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平成27年9月18日(金)
~ NO.820 東三河三昧と旧河合塾・豊橋校跡 ~
 4月から担当する仕事が替わったこともあり、東三河方面へ出かける機会が増えました。私の出身は、この東三河地方の蒲郡市です。古くから三谷温泉、西浦温泉、形原温泉という温泉地で有名だったほか、鉄道唱歌では「海の眺めはがまごおり」と歌われている地でもあります。
 三河湾を目の当たりにして、三方を山に囲まれていることから、気候は温暖であり県内では有数のミカンの産地でもあります。ラグーナ蒲郡が出来てからは、市外からも遊びに来る人が増えたような気がします(冬場は閑散としていますが・・・)

 この蒲郡市には、生まれてから20歳までと大学生活を終えた23歳から30歳までの合計27年ほど住んでいました。現在住んでいる名古屋市は、蒲郡からは距離にして約60kmほど離れているので、生活圏としてはやや離れた場所になります。同級生の高校の進学先も大半はこの東三河地区でした。たいていのことはこの東三河で済ますことが出来ていました。
 高校3年生の時に受験に失敗し、一年間予備校に通うことになりましたが、その時の予備校は豊橋市の河合塾・豊橋校でした。長男・かずたかも現在浪人生で河合塾・千種校に通っていますが、何といっても河合塾はこの界隈の大学に関する情報量としてはナンバーワンです。浪人して、河合塾・名駅校まで通っている同級生もいましたが、何といっても通学時間は短い方がいいです。特段考えることもなく、1年間河合塾・豊橋校に通っていました。

 昨日は新城市を経由して東栄町、そして今日は豊橋市で講習会の講師をすることになったので、珍しく2日連続で東三河方面へ出張しました。今日の会場は、豊橋市の松葉公園そばのカリオンビル(豊橋市民センター)というところです。松葉公園は、河合塾・豊橋校のそばにある公園で、野外ステージもあり、時々イベントが開催されている比較的豊橋市の中心部にあるやや大きめの公園です。「久しぶりにここまでやってきたので、少しこの辺りを散策しよう」と思い、昼食を兼ねてあたりを散歩しました。

JR新城駅。今年やってきたのは2回目。静かな街の入口です。

「しんじょう」ではないですよ。「しんしろ」と読みます。

この日(9月17日)は東栄町まで、新城駅から出先の職員と公用車で出かけ、帰りは新城駅で別れました。16時39分の豊橋行きの電車。車内は通学の高校生で満員。帰宅したのは午後7時過ぎでした。新城遠い~!

翌日の9月18日は豊橋へ出張。この日は名鉄電車に乗ってやってきました。連日の豊橋駅利用です。

名鉄ホームからJRへの乗り換え場所。IC乗車券のチェックがあります。

知立の大あんまきといなり寿司の露店販売。豊橋駅らしい風景ですね。

こちらはホームの売店ですが、豊橋の土産商品が展示されています。なぜかうなぎパイもあります。

改札口はJRと名鉄と共用

コンコースは少し賑やかですね。

平成9年に商業施設「カルミア」と駅ビルホテル「ホテルアソシア豊橋」がオープン。

豊橋らしい風景の一つがこの市電です。JR駅から東の方へ延びています。

地下2階、地上16階建てのサーラタワー。平成20年開業。平成20年8月16日付けのニュース「No.425 サーラタワー」で取り上げました。

 豊橋市は東三河の中心都市ですが、私が幼少の頃と違って人口の減少が続いています。象徴的なのが駅前のデパートが次々と閉店してしまい、商業都市としての魅力が薄れてしまったことです。豊橋あたりの人は浜松へ遊びに出かけるそうです。同じ愛知県でも少々生活圏が異なっている感じがします。それだけ若い人たちが集う場所が豊橋に無いということでしょうか。
 そのデパートの減少につられるように、商店街も昼間からシャッターを閉めている店舗が増えています。河合塾への通り道だった、精文館書店のとなりの「ときわ通」もかなりの店屋がシャッターを閉じていました。スマートボール屋などの一部の店舗は、30年経っても残っていましたが、かなりの店が世代交代で知らない店屋に変わっていました。ラーメン屋があったところはセブンイレブンに、第一勧銀はみずほ銀行に変わっています。

 そしてわが母校の河合塾・豊橋校ですが、何とダイヤパレスのマンションに変わっているではないですか!相当前に豊橋駅の南東の方に変わったようで、豊橋市新本町には河合塾・豊橋校があったことがわかるものが何も残っていませんでした。まさに栄枯盛衰!30年も経つとこんなに変わるのか!驚きと共に、あまりにも変わり果てた景色に少々落胆しました。いくつかその時から営業を続けている店舗を見つけましたが、思わず「頑張ってね!」とつぶやいてしまったこの日でありました。

前日の9月17日の中日新聞(朝刊)に掲載されていた名古屋市以外の商業地で最高価格地がここ「ローソン豊橋駅前店」の土地。(右参照)

1平方メートルあたり520万円。一坪あたり1,716万円ということでしょうか。

当時は豊橋駅から地下道を通って第一勧銀の前から地上に上がって、この横断歩道を渡って、精文館書店の隣のときわ通(アーケード)を通って河合塾・豊橋校に通っていました。セブンイレブンのあるところは、確かサッポロラーメン屋があったはず。

ときわ通も静かになっていました。シャッターが降りている店が多かったですね。名前は忘れましたが、通りの左側にライブハウスもありましたが、見事に無くなっていました。

ときわ通にある「東京庵ときわ支店」。昔はもっと古ぼけた店やだったような気がします。

せっかくなので「豊橋カレーうどん」を注文しました。950円なーり。

丼ぶりの底にご飯ととろが潜んでいます。その上にカレーうどん。表面には豊橋名産のウズラの卵が1個のっています。

食べ方にも手順が・・・。結構ボリュームがありました。近くの勢川本店さんは安いせいか、行列が出来ていました。

懐かしいスマートボール。塾生好きな奴がいて、ほとんど毎日帰りがけに遊んでいした。今も健在とは!

鈴木珈琲店。ここも頑張ってやっていますね。

ときわ通を抜けて右折をし200mほど直進すると萱町交差点に出ます。そこをさらに直進し、50mほど行くと・・・

ありました!「カメリア」のパン屋さん。塾生の女の子がよく買っていたなあ・・・。ここも健在でした。

そのカメリアのパン屋のところを左折して50mほどで河合塾・豊橋校の裏口に出るのですが・・・。何と違う建物が建っていました。

近くに行ってみると、「ダイアパレス新本町」というマンションです。全く違う建物に変わっているとは驚き!

正面にまわってみると、こちらもまるっきり雰囲気が変わっていました。河合塾・豊橋校は、豊橋駅の南東の方にどうも移転したようです。

再び通りを戻って歩いてみると「我楽多」がありました。こちらも30年以上頑張っています!

塾生の憩いの場の松葉公園。気分転換にやってきたりしましたが、現在は少しきれいに整備されています。

昔はただの空き地に屋外ステージがあっただけのやや広い公園でしたが、整備が進んできれいになりましたね。
平成27年9月18日(金)
~ NO.819 エアコン修理(続編) ~
 エアコンが不調で、修理を依頼したことにつきましては、8月16日付けNews「NO.809 エアコン修理」で報告したとおりですが、交換することを考慮したため、その後の修理を一旦止めて、交換する場合の見積もりをとることにしました。
 現在のエアコンは、家を新築したときに設置したものですので、当時の資料をさばくり出せば設置時の金額がわかるのですが面倒なので、見積もりの金額だけで交換するか否かを判断することにしました。

 交換する場合、「現在の室外機1台、室内機4台のマルチタイプのエアコンの単純更新」と「部屋ごとに(室外機1台+室内機1台)×4セットへの取替え」の2パターンです。わが家は室外機が1台のため、冷媒配管を壁の中に埋め込んで使用していますので、のパターンはその冷媒配管は生かしたまま室外機と室内機を一斉に取り替えるというものです。現在使用している冷媒はR410Aという新築当時は流行の冷媒でしたが、今回はR32という、まあ、こちらも現在の流行の冷媒です。若干可燃性ではあります。
 このの見積もりをとったところ、何と129万円です。「高い!」セキスイを経由しているので、多少は高くなることは予想していましたが、明らかに高すぎ。また、併せてとったの見積もりですが、こちらはさらに高く何と153万円でした。浪人生に高校2年生の子どもを抱える家計としては、この時期にこれだけの金額を支出するのはどう考えても無理だと考えました。

 そこで、再び修理業者へ電話で連絡。「先日の修理の続きをお願いしたい」と私。仕事が回ってくるということでしょうか、先日の業者さんは二つ返事で修理の続きをすることを了解。9月11日(金)に続きをすることになりました。

疑義がかかった書斎のエアコン。袋をかぶせてしばらく放置してから調べましたが、結果はシロ。
 8月の夏の最中に比べれば、9月11日はかなり涼しく、修理(検査)もしやすい日でした。
 前回は冷媒を700gほど補充したので、今日はその冷媒の漏えい箇所の調査です。まあ、私の得意分野でもあるわけですが、この業者さんの持ってきたのはフロン用のリークディテクター(検知器)でした。可燃性ガスや毒性ガスの検知器は何度も見ていますが、不活性ガスであるR410Aを検知する検知を見るのは初めてです。メーカも検知器メーカの大手である新コスモス電機や理研計器のものでは無さそうでした。

 まずは家の中の4箇所の室内機の熱交換器部分の漏えい箇所を調べます。2階の二部屋、そして1階の二部屋の順でディテクターをあてて調べますが、反応がありません。ただし私のいる書斎の室内機のところだけは「ビビー!」と反応します。少々怪しいです。業者さんは、室内機に袋をかぶせてしばらく待ちます。R410Aが漏えいしているのであれば、このビニール袋の中に徐々に溜まり、はっきりと検知できるのであろうと考えたのでしょう。

マルチエアコンの室外機も漏えい検査しましたがこちらもシロ。どこから冷媒が漏れたのでしょうか?
 しかしながら袋に溜まっているはずのR410A、なぜか反応しません。時々あるのですが、高感度のためにノイズを拾ってしまい誤動作するというケースだったかもしれません。こうして家の中の室内機4台は「シロ」と判定されました。
 次は室外機です。あとはここしか思い当たるところがありません。こちらも同様に熱交換器や、フレア継手の部分を中心にリーク箇所を調べてきますが、検知器の方は一向に反応しません。業者さんも悩んでいましたが、結局は漏えい箇所が見つかりませんでした。
 「次のステップとしては、冷媒のR410Aを一旦全部抜いて、窒素で加圧して一週間ほど放置しておいて、漏えい箇所を調べる」という提案をしてきました。専門的には、この方法を放置漏れ試験といいます。ここから先の検査は手間がかかるので、丁重にお断りしました。手間がかかるということは費用もかなり高くなると言うことです。「前回冷媒を補充しましたが、とりあえず問題なく使えているのであれば、当分様子見をしましょうか」と業者さん。

 仕事柄、適正な修理としては漏えい箇所を調査し、当該部分の補修をすべきでしょうが、漏えい箇所がわからないでのあれば、冷媒補充という形の修理完了もありかなと思います。そうこうしているうちに涼しくなってきて、我が家ではエアコンを使うことがなくなってしまいました。また、来年あたふたするのでしょうか。
平成27年9月17日(木)
~ NO.818 長男・かずたか 道場対抗柔道大会 初戦敗退 ~
 去る9月13日(日)、愛知県武道館において「第51回柔道道場連盟対抗柔道大会」が行われました。
 長男・かずたかは、この3月に高校を卒業したものの4月からは目出度く?浪人生です。柔道などしているヒマは本来ないはずです。とはいえ、柔道がよほど好きなのでしょう。昨年7月に部活を引退したあと、お世話になっていた山田柔道所(名古屋市東区)にほぼ毎週土曜日に練習に出かけ、山田柔道所のメンバーになってしまいました。2段の昇段のための形試験の手ほどきなど、山田柔道所にはお世話になるところがあり、義理堅くメンバーになったのはいいとして、浪人生の間に試合に出るなど私は夢にも思っていませんでした。入所していきなり道場対抗の団体戦のメンバーに抜擢されるとなると、本人としても嬉しくて仕方がないのでしょう。受験に支障がなければいいのですが・・・。

 さて話を戻します。
 購入した自動車の半年点検が近づいていたので、点検日もこの日に合わせました。というのも自動車を購入したディーラーがたまたま愛知県武道館近くにあるからです。
 午前8時に長男・かずたか、カミさん、私の3人で自動車に乗って愛知県武道館に向けて出かけました。私とカミさんはもちろん応援団です。こうして二度と来ることがないだろうと思っていた愛知県武道館にまたまたやってくることになりました。

 いざ、愛知県武道館にやってくると雰囲気が少々違います。高校生の時と違って何かがかかっているというわけではないので、会場の雰囲気は比較的やんわりとした感じ。ただし会場は、第3競技場ですので狭くて、場内は選手と関係者でかなりムンムンの状態でした。
 会場をよく見るとちらほら見かけた顔があります。そうです、昨年まで長男・かずたかが大会で戦ってきた相手が何人かこの大会に出場しています。長男・かずたかと同学年のものもいれば、下の学年のものもいます。下の学年というとなると、まだ現役の高校生です。学校の部活の他、道場に通っているということでしょうか。道場対抗となると、進んで道場に籍を置くわけですから、この大会は柔道好きの集まりであるということは間違いないかと思います。

 さて試合の方ですが、長男・かずたかの所属する山田柔道所は、4試合目に登場です。対戦相手は「夫馬道場」というところ。どんな相手であるか情報が全くありません。どんな戦いになるのでしょうか。
 この日の長男・かずたかは、先鋒を任されていました。私も長男・かずたかの試合を何試合か見に行ったことがありますが、先鋒で出場したことは記憶にありません。先鋒は、試合の流れを作る重要なポジションです。柔道においてはある意味大将と同じくらい重要なポジションかもしれません。山田柔道所の面々を見ると、長男・かずたかが先鋒に抜擢された理由が何となくわかりました。これは後述します。そして週一の道場通いの長男・かずたかの久しぶりの試合が始まりました。昨年10月の千種区民大会以来、約11ヶ月ぶりです。

 試合が始まって、しばらくすると互いに胴着をつかんで様子見が始まります。長男・かずたかはやや腰が引けた感じ。試合勘がないというのは少々不利だったかもしれません。30秒ほどして相手から技をかけられ体勢を崩しました。長男・かずたかの中では、このあと寝技に持ち込むための作戦だったのでしょう。ところが倒れ方が悪く、背中から畳に落ちて何と審判が「一本!」の判定。長男・かずたかは、目を丸くして畳の上で「ウソ?」と信じられない様子。今年の夏の甲子園で、中京高校の上野投手がいいピッチングをしながら、最後に関東一高にサヨナラホームランを打たれ直後のあっけにとられた顔と同じ表情でした。
 こうして長男・かずたかの山田柔道所の初の試合は、あっけなく終わってしまいました。

 そして先鋒が崩れると連鎖的に負けが込んでいきます。
 山田柔道所は、次鋒、中堅、副将と負けが進み、最後の大将で何とか1勝をもぎ取り完封負けは免れましたが、平均年齢が明らかに高い山田柔道所にとって若い部員の多い相手と戦うのは明らかに不利でした。
 とはいえこれまでの山田柔道所の週末の練習は楽しかったようです。山田柔道所の人たちが温かく迎えてくれまたかわいがってもらえたことがよくわかります。

 今日のこの大会を終えて、これからは完全に勉強に専念することになります。浪人時代の気分転換という位置付けで頑張れたのであればいい思い出になるでしょう。山田柔道所のみなさん大変お世話になりました。

再びやってきました愛知県武道館。少なくとも私は来る用事はないと思っていたのですが・・・。

この日の会場は第3競技場。メイン競技場と比べると手狭な感じのところです。

こちらが第3競技場。柔道専用の競技場のようです。

開会式が終わって、他の道場の試合を観戦する長男・かずたか(中央やや右で正座している)

4戦目にして山田柔道所が登場してきます。この日は団体戦の登録のみ。

相手は夫馬道場。事前の情報なし?で戦います。

年齢構成としては、夫馬道場の方が明らかに若そう・・・。

先鋒として登場の長男・かずたか。この日の戦術は?

序盤はまずまずの感じで試合を進めていましたが、開始後約30秒で足を払われそのまま背中から畳に落ちてあっけなく一本負け。

体格的に有利かと思っていましたが、残念ながら見せ場を作ることもなく敗戦で終わってしまいました。
平成27年9月17日(木)
~ NO.817 ランナーズ賞の候補者の推薦をいただきました ~
 報告が遅れましたが、この度、雑誌「月刊ランナーズ」の2015年9月号の38ページに掲載されている「ランナーズ賞」の補者に推薦をいただきました。推薦していただいたのは、同じ走友会のメンバーのF田さんと走友のN村さんです。一人でも大変ありがたいと思っているにもかかわらず、何と二人の方から推薦をいただけたというのは非常にありがたいことで大変感謝をしております。この場をお借りしまして再度御礼を申し上げます。

 さて、ランナーズ賞についてご存じのない方もいるかと思いますので、ここで少し説明をいたします。
 1988年に第1回の受賞者があり、今年で第28回となる歴史のある賞であります。
 これまでの著名な受賞者としては、村本みのるさん(第2回/東京国際女子マラソン、大阪国際女子マラソンには第1回大会から出場。黎明期の女性のトップランナー)、山田敬蔵さん(第3回/1952年ヘルシンキオリンピック出場、1953年ボストンマラソン優勝。選手活動終了後もあちこちの市民マラソンに出場)、佐々木功さん(第7回/LSD指導の元祖。浅井えり子を指導)、角田進さん(第9回/参加資格の厳しい時代の福岡国際マラソンに18回連続出場)、ゴールデンゲームズinのべおか(第12回/1990年に宗兄弟の手作りで始まった長距離種目のみの競技会)、高石ともやさん(第13回/フォークシンガー、日本のトライアスロン大会の最初の優勝者、ウルトラランナー)、福澤潔さん(第15回/ミズノランニングクラブ監督、ペースアドバイザー。フルベスト2時間23分19秒)、松田千枝さん(第17回/第1回の東京国際女子マラソンから受賞時まで23回出場。フルタイムワーカ。フルベスト2時間36分38秒)、星野芳美さん(第20回/無敵の強さを誇る3児のママさんランナー。フルベスト2時間35分58秒)、永谷誠一さん(第22回/第1回大会の立ち上げに10大会近く関わる。1981年日本人としては初めてハワイアイアンマンに出場)、鏑木毅さん(第25回/トレイルランナーの草分け、2009年からはプロトレイルランナー)、夜久弘さん(第27回/ランナーでありペンライター)、山地啓司さん(第27回/ランニングを科学として研究)など蒼々たる方々であります。

 なお、ランナーズ賞に関しては、ランナーズのサイトには以下のように説明がされています。参考までにそのまま転記します。
 ランナーズ賞は、長年に渡り、市民ランナーとして模範的生活を送り、健康であることの喜びや、ランニングの素晴らしさを多くの人々に伝え、また仲間を作り、さらに地域の社会体育を考えていく、そのような地道で有意義な活動をされている人、団体について、その功績を讃える賞です。 一般公募制とし、毎年、雑誌「月刊ランナーズ」の市場にて募集し、受賞者には正賞の楯と、副賞として賞金30万円が贈呈されます。
 ここだけ読むと、敷居が高くてとても私のような人間がいただけるような感じは全くしません。推薦の条件がいくつかあるようですので、そちらを続けて紹介します。
一つ以上当てはまる人が近くにいたら、ぜひ推薦してください
  1 継続性   長きにわたりランニングや、それに関する活動に携わり、今なお継続しているか
  2 先進性(パイオニア)   それまで未開拓だった分野において、確かな実績を残してきたか
  3 アカデミック性   科学的な分野における発展、ランナーへの普及活動に寄与してきたか
  4 独自性   他のランナーが行っていない、ユニークな活動をしているか
  5 社会貢献   他のランナーや、社会から高い評価を受ける活動をしてきたか
  6 チャレンジ   新しい分野、大きな目標に挑戦していく強い気概を持っているか
  7 話題性   近年、注目されている分野や出来事に関わってきたか
  8 ネットワーク   多くのランナーとネットワークづくりを行っているか
  9 奉仕精神   自らの損得にかかわらず、他者や公共の利益のために進んで活動を行っているか
  10 人間性   周囲のランナーからの人望が厚いか
 こちらについても、自分に当てはまるようなことはないような気がします。今回、私を推薦していただいたお二方につきましては、今年の2月に完結した国盗りについて評価をしていただいたのだと思います。ランニング関係の雑誌においては、投稿も何もしていないので、その事実を知る方は少ないかと思いますが、また何かの機会があればこのホームページで取り上げたいと思っています。
平成27年9月13日(日)
~ NO.816 24時間チャリティーリレーマラソンに参加してきました ~
24時間チャリティーリレーマラソンの歴史
回数 日時  参加
チーム数 
参加人数 
H17.9.17 約80人
H18.9.16 10 約200人
H19.9.15 13 約260人
H20.9.13 11 約250人
H21.9.19 約220人
H22.9.18 10 約220人
H23.9.17 11 約230人
H24.9.15 約220人
H25.9.21 11 約270人
H26.9.13 10 約230人
10 H27.9.12
 昨日から本日にかけて、名城公園(名古屋市北区)において24時間チャリティーリレーマラソンがあり、微力ながら参加してきました。このイベントは今年で10回目です。もともとは、名城公園をねぐらとする「セカンドウインド」というランニングチームの創立25周年イベントで、25時間リレーマラソンをセカンドウインド、名古屋市役所走友会、菊里クラブ、庄内RTの4チームで開催したのが始まりです。翌年以降は「そういうイベントをするなら、混ぜて欲しい・・・」ということで継続的に行われています。これまでの参加チーム数及び参加人数について簡単にまとめたのでそちらを参考にしてください。

 第10回目の今大会の参加チームは8チームです。最盛期には13チームの参加がありましたが、今回はこれまでの中で最小の8チームでした。平成17年の25時間リレーマラソンの参加チームのうち、今年も参加したのは名古屋市役所走友会のみです。大会の目的として「名城公園で活動する走友会・ジョギングクラブ・ランニングクラブ等、または各クラブに交流があり参加希望するクラブも含め、ランニングを通じ交流を深めること」とありますが、冒頭の「名城公園で活動する」というところのクラブチームの参加が少なく、「各クラブに交流があり参加希望する」というただし書きのような部分が今年は主となっていた感じがします。一部のクラブチームは高齢化が進み、24時間走れるメンバーを集めきれなかったのでしょうか。

 話を戻します。
 毎年、この大会のスタートは、土曜日の正午。そこから日没を迎え夜通し走り、翌日の日曜日の正午で終わりです。今年は雨も降ることも無く、イベントとしては無事に終わったのではないでしょうか。
 私は午前5時~6時の予定でしたが、長男の柔道大会の応援に出かける関係で、午前2時~3時の1時間の分担に変えてもらいました。「名城公園の1.3km周回コース+周回チェックの取付路0.2km」の特別コースを約1時間で8周、つまり12kmほど走りこのイベントに参加しました。夜中なので気温が下がるかと思いTシャツにタイツで走りましたが思ったほど気温も下がらず、むしろやや暑い感じでした。
 以前は、周回数を競う部分もありハイペースで走っていた時代もありましたが、周回数を競うことを大会として止めてからは私ものんびり走り参加するようになりました。走り込みというほどの距離ではありませんが、イベントに参加して走友会への帰属意識を高めるという意味ではいいことではないかと思っています。足を引っ張らないうちは継続して参加したいと思います。

 なお、この日の名古屋市役所走友会は24時間で196周(294km)。参加8チームのうち2番目だそうです。参加されたみなさんお疲れ様でした。私の撮った写真、佐藤さんの撮った写真のうち何枚かを、以下にアップさせていただきました。
平成27年9月4日(金)
~ NO.815 見ず知らずの方々ありがとうございました ~

通りすがりのみなさん、ありがとうございました。
 8月27日(木)の午後3時頃、カミさんから電話がかかってきました。たいていのことはLINEで済ましているので何事かと思いきや、長女・ゆかこが古出来町で動けなくなって電話がかかってきたということです。カミさんが職場から急いで古出来町に向かい、私は仕事が終わってから長女・ゆかこが運ばれた八事・日赤病院に駆けつけました。

 長女・ゆかこが以前から背中が痛いと言っていたので、整形外科などで診察をしてもらっていたのですが診断は「ただの背部痛」。MRIで画像撮影して、八事日赤病院で診察をしてもらった結果は、「一部血管に異常があるかもしれないので造影剤を入れて検査しましょう」ということになりました。その関係で8月25日(火)に検査。「検査後は造影剤の影響があるので一日安静にした方が良い」ということで8月26日(水)は念のために入院し、その日の午後に退院してきました。

 本当はもう少し大人しくしていた方が良かったのでしょう。8月27日(木)は自転車で学校へ出かけ、そのあと友達とショッピングなどして、別れた後帰宅をしようとしたら急激に気分が悪くなり動けなくなったようです。通りがかった人たちがいろいろと心配してくれたようで、熱中症と勘違いして飲み物をいろいろと買ってもらっていたようでした。ちょうど河村・名古屋市長の事務所の前あたりだったようで、河村事務所の方にもお世話になりました。

 タクシーで八事日赤病院に行き、救急外来で診てもらったところ、やはり造影剤の影響が出たようです。個人差があるようですが、このタイミングで出るのは珍しいといわれましたが、出てしまったものは仕方がありません。
 タクシーの中で1回、病院で1回戻したそうですが、私が駆けつけた頃には顔色は良くなっていました。本人も大丈夫だというので、午後7時過ぎに八事日赤病院を出てわが家に戻ってきました。

 この間、街で通りすがりの人何人かに心配をおかけし、また飲み物を提供していただきありがとうございました。名前もわからずお礼のしようがないので、このホームページをもってお礼を述べたいと思います。本当にありがとうございました。大変お世話になりました。
平成27年9月4日(金)
~ NO.814 茶臼山高原は秋の訪れ ~
 今年の夏は暑かったですね~。7月8月は、ほぼ週末は茶臼山高原に避暑を兼ねて練習に出かけてきました。8月の後半になるとぐずついた天気が多く、茶臼山高原もかなり涼しくなってきました。疲労を蓄積しないように練習するというのも大切ですので、加齢と共に暑さに弱くなってきた私にとっては茶臼山高原は夏場の欠かせない練習場所であります。

 下の写真は8月の下旬のある日の茶臼山高原です。このは天候も冴えないものでしたが、小雨の中を気持ちよく快走しました。また、道路のあちこちでは自生している栗の木から栗の実があちこちに落ちているのが目立ちました。赤とんぼもちらほら飛んでいる茶臼山高原。名古屋と比べると季節が一ヶ月ほど早いような気がします。

道路のあちこちで栗が落ちているのを見かけました

この日は生憎の小雨の天候。ただし涼しくて給水もあまり取らずに練習としては快適でした。
平成27年9月4日(金)
~ NO.813 お経を読んでいただきました ~
 お盆もかなりすぎてしまった8月30日(日)、わが家からほどなく離れた大心寺さんでお経を読んでいただきました。本来であればお盆の前に読んでもらうものですが、カミさんが社会保険労務士の試験勉強やらで(試験は8月23日に終わりました)後回しになり延び延びになったものです。

 今年はわが実家が完全に空き家になってしまったので、今年はカミさんの亡くなった親のお経読みに合わせて、実父の分についても頼みました。仏壇ごと実家から運んでくるわけにはいかないので、位牌だけ実家から持ってきました。

 大心寺はカミさんの実父が亡くなってからの付き合いがあります。大心寺は現代風のお寺で、多宗派のお寺です。つまり、いろんな宗派の坊さんを抱えているというものであり、檀家さんを持っていません。イマージェンシーの対応をしてもらえる現代的なお寺なのです。

 持ってきた位牌をセットしてお経読み、焼香など時間にして15分ほどでした。これで何となく1年に1回の約束を果たしたような感じがします。蒲郡の空き家に檀家となっている専覚寺の坊さんにきてもらうのも時間調整が結構手間なので、これからは大心寺でカミさんの親と一緒に供養をしてもらおうかなと思っています。

自由ヶ丘愛昇殿に隠れるようにしてある大心寺の寺務所

15時に小原様(カミさんの旧姓)で予約してあります。

お茶を出されてくつろぐカミさん

大心寺の本堂
平成27年9月4日(金)
~ NO.812 北海道からメロンが送られてきました ~
 先日、わが家にメロンが突然2個送られてきました。送り主は北海道富良野のメロン農家さんです。

 長女・ゆかこによりますと、7月に北海道に修学旅行に行った際に農業生活体験をした農家さんから送られてきたもののようです。農業生活体験は、いくつかのグループに分かれて、いくつかの農家さんに分散して体験をしたようですが、すべての農家さんから送られてきたものではないようです。

 間もなく食べ頃の時期になるようです。おいしく食べて楽しかった北海道の修学旅行を思い出して欲しいと思います。それにしても北海道に修学旅行とは羨ましい限りですね。
平成27年9月4日(金)
~ NO.811 金ちゃん逝去 ~
 昨日、最後の1匹だった金魚が昨晩突然死んでしまいました。
 わが家での金魚を飼いだした歴史は、子どもたちが保育園児か小学生の低学年時代まで遡ります。明確な記録がないので私の記憶によるものですが、最初はお祭りの夜店ですくってきたものではなかったかと思われます。その後記録をひもとくと、平成16年11月23日のNewsNO.85「金魚を飼うはめになりました」くらいです。

 今回死んでしまった金魚(わが家では「金ちゃん」と呼んでいた)は、長男・かずたかが中学1年生頃に買ってきた5匹ほどのうちの1匹ではないかと言われています。わが家で過ごしていたのは約6年ですかね。最後の方は、ほとんど買ってきた長男・かずたかではなく長女・ゆかこが餌やりをしていました。いざ亡くなると寂しいですね。昨晩土の中に埋めてやりました。

 金魚を買ってきてまた飼うのでしょうか?いずれにしても飼育は難しいし大変ですね。
平成27年8月18日(火)
~ NO.810 お墓参り&おぼん玉 ~
 お盆も終わり、空になびく雲の種類も徐々に変わってきました。夏も終わりが近づいているようですね。
 さて、そのお盆(旧盆)ですが、8月13日から数えて4日目の最終日に、お墓参りのために蒲郡に出かけてきました。蒲郡に住んでいた母親を5月のGW明けにわが自宅近くの施設に連れてきたので、蒲郡の実家には今は誰も住んでいません。本当にお墓参りだけに行ったようなものです。

昔ながらのお寺です。水を汲んでお墓に向かいます。

何をお願いしたのでしょうか。それともご報告?

 わが家のお墓は、蒲郡市の専覚寺というお寺の中にあります。毎年、この時期に管理費として2,000円を納めているので、挨拶を兼ねてお墓参りの帰りに立ち寄りました。数年前から先代から住職を引き継いだ息子さん(40歳前くらいでしょうか)が出てきました。「栄町(私の実家のあるところ)の加藤ですけど・・・」と私。「加藤一郎さんですね。2,000円お願いします」と住職。「大変申し訳ないのですが、母親を名古屋の施設に連れて行ってしまったので実家が空き家になってしまいまして、何か連絡がある場合は名古屋へお願いしたいのですか・・・」と私。 住職も、時代の流れで仕方がないといったような顔をされていました。

 夕方には名古屋に戻って、施設にいる母親を連れて食事会です。カミさんは23日(日)に社労士の試験が近づいているので、時間をとられるのが嫌なのでしょう。欠席。長女・ユカコも背中が痛いとかで欠席。加藤家の跡取りの長男・かずたかと私との3人の少人数の会食になってしまいました。とはいえ、孫が遊びに来るのは、祖母としては楽しいに違いはありません。私の方で用意しておいた「おぼん玉」をわが母親から孫に手渡してもらいました。こういう機会は設けないといけませんね。

施設から200mほど離れたデニーズへは孫が車椅子を押していきます。

おばあちゃんと近況についてお話し。なかなか話がかみ合わない・・・。

最近はやりのおぼんだま。お年玉ならぬお盆に渡すお小遣いという意味だそうです。
平成27年8月16日(日)
~ NO.809 エアコン修理 ~
 昨年8月にエアコンの一部の室内機をクリーニングしましたが、先月から「どうも効きが悪い!」と家族から苦情があり、今度はメーカーの点検を受けることにしました。メーカーはダイキンです。
 お盆前の忙しい時期にも関わらず、ダイキンのサービス店の人が夕方やってきました。昼中は、他の家の点検に出かけているのでしょうか。それとも暑くて昼中は作業が出来ないのでしょうか。いずれにしてもわが家にやってきたのは、午後5時少し前でした。

 わが家のエアコンは、ダイキン製のマルチエアコンです。マルチエアコンというのは、室外機が1台でそれに対して室内機が複数あるもののことです。室外機が1台なので、省スペースになるという触れ込みで購入したのですが、壊れたり調子が悪くなったりすると調べる範囲が広くなってしまったり、買い替えする場合も全機の取り替えが必要になるので、後々のことを考えると従来のシングルエアコンの方が良かったかもしれません。
 
昨年クリーニングした室内機も効きが悪くなったので、調査してもらいました。

 点検は、室内機4台をまず点検。そして室外機を点検。4台中2台の室内機は、熱交換器が汚れている(ゴミがつまっている)せいか、一部、風が出ていないことが判明しました。ただし、効きが悪いのとは関係ありません。
 エアコンの温度センサーの調子が悪いという疑いもかかりましたが、結局は正常で、やはりというのも何ですが、冷媒の量が正規の量(3kg)に比べて減っていることがわかり、700gほど補充しました。やはり、どこかから漏れているだろうということがわかりました。この日は約2時間ほど悪戦苦闘して調査をしましたが、漏えい箇所の調査は8月22日(土)に行うことになりました。調査費用があまりにもかかるのであれば、適当なところで止めといて、買い替えをしようかなと思っています。新築から13年。もう少し、物持ちを期待していましたがこんなものでしょうか。続きについては、またレポートをしたいと思います。

マルチエアコンの室外機。冷媒が700gほど減っていることが判明しました。どこから漏れたのでしょうか。
平成27年8月9日(日)
~ NO.808 福井大学オープンキャンパスと九頭竜トライアスロン ~
 長女・ゆかこはただいま高校2年生。来年はいよいよ受験生になります。
 今のところ志望は看護師。大学での看護師の授業について一度見ておこうということで、大学のオープンキャンパスに出かけました。今のところ志望は、親元を離れて過ごす信州大学のようですが、信州大学のオープンキャンパスは締め切られていたので、同じ地方都市の福井市にある福井大学のオープンキャンパスに親子3人で参加してきました。それにしても各大学で実施しているオープンキャンパスというのは、どこもかしこも人気ですね。福井大学でも大勢の高校生がオープンキャンパスにやってきていました。

 この日は自宅を午前7時前に出発し、名古屋ICから東名・名神。北陸道を経由して福井北ICで降り、一般道を少し走ったところに福井大学はあります。
 福井大学は、福井市文京3丁目(文京キャンパス)にある教育地域学部及び工学部と、吉田郡永平寺町松岡(松岡キャンパス)にある医学部に分かれています。長女・ゆかこの目指す看護師関係は、この松岡キャンパスにある医学部看護学科がその目指すところになります。


この日の福井大学のオープンキャンパスのメニュー(クリックすると拡大します)
 福井大学は、昭和24年に福井師範学校・福井青年師範学校・福井工業専門学校を母体として設立されています。一方医学部に関しては、昭和53年に福井医科大学が設置され、その後平成9年に医学部看護学科が追加設置。その後、平成15年に福井大学と福井医科大学が統合されて、現在の福井大学に至っている経緯があります。そのため、福井市の市街地にある文京キャンパスと福井市の市街地まで10km以上離れた松岡キャンパスに分かれています。
 なお、この松岡キャンパスですが、現在は吉田郡永平寺町となっていますが、平成16年に町村合併で、永平寺町、松岡町、上志比村の2町1村が合併し現在の永平寺町になっていますが、旧松岡町にあったため、いまだに松岡キャンパスといっているようです。

 さてオープンキャンパスに話を戻します。
 午前10時少し前に福井大学に到着。福井大学附属病院が併設されていることもあり、駐車場に少々迷いながらもオープンキャンパスの会場へ。地元の福井県内の高校生でしょうか、行列をなして受付をしていました。受付で資料をもらいあとは、オープンキャンパスの会場へ。参加者が300名を超える大人数になったこともあり、学生は看護学科棟の看護大講義室へ、保護者は別室で説明を受けることになりました。
 保護者の集まった部屋は、学生らが説明を受けている内容をそのままテレビ中継してスクリーンに映像が流れるようにしてありました。医学部長、看護学科長の挨拶のあと看護学科のカリキュラムの説明。そしてきになる入試制度の説明がありました。
 福井大学の看護学科の定員は60名。推薦入試20名、前期日程30名、後期日程10名という内訳のようです。推薦入試は小論文A(日本語)、小論文B(英語)、面接が各100点満点。志願者も年によってバラツキはありますが38名~79名とのことです。
 また一般入試(前期)についてはセンター試験(800点満点)で平均が541点(H27年実績)。合格者の得点としては497~640点とか。志願状況としては、年によってバラツキはありますが、48名~79名とのことでした。
 後期については平均が547点。合格者の得点としては511~600点。志願者は61名~92名とこちらも年によってバラツキがあるようです。

ここが会場の福井大学医学部。きれいな建物ですね。

看護学科の受付と医学科の受付は分かれていました。

一人1本ずつ飲み物をいただきました。ありがとうございます。

こちらが受付。あらかじめ申し込んでおいた番号を申告します。

昨年の入試問題が置いてありました。一部ずつもらいました。

説明会場の看護学科棟へ移動。少々距離がありました。

ここで親子は別々の会場になります。

こちらは親の説明会場。

学生たちの看護学科棟の講義内容をテレビ中継する形で、午前中は終わりました。

お昼ご飯は、弁当の無料配布がありました。

午前中の授業の感想を語る親子。

左は朝いただいた無料の飲み物。右の二つは、こちらも無料で配られたかき氷。このほかにおにぎり弁当もいただき至れり尽くせりですね。

午後は学生は4グループに分かれて実習に入りました。親の方は、看護師の仕事をDVDで見せてもらいました。

午後3時半過ぎにグループごとの実習も終了。アンケートを書いてお開きです。

卒業生の就職先の説明が張り出されていました。4割は福井県内(福井大学附属病院?)だそうですが、壁には名古屋大学附属病院に就職した人3名のほか福井日赤病院に就職した人の様子が書かれていました。

左は24時間オープンしている福井大学医学部図書館。テスト前はここでこもる人が多いそうです。

「看護師の仕事がわかったのは良かった」と娘。「でも福井大学のあるところはとんでもない田舎だったなあ・・・」と娘。
 午後の実習では短時間でしたが4つの実習を4グループに分けて行ったようです。特に「助産学領域体験実習」が気に入ったようで、これは楽しかったと言っていました。しかしながら福井市の市街地から10km以上離れているこの場所については思いのほか驚いていたようで、「田舎過ぎるなあ・・・」とこぼしていました。まだ、1年あるので今のうちにいろいろと調べたりしながら志望先を考えておけばいいかと思います。

 さて、話は変わりますが、オープンキャンパスのあと旧松岡町内のある施設に向かいました。ある施設とは「永平寺町松岡B&G海洋センター」です。先ほど説明したように、現在は永平寺町ですが、平成16年までは松岡町といっていたところで、かつては「松岡町B&G海洋センター」といっていたところです。
 この施設は、実は私のトライアスロンのデビュー戦となった「九頭竜トライアスロン」のメイン会場です。私のトライアスロンデビューは平成元年9月ですので、今から26年前に遡ります。私の記憶に間違いがなければ、ここの温水プールで1,050m泳ぎ、その後はここから九頭竜川の堤防道路まで5kmを第1ランニング。九頭竜川の堤防道路を数往復するバイクコースで40kmを走り、再び堤防道路からB&G海洋センターまで5kmを走って戻ってくるコースです。ランニングでは、往路も復路も原因不明の腹痛で、途中でかなり歩いてしまったこともあり、成績としては122名中32位と思ったような成績ではありませんでした。
 しかしながら福井鉄人会のみなさんが、いろんな商品を持ち寄って閉会式を一生懸命やっていた記憶があります。会場ではなぜか焼き鳥も・・・。こちらは福井鉄人会の会長の荒川さんが、福井駅そばで「一品料理あらかわ」というお店を開いていることもあり、焼き鳥を振る舞っていただいたようです。
 翌年リベンジに出かけ、その時は111名中1位でゴール。これで気持ちよく九頭竜トライアスロンを卒業できたことを覚えています。

 その九頭竜トライアスロンもいつの頃か忘れましたが無くなってしまいました。せっかく旧松岡町にやってきたので、足を伸ばしてB&G海洋センターにやってきましたが、当時の温水プールは季節営業の温水でないプールに変わっていました。夏の期間は、土日だけの営業の張り紙がしてありましたがプールの水の色は緑色のまま。利用者が少なく放置された感じ。変わっていないことを期待して25年ぶりにやってきましたが、残念でした。人口減少による利用者の低下でしょうか。栄枯盛衰を大きく感じた次第であります。

九頭竜川にかかる五松橋。

九頭竜トライアスロンのバイクコースだったところ。九頭竜川の堤防道路を走りました。

こちらは当時のランコースだったところ。九頭竜川からB&G海洋センターまで少しずつ緩やかに上り勾配になっています。

ここが九頭竜トライアスロンのメイン会場だった「松岡B&G海洋センター」。訪れたこの日もひっそりしていました。

こちらは温水プールだったところ。現在は、プールの周りを覆っていたビニールシートも撤去されていました。

プールの正面の入口です。

プールの開放予定表が貼ってありましたが、利用者はいません。

それもそのはず、プールの水は緑色で掃除がされていません。予算が無くて放置されているのでしょうか。
 
平成元年9月に開催された第2回九頭竜トライアスロン。水泳は時差スタートで、1コースから順に6コースまで25mずつ泳いだあと、いったん水から上がって再び1コースに戻り泳ぐ。これを7回繰り返すものだった。私は写真中央で右から7番目。デビュー戦で緊張している。
 
九頭竜川の堤防道路を自転車で40km走るコース。自転車にはDHバーも付けておらず、また服装もトライアスロンを始めたばかりの間に合わせの服装で時代を物語っている。

記念すべきデビュー戦のゴール。暑くて上半身裸でゴールしたが、当時はこれでも許されていた。写真は、いずれも当日同行してくれた友人のSくんの撮影。
平成27年8月2日(日)
~ NO.807 木陰のコース ~
 このニュースのコーナーでも、7月12日の「NO.802 茶臼山高原の練習開始」と7月21日の「NO.803 梅雨明け」で、茶臼山高原の練習コースを紹介しましたが、ここ数日は最高気温も35℃を超えているので、茶臼山高原でも日陰を選んで練習しています。

 今日紹介するのは「天狗いろは坂」という茶臼山高原道路の「面ノ木インター」付近から旧津具村方面に下って行く県道80号線です。「面ノ木インター」から旧津具村方面へは下る一方で、約5kmは木陰の中を右へ左へとうねうねと下って行きます。道幅は狭いですがさすがに「いろは坂」というだけのことはあります。ただし日光のいろは坂と比べてはいけません。そこらにある山道と同じレベルかもしれません。
 しかしながらこの5kmは、
 (1)5kmが下る一方(帰りは登る一方)。
 (2)自動車などの交通量が極めて少ない。
 (3)木陰が少なく見積もっても6割以上ある。
と、なかなかユニークであり、なかなか走り応えがあります。
 このところの猛暑のため、標高1,000mくらいのところでも日陰でないとなかなか涼しくないので、しばらくはこの木陰の多い県道80号線を利用して夏場の暑さを凌ぎたいと思います。

茶臼山高原道路の面ノ木インター近くに「面ノ木園地」があります。夏は散策に良いところですが、みんな茶臼山に行ってしまうせいか人影は少ないですね。

面ノ木園地の片隅に「名勝 天狗いろは坂」の石碑があります。名勝かどうかは・・・。

面ノ木園地の下には駐車場(空き地?)があります。

こちらは稲武方面。こちらは日陰が少ない道路です。

面ノ木インターから県道80号線を下って行きます。「設楽町」の看板の下には「ここから5km(スリップ注意)」とあります。

面ノ木インターから旧津具村方面への県道80号線はこんな感じで日陰が多いです。

大雨が降ると崖崩れが起きそうな感じですが・・・。

この辺りは一日中日陰かもしれません。

5kmは確かに下りっぱなしです。
平成27年8月2日(日)
~ NO.806 どこかわかりますか? ~
 先週は仕事の関係で、県内のあちこちに出張で出かけました。新城市、豊橋市、岡崎市、安城市、額田郡幸田町と三河地区ばかりですが、鉄道やバスなどで行くことが難しいところばかりでしたので、いずれも自動車での移動です。特に新城市は、同じ愛知県内でもなかなか行く機会の少ないところです。
 その新城市で所要を済ませ豊橋市の東部への移動する時に、「はて?どこかで見たことがあるような・・・」というような景色です。
 そうです、ここは2009年(平成21年)3月まで開催していた、日比野賞中日豊橋マラソンのコースです。第57回で幕を閉じた由緒あるローカルフルマラソンのコースです。最終回はエントリー175人、完走者は84人だったそうです。昨今のマラソンブームでは考えられないような人数ですね。

 写真は、折り返し地点の少し前に登場する新城橋です。折り返しの手前でこの新城橋を登ってくるので、調子の悪い時にはランナー泣かせの新城橋でした。
 久しぶりにこのコースを走りましたが(出張中なのでもちろん自動車で・・・)、旧コースの折り返し地点であった新城市民体育館は取り壊され更地に。殺風景だったこのコースの途中にも何カ所でコンビニが出来たり、ガソリンスタンドが出来たりと少しばかり風景が変わっていました。懐かしかったですね。

 ここで取り上げないと、ここが公認のフルマラソンコースだったということを知る人が徐々に減っていくのでしょう。このホームページでも、このコースの紹介をしています。なかなか殺風景で、冬は強風が吹き荒れるので、根性を鍛えるという意味では一度ここで練習をするのもいいかと思います。
平成27年7月26日(日)
~ NO.805 実母の誕生日 ~
 今日は実母の誕生日です。満89歳。数え年でいえば90歳です。「卒寿」というそうですね。特別なプレゼントはしませんでしたが、家族で食事に出かけました。 ワンパターンですが、先月の母の日と同じ地下鉄・自由ヶ丘駅そばの「仁王すし」です。少々値段は高めですが、美味しいということでいえばわが家のそばではナンバーワンだと思います。(バリアフリーでないところが玉に瑕)

 5月に名東区の施設に入所し、わが家からも近くなったことから、いろんな意味で快適になりました。実母は「ちらし寿司」を注文。ネタは良いのですが、少々固いのか食べられるものと食べられないものに分かれます。あまりきれいな食べ方ではありませんでしたが、悪戦苦闘しながら7割くらい食べました。年寄りで少々なので、このくらいでも十分かもしれません。

 それにしても数え年ながら「90歳」までわが母親が生きるとは思いませんでした。少しぼけていますが、体は丈夫そうですので、100歳でも生きて欲しいと思います。
平成27年7月26日(日)
~ NO.804 パンク修理 ~
 昨日今日で2本のパンク修理をしました。もちろん私の自転車ではなく、長男・かずたかの自転車です。ここ2ヶ月で3回もパンクしています。パンクしにくいように、耐パンク仕様のチューブの厚いものに代えてあってもこの様子です。

 これまでにも長男・かずたかの自転車のパンク修理は何度もしていますが、ほとんどが1穴のパンクです。耐パンク仕様のチューブで1穴ですから、イタズラによるものと考えて良いでしょう。自由ヶ丘駅の有料の駐輪場に置いていないようなので、そのことを快く思っていない人の仕業かもしれません。パンクしても、自分で修理をしないし、ここ2ヶ月で3回のパンクとさすがに回数も多いので、「やり方を教えてやるので自分で直せ」といって本人も了解していました。しかし・・・。忙しいとか何とか言って、結局やりません。スペアの自転車のタイヤもパンクさせて2台とも家に放置。自転車屋に持って行く時間を考えれば、自分で直した方が絶対早いのに・・・。
 2日ほどまでに「お父さんがいつまでも修理しない」となぜか責任転嫁。そんな約束はしてもいないのに・・・。

 結局、私がパンク修理をすることになりました。自分の不注意でパンクしているのですから、少しは反省して自分で修理すればいいと思いますけどね。そのくらいのことをしなければ、人間は成長しません。

 私の場合、中学生の時からあちこち自分で自転車を使って出かけていたので、出かけた先でのパンク修理の術は当然ながら修得すべきものでした。今でもそうですけど、トライアスロンの自転車の練習で出かける際は、①空気入れ、②予備チューブ2本、③パンク修理用工具、④アーレンキー 等は当然持参していきます。出かければ自己責任。山奥でパンクしたら自分で直さなければいけませんからね。

 今日は2台分の自転車のパンク修理をしましたが、2台で約1時間。1台あたり約30分です。せっかく修理をしたので、その一部始終を紹介します。道具さえあれば簡単ですので、みなさんもチャレンジしてください。

01 前輪がパンクしているので前輪を外します。もちろん外さなくても出来ますが、前輪は外すのが容易なので外しました。

02 ナット、ワッシャー等はなくさないようにまとめておきます。

03 専用工具でタイヤとリムの間に隙間を作ります。端部はスポークに引っかけます。

04 隣のスポークにも同じようにします。

05 3回ほど繰り返すと、タイヤがリムから外れます。

06 隙間からチューブを取り出します。

07 全部外さずに空気を入れてパンクの箇所を調べます。今回は、時計でいうと9時の方向に小さな穴がありました。

08 何かが刺さっていると行けないので、手でタイヤの内側を触って調べます。特に鋭利なものも見つかりませんでした。

09 丁寧にやればバケツに水を入れて、パンク箇所を調べます。出かけた先では出来ないので、その場合は、音を頼りにしてつばをチューブに付けてパンク箇所を探します。このチューブはリム打ちのようでした。

10 穴の開いたところを、サンドペーパで軽くこすります。あとで貼るパッチの大きさよりも少し大きめの範囲をこすります。

11 ゴム糊を塗ります。

12 塗るのは先ほどサンドペーパーでこすった範囲です。パッチを貼るよりも大きめの範囲です。塗ってから2~3分ほど乾かします。

13 パッチを貼るために用意します。

14 穴の中心付近にパッチを貼ります。上から指で押さえてくっつけます。

15 ドライバーの裏などでさらに押してくっつけます。くっついたことが確認できたら、空気を入れて漏れていないか確認します。

16 漏れていないことが確認できたら、再びタイヤの中にチューブを戻します。

17 チューブをタイヤに戻して、タイヤをリムに納めたら空気を少し入れます。

18 軽くまわして、タイヤが左右にふれていないか目視で確認します。よければ、さらに空気を入れていきます。

19 前輪をフレームに取り付けてきます。

20 工具を使って締め付けていきます。

21 修理完了。所要時間は約30分です。

22 こちらがホームセンターで購入したパンク修理セット。398円(税抜き)

23 これが中に入っているもの。パッチが5枚(2枚使用したので写真では3枚)、ゴムのり、虫ゴム2本、キャップ2個、サンドペーパです。

24 車庫で修理しました。このくらいのスペースがあれば十分出来ます。
平成27年7月21日(火)
~ NO.803 梅雨明け ~
 昨日(7月20日)、この東海地方もとうとう梅雨明けしました。昨日のニュースでは、海水浴場に多くの人が繰り出している影像を何度も流していました。まあ、夏休みに入ったということもありますからね。
 梅雨明けとなると、これからは本格的な夏の始まり。気温の高い日が続き、寝苦しい日が続くことでしょう。

 梅雨明けの前日(7月19日)、例のごとく茶臼山へ出かけました。
 ところがこの日は、愛知県サイクリング協会の行事で「ヒルクライム茶臼山頂上決戦」というイベントがあり、早朝から私の練習場所が占領?されていたので、少しばかり場所を移動して、同じ茶臼山高原道路の面ノ木ビジターセンターを中心に練習をしました。この付近でも標高1,000m越えですので、十分涼しいところです。
 この日は台風11号の影響もあり、小雨混じりの天候。とはいえ涼しくて練習にはうってつけでした。今シーズンも9月上旬くらいまで、何回か練習に出かけたいと思います。

ここが面ノ木ビジターセンター。駐車場の他に売店やトイレ食事も出来ます。茶臼山まで約10.5kmのところにあります。

この辺りでも標高1,000m超え!名古屋に比べると6~8℃ほど気温が低いですね。

面ノ木ビジターセンターから、稲武方面は登り坂。

逆に茶臼山方面は急な下り坂です。茶臼山高原道路は、ほとんど平坦なところがないのが特徴です。

面ノ木ビジターセンターの前は、天狗棚駐車場という名称です。観光用?か、天狗のモニュメントもあります。

天狗棚というのは、標高1,240mの山の名前です。この辺りに大天狗が住んでいて、各地から天狗が修行に来ていたと書かれています。
平成27年7月12日(日)
~ NO.802 茶臼山高原の練習開始 ~
 台風9号の影響で急激に気温が高くなり、ようやく夏らしくなってきました。まだ梅雨明けではありませんが、梅雨明けも近いことでしょう。そして暑くなると困るのは練習環境・・・。

 ここ10年くらい、暑くなると避暑に出かけるのが茶臼山方面です。茶臼山(標高1,416m)といえば、愛知県と長野県にまたがる愛知県最高峰の山です。練習の場は、茶臼山高原で標高1,000m~1,200m付近で名古屋と比べると気温は6~8℃くらい低いでしょうか。私の自宅か高速道路を使用せずに2時間かからず到着できるので、リーズナブルな場所でもあります。

 昨日(7月11日(土))、今シーズン初めてこの茶臼山高原に出かけました。芝桜の鑑賞のシーズンが終わったせいか、午前7時の茶臼山高原はがらんとしていました。これまでの経験から
(1)日曜日よりも土曜日の方が空いている。
(2)午前10時くらいから自動車やオートバイの数が増えてくる。
ので、なるべく早く出かけて早く練習を開始し、早く練習を切り上げるというパターンです。

 昨日は、起伏のあるロードのコースで20kmほど走ってきました。椎間板ヘルニアの影響で右脚のつま先付近が痺れ、脚先に力が入りにくいこともあり走り方が悪くなったせいか、長い距離を走ると右脚の一部に痛みが走るので、まだまだ長い距離を走ることが出来ません。回復途上ですが、今年も茶臼山高原を有効に活用して夏場を乗り切りたいと思います。

茶臼山登山者向けの駐車場。奥に見えるのが茶臼山(標高1,416m)です。ここから標高差では200mもなく1時間もあれば登山が可能です。

こちらは標高が愛知県第2位の萩太郎山(標高1,358m)。斜面は茶臼山高原スキー場のゲレンデ。リフトで頂上まで行くことが出来ます。

こちらも冬は茶臼山高原スキー場のゲレンデになります。左奥に見えるのは矢筈池。

この日の練習場所の半分は長野県側でした。

矢筈池そばの道路での標示は、標高1,222m

午前10時過ぎに帰るときに撮影した気温表示が22℃。昨日の名古屋の午前10時の気温が28.5℃ですので、6℃程度の差があります。日陰に入るとさらにひんやりします。
平成27年7月9日(木)
~ NO.801 2ヶ月ぶりのびわじま整形外科 ~
 「月に1回くらい来てください」と小原先生にいわれて、前回びわじま整形外科を訪れたのが5月7日(木)。小原先生が木曜日の午後からしか診察をしないので、6月は4日(木)、11日(木)、18日(木)、25日(木)と訪れる機会があったものの、出張や残業などで6月はとうとう行けずじまいだった。そして本日久しぶりにびわじま整形外科へ足を運ぶ。

 仕事に少し余裕が出来たので午後から休暇を取って、午後4時30分からの受付に間に合うように到着する。受付は少し早い午後4時20分頃から始まり、診察も午後5時からのはずであったが、実際には午後4時40分から始まった。私の前に小原先生にかかった患者さんが2人ほどおり、私は3番目で診察をしてもらう。2ヶ月ぶりの診察だった。

 「その後いかがですか?」と小原先生。「痛みはありませんが、足先にしびれが残っています」と私。「日常生活には支障がありませんか?」と小原先生。「フツーに生活は出来ています」と私。「それではベッドに寝てください」と指示が出る。回復の状況を見るためのSLRテストを行うようだ。
 SLRテストというのは、仰向けの状態から片足ずつ円弧を描くように脚を徐々に持ち上げて、脚がどの程度まで上がるのかを見るものだ。椎間板ヘルニアは、ほとんどが片足のみしか症状が出ないので、症状が出ていない方の脚の状態と比べて様子を確認する。家でもストレッチや体幹トレーニングを始めているせいか、2ヶ月前よりも回復傾向にあるようだった。また、仰向けの状態で両足首の曲がる角度を測定したり、同じく仰向けの状態で足の親指を伸ばすようにして踏みつけるようにするテストも実施したが、以前よりもよくなったと実感が出来た。

 「先生、前より良いですかね?」と私。「順調に回復していますよ」と小原先生。「ところで先生、痛みはないんですけど、痺れは相変わらず残っていますが、無くなるまでどのくらいかかりますか?」と私。「ダラダラとおさまっていくので、時間はかかります。痺れがいつまでも残る場合もあります。2~3ヶ月くらいに1回来てください」と小原先生。
 今日の診察はここまでであったが、再診のインターバルが1ヶ月から2~3ヶ月に1回に伸びたことから、椎間板ヘルニアが治癒に向かっているということがわかる。とはいえ、脚のしびれが残っているので、練習はなかなかままならない状況が続いている。

 先ほど説明したように、最近は体幹トレーニングを実施している。
 椎間板ヘルニアから復帰したアスリートのうち、有名どころではサッカーの長友佑都、陸上競技・短距離の藤光謙司(ゼンリン、先月の新潟で開催された日本選手権200m優勝)等がいるが、このうち長友佑都に関しては体幹トレーニングの本が出ていることもあり、先月購入してトレーニングを始めた。時間としては一日30分程度。効果のほどはまだまだであるが、復帰できることを信じて実施している。状況としては前進しているので、腐らずに少しずつ進めていきたいと思っているところであります。
 
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