはり「リニア」だろう。実験線があるのはご存じの通りであるが、市内には見学施設もある。最近ではJR東海の社長が静岡県知事に試乗を勧め、実際にそのことがニュースになった。開通にこぎ着けるまでは、リニアとなればこの都留市が取り上げられるだろう。 福田六花さんとゲストランナーの長谷川朋加さん、そしてサックス奏者
10kmと3kmはスタート場所が少々離れているが、せっかくなのでまずは10kmのスタートを見に行く。この大会をプロデュースしたという福田六花さんが、ゲストランナーの長谷川朋加さんを呼んでスタート台からひと言はなしをするように促している。ここで少し紹介しておくが、福田六花はランナーズ誌で度々取り上げられているシンガーソングランナー。本来は医者で老人福祉施設の施設長をしているとのこと。確か、雑誌では河口湖町に在住のように書かれていたと記憶しているが、どうも今は都留市の在住のようだ。開会式のときから、「市長は自治体の市長の中では一番ダンディだ」などと持ち上げていたが、さすがに医者というだけあって地元では顔が広いようだ。 また、ゲストランナーの長谷川朋加さんは、日本一走るアナウンサーということをウリにしている。今のところはフリーのアナウンサーのようであるが、私が9月に参加した山形県村山市で行われた「最上川s-mileマラソン」にもゲストでよばれている。知名度という点では今ひとつであるが、ゲストであちこちよばれているうちに徐々に知名度が上がっていくかもしれない。 福田六花さんがスタート1分前のコールで、すぐそばにサックスを持っていた人が「ロッキーのテーマ」を一人で演奏し始める。途中からはスタート前の選手たちも手拍子を送り演奏は30秒ほどで終了。一斉に拍手が起きる。福田六花さんがこのサックス奏者を紹介していた。名前は忘れたが59歳の方だそうで、どうも福田六花さんの知り合いのようだった。 ちなみにこの方の出番はまだ続き、3kmのスタートの時も同様に演奏、また表彰式でも「見よ勇者は帰る」をソロで演奏。最後は、表彰式後に仮装ランナーを集めステージ上でダンスをさせているときには福田六花さんがギターを、そしてこの方がサックスを吹いて演奏をするというまさに「ランフェス」に花を添える役割を担っていたことを付け加えておく。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 レース 10kmのスタートを見送り一旦会場に戻り、走る格好に着替え、さらに荷物を預けてから3kmのスタート地点へ行く。3kmのスタート地点も10kmのスタート地点も道幅が決して広くない。自動車がすれ違うのがやっとというような広さのため、横一列に並ぶのも6〜7人程度と行ったところであろうか。 3kmはスタートが「一般(60歳以上を含む。)、中学生」がDグループ、Eグループ。男女小学生がFグループと分けられ、その順番でプラカードを持った係員が立っている。一番前がDグループなので、あとから来た割には前の方がやや空いていたので3列目に並ばせてもらう。 先ほども紹介したが、スタート1分前から30秒ほどサックスの演奏が行われる。走る前の景気づけには選曲もよく、そして演奏も長くもなくほどよい具合だ。 10秒前からは福田六花さんのカウントダウンが始まり、ピストルの合図で一斉にスタート。スタート地点はやや下っているので、若い選手は勢いよく駆けていく。昔の私だったら同じようにぱーっと走って行くが、コースを先ほど試走したところ、わずか3kmでも起伏が多いことがわかった。
コースを簡単に説明するとスタート地点から200〜300mほどは下るものの、桂川にかかる松葉橋が一番低くなっており、そこから1km地点までが延々登りとなる。1kmを過ぎると下りが始まり2km地点までは概ね下っていくような感じ。2kmを過ぎてからは若干登りがあるものの、その後は平坦。寺田酒店を曲がってからは一気に下り、先ほどの松葉橋を過ぎてからはゴールまで登っていくというコースだ。自分の向き不向きを考えながらペース配分をしていかなければならないのが、このコースの特徴と言えるのではないか。 さて、スタート後の先頭争いは若い選手に任せておいて、私は自分のペースが定まるように走って行く。10〜15人くらいはあっという間に前に行ってしまった感じだった。 200mほどしてコースが左に曲がる手前で同年代らしき選手を一人抜いていく。プログラムは会場で支給されたものの、どういう人が走っているのかさっぱりわからない。まあ、わかったところで戦術が大きく変わるわけでも無く、最近は毎回自分との戦いで少しでも速く走るのが大きな目標になっている。
最初の1kmの通過は4分20秒。序盤の200〜300mは下っているものの、それ以降は登り一辺倒のコースなので、最初の入りとしてはまずまずではないか。 ここから先は右へ左へと少しの間、目まぐるしく右左折を繰り返し、その後、禾生第二小学校の横の急さかを下っていく。このあたりでは、数人の選手と抜きつ抜かれつを繰り返す。 ほぼ下り切ったところで右折、マンションとさくら保育園の間を走って行く。このあたりでコースの半分は過ぎているだろう。 コースは右折し、桂川にかかる舟場橋方面に向かう。ちょうど2kmの表示がでてくる。8分14秒で通過。この1kmは3分54秒と先ほどの1kmと比べ、下り坂になっている分、ペースは上がっていることになる。 舟場橋を越えたところで短い区間であるが急な登りがある。ここを登り終えると左折し平坦な道に出る。このあたりで若い選手が一人歩き出していたが遠慮無く追い抜いていく。ここが最後の平坦部分なので、少し息を整え最後の200mに備える 寺田酒店に来たところで、一筆書きの部分がちょうど終わりとなる。ここを左折すると、最後のアップダウンをむかえる。 距離も短いので、10kmと比べると余力がまだあるような感じであったが、このあたりから数人のランナーに少しずつ抜かれてしまう。いずれも明らかに私よりも若いランナーなので無理をすることはなかった。
最後の直線になって、ゴールのアーチが見えてくる。10kmと比べれば余裕はあるものの緩い登りなのでスピードが上がっていく感じはしない。まあ、無理にペースを上げる必要もなさそうなので、最後は流してゴールをしようかと思った瞬間、私の左斜め後ろにスタートから200mほどで抜いた同年代らしき選手がちらっと見えるではないか。私の後方でひたひた走っていたのか、それとも最後に追い上げてきたのかわからないが、ここまで来て抜かれるわけにはいかなかった。 残りは50mほどであっただろうか、まさに50m走のような感じのスピードに急激にスピードを上げる。とにかく一歩でも早くゴールに入らなければならない。心拍数も急激に上がり、やや酸欠のような感じに頭がぼんやりしたところでゴールをした。若干遅れて先の選手。 ゴール後は、かの選手から「年齢は?最後は速かったねえ〜」と話しかけてくる。私も急激なペースアップでゴール後は余裕が無かったので「はあはあ」とだけ答えておいた。 この大会はゴール後にはスポーツドリンクの配布はあるものの、記録証の発行はない。着順は会場に用意されたQRコードにアクセスすればすぐにわかるものの、そのうち記録の掲示もあるだろうから、しばらく待つこととした。 ところが着替えているうちに会場にアナウンスが流れる。『各年代の1位の方のみ表彰式で表彰をします。お名前を呼びますので、ステージ横のテントまでお集まりください。3km小学生の部 1位 ●●さん・・・』という調子で、そのうち『3km一般男子60歳以上の部 1位 加藤一郎さん』という感じで呼び出される。思わず「よしっ!」と私。参加人数も少なく、スタートから前方を確認していたので同年代の選手がいないのは確認していた。最後はひやっとしたものの、何とか逃げ切れたので今日はいけるだろうという自信はあった。
50歳を過ぎてから椎間板ヘルニアになってしまい、現在も右足に少ししびれが残る。一昨年、今年と二度の肉離れで練習を止めざるを得ない時期もあり、すっかり走力が低下してしまった。今年の中日ドラゴンズと同じで、これ以上下がりようも無いところまで来ているので、これからは上がっていくしかないのかなと思っている。今日は少人数で、また有力選手が出場していないこともあったが、やはり優勝というのは気分のいいもの、これからも優勝を目指して走って行きたいと思っている次第。 番外編(道の駅つる) 大会終了後は、隣接する「道の駅つる」に立ち寄る。地元の特産品の販売施設には多くの人だかりが見られる。ただし、私の目的はそちらではなく、地元の特産品を使用した食事の方だ。道の駅の初期の頃は、特産品の販売を中心に立地していたが、最近の道の駅は食事ができるようになったところが多いような気がする。 今回はあらかじめ「道の駅つる」について調べておいたので、大会終了後は「道の駅つる」のレストラン「お勝手場」で、「富士湧水ポークの自然薯とろろ飯ポークステーキセット」を注文しようと決めていた。ここまでは予定通り。 しかしながら、表彰式の段取りが悪く、いつまでも表彰式が始まらず、会場から出発する帰りのバスの時間が気になってきた。表彰式が終わり、レストランに行くと注文待ちの行列。さらにレジの女の子が時々配膳を手伝うなど効率が悪い。
少々手間取ったが、注文してから料理が出てくるまでは比較的早かった。今日は年代別で優勝したこともあり、地ビール「ふじやまビール」で合わせて祝杯をあげる。 バスの時間が少々気になって、ゆっくり食べていることはできなかったが、予想通りこのセットは美味しかった。ポークステーキはもちろんのこと、自然薯も美味しい。少々値段は高めではあるけれど、ここで食事をするのであれば、このセットがおすすめであることは間違いない。 本日の戦利品
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