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平成17年3月10日(木)
〜 NO.120 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その5・最終回) 〜
 先月の2月11日以来のこのシリーズ最終回です。
 今回ご紹介するのは、この本のあとがき部分です。そのあとがき部分に出てくるのが、一橋大学の野中郁次郎教授の「暗黙知」と「形式知」についての話です。晝馬社長が、(財)静岡県総合研究機構が主催する静岡県科学交流サロンに呼ばれて出席したおりに聞いた話です。

 「暗黙知」、「形式知」を野中教授は、
暗黙知 → 言葉で表現しきれない主観的・身体的な知。たとえば、世界観や信念などの「思い」や「熟練」「勘」といったものであり、人間一人ひとりの体験に根ざす「感覚知」である。
形式知 → 科学的知識のように客観的・普遍的であり、言葉で分析・伝達できる「言語知」である。
といっています。
 例えば、長嶋茂雄さんの現役時代のあの打撃です。動物敵「勘」とかいわれていました。彼の口からはいろんな言葉が出て来ましたが、表現があまり上手ではないせいかなかなかわかりにくいところがありました。一生懸命に伝えようというところの努力は買いますが。これが職人の勘というのか、まあ、暗黙知の典型例です。彼にしかわからないところが多い部分です。
 これに対して、形式知の典型的な例がいわゆる「役所仕事」です。一定の用件だけ満たせばOKという世界です。道徳観のないものも多々ありますが制度上それを認めています。宗教法人というだけで税制上優遇されるので、訳のわからない宗教法人がはびこっています。形式知で役に立つ部分もありますが、脱法行為的なことをしたりする人もやがては現れます。

 なかなか奥の深い話だなと思って、その後、一橋大学の野中郁次郎教授の著書を買ってきました。それが、「知識創造企業(東洋経済新報社発行、2000円)写真右」です。同じく一橋大学の竹内弘高教授との共著です。400ページ近くある著書なのでなかなか読むのにホネの折れる本です。
 この中で、暗黙知と形式知はそれぞれ独立しているのではなくて、企業の中では暗黙知を形式知に変換していくことによって成功を収めていくということが書かれています。
 いくつかの会社の商品開発の成功事例を具体的に上げてその手法を説明していますが、いずれも、もともとは個人の暗黙知だったものを社内で形式知にいかに変換していくかという過程が各社によって様々です。
 また、会社でのマネージメント方式にも触れており、トップダウンもボトムアップもそれぞれいいところはあるが、暗黙知を形式知に変換していく作業では、どちらもよくなく、ミドルアップダウンというマネージメントがうまくいくということについても触れています。

 私のつたない説明ではわかりにくいと思いますので、組織として、なぜ仕事がはかどらないか、うまくいかないか、ということを考えるにはいいヒントになる本であると思いますので、気になる方はご一読してください。
平成17年3月9日(水)
〜 NO.119 気象予報士にチャレンジ! 〜
 先週、妻のゆきこが、工作好きのわが息子”かずたか”のために新聞記事から「NHK文化センター名古屋教室」の子供向け講座「のびのびこどもの絵画・工作」という講座を探し申し込みしようとしました。
 それならば、オヤジもついでにということで、長年の懸案だった気象予報士への第一歩として「気象予報士になりたい! 〜資格取得を目指す〜」に申し込むことにしました。

 ところが、かずたかの方の講座は人気が高く満員で入れません。似たような講座で、「こども美術クラブ〜絵画と工作〜」は空きがあったので、そちらに申し込みました。で、私の方はもちろん申込をしました。まだ、席に空きがあるようです。
 こうして、来月からほぼ毎週月曜日は、名古屋・栄のNHK文化センター教養講座に通うことになりました。どの程度勉強がはかどるかわかりませんが、2年くらいの間に取得できたらと考えています。合格したあかつきには、HPのコンテンツを増やしていきたいと思います。また、応援してください。
平成17年3月3日(木)
〜 NO.118 保育園児最後のひなまつり 〜
 来月の4月から、小学生になる”ゆかこ”にとっては、保育園児としての「ひなまつり」は今年が最後です。平成10年5月に生まれて早いもので、もう6歳になりました。そうです、今日は6回目のひなまつりです。(昨年の分は、News 「NO.5 ひなまつり」で取り上げています。)
 毎度同じケーキのはなしで申し訳ないですが、今年は千種区谷口交差点そばの「ぷれじゅーる ちとせ」というケーキ屋さんで菱形のケーキ(写真左下:税込2,800円)を買ってきました。味は、まあまあです。4人で食べたらあっという間に無くなりました(味わって食べるという習慣がほとんど無いわが家では日常茶飯事ですが・・・)。わが家のひなまつりは、ケーキを食べるための年中行事のひとつと化してしまっています。

女性陣にとっては大切な日のようです。

わがやのひな人形は、前の職員住宅時代に妻・ゆきこの親に買っていただいたものなので、いわゆる団地サイズという小振りのものです。
平成17年3月1日(火)
〜 NO.117 犬山ハーフマラソンで転倒。びわじま整形外科のお世話になりました 〜
 一昨日の犬山ハーフマラソンの参戦記は作成中です。でき次第すぐにアップします。
 というのも、生まれて初めてロードレース中に転倒してしまいました。なんとか完走はしたものの、ゴール直後からまともに歩けない状態で、昨日(月曜日)、仕事の帰りに心配になって整形外科に診察に出かけました。

転倒劇
 ハーフマラソンの部・陸連登録者は午前10時ちょうどに犬山市の名証グランド前の坂道をスタートしました。
 スタート場所には比較的遠くはなかったはずなのに、スタートから前の連中がスムーズに出ずにもたついている。スローすぎるスタートに多少いらつきながら走る。
 スタートをして50mほどであろうか。トップスピードに近づいた頃だろう。一瞬のことであまり記憶にないのであるが、どうも後ろの選手にかかとを引っかけられたようだ。

 「あっ」と思ったのもつかの間、バランスを崩しながら5歩ほど前のめりになって走る。「やばいやばい倒れる〜」と思いながらも踏ん張る。この雑踏で倒れたら、後続のランナーに踏みつぶされて一巻の終わりだ。イヤなことが脳裏をよぎる。
 しかしながらスピードを出した状態でバランスを崩しながら走るその難しさ。「倒れるな倒れるな〜!」とがんばるが、6歩目にとうとう足がついて来れずにだんだん顔が道路に近づいてくる。

 「ドサッ!」からだが犬山の大地にキスをする。「やってしまったー!」
 左に旋回しながら倒れたようなので、気がつくと上を向いている。後ろからやってくるランナーの「脚、脚、脚」がすごいアングルで見える。「うわーっ!」といいながらも避けていってくれるランナーたちばかりで、踏みつぶされるという最悪の事態は避けられた。
 しかしながら今回の大会は、12月の福岡国際マラソンの参加資格をなるべく好タイムで取得するための今冬のメインレースの位置づけにしてきた大会なので、50mで止めるわけにはいかない。

 すぐさま起きて前を追いかける。
 転倒してから起上がるまでどうだろう5秒くらいだろうか。左脚の膝あたりと腰のあたりをうったようだが、何とか走れる。思ったほどひどくはない。・・・
 とまあ、こんな感じでスタート直後に転倒劇が発生したわけです。

反省(転倒の原因)
 転倒の直接的な原因は、脚をひっかけられたことにあるが、それを未然に防げなかったかどうかというところがポイントになる。
 今回の転倒の間接的な原因を考えてみると
(1) スタート時の位置取りとして一番混雑している場所を選択してしまった。列の両脇の方のがよかったのではなかったか?(不慣れな場所を選択してしまった)
(2) 集団がばらけないうちにスピードを上げすぎてしまった。もっと集団がばらけてからスピードに乗ってもよかったかもしれない。(1時間の少々のうちのスタート時の数秒は体勢に影響は出ない。)
(3) もうひとつ。言い訳がましいが、スタート時のピストルが空撃ち(音がしない)だったような気がする。空撃ちの場合、スタート時に入っていた気合いが空回りするのと同時に、選手としてはスタートしていいものなのかどうか(本来はスタートすればいい)迷う。ましてや後方では、空撃ちだったのかどうかはわからない。頭の回転のいいヤツは、ロードレースではフライングを基本的にはとらないので仕切直しは無し。空撃ちだろうが何だろうが、時間になったらさっさと出て行く。こういった混沌とした状況が発生して、「烏合の衆」と化してしまったランナーの巻き沿いになってしまった
ということがあるかもしれません。 

追い上げ 
 5kmの通過が16分55秒。転倒とスタートラインまでのロスタイムを除けば16分45秒くらいか。以下、5km〜10kmが17分35秒、10km〜15kmが17分28秒で通過するが、16kmの最後の折り返しからは向かい風。ペースアップするもののだんだん転倒したところが痛くなってきた。15km〜20kmは17分56秒とペースダウン。最後の1.0975kmも頑張って腕を振るものの、身体も硬直するわ、脚も痛いわで3分56秒。トータル1時間13分50秒で最低目標の1時間13分台はクリアできました。

ところが・・・

 走っている間は気合いが入っていたので何とか走ってきたものの、ゴールするともうまともに歩けない。一歩歩くたびに激痛が走る。走っている間に、うった箇所が悪化したのだろうか?その後の移動はホント、赤ん坊が歩くようなスピードくらいでしか歩けない状況でした。

早いうちに診てもらおう
 昨日の月曜日は悲惨でした。階段を上るのはともかく、降りる時には激痛が走ります。この日はとことんエスカレータとエレベータのお世話になりました。同じクラブの知人に整形外科で看護士をしている安藤さんという人がいます。夕方電話して、診療できるかどうか確認しました。「7時までに来れるならいいよ」と。お隣のN市役所さんの走友会の飲み会もキャンセルして診療してもらいに出かけました。(ごめんなさい)
転倒箇所。腰の下は擦過傷で血が出ているがたいしたことはない。むしろ膝外側の下が腫れている。内出血もしている。

びわじま整形外科はスポーツ専門医です
 地下鉄から名鉄へ金山で乗り換え、「びわじま整形外科」のある名鉄・二ツ杁(ふたついり)へ向かいました。事前にHPで「びわじま整形外科」の場所を確認しておきましたが、二ツ杁駅から徒歩3分ほどです。とてもおしゃれな病院です。というのか、民家にしてもいいような洋風な作りです。
 たまたま月曜日の外来は、井戸田 仁先生です。井戸田 仁先生は、知多郡阿久比町のスポーツ医科学研究所で長年診察をされてきているキャリアの持ち主で、自分の持つ「井戸田整形外科」の院長であり、当「びわじま整形外科」の副院長でもあるわけです。どうも、あちこちで診療をされているようです。安藤さんに聞くと膝関係は非常に詳しいとのことでした。

レントゲンの結果異常なし
 ベッドのない病院のようなので、基本的には外来とリハビリが中心です。夜の7時に受付してもらったにもかかわらず、病院の中は人でごった返していました。外来とリハビリの患者さんたちです。病院は入院患者がいると儲かるらしいのですが、こういう整形外科でベッドがなければたくさん患者さんを診ないと儲かりません。井戸田先生らを頼って遠くから来ているようなスポーツ選手もいれば、近所のおばちゃんも来ているような病院で、経営のためにはなりふり構っていられない有様が浮き彫りでした。おかげで、レントゲンを撮ってから診察が始まるまで1時間以上待たされ、病院を出たのは8時40分でした。ゴールデンウィークのときには、外来の最後が夜の10時だったそうです。先生もタフですね。

 さて、レントゲンの結果骨折なし。ひび割れもなしという診断結果でした。
 「膝から下の太い骨(脛骨)とその外側の細い骨(腓骨)をつなぐ靱帯が少しのびているようだ」という診察結果。とりあえず折れてないということでホットしました。

湿布とRICE処置
 どんなケガでもこの4つの応急措置(R・I・C・E)をとればいいといわれているので紹介します。

REST
 「R」はREST(安静)を表します。試合中なら本来運動を止めて、患部を動かさないことです。(今回は最後まで走ってしまいましたが・・・)安静により治りが早くなります。

ICE
 「I」はICE(氷で冷やす)を表します。時間がたってからでは意味がないので、ケガの直後に冷やすことがポイントです。冷やすことにより、患部の内出血を抑え、腫れを最小限に防ぐことができます。氷があれば一番いいのですが、なければ水でもコールドスプレーでもいいので即座に冷やすことが大事です。

COMPRESSION
 「C」はCOMPRESSION(圧迫する)を表します。患部の内出血や腫れを抑えるためのひとつの方法として圧迫することも有効です。これは腫れが生じてからといいうより、腫れを未然に防ぐためにとる方策です。ケガにより破壊された個所に血液やリンパ液が流れ込んで、腫れが生じるのですが、腫れが少なければ回復も早くなります。

ELEVATION

現在の状況。膝付近が不安定なのでサポーターでがっちり固定しています。このサポーターは膝の左右のぶれを防ぐのには最適のアイテムです。
 「E」はELEVATION(高く上げる)を表します。腫れを防ぐためにも腫れを早くひかせるためにも、高く上げることが大切です。患部の腫れは血液、リンパ液などの水分から成っています。水分は身体の中でも高いところから低いところへ流れるものです。高く上げることで、腫れた部分の水分が吸収されます。
以上「スポーツ整形外科 スポーツのケガと痛みの治し方 中嶋寛之著:主婦の友社」より引用

 ということで、今日まで少々ツライ生活をしている、まあ、こんな状況です。
平成17年2月18日(金)
〜 NO.116 中部国際空港とわが家 
 昨日オープンした中部国際空港。初日で9万人以上の人が訪れたとか。名古屋空港の利用者が一日平均で2万7千人だったそうですから、その数が異常な数であることがよくわかります。(職場で残業をしている同僚と夕刊をちらっと眺め「世の中にはヒマな人がたくさんいるんだねー」とボヤいていましたが・・・)
 さて、中部国際空港ができて、わが家からどのくらいかかるのか調べてみました。
自由ヶ丘 7:30
(地下鉄名城線) 260円
金山 7:55
金山 8:02
(名鉄・快速特急) 1,140円
中部国際空港 8:29
 中部国際空港に8時30分に到着するという想定です。
 金山での乗り換え1回で行けるのは、便利ですが名鉄さんの「快速特急(通称:ミュースカイ)」は指定席料金込みで1,140円はちょっと高いかなという感があります。まあ、それでもわが家の最寄り駅・地下鉄「自由ヶ丘」から1時間で行くことができるというのは距離の割に早いという実感です。最初に利用するのはいつになるのでしょうか?

 中部国際空港が開港した影響がもうひとつあります。
 わが家の立地場所が、名古屋空港の進入路のほぼ真下にあることから、一昨日まであれほど飛んでいたジェット機が一機も飛んでこなくなりました。
 朝の通勤時間に歩いていても静かですし、夜の8時から9時の着陸ラッシュ時にもとても静かになりました。
 「中部国際空港ができるとこの街も、ジェットが飛んでこなくなり静かになるんだなぁ」と思っていた日が到来しました。
平成17年2月15日(火)
〜 NO.115 アクセス1万件・HP開設1周年記念プレゼント当選者発表! 〜
 今日はこのHPをちょうど1年前に開設した日です。
 昨年の11月頃からアクセス件数がかなり増えてきて、多い日には一日80件近くのアクセスもありました。これも皆さんのおかげだと思っております(感謝!)。最近では、マラソン大会でも「加藤さんですよね。HPいつも見てますよ。なかなか面白いですね。」と見ず知らずの人に声をかけられることがしばしばです。どこからどうして、このHPの存在を知っていただけるのかは存じませんが、このHPを通じていろんな情報が発信できてお役に立てれば初期の目的は達成です。今日から2年目。さらに充実したHPにしていきたいと思います。

 さて、「アクセス1万件・HP開設1周年記念プレゼント」の当選者ですが、応募総数なんと547通(ウソくさいなぁ〜。100倍して47を足しているという噂も・・・)。厳正なる抽選の結果次の方が当選者となりました。おめでとうございます。愛知万博の入場券(大人用・1枚:ホンモノ)を発送させていただきます。
海部郡佐屋町 水野嘉久様
 水野様はランナーです。
 今後ともこのHPのご愛顧よろしくお願いいたします。
平成17年2月13日(日)
〜 NO.114 犬山国際友好シティーマラソンに参加しました 〜
 一昨日の「とよあけマラソン」に引き続き、今日は「犬山国際友好シティーマラソン」に参加しました。、私自身、この大会の出場はジョギングばかりで、ロードレースにおいてはほとんど走ったことがありません。ロードレースには主としてはゆきこが走っている大会です。というのも、この大会は2月の第2日曜日という設定になっているので、以前よく出かけていた「別大マラソン」の翌週にあたるからです。今年は、別大マラソンに出場していないにもかかわらず、いつものごとくゆきこにロードレースは出番を譲りました。
 ゆきこも最近は育児に手がかからなくなってきたので、以前より練習に前向きなってきましたが、出産前ほどは練習していませんが、下のチビ、ゆかこも4月からいよいよ小学生となるので、「今年はスイムランから復活だー!」と張り切っています。今日の大会も女子・年代別の優勝こそ逃しましたが、メンバーにも恵まれて5kmの部で40歳代女子で年代別2位に入りました。

意気揚々と最前列に並んだところまではよかったのですが・・・

今日の兄ちゃんはマイペースで余裕

5km−22分20秒。40歳代女子で第2位

表彰式後。メダルをちゃっかりかけています。
 さて、子供たちはというと1kmジョギングなので大張り切りかと思いきや、今日はゆかこだけです。列をかき分けかき分け何と最前列まで来ました。かずたかは「きょうはのんびり行く〜」ということで、スタートからゆかこの様子を追いかけてみました。
 ジョギングですから小学生が圧倒的に多いです。石田犬山市長さんも最前列でニコニコしています。
 スターターの「スタート!」という声で一斉にスタートです(ピストルは鳴らしません)。保育園では足自慢のゆかこも小学生たちに混じるとひとたまりもありません。走れども走れども先頭には追いつきません。400mも走るとあきらめてしまいました。そこへ後ろから、ウォーミングアップ替わりに走ってきたゆきこに「頑張れー!」と励まされまた走り出します。が、しばらくするとまたトコトコと歩きます。最後までこの繰り返しで、まるでインターバルの練習のようでした。保育園児にはまだ、短距離と長距離の走り方の違いが理解できないようです。ゴール後は参加賞のパン(敷島パン提供)やジュースをもらって、ちょっと損ねていた機嫌もなおりました。
 明日の朝刊が休刊なので、ゆきこの出場した女子5kmの部の上位の記録を参考までに掲載しておきます。 

【女子5km 上位一覧】
15歳以下 30〜39歳
山本奈央 13 新川中学校 19分23秒 田中真希 32 ハルウララ 20分44秒
高田亜紀 13 明郷中学校 19分49秒 棚瀬朋子 35 チームスマイル 21分11秒
田川沙季 14 矢作中学校 20分21秒 脇田朋美 36 23分24秒
16〜18歳 40〜49歳
高榮杏奈 17 八幡商業高校 19分30秒 橋本圭子 41 岐阜MC 20分07秒
森本恵都子 17 19分55秒 加藤由記子 42 愛知県庁クラブ 22分20秒
森 妃里 17 八幡商業高校 20分02秒 南嶋英子 47 MPS 22分47秒
19〜29歳 50歳以上
宮口佳子 23 中和医療専門学校 19分36秒 東二三子 50 19分51秒
山口真子 22 21分11秒 前田眞由美 52 東浦走友会 21分48秒
横井理江 24 23分27秒 家田妙子 50 スギウラRC 22分32秒
平成17年2月11日(金)
〜 NO.113 
「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その4) 〜
 あと2回ほどお付き合いください。今回は
  (5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由
  (6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た
の内容のご紹介です。

(5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由
 この本のタイトルにもなっている「できない」と言わずにやってみろ!が登場します。ちょっと長いですが、以下原文からの引用です。
 わが社でも、世間の会社並みに入社試験をしています。以前は小さな会社だったので、わざわざ試験をやって採用するほどのこともなかったのですが、近年、入社希望者が増え、やむなく試験で合否を決めています。
 多くの応募者の中から優秀な成績で入社した連中ばかりですから、若い社員たちは秀才揃いです。社内で年寄り連中が集まって話していると、いつも、「私たちが今、この会社に入ろうと思って入社試験を受けたら、みんな落ちているだろうなあ」などという話になります。
 たしかにそのとおりなのですが、しかしだからといって秀才たちは仕事ができるかといえば、これはまた別の話です。
 かつて出来のわるい人間ばかりがいた時代には、何か新しいことをやろうとする、あるいはお客さんから、「こんなものを持ってこい」とか、「これでは具合がわるいから、こういうふうに直してこい」と言われると、七転八倒、試行錯誤しながらやるしかありませんでした。
 それでも、ともかくそれらしいものをつくったり、あるいは、お客さんに満足してもらうようなものをつくり上げたり、つくりかたを見つけたりということで、何とかやってきました。
 少なくとも、「そんなことはできません」とか「それは無理です」などとは、口が裂けても言えませんでした。「できません」と言っていては、商売にならなかったからです。「とても無理」とは思っても、何とかやろうという努力をしてきたのです。
 そんな時代と違って、今のように秀才が大勢いれば、どんなに難しい注文や苦情でもすぐに対応できてもいいような気もします。しかし実際にはまったく逆です。
 私はいつも無理難題の高いレベルの要求をします。それで、優黍な成績で大学を卒業してきた入社間もない連中に、「こんなものをつくつてほしい」とか、「こうしてほしい」と指示すると、まず彼らは、立派なレポートを提出してきます。そこには私たちが見てもまるで理解できないような式が並んでいる。そして最後に、「・・・・・・よって、これはできません」と書いてある。
 昔のことばかり言うと笑われるかもしれませんが、私がまだ営業で走りまわっていた専務時代には、私が指示をすると、「専務がそう言うんだから、ともかくやってみるか」と、みんなともかく言うことを聞いて努力していました。
 実際にはどうやったらいいかまったく見当もつかないけれど、とにかくやってみた。そして、「やっているうちにできちゃった」ということが少なくありませんでした。
 これはある意味では当然のことで、わからないことでも、やってみることによって問題点が発見できるのです。ともかく始めてみることによって、問題のネックがどこにあるのかわかってきますから、そのネックをひとつずつクリアして、また新しい問題に直面する、またそのネックをクリアするという具合に、しだいに通が開けてくるのです。
 
要するに、「できないと言わずに、やってみろ」と言いたいのです。
 しかし会社に入って一、二年の秀才たちには、ともかくやってみるという姿勢はなく、いきなり「よってできない」という返事が堂々と返ってきます。高い給料を払って「できない」ことを証明する人間を雇う必要があるのか、という議論になると彼らは嫌な顔をしますが、だからと言って、「ともかくやってみよう」とは思わないようです。
 机上で精密に検討した結果、「よってできない」という結論が出たものを、「ともかくやってみよう」と言うのは無駄なことという考え方です。
 彼らが持っているのは単なる知識です。学校で教わってきた知識は持っている。しかし彼らが、今までやってきたことというのは、世の中ですでにわかっていること、あるいはできることだけ。つまり、既存の知識の上に立って、それらを組み立てていくことだけだったのです。
 それでも、五、六年すると、わかっていなかったという認識が生まれ、まわりの先輩たちが人類未知未踏をやらなければと言っていることがわかってくるようです。
 今までの世の中で、うまいことやって稼いだなというのは、ほとんどの場合、すでにわかっていることを、人が気がつかないように組み換えただけなのです。
 言ってみれば順列組み合わせのようなもので、すでに世の中にたくさんある知識をどう組み立て、どういうふうにしたら、何か目新しいものが出るかというようなことをやるのが、これまでの研究であったわけです。あるいはそれが、学校で教えてくれたことのすべてでしょう。
 しかし私が大学に期待するのは、知識を教えることだけではなく、何がわからないのかを教えることです。またそこで学ぶ若い人たちには、何がわからないのかを学び、人類未知未踏領域がいっぱいあるんだということを認識してはじめて、大学へ行った意味があると言ってもいいでしょう。

「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著)』から引用
私のまわりにも、できない理由ばかり山ほど述べて仕事をしない人がいます。そういう人に限って高給取りです。

(6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た

 これまた途上の話ですが、こういうものがどんどんできてくると面白いと思います。これまた原文からの引用です。
 わが社の専門である光技術の研究開発は、いわば縁の下の力持ち的な存在ですが、そんなことに一生懸命汗を流していると、PET(ポジトロン断層撮影)などと同じく思いがけない発見や、ユニークな機器の開発につながる場合があります。
 それが、尿からガンを見つける方法です。これもPETの延長線上から生まれた「ひょうたんから駒」の発見でした。
 わが社の研究者や協力いただいている先生方が、「何とかガンを完治する方法はないか」と心を砕いているときに、「ガンになりそうな人間とか、初期ガンが体にある人間を何とか簡単に見つける方法はないか」という話題になりました。
 すると、そのメンバーの一人から、「小便を測って、こういう物質が出るとガンだとか、こういう光を当てると、こういう徴候だというのがわかるような検査ができないか」という提案がなされました。
 何度も言うように、わが社にはひねくれ者の研究者が多いので、「それじゃあ、その研究をやってみるか」ということになり、やってみたところ、何とか傾向らしきものが出ました。ところが、それで皆の尿を調べたら、なんと「全員がガンである」との結果が出てしまったのです。
 そこでまた試行錯誤を繰り返し、「ああだ、こうだ」と試みているうちに、この方法ではないかというようなものが出てきました。
 早速、従業員の中から300人を集め、尿を採取して測ってみたところ、30人が「ガンくさい」ということになリました。
 そこで、その30人をPETで全身のガンを調べたところ、3人にガンが見つかったのです。このうち女性が一人で胃ガン、他は男性で一人は甲状腺ガン、もう一人が大腸ガンでした。大腸ガンの男性は、大学病院で直腸鏡を入れて細胞検査をしたところ、ほんの小さなガンが見つかりました。そのときのお医者さんの言葉がふるっていました。
「よくもまあ、こんな初期の段階で見つかったもんだ」と言うのです。
 今では、皆完治して元気に働いています。検出確率は100分の1。300人中の30人、そのうちの3人です。まだまだ研究途上ですが、この確率が上がれば、わが国のガン死亡率は確実に減少の一途をたどりに違いありません。

「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著)』から引用
(続く)
平成17年2月8日(火)
〜 NO.112 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その3) 〜
 今日は2月5日の続きで
  (3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか
  (4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」
の内容のご紹介です。

(3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか
 前置きが長いのでそこらへんは省略しますが、自分の体を構成しているのは200億年も前のビッグバンだそうです。まあ、物質の起源とでもいうのか。200億年もの間にいろいろな変遷を通って今になっているわけです。
 例えば、今の自分があるのは、自分の両親がいてその子供ととして生まれてきたわけで、その両親はまたその親たちの子供として生まれてきたわけで、そのまた両親たちは・・・、とずーっと辿っていくとほとんど気が遠くなるようなことを繰り返してきたわけです。まあ、自分たちの子供も、私と私の妻の間に生まれてきたわけで、もしかしたら別の女性との間に生まれてきたら遺伝子も違うわけで、また違った顔になっていたことでしょう。
 まあ、今は息子と娘と一人ずつですが、同じ親から生まれてきても性別も顔も違うわけです。まあ、遺伝子の数がいくつあるのか知りませんが、その情報の組み合わせが無数にあるわけです。こんなようなことを、晝馬輝夫さんは例えています。以下は、本からの原文の抜粋です。
 こうしたことから言えば、人の話などが相手に完全に伝わらないのは当たり前であると言ってもいいでしょう。たとえば私なども、従業員たちにああだこうだと一生懸命話をするのですが、私が思っている通りに受けとっている社員は一人もいない。これも当然なのかもしれません。
 わが社がその精神を受け躯いでいるテレビの父高柳健次郎氏も、かつて、「人と人とのあいだのコミュニケーションは、どんなにていねいにやっても結局は60パーセントくらいしか伝わらないし、それ以上は無理だ」と言っていました。
 経験的にということもあるのでしょうが、「話をするほうは、相手が60パーセントやってくれたら、伝えたことの100パーセントをやってくれたんだからありがとうと言わないといけない。俺が言ったことの60パーセントしかやってくれていないと怒ってはいけない」と言うのです。
 だから、「他人にものを頼んで100パーセントを期待するときには自分でやりなさい」というのが持論でした。
 こうしたことから言っても、社長が部長に何か指示し、それを受けた部長が課長に指示し、課長が係長に指示し、さらに係長が現場の担当に指示をするなどという命令系統では、最終的には何も伝わらないのとほとんど同じです。

「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著)』から引用
 人を2人介せば、60%の60%で36%。更にもう一人介せば、36%の60%で21.6%と3人目には話の5分の1程度しか伝わりません。我が社でも知事→部長(局長)→課長→班長→自分と知事の考えていることの最大で13%程度しか伝わっていないことがわかります。逆にいえば、末端のわれわれの仕事も知事のところへは最大で見積もっても13%しか伝わっていかないと考えられます。ましてやコミュニケーションが不足すれば更にこのウエイトが下がるはずです。
 職場のコミュニケーションが非常に大切な理由がよくわかりました。

(4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」
 これも原文を先に引用させて頂きます。
 高柳健次郎先生が世界で初めてテレビの開発に成功したのは、何よりも先生自身の発想と技術によるものですが、ここでもうひとつ見逃せないのがそれを支えた関口校長の存在です。
 高柳先生が浜松高等工業の助教授に就任したとき、「テレビの研究をしたい」と言ったら関口校長は何も言わずにそれを許したといいます。ラジオ放送もまだ始まっていなかった時代に、高等工業高校あたりで「テレビをつくりたい」というのは、ある意味では荒唐無稽な発想だったといってもいいでしょう。
 にもかかわらず、それを「やりたい」と言ったほうも言ったほうだし、またそれを「やってみろ」と許したほうも許したほうです。しかも、学枚をつくつたばかりのことで、その設立に使った予算の残りの金から三千円(現在の貨幣価値でいえば数千万円) ほどもらい、「すぐにやれ」と言ったと伝えられます。
 関口校長は、なぜそんな海のものとも山のものともつかない研究を許したのか。それは同校の「自由啓発」という校訓の如実なあらわれでしょう。もともとこの校訓は関口校長がつくったもので、後に私が入学したときにも掲げられていました。
 「自由啓発」というのは、基本的には本人の自由であるということです。とはいえ、酒を飲んでワーワー騒ぐといった意味での自由ではないことは言うまでもありません。なにかといえば、絶対真理を探究する方法は由由であって、「己をひらいて、それと同時に発信をする。そういうことをやれよ」という意味ではないかと私は自分なりに解釈していました。言い換えるなら、だれも知らないこと、できないことをやれということです。
 この「自由啓発」が高柳先生の心を強くとらえました。ちょうど日本でもラジオ放送が始まろうとしていたときで、「声が無線で送れるのなら、(画像、絵?)だって送れるはずだ」と思ってテレビの研究に取り組んだのです。その意味では、関口校長もまたテレビ開発の影の功労者といってもいいのではないでしょうか。

「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著)』から引用
 なかなか太っ腹というのか、肝が据わっているというのか。上司がこのくらいの度胸がないとうまくいかないということでしょうか。
 役所の中では、新規事業がなかなかうまくいきません。システム的にも問題があるのでしょうが、「失敗したらどうするんだ」とか「これはこういうリスクがある」とか言い出すと何にも新しいことができません。無謀と冒険は紙一重の部分がありますが、その辺の冒険の見極めを許してもらうと「やったろかー!」という気になりますよね。
 親が子供に対しても同じでしょうね。子供たちが「父ちゃんこれやりたい!」という気持ちをなるべく汲んでやらないと成長していかないんだろうな、また率先していろんなことをやらないんだろうなと感じました。(続く)
平成17年2月5日(土)
〜 NO.111 「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著) (その2) 〜
 前回の『「できない」と言わずにやってみろ!((晝馬輝夫著) (その1)』が、平成16年12月10日のNewsでしたので、概ね2ヶ月がたってしまいました。申し訳ありません。今日はこの中で面白いなというように感じた次の7つを順に紹介します。
(1)「おれは何でも知っている」人ほどたいしたことはない
(2)新しい産業は「情熱」がつくる
(3)なぜ自分の話の六割しか相手に伝わらないのか
(4)「海のものとも山のものともわからんが、やってみろ」
(5)秀才よりも出来の悪い人間に新しいことができる理由
(6)尿を調べて「ひょうたんから駒」が出た
(7)あとがき 「暗黙知」と「形式知」

(1)「おれは何でも知っている」人ほどたいしたことはない
 「おれは何でも知っている」と豪語する人は昔はたくさんいました(某県庁内には)。
 若いときの知識などの蓄えで老いてもその貯金で生きている人です。最近こういうことを言う人は昔ほどほどいなくなりました。まあ、それだけ世の中の進歩が早く、今までやってきたことだけでは永久に飯が食えないという危機感を感じる人が多くなってきたという裏返しでしょう。
 わたしも最近は、このHPで『コーチング』とかいって選手の指導をしていますが、もちろん自分がすべてのことを知っているわけではありません。自分の経験(体験)からその選手に対して向き不向きがあるのでそのあたりのところを試行錯誤しながら自分も一緒に練習しているというところです。
 今年の5月で43歳になりますが、これから人生の終焉まで仕事も趣味も過去の貯金だけで生きていこうとは毛頭ありません。トライアスロンやランニングについてベテランと呼ばれていますが、決して極めているとは思っていません。向上する余地はかなりあります。

(2)新しい産業は「情熱」がつくる
 ここは下手な説明より例えが上手なので全文引用させて頂きます。
 いつも思うのですが、飛行機を発明しょうとした人にあったのは、おそらく理屈でも技術でもなく「空を飛びたい」という夢、情熱だけだったでしょう。
 まわりから「あいつはへんじゃないか」「あいつは頭がおかしいんじゃないか」と言われながらも、「鳥のように空を飛びたい」という一心で、実際に翼をつくり、ああでもない、こうでもないとやってみたに違いありません。
 おそらく、高いところから飛び下りて命を落とした人も大勢いたことでしょう。しかし、その失敗が次の挑戦者を招き、やがては大空を飛ぶ夢が実現したのです。
 今日では、かりに私が「飛行磯をつくりたい」などと言いだせば、すぐに、「おまえ、空気力学も構造学も知らないくせに、飛行機なんかつくれるわけがない。学校に行って勉強してこい」と言われるのがオチです。
 しかし、空気力学や構造学が生まれたのは、人間が空を飛んだ、ずっと後のことです。最初に空を飛んだときには、空気力学や構造学といった学問はなかったはずです。
 蒸気機関を発明したジエームス・ワットにしても同じです。よく知られているように彼は、沸騰してフタがパカパカ持ち上がるヤカンを見て、「蒸気というのはパワーがあるんだな」と気づいたといいます。
 今ならこれは熱力学などで簡単に説明できますが、ワットはもちろんそんなことは知りませんでした。おそらく、熱力学のようなちゃんとした学問が生まれたのは、それからずっと後のことでしょう。
 自動車の大衆化に成功したヘンリー・フォードにしても同じです。「ガソリンを燃やせばパワーが出るんじゃないか」という発想がガソリンエンジンを生んだわけで、内燃機関の理論はそれから後に整備されたものでしょう。
 私の知る限り、理論からできあがったものは原子爆弾だけです。核融合や核分裂という理論がきちんと組み立てられてできたものです。
 このようにみんな、理屈よりも先にものをつくってしまいました。人間はもともとこうした能力を持っているのです。学問がなければできないなどというのは、うそです。
 学問などあとづけにほかならないのです。

「できない」と言わずにやってみろ!(晝馬輝夫著)』から引用
 まあ、大学で勉強したことが専門というのは今わかっていることの勉強であって未知の分野については教えてくれません。まあ、そのわからないことをいろいろ自分で考えたり調べたりするところに未開拓の部分の耕していく楽しみや難しさがあるのではないでしょうか。(続く)
平成17年2月2日(水)
〜 NO.110
 愛知万博まであと51日。旧愛知青少年公園は今・・・ 〜
 本日所用で、愛知郡長久手町に出張してきました。
 久しぶりの大雪で、今日は無事に行くことができるのだろうかと不安になりましたが、午後になると朝積もった雪が嘘のように溶けて、おかげで車の運転もスムーズに出来ました。

 途中、3月25日に開幕の愛知万博のメイン会場「旧愛知青少年公園」の横を通りました。愛知青少年公園は、明治100年の記念に作られた公園です。施設も老朽化していて、たまに行くたびに「広いけど、もう少しきれいにならないかなぁー」と思っていた施設です。
 愛知万博のために愛知青少年公園が閉鎖になってからは当然のことながら行く用事がなかったのですが、数ヶ月前、久しぶりに横を通ったところ凄い変貌ぶりでした。さながら遊園地です。施設は、外から見る限りではかなり出来ていました。
 この21世紀最初の国際博覧会。成功となるか失敗となるか。3月25日の開幕まであと51日です。
平成17年2月2日(水)
〜 NO.109 弟子たちの合格
 
 本日は1年に1回の高圧ガス製造保安責任者試験のうち大臣試験分の合格発表です。

 昨年は、私の職場の3名を集めて、手始めに知事試験分の「乙種機械」を受験させました。こちらは、3人ともハイスコアで合格です。こちらについては、コンテンツ「高圧ガス製造保安責任者試験」のうちの『「乙種機械」合格までの管理人の指導記』をご覧ください。
 さて、本年はというと特に個別指導は一切行っていません。昨年受験した3人は、今年はどうしたかというと、まあ次の通りです。
氏名・性別 最終学歴 昨年の受験科目 今年の受験科目
Aさん(女性) 法経学部法学科卒(独身) 乙種機械 受験せず
Bさん(男性) 法学部法律学科卒(既婚・現在) 乙種機械 第2種冷凍機械
Cさん(女性) 理学部化学科卒(既婚・現在) 乙種機械 甲種化学
 Aさんは、今年は異動その他もろもろの事情が出来て受験しませんでしたが、残った2名は新たな科目に果敢にチャレンジしてくれました。
 さらに、かつての職場の後輩で、高圧ガス担当復帰を狙うDさん(男性・既婚2児の父)が甲種機械を受験することになりました。彼も数年前に乙種機械を取得しているので受験は2回目です。しかしながら、専門科目の下地がなく独学で受験するのはかなり厳しいと思いました。受験のための勉強開始時期も遅く、まあ、通常だったら受験料、受験にかかる時間の無駄遣いコースまっしぐらです。まあ、要領だけはいいヤツなので万が一の可能性だけは残っています。

 さて、結果です。
 県知事分の試験結果は、平成17年1月上旬に発表がありBさんは第2種冷凍機械合格。(第2種冷凍機械は全科目マークシートのため、合否は試験の翌日の解答発表時点で自己採点によりわかっていましたが・・・。)あらためておめでとう!

 次にCさん。大きいチョンボがあって試験後「不合格だ〜!」と落ち込んでいました。6割の確保がやや困難だったような感じです。
 本日10時。おそるおそる、KHK(高圧ガス保安協会)のHPでの合格発表を見たところ番号がありました。Cさん甲種化学合格。おめでとう!

 最後にDさん。こちらは試験後に採点基準を私に何度も聞きに来ました。まあ、私が採点するわけではないので採点基準など知りませんが、「自分が作問者だったらこの問題の解いている過程で、ここまで出来ていたら○○点、ここまでならさらに△△点、最後まで出来ていたら満点にするだろう」という会話は交わしました。6割のボーダーすれすれのようです。
 ホンネからいえば、受験勉強にかけた時間・学習方法などから、2年計画で取得を目指して実力を身につけて受験をしてラクラク受かって欲しいと思っていました。
 こちらはメールが来ました。「KHKのHPで発表を見たら番号がありました」と。Dさん甲種機械合格。おめでとう!

 3人3様で受験・合格。まあ、いずれも私のところの門下生たちは3人とも合格してくれました。
 かなり、きわどく受かって勉強のやり方について反省している者が若干2名おりますが、まあ、合格したことには間違いはありません。その辺のところのタネあかしについては3人に受験記を書くように頼んでおきました。書いたあかつきには参考にしてください。とりあえず報告までです。 
平成17年1月23日(日)
〜 NO.108 14年ぶりのスキー 〜
 1月22日(土)〜23日(日)の1泊2日でスキーに行ってきました。
 ランナーは、このシーズンは稼ぎ時なので普通はスキーに行きません。私もごたぶんに漏れず、スキーの記憶の最後が平成3年2月ですので、実に14年ぶりのスキーです。昭和の時代に購入したウェアを引っ張り出して出かけて参りました。

 出かけた先は、飛騨ハイランドです。なぜ、飛騨ハイランドかというと、今回のスキーは3家族で出かけたため、首謀者のすずきさん(先週の西春に一緒に出かけました)の推薦によるものです。
  飛騨ハイランドは、名古屋から「東名・名古屋IC〜一宮JCT〜東海北陸・飛騨清見〜卯の花街道〜飛騨古川〜飛騨ハイランド」という道順になります。今日の時点で、東海北陸自動車道の終点・飛騨清見まで高速がつながったので、距離にして約200km。信州方面の白馬あたりのスキー場と距離的には遜色ありません。
 しかしながら国道156線沿いのスキー場は、ダイナランド、鷲ヶ岳などの人気スキー場が白鳥IC〜荘川ICあたりに集中しているので、さらに奥の「飛騨ハイランド」まで行く人はほとんどいません。それだけに、穴場のスキー場でリフト待ちもなく家族連れにはいいスキー場でした。
 このスキー場は、飛騨ハイランドホテルのプライベートゲレンデのようなもので、ホテルの上にリフトが1基、ホテルの下にリフトが1基のちっちゃなスキー場です。スノーマシンもないので、年末の大雪が降るまではスキーが出来なかったようです。
 さて、さきほど述べたように、私は14年ぶり。ゆきこもまあ、似たようなものです。
 かずたかとゆかこにとっては初スキーで、どんなドラマがあるかと楽しみにしていましたが、2日ともスクールに入れたのでとんでもないドラマはほとんどありませんでした。最初はうまく滑れずに泣いていたり、文句を言っていましたが、少しずつですが滑れるようになってくると楽しいようで、帰りの車の中では「また行きたいなー」と少し名残惜しそうでした。

スキースクール。右端は岩佐先生

レッスンを受けながら斜面を滑る兄妹

食事は相変わらずラーメンのゆかこ

一緒に行った3家族(かとう家、すずき家、みやざわ家)
平成17年1月21日(金)
〜 NO.107 ハートレートモニターS625Xがきました 〜
 昨日、待ちに待ったポラール社製のハートレートモニターS625Xがわが家にやってきました。
 ハートレートモニターの使用は、平成5年頃から3年ほど使っていましたが、電池が切れて以来使っていませんでした。まあ、心拍数についてはカンでトレーニングしていたということですね。

 さて、今回注文した機種はポラール社のS625Xという機種です。
 この心拍計を選択した理由は、シューズにセンサーを付けると角加速度を拾い距離や速度の表示をしてくれるという優れものです。
 以前の製品は、日本語の訳本もペラペラで、使用するまでが結構大変でした。

 今回のハートレートモニターの印象として、ゴッツイなぁーという感じがします。
 まあ、最近はハートレートモニターの評論が多くなりました。
 昨年10月発売のS625Xについて、ユーザーからの情報では、ほぼ正確に距離わかるようです。
 説明書も思ったより細かく書いてあるので、十分読んで、来週当たりから使いたいと思います。
 モチベーションを保つためにはいい買い物だったと自画自賛です。
平成17年1月20日(木)
〜 NO.106 研修でディベートを実施しました 〜
 今週は、火曜日は昼前から豊川市へ出張。昨日と本日は、終日研修で缶詰でした。
 きょうのNewsはこの研修の内容である「ディベート」です。

 最近は、高校生や大学生でもディベートをする機会が多く、「社会人であるわれわれがなぜ今頃?」という感もあるかもしれません。しかしながら、自分が小さいときにはパソコンがなかったからといって、未だにパソコンを触わる必要性がないとは言えません。以前にも他の研修でディベートを行いましたが、まあ、折角だからということで割とまじめに取り組みました。

ディベートとは・・・
 ディベートをご存じない方もいるので少し説明をします。
 ディベートとは、ひとつのテーマに対して肯定側の意見と否定側の意見と戦わせるゲームです。肯定側と否定側は、自分の好きこのみで片側のみの立場にはなれません。1試合終わると逆の立場に立って論述していかなければいけません。まあ、野球が攻撃とか守備ばかりでなくお互いが立場を替わって交互に行うのと少し似ています。
 例えばテーマ(論題)として「トライアスロンは小学校の授業で実施すべきである」というものがあるとします。
 この場合の定義は、
  (1)A県内の小学校6年生全員が、トライアスロンに取り組む。
  (2)大会での成績は公表する。

とします。
 このテーマにおいて肯定側、否定側の両方のストーリーを作成して議論をするというものです。

肯定側の例
(哲学)
 基礎体力を向上させるために、小学校の授業にトライアスロンを取り入れ、心身の発育の向上を目指す。

(現状分析)
(1)  平成16年の厚生労働省の発表によると、、昭和20年と比べる12歳児の男女とも平均身長は10cm、平均体重は5kgも増加している。その反面50m走は男女とも平均で1.5秒遅く、立ち幅跳びは20cmも距離が短くなっており身体の発育が良くなっているにもかかわらず体力の低下顕著に見られる。
(2)  アテネオリンピックでは、史上最多となる513人の選手団を送り込んだ日本は、各競技で大躍進を遂げ、史上最多37個のメダル(金16、銀9、銅12)を手にした。
 その反面、トライアスロン競技は金メダルどころか入賞もままならず日本国内では普及しているとは言い難い。

(プラン)
(1)  平成18年から、本県内の小学校の授業でトライアスロンを実施する。
(2)  場所は各小学校とする。
(3)  講師は、体育の先生とする。
(4)  従来の体育時間中のソフトボールの授業を廃止しする。
(5)  費用は各家庭もちとする。

(メリット)
(1)  トライアスロンは3種目を行うスポーツのため全身を使用しなければならない。したがって、全身をバランスよく強化することが可能である。
(2)  トライアスロンは、3種目をこなすために一日の練習時間が多くかかる反面、物事を早くすませよう、効率よく行おうということが習慣になり、生活に活気をもたらす。
(3)  トライアスロンは、過酷でありゴールしたときの達成感は格別である。また、完走することにより困難に立ち向かう自信を深め生活のあらゆることに対して前向きに取り組むようになる。
等々です。

否定側の例
(哲学)
 トライアスロンは、小学生には高度すぎ疲労を助長し健康を阻害する。

(現状分析)
(1)  トライアスロンは、その過酷さから過去日本でも大会中に死亡する人があとを立たない。最近では、長良川大会。ほかにも新旭駅伝、宮古島大会などで選手の死亡の事故があり大人でも死亡しているくらいであるから、心身発達中の小学生には無理である。
(2)  トライアスロンは、競技時間や練習時間が長く一日のうちのかなりの時間を割いている。大人にとってもそれが負担となり10年以上継続して取り組んでいる人は少ない。

(プランアタック←肯定側のプランにケチをつける
(1)  小学生が3種目のスポーツを行うには負担が大きすぎる。やりすぎによる発育障害を起こす可能性が高い。
(2)  ただでさえ、学校の授業にゆとりがないのにもかかわらずトライアスロンなど行うと疲れ果て勉強をしなくなるため学力の低下が懸念される。
(3)  困難に立ち向かうということであれば、小学生なら九九の出来た喜び、縄跳びの出来たときの喜びなどほかにもあるのではないか。発展途上人であるので、毎日が困難との闘いのようなものでトライアスロンでなければいけないということ理由は見あたらない。
(デメリット)
(1)  トライアスロンは、水泳、自転車、ランニングとお金がかかり興味のない家庭も巻き込んで費用を負担させるのは、家計を圧迫させる原因となる。
(2)  小学生が体力を増やそうという場合には、年齢に応じた競技のほうが適切であり、基礎スポーツのランニングの方が取り組みやすい。
等々です。

自分が思っていないこともデータを駆使し説明しなければいけない
 自分がトライアスリートだからといって肯定側だけを担当してはいけません。1試合終了すれば、反対に否定側にまわります。まあ、2枚舌を使い分けるようなものです。ゲームと割り切れば良いのですが、割り切れない時は二重人格になったような気がします。

思っていたよりも楽しかった
 今回の研修では、6人1チーム。自分のところは5人でしたので、ほかのチームよりも人数が少なくまとまりが良かったような気がします。また、穏やかな人が多く雰囲気としては和やかであり、投げやりな人もいなくいいグループメンバーに恵まれました。

下調べ(資料収集)がまず重要

 ディベートの特徴として自分の主張することに対する裏付けが必要です。したがって、自分にとって有利になるような証拠をたくさん探さなければいけません。また、不利になるような証拠がある場合には、その部分をつかれないように話を遠ざけなければいけません。

最後はプレゼンテーション能力が問われる
 資料が揃っても、論理的に説明できたか。また、わかりやすく大きな声で説明が出来たかなど、頭の中でわかっていることを審判に対してアピールしなければいけません。

1勝1敗でした
 今日は最終日で、実際に試合をしました。午前中に1試合、午後1試合です。
 午前中は否定側では、緊張していたせいかかなりカチンコチンで思っていたことの半分も言えなかった感じで負けてしまいました。
 しかしながら、負けたことで少し意地が出たようです。午後は、肯定側にまわりました。ほぼ予定どおりに進み圧勝。結果は1勝1敗でした。
 ディベートは、自分の得意とするトライアスロンやランニングと違ってチームプレーです。1人だけで戦うわけではありません。同じチームになった人からもいろんな意見をいただき、お互いに助け合っていこうという連帯感を感じることが出来たのが収穫でした。
 わずか3日間でしたが、終わってみると楽しい3日間でした。同じチームのみなさん。たいへんお世話になりました。また、どこかでお会いしたら声をかけてください。
平成17年1月15日(土)
〜 NO.105 ゆかこの学習机到着! 〜
 今日は朝から大掃除です。
 というのも来年から小学校に入学する長女”ゆかこ”の学習机が、夕方、わが家に到着するからです。
 ゆかこの部屋は、わが家では2階の南東角にあります。今のところ、私の自転車置場になっていたので自転車を撤去しました(雨天時はどこで練習しましょうか・・・)。何やかんやいって掃除とかしているうちに11時になってしまいました。
 昼から蒲郡で知人に会う約束、西尾の友人の見舞いに出かけていました。

 机の搬入の予定は17時〜19時。
 17時過ぎには戻ろうと思っていましたが、道路渋滞で家に戻ったのは17時30分。するとすでにピカピカの机が2階に置かれていました。
 そこにはニコニコ顔のゆかこが嬉しそうにイスに座っていました。

 ランドセルも筆記用具も学習机も準備完了。あとは4月を待つだけです。
平成17年1月13日(木)
〜 NO.104 海猿たちとの再開 〜
 「海猿」ってご存じですか?
 「海猿」とは昨年6月12日から公開された映画です。私の下手な説明より、映画「海猿」のHPから映画の概要を説明したものを引用したのでお読みください。
すべての海上保安官の中で、わずか1%の人間しか到達し得ない人命救助のエキスパート《潜水士》。新人海上保安官14名が50日に及ぶ壮絶な訓練の中で育んでいく《信頼と友情、そして愛》を描いた海洋ヒューマンエンターテインメント−「海猿」
「海猿」のHPより引用

 「海猿」とは、まあ厳密にいえば「海上保安庁の潜水士」を表すようですが、このNewsの中では厳密な定義は抜きにして海上保安庁の職員ということにしておきます。

 プロフィールの中にも書いてありますが、私は海上保安大学校の出身です。海上保安大学校は、広島県呉市にある4年制の大学校です。
 「大学」と「大学校」の違いは、「大学」が「文部科学省」の所管に対して、「大学校」は各省庁のオリジナルの所管です。
 防衛大学校(神奈川県横須賀市)が防衛庁、気象大学校(千葉県柏市)が気象庁(気象庁は国土交通省の外局)の幹部養成のための大学校であるように、海上保安大学校は海上保安庁(海上保安庁も気象庁と同様に国土交通省の外局)の幹部養成のための大学校です。

 わけありで海上保安庁を退職後(クビではないですぞー!)、民間企業を経て某県庁職員というちょっと変わった人生を歩んでいます。とはいいながらも、今の担当している仕事は「高圧ガス保安行政」であり方面は異なりますが、やはり保安という部分では共通している仕事です。まあ、もともとそういうところで仕事をするのが合っているのでしょうか。

 前置きが長くなりましたが、1月9日(日)は海上保安大学校32期卒業生46名のうち実に1割に近い4名と会ってきました。

まずは藤本
 参戦記(ランニング)「第21回平城京新春マラソン大会」でも触れたように、奈良で同期の「藤本」に会ってきました。
 彼とは、同期連中の中ではかなり仲が良かった間柄です。彼のモットーは「自分に甘く、他人に厳しく!」素晴らしいですね〜。最近会ったのは、同期の結婚式で福岡の披露宴会場以来かな?
 ちなみに奥さんは、峰子さん(旧姓 山崎)でもともと愛知県がんセンターの看護婦さんです。昔、私のところに遊びに来たときに、うちの嫁さんと峰子さんと4人で飲みに行ったのが交際のきっかけです。おかげさまで彼の結婚式では仲人をつとめさせていただきました。たしかあれは平成7年の3月だから、もうすぐ10年ですね。

 大会には、彼の実家に在住のお兄さん(三洋電機の社員とか)が来てくれました。ドライバー兼カメラマン兼観光ガイドと一日中奈良を案内してくれました。その節は、たいへんお世話になりました(しかし、よく顔が似ている兄弟です)。

藤本(左)と峰子さん(右)

こちらは藤本・兄さん(左)と藤本

夕方は宮本、君島、犬藤と
 奈良を午後3時過ぎに出て名古屋に戻ってきました。大会の疲れもあって電車の中で居眠りし、途中で乗り換えるところを乗り過ごしたため名古屋到着が20分ほど遅くなりました。
 今度は宮本、君島、犬藤と金山で待ち合わせです。
 宮本は、昨年から名古屋にいるので巡視船「みずほ」の見学の際には世話になりました。
 君島、犬藤とは藤本同様、同期の福岡の結婚式以来です。特に、君島は同じ機関科で、蒲郡の実家にも何度か来てもらったり、「つくばの科学博」にも一緒に行ったりしました。怪獣みたいな顔をしていますがいいヤツです。

 「さあ、乾杯だー!」と始めたとたんにガタガタ!!!地震です。
 この日は非常配備がかかっていたので出勤となってしまいました。飲み会は、非常配備が解除になったあと再び始まったことはいうまでもありません。4人とも帰ったのは地下鉄の終電でした。
 まあ、相変わらず”よく飲み、よく食べ、よく喋る(毒舌)”連中です。20年前と何ら変わりません。
 タイムスリップをしたような一日。海猿たちとの楽しい再会の日でした。

宮本(左)と君島(右)

自分(左)と犬藤(右)
平成17年1月13日(木)
〜 NO.103 いちのみやタワーパークマラソンに行ってきました 〜
 成人の日の10日(祝・月)の話で恐縮ですが、今年も行ってきました。「いちのみやタワーパークマラソン」へ。
 前日の9日(日)は、自分が奈良市の平城京新春マラソンに出場したので、今日は子どもたちとジョギングです(ゆきこが10kmに出場)。この大会も、前身の「一宮シティマラソン」から会場を同じ一宮市の光明寺球技場に移してからとても賑やかになりました。

 ”ゆきこ”が枇杷島スポーツセンターでトレーニングをしていた頃の友達の中山さんもこの大会に出ると事前に情報交換していたので、再開を楽しみにしていました。親ももちろんですが、年の近い子どもたちもです。

東海シティーマラソンに続き激走!かずたか!
 年末の東海シティーマラソンで一転、ランニング好きに変身した”かずたか”ですが、今日も張り切っていました。
 ジョギングの列に並んだのは遅かったもののピストルと同時に走り出していってしまいました。まあ、そのうちどこかで歩いているだろうと思っているととんでもありません。折り返しを過ぎても1人で先を走っているではありませんか。最後まであの調子で走っていってしまったようで、2大会とも素晴らしい走りに変身してしまいました。

ゴール後はインタビューを受けるかずたか!
 ジョギング1.5kmは515名の参加。ゴールは56番目といわれたようで上位のゴールにご満悦。おまけに会場でインタビューを受けてしまいました。
  インタービュー者: 「お名前は?」
  かずたか:「かとうかずたかです!
  イ:「きょうはげんきよくはしれましたか?」
  か:「もちろん!
  イ:「来年もきてまた走ってくれますか?」
  か:「もちろんさ!
と、ちょっぴり生意気な言い方で会場中に声を轟かせていました。

お買い物もバッチリ!
 今年もこの大会には、たくさんのブースがありました。マッサージ、焼きそば、尾西シティーマラソンの案内のほかランニンググッズを販売しているブースが4つもありました。
 1つ、2つというのはよくあるのですが4つもショップさんが出ているのは珍しいことです。おかげで思いっきり店屋をはしごしてしまいました。そのおかげで結構掘り出し物がありました。
 あとひとつ出店されていた「京都キャロット」からは加藤にとっては掘り出し物がなく、何も購入しませんでしたが客も多く出展者が多いというのは相乗効果があるなというように感じました。
ブースで購入したグッズ一覧
★アディダスの「ジョギングシューズ」(?→5,000円)
★ニューバランスの「ランパン」(5,000円→2,700円)・・・WIND UP(兵庫県・加古川市から出店)
★チャンピオンの「レース用手袋」(甲の部分がパイル地:1,000円)
★同じくチャンピオンの「毛糸の手袋」(600円)・・・フットワーク(岐阜・各務原市から出店)
★ミズノの「フラッグシップ(レーシングタイプ)」(10,800円→6500円)・・・ランナーズ社(東京都から出店)

締めはカレーでした(インドや・一宮店)
 中山さんらと話をしていて「お昼はどうする?」ということになって、「加藤家はカレーでCoCo壱番屋にしようかな」というと、「カレーなら一宮に「インドや」という店があってバイキングだよ。インド人の経営する店でうまい!」ということで早速行くことにしました。
 場所は、一宮の繊維団地の南です。国道22号線を岐阜方面から名古屋に向かって下浅野交差点を左折、さらに最初の信号交差点を左折して250mほどのところにあります。

 昼食はカレーバイキング。大人900円、子ども700円と手頃な値段です。
 カレーは、甘口2種類、辛口2種類。スープは中辛1種類。あとは野菜とパイナップルです。ナンは注文してから焼くので温かくとてもおいしかったです。腹ぺこな子どもたちを連れて行くにはとてもいい店屋でした。中山さんいいお店の紹介ありがとうございました。

 ということで、大人も子どもも大満足の一日でした。

「インドや」の地図

「インドや」外観

「インドや」での食事風景

一緒に遊んだ中山3兄妹と
平成17年1月3日(月)
〜 NO.102 2005年のマニフェスト発表! 〜
 早いもので、今年ももう3日が過ぎようとしています。年をとってきたせいか、最近は時間が過ぎるのがとても早く感じます。ボヤボヤしていたら、あっという間に一年が終わってしまうので、急いで今年のマニフェストを発表します。

 今年のマニフェストは
1   5000m15分台
2   マラソン2時間30分台
3   減量65kg以下
4   年間走行距離4000km
の4本です。

 今年は、スポーツの基本である「走」をもう一度見つめ直し、その取り組みに対する経過を公表しながら結果を出していこうと思います。(トライアスロンは、時間的制約があるので今年はおまけ的な取り組みとします。)

 昨年は自分にとって「忙」の年でした。
 今年は、プレイングマネージャーとして選手を指導する傍ら、自分のパフォーマンスを上げようというところにモチベーションをおいていきます。したがって、ここ数年遠ざかっていたトラックにも積極的に参戦し結果を出していこうと思います。
 そこで、本日から練習日誌を公開していきたいと思います。また、御意見等あればよろしくお願いいたします。
平成17年1月2日(日)
〜 NO.101 元日から大騒動!お年玉天引き事件 〜
 あらためてみなさん、あけましておめでとうございます。本年もこのHPをご愛顧ください。
 さて、昨日の我が家の元日の一日次のように過ごしました。

★9時から朝食
お雑煮を食べましたが、子供たちは普通のごはんのがいい模様。
★10時過ぎに初詣
城山八幡宮に出かけました。車で渋滞するので、今回は往復バス。お参りをすませたあと、恒例のこどもおみくじ。
   かずたか → 吉
   ゆかこ → 大吉(ラッキー!)
で、幸先のいいスタート。
兄ちゃんは、母に絵馬を買ってもらい、願掛けをしました。欲張り願掛けです
最後に締めで、一杯350円のぜんざいをほおばって帰ってきました。
★ジョグコジマへ
いったん家に戻ってから車に乗って矢場町へ。ジョグコジマの初売り。
以前に頼んでおいた、ミズノの「Wave Ekiden」というモデルのシューズが入荷したので購入。ほかNB(ニューバランス)の靴下を6足、ロングタイツ1着を購入しました。お年玉にアシックス製の巾着袋をもらいました。
★ハウルの動く城
話題作、「ハウルの動く城(宮崎駿監督)」を見に行きました。
場所は、西区のワンダーシティにある「イオンシネマ」。こちらは、ネットで予約が出来るのでチケット売り場で並ばずらーくらく。学童のF重さん一家、保育園のK藤あかりさん一家にもお会いしました。毎月1日は、映画の日で大人1,00円です。
さて映画は・・・。
「千と千尋の神隠し」もそうだったのですが、宮崎駿さんていうのはグロテスクなものが好きなんですかね?子供の頃よく見た楳図(うめず)かずおの「漂流教室」を思い出してしまいました。残念ながら映画の主旨がわからず終い。反戦映画?

 さて、今日の本題ですが、我が家では元日のお年玉から大騒動がありました。
 私は、子供たちに1万円ずつお年玉をやりました。ゆきこもいくらかお年玉を渡したようです。さっそくもらった子供たちは袋を開けます。
ゆかこ 「5000円だー!」
かずたか 「兄ちゃんはもっと多いに決まってるもんね。」
と自信満々。袋からそーっとお金を取り出すと・・・
かずたか 「おっ、お札がたくさん。いいぞ、いいぞ!」
とここまではよかったのですが・・・  
かずたか 「1000円が一枚、二枚、三枚・・・。あれ3000円しかないじゃん。おかあさん。どうしてゆかちゃんよりお兄ちゃんのが少ないの?」
はは 「だって、年末にアピタでおもちゃ買うっていって2000円貸してあげたでしょ。だからお年玉から引いておいたからね」
というつれない返事。
そのあとかずたかは、しばらく怪獣のようにガオー!ガオー!とほえまくっていました・・・。

 教訓。借りたお金はちゃんと返しましょう。 我が家でおきた前代未聞のお年玉天引き事件でした。  
 
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