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気がつけば、4月も残すところ今日を入れてあと4日。もう5月がそこまでやってきています。 5月といえば、わが家にはイベントが3つあります。一番賑やかなのが、下の娘のゆかこの誕生日。これは18日。6歳の誕生日も盛大に行うことになるでしょう。 それに引き替え、年々影が薄くなるのが5月8日と5月10日のイベントです。 5月10日は、私の?回目の誕生日で(来て欲しくない!)こちらはホントにどうでもよくなってきて、その2日前の5月8日は実は結婚記念日なのです。 今年の5月8日はは、平成5年に「挙式&披露宴」を行ってから11回目の記念日となります(もうそんなに経つんだよなぁ〜)。 その11年前の「挙式&披露宴」はどこで行ったかといえば、私の出身の愛知県蒲郡市にある「蒲郡プリンスホテル(通称:蒲プリ)」なのです。 「えっ、蒲プリでしたの?すごーい!」という人が多いですが、実際にはその費用は決してメチャ高いことはありません。むしろ、その料理とか格式からすればリーズナブルというのが正解ともいえます。 今では、ホテルのある山の麓のあたりに宴会場なるものができてしまいましたが、当時はホテルの一階を挙式場、二階を披露宴会場として使っていました。その披露宴会場ですがとても狭いもので、「コ」の字に配列した長机にお互いに向き合って食事をする形式で、最高に詰めても70人弱しか入れない狭い会場でした。 式の当日、「新郎新婦は、食事なんか悠長にしてられないんだぞ!」という助言(?)を無視して、ホテルの料理を二人ともきれいさっぱり平らげてしまいました。 というのも、いわゆる結婚式場とは違ってその料理はやはりとてもおいしいからでした(お世辞抜きで)。終わってからも「やっぱり蒲プリってとってもよかったね」と披露宴の出席者の多くの方々からお褒めの言葉をいただいております。 あれから11年。今では二児の父、母になって夫婦の時間が少なくなってしまいましたが、毎年4月の中旬になると必ず蒲郡プリンスホテルから手紙が来ます。
こうして、忘れそうになる結婚記念日を必ず思い出させてくれるのが、蒲郡プリンスホテルなのです。「子は鎹(かすがい)」といいますが、我が夫婦にとっては「蒲プリのアニバーサリー・カード」が鎹かもしれません。 ところで、離婚した人のところにもこのカードはいくんでしょうか???
昼食後は、サッカーをしたり遊具で遊んだりしていましたが、帰りがけに猫ヶ洞池を一周してオタマジャクシを探しながら帰ることにしました。 「ホントにオタマジャクシがいるかな?」とやや不安ながらオタマジャクシの繁殖場所といわれるマル秘場所に行ってみると、やっぱりいるわいるわ!まさにつかみ取り状態です(右下の写真の水面下の黒いものがオタマジャクシ)。 で、持っていたペットボトルやビニール袋で、わいわいがやがやしながらすくってとりました。 子供たちにとってはこれが今日一番楽しかったようで、最後に意気揚々として学童に戻ってきました。
4月から小学校2年生となり、昨年と比べると学校生活にも慣れていろんな意味で学校に溶け込んでいる様子がうかがえました。 今日の授業は、算数の「たし算とひき算」で「13+4=」というくらいの問題を解いていました。 かずたかは、公文に通っているせいでこのくらいの問題は簡単に解けます。ですから、先生に当てられても平気です。 「ハーイ、ハーイ!」がうるさいので、今日は本読みに指名されました。元気がよくていいことです。本も上手に読めました。 ここまでは、とてもよくて親である自分もニンマリしていたのですが、そのあと、この時間中はもう当てられることがないと判断したのでしょうか。緊張の糸がぷつりと切れて、なんと!寝てしまったのです。 昨日のTVゲームで遅くまで遊んだことも影響したのでしょう。 早くも、小学校2年生で授業中に寝てしまったのですから、この先思いやられます。授業が終わってから、本人にいろいろと注意しました(先生はあまり注意しないんですね)。 堂々しているといえば聞こえはいいですが、ちょっとしょんぼりとして授業参観から帰ってきた父でした。
ボストンマラソンは今年で第108回を迎えた伝統のあるフルマラソンです。毎年4月の第3月曜日に開催されます。 「ボストンマラソン」を調べてみると 「1896年4月、アテネで開かれた第1回オリンピック、世界で初めてのマラソン競走をスタンドで観戦したボストン・アスレチック協会会長のウィルソン氏は、深い感銘を受け、翌年、米国独立記念「愛国の日」の行事としてボストンマラソンを開催したのがボストンマラソンの始まり。数々の名勝負、名場面を生み出してきた最も伝統ある大会」とあります。 日本では、山田敬蔵さんが第57回大会(昭和28年)で優勝。その時の優勝タイム2時間18分51秒は当時の世界最高記録でした(山田敬蔵 : 日本人2人目のボストンマラソン優勝者。前年のヘルシンキ・オリンピックのマラソンにも出場。その時の優勝者は、人間機関車で有名なザトペック)。 その他(といっては失礼ですが)、日本人では第55回大会で、田中茂樹、第59回で浜村秀雄、第69回大会で重松森雄、第70回大会で君原健二、第73回大会で采谷義秋、第85回大会・第91回大会では瀬古利彦が優勝しています。ボストンマラソンの優勝者とは一流である証明でもあるわけです。 しかしながら、今年はオリンピックイヤー。この時期に、ケニアの女子マラソン代表である「キャサリン・ヌ・デレバ」が出場してくるとは驚きでした。オリンピックまであとわずか4ヶ月程度で出場してくるのですから本当に驚きです! 名古屋国際女子マラソンを走るとオリンピックまで約5ヶ月。疲労を回復し、再度練習を開始すると準備期間が無くなるという理由で名古屋を走らず、国内選考で漏れたのは記憶に新しいことです。日本では、超一流選手がマラソンの準備期間に6ヶ月は要するというのが一般的な見解です。 しかしながら、外国では賞金稼ぎで3ヶ月、場合によっては2ヶ月のインターバルでマラソンに出場してくる選手も珍しくはありません。 ヌ・デレバは、昨年の世界選手権では、最後に「野口みずき」をぶっちぎって優勝した実力者であり、ラドクリフ(イギリス)が破るまでの女子マラソンの前世界最高記録保持者であるわけですからそのタフネスさはなかなかのものです。 今回のボストンマラソンの優勝が「吉」と出るか「凶」と出るか、高橋尚子のいないアテネオリンピックですがこういう見所もあると思います。
何といっても、かずたかは加藤家の第一子であます。夫婦共々どんな子供が生まれてくるのだろうとワクワクしていました。 8年前の4月19日は、かずたかの誕生日であるとともに、わが夫婦が「人間がほ乳類であり動物である」ということを再度認識することになった日でもあります。 話を戻しましょう。 予定日を過ぎて、もうそろそろかなと思っていた19日の未明、ちょっとやばそうだということで夜中の3時半過ぎに自宅から国立名古屋病院まで車に乗ってきました。すぐに手続きをして出産を待ちました。 午前7時45分。おぎゃーと言ったのかどうか、私は聞いていませんでしたが無事にかずたかが誕生したのです。 いまでこそ、ちょっと”おでぶちゃん”になっているかずたかですが、生まれたときは身長50cm、体重3334gのいわゆる標準の赤ん坊でした。 この日は少し寒い日で、病院の廊下で待っていた私は風邪をひいてしまいました。そのあと、私の咳コンコンがかずたかにうつって、みんなに怒られてしまったというエピソードがあります。 8年前の今日は、かずたかが生まれた日であり、私が父になった記念すべき日でもあります。
体を動かすことが好きなので、毎日みんなと競ってやっているようです。 とうとう数日前、保育園の鉄棒の高さが違う三段すべてで「出来るようになったよ!」と家で自慢げに話をしていました。 それならば!ということで実際の演技を朝、保育園に送っていったときに見させてもらいました。 その出来ですが、親が思っていた以上に上手でした。 最初のスタンディングも腰が入ってきれいですし、まわり方もスピードこそありませんがきれいにくるんと回っていました。 今は、側転の練習をしているとかで、また出来るようになったらご披露したいと思います。
現在彼は大阪産業大付高(’95〜)と大阪産業大学(’96〜)の監督を兼務していますが、どちらも目立った成績は出していません。 というのも、彼の指導方針がいきなり都大路(全国高校駅伝の開催場所の京都のこと)を目指すようなものでなく、学生らと一緒に走ることを楽しみながら練習をしているためで、都大路を目指せるような能力の高い選手の勧誘もしていないからです。 愛知製鋼は元日の全日本実業団対抗駅伝に21回出場している県内でもトップクラスの実業団ですが、今年は5年連続出場を逃したということで、陸上競技部の強化に乗り出したようです。 県内での実力でいえば、トヨタ自動車、アラコ、愛三工業。ちょっと開いて愛知製鋼という順です。ただし、元日の全日本実業団駅伝(いわゆる「ニューイヤー駅伝」)に出場するためには中部地区で予選会を勝ち抜かなければならないので、三重県のNTN桑名、八千代工業、静岡県のスズキ、本田技研浜松などと中部の出場枠「7(昨年実績。年によって変動あり)」を目指して競り合いが続くことでしょう(青字は、’04の中部地区の出場チーム)。昨年の予選会は、7位の八千代工業(4時間13分11秒)と19秒差の8位(4時間13分30秒)でした。 中山が愛知製鋼の監督に就任してどのように変わっていくのか、みんなで注目していきましょう。 愛知製鋼の陸上競技部のHPはこちら → http://www.aichi-steel.co.jp/rikujyo/tfhp.htm なお、中山竹通に関しては、「挑戦 炎のランナー中山竹通の生き方・走り方」という本が出ていますので紹介しておきます。
いつもは、あまり嬉しそうに公文に行っていないゆかこですが、今日はちょっと自慢そうに見せてくれました。 算数は「3A」 → 「2A」、 国語は「2A」 → 「AT」に進級です。ちなみに、進度としては年齢よりも若干早めのようです。 公文といえば、かつてCMに出演していた将棋の羽生善治さんでおなじみですが、その良さは類似の勉強法で「百ます計算」で有名な陰山英男さん(現 尾道市立土堂小学校長)がその良さを証明しています。 繰り返し繰り返し、反復練習することにより子供に基礎学力が付いていくことを彼の著書の中で紹介しています。わたしもこの意見には賛成です。公文に行くのを嫌がっていた時期もありましたが、とにかく継続することが大切なので今後も何があっても行かせるつもりです。 ちなみに陰山英男さんのHPはこちらです。 → http://www2.nkansai.ne.jp/sch/hpkage/ 参考までに、中学校までの公文の進度表を掲載しておきます。高校以降も別途あります
今回は、比較的年齢層の低い集まりで女性も3名参加。いつもはこわ〜い顔をしている花井さんも目尻が緩みっぱなしでした。 花井さんは、昭和42年に本県に採用され商工部工業課時代から連続18年高圧ガスの担当をされてきました。 その後昭和63年から1年、平成6年から3年、平成14年から1年で通算して23年。在職期間が37年ですので、約3分の2を高圧ガスに関する仕事に携わってきた名実ともに「ミスター」です。 自分は花井さんと一緒に仕事をした期間はわずか2年でしたが、厳しさ、やさしさ、ポリシーを兼ね備えた尊敬できる人物です。たぶん、上司にしたい人ランキングをしたら必ず上位に入ること間違いなしです。 本当に37年間ありがとうございました。 また、4月からもちょくちょく顔を出してカツを入れてやってください!お元気で!
ハーフマラソンは、あくまでフルマラソンの前座的な位置づけで、やはり大会のメインはフルマラソンである「日比野賞中日豊橋マラソン」です。 こちらは、今回で第52回を数える歴史的な大会です。 最古のマラソンといわれるびわ湖毎日マラソンが第59回、旧朝日マラソン時代から数えて福岡国際マラソンが第57回、若手の登竜門といわれる別府大分毎日マラソンが第53回と回数だけみればその古さがよく分かります。 また、大会名の冠となっている「日比野賞」とはプログラムには次のように記されています。 ”健康は走ること”をモットーに生涯を走りつづけ、その独特の走法を世界にとどろかせた、「マラソン王」日比野寛(ゆたか)氏は、慶応2年(1866)11月3日、愛知県中島郡大里村に生まれた。愛知県中学校(のちの愛知一中)、一高を経て、明治28年東大法科卒業後、農商務省勤務4年ののち文部省に移り、明治32年母校愛知一中の校長となった。独特の教育方法は愛知県下だけでなく全国的にその名を知られていた。(中略)とくに昭和10年、68歳で海を越えて朝鮮釜山−平壌−雄基間を走破するなど指導と実践を壮者をしのぐ元気を見せた。 昭和25年(1950)4月2日、脳出血で死去、83歳。 中日マラソン大会では、郷土の生んだ日比野寛マラソン王の遺徳をしのび、第9回大会から日比野賞を制定、優秀選手に贈っている。なお愛知一中会では、戦時供出された日比野先生の銅像を再建せよとの声が高まり昭和41年3月21日、本大会当日、東海地区陸上競技界のホームグラウンドともいうべき瑞穂陸上競技場の正面に片岡静観氏作の銅像を建立した。 その歴史的な日比野賞中日豊橋マラソンも、ここ数年は記録面でいえば低調です。 特に本年は、いわゆる実業団の選手が出場していないため、優勝タイムも2時間27分台になってしまいました。 平成4年の第40回記念大会の優勝者「レックス・ウィルソン(バルセロナオリンピックのニュージーランド代表選手)」の2時間14分46秒(大会最高記録)のタイムは別格にしても、2時間20分〜2時間25分くらいが通常の優勝タイムです。 また、一昔前ならば、2時間30分を切っていても10位にすら入れないこともありましたが、今年の10位の選手のタイムが2時間35分23秒ですから、優勝タイムのみならず上位の選手のタイムが低調であることがわかります。 では、日曜日の気象条件が厳しかったのでしょうか? 午前10時のスタート時の気温が12度。毎年吹き狂う風に悩まされる中日豊橋マラソンのコースにしては、風も穏やかで例年に比べると気象条件は恵まれていたと思います。 そこで、この大会で好記録が出ない(出にくい)原因を考えてみました。 (1)3月は気温が高い日と、低い日があり、本大会が行われる3月20日前後は気温が読めにくく、20度くらいになると体感的には25度以上となりマラソンには向かないコンディションとなることが多い。 (2)マラソンでタイムに最も大きな影響が出る要因の「風」であるが、このコースは朝方は風が弱いが、昼になるにつれ強風が吹き荒れるコースになるためタイムが出にくい。 (3)コースの標高差は概ね30mであるが、途中でアップダウンがあり、意外とリズミカルに走れない。 (4)参加者が少なく、集団がばらけるため風の影響を受けやすい。 (5)参加者が少なく、集団がばらけるためひとりで走ることが多くなるとペースがつかみにくい。 (6)コースの大半は、係員以外に応援の人がいなく、頑張る気力が涌きにくい。 (7)歴史のある大会のわりに盛り上がりに欠ける。例えばオリンピックに出たような現役のメジャー選手を招待して、一緒に走ってみようという気になる大会作りがない(今は単に陸協役員が「走らせてやっているんだぞ」という雰囲気)。 理由をあげればきりがないかもしれませんが、「記録が出ない → 不人気 → 選手が集まらない →記録が出ない」という悪循環になっているようです。 今回のエントリーが158人。スタートしたのがわずか133名ですから、福岡、東京、びわ湖の3大国際マラソンなみの少人数です(国際大会は、参加資格が厳しいので当たり前ですが・・・)。 自分自身も何度か日比野賞中日豊橋マラソンに出場しましたが、このコースでのベストタイムが2時間38分台ですから、満足できるタイムが出たとはいえないと思います。 では、どうすれば同じ練習をしても「好タイムが出る条件」になるのか? それは簡単です。上の(1)〜(7)の逆の大会を狙って参加すればいいのです。つまり (1)気温が10度前後であること(12月〜2月まで) (2)風が吹きにくいコース、風が吹きにくい時期を選ぶ(春一番などは高温の突風で最悪です) (3)高低差の小さな大会 (4)自分の狙っているタイムと同じような参加者が多い大会 (5)沿道の応援の多い大会 (6)招待選手(当然一流選手)の多い大会 ということになります。 これらの条件が比較的合う大会としては、河口湖マラソン(11月、山梨県)、防府読売マラソン(12月、山口県)、別府大分毎日マラソン(2月、大分県)などがあります。 やはり、マラソンは記録狙いです。記録の出やすいところに行って走るのが一番です。という話を昨日の昼休み、名城公園で名古屋市役所の佐藤くんと話をしました。 結論! 参加標準記録(フル3時間00分、ハーフ1時間20分)のある人は、是非とも防府読売マラソンに行きましょう!
先月一緒に遊ぼうという約束が一度流れてしまい、その時はちょっとしょんぼりしたかずたかでしたが、今日はとても嬉しそうでした。 前から「村上くんが来たらポケモン・コロシアムで遊ぶ!」といっていたとおり、ゲームキューブで遊んでいました。 ところが、長時間ゲームをやっていたので途中でかずたかが寝てしまい、村上くんが「かとうくんのお父さん!かとうくんねー、寝ちゃったよ〜」と連絡に来てくれました(ゴメン!)。 ゲームが終わると次はバトル合戦。普通の子なら逃げていきますが、そこは村上くん。さすが一年生です。 うちのかずたかが体重約47kgに対し24kgとほぼ半分ながら、バトルでは互角に戦います。妹のゆかこが、保育園でも一番大きいので村上くんとあまり身長差はないですが、強さはなかなかのモノでした。 それから村上くんはお菓子よく食べました。 バームクーヘンが好きとかで、今日は持参してきました。他に、加藤家で用意した「すっぱムーチョ」「おにぎりせんべい」「ベビースターラーメン」「アイスクリーム」など次々に平らげやせの大食いぶりを見事に発揮してくれました。 ほかにハム太郎のカルタなどをして、わが家に約4時間滞在してくれました。 坊主頭のかずたかに対して、ロン毛の村上くん。どの辺で気が合うのかオジサンはよく分かりませんが、いつまでも仲良く遊んでやってくださいね。
男子は、国近(SB食品、福岡優勝)、油谷(中国電力、世界選手権2大会連続入賞)、諏訪(日清食品、福岡2位)が、女子は野口(グローバリー、世界選手権2位)、坂本(天満屋、大阪優勝)、土佐(三井住友海上、名古屋優勝)が選考されました。 今回は男女とも選考が難航されると予想されましたが、選考の結果について個人的に、少々びっくりしました。 というのも日本陸連と考え方が違うのでしょうが、個人的には 男子 : 国近、油谷、小島(旭化成)、補欠−大崎 女子 ; 野口、坂本、土佐、補欠−高橋 と考えていました。 女子は予想通りでしたが「補欠の千葉」が、男子の「選考の諏訪」が予想外でした。 「オリンピックでメダルまたは入賞を狙える選手」ということで、各大会で日本人1位になった選手よりも最終的にはタイムで早い選手が優先されたようです。 結果的に (1)世界選手権で日本人1位でメダルを獲得した選手 → 野口(当初から内定) (2)世界選手権で2大会連続入賞 → 油谷 (3)国内選考会で優勝した選手 → 国近、坂本、土佐 (4)国内選考会のタイムでいい選手 → 諏訪、(高岡、千葉?) という順で選考されたような気がします。 (1)(2)(3)は納得できるにしても、(4)は結果的に天候に左右される部分が多いにもかかわらず、選考時にはそのあたりのことは加味されずに決まったような気がします。 特に、高橋が女子の補欠にも入れなかったこと。 男子では、大崎(NTT西日本大阪、東京2位)、小島(旭化成、びわ湖2位)も各選考レースで日本人1位にもかかわらず補欠に高岡(鐘紡、福岡3位)が入ったことからスピードを優先した内容となったことがわかります。 このメンバーでオリンピックのメダルやメダルがとれるかはわかりません。選ばれたみなさんは選ばれなかった選手たちの分も含めて頑張って欲しいと思います。 また、マスコミ各社も選ばれた選手たちに、プレッシャーをかけすぎないようによろしくお願いいたします。
大学を出て以来、数学を活用して仕事をしたことはほとんどありません。せっかく覚えたことがきれいさっぱり忘れてしまっています。 今回、この本を購入した理由は、今回のタイトルどおり「自分のマラソン完走タイム予想」をするためです。 「数学の難しい式なんか使わなくても・・・」と思うかもしれませんが、逆に使えば1秒単位程度でも予測が可能です。 「そんなこと出来るの?」と思われるかもしれませんが、これは立派な裏付けがあるからです。実際にそのタイムが出るかどうかはどうかは別にして、そのタイムが出る可能性があるという指標を示すものです。 今度の日曜日には「名古屋国際女子マラソン」、来週の日曜日には「日比野賞中日豊橋マラソン」と県内で男女のフルマラソン大会が連続して行われます。この2つの大会には、「自分のマラソン完走タイム予想」が少し間に合いそうもないですが、出来次第、「ランニング」のコンテンツの中で発表したいと思います。お楽しみに・・・。 それまでに、みなさん十分な練習をしておいて下さい。
K : 「はい、かとうです。」 S : 「ああ、あのーシロモトですけども・・・。」 K : 「えーっ!シロモトさん?」 そう。トライアスロンをやっている人間で、城本さん(別名「チャンコさん」)を知らない人はモグリであるといってもいいほど、トライアスロンの黎明期から活躍している人である。現在も選手生活を送る傍ら大阪狭山市で自身の店「トライアスロンショップ シロモト」を経営している。 城本さんの店の一番の売れ筋は、いうまでもなくウェットスーツである。ほかの店で買ったあと、城本さんのショップのウェットスーツを着ると、その製品の性能の高さがとてもよく分かる。 特に素晴らしいのは、生地の柔らかさでありストレスを感じさせない。 柔らかいという点だけ見れば、他のショップでも過去から売られているが、強度がなくすぐ破れてしまう。 城本さんの製品は、そのあたりを見事に改良して強度もしっかり出している。 さらに素晴らしいのは城本さんのたゆまないアイデアである。 セパレートタイプのウェットスーツを発表し、この世界でみなをあっといわせたこともあった。 ITU規格もクリアし、オリンピックでの使用ももちろんOK。トップアスリートの9割以上が使用している(と思われる)ことからも、その良さがわかると思う。 ひわさうみがめトライアスロンの参戦記にも書いたが、最初に徳島に向かおうとして和歌山でフェリーに乗る寸前に大会が中止になった。そのまま名古屋に引き返すのも何だからということで、城本さんのショップへ足を運んで、せっかくだからということでそのままウェットスーツの採寸をしてもらい購入した。 長良川大会には間に合って着用して泳ぐ。泳いでみるととても気持ちよく泳げ、上がってきた時のタイムも予想より1分はよかった。ここまではよかった。しかし、泳いだあと腕が疲労してウェットスーツがうまく脱げない。見かねた係の人が少し手伝ってくれたが、これからのシーズンにむけて気になることの一つになっていた。 ところがである。今月号のトライアスロンジャパン(2004・4月号)の城本さんのショップの広告を見ると、なんと、「オレが去年買ったウェットスーツにファスナーが付いてるやんか!」とびっくり!!! あわてて、先週城本さんのところに「昨年買ったウェットスーツにファスナーをつける改造できますか〜?」とメールを入れておいたのである。 すると、その返事が今日の電話である。 実は、城本さんとは1時間くらい電話をしていた。というより98%くらいは、城本さんが話をしていたのであるが・・・。城本さんに一度会ったことがある人ならわかるが、ホント話し好きな人である。イヤミがなくて面白い。でも電話代大丈夫ですか? 自分個人としては、城本さんの話し好きで面白いという点よりも、お客さんを大切にする姿勢がとっても好きである。トライアスロンの商品をトライアスリートの立場から見て自ら設計、自らテスト、自ら評価している点が素晴らしい。これは出来そうで意外にも実践できているメーカは少ない。 城本さんのような個人企業が、これだけのことをしていくのはなかなかたいへんである。製品にかかる開発費用はバカにならないからだ。城本さんの全盛期の試合でのパフォーマンスが、そのまま商品開発に注がれているといって良いと思う。 で、改造に関する回答は、 「もちろんオーケーですよー!」 ということであった。 昨年から、この脱ぎやすさの問題を抱えていろいろと試行錯誤を繰り返していたようである。今回発表したのは、自分なりに満足いくものが出来たために新製品として発表したということだそうだ。 何度も 「去年製品化できなくてすんまへんでした」 と謝られていたが、こちらとしてはたいへん恐縮してしまった。ウェットスーツが進化している最中のことだからやむを得ないと思う。 ちなみに、ツーピースタイプのものでフロントファスナータイプへの変更は1着5,000円。ロングジョンとフルウェットなら5,000円×2=10,000円となるそうだ(税別、送料別)。 なお、宮古島大会でさらに開発中の新製品の披露をしたいと語っていた(加藤には教えてくれたが・・・)。 「その内容だけは、HPで書かんといて」 と念を押されたので、マル秘とさせて頂く。電話の内容からすると、自分としても興味のそそられるものであった。ホントに城本さん、トライアスリートの心理を良く読んでおられる。 くれぐれも倒産だけはしないようにお願いします。少しは儲けて下さいね。
「長島さんって68歳なんだぁー!」と思ってしまいました。フツーの家なら、いいおじいちゃんです。サラリーマンだった人なら、とっくに会社を退職して、時々孫に小遣いをやるのを楽しみとしている若めのおじいさんですよね(妻の父は、長島さんと同い年らしく、まさにこういう生活をしている)。 さて、長島さんの野球に関することについては、いろんなところで言い尽くされているのであえてここでは論じませんが、長島さんとトライアスロンの関わりについて少しお話ししたいと思います。「えっ、関係あるの?」と思われる方がいるかもしれませんが、それがあるんですねー。「あのミスターがトライアスリートだった?」。早とちりしないように。人の話は最後まで聞きましょう・・・。 長島さんといえば、あの明るいキャラでありまた野球での実績抜群でいろんなところで引っ張りだこ。巨人の監督(一次:1975年〜1980年、二次1993年〜2001年)をしていない時などは、その宣伝効果を狙って各界からラブコールがあったと思われますが、1985年に日本トライアスロン連盟の初代会長に就任されたのが長嶋茂雄さんでした。 当時、トライアスロン界には国内団体が2団体ありました。 一つはトライアスロンを商業ベースで発展させていこうという「日本トライアスロン連盟(以下「連盟」という)」という団体。 もう一つは、各地域のクラブ・トライアスリートから自然発生的にできた各地区のトライアスロン協会の上位団体である「日本トライアスロン協会(以下「協会」という)」という団体、の2つがありました。 この2つの団体はとても仲が悪く、どちらも日本を代表するトライアスロンの窓口であるといっていました。 連盟は、長島さんが会長をするくらいですから、スポンサーがたくさん付いていたお金のある団体です。「営利目的でトライスロンの競技の側面を見ていない」と協会側関係者からは揶揄されてもいましたが、悲しいかな、その協会側はピュアで立ち上がってきただけにお金には乏しい団体でした(いつも赤字だったらしい)。 その後、トライアスロンがオリンピックの正式種目になるということが決まり、日本から選手を派遣するにも国内に窓口が二つあると良くないということで、この中の悪い2つの団体が紆余曲折を経て、平成6年4月に統合されて日本トライアスロン連合となり今日に至っているのです。 かつてその連盟が主催していた大会に、天草国際トライアスロン(熊本県本渡市)があり、私も平成3年、平成4年と2回ほど長島さんが会長をつとめている頃に出場していました。当時の天草大会は、世界選手権選手派遣選考を兼ねていて、日本のトップアスリートが集う大会でとても賑やかでした。 古い記憶であまり定かではないのですが、自分の出場したこの2回ともスターターをつとめたのが会長の長島さんで、2回のうち1回は前日のカーボパーティーから参加されていました。 この天草大会1985年に第1回が始まり、当時私が出場したのがそれぞれ第7回、第8回大会で、今年の6月の大会が第20回の記念大会になります。 また、この歴史のある天草大会は、オリンピックディスタンス(51.5km:Swim1.5km、Bike40km、Run10km)の日本の発祥の地であるという側面があるのです。 ちなみに天草大会のメイン会場の本渡海水浴場からほどなく離れたところに広瀬公園といスポーツ施設のある公園があります。長島さんがこの天草に何度も足を運び、天草(本渡市)を有名にしたという功績でしょうか、ここにある広瀬公園野球場は、なんと「長嶋茂雄球場」と命名されているのです。クイズ番組の問題に出てきそうなネタですが・・・。 (サイトはこちらにあります) http://www.citydo.com/prf/kumamoto/area_amakusa/kenbun/kanko/hondo001.html こうして、日本のトライアスロンの初期の頃、普及活動に貢献したのは長島さんなのです。かつて、トライアスロンの実況放送をしている時にゲストで出てきて、ちんぷんかんぷんなことをお話ししていた長島さんではありますが、早く一日も病状が回復して、テレビでトライアスロンのお話しをまたして欲しいと思います。
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