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平成17年3月10日(木) 〜 NO.120 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その5・最終回) 〜 |
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先月の2月11日以来のこのシリーズ最終回です。 今回ご紹介するのは、この本のあとがき部分です。そのあとがき部分に出てくるのが、一橋大学の野中郁次郎教授の「暗黙知」と「形式知」についての話です。晝馬社長が、(財)静岡県総合研究機構が主催する静岡県科学交流サロンに呼ばれて出席したおりに聞いた話です。 「暗黙知」、「形式知」を野中教授は、
例えば、長嶋茂雄さんの現役時代のあの打撃です。動物敵「勘」とかいわれていました。彼の口からはいろんな言葉が出て来ましたが、表現があまり上手ではないせいかなかなかわかりにくいところがありました。一生懸命に伝えようというところの努力は買いますが。これが職人の勘というのか、まあ、暗黙知の典型例です。彼にしかわからないところが多い部分です。 これに対して、形式知の典型的な例がいわゆる「役所仕事」です。一定の用件だけ満たせばOKという世界です。道徳観のないものも多々ありますが制度上それを認めています。宗教法人というだけで税制上優遇されるので、訳のわからない宗教法人がはびこっています。形式知で役に立つ部分もありますが、脱法行為的なことをしたりする人もやがては現れます。 なかなか奥の深い話だなと思って、その後、一橋大学の野中郁次郎教授の著書を買ってきました。それが、「知識創造企業(東洋経済新報社発行、2000円)写真右」です。同じく一橋大学の竹内弘高教授との共著です。400ページ近くある著書なのでなかなか読むのにホネの折れる本です。 この中で、暗黙知と形式知はそれぞれ独立しているのではなくて、企業の中では暗黙知を形式知に変換していくことによって成功を収めていくということが書かれています。 いくつかの会社の商品開発の成功事例を具体的に上げてその手法を説明していますが、いずれも、もともとは個人の暗黙知だったものを社内で形式知にいかに変換していくかという過程が各社によって様々です。 また、会社でのマネージメント方式にも触れており、トップダウンもボトムアップもそれぞれいいところはあるが、暗黙知を形式知に変換していく作業では、どちらもよくなく、ミドルアップダウンというマネージメントがうまくいくということについても触れています。 私のつたない説明ではわかりにくいと思いますので、組織として、なぜ仕事がはかどらないか、うまくいかないか、ということを考えるにはいいヒントになる本であると思いますので、気になる方はご一読してください。 |
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平成17年3月9日(水) 〜 NO.119 気象予報士にチャレンジ! 〜 |
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先週、妻のゆきこが、工作好きのわが息子”かずたか”のために新聞記事から「NHK文化センター名古屋教室」の子供向け講座「のびのびこどもの絵画・工作」という講座を探し申し込みしようとしました。 それならば、オヤジもついでにということで、長年の懸案だった気象予報士への第一歩として「気象予報士になりたい! 〜資格取得を目指す〜」に申し込むことにしました。 ところが、かずたかの方の講座は人気が高く満員で入れません。似たような講座で、「こども美術クラブ〜絵画と工作〜」は空きがあったので、そちらに申し込みました。で、私の方はもちろん申込をしました。まだ、席に空きがあるようです。 こうして、来月からほぼ毎週月曜日は、名古屋・栄のNHK文化センター教養講座に通うことになりました。どの程度勉強がはかどるかわかりませんが、2年くらいの間に取得できたらと考えています。合格したあかつきには、HPのコンテンツを増やしていきたいと思います。また、応援してください。 |
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平成17年3月3日(木) 〜 NO.118 保育園児最後のひなまつり 〜 |
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来月の4月から、小学生になる”ゆかこ”にとっては、保育園児としての「ひなまつり」は今年が最後です。平成10年5月に生まれて早いもので、もう6歳になりました。そうです、今日は6回目のひなまつりです。(昨年の分は、News 「NO.5 ひなまつり」で取り上げています。) 毎度同じケーキのはなしで申し訳ないですが、今年は千種区谷口交差点そばの「ぷれじゅーる ちとせ」というケーキ屋さんで菱形のケーキ(写真左下:税込2,800円)を買ってきました。味は、まあまあです。4人で食べたらあっという間に無くなりました(味わって食べるという習慣がほとんど無いわが家では日常茶飯事ですが・・・)。わが家のひなまつりは、ケーキを食べるための年中行事のひとつと化してしまっています。
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平成17年3月1日(火) 〜 NO.117 犬山ハーフマラソンで転倒。びわじま整形外科のお世話になりました 〜 |
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一昨日の犬山ハーフマラソンの参戦記は作成中です。でき次第すぐにアップします。 というのも、生まれて初めてロードレース中に転倒してしまいました。なんとか完走はしたものの、ゴール直後からまともに歩けない状態で、昨日(月曜日)、仕事の帰りに心配になって整形外科に診察に出かけました。 転倒劇 ハーフマラソンの部・陸連登録者は午前10時ちょうどに犬山市の名証グランド前の坂道をスタートしました。 スタート場所には比較的遠くはなかったはずなのに、スタートから前の連中がスムーズに出ずにもたついている。スローすぎるスタートに多少いらつきながら走る。 スタートをして50mほどであろうか。トップスピードに近づいた頃だろう。一瞬のことであまり記憶にないのであるが、どうも後ろの選手にかかとを引っかけられたようだ。 「あっ」と思ったのもつかの間、バランスを崩しながら5歩ほど前のめりになって走る。「やばいやばい倒れる〜」と思いながらも踏ん張る。この雑踏で倒れたら、後続のランナーに踏みつぶされて一巻の終わりだ。イヤなことが脳裏をよぎる。 しかしながらスピードを出した状態でバランスを崩しながら走るその難しさ。「倒れるな倒れるな〜!」とがんばるが、6歩目にとうとう足がついて来れずにだんだん顔が道路に近づいてくる。 「ドサッ!」からだが犬山の大地にキスをする。「やってしまったー!」 左に旋回しながら倒れたようなので、気がつくと上を向いている。後ろからやってくるランナーの「脚、脚、脚」がすごいアングルで見える。「うわーっ!」といいながらも避けていってくれるランナーたちばかりで、踏みつぶされるという最悪の事態は避けられた。 しかしながら今回の大会は、12月の福岡国際マラソンの参加資格をなるべく好タイムで取得するための今冬のメインレースの位置づけにしてきた大会なので、50mで止めるわけにはいかない。 すぐさま起きて前を追いかける。 転倒してから起上がるまでどうだろう5秒くらいだろうか。左脚の膝あたりと腰のあたりをうったようだが、何とか走れる。思ったほどひどくはない。・・・ とまあ、こんな感じでスタート直後に転倒劇が発生したわけです。 反省(転倒の原因) 転倒の直接的な原因は、脚をひっかけられたことにあるが、それを未然に防げなかったかどうかというところがポイントになる。 今回の転倒の間接的な原因を考えてみると
追い上げ
びわじま整形外科はスポーツ専門医です 地下鉄から名鉄へ金山で乗り換え、「びわじま整形外科」のある名鉄・二ツ杁(ふたついり)へ向かいました。事前にHPで「びわじま整形外科」の場所を確認しておきましたが、二ツ杁駅から徒歩3分ほどです。とてもおしゃれな病院です。というのか、民家にしてもいいような洋風な作りです。 たまたま月曜日の外来は、井戸田 仁先生です。井戸田 仁先生は、知多郡阿久比町のスポーツ医科学研究所で長年診察をされてきているキャリアの持ち主で、自分の持つ「井戸田整形外科」の院長であり、当「びわじま整形外科」の副院長でもあるわけです。どうも、あちこちで診療をされているようです。安藤さんに聞くと膝関係は非常に詳しいとのことでした。 レントゲンの結果異常なし ベッドのない病院のようなので、基本的には外来とリハビリが中心です。夜の7時に受付してもらったにもかかわらず、病院の中は人でごった返していました。外来とリハビリの患者さんたちです。病院は入院患者がいると儲かるらしいのですが、こういう整形外科でベッドがなければたくさん患者さんを診ないと儲かりません。井戸田先生らを頼って遠くから来ているようなスポーツ選手もいれば、近所のおばちゃんも来ているような病院で、経営のためにはなりふり構っていられない有様が浮き彫りでした。おかげで、レントゲンを撮ってから診察が始まるまで1時間以上待たされ、病院を出たのは8時40分でした。ゴールデンウィークのときには、外来の最後が夜の10時だったそうです。先生もタフですね。 さて、レントゲンの結果骨折なし。ひび割れもなしという診断結果でした。 「膝から下の太い骨(脛骨)とその外側の細い骨(腓骨)をつなぐ靱帯が少しのびているようだ」という診察結果。とりあえず折れてないということでホットしました。 湿布とRICE処置
ということで、今日まで少々ツライ生活をしている、まあ、こんな状況です。 |
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平成17年2月18日(金) 〜 NO.116 中部国際空港とわが家 〜 |
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昨日オープンした中部国際空港。初日で9万人以上の人が訪れたとか。名古屋空港の利用者が一日平均で2万7千人だったそうですから、その数が異常な数であることがよくわかります。(職場で残業をしている同僚と夕刊をちらっと眺め「世の中にはヒマな人がたくさんいるんだねー」とボヤいていましたが・・・) さて、中部国際空港ができて、わが家からどのくらいかかるのか調べてみました。
金山での乗り換え1回で行けるのは、便利ですが名鉄さんの「快速特急(通称:ミュースカイ)」は指定席料金込みで1,140円はちょっと高いかなという感があります。まあ、それでもわが家の最寄り駅・地下鉄「自由ヶ丘」から1時間で行くことができるというのは距離の割に早いという実感です。最初に利用するのはいつになるのでしょうか? 中部国際空港が開港した影響がもうひとつあります。 わが家の立地場所が、名古屋空港の進入路のほぼ真下にあることから、一昨日まであれほど飛んでいたジェット機が一機も飛んでこなくなりました。 朝の通勤時間に歩いていても静かですし、夜の8時から9時の着陸ラッシュ時にもとても静かになりました。 「中部国際空港ができるとこの街も、ジェットが飛んでこなくなり静かになるんだなぁ」と思っていた日が到来しました。 |
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平成17年2月15日(火) 〜 NO.115 アクセス1万件・HP開設1周年記念プレゼント当選者発表! 〜 |
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今日はこのHPをちょうど1年前に開設した日です。 昨年の11月頃からアクセス件数がかなり増えてきて、多い日には一日80件近くのアクセスもありました。これも皆さんのおかげだと思っております(感謝!)。最近では、マラソン大会でも「加藤さんですよね。HPいつも見てますよ。なかなか面白いですね。」と見ず知らずの人に声をかけられることがしばしばです。どこからどうして、このHPの存在を知っていただけるのかは存じませんが、このHPを通じていろんな情報が発信できてお役に立てれば初期の目的は達成です。今日から2年目。さらに充実したHPにしていきたいと思います。 さて、「アクセス1万件・HP開設1周年記念プレゼント」の当選者ですが、応募総数なんと547通(ウソくさいなぁ〜。100倍して47を足しているという噂も・・・)。厳正なる抽選の結果次の方が当選者となりました。おめでとうございます。愛知万博の入場券(大人用・1枚:ホンモノ)を発送させていただきます。
今後ともこのHPのご愛顧よろしくお願いいたします。 |
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平成17年2月13日(日) 〜 NO.114 犬山国際友好シティーマラソンに参加しました 〜 |
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一昨日の「とよあけマラソン」に引き続き、今日は「犬山国際友好シティーマラソン」に参加しました。、私自身、この大会の出場はジョギングばかりで、ロードレースにおいてはほとんど走ったことがありません。ロードレースには主としてはゆきこが走っている大会です。というのも、この大会は2月の第2日曜日という設定になっているので、以前よく出かけていた「別大マラソン」の翌週にあたるからです。今年は、別大マラソンに出場していないにもかかわらず、いつものごとくゆきこにロードレースは出番を譲りました。 ゆきこも最近は育児に手がかからなくなってきたので、以前より練習に前向きなってきましたが、出産前ほどは練習していませんが、下のチビ、ゆかこも4月からいよいよ小学生となるので、「今年はスイムランから復活だー!」と張り切っています。今日の大会も女子・年代別の優勝こそ逃しましたが、メンバーにも恵まれて5kmの部で40歳代女子で年代別2位に入りました。
ジョギングですから小学生が圧倒的に多いです。石田犬山市長さんも最前列でニコニコしています。 スターターの「スタート!」という声で一斉にスタートです(ピストルは鳴らしません)。保育園では足自慢のゆかこも小学生たちに混じるとひとたまりもありません。走れども走れども先頭には追いつきません。400mも走るとあきらめてしまいました。そこへ後ろから、ウォーミングアップ替わりに走ってきたゆきこに「頑張れー!」と励まされまた走り出します。が、しばらくするとまたトコトコと歩きます。最後までこの繰り返しで、まるでインターバルの練習のようでした。保育園児にはまだ、短距離と長距離の走り方の違いが理解できないようです。ゴール後は参加賞のパン(敷島パン提供)やジュースをもらって、ちょっと損ねていた機嫌もなおりました。 明日の朝刊が休刊なので、ゆきこの出場した女子5kmの部の上位の記録を参考までに掲載しておきます。
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平成17年2月11日(金) 〜 NO.113 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その4) 〜 |
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あと2回ほどお付き合いください。今回は (5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由 (6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た の内容のご紹介です。 (5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由 この本のタイトルにもなっている「できない」と言わずにやってみろ!が登場します。ちょっと長いですが、以下原文からの引用です。
(6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た これまた途上の話ですが、こういうものがどんどんできてくると面白いと思います。これまた原文からの引用です。
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平成17年2月8日(火) 〜 NO.112 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その3) 〜 |
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今日は2月5日の続きで (3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか (4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」 の内容のご紹介です。 (3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか 前置きが長いのでそこらへんは省略しますが、自分の体を構成しているのは200億年も前のビッグバンだそうです。まあ、物質の起源とでもいうのか。200億年もの間にいろいろな変遷を通って今になっているわけです。 例えば、今の自分があるのは、自分の両親がいてその子供ととして生まれてきたわけで、その両親はまたその親たちの子供として生まれてきたわけで、そのまた両親たちは・・・、とずーっと辿っていくとほとんど気が遠くなるようなことを繰り返してきたわけです。まあ、自分たちの子供も、私と私の妻の間に生まれてきたわけで、もしかしたら別の女性との間に生まれてきたら遺伝子も違うわけで、また違った顔になっていたことでしょう。 まあ、今は息子と娘と一人ずつですが、同じ親から生まれてきても性別も顔も違うわけです。まあ、遺伝子の数がいくつあるのか知りませんが、その情報の組み合わせが無数にあるわけです。こんなようなことを、晝馬輝夫さんは例えています。以下は、本からの原文の抜粋です。
職場のコミュニケーションが非常に大切な理由がよくわかりました。 (4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」 これも原文を先に引用させて頂きます。
役所の中では、新規事業がなかなかうまくいきません。システム的にも問題があるのでしょうが、「失敗したらどうするんだ」とか「これはこういうリスクがある」とか言い出すと何にも新しいことができません。無謀と冒険は紙一重の部分がありますが、その辺の冒険の見極めを許してもらうと「やったろかー!」という気になりますよね。 親が子供に対しても同じでしょうね。子供たちが「父ちゃんこれやりたい!」という気持ちをなるべく汲んでやらないと成長していかないんだろうな、また率先していろんなことをやらないんだろうなと感じました。(続く) |
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平成17年2月5日(土) 〜 NO.111 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その2) 〜 |
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前回の『「できない」と言わずにやってみろ!((晝馬輝夫著) (その1)』が、平成16年12月10日のNewsでしたので、概ね2ヶ月がたってしまいました。申し訳ありません。今日はこの中で面白いなというように感じた次の7つを順に紹介します。 (1)「おれは何でも知っている」人ほどたいしたことはない (2)新しい産業は「情熱」がつくる (3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか (4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」 (5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由 (6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た (7)あとがき 「暗黙知」と「形式知」 (1)「おれは何でも知っている」人ほどたいしたことはない 「おれは何でも知っている」と豪語する人は昔はたくさんいました(某県庁内には)。 若いときの知識などの蓄えで老いてもその貯金で生きている人です。最近こういうことを言う人は昔ほどほどいなくなりました。まあ、それだけ世の中の進歩が早く、今までやってきたことだけでは永久に飯が食えないという危機感を感じる人が多くなってきたという裏返しでしょう。 わたしも最近は、このHPで『コーチング』とかいって選手の指導をしていますが、もちろん自分がすべてのことを知っているわけではありません。自分の経験(体験)からその選手に対して向き不向きがあるのでそのあたりのところを試行錯誤しながら自分も一緒に練習しているというところです。 今年の5月で43歳になりますが、これから人生の終焉まで仕事も趣味も過去の貯金だけで生きていこうとは毛頭ありません。トライアスロンやランニングについてベテランと呼ばれていますが、決して極めているとは思っていません。向上する余地はかなりあります。 (2)新しい産業は「情熱」がつくる ここは下手な説明より例えが上手なので全文引用させて頂きます。
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平成17年2月2日(水) 〜 NO.110 愛知万博まであと51日。旧愛知青少年公園は今・・・ 〜 |
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本日所用で、愛知郡長久手町に出張してきました。 久しぶりの大雪で、今日は無事に行くことができるのだろうかと不安になりましたが、午後になると朝積もった雪が嘘のように溶けて、おかげで車の運転もスムーズに出来ました。 途中、3月25日に開幕の愛知万博のメイン会場「旧愛知青少年公園」の横を通りました。愛知青少年公園は、明治100年の記念に作られた公園です。施設も老朽化していて、たまに行くたびに「広いけど、もう少しきれいにならないかなぁー」と思っていた施設です。 愛知万博のために愛知青少年公園が閉鎖になってからは当然のことながら行く用事がなかったのですが、数ヶ月前、久しぶりに横を通ったところ凄い変貌ぶりでした。さながら遊園地です。施設は、外から見る限りではかなり出来ていました。
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平成17年2月2日(水) 〜 NO.109 弟子たちの合格 〜 |
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本日は1年に1回の高圧ガス製造保安責任者試験のうち大臣試験分の合格発表です。 昨年は、私の職場の3名を集めて、手始めに知事試験分の「乙種機械」を受験させました。こちらは、3人ともハイスコアで合格です。こちらについては、コンテンツ「高圧ガス製造保安責任者試験」のうちの『「乙種機械」合格までの管理人の指導記』をご覧ください。 さて、本年はというと特に個別指導は一切行っていません。昨年受験した3人は、今年はどうしたかというと、まあ次の通りです。
さらに、かつての職場の後輩で、高圧ガス担当復帰を狙うDさん(男性・既婚2児の父)が甲種機械を受験することになりました。彼も数年前に乙種機械を取得しているので受験は2回目です。しかしながら、専門科目の下地がなく独学で受験するのはかなり厳しいと思いました。受験のための勉強開始時期も遅く、まあ、通常だったら受験料、受験にかかる時間の無駄遣いコースまっしぐらです。まあ、要領だけはいいヤツなので万が一の可能性だけは残っています。 さて、結果です。 県知事分の試験結果は、平成17年1月上旬に発表がありBさんは第2種冷凍機械合格。(第2種冷凍機械は全科目マークシートのため、合否は試験の翌日の解答発表時点で自己採点によりわかっていましたが・・・。)あらためておめでとう! 次にCさん。大きいチョンボがあって試験後「不合格だ〜!」と落ち込んでいました。6割の確保がやや困難だったような感じです。 本日10時。おそるおそる、KHK(高圧ガス保安協会)のHPでの合格発表を見たところ番号がありました。Cさん甲種化学合格。おめでとう! 最後にDさん。こちらは試験後に採点基準を私に何度も聞きに来ました。まあ、私が採点するわけではないので採点基準など知りませんが、「自分が作問者だったらこの問題の解いている過程で、ここまで出来ていたら○○点、ここまでならさらに△△点、最後まで出来ていたら満点にするだろう」という会話は交わしました。6割のボーダーすれすれのようです。 ホンネからいえば、受験勉強にかけた時間・学習方法などから、2年計画で取得を目指して実力を身につけて受験をしてラクラク受かって欲しいと思っていました。 こちらはメールが来ました。「KHKのHPで発表を見たら番号がありました」と。Dさん甲種機械合格。おめでとう! 3人3様で受験・合格。まあ、いずれも私のところの門下生たちは3人とも合格してくれました。 かなり、きわどく受かって勉強のやり方について反省している者が若干2名おりますが、まあ、合格したことには間違いはありません。その辺のところのタネあかしについては3人に受験記を書くように頼んでおきました。書いたあかつきには参考にしてください。とりあえず報告までです。 |
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平成17年1月23日(日) 〜 NO.108 14年ぶりのスキー 〜 |
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1月22日(土)〜23日(日)の1泊2日でスキーに行ってきました。 ランナーは、このシーズンは稼ぎ時なので普通はスキーに行きません。私もごたぶんに漏れず、スキーの記憶の最後が平成3年2月ですので、実に14年ぶりのスキーです。昭和の時代に購入したウェアを引っ張り出して出かけて参りました。 出かけた先は、飛騨ハイランドです。なぜ、飛騨ハイランドかというと、今回のスキーは3家族で出かけたため、首謀者のすずきさん(先週の西春に一緒に出かけました)の推薦によるものです。
かずたかとゆかこにとっては初スキーで、どんなドラマがあるかと楽しみにしていましたが、2日ともスクールに入れたのでとんでもないドラマはほとんどありませんでした。最初はうまく滑れずに泣いていたり、文句を言っていましたが、少しずつですが滑れるようになってくると楽しいようで、帰りの車の中では「また行きたいなー」と少し名残惜しそうでした。
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平成17年1月21日(金) 〜 NO.107 ハートレートモニターS625Xがきました 〜 |
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昨日、待ちに待ったポラール社製のハートレートモニターS625Xがわが家にやってきました。 ハートレートモニターの使用は、平成5年頃から3年ほど使っていましたが、電池が切れて以来使っていませんでした。まあ、心拍数についてはカンでトレーニングしていたということですね。 さて、今回注文した機種はポラール社のS625Xという機種です。 この心拍計を選択した理由は、シューズにセンサーを付けると角加速度を拾い距離や速度の表示をしてくれるという優れものです。 以前の製品は、日本語の訳本もペラペラで、使用するまでが結構大変でした。 今回のハートレートモニターの印象として、ゴッツイなぁーという感じがします。 まあ、最近はハートレートモニターの評論が多くなりました。 昨年10月発売のS625Xについて、ユーザーからの情報では、ほぼ正確に距離わかるようです。 説明書も思ったより細かく書いてあるので、十分読んで、来週当たりから使いたいと思います。 モチベーションを保つためにはいい買い物だったと自画自賛です。 |
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平成17年1月20日(木) 〜 NO.106 研修でディベートを実施しました 〜 |
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今週は、火曜日は昼前から豊川市へ出張。昨日と本日は、終日研修で缶詰でした。 きょうのNewsはこの研修の内容である「ディベート」です。 最近は、高校生や大学生でもディベートをする機会が多く、「社会人であるわれわれがなぜ今頃?」という感もあるかもしれません。しかしながら、自分が小さいときにはパソコンがなかったからといって、未だにパソコンを触わる必要性がないとは言えません。以前にも他の研修でディベートを行いましたが、まあ、折角だからということで割とまじめに取り組みました。 ディベートとは・・・ ディベートをご存じない方もいるので少し説明をします。 ディベートとは、ひとつのテーマに対して肯定側の意見と否定側の意見と戦わせるゲームです。肯定側と否定側は、自分の好きこのみで片側のみの立場にはなれません。1試合終わると逆の立場に立って論述していかなければいけません。まあ、野球が攻撃とか守備ばかりでなくお互いが立場を替わって交互に行うのと少し似ています。 例えばテーマ(論題)として「トライアスロンは小学校の授業で実施すべきである」というものがあるとします。 この場合の定義は、 (1)A県内の小学校6年生全員が、トライアスロンに取り組む。 (2)大会での成績は公表する。 とします。 このテーマにおいて肯定側、否定側の両方のストーリーを作成して議論をするというものです。 肯定側の例 (哲学) 基礎体力を向上させるために、小学校の授業にトライアスロンを取り入れ、心身の発育の向上を目指す。 (現状分析)
(プラン)
(メリット)
否定側の例 (哲学) トライアスロンは、小学生には高度すぎ疲労を助長し健康を阻害する。 (現状分析)
(プランアタック←肯定側のプランにケチをつける)
自分が思っていないこともデータを駆使し説明しなければいけない 自分がトライアスリートだからといって肯定側だけを担当してはいけません。1試合終了すれば、反対に否定側にまわります。まあ、2枚舌を使い分けるようなものです。ゲームと割り切れば良いのですが、割り切れない時は二重人格になったような気がします。 思っていたよりも楽しかった 今回の研修では、6人1チーム。自分のところは5人でしたので、ほかのチームよりも人数が少なくまとまりが良かったような気がします。また、穏やかな人が多く雰囲気としては和やかであり、投げやりな人もいなくいいグループメンバーに恵まれました。 下調べ(資料収集)がまず重要 ディベートの特徴として自分の主張することに対する裏付けが必要です。したがって、自分にとって有利になるような証拠をたくさん探さなければいけません。また、不利になるような証拠がある場合には、その部分をつかれないように話を遠ざけなければいけません。 最後はプレゼンテーション能力が問われる 資料が揃っても、論理的に説明できたか。また、わかりやすく大きな声で説明が出来たかなど、頭の中でわかっていることを審判に対してアピールしなければいけません。 1勝1敗でした 今日は最終日で、実際に試合をしました。午前中に1試合、午後1試合です。 午前中は否定側では、緊張していたせいかかなりカチンコチンで思っていたことの半分も言えなかった感じで負けてしまいました。 しかしながら、負けたことで少し意地が出たようです。午後は、肯定側にまわりました。ほぼ予定どおりに進み圧勝。結果は1勝1敗でした。 ディベートは、自分の得意とするトライアスロンやランニングと違ってチームプレーです。1人だけで戦うわけではありません。同じチームになった人からもいろんな意見をいただき、お互いに助け合っていこうという連帯感を感じることが出来たのが収穫でした。 わずか3日間でしたが、終わってみると楽しい3日間でした。同じチームのみなさん。たいへんお世話になりました。また、どこかでお会いしたら声をかけてください。 |
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平成17年1月15日(土) 〜 NO.105 ゆかこの学習机到着! 〜 |
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今日は朝から大掃除です。 というのも来年から小学校に入学する長女”ゆかこ”の学習机が、夕方、わが家に到着するからです。 ゆかこの部屋は、わが家では2階の南東角にあります。今のところ、私の自転車置場になっていたので自転車を撤去しました(雨天時はどこで練習しましょうか・・・)。何やかんやいって掃除とかしているうちに11時になってしまいました。 昼から蒲郡で知人に会う約束、西尾の友人の見舞いに出かけていました。 机の搬入の予定は17時〜19時。 17時過ぎには戻ろうと思っていましたが、道路渋滞で家に戻ったのは17時30分。するとすでにピカピカの机が2階に置かれていました。 そこにはニコニコ顔のゆかこが嬉しそうにイスに座っていました。 ランドセルも筆記用具も学習机も準備完了。あとは4月を待つだけです。 |
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平成17年1月13日(木) 〜 NO.104 海猿たちとの再開 〜 |
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「海猿」ってご存じですか? 「海猿」とは昨年6月12日から公開された映画です。私の下手な説明より、映画「海猿」のHPから映画の概要を説明したものを引用したのでお読みください。
「海猿」とは、まあ厳密にいえば「海上保安庁の潜水士」を表すようですが、このNewsの中では厳密な定義は抜きにして海上保安庁の職員ということにしておきます。 プロフィールの中にも書いてありますが、私は海上保安大学校の出身です。海上保安大学校は、広島県呉市にある4年制の大学校です。 「大学」と「大学校」の違いは、「大学」が「文部科学省」の所管に対して、「大学校」は各省庁のオリジナルの所管です。 防衛大学校(神奈川県横須賀市)が防衛庁、気象大学校(千葉県柏市)が気象庁(気象庁は国土交通省の外局)の幹部養成のための大学校であるように、海上保安大学校は海上保安庁(海上保安庁も気象庁と同様に国土交通省の外局)の幹部養成のための大学校です。 わけありで海上保安庁を退職後(クビではないですぞー!)、民間企業を経て某県庁職員というちょっと変わった人生を歩んでいます。とはいいながらも、今の担当している仕事は「高圧ガス保安行政」であり方面は異なりますが、やはり保安という部分では共通している仕事です。まあ、もともとそういうところで仕事をするのが合っているのでしょうか。 前置きが長くなりましたが、1月9日(日)は海上保安大学校32期卒業生46名のうち実に1割に近い4名と会ってきました。 まずは藤本 参戦記(ランニング)「第21回平城京新春マラソン大会」でも触れたように、奈良で同期の「藤本」に会ってきました。 彼とは、同期連中の中ではかなり仲が良かった間柄です。彼のモットーは「自分に甘く、他人に厳しく!」素晴らしいですね〜。最近会ったのは、同期の結婚式で福岡の披露宴会場以来かな? ちなみに奥さんは、峰子さん(旧姓 山崎)でもともと愛知県がんセンターの看護婦さんです。昔、私のところに遊びに来たときに、うちの嫁さんと峰子さんと4人で飲みに行ったのが交際のきっかけです。おかげさまで彼の結婚式では仲人をつとめさせていただきました。たしかあれは平成7年の3月だから、もうすぐ10年ですね。 大会には、彼の実家に在住のお兄さん(三洋電機の社員とか)が来てくれました。ドライバー兼カメラマン兼観光ガイドと一日中奈良を案内してくれました。その節は、たいへんお世話になりました(しかし、よく顔が似ている兄弟です)。
夕方は宮本、君島、犬藤と 奈良を午後3時過ぎに出て名古屋に戻ってきました。大会の疲れもあって電車の中で居眠りし、途中で乗り換えるところを乗り過ごしたため名古屋到着が20分ほど遅くなりました。 今度は宮本、君島、犬藤と金山で待ち合わせです。 宮本は、昨年から名古屋にいるので巡視船「みずほ」の見学の際には世話になりました。 君島、犬藤とは藤本同様、同期の福岡の結婚式以来です。特に、君島は同じ機関科で、蒲郡の実家にも何度か来てもらったり、「つくばの科学博」にも一緒に行ったりしました。怪獣みたいな顔をしていますがいいヤツです。 「さあ、乾杯だー!」と始めたとたんにガタガタ!!!地震です。 この日は非常配備がかかっていたので出勤となってしまいました。飲み会は、非常配備が解除になったあと再び始まったことはいうまでもありません。4人とも帰ったのは地下鉄の終電でした。 まあ、相変わらず”よく飲み、よく食べ、よく喋る(毒舌)”連中です。20年前と何ら変わりません。 タイムスリップをしたような一日。海猿たちとの楽しい再会の日でした。
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平成17年1月13日(木) 〜 NO.103 いちのみやタワーパークマラソンに行ってきました 〜 |
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成人の日の10日(祝・月)の話で恐縮ですが、今年も行ってきました。「いちのみやタワーパークマラソン」へ。 前日の9日(日)は、自分が奈良市の平城京新春マラソンに出場したので、今日は子どもたちとジョギングです(ゆきこが10kmに出場)。この大会も、前身の「一宮シティマラソン」から会場を同じ一宮市の光明寺球技場に移してからとても賑やかになりました。 ”ゆきこ”が枇杷島スポーツセンターでトレーニングをしていた頃の友達の中山さんもこの大会に出ると事前に情報交換していたので、再開を楽しみにしていました。親ももちろんですが、年の近い子どもたちもです。 東海シティーマラソンに続き激走!かずたか! 年末の東海シティーマラソンで一転、ランニング好きに変身した”かずたか”ですが、今日も張り切っていました。 ジョギングの列に並んだのは遅かったもののピストルと同時に走り出していってしまいました。まあ、そのうちどこかで歩いているだろうと思っているととんでもありません。折り返しを過ぎても1人で先を走っているではありませんか。最後まであの調子で走っていってしまったようで、2大会とも素晴らしい走りに変身してしまいました。 ゴール後はインタビューを受けるかずたか! ジョギング1.5kmは515名の参加。ゴールは56番目といわれたようで上位のゴールにご満悦。おまけに会場でインタビューを受けてしまいました。 インタービュー者: 「お名前は?」 かずたか:「かとうかずたかです!」 イ:「きょうはげんきよくはしれましたか?」 か:「もちろん!」 イ:「来年もきてまた走ってくれますか?」 か:「もちろんさ!」 と、ちょっぴり生意気な言い方で会場中に声を轟かせていました。 お買い物もバッチリ! 今年もこの大会には、たくさんのブースがありました。マッサージ、焼きそば、尾西シティーマラソンの案内のほかランニンググッズを販売しているブースが4つもありました。 1つ、2つというのはよくあるのですが4つもショップさんが出ているのは珍しいことです。おかげで思いっきり店屋をはしごしてしまいました。そのおかげで結構掘り出し物がありました。 あとひとつ出店されていた「京都キャロット」からは加藤にとっては掘り出し物がなく、何も購入しませんでしたが客も多く出展者が多いというのは相乗効果があるなというように感じました。
締めはカレーでした(インドや・一宮店) 中山さんらと話をしていて「お昼はどうする?」ということになって、「加藤家はカレーでCoCo壱番屋にしようかな」というと、「カレーなら一宮に「インドや」という店があってバイキングだよ。インド人の経営する店でうまい!」ということで早速行くことにしました。 場所は、一宮の繊維団地の南です。国道22号線を岐阜方面から名古屋に向かって下浅野交差点を左折、さらに最初の信号交差点を左折して250mほどのところにあります。 昼食はカレーバイキング。大人900円、子ども700円と手頃な値段です。 カレーは、甘口2種類、辛口2種類。スープは中辛1種類。あとは野菜とパイナップルです。ナンは注文してから焼くので温かくとてもおいしかったです。腹ぺこな子どもたちを連れて行くにはとてもいい店屋でした。中山さんいいお店の紹介ありがとうございました。 ということで、大人も子どもも大満足の一日でした。
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今年のマニフェストは
今年は、スポーツの基本である「走」をもう一度見つめ直し、その取り組みに対する経過を公表しながら結果を出していこうと思います。(トライアスロンは、時間的制約があるので今年はおまけ的な取り組みとします。) 昨年は自分にとって「忙」の年でした。 今年は、プレイングマネージャーとして選手を指導する傍ら、自分のパフォーマンスを上げようというところにモチベーションをおいていきます。したがって、ここ数年遠ざかっていたトラックにも積極的に参戦し結果を出していこうと思います。 そこで、本日から練習日誌を公開していきたいと思います。また、御意見等あればよろしくお願いいたします。
さて、昨日の我が家の元日の一日次のように過ごしました。
さて、今日の本題ですが、我が家では元日のお年玉から大騒動がありました。 私は、子供たちに1万円ずつお年玉をやりました。ゆきこもいくらかお年玉を渡したようです。さっそくもらった子供たちは袋を開けます。
そのあとかずたかは、しばらく怪獣のようにガオー!ガオー!とほえまくっていました・・・。 教訓。借りたお金はちゃんと返しましょう。 我が家でおきた前代未聞のお年玉天引き事件でした。 |
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